無職転生×我間乱 ――六面世界の大亀流――   作:からし明太子

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第二話 雷を追う

 

 

 大亀流の修行を始めてから、半年が経った。

 

 半年。

 

 前世なら、半年というのは長いようで短かい。

 

 気づけば季節が変わっていて、正月に今年こそ何か始めようと思い、三日で忘れ。

 

 夏になれば暑い暑いと言い。

 

 秋になった頃には、今年も何もしなかったな、と後悔する。

 

 そんな感じだった。

 

 だが、この山で過ごした半年は異様に長かった。

 

「いち……に……さん……!」

 

「遅い!」

 

「分かってる!」

 

「分かっとるなら迅くせい!」

 

「できたら苦労してない!」

 

 カァン! と木刀が勢いよく弾かれた。

 

「あっ」

 

 宙を舞う、俺の木刀。

 

 そのまま綺麗に回転して、カランと音を立てて地面に落ちた。

 

「……」

 

「拾え」

 

「……はい」

 

 最近、亀じいに対して少しだけ素直になった。

 

 決して敬意を覚えたからではない。

 

 口答えすると修行時間が伸びることを学習しただけだ。

 

 大人になった、と言ってほしい。

 

「今ので四十七回目」

 

 縁側から声が飛んできた。

 

 宗一郎さんだ。

 

 座って刀の手入れをしながら、俺が木刀を落とした回数を数えている。

 

「数えなくていい!」

 

「五十いったら祝ってやるよ」

 

「何をだよ!」

 

「木刀五十回落下記念」

 

「いらない!」

 

「あと三回だぞ」

 

「落とさねえからな!」

 

「そうかそうか」

 

 そう言って、ニヤニヤしている顔を見ると腹立つ。

 

「レン」

 

「分かってる」

 

 心の中で何処か納得いかない気持ちで木刀を拾う。

 

 正面には亀じい。

 

 手にしているのは細い竹の棒だ。

 

 それに対して俺は木刀。

 

 武器だけ見れば圧倒的にこちらが有利である。

 

 なのに半年間、一度として亀じいにまともな一撃を当てられていない。

 

「雷電型第一式」

 

「うん」

 

「もう一度じゃ」

 

 息を吐き、整えてから構える。

 

 他人が見たら、奇妙な構えだろう。

 

 初めて宗一郎さんが見せてくれた時もそう思った。

 

 普通なら、剣は相手へ向ける。

 

 正眼か、または上段、下段。

 

 少なくとも前世の時代劇なんかで見る剣術はそうだった。

 

 でも雷電型第一式は違う。

 

 身体をやや半身に重心を前へ、足はいつでも飛び込めるように。

 

 しかし重要なのは飛び込むことではない。

 

「……」

 

 亀じいを見る。

 

 手、肩、腰、足、目、呼吸。

 

 雷電型第一式――落雷。

 

 その本質は、ただ速く三回攻撃することじゃない。

 

 まず相手の間合いへ侵入する、そこへ相手が反応する。

 

 その反応を見て、壱、弐、参、と三つ斬撃を叩き込む。

 

 つまり相手の動きをよく見るか、動き一つに反応できなければ始まらない。

 

 言葉だけなら簡単だが、これが難しい。

 

「来い」

 

 亀じいが言うと、その一言を皮切りに踏み込む。

 

「――っ」

 

 一歩目、亀じいの間合いに入ると、竹の棒が動いた。

 

 右から迫るのが見えると、反射的に木刀を振る。

 

 壱。

 

 カンッと、音と共に止められる。

 

 なら次は。

 

 弐。

 

 ほとんど反射で返すと、亀じいの竹が横へ動き俺の二撃目を払う。

 

 その動き、見え――

 

「遅い」

 

「あ」

 

 避ける暇もなく、額に打ち込まれる。

 

 パァン!

 

「いっったぁぁ!」

 

 このジジイ!? 思いっ切り叩きやがった!

