「遅刻ですか。まったく、やれやれですな」
朝の光が差し込む院の裏庭で、木箱の上に座ったおしえるくんが呆れたようにそう言った。もっとも、その声には嫌味というより、どこか面倒見の良さがにじんでいる。庭の隅に植えられた木々は、あの日の怪我からもう葉の色を変えていた。
「ごめんなさい、寝坊しました」
「言い訳は結構。まずは型のおさらいから始めましょう。剣を」
小さな木剣を構え、教わった通りに足の運びを確認する。数週間前まで、私はただの院の子供のうちの一人だった。今も傍から見れば同じかもしれないけれど、それでも体の中には少しずつ、確かな変化が積み重なっている。
おしえるくんの特訓は厳しかった。剣の型を何百回も繰り返させられ、少しでも姿勢が崩れると容赦なく指摘が飛んでくる。魔法の理論は、前世の記憶にあるゲームや漫画の知識だけでは全く歯が立たず、詠唱の間合いや魔力の練り方を一から叩き込まれた。
「もう一度。今度は腰を落として」
「――っ、はい」
木剣を振るう度に、まだ子供の細い腕に鈍い痛みが走る。それでも止めなかった。止めたら、また誰かを守れなくなる。あの日、クロ達を庇って感じた痛みと恐怖を、二度と味わいたくなかった。
最初の頃は、簡単な詠唱すら満足に紡げなかった。手のひらに集めた魔力は霧のように散らばり、火の粉一つ生み出せない日が何日か続いた。それでも根気強く繰り返すうちに、ある日ようやく、指先に小さな炎が灯った。
「――ついた!」
「ようやくですか。もっとも、これしきで喜ぶのは早計というものです。まだ、生活魔法の域を出ておりませんからな。身を守り、誰かの為に戦うというには、全くもって足りていません」
「厳しいね、先生」
「厳しくして差し上げねば、次に本当の危険が訪れた時、あなたの身が持ちませんので」
厳しい言葉の奥に、たしかな気遣いがあることは分かっていた。だからこそ、私も弱音を吐かずに続けられた。人形を貰ってから、街には顔を見せないマトーヤ様のことを思う。いつか一人前になった姿を見せに行きたいと、密かに心に決めていた。
「疲れた……」
「弱音を吐く前に、あと十回。ワタクシに答えられぬ問いはございませんが、疲れを肩代わりして差し上げることはできませんのでね」
やれやれ系だけれど、どんな質問にも根気強く答えてくれる。剣のことも、魔法のことも、この世界の成り立ちや魔力の理屈まで。おしえるくんが居なければ、私はきっと今もただ怯えて震えているだけか、踏み出せていたとしても、ここまで来るのにもっと何年も時間がかかっていたと思う。
「先生、私はどんな戦い方を目指せばいいのかな」
「ふむ。あなたは剣も振るえますし、白魔法にも黒魔法にも、それなりの適性がおありのようです。であれば――全てを極めるという道も、あるでしょうな」
「全部なんて、そんな器用なこと出来るの?」
「剣を振るいながら、時に敵を惑わし、時に癒す。そういう戦い方をする者達がおります。もっとも、並大抵の修練では辿り着けぬ境地ですが」
剣と魔法、その両方を併せ持つ戦い方――そうだ、確かにそれがあった。前世の記憶にある赤魔道士というジョブ。頭の中に、あの華やかな魔法と剣舞を思い出し、それを自分で再現出来ると思うと、胸の奥が高鳴った。
剣については最低限の体力作りのために教えて貰って、そこから黒魔道士や白魔道士あたりを目指すようになるかなと最初は考えていた。でも、剣の練習は思いのほか楽しかった。仕事以外ではほぼ家でゲームをしていた頃の前世の記憶があるので、最近の身体とメンタルの調子の良さを特に感じる。運動って大事。
「それ……私、目指してみたい」
「殊勝な心掛けですな。ならば、これまで以上に励んでいただきましょう」
その日を境に、特訓の内容は一段と厳しさを増した。剣術の型稽古に加えて、白魔法の詠唱、黒魔法の詠唱と、それを組み合わせて使う練習。一日に覚えることは倍以上に増えた。夜、寝台に入る頃にはくたくたで、魔力を使い切った日には、食器を持つ手すら震えることもあった。
◇
季節は巡り、院の裏庭に積もっていた雪もすっかり溶けて、若葉の季節を迎えていた。振り返れば、この数カ月ほどで覚えたことは数えきれない。剣の型、詠唱の間合い、魔力の練り方、そして何より――たとえ怖くても、一歩を踏み出す勇気のようなもの。
