タルミナ秘文録《ゼルダの伝説 時のプレリュード》   作:北条 ゆう(いすわーる)

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《第一話:タルミナの輝き》

 今は昔――

 後に《王都ハイラル》の名で上書きされることになるその大地には、《時の女神クロノア》を(まつ)り、独自の法を敷く、絢爛(けんらん)たる独立都市国家がかつて存在していた。

 その名を、《タルミナ共和国》。

 大陸の物流を支配する高度なからくり文明に彩られ、精強な市民たちに守られたその国の中心には、のちに《ハイラル城下町中心街》となる《行政区画クロックタウン》が存在していた。

 

「ルスタ、あんまり遠くへ行っちゃ駄目よ!」

 

 石畳の路地を無邪気に駆け抜ける幼い足音に、母親の柔らかな声が追いかける。

 ルスタ。(ほお)の赤い、どこにでもいる六歳の幼い子供。

 ここ最近、ルスタの小さな胸には、言語化できない奇妙な違和感が募っていた。

 街を行き交う大人たちの顔が、どこか暗い。職人たちも、衛兵たちも、何か恐ろしいものを遠くに見据(みす)えるように、常に張り詰めた空気を漂わせている。

 広場で時を刻む巨大な時計塔を見上げる彼らの横顔は、まるですべての終わりの時までをカウントダウンしているかのように、険しく、強張っていた。

 急速に領土を拡大する強国《ハイラル王国》。

 その軍靴の足音が、すぐそこまで迫っていること。反ハイラル同盟の最前線で戦うタルミナの防衛線が、今や決壊寸前であること――

 

「ルスタ、こっちだよ! 早く捕まえてごらん!」

 

 だがそんな国家の命運を、六歳のルスタが知る由もない。

 友達の呼ぶ声に、ルスタは大人たちの重苦しい空気のことなどすぐに忘れ、路地の向こうへ笑いながら走り出していった。

 

「今日もたくさん遊んだのかい、ルスタ」

 

 夕暮れ時、遊び疲れて帰宅すると、家の中には香ばしいスープの匂いが満ちていた。

 父親が大きな手でルスタの頭を()でる。まだ幼いルスタに不安を与えまいとするように、両親はいつも通りの優しい笑顔を(くず)さなかった。

 温かい食卓を三人で囲む。

 それが、ルスタの世界の全てであった。

 

「おはよう、ルスタ」

 

 翌日。いつもより少し遅く起きたルスタの枕元で、母親が上質な衣服を整えながら、静かに微笑んだ。

 

「あのね、ルスタ……明日、とっても大きなお祭りがあるの。だから今日は、準備をしましょうね」

 

「お祭り?」

 

「ええ、そうよ。とっても特別な、これまでで一番大きなお祭り」

 

 母親の瞳は、どこか酷く(うる)んでいるように見えたが、ルスタは《お祭り》という甘美な響きに目を輝かせた。

 大人たちのあの暗い顔は、この楽しいお祭りの準備で忙しかったからなのだ、と子供らしい純真さで納得してしまった。

 三日目。

 クロックタウンは、ルスタの短い人生の中で見たこともないほどの、圧倒的な熱狂に包まれていた。

 広場には溢れんばかりの屋台が立ち並び、香ばしい焼き肉や、色鮮やかな異国の果実、蜂蜜(はちみつ)をふんだんに使った贅沢(ぜいたく)な菓子が、大量に振る舞われている。まるでこの街にあるすべての物資を今日使い切らんばかりに。

 

「わあ……! お父さん、見て! あそこでお面が踊ってる!」

 

 大道芸人たちが賑やかに楽器を鳴らし、からくり人形が火花を散らして踊り、街全体が地響きのような歓声に揺れていた。

 

「ああ、凄いね、ルスタ」

 

 父親はルスタを高く抱き上げ、母親は寄り添うように少年の小さな手を握りしめていた。ルスタは両親の手を引きながら、夢中になって人混みを駆け回った。甘いお菓子を口に放り込み、色鮮やかな(もよお)し物に声を上げて笑う。

 それは、都市国家タルミナが、その最期に灯した《終焉の輝き》だった。

 迫り来る侵略の足音。避けられぬ滅亡を前にして、大人たちが『せめて子供たちに最高の想い出を』と大枚を(はた)いて作り出した、偽りの、しかし輝かしい愛情の結晶――

 

