イディルシャイアの街を出てすぐの斜面には、朝露を吸った香草の若菜が群生していた。まだ日が完全に昇りきっていない時間だからか、風は少し肌寒く、踏み出す度に草の匂いが濃く香った。
私――セラは、孤児院「メネフィナの家」で教わった通り、根を傷つけないように土をそっと掘り、葉の裏に虫がついていないか確かめてから籠に入れていく。今日の収穫は、夕食のスープの具になる予定だ。
「セラ、そっちはもう摘んだ?」
少し離れた場所から、クロ・アリアポーの声が飛んでくる。同い年のクロは、院の委員長であるシロお姉ちゃんの妹だ。院のみんなの中で一番、わたしの無茶に付き合ってくれる。
「あと少しだよ。今日はベリーは無さそうだったね。あっ、ケビ、籠が斜めだと、零れちゃうよ」
「大丈夫!」
言った先から、パラパラと葉が地面に散る。少し離れた岩の陰では、チャ・ケビが小さな籠いっぱいに野草を詰め込んで得意げにしていた。
「零れてるよ」
クロが呆れたように笑い、こちらへ駆け寄ってくる。三人でしゃがみ込み、散らばった葉を拾い集めた。摘んだばかりの若菜はまだ土の匂いを纏っていて、指先が緑色に染まっている。院に帰ったら、これを刻んでスープに入れる。シロお姉ちゃんが味見をして、いつもの通り「もう少し塩を」と言うところまで、私にはなんとなく想像がついていた。
そんな、いつも通りの日常が続くはずだった。
拾い集めた葉を籠に戻し終えた頃、風向きがふっと変わった。獣の匂いだ。土と血の混じったような、重たい匂い。
「――クロ、ケビ、動かないで」
声を抑えて言った瞬間、斜面の上の茂みが大きく揺れた。姿を現したのは、この辺りでは見たことのない大きさの獣、熊――図鑑で見た「サンベアー」だ。図鑑の説明を思い出す前に、ただ本能で「これはまずい」とだけ理解していた。低く唸る声が腹に響き、それだけで足がすくむ。
熊は太い前脚を振り上げ、一直線にクロへと突進してくる。クロは腰を抜かしたようにその場に座り込んだまま、動けずにいた。
考えるより先に、体が動いていた。
「――クロっ!」
私はクロの前に飛び出し、両腕を広げる。爪が空気を裂く音がして、次の瞬間、左肩から脇腹にかけて焼けるような痛みが走った。視界が真っ白になる。
地面に転がりながらも、意識だけは辛うじて繋ぎ止めていた。手には、さっきまで土を掘っていた小さなスコップが握られたままだった。熊ともう一度目が合い震える。足はもういうことをきかない。
(痛い痛い痛い………でも守らなきゃ……クロを、ケビを……私が助けなきゃ)
何かに祈るように、そう強く願う。熊がこちらから目を離し、二人を狙おうとしたその時、握っていたスコップを、無我夢中で熊に向かって投げつける。
その刹那、空が唸った。
雲一つなかったはずの空から、一筋の雷がスコップ目掛けて落ちる。轟音と共に、熊の巨体が弾き飛ばされ、地面に沈んだ。それきり、動かなくなった。
「セラ……!」「セラ!」
クロ達の悲鳴のような声が遠くから聞こえる。それを最後に、私の意識は闇に落ちた。
◇
目を覚ますと、普段の寝床ではない、見知らぬ天井があった。木目の色も梁の高さも違う。たぶん街の診療所だろう。
体を動かそうとして、左脇腹に鈍い痛みが走り、思わず声が漏れた。
「動くでない。傷が開く」
しわがれた、それでいてよく通る声。目だけ向ければ、大きな帽子を被った小柄なお婆さんが、寝台の脇の椅子に腰掛けていた。杖の頭に埋め込まれた紅い石が、ぼんやりと光を灯している。
「間一髪じゃったよ。担ぎ込まれた時にゃ、もう虫の息じゃった」