初めて擦り傷にケアルの光を灯せた日のことは、今でもよく覚えている。手のひらから溢れた淡い光が傷口を包み込み、みるみるうちに血が止まっていくのを見て、思わず涙がこぼれた。誰かを助けられる力を、少しずつ、自分の手で掴み始めている。そのことが、何よりも嬉しかった。
「セラ、また訓練?」
汗を拭っていると、クロが心配そうな顔を覗かせた。
「最近ずっと、無理してない?」
「大丈夫だよ。それに、私が決めたことだから」
「……前と違うよ、セラ。何だか、急に大人になっちゃったみたい」
クロの言葉に、私は曖昧に笑うことしかできなかった。前世の記憶を思い出したことは、まだ誰にも話していない。話したところで、信じてもらえるとも思えなかったし、何より、これは私自身が背負うべきことのような気がしていた。
院の裏庭の隅で、チャ・ケビが心配そうにこちらを見ている。何か言いたそうにしていたけれど、結局何も言わずに、そっと視線を逸らした。そうか……そういえば最近、一緒に遊ぶ時間が全然無かったかもしれない。
夜、寝台に入ってからも、体のあちこちが軋むように痛む。それでも、日を追うごとに、木剣の重みが少しずつ手に馴染んでいくのが分かった。院の壁に立てかけた折れた木剣も、既に四本目になっていたことに気づいたのは、休息日として久しぶりに三人で遊んだ日のことだった。
◇
そうしてさらに数ヶ月が経った、ある日のこと。
いつものように水汲みの手伝いを終え、街の広場を通りかかった私は、目を疑った。イディルシャイアの街に、見たこともないくらいの数の旅装の男女が溢れ返っていたのだ。
彼らは一様に、以前見かけたあの独特な気配を纏っていた。最近全然見なくなっていたあの美人二人組。あの二人と同じ気配を持つ人達。けれど、数が桁違いだった。何十人という単位で、街中に彼らの姿があった。
(え……たぶんヒカセンだよね? なんで急にこんなに沢山?)
前世の記憶の中に、こんな言葉があったのを思い出す。新しい大地への扉が開かれ、大勢の冒険者達がその地へと押し寄せてくる、そういう時期があったはずだ。
――拡張パッケージのリリース。
街の噴水の縁に腰掛けて、彼らを眺めた。誰もが忙しなく歩き回り、時折立ち止まっては空を見上げたり、何も無い空中に指を差したり、路上で何度も服が変わる人、日中は立ったまま全く動かず日が暮れた頃に急にまた動き出す人、街中で急に凄い魔法を使う人、変な踊りをしている人達などなど。入れ替わり立ち代わり新しい人々がこの街を訪れる。
さきほど試しに話し掛けてみて、こちらからの声は彼らに届かないことは改めて確認出来た。
それでも、少し離れた場所から見ているだけでも、何だか胸が温かくなった。ずっと一人だと思っていた場所に、急に大勢の知ってる人達が現れたような、そんな感覚だった。
時折、私の方をちらりと見て、連れ立った仲間に何かを話しかける旅人もいた。何を話しているのかは分からない。ただ、悪い顔ではなかった。むしろ、微笑ましいものでも見るような、そんな柔らかい表情をしている人が多かった。
街の活気は大きく変わった。急に沢山の物が売れるようになったので、私も商店の人達を手伝う事が増えた。その時に店主が、荷を運びながらぼそりと呟いていたことがある。
「近頃、旅の人達の間で、このあたりの子供が話題になっているらしいぞ。何でも、遠くの国の掲示板とやらで」
何のことか分からず首を傾げていると、店主は「ワシにも詳しいことは分からんが」と肩をすくめて笑っていた。その時はまだ、自分と関係のある話だとは思いもしなかった。
この頃はまだ、商店の人達が忙しなく働いているだけで、私も院の皆も一日のうち少しお手伝いする程度で済んでいた。シロお姉ちゃんもクロも、いつも通り院の仕事をこなしながら、自由に出歩けていた。
でも、私は記憶の中にある二人の事を思い出す。名前を持つNPCは、ヒカセンに見られている間だけ、決められた仕事に縛られるようになる――でも、今が蒼天のリリース直後なんだったら、2人にそういう決まり事が敷かれるのは、たしかまだ先の話だったはずだ。でも、もしその時が来たら――。
そんな気配を、おしえるくんとの訓練中の会話から「赤魔道士」という単語が一切出ない事からも、うっすらと感じ取っていた。
「シロお姉ちゃん、最近街に沢山旅人さん達が来るようになったけど、あの人達に見られてる時と見られてない時で、何か違いってある?」
