キーボードを叩く音すら消え静まり返ったオフィス、周囲から痛いほどに視線を感じる。
そりゃそうだ。
職場でいきなり叫べばこうもなろう。
一応言い訳をしておくと、普段なら叫ばなかったとは思う。
残業中に追加の仕事とか最悪もいいところだが。
流石にね。
俺も大人である。
ただ、メリーさんからの電話でただでさえ追い詰められてたとこに別方向から予想外のダメージが来たせいでつい。
『す、すまん佐藤。まさか、そこまで限界だったとは。今回のはこっちで別の人員を……』
電話口の上司が申し訳なさそうに言葉を続ける。
向こうからしても、この反応はさすがに予想外だったのだろう。
支店自体が炎上気味。
別の人に、なんて余裕はないはずだが。
それでもこのセリフが出る程度には異常に見えたらしい。
ただでさえオーバーワークなところに、さらに負担がいく。
申し訳なく思う部分もある。
が、それ以上にただただありがたい。
今すぐ助けに行かないといけないのだ。
仕事どころじゃない。
「……さ、佐藤さん。大丈夫ですか?」
電話を切るなり後ろの席の同僚が話しかけてきた。
かなり心配されてる。
それに、ちょっと警戒されてるのか物理的に距離も感じる。
色々言い訳したいとこもあるが。
それは後回し。
名誉だとか体裁だとか、そんなのは未来の自分が考えればいい。
このデスマーチの状況でどうかと思うが。
1人、早めに帰らせてもらおう。
「後は私たちがやるんで、佐藤さんはもう帰った方が……」
と思ったら、俺が言い出す前に帰宅を勧められた。
良いのか?
この同僚がそう言っても周囲はいい顔しないんじゃ。
そんな懸念も浮かんだが。
パッと見回した限り、そんな事はないらしい。
職場での突然の成人男性の絶叫。
どうも、全会一致でかなりの事との認識された様子。
未来の自分にかなり重めなタスクがぶん投げられたような気がするが。
とりあえず助かった。
カバンだけ持ち、片付けも無しに席を立つ。
飛ばせばギリ終電乗れるか?
いや、そんな時間ない。
タクシーだな。
金かかるが、勿体無いとかなんとか言ってる余裕はない。
スマホのロックを解除。
通話アプリを開く前、ふと別のアプリが目に入った。
……見守りカメラ。
最近、強盗だなんだと物騒だからね。
つい先週買ったのだ。
ネットで適当に選んだ品ではあるが、スマホとの同期作業の際に確認した限り防犯カメラとして使う分には問題のない程度の画質はあった。
早足で歩きつつ、アプリを立ち上げる。
そんなことより電話でタクシーを呼んだ方が早く着くというのはわかっているのだが。
無事を確認して少しでも安心したかった。
嫌な予感がしながら、無事でいてくれと祈りつつアプリを起動。
「あれ?」
カメラに映ったのは、従兄弟の姿。
それだけだった。
にしても、蒼依(あおい)はまた俺のシャツを勝手に着てるらしい。
オーバーサイズ気味に丈を余らせている。
そのせいでまるで下に何も着てないように見えるが、短パンでも履いてるのだろう。
多分。
たまに本当に何も履いてないことあるけど。
あれは、いつの話だったか。
深夜に家に帰って勝手に蒼依がベッド占領してたかと思えば、寝癖で布団を蹴飛ばし当然のようにシャツは捲れ上がっていて……
色んな意味で目の毒だった。
って、じゃなくて!
こんな話はいいのだ。
アプリを操作し、部屋を見渡すも見守りカメラにメリーさんらしき人影は皆無。
見守りカメラは玄関とリビングにしか仕掛けてない。
風呂場や寝室に隠れられたらわからないけど、そもそも蒼依の様子からしてとても呪いの人形がいるようには思えない。
ちょっと落ち着きないきもするが。
普段から大体そんな感じだし。
最近仕事で忙しいせいか、構ってくれと言わんばかりにからんでくるし。
「……はぁ」
息を吐く。
アプリの映像を見て、少し冷静になってきた。
そもそもメリーさんって都市伝説じゃん?
本当にあるわけない。
俺は一体何を焦っていたのだろうか。
ってか、そもそもとして人形捨てた覚えもないしな。
仮に都市伝説が本当だったとしても、俺がメリーさんのターゲットになる理由がない。
つまりはイタズラ。
犯人?