老婆は面倒くさそうにそう言いながら、私の額に手をかざした。手のひらから伝わる体温は、思いのほか温かかった。見た目の素っ気なさとは裏腹に、その手つきはどこか丁寧だった。
「動くでないと言うたろう。もう一度診てやる」
その手のひらから、温かい光が溢れ出す。単なる光ではない、もっと根源的な――命そのものを引き戻すような、重たい魔力の奔流。傷口がぴりぴりと痺れ、意識の奥がぐらりと揺れた。
その瞬間だった。
頭の中で何かが繋がっていき、堰を切ったように流れ込んでくる。見知らぬはずの光景――四角いモニター、キーボードを叩く指、深夜のリビング。ヘッドセットから聞こえる軽快なBGM。「黄金のレガシー」という文字列。ログイン画面。育てていたキャラクターの選択画面。
(私は……普通に社会人してて……仕事から帰ってきて…あの日も続きを、やろうとして……エナドリをキメて、まずはデイリーの消化から…)
息が詰まった。次から次へと蘇る記憶に、頭が割れそうになる。会社の机、同僚との何気ない会話、帰り道のコンビニの灯り、狭い部屋に置かれたゲーミングチェア。断片的な記憶が、脈絡なく次々と浮かんでは消えていく。
目の前の光景と、これまでの十数年間と、そして蘇った記憶の光景が二重写しで混ざりあって、私はしばらく声が出せず震えるしかなかった。指先すら、自分のものではないような気がした。
「怪我をして強い回復魔法にかかると、稀にそうなる者もおる。ただの夢だと片付ける者も、何かを乗り越え自分の力とする者も。まぁ、おぬしが何を見たのかまでは分からんがの」
興味なさそうにそう呟くと、杖を突いて立ち上がった。
「命が助かっただけ儲けものと思え。それにしても……」
私の顔をじっと覗き込んだ。値踏みするような、それでいて何か懐かしむような目だった。
「妙な魔力の使い方をしたもんだ。あの雷、おぬしが呼んだんだろう?」
「……わかりません」
「ふん。まあいい」
それだけ言うと、杖の音を鳴らしながら部屋を出て行った。
一瞬の静寂のあと、扉からクロ、チャ・ケビ、シロお姉ちゃんが次々泣きながら飛びこみ、強く抱き着いてきた。三人分の重みと体温が、じんわりと傷口に響く。それでも、痛いとは言えなかった。
「よがったぁー!ほんどよがったぁ。死んじゃったかと思ったー!」
「ううぅー、セラーー」
「本当に心配しました。三人とも無事で良かった……本当に良かった…」
シロお姉ちゃんの声は震えていた。いつも凛としている彼女がこんな風に涙ぐむのを見るのは、初めてだった。チャ・ケビは私の手を両手で握りしめたまま、しばらく離そうとしなかった。クロはただ黙って、私の顔をじっと見つめていた。何か言おうとして、けれど言葉にならない、そんな顔だった。
「クロ、無事で……良かった」
やっと絞り出した私の言葉に、クロはくしゃっと顔を歪めて、また泣き出した。
◇
その日から、私の中には二つの記憶が同居するようになった。孤児院で育ったセラとしての十二年間と、別の場所…別の世界で生きていたはずの、もう一人の自分の記憶。
最初は混乱するばかりだったけれど、日を追うごとに、ひとつの違和感も自分の中で落としどころが見つかった。
――ここは、私が遊んでいた「ファイナルファンタジーXIV」の世界だ。この場所、イディルシャイアの街並みも、これまで一緒に暮らしてきたクロも、シロお姉ちゃんも、私を治してくれたお婆さん…マトーヤ様も、ゲームに出てきたキャラクターだった。
だけど、色んな見え方が違う。
街を歩いていても、頭上にネームプレートなんて浮かんでいない。誰かに話しかけても、選択肢のウィンドウなんて出てこない。自分の体を確認しようとしても、ステータス画面は見れない。置いてあったリテイナーベルは、触れるけど音がなるだけ。お腹は減るし、眠くもなる。当たり前のはずのそれが、以前の記憶と比べると妙に生々しく感じられた。