「楽しいね、お父さん! お母さん!」

 

 ルスタは満面の笑みで振り返る。

 この幸福な世界が、ハイラル軍のロフトバード騎兵による爆撃と、鋼鉄の軍勢によって、ほどなく地獄へと変わり果てるなど、少年は微塵(みじん)も考えてはいなかった。

 

 

 

 その夜、幸福な夢の余韻(よいん)を断ち切るように、ルスタは激しく身体を揺すぶられて目を覚ました。

 

「ルスタ……ルスタ、起きなさい」

 

 耳元で(ささや)く母親の声は、昼間の優しさとは打って変わって、氷のように冷たく張り詰めていた。

 

「お母さん?」

 

「このお洋服を着て。何も聞かずに、お母さんと一緒に来て」

 

 ろくに事情も聞けぬまま、ルスタは母親の手を引かれて自宅から外へと連れ出された。

 昼間の熱狂が嘘のようにクロックタウンの路地は、不気味なほどの闇に包まれていた。低く地響きのような、重苦しい音が聞こえてくる。それは鎧の擦れ合う音であり、馬の蹄の音。

 辿り着いたのは、巨大な都市門の前だった。

 そこには子供たちと、そして決意を固めた険しい顔つきの母親たちが無数に集まっていた。彼らを取り囲むように、松明の灯りの中で、鋭い眼光を放つ街の衛兵たちが武器を手に並んでいる。

 

「……(そろ)ったな」

 

 隊長らしき男が、重い口を開いた。その顔には、死を覚悟した男特有の、凄絶(せいぜつ)な諦念が刻まれていた。

 

「これより、皆様方を《ゲルド渓谷》までお連れいたします」

 

 六歳のルスタにはその理由が分からなかった。

 だがこれが《お祭り》、すなわちこの国が《最後の晩餐》を催したわけだった。

 

「あそこはまだハイラルの魔の手が及ばぬ地。反ハイラル同盟が誇る最強のゲルド砦もある」

 

 この地の覇権を求めるハイラル王国軍は、タルミナの目と鼻の先まで迫っている。

 圧倒的な戦力差を前に、クロックタウンの大人たちは、せめて子供たちに最後の瞬間まで恐怖を与えぬよう、偽りの祝祭を演じた。

 

「ゲルド族の長:ツインローバには話をつけてあります」

 

 母親たちから嗚咽(おえつ)が漏れた。

 

「彼女たちは必ず、この子らの、あなたたちの盾となってくれるはずだ」

 

 それはすなわち、夫や父親たちとの、永遠の別れを意味していた。

 

「パパはどうするの?」

 

 一人の少女が、震える声で尋ねた。衛兵の一人が、少女の目線に合わせて屈み、その小さな頭を不器用に撫でた。

 

「パパはこの街を、このタルミナを守る。ハイラルの奴らには絶対に、この街に一歩たりとも踏み入れさせやしない」

 

 決死の籠城(ろうじょう)戦。勝算など最初からない。

 ただ、我が子や妻を砂漠へ逃がすためだけの、命を賭した時間稼ぎの肉の壁。

 

「……だから安心して、ゲルドの砦で待っていてくれ」

 

それが、タルミナの男たちが選んだ最期の抵抗だった。

 

「お父さん……お父さんは、お留守番なの……?」

 

 ルスタは母親の衣の(すそ)を強く握りしめ、必死に尋ねた。母親は何も答えず、ただルスタの頭をその胸に強く抱きしめることしかできなかった。

 母親の心臓が、早鐘のように激しく脈打っているのが、ルスタの顔に痛いほど伝わってくる。

 

「門を開けろ! 追っ手が来る前に! 急げ!!」

 

 隊長の鋭い号令とともに、重い石扉が(きし)んだ音を立てて開いた。

 松明の炎が揺れる中、母親たちは子供の手をひき、あるいは抱きかかえ、月明かりの暗いタルミナ平原へと足を踏み出した。

 ――侵略の始まりを告げるハイラル軍の進軍ラッパが、いつ鳴り始めるやもしれぬ、と(おび)えながら。




・あとがき

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