「さあ、私は特には……。強いて言うなら、少し見られてる時の方が、街の人達が皆張り切って働いている気はするけれど」
クロも同じように首を傾げるばかりで、まだ誰も、この先訪れる変化には気づいていないようだった。
◇
「先生、あの人達と、私達は何が違うの?」
「さて。ワタクシにも分からぬことはございます。ただ一つ言えるのは――あの方々は、この世界の理を超えたところに立っておられるということですな」
おしえるくんの答えは、はぐらかしているようで、どこか的を射ているようにも聞こえた。
ある日、街の外れで、旅人達が大きな魔物と戦うところを遠目に見かけたことがあった。あれほど恐ろしかったサンベアーよりもさらに大きな魔物が、彼らの前ではあっという間に膝をついていく。詠唱の光が幾重にも交差し、剣戟の音が響き渡る様は、前世の記憶にある映像よりも何倍も大迫力だった。
「……すごい」
思わず呟いた声は、誰にも届かない。羨望と、ほんの少しの寂しさが入り混じったような、複雑な気持ちだった。自分がどれだけ努力しても、プレイヤーではない、ヒカセンではない自分では、あの領域には決して届かないのかもしれない。それでも、届かないからといって、立ち止まるつもりもなかった。
その日の夜、寝床の中でその光景を思い返しながら、私はぼんやりと考えた。あの人達にとって、この世界はどんな風に見えているのだろう。私にとっては、傷つけば血が流れ、失えば二度と戻らない、たった一つの現実になっている。けれど彼らにとっては、もしかしたら少し違う意味を持つ場所なのかもしれない。あの時の私のように。それでも、この世界がかけがえのないものであることには、どちらも変わりないはずだと思いたかった。
◇
旅人達が増えたことで、思わぬ変化もあった。街の外を歩き回る彼らが行く先々でモンスターを狩って回るせいか、以前はあれほど恐ろしかった低地ドラヴァニアの道が、目に見えて静かになっていったのだ。
「先生、今なら――行けると思う」
「ふむ。多少は腕も上がりましたし、この時期であれば無茶な話でもないでしょう。ですが」
おしえるくんは、いつもより少し真剣な声で続けた。
「くれぐれも、無理はなさいませぬよう。命あっての物種です」
「うん。分かってる」
その晩、私はシロお姉ちゃんに遠出をしたいことを打ち明けた。この街の外、低地ドラヴァニアよりも更に先の場所へ。そして予想通り、大反対された。けれど、この半年の私の変化を、彼女は誰よりも近くで見てきた人でもあった。
「セラ。あなたがどれだけ頑張ってきたか、私はちゃんと見てきたつもり。だけど、外の世界は院の裏庭とは違う。危ないことばかりよ」
「分かってる。でも……このままイディルシャイアの中だけで暮らしていくのは、なんだか違う気がするの。私、この世界をもっと見て回りたい」
シロお姉ちゃんはしばらく黙り込んだ後、大きく息を吐いた。
「――絶対に、無理はしないで。何かあったら、すぐに戻ってくるって約束して」
「約束する。エーテライトの結晶があれば、私もいつでも街に戻ってこられるみたいだから」
おしえるくんに教わったことの一つに、街の広場にある大きな結晶――エーテライトに触れて心を澄ませば、離れた場所へ跳ぶことができる、というものがあった。ゲーム内で頻繁に使っていたテレポやデジョンの事だ。
今、この街に溢れかえっている旅人達が使う仕組みとは少し違うのかもしれないけれど、確かに私にも、その力の一端を借りることができた。それを伝えると、シロお姉ちゃんは少しだけ、安堵したような顔を見せた。
旅支度は、思いのほか少なかった。着替えと、薬草を煎じた傷薬、干し肉と院の畑で採れた野菜、そしてシロお姉ちゃんがこっそり持たせてくれたお金の包み。財政の厳しい院の食料を分けてもらうこと、お小遣いを貰うことに、かなり気が引けたけれど、シロお姉ちゃんは「これくらい」と笑って譲らなかった。小さく折り畳んだ着替えの一枚一枚にまで、彼女の気遣いが感じられて、鞄を背負う肩が少しだけ重く感じられた。
旅立つ前に、一度だけ広場のエーテライトに立ち寄った。冷たく澄んだ結晶に手をかざすと、指先からすっと何かが吸い込まれていくような感覚があった。おしえるくんの言う通り、心を澄ませて念じると、微かに景色が滲むような、不思議な浮遊感を覚えた。