そして、何度か街で見かけた明らかに他と纏う雰囲気が違う美人……チョコボに乗ったり降りたりしながら、街中を高速で駆け回っていた二人組。その人達を見かけると、なぜか急に身体が動かし辛く感じた。一度だけ話しかけた時もあったけど、声が届かないのか、こちらを見もせず完全に無視されてどこかに行ってしまった。
(もしかして、私……)
半信半疑のまま、こっそりいくつか試してもみた。人が居ない路地裏で「アイテムを見せて」と念じながら手をかざしてみたり、前世の記憶にあったエモートの真似をしたり。もちろん、何も起こらなかった。当たり前だ。ここはゲーム画面の中じゃない。目の前にあるのは、空気の匂いも、石畳の硬さも、全部本物の世界だった。
記憶を思い出してから数日。院の寝台の上で天井を見つめながら、私はその可能性に行き着いた。
――私は、「光の戦士」としてこの世界に転生したのではない。たぶん、名もないモブNPCとして生まれ落ちたのだ。
ゲームをプレイしていた頃の記憶を辿れば、子供の姿でプレイヤーキャラクターを作ることはできなかった。今の自分の姿も名前も、ゲームを遊んで居た時には一度も使わなかったものだった。
「イディルシャイアのセラ」というキャラは、ゲーム内で訪れていたこの場所では見たことが無い。もちろんFF14のゲーム内の全てのサブクエストをやっていたわけじゃないし、NPCの見た目と名前が一致しているのは、メインストーリーやよく遊んだコンテンツの主要キャラクターだけだったけど。それでも、記憶にある地図と、実際に自分の足で歩いたイディルシャイアの建物や路地裏の位置まで、細かく答え合わせしてみた。結果は、やっぱり同じだった。
でも、もし本当にそうなら――この世界で私が死んだとき、私はそこで終わりになる、漠然とそんな気がしている。
蘇った記憶の一番最後は、エナドリを追加で一本キメて明け方まで遊んだ後、少しだけ仮眠をして仕事に行こうとしたら、駅の階段で足を滑らせて転げ落ちた。たしか凄く頭が痛かった気がするので、たぶん転び方が悪かったんだろうな…。
ちなみにFF14のプレイヤーだったら、死んでも誰かに蘇生してもらうか、蘇生が無くてもホームポイントのエーテライトに戻って、何事もなかったかのように起き上がれる。
でもそんな都合の良いことは、私には起こらないのだと思う。ゲーム内でも、NPCはそれなりの頻度で死ぬ。好きになったキャラが死んでしまって凄く悲しかったりもした。あの時泣いた自分と、今こうして同じ立場に立たされている自分が、頭の中でどうしても重なってしまう。
そしてまた、あの熊にやられた傷の痛みを思い出す。あれは決して、演出のための痛みなんかじゃなかった。骨の髄まで凍りつくような、本物の恐怖だった。楽しみながら遊べるゲーム、では無かった。助かったのは「奇跡」だったのだと思う。
(無茶は、しちゃいけない)
それでも、それでもだ。自分が大好きで毎日のように遊んでいたゲームの世界に入って、景色や建造物を、本当にそこに存在するものとして見ることが出来るのに、最初の街から全く外に出ない?
ヒカセン達と会話出来るのかはまだ分からないけど、逆にゲームではやれなかったNPC達との自由な会話が出来るのに、好きなキャラクター達に会いに行かない???
この世界でこれまで一緒に暮らしてきた皆が、もし危ない目にあった時、私は何も出来ず、ただ守られるのを見てるしかない????
(そんなこと、我慢出来るわけが無いでしょ!!!!!!)
