タルミナ秘文録《ゼルダの伝説 時のプレリュード》 作:北条 ゆう(いすわーる)
「もう、コキリには戻れないのかな……」
一九歳になったルスタ。
身体は完全に大人の男のものへと変わっていた。
お金を稼ぐために宿屋で仕事をする。長耳のハイリア人たちからの冷ややかな視線を受け流す。
「(僕は、あの緑の光の中に帰りたい……)」
リンクと笑い転げた大木の我が家。
お節介で
自分を慕って踊ってくれたスタルキッド。
彼らと過ごした《子供時代》が、今のルスタの人生を支えている。
ルスタは不退転の決意を固めた。
「お世話になりました」
勤めていた宿場町の仕事を辞め、不必要な私財を全てお金に換えて、彼は町を去った。
『デクの樹様に許しを
『もしコキリの森に戻るのが不可能だと言うのなら、せめてあのスタルキッドたちと迷いの森で楽しく交流していたあの日のような状況に戻してもらおう』
凍てつく風が吹きすさぶ冬、迷いの森の入り口には、決意を固めたルスタの姿があった。
「デクの樹様……チャット……ごめんなさい……っ」
ルスタは唇を激しく震わせながら、リンクの歌を吹き鳴らした。
冷たい霧が立ち込める森の奥へと、彼は一歩を踏み出す。かつて彼を襲った、全身を揺るがす強烈な拒絶の圧が、一九歳になった彼に再び容赦なく襲いかかってきた。意識が飛びそうになる。
だが、ルスタは歩みを止めなかった。
「僕が悪かったんだ……! 外の世界に行きたいなんて、生意気なことを言って、みんなを置いて行って……だからお願いですデクの樹様、僕をコキリの森に帰してください……!」
祈るように、許しを乞うように、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、ルスタは声をあげ、笛を吹き続けた。
ルスタはかつて、この森のコキリ族であった。
だからこそ迷いの森も、彼を《ただの侵入者》として容赦なく抹殺するような真似はしなかった。それはこの森が彼に遺した慈悲だった。
森は彼を排除しない。ただ彼を終わりのない霧の中で迷わせ続ける。
右へ行っても、左へ行っても、ただ白き闇が続く。
どれほど叫んでも、どれほど笛を吹いても、懐かしき友の姿は見えない。ただ自分の足音と、
夜の闇と日中の霧。ルスタの視界に映るのはただそれだけ。
――何日が経過したのだろうか?
ルスタの足はとうに感覚を失い、衣服は土汚れでボロボロ。
喉は渇き、腹は飢餓感を訴えていた。
「あはは……」
だが今の彼に、水や食料を口にする気力は残っていなかった。
ルスタは、巨木の根元に力なく崩れ落ちた。
視界の端からゆっくりと光が失われていく。その時、彼の胸の奥で何かが『ぷつり』と切れる音がした。
「(……もう、どうでもいいや)」
自暴自棄の感情が彼を支配していく。
今更外の世界へは戻れない。
『だったら、このままここで消えてしまおう』。かつて六歳の冬、母と共に辿り着いたこの森。自分を育ててくれたこの地の、故郷の土になれるのなら、それはそれで結構じゃないか?
ルスタは、笛を胸に抱きしめた。
水も、食料も、生きようとする意志さえも……
ただ、まどろむような冷たさの中に身を委ねる。
遠のいていく意識の向こうで、懐かしい声と羽音が聞こえた気がした。
『久しぶり、お兄ちゃん』
『遅かったじゃない、ルスタ』
幻覚と幻聴が優しく彼を包み込む。
「……リンク……チャット……」
一九歳の青年の唇から、最後に掠れた呟きが零れ落ちる。
ルスタは凍てつく迷いの森で、息を引き取った。
静まり返った霧の中、主を失った笛がルスタの手から滑り落ち、湿った土の上に転がり落ちた。
迷いの森の奥深く、白い霧が澱のように立ち込める虚無の空間で、死に瀕した一九歳のルスタをじっと見つめる二つの視線があった。
それは少年の末路を最後まで見守り続けていた《デクの樹とチャット》。
「ルスタ……! もうやめて!! お願いだから森から出ていってよ……!」
チャットは激しく羽を震わせ、今にもルスタの元へ飛び出していきそうなほどに狂おしく明滅していた。
しかし彼女の小さな身体は、目に見えない強固な障壁に阻まれ、ルスタに近づくことができない。
彼女が一五歳のルスタの前から姿を消したのは気まぐれでも、へそを曲げたからでもない。
すべては、森の
一五歳を超え、肉体がいよいよ大人へと向かい始めたルスタは、森の法における《コキリ族》ではなく《人間》へと変わりつつあった。
「デクの樹様……! どうして直接会って、話してあげられないんですか!?」