 

「痛いだろ!」

 

「死んではおらん」

 

「そういう問題じゃない!」

 

「実戦なら頭を割られとるぞ」

 

「竹だからって遠慮なさすぎだ!」

 

 思わず涙が出てきた。

 

 五歳児の身体は痛みに素直だ。

 

 頭では我慢しようとしても、勝手に涙が出でてくる。我ながら非常に格好悪い姿だと思う。

 

「あと二回」

 

「何が?」

 

「五十回」

 

「落としてねえ!」

 

「今手ぇ離しただろ」

 

「額叩かれたからだろ!」

 

「四十八」

 

「数えるな!」

 

     ◇

 

 半年間、毎日五剣を練習してきた。

 

 その結果、何一つ完成していない。

 

 厳密には、形だけならそれらしくなった。

 

 雷電型第一式。

 

 侵入から三段へ移ることはできる。相手が止まっていてくれれば。

 

 焔燃型《火柱》。

 

 肘裏を弾き、腕を鞭のようにしならせる。これもできる。柔らかい枝程度なら折れる。

 

 太い丸太? 無理。

 

 虚空型《影縫》。

 

 脱力して身体を回す。そこそこできる。

 

 時々、自分の足に躓が。

 

 水龍型《逆鱗》。

 

 振りながら握りを入れ替える。

 

 十回に三回くらい木刀が飛んでいきますが。

 

 土公型《荒神》。

 

 刃がぶつかる瞬間に回転を加える。

 

 これも。

 

「ふっ!」

 

 カンッ!

 

「痛っ!」

 

 また手が痺れた。

 

「だから力むなって言ってんだろ」

 

 相手をしてくれている少年が呆れたように言った。

 

「分かってるよ」

 

「分かってねえから毎回そうなるんだ」

 

「うるさいな」

 

「年上には敬意を払え」

 

「二つしか違わないだろ」

 

「二つも、だ」

 

 こいつの名はハルマ。

 

 七歳年上で俺より二年前に大亀流へ入門したらしい。

 

 栗色の茶髪で独特なそばかすに、身長は俺より頭一つ高い。

 

 剣術の腕も今の俺より上だ……今はな。

 

 出会った頃は嫌な奴だと思った。

 

 というより、向こうも俺のことが嫌いだったらしい。

 

 その理由が。

 

「お前、また朝の山走り一番だったって?」

 

「子供組でな」

 

「俺より後から来たくせに」

 

「知らないよ」

 

 これである。

 

 どうやら俺が修行を始めて三ヶ月ぐらいした頃から、走る速さだけなら同年代の弟子を追い越し始めたのが気に食わなかったらしい。

 

 別に俺だって自慢しているわけではない。

 

 足が速い、反応が速い、それだけだ。

 

「荒神もう一回」

 

「いいけど」

 

 木刀を構える。

 

 打ち合う。

 

 カンッ!

 

「っ!」

 

 またまた手が痺れる。

 

 ハルマの刀はほとんど動かないのに、なぜか俺の方だけ弾かれる。

 

「ほら」

 

「……」

 

「腕で回そうとしてる」

 

「分かってる」

 

「腰からだって」

 

「分かってるって」

 

「じゃあやれよ」

 

「だから!」

 

 無性に腹が立つ。

 

 雷電型なら俺の方が速いし、影縫も最近は俺の方が上手くなってきた。

 

 でも、火柱と荒神になると逆だった。

 

 ハルマの方が強い。

 

 それは単純に身体が大きい、俺より二歳上というだけではない。

 

 元々の骨格ががっしりしているからだろう。

 

「お前さ」

 

「何」

 

「やっぱ弱いな」

 

「……」

 

 あ? こいつ。

 

「もう一回」

 

「お?」

 

「今度は本気で来い」

 

「怒った?」

 

「怒ってない」

 

「怒ってんじゃん」

 

「いいから!」

 

 ハルマが笑った。

 

 まったく嫌な笑顔だ。

 

「よし」

 

 互いに構え、再び模擬戦を繰り返す。

 

 亀じいからは、

 

「殺さなければ好きにやれ」

 

 と言われているが、教育方針が豪快すぎるだろう。師匠がそれでいいのか?

 

「始め!」

 

 宗一郎さんの声と同時にハルマが踏み込む。

 

 速い……いや、俺よりは遅い。

 

 その動きがはっきり見える。

 

 上段から振り下ろそうとする、この構えは……

 

《火柱》。

 

 来る。

 

 木刀が振り下ろされる。

 

 受けるな。

 

 俺では押し負ける。

 

 なら横へ。

 

《影縫》。

 

 身体を脱力し、正中線を軸に回る。

 

 ブンッ! とハルマの木刀が鼻先を通り過ぎる。

 

 怖っ!

