タルミナ秘文録《ゼルダの伝説 時のプレリュード》   作:北条 ゆう(いすわーる)

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《第三話:タルミナの未来》

 激しい戦闘の余韻が、立ち上る黒煙とともに森の冷気へ溶けていく。

 恐怖に怯え、枷をはめられていたタルミナの避難民たち。そこに訪れた信じられない奇跡の逆転劇。

 

「あ、あぁ……助かった……私たちは、生きてるんだ……」

 

 一人の母親が、泥にまみれた我が子を強く抱きしめながら、ぽろぽろと涙をこぼした。

 生き残った警備兵や母親たちが、感謝の意を込めて森の軍勢へと歩み寄る。

 彼らはスタルフォスやスタルキッドたち異形の存在に少し畏怖しながらも、森の軍勢に向けて深く頭を垂れた。

 

「森の守護者の方々……感謝いたします。あなた方の慈悲がなければ、私たちは今頃、我が子を人質に取られ、故郷を滅ぼす道具にされていたところでした。この御恩は一生忘れません」

 

 避難民たちの感謝の視線が集まるその先、森の軍勢の中心には、四人の美しい女性たちが(たたず)んでいた。

 ウッドフォール神殿の女神官たち。すなわち《森の賢者》。透き通るような肌と、どこか人間離れした神秘的な美しさを湛えた《森の精霊》。

 彼女たちのまとう薄衣は、新緑の葉が織りなすように瑞々(みずみず)しく、手にしたカンテラは先程まで戦場で見せていたおぞましき炎ではなく、今は森の生命力を宿した清らかな光を放っている。

 避難民の代表が涙ながらに紡いだ感謝の言葉を、四姉妹の長女:メグは静かに受け止めた。

 彼女の深く澄んだ瞳には、しかし、勝利の喜びなどは微塵も浮かんでいなかった。

 メグは手にしたカンテラを胸元へ引き寄せると、憂いを帯びた声色で、避難民たちに告げた。

 

「……感謝には及びません、タルミナの民よ。ですが、どうか落ち着いて聞いてください。私たちが退けたのは、《ハイラル軍第一波》……先遣隊に過ぎないのです」

 

 メグの言葉に、避難民たちの間に冷たい緊張が走る。彼女の背後に立つ妹たち――ジョオ、ベス、エイミーの三姉妹も、厳しい表情で姉の言葉に(うなづ)いていた。

 

「我らが取り逃がし、逃げ延びてしまった数名の騎兵たちは、必ずハイラル軍本陣へと戻り、この森に《異教の軍勢》が潜んでいることを報告するでしょう。そうなれば、彼らはあの傲慢な選民思想を掲げ、次は先遣隊ではなく、大軍を引き連れてやってきます。それこそ森ごと我らを焼き尽くすほどの……」

 

 メグは一度言葉を切り、深くねじくれたウッドフォールの木々を見つめた。

 

「私たち森の精霊は、これよりこの森の防備を極限まで固め、ハイラルの本隊を迎え撃つ準備に入らねばなりません。結界を閉じ、外の世界との繋がりを断つことになります……つまり、私たちがあなた方を今回のように守ることはもうできないのです」

 

 その宣告は避難民たちにとって、再び暗闇に突き落とされるに等しいものだった。メグは、六歳のルスタを必死に抱きかかえる母親たちの姿に痛ましげな視線を向けながら、さらに残酷な未来の予測を口にした。

 

「ここから南のゲルド渓谷へ至る道には、すでにハイラル軍の警戒網が敷かれつつあります。あなた方だけで彼らの眼を()(くぐ)り、ゲルド族の元まで辿り着くのは……非常に困難と言わざるを得ません」

 

 静まりかえる空気。

 再び、絶望のカウントダウンが響き始める。

 

 

 

 重苦しい沈黙が場を支配している。ハイラルという軍事大国がタルミナを完膚(かんぷ)無きまでに叩き潰そうとしている現実。

 安全な避難はほぼ不可能という絶望的な宣告。母親たちは我が子を強く抱きしめ、警備兵たちは無力感に拳を握りしめる。

 その絶望の淵で、四姉妹の長女メグは手にしたカンテラの光を避難民たちの足元へとそっと向け、一つの提案を口にした。

 

「……ですが、タルミナの民よ……私たちは《あなた方の未来》を救う提案を、一つだけ持ち合わせています」

 

 未来を救う。その言葉に、ルスタの母親がすがるように顔を上げた。

 

「あなたたちの《子供たち》を、この森の深奥で(かくま)うことです」

 

 これまで冷徹な現実を告げてきたメグの声。しかしこの時は、同時に温もりも帯びていた。

 

