ふと、手元に視線を落とした。
入社祝いなんて言い訳をつけて買った少しお高めの自動巻きの腕時計。
短針はもうまもなく頂点を指そうとしていた。
「……」
えっと、7時出勤で定時は16時なんだから……
残業8時間越え、か。
労働基準法とは?
確か、1日の労働時間って原則8時間が上限なのでは?
色々やって合法的に残業時間を伸ばしてるのか。
法律違反上等のブラックなのか。
まぁ、後者の確率が高いか。
そもそも、タイムカードはとっくに切ってあるので現状残業ですらないのだし。
窓の外に目を向ける。
とっくに太陽は西に沈み、ド深夜もいいところ。
だというのに空に浮かぶ星はまばら、代わりにビルが煌々と光り綺麗な夜景を形成している。
地方都市でこれか。
東京の夜空、月以外見えないのでは?
満天の星空の代わりがこの夜景、そう考えると少し思うところがある。
あの光の向こうで俺と同じような社畜が命を削っている。
昔見た時は素直に綺麗だと思えたんだがな、今じゃこの景色を見るだけでげんなりする。
あー、疲労感がヤバい。
しかもこんな今考える必要も無いことばかり頭に浮かんで、集中力も切れてきたな。
こんなことしちゃ、いつまで経っても仕事進まない。
ただでさえ終わりが見えないってのに。
ちょっとコンビニ行くか。
エナジードリンクでも買ってこよう。
__そう思い席を立とうとした瞬間、電話が鳴った。
嫌な予感がする。
が、無視するわけにもいかない。
震える手で電話を取った。
とっくに業務時間外、タイムカードも切ってるっていうのに。
社畜は辛い。
「お電話ありがとうございます。〇〇株式会社、U支店、佐藤がお受けいたします」
『私、メリーさん。今ゴミ捨て場にいるの』
「……は、はぁ」
電話が切れた。
手の震えも止まった。
よ、良かったー。
追加の仕事か、もしくはどっかトラブルでも起こったのかと思った。
ただでさえデスマーチ中なのに。
最悪は回避されたらしい。
ってか、メリーって誰?
一方的に意味不明な宣言だけして電話切られたんだが。
ゴミ捨て場にいるからなんだ。
迎えに来いとか?
ゴミ捨て場なんてそこら中にあるんだけど。
そもそも、今そんな余裕ないし。
ま、いたずら電話ってやつだな。
こんな真夜中に。
こちとら絶賛デスマーチ中だってのに、暇人もいたものである。
__また電話が鳴った。
いくらウチがブラック企業といえど、こんな時間そう頻繁に電話はならない。
いたずら電話だろうと思いつつ出ないわけにもいかない。
迷惑なやつめ。
いや、こんな時間にいたずら電話以外が掛かってきても迷惑この上ないのだが。
「お電話ありがとうございます。〇〇株式会社、U支店、佐藤がお受けいたします」
『私、メリーさん。今T駅にいるの』
電話が切れた。
同じ声、やっぱいたずら電話か。
もうこれ次から無視してもいいかな?
でも、上司や取引先からの電話を取り逃がすとまずいんだよなぁ。
ただでさえ仕事終わらないのに……憂鬱だ。
ん?
T駅って。
そういや俺の最寄り駅もそこだな。
偶然だと思う。
いたずら電話をかけるにしても電話番号がいるからね。
たまたま目に入った電話番号に掛けたなら、犯人が近隣に住んでるのは自然。
でも、ちょっと気味が悪い。
……
ちょっと待て!
電話口の相手、メリーさんって名乗ってなかったか?
メリーさんってあのメリーさん!?
都市伝説の、
__また電話が鳴った。
どうしよう。
この電話は出ない方が……
いや、電話に出ないのもまずいのか?
有名な話だ。
タイトルは、“メリーさんの電話”だったか。
メリーと名付けられた人形を捨てた少女。
その後、少女の元に電話がかかってきて電話に出るごとに少女の家に近づくメリーさん。
最後はメリーさんが「あなたの後ろにいるの」と言って、振り返った少女が「キャー」みたいな話だったはず。
ただ、細部については流石に覚えてない。
この後メリーさんに会ってしまった少女はどうなった?