 

 でも避けた。

 

 そのまま懐へ。

 

「もらった!」

 

 勢いを乗せた横薙ぎ。

 

 ハルマが木刀を引き戻す。

 

 間に合わ――

 

 ゴッ!

 

「うぶっ!?」

 

 腹に衝撃が叩き込まれた。

 

 なんだ? 蹴られた?

 

「剣だけ見すぎ」

 

 吹っ飛ばされると、そのまま背中から地面へ落ちた。

 

「ぐ……」

 

 痛い……息が、できない。

 

 ハルマが木刀を肩に乗せる。

 

「俺の勝ち」

 

「……蹴るのあり?」

 

「実戦で『蹴るのありですか』って聞く気か?」

 

「……」

 

 正論だが、腹立つ。

 

「くそ……」

 

「ホッホッ」

 

 縁側から亀じいの笑い声。

 

「なんだよ」

 

「いやのう」

 

「笑うな」

 

「少し前まで『剣術なのに蹴りなんて』という顔をしとったからの」

 

「してない」

 

「しとった」

 

「してない!」

 

 していた……少し。

 

「レン」

 

 呼ばれると亀じいが真剣な顔をしていた。

 

「剣を見るな」

 

「じゃあ何見るの」

 

「人を見ろ」

 

「人?」

 

「刀が勝手に動くか?」

 

「動かない」

 

「なら、動かしているのは誰じゃ」

 

「……人」

 

「そういうことじゃ」

 

 人を見る。

 

 相手を見る。

 

 肩、腰、足、目、呼吸。

 

 またそれだ、雷電型と同じ。

 

「全部繋がってる?」

 

 俺が呟くと亀じいの眉が少し動いた。

 

「何がじゃ」

 

「五剣」

 

「ほう」

 

 まだ痛みが残る腹を押さえながら、起き上がる。

 

「雷電型も相手を見る」

 

「うむ」

 

「影縫も相手がどこを攻撃するか分からないと避けられない」

 

「そうじゃな」

 

「荒神も刀がぶつかる瞬間が分からないと回せない」

 

 逆鱗だって、相手の防御を見て軌道を変える。

 

 火柱だけ少し違う? いや、あれだって当てる場所を間違えれば意味がない。

 

「五つ別々じゃない?」

 

 俺の問いに亀じいはすぐには答えなかった。

 

「自分で考えろ」

 

「またそれかよ!」

 

「ホッホッホッ!」

 

 絶対分かってて教えないだろ。

 

 性格悪いぞ、この爺。

 

     ◇

 

 大亀流の道場には、俺と同じような子供が何人かいる。

 

 全員が孤児というわけではない。

 

 農家の三男。

 

 商人の子。

 

 旅の武芸者が置いていった子。

 

 地方の小貴族の家から来た奴までいた。

 

 この世界では剣術流派というもの自体は珍しくない。

 

 剣神流。

 

 水神流。

 

 北神流。

 

 三大流派と呼ばれるものがあるらしい、俺も道場に来てから知った。

 

「剣神流はとにかく前に出て斬る」

 

 夕食の時間、宗一郎さんが肉を齧りながら説明してくれた。

 

「水神流は受けと返し」

 

「北神流は?」

 

「何でもあり」

 

「雑じゃない?」

 

「実際そんな感じだからな」

 

 本人たちが聞いたら怒りそうだ。

 

「じゃあ大亀流は?」

 

 俺が聞く。

 

「大亀流?」

 

 宗一郎さんが考える。

 

「何だろうな」

 

「知らないの!?」

 

「いや知ってるけどよ。言葉にすると難しいんだよ」

 

 亀じいを見ると、鍋から魚を取っている。

 

「亀じい」

 

「なんじゃ」

 

「大亀流って何」

 

「人を斬る術じゃ」

 

「それは最初に聞いた」

 

「なら十分じゃろ」

 

「足りないよ」

 

 宗一郎さんが笑う。

 

「お前、最近質問増えたな」

 

「気になるから」

 

「いいことじゃねえか」

 

 そう言って、俺の皿から肉を取った。

 

「あ!」

 