「大人は森の結界を狂わせます。ですが、《穢れなき子供たち》だけであれば、森の加護の元、同胞として受け入れることができる……ただし、これには大きな代償が(ともな)います」

 

 メグの背後。先ほどまで森の軍勢として戦っていた一五歳ほどのコキリ族の少年たちが、静かに一歩前へと出た。

 

「《子供たちはコキリ族となります》。それは《生涯を子供の姿のまま過ごす》ということ。大人になって、誰かと結ばれ、子を成すという《人としての営みを捨てる》ことを意味します……」

 

 生涯、子供のままで生きる――

 

「ですが、お約束しましょう。彼らが自ら望まない限り、ハイラルとの血生臭い戦争に駆り出すような真似は、決していたしません」

 

 メグの放った言葉は、避難民たちの間に波紋(はもん)を広げていく。激しい葛藤(かっとう)を巻き起こす。

 

「生涯、子供のまま……?」

 

「そんなの、あまりに残酷じゃない……!」

 

「いやだが……ハイラルに捕まって殺されるよりかはマシか……」

 

「そんなのだめよ! もういっそタルミナに戻り、夫たちと共に戦うべきだわ!」

 

「何を馬鹿な! 今頃街は包囲されているでしょう。今さら戻っても全滅するだけです! 何とかしてゲルドの元へたどり着く策を考えましょう!!」

 

 あちこちで議論が噴出し、大人たちの声が荒くなっていく。子供を守りたいという目的は同じはずなのに、進むべき道が見えず、避難民たちは完全に分断されかけていた。

 六歳のルスタは、大人たちの怒号と、自分に向けられる母親の悲痛な視線の狭間(はざま)で、ただ怯えるように立ち尽くしていた。

 その激しい議論の渦中で、一人の女性が静かに一歩を踏み出した。

 彼女の腕には、まだ言葉も解さない、布に包まれた小さな赤ん坊が抱かれていた。

 

「……私は、この子をここに残します」

 

 赤ん坊の母親の声は驚くほどに澄んで、決意に満ちていた。周囲の議論がピタリと止む。

 

「この子の父親はタルミナ平原での決戦でハイラル軍と戦い、今も都市に残り、街を守っています」

 

 彼女は我が子の額に最期の口づけを交わすと、涙を堪え、その小さな身体をメグへと託した。

 

「……けれど、この子には……《リンク》にはハイラルの血塗られた歴史に巻き込まれ、兵士として、人殺しとして育てられては欲しくないんです」

 

 ハイラル統一戦争の戦火を潜り抜け、生き延びた赤ん坊。

 

「子供のままでいい。ただ健やかに、平穏に生きていてくれるなら……それ以上の親の願いはありません」

 

 のちに《時の勇者》と呼ばれることになる、世界を救った英雄リンク。赤ん坊はその人であった。

 

「私は夫の元へ、タルミナへ戻ります……!」

 

 リンクの母:リンクル。

 その覚悟の姿は、親たちの心を決定的に動かした。

 

「……ルスタ」

 

 ルスタの母親もまた、震える手で我が子の小さな肩を(つか)み、その場に(ひざ)をついた。

 彼女の瞳からは、大粒の涙がボロボロと溢れ落ち、頬を()らしている。

 

「お母さん……?」

 

「ルスタ、よく聞いて。あなたはお祭りが大好きでしょう? ここはね、ずぅっとお祭りのままでいられる、魔法の森なのよ。お友達もたくさんいるわ。だから……ここで、待っていてね。お父さんとお母さんが、お迎えに来るまで」

 

 それが、絶対に叶うことのない《嘘》であることを、六歳のルスタも心のどこかで察していたかもしれない。

 だが母親は躊躇(ためら)うルスタを強く、壊れんばかりに抱きしめた後、その背中をコキリ族の少年たちの方へと名残惜しそうにそっと、だが断固たる決意で押し出した。

 

「賢者様、どうか私の未来を……この子を……よろしくお願いいたします……!」

 

 赤ん坊のリンク、六歳のルスタ、そして他の親子も次々と、引き裂かれるような悲鳴を押し殺しながら、森の勢力からの提案を受け入れていった。

 

 

 

「さあ子供たち、こちらへ。もう何も、恐れることはありません」

 

 神官メグは腕に抱いた赤ん坊――まだ見ぬ未来の勇者リンク――を優しくあやしながら、ルスタたち子供たちの先頭に立った。彼女が手にするカンテラの光が、ウッドフォールの深奥へと続く、霧に包まれた獣道を淡く照らし出す。