森の掟ゆえに。
彼女は身を切られるような想いで彼の元を去り、デクの樹と共に、彼が外の世界で《人間の大人》として生きていくことを祈り続けていたのだ。
しかし、ルスタは帰ってきた。職を辞し、すべてを捨てて、命を賭してこの揺り籠へと戻ってきてしまった。
「……叶わぬのだ、チャットよ。それが、この森の絶対なる掟。大人へと至る器を持つ者と、まみえることはできぬのだ」
デクの樹とチャットは彼を死なせまいと、あらゆる手を尽くした。
森の結界の圧力を強め、頭痛や
それは彼を痛めつけるためではなく、なんとか恐怖によって彼を翻意させ、外の世界へと追い返すための、親心ゆえの必死の策だった。
だが、ルスタの執念は、そのすべてを
傷つき、
「私が彼の前に行って、ちゃんと事情を説明すれば、ルスタだって分かってくれます! このままじゃ、このままじゃアイツ、死んじゃうわ……!」
チャットが涙声で叫ぶ。
しかし、大樹の深い
『……
デクの樹の声は、かつてないほどに沈痛だった。
森の掟は絶対であり、神聖不可侵。女神フロルの定めた原初の法。
外の世界の時を刻み、一九歳という大人の年齢に達したルスタと直接会うことは、森の守護者たるデクの樹にさえ、決して許されない
二人は掟の鎖に縛られ、ただ見守ることしかできない……
そして遂にルスタの生きる意志は完全に
「嫌……そんなの嫌よ……!」
ルスタの手から笛が滑り落ち、その呼吸が完全に停止した瞬間、チャットは狂ったようにデクの樹の顔の前を飛び回った。
彼女の本来琥珀色の光は、今や血のような赤みを帯びて激しく明滅している。
「ルスタは元々、私たちの仲間だったじゃない! 統一戦争の地獄から、デクの樹様が哀れんで救い出した、コキリの子供だったじゃない!!」
一九歳の大人。
迷いの森で死んだ大人は肉体を失い、森を守護する《骸骨戦士:スタルフォス》へと
「なのに大人になったからって……そんな理由で骸骨の……! 《バケモノ》になれって言うの?!」
かつて共に笑い合い、共に家族として暮らしたあの優しいルスタが、肉をもぎ取られ、剣を取って生者を呪う醜い怪異に成り果てる……
そのあまりに残酷な未来に、チャットの心は張り裂けんばかりだった。
「お願いです、デクの樹様……!」
チャットはデクの樹の樹皮にその小さな身体を押し付け、激しく泣き崩れた。
「せめて、せめてもの情けを……! 彼を、スタルフォスにだけはしないで!!」
妖精の、魂を削るような
「バケモノにして、世界を呪わせないで……! 彼はただ、みんなと、私と、一緒にいたかっただけなのよ……っ!」
その純粋な悲痛の叫びは、静まり返った聖域の木々を激しく震わせた。
デクの樹はじっとチャットを見つめている。その巨大な身体からは、ハラハラと、まるで血の涙のように赤い枯れ葉が何枚も、何枚も落ちていく。
ルスタを救いたい。だが森の掟という冷徹なシステムを前に、デクの樹はあまりに無力であった。
罪悪感と悲しみが、大樹の心を深く
沈黙の果てに……
「……チャットよ」
デクの樹は、地鳴りのような深い、深い声を絞り出す。
「ワシも、ルスタを見殺しすることしか出来なかった己の力のなさを恨んでおる」
二人が見つめるルスタの遺体。そこに森から枝が伸ばされる。
その先から、緑色の濃厚な魔力の粒子が静かに降り注ぎ始めた。
「ならば、せめて《意思なきスタルフォス》ではなく、《心を持ったスタルキッド》として、その魂をこの森に留め置こう……かつての記憶は、おそらくほとんどが失われよう……だが、永遠に子供の心を抱いたまま、この森で生き続けることは出来る」
「デクの樹様……」
デクの樹の魔力がルスタの身体を包み込んでいく。
一九歳の青年の肉体はゆっくりと崩壊し、代わりに木の皮のような、植物の質感をまとった小さな身体へと再構成されていった。衣服も変わり、顔はスタルキッドのそれへと変貌していく。
チャットは、ただ涙に
・あとがき
著者の北条ゆうです。
お読み頂き、有難うございます。
さて、ここでお話のストックを貯めるため、週一回連載を一度休止したいと考えております。
キリの良いところまで書き上げましたら、週一回更新を再開する予定です。
お気に入り、コメントなどなど、とても励みになっております!
そして全ての読者の皆様、本当にいつも有難うございます(^^)
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それでは、またお会いできる日を願って!