「授業料だ」

 

「返せ!」

 

「もう食った」

 

「この野郎!」

 

 ムカついて立ち上がろうとすると。

 

「レン」

 

 亀じいの声。

 

「飯時に暴れるな」

 

「宗一郎さんが!」

 

「レン」

 

「……はい」

 

 理不尽だ。

 

 怒られた姿を見て宗一郎さんが笑っている。

 

 夜道で襲ってやろうか。

 

 勝てないけど。

 

「大亀流とは何か、か」

 

 亀じいが呟いた。

 

「知りたいか?」

 

「うん」

 

「なら十年修行せい」

 

「長い!」

 

「十年後には自分で答えられる」

 

「今教えてくれれば一分だろ!」

 

「他人から聞いた答えに価値はない」

 

「絶対面倒なだけだろ」

 

「ホッホッ」

 

 また誤魔化された。

 

 でも、少しだけ分かってきた気もする。

 

 大亀流は技を覚えるだけじゃない。

 

 身体の使い方。

 

 相手の見方。

 

 距離、呼吸、重心。

 

 もっと何か、全部が繋がってる気がする。

 

 今はまだ、それが見えそうで見えない。

 

     ◇

 

 さらに三ヶ月が過ぎた。

 

 山に雪が降った。

 

 前世だったら冬の季節に差し掛かっているのだろう。

 

 寒い、死ぬほど寒い。

 

「なんで雪の中走るんだよ!」

 

「敵は雪の日に休んでくれるのか?」

 

「くれ!」

 

「くれねえよ」

 

 宗一郎さんに背中を蹴られた。

 

「走れ!」

 

「覚えてろよぉぉ!」

 

 雪道を全力疾走で走ると、思いっ切り転んで顔から雪に突っ込む。

 

「冷たっ!」

 

 起きる、走る、木刀を振る。

 

 手が冷たい。

 

 指の感覚がない。

 

 それでも振る。

 

 一。

 

 二。

 

 三。

 

 ある日、いつものようにハルマと模擬戦をしていた。

 

「始め!」

 

 宗一郎さんの声にハルマが動く。

 

 上段。

 

 また火柱か?

 

 いや、違う。

 

 足の動きから右へ踏み込み、横薙ぎへ繋げようとしている。

 

 俺には、はっきりと見えていた。

 

 刀じゃない、ハルマの動きが。肩、腰、足、目を観察することで。

 

 逆にこいつは俺の左を見ている。

 

 だったら、俺はそれを逆手に取ることで踏み込む。

 

「っ!」

 

「な――」

 

 ハルマの目が動く。

 

 いまだッ――

 

 壱。

 

 踏み込みとほぼ同時に木刀を振る。

 

 それをハルマが受ける。

 

 カンッ!

 

 予想通りの反応だ。

 

 弐で返すとハルマが後ろへ下がる。

 

 そこも見えていた。

 

 参。

 

 後から思い出すと、そこからはもう無意識の踏み込みだった。

 

 自分でも気付くと木刀の先が、ハルマの首を寸前で捉えていた。

 

「……」

 

「……」

 

 音が突然切れたかのように静かになった。

 

 俺も自分の動きの成果を自覚すると自然に固まっていた。

 

 できた?

 

「俺……」

 

 ハルマが俺の木刀を見る。

 

「今の……」

 

「動くな!」

 

「え?」

 

 亀じいの声だ。

 

「レン。そのままじゃ」

 

「う、うん」

 

 動かないでいると、亀じいが近づいてくる。

 

 俺の足を見る。

 

 腰に肩、木刀、そしてハルマの位置。

 

「もう一度」

 

「え?」

 

「再現せい」

 

「……分かった」

 

 最初の位置へ。

 

 俺が構えるのと同時にハルマも構える。

 

「同じ攻撃でいい?」

 

「来い」

 

 緊張する。

 

 一度できただけだ、偶然かもしれない。

 

 ハルマが動く。

 

 それを見る。

 

 足、腰、目、踏み込み、そして反応。

 

 壱。

 

 ハルマの木刀を受け。

 

 弐。

 

 半歩下がり。

 

 参。

 

 一瞬の踏み込みで、首を捉え止める。

 

「……」

 

 二回目だ……できた。

 

 思わず胸が跳ね上がりそうだ。

 

「亀じい!」

 

「まだじゃ」

 

「え?」

 

「ハルマ」

 

「はい」

 

「次は好きに攻めろ」

 

「分かりました」

 

 嫌な予感する。

 

「待って待って」

 

「始め」

 

「まだ心の準備が!」

 

 ハルマが来る。

 

「お前さっき勝っただろ!」

 

「それとこれとは別だ!」

 

「嬉しそうだな!」

 

 横の動きを避けると、よく見ると突きだ。

 

 危なっ!