俺的に重要なのはそれだ。
今調べ……
それも良くない気がする。
この手のお話、なぜ警察に通報しないんだとか、他にももっとやりようあるだろとか。
そう思うことは多々ある。
が、いざそういう風に行動する子が主人公になると大抵はもっと悲惨なことになる。
そういう、メタ的な方向から情報を手に入れようとすると事態が悪化するのだ。
冷静に考えよう。
この話が仮に事実だったとして、この話が都市伝説として広まってるってことは誰かがこの一連の流れを他の人に語ったはずで。
メインの登場人物はメリーさんと女の子のみ。
広めたのは彼女だ。
ということは、女の子は無事だったのだろう。
……多分。
まさかメリーさんがこの都市伝説を広めたということはあるまい。
なら、余計なことをすべきではないな。
そう自分に言い聞かせ、震える手で電話を取った。
『私、メリーさん。今図書館の前にいるの』
電話が切れた。
駅からの帰路。
毎日、図書館の横を通る。
やっぱりメリーさん。
俺の家に向かってきてるらしい。
普通に歩けばあと、
__また電話が鳴った。
出たくない。
でも、出るしかない。
『私、メリーさん。今小学校の前にいるの』
電話が切れた。
ヤバイヤバイヤバイ……
__電話が鳴る。
『私、メリーさん。今コンビニの前にいるの』
電話が切れる。
__電話が鳴る。
『私、メリーさん。今公園の前にいるの』
電話が切れる。
__電話が鳴る。
『私、メリーさん。今赤い屋根の家の前にいるの』
電話が切れる。
__電話が鳴る。
『私、メリーさん。今あなたの家の前にいるの』
電話が切れる。
__電話が鳴る。
『わたしメリーさん、今__あなたの後ろにいるの
電話が……今回は電話が切れない。
そういう事か。
自分で後ろへ振り向けと。
覚悟を決め、ゆっくりと振り返った。
「佐藤さん。さっきから何してるんですか? 立ったり座ったり、鳴ってもない電話を取って戻して、挙動不審もいいとこですよ」
後ろには同僚の姿。
軽口を叩いてこそいるが、目は死んでいた。
周囲を見渡してみればデスマーチ中の社員がデスクに向かっている。
カタカタと、キーボードを叩く音がオフィスに響く。
窓の外にはビルの光で彩られた夜景が輝く。
「は、ははは……」
T駅。
確かにそこは俺の最寄り駅ではあるが、職場ではなく自宅の最寄り。
メリーさんからの電話も、その道順は俺の帰路そのもの。
つまりメリーさんが行ったのは家だ。
俺、家にいないし。
日も変わろうという時間に絶賛残業中。
助かった、のか。
そう安堵し電話を切ろうとした瞬間、
『キャーー!!』
『え?』
電話口から悲鳴が聞こえた。
ついでに困惑した声も。
電話が切れる。
あ、そういや最近従兄弟がよく家に遊びに来てたような。
多分ゲーム機が置いてあるからだろう。
あんまりにも頻繁にくるんで合鍵を渡したら、いつの間にか勝手に遊んで勝手に着替えを持ち込み勝手にベッドを占有するようになってた。
……まずいか?
メリーさんって、第三者と接触した場合どうなるんだ?
俺なんかのことをお兄ちゃんとか呼んで慕ってくれてるいい子なのだ。
メリーさんのターゲットは間違いなく俺だったはず。
巻き込まれて何かあったら、寝覚が悪いなんてレベルじゃない。
なんとか助けに……
と言っても、すぐは行けない。
仕事、はこの際どうでもいいけど。
物理的に距離が!
こっからだと仮に飛ばしたとて、
__また電話が鳴った。
迷うまでもなく電話を取る。
あの子の無事を確認したくて、恐怖とかそういう感情はどこかに吹き飛んでいた。
『佐藤、すまんが追加の仕事を』
「ギャーー!!」
真夜中のオフィスに社畜の悲鳴が響き渡った。