もちろん、頭の隅ではちゃんと分かっている。今の私には、旅に出られるだけの力なんて欠片もない。街を出てすぐの斜面でさえ、あの熊一頭に手も足も出なかったのだ。イディルシャイアの外に広がる低地ドラヴァニアには、レベル五十八、五十九ほどのモンスターがうろついていたはずだ。今の丸腰の自分がそこに足を踏み入れれば、待っているのは間違いなく死だ。
街で売られている装備品には値段と一緒に、ロールのマークとレベルのタグが付けられていた。お店の人に聞いて、試着させて貰おうとしたら、自分では重すぎて持つことすら出来なかった。
だからこそ、今はまだ動けない。動けないなら、せめて――力をつけるための、最初の一歩を探そう。そう思い至ったとき、脳裏に浮かんだのは、あの日私を救ってくれた、老いた魔導師の姿だった。
◇
更に数日が経った頃、院に一つの報せが届いた。ロウェナ商会が、街の冒険者たちに護衛を頼み、マトーヤ様の元へ荷物を届けに行くという。行き先は、街から離れた岩山の隠れ家らしい。
「私も、連れて行ってください」
シロお姉ちゃんにそう頼み込んだとき、彼女は困ったように眉を寄せた。
「セラ、まだ傷が治りきってないでしょう」
「お礼が、ちゃんと言いたいんです。命を助けてもらったのに、まだ何も言えてなくて」
半分は本当で、半分は嘘だった。マトーヤ様に会いたい本当の理由は、もっと別のところにあった。あの蘇生魔法にも似た強い光の魔法――もし自分にも同じような力が使えるようになれば、この体でも生き延びる術が持てるかもしれない。そう思ったのだ。
シロお姉ちゃんはしばらく悩んだ末に、ロウェナ商会の護衛につくという冒険者に念を押して、渋々ながら送り出してくれた。
商隊の荷運び用のチョコボの後ろに乗せて貰い、移動を開始する。振り返れば、イディルシャイアの尖った屋根が朝日を受けて白く光っていた。
護衛の冒険者達は名前を知らないNPC達だったけど、この低地ドラヴァニアに居るモンスターであれば問題なく狩れるほど強かった。それでもやはり、少し離れた場所から戦闘を見てるだけでも、モンスターは恐ろしい。地面を揺らす足音や、獣の咆哮が耳に届く度に、体がびくりと強張った。
自分の身長くらいもある虫や蛇だとか、前世の記憶を思い出した今では、以前よりもよりさらに見た目の苦手度も上がってる気がする…。
カエル軍団が居た川の近くを通り抜け、赤とんぼの群れが飛び交う草原を抜けていく。荷馬車の車輪が石を弾く音、チョコボの足音、遠くで響く鳥の鳴き声――そのどれもが、以前の記憶にある「効果音」とは違う重みを持って耳に届いた。時折、遠くの丘の上にモンスターらしき影が見えるたび、護衛の冒険者達がさりげなく警戒の姿勢を取る。それを横目に見ながら、私はただ荷台の隅で小さくなっているしかなかった。
日が落ち始めた頃、ようやく岩山の隠れ家に到着した。夕暮れの光が岩肌をオレンジ色に染めていて、その景色は記憶にあるゲーム画面よりもずっと美しかった。
商会のおじさんがマトーヤ様と挨拶を交わした後、冒険者達が荷物を次々運び入れていく。私もそれに合わせて中に入らせて貰うと、マトーヤ様は相変わらず面倒くさそうな顔で私を出迎えた。
「なんだこの前の子供かい。今度は何だ。また怪我でもしたか」
「先日は、命を救っていただき、ありがとうございました」
深々と頭を下げてから、私は一息に切り出した。商会のおじさんと冒険者達が忙しそうにしてる今が良いタイミングだ。
「その…マトーヤ様。私を、弟子にしてください」
部屋の中に、しんと沈黙が落ちた。マトーヤは杖の先で床をこつんと突くと、細めた目でこちらを見据えた。
「弟子?」
「魔法を、教えてほしいんです。私、このままじゃ……何もできないまま、また同じことが起きたら、今度こそ死んでしまいます」
「――ふん」