 六歳のルスタは、何度も何度も後ろを振り返った。泥にまみれた衣服のまま、涙を流し、そして同じく涙を流して自分を見つめる母親の姿を求めて。

 子供たちは遠ざかる霧の向こうへと(にじ)んでいく。森の木々が生き物のように密に重なり合い、現実世界との境界線を遮断していく。

 タルミナの未来である子供たち。彼らはこうして歴史の表舞台から、深い森の奥へと姿を消していった。

 

 

 

 残された者たち。

 森の軍勢が去った後、警備兵の隊長は血に汚れた剣を強く握り直し、親たちと残った子供たちの避難民を見回した。

 

「我らの成すべきことは一つです。当初の予定通り、ゲルド渓谷を目指します。ゲルドの砦へ辿り着けば、道は開けるはずです!」

 

 隊長の力強い言葉にいくらかの避難民は頷き、彼らと共に砂漠への過酷な行軍を再開することを選んだ。しかし、全ての者が同じ希望を持てたわけではない。

 

「正気? 森の人たちが言ってたじゃない、ゲルドへ続く道はすでにハイラル軍に封鎖されているって。これ以上進むのは自殺行為よ。私は……私はこの子とどこか別の場所を、隠れられる場所を探すわ!」

 

「私はタルミナへ戻ります。夫が、父が戦っているあの街へ……どうせ死ぬなら、あそこで皆一緒に死にたい!」

 

 集団を離れて個別に避難場所を探すもの。愛する者のいるタルミナへと引き返そうとする者。避難民たちは散り散りになっていった。

 だが……その後に待ち受けていたのは、どの道を選んだ者にとっても、等しく過酷なものであった。

 ハイラル王国軍の(あみ)の目は、あまりにも細かく、冷徹だった。

 ゲルド渓谷を目指した人々は、国境の峻険(しゅんけん)な岩場前で待ち伏せしていたハイラル軍の伏兵に見つかり、凄惨な虐殺の末に多くの者が命を落とした。

 タルミナへ戻ろうとした者たちは、城門に辿り着く前に都市の包囲を完成しつつあったハイラル歩兵の槍に貫かれた。

 個別に逃げようとした者たちでさえ、大空から索敵するロフトバード騎兵に次々と見つかり、家畜のように次々と、子供すら容赦なく狩られていった。

 生き残ることができた者たち。

 ある者はゲルド砂漠のオアシスに集落を築き、息を潜めるように暮らした。

 またある者は、ハイリア湖やフロリア湖周辺の洞窟に身を隠した後、フィローネ海沿岸の浜辺の漁村に辿り着き匿われ、昔から居住していた漁民を装って、やはり息を潜めて暮らすこととなった。

 かつて高度な文明を誇ったタルミナの民は、こうして世界の隅々(すみずみ)へと散っていった。

 

 

 

 この地域一帯の物流の中心地であった都市国家タルミナは、歴史上もっとも凄惨な攻城戦の舞台となった。

 残された男たちは、迫り来るハイラル王国の圧倒的な鋼鉄の軍勢を前に、一歩も引かずに戦った。

 からくり技術を駆使した対空魔導砲は、上空からのロフトバード騎兵によく応戦したものの及ばず、爆撃で都市は火の海と化した。

 《四人の巨人》。すなわちタルミナの盟友たるゲルド族、ゾーラ族、ゴロン族、森の勢力は都市の援軍にはかけつけなかった……みな、その余裕はなかった。

 街のシンボルであった《時計塔》は轟音(ごうおん)とともに(くず)れ落ちた。残ったのは一面の焼け野原。

 栄光を誇った市民たちの国:タルミナ共和国は、徹底的な破壊の末に、文字通りの廃墟(はいきょ)へと姿を変えた。

 

 

 

 タルミナ人の血と骨が染みつき埋まったその広大な廃墟の上に、大量の土が盛られていく。石畳が敷き詰められていく。

 崩壊した時計塔の跡地には《ハイラル聖教》、すなわち《女神ハイリア一神教》の権威を象徴する壮麗(そうれい)な《時の神殿》が、そして大陸を統べる新たな巨大帝国の心臓部《王都ハイラル》が誕生することになる。

 タルミナの国宝であった《時のオカリナ》。時空石で作られたその宝物は、ハイラル王家によって廃墟の中から探し出され、王家秘蔵のコレクションの一つに加えられた。

 歴史は勝者によって書き換えられ、敗者の流した涙はきらびやかな城下町の底へと深く、深く、埋もれていった……




・あとがき

 今回のお話で、第一章完結です。
 『時のオカリナ』で語られるハイラル統一戦争のエピソードを描きました。

 さて、ここまで読んでいただき、本当に有難うございます。
 お気に入りなど励みになっております!

 次回以降は《第二章》を投稿する予定です。
 それでは、またお会いしましょう。
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