 

 後ろへ半歩、それをハルマが追ってくる。

 

 速い……でも、見ろ。

 

 刀じゃない。

 

 人、肩、足、腰。

 

 ハルマの右肩が僅かに沈む。

 

 来る。

 

 俺は前へ出た。

 

「!」

 

 ハルマが驚く。

 

 その驚きを見る。

 

 反応した。

 

 壱。

 

 木刀を外から。

 

 ハルマが受ける。

 

 弐。

 

 下への斬撃を放つが、避けられる。

 

 でも足の動きから次に下がる場所が予測できる。

 

 参。

 

 パンッ!

 

「いっ!」

 

 ハルマの肩に木刀が当たった。

 

「……」

 

 当たった……。

 

「……勝った?」

 

「一本」

 

 宗一郎さんが言った。

 

「レン」

 

「……」

 

「お前の一本だ」

 

 その瞬間。

 

「よっしゃあああああ!」

 

 思いっ切り両手を上げながら叫んだ。

 

「勝った!」

 

「一本だけだろ!」

 

「一本も勝ちは勝ちだ!」

 

「もう一回だ!」

 

「嫌だね!」

 

「逃げんな!」

 

「今やったら絶対負ける!」

 

 自信満々に言ってやった。

 

「てめえ!」

 

 ハルマが追いかけてくる。

 

「ははは!」

 

 雪の庭を逃げ回る。

 

 途中、転びそうになるが、それでも走る。

 

 ……楽しかった

 

 たった一本、それだけだ。

 

 でも半年以上、何百回、何千回も失敗して転んで、叩かれて、木刀を落として。

 

 ようやく一つ、自分のものになった気がした。

 

     ◇

 

 その夜は眠れなかった。

 

 なぜかって? 興奮してだ。

 

 布団に入って目を閉じても、昼間の動きが頭から離れない。

 

 壱。

 

 弐。

 

 参。

 

 相手を見て反応を見る、そこから打つ。

 

「……」

 

 布団を翻して起きた。

 

 寒い、でも木刀を持ってへ出ると燦々と月が出ていた。雪が青白いうえに、吐く息が白くなる。

 

 誰もいないのを確認すると、昼間のようには構える。

 

 一歩。

 

 壱。

 

 弐。

 

 参。

 

 もう一度。

 

 一歩。

 

 壱。

 

 弐。

 

 参。

 

「力みすぎじゃ」

 

「うわっ!」

 

 振り返ると、人より少しでかい大岩に亀じいが座っていた。

 

「びっくりした!」

 

「儂の道場じゃぞ」

 

「寝てたんじゃないの?」

 

「小便じゃ」

 

「言わなくていいよ」

 

 亀じいが俺を見る。

 

「嬉しいか」

 

「……まあ」

 

「初めて技らしい技ができたからの」

 

「うん」

 

 俺は月光に照らされた木刀を見る。

 

「俺、才能ある?」

 

 自分でも少し情けない質問だと思う。

 

 でも、聞きたかった。

 

 俺は転生している、前世の記憶がある。

 

 だから、普通より少しだけ頭が回る。

 

 子供より我慢もできるし、修行の意味も理解できる。

 

 それを才能と呼ぶのか、それとも本当に剣の才能があるのか。

 

「あるぞ」

 

 亀じいはあっさり言った。

 

「……あるんだ」

 

「ある」

 

 嬉しい。

 

 胸が温かくなるのを感じる。

 

「じゃが」

 

 ん?