「――今のが、目印を刻むということですな。これで、いつでもこの場所に戻って来られます」
「本当に……?」
「試しに、旅の途中でやってみるといい。案ずるより産むが易し、というやつです」
半信半疑のまま、院の皆にも挨拶をしにいく。チャ・ケビは大泣きしながら私にしがみついてきた。
「セラ、行かないで……! ボク、寂しいよ……!」
「大丈夫。本当にすぐ帰ってくるよ。約束する」
「絶対だよ……! 絶対に帰ってくるって、約束だよ……!」
泣きじゃくるケビの頭を撫でながら、クロは静かに私を見つめていた。
「気をつけてね。……でも、うらやましいな、少し」
「帰ってきたら、いっぱい話すから」
振り返れば、皆が並んで手を振っていた。その光景を目に焼き付けるように、私は深く頷いてから、イディルシャイアの外へと足を踏み出した。
◇
低地ドラヴァニアの道は、思っていたよりも静かだった。旅人達の姿を時折見かけては、それだけで少し心強い気持ちになった。道端には、以前訓練の合間に覚えた薬草の見分け方が役に立つ植物がいくつも茂っていて、歩きながら摘み取っては鞄に詰めていく。傷薬や魔物避けの材料になると、おしえるくんに教わったばかりだった。院で摘んでいた野草とは種類も匂いも違っていて、一つ一つ確かめながら進むのは、思いのほか楽しい作業だった。
途中、茂みの奥からかなり小型の魔物が飛び出してきたこともあった。とっさに剣を構え、教わった型通りに一撃を叩き込む。手応えと共に魔物が怯んだ隙に、距離を取って炎の詠唱を放つと、しっかり命中して、それきり動かなくなった。私の心臓は破裂しそうなほど早鐘を打っていたけれど、以前のように恐怖で何もできず立ち尽くすことはなかった。
「――やった、勝てた」
「上出来です。とはいえ、魔物の子供です。油断は禁物ですぞ」
おしえるくんの声に頷きながら、私は改めて自分の変化を実感していた。半年前の自分だったら、きっと咄嗟に反応も出来ず、怪我をしていただろう。荒くなった息を整えながら、剣を鞘に収める。震える手のひらを見つめ、それでも確かに一歩ずつ進めているのだと、自分に言い聞かせた。
今使っているこの剣は、ヒカセン達が店売りした物の中から、無理を言って店主のおじさんに安く売ってもらったものだ。イディルシャイアで販売してる武器よりも、数段レベルが低い武器だったけれど、それが今の私に扱える丁度良い物だった。
大型モンスターは隠れてやり過ごし、先生から道順のサポートを受けながら、低地ドラヴァニアから高地ドラヴァニアへ歩く。マップが切り替わる地点を通り抜けると、目に映る全ての景色が大きく変わった。
青々と茂る巨大な木々と、その隙間から見える天までも届きそうな山々。圧倒される大自然の風景がそこにはあった。
景色の様変わりように感動していると、遠くから小さな鳴き声が聞こえる。切羽詰まったような、助けを求めるような声だった。
「――クェー、クェー」
声のする方へ近寄ると、迷子になったらしい黄色い毛玉のような雛のチョコボが、狼型のモンスターに追い詰められていた。
数は二匹。あのくらいの狼型の魔物に勝てるかは分からない。そんな事を頭で考えるより先に、既に雛と狼の間に割り込んでいた。
剣を構え、片手に魔力を集め、いつでも放てるように。訓練で教わったことが、何も言われずとも、自然な事として身体を動かしていた。
狼側は突然の乱入に驚いているようだった。私は詠唱を紡ぎ、小さな炎の塊を狼に向かって放つ。決して大きな威力ではなかったけれど、怯んだ隙にチョコボを抱き上げて走った。心臓が早鐘を打っているけれど、あの日の熊とは違う。しばらく走って後ろを振り返ったけれど、追っては来ていないようだった。
雛を抱いたまま、怪我が無いかを確認する。黄色い羽に、鶏冠のような房が特徴的な、見たことのないほど小さな見た目のチョコボだった。これまで図鑑で見てきた一般的なチョコボの子供とも、姿が違う。
初めて見るはずだ。それなのに、何故かこの雛を見た瞬間に「守らないと」と、即決してしまった。あの熊に出会って、友達を守ると決めた時と同じように。
しばらく歩いて安全そうな岩陰に隠れると、腕の中の雛を地面に降ろす。震えながら私に身を寄せてきた。羽の柔らかさと、伝わってくる小さな鼓動に、思わず頬が緩んだ。
「大丈夫。もう安心だよ」
