―狐は嫌いだ―
シャーレを出て、ここまで連れてきてもらった生徒たちと別れの会話をしていたら、ふと気づくと少し離れたところに、狐耳の狐面をした少女が、立っていた。
何かを感じたのか、バッと生徒たちは振り返り
「【厄災の狐】ワカモ、なんでここに!」
「下がっていてください、先生」
私を庇って、銃を構えて前に出た。
―奪う狐はもっと嫌いだ―
『今、この騒ぎを巻き起こした生徒の正体が判明しました。』
『ワカモ。百鬼夜行連合学院で停学になった後、矯正局を脱獄した生徒です。』
『似たような前科がいくつもある危険な人物なので、気を付けてください。』
―会ったばかりの生徒の話を思い出す―
―壊す狐は、縊り殺せるなら、殺したくなる―
狐面をした、生徒を、私は、憎しみが籠った面で、今睨んでしまっているのだろう。
何年たっても、大人になっても、先生になっても、治らなかった悪癖だ。
治そうともしなかった、悪癖だ…
だからといって、会ったばかりの生徒に向けていい顔じゃない、私は顔を揉み解そうとして…
「恋をしました」
身体が石になったような気がした。
凛として、弾まぬ声だった。
それは、生涯を戒めるに充分な、怨嗟を咎めるに十分な、鈴を転がすような、声だった。
「それでも、やはり叶わぬと思いましたので、千切って掃いて、燃やす覚悟を決めたのですけれど」
思考が凍る、脳が滾る、心が軋む。
嘘だ、嘘だ嘘だ、嘘だ。
百の否定が精神から沸き上がるのに、壱の魂からの肯定がそれに勝る。
「貴方様、あんまりにも泣きますでしょう」
『やめろ、連れて行くな』
「愛しいお顔をなすったでしょう」
『ここにいて』
「愛は知らぬ、恋もせぬ。だから死ぬなと、君の心を、君が殺すなと仰いましたでしょう」
『犠牲になんてならないで』
「死に往く私に瞳を遣って、その眦から、生涯を棄てる誓いを、雫に変えて落としてくれたでしょう」
『いかないで』
『村のためよ』『村のためよ』『村のためよ』
―大人の声が響く―
『あの子はお狐様に嫁入りした』
『これからはよその地域から定期的に子どもを探して来よう』
―老人の声が響く―
『この親不孝者が!! お前が、お前が余計なことをしなければこの村は平和だったんだ!』
『なんて子なの! あんたなんて産むんじゃなかった!! もう何もかも終わりよ!!』
―男女の声が響く―
『こんなにあっさり崩れるもののためにあの子は犠牲になったのか』
『今まで俺の親ごっこしてたケモノがなんか鳴いてる、殺処分されちまえ』
『村の外の常識がここまで届いていさえすれば、時代錯誤でしかない生贄なんて、こんな馬鹿なことは起きなかったんだ』
…―俺の、声が、響く―
「応えねば、悪鬼羅刹にも劣りましょう」
―こつり―
「貫かねば、それは愛ではないでしょう」
―こつり―
「神にも勝る孤悲を佩いて、二度目の生に」
―こつり―
「一度の恋を叫びにきました」
―こつん―
少女は男に一歩一歩ゆっくりと、靴で路を叩いて、近づき。
「「「「先生!?」」」」
男は、生徒達の静止と困惑に気付かず、おぼつかない足取りで少女に近づく。
「……ねぇ、先生?貴方が落とす、その雫」
―そっと、僕の雨を、柔らかい手が拭う―
『ぼくがずっと守るから』
―僕の、虚しい声が、反響する―
「今度は何を誓ってくれますか」
―『お狐様に、誓おうよ!○○は、ここの娘なんだからさ!』―
ぼくは、狐が好きだった
だって、君は
からころこここと、狐みたいに笑う娘だったから
しとしとしと、雲一つない青い空から雨が降る
縋るように希うように娘の着物を掴んで、膝を折り顔を伏せる大人の男と
その頭を、愛おし気に撫でる狐面の娘が
優しい雫に濡らされて、そこに在った
―狐雨じゃない―と、誰かが、そう零した。