 

「才能など珍しいものでもない」

 

「……え?」

 

「この道場にもおる」

 

 亀じいが指を折る。

 

「宗一郎にもある。ハルマにもある。儂にもあった」

 

「亀じいも?」

 

「誰が亀じいじゃ」

 

「そこ今どうでもいい」

 

「よくないわ」

 

 話が逸れるな。

 

「で?」

 

「世の中にはもっとおる」

 

 亀じいが月を見る。

 

「剣を一度見れば真似る者」

 

「うん」

 

「一月で一年分進む者」

 

「うん」

 

「生まれつき人より速い者」

 

 俺を見る。

 

「……俺?」

 

「かもしれんの」

 

 嬉しいな、でも。

 

「そういう者が一番強くなる?」

 

「いいや」

 

「なんで」

 

「死ぬからじゃ」

 

 あっさりした言葉だった。

 

「……死ぬ?」

 

「才能がある者は、自分が特別だと思う」

 

 亀じいの声が少し低くなる。

 

「自分ならできる」

 

「……」

 

「自分なら避けられる」

 

「……」

 

「自分なら勝てる」

 

 雪の上に、亀じいの影が伸びている。

 

「そうして」

 

 手を目の前に見せると。

 

 ぱん。

 

 亀じいが叩いた。

 

「死ぬ」

 

「……」

 

「武芸はの、勝った者が強いのではない」

 

「じゃあ?」

 

「生き残った者が強い」

 

 俺は黙った。

 

「お前さんは今日、ハルマから一本取った」

 

「うん」

 

「次も勝てると思うか?」

 

「……多分負ける」

 

「それでよい」

 

「いいの?」

 

「負けると思うなら、どうすれば勝てるか考えるじゃろ」

 

「……」

 

「勝てると思えば、考えん」

 

 確かに。

 

「才能を信じるなとは言わん」

 

 亀じいが俺の頭に手を置いた。

 

「じゃが、才能に命を預けるな」

 

 大きな手だった。

 

 爺さんのくせに掌は分厚く硬かった。

 

「刀を握るならの」

 

 亀じいが言う。

 

「自分が死ぬことを忘れるな」

 

「怖がれってこと?」

 

「そうじゃ」

 

「武芸者なのに?」

 

「武芸者だからじゃ」

 

 怖い。

 

 死にたくない。

 

 それを恥じるな。

 

 亀じいはそう言った。

 

 不思議だった。

 

 俺はこの世界に転生した。

 

 一度死んでいる。

 

 だから、どこかで死ぬことを普通の人より軽く考えていたのかもしれない。

 

 二回目だから、どうせ人生なんて。

 

 そんなほんの少しだけの気持ちが。

 

「……分かった」

 

「本当か?」

 

「多分」

 

「ならよい」

 

「そこはちゃんと分かれって言わないの?」

 

「五歳児に人生観まで求めん」

 

「こういう時だけ五歳児扱いするのずるくない?」

 

「ホッホッホッ」

 

 亀じいが道場へ戻る。

 

「もう寝ろ」

 

「もうちょっと」

 

「朝起きられんぞ」

 

「起きる」

 

「なら好きにせい」

 

 行ってしまった。

 

 俺は一人、雪の庭に残ると木刀を構える。

 

 才能。

 

 死。

 

 生き残る。

 

 まだ、よく分からない。

 

 でも今日一つだけ分かったことがある。

 

 雷電型第一式。

 

 相手より速く動く技。

 

 そう思っていたが違う。

 

 相手が動き、それを見る。

 

 それより先に次へ行く。

 

 速さというのは、足だけじゃない。

 

 見る、考える、感じる、動く、全部。

 

「……迅く」

 

 一歩。

 

 壱。

 

 弐。

 

 参。

 

 雪を踏む音。

 

 木刀が空を斬る音。

 

 何度も。

 

 何度も。

 

     ◇

 

 そうして、俺は六歳になった。

 

 誕生日は分からない。

 

 だから大亀流に来た日を、一つ歳を取る日にした。

 

「お前、今日六歳だろ?」

 

 朝食の時、急にハルマが言ってきた。

 

「多分」

 

「多分って何だよ」

 

「孤児だから誕生日知らない」

 

「あ」

 

 ハルマが固まった。

 

 見るからにしまった、という顔だ。

 

「ご、ごめん」

 

「別に」

 

 本当に別に気にしていない。

 

「じゃあさ」

 

「何」

 

「これ」

 

 何かを差し出してきた。

 

 布か?