そりゃ……、こいつに決まっている。
「この野郎」
そんなに構ってほしいのか。
よくやるよ。
お望み通り構ってやろう、帰ったらお説教である。
でも、その前に。
仕事だ。
タクシー捕まえる前に気づいてよかった。
早足になっていた歩みを止め、来た道を戻る。
みんな死にそうになりながら残業してるのに、俺だけ勘違いで帰るとか許される訳ない。
緊急事態ならともかく、ただのイタズラだった訳だしね。
会社を出て早々に気づいて良かった。
大した距離じゃない。
数分とかからず、オフィスに戻る。
視線を感じた。
そりゃ、残業のせいで限界超えて奇声あげて帰ったと思ったらすぐ戻ってきたからな。
こうなる。
「佐藤さん? 忘れ物ですか」
「いや、帰る理由がなくなったからちゃんと残業しようかと」
「いいから帰ってください」
仕事に戻ろうとしたのだが、拒否されてしまった。
「俺が帰ったら終わらないだろ?」
「そんなことないです。気にせず帰ってください」
……
残業を申し出たんだが拒否られてしまった。
むしろ迷惑そうな視線すら感じる。
あまり戦力じゃないらしい。
中年なのに。
この職場長いのに。
いや、中年なのに管理職じゃない時点でか。
なんなら視線のみならず、「倒れられたら大変」とか「余計人手がかかる」とか「逆に気が散る」とか。
あちこちから言いたい放題。
いや、心配してくれての言葉だと思う。
仕事を気にせず帰りやすいようにということだと思う。
けど。
さすがに傷つく。
だよね?
違かったら心折れるよ?
おかしい、俺のプライドはかなり低いはずなのに……
それもこれもメリーさん。
もとい蒼依のイタズラのせいだ。
「いや、さっきのは事故というか、勘違いというか」
「奇声あげるの、もう3度目ですよ」
え、3度目!?
マジか。
……
だとしても、3乙目のメリーさんが悪い!
うん。
積み重ねた2乙よりとどめの3乙だからね。
狩人なら当然の常識である。
ん?
そもそもメリーさんのせいじゃなくね?
メリーさんの電話でダメージ蓄積して、仕事の連絡で悲鳴。
トドメは上司。
都市伝説<上司。
何これ、意味がわかると怖い話?
なんてくだらないことを考えてると。
背中を押され、そのままオフィスから追い出されてしまった。
とりあえず、今日は帰れということらしい。
早退とか申し訳ないが、無理に残ろうとして問答を続けるのも迷惑だろう。
あれ、早退?
定時は8時間前にとうに過ぎ去ったのだ、早退ではないか。
とっくにタイムカードも切ってて、業務時間外もいいとこ。
俺は日勤である。
実は、全くもって後ろめたく思う必要など無いのでは?
そんなどうでもいい思考をしつつ帰路につく。
何気なく腕もとに目を落とすと、短針は頂点を過ぎていた。
この時間だと終電ももう行っちゃったかな。
一応、日付が変わるギリギリまでは出てるんだが。
回ったらアウト。
ま、地方都市はこんなもんだ。
タクシー?
そんな金はない。
さっきまでは緊急事態だと思ってたからね。
躊躇いはなかった。
が、そうじゃないなら無駄遣いできるほどの稼ぎはない。
しかし、最近は終電ないのがずっとだ。
うちの会社、元々ブラック気味ではあったがここまでではなかった。
転職でも考えた方がいいのだろうか。
でもめんどくさいんだよなぁ、それにそんな時間ないし。
夜道を歩く、慣れた道だ。
大通りをしばらく進み、ふと図書館が目に入った。
もう日も回った時間。
とっくに閉館している。
図書館の横を抜け、小学校の前を通り、コンビニの明かりが見える。
24時間営業はありがたい。
寄り道し、酒を買った。
その足で公園の横を抜けると自宅が見えてきた。
大体、小1時間といったところか。
地味に遠い。
しかし、妙な気分だ。
電車は使わなかったんでT駅は通らなかったが、それ以外はさっきメリーさんを名乗る電話口から聞いた道順。
蒼依のイタズラだとわかってても。
本気で冷や汗かいたのだ。
慣れた道なのに、いつもとはどこか違って見てた。
そんな風にちょっとドキドキしつつ、自宅に到着。
少々寂れた二階建てのマンション。
鍵を……鍵は空いてるらしい。
不用心では?
そんな感想を覚えつつ、ドアノブを回す。
さて、どう説教してやろうか。
そう意気込んでドアを開けた先では、蒼依がメソメソと泣く女の子のことを慰めていた。
「……へ??」
「あ、やっと帰って来た! こんな可愛い娘捨てるなんて、お兄ちゃん最低!!」