マトーヤは鼻を鳴らした。値踏みするような視線が、しばらく私の全身を這った。
「あんたの中に、多少妙な魔力の芽があるのは認めよう。だが、それだけだ。特に才を感じん子供を、いちいち手取り足取り教えてやるほど、わしは暇じゃないんだよ」
にべもなく突き放され、それでも私は食い下がった。
「才能がないなら、努力します。掃除でも、荷運びでも、何でもしますから」
「くどい」
「お願いします」
「……はぁ。しつこいのぅ。大体、あんたみたいな子供が魔法を覚えたところで、何が変わるというんだい」
「変わります。次に誰かを庇うときに、今度は自分の身くらい守れるようになりたいんです。そして友達を、守れるようになりたいんです」
マトーヤは片眉を上げ、しばらく黙って私を見下ろしていた。その沈黙が、やけに長く感じられた。
何度断られても、その場を動かなかった。他に縋れるものが、思いつかなかったからだ。一緒に来た冒険者達も魔法は使えたが、マトーヤ様のそれとは全然違っていた。それに「あの弟子」を持つマトーヤ様に教われるなら、この先も生き残って世界を見て回れる、それがここ数日考え込んで出した結論だった。どれだけ嫌な顔をされても、頭を下げ続ける。
根負けしたようにため息をついたのは、マトーヤの方だった。
「――やれやれ。しつこい子供だ」
彼女はすぐ後ろの棚の中から小さな人形を取り出した。木ではない素材に文様が刻まれた、手で持ち運び出来る程の大きさの人形だった。
「わしが直々に手ほどきしてやるほど暇じゃないと言うたろう。じゃがまぁ、これをくれてやる」
「これは……?」
「訓練用の魔法人形。剣も、魔法も、一通りの知識は仕込んである。これに教わるといい」
マトーヤがそう言って人形の額に触れると、紋様がぼうっと光を灯し、人形の目がぱちりと開いた。
「――お呼びでしょうか、マトーヤ様」
驚くほど流暢な声で、人形はそう喋った。
「今日からお前は、この小娘の面倒を見てやれ。名は……そうじゃな、『おしえるくん』とでもしておけ」
「かしこまりました。ワタクシ、おしえるくんと申します。以後、お見知りおきを」
人形――おしえるくんは、私に向かって恭しく頭を下げた。どこか気品と、面倒見の良さそうな雰囲気を纏っている。
「あの、マトーヤ様。ありがとうございます」
「礼はいい。これからやる事があるから、とっとと帰れ」
マトーヤはそう言って、荷物の運び入れが完了した事を確認すると、さっさと奥の部屋へと引っ込んでしまった。残された私は、机の上に乗ったおしえるくんを見つめながら、久しぶりに胸の奥が温かくなるのを感じていた。
(これで、少しは強くなれる……かもしれない…)
この時の私はまだ知らなかった。この小さな人形との特訓が、どれほど長く、そしてどれほど厳しいものになるのかを。
けれど、自分の命も友達の命も守る事が出来ず、見たい世界を見て回る事もできず、何もできずにモヤモヤしたままいた数日前の自分と比べれば、それは確かに、前へ進むための小さな一歩だった。
帰りの荷馬車の中、チョコボの足音を子守唄代わりに聞きながら、私は膝の上のおしえるくんに小さく話しかけた。
「これから、よろしくね」
「やれやれ。世話の焼ける生徒を持ってしまいましたな。ですが――」
人形はそこで一拍置いて、私を見つめる。その目はマトーヤ様に似ている気がした。
「ワタクシに答えられぬ問いはございません。存分に頼っていただいて構いませんよ」
窓の外を流れていく夕暮れの岩山を眺めながら、私はその言葉に、少しだけ安心して目を閉じた。
院に帰り着く頃には、すっかり夜も更けていた。それでも、胸の中に灯った小さな火は消えなかった。強くなりたい。守れるようになりたい。そしていつか、この目で世界を見て回りたい。旅をしたい。
まだ何も出来ない、ただの十二歳の子供だ。それでも、今日という日は確かに、その全ての始まりになった。