 

「何これ」

 

「手袋」

 

「……」

 

 よく見ると不格好だ。

 

 左右の大きさが微妙に違う。

 

「お前、冬の素振りで手ぇ割れてただろ」

 

「……うん」

 

「母ちゃんに頼んで送ってもらった」

 

「お前が作ったんじゃないの?」

 

「俺がこんなの作れるわけねえだろ」

 

「自信満々に言うことじゃないだろ」

 

「いらないなら返せ」

 

「いる」

 

 すぐ手に取るとよく分かる、少し大きいが暖かい。

 

「ありがとう」

 

「……おう」

 

 ハルマが顔を逸らした。

 

「何照れてんの」

 

「照れてねえ!」

 

「顔赤いぞ」

 

「寒いからだ!」

 

 面白いな。

 

「レン」

 

 宗一郎さんに呼ばれると、いきなり何か投げ渡してきた。

 

「ほら」

 

「うわっ」

 

 受け取ると、小さな袋だ。

 

 いきなり投げ渡してきたことに内心悪態つきながら開ける。

 

 中には干し肉が入っていた。

 

「……誕生日プレゼント?」

 

「昨日酒のつまみに買った余り」

 

「返す」

 

「嘘嘘! お前のだから!」

 

「最初からそう言えよ!」

 

「照れくさいんだよ」

 

「三十近いおっさんが?」

 

「誰がおっさんだ!」

 

 おじさんじゃん。

 

「亀じいは?」

 

「なんじゃ」

 

「何かないの?」

 

「何をじゃ」

 

「誕生日」

 

「ほう」

 

 亀じいが顎髭を撫でる。

 

「なら」

 

「うん」

 

「今日から朝の素振りを百回増やしてやろう」

 

「いらねえ!」

 

「遠慮するな」

 

「プレゼントじゃないだろ!」

 

「強くなるぞ」

 

「そういう問題じゃない!」

 

 皆が笑った。

 

 俺も笑った。

 

 そして、ふと気づいた。

 

 孤児院を出て一年、親はいない、血の繋がった家族もいない。

 

 でも朝になれば、うるさい奴がいる。

 

 飯を食えば肉を盗る奴がいる。

 

 稽古をすれば殴ってくる爺さんがいる。

 

 負ければ馬鹿にする奴がいる。

 

 勝てば悔しがる奴がいる。

 

 夜には同じ屋根の下で皆が眠っている。

 

 ここをなんと呼べばいいのだろう。

 

 道場。

 

 大亀流。

 

 それで十分だと思っていた。

 

 でも、もしかすると……。

 

 俺にとって、ここはもう家なのかもしれなかった。

 

     ◇

 

 六歳になった俺はまだ弱かった。

 

 宗一郎さんには一度も勝てない。

 

 亀じいなんて話にならない。

 

 年上の弟子にも負ける。

 

 火柱は苦手。

 

 荒神も苦手。

 

 逆鱗では時々刀を落とす。

 

 影縫は少し得意。

 

 そして雷電型だけは少しずつ、ほんの少しずつ、誰よりも迅くなっていった。

 

 この頃、亀じいと宗一郎さんは俺には言わなかった。

 

「どう見る?」

 

「異常ですね」

 

「やはりか」

 

「はい」

 

「足だけではない」

 

「目が追いついてます」

 

「それだけでもないぞ」

 

「……反応?」

 

「うむ」

 

 夜、俺が眠った後に二人がそんな話をしていたことを。

 

 もちろん俺は知らない。

 

「身体が動くより先に、相手の動きを拾っておる」

 

「六歳ですよ?」

 

「そうじゃの」

 

「……化け物になりますかね」

 

「さて」

 

 亀伝坊は笑ったという。

 

「化け物になるか」

 

 そして、少しだけ寂しそうな顔をした。

 

「人になるか」

 

「それは、この子次第じゃ」

 

 俺は知らなかった。

 

 この道場には、天才と呼ばれた人間が俺より前にもいたことを。

 

 大亀流の誰もがその男の強さを認めていたことを。

 

 そして、いつかその男の刀によって。

 

 俺が初めて手に入れたこの「家」が血に染まることを。

 

 ――この時の俺は。

 

 まだ何も知らず。

 

 ただ、雷の先を追いかけていた。

 

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