そう声をかけて、鞄に何か食べさせられる物が無いか探そうとしていると、頭上から大きな影が差した。振り返れば、同じ色の羽を持つ、頭に鶏冠と耳のようなたてがみを持つ親らしきかなり大きなチョコボが、こちらをじっと見つめていた。私が雛を助けたことを理解しているのか、しばらく様子を窺った後、静かに歩み寄ってきて、雛の傍らに寄り添った。
遠くの方にチョコボの群れが見えたけれど、やはりこの親子とは見た目が全然違っていた。その特徴的な見た目のせいで、他の群れからはぐれてしまっているのかもしれない。
「一緒に、来る?」
半分独り言のつもりで呟くと、親チョコボは大きな瞳で私を見つめ返し、ゆっくりと首を垂れた。
鞄の中を探ると、院を出る時に少しだけ収穫しておいたギザールの野菜が入っていた。たしかチョコボの好物だったはずだ。差し出すと、雛も親も、勢いよくついばみ始めた。
「――よろしくね」
こうして私は、思いがけない旅の相棒を得た。まだ乗って空を飛んだりはできないだろうけれど、その分、地に足をつけて世界を見て回るには、ちょうどいいのかもしれない。
そんな事をぼんやり考えていたら、狼を見た場所に置いてきてしまった先生が、目の前にテレポしてきた。以前、離れていてもマーキングした人の近くにすぐ移動出来ると見せて貰ってはいたけれど――しまった、あの場所に置き去りは流石にまずかった。
「ご、ごめんなさい……」
「全くです。まずは考え、行動する。それを忘れずに。判断が早いのと、何も考えないのとは全くの別物ですぞ」
◇
数日一緒に過ごすうちに、雛の方はすっかり私に懐いてくれた。名前を付けようかとも思ったけれど、この子達にはこの子達の本当の呼び名があるかもしれないと思い、当面は「雛」「親」と呼ぶことにした。親チョコボの背に揺られる感覚にも、少しずつ慣れていった。最初は振り落とされそうになって何度も肝を冷やしたけれど、今ではもう、しっかりと手綱ならぬたてがみを掴んでいられるようになっていた。
夜になると、二羽は焚き火の傍で私にぴったりと寄り添って眠った。その温もりのおかげで、まだ慣れない野営の不安も、思ったよりずっと平気だった。焚き火の爆ぜる音と、チョコボの寝息を聞きながら見上げる夜空には、街で見ていたものよりずっとたくさんの星が瞬いていた。
◇
チョコボの背に揺られながら、高地ドラヴァニアを抜け、クルザス西部高地へと進んでいく。緑深い大地から一転、行く先の空気は冷たさを増していった。息が白くなるほどの寒さに、思わず身震いする。イディルシャイアの冬でとうに慣れたはずの寒さとは、また質の違う冷たさだった。頬に当たる風が刃物のように鋭く、鞄の奥から取り出した厚手の布を、慌てて羽織り直す。
「先生、ここ、寒すぎない……?」
「クルザスの気候は厳しいことで知られておりますからな。この先のイシュガルドはさらに標高が高く、より冷え込むとお考えください」
ゲームでは見ていた雪景色も、実際に体感してみると決して美しいだけではない厳しさがあった。
チョコボも心なしか歩みを緩め、時折羽を膨らませては体温を保とうとしているようだった。私も彼らに倣うように、身を寄せ合いながら進んだ。
道中、何度か旅人達とすれ違った。彼らは私を見かけると、決まって足を止め、何やら囁き合っていた。声は届かないけれど、視線の中に、悪意のようなものは感じられなかった。中には、こちらに向かって手を振ってくれる人もいて、その度に、どう応えればいいのか分からず、ぎこちなく頭を下げるしかなかった。
遠くに、白亜の尖塔がいくつも聳え立つ都市の輪郭が見えてきた頃には、既に日が傾き始めていた。降り積もった雪が夕陽を反射して、街全体がぼんやりと橙色に光って見えた。
(あれが……イシュガルド)
記憶の中の景色と、目の前の光景が重なる。けれど、これから先に待っているものが何なのか、この時の私はまだ、深くは考えていなかった。
チョコボの背で揺られながら、私はイシュガルドの尖塔を見上げた。この街で、これからどんな景色に出会えるのだろう。まだ何も知らない旅の一歩目に、胸の奥がざわめいていた。
雛が小さく鳴いて、私の頬に嘴を擦り寄せてきた。まるで、小さな雛に応援されているような気がして、私は思わず笑ってしまった。
「うん、行こう」
夕暮れに染まる尖塔の街を見上げながら、私は静かにそう呟いた。