かめはめ×ハンター 作:波動待ち
――かめはめ波は、撃てる。
幼い頃の俺は、本気でそう信じていた。
「かー……めー……」
夕暮れの公園。
遊具で遊んでいた子供たちは、もう家に帰っている。誰もいなくなった広場の隅で、俺は一人、『ソレ』をやっていた。
左足を前へ。右足を後ろへ引き、両手を右の腰へ構える。
「はー……めー……」
全身の力を、重ねた掌の間へ集める。やり方は分かっている。テレビアニメで何度も見たし、漫画も繰り返し読んだ。
足の位置も、腰の落とし方も、両手の形も。構えのすべてを覚えている。
あとは叫びながら、腕を前へ突き出すだけだ。
「波ぁぁぁぁっ!」
勢いよく両腕を突き出した。
何も起きなかった。
青白い光も出なければ、地面を削る衝撃波も走らない。
砂場の砂、その一粒も動かなかった。
「……まだ、力が足りないんだ」
構えが悪かったとは考えなかった。
そもそも人間には撃てないのだとも思わなかった。
今日できなかったなら、明日また試せばいい。
明日も駄目なら、明後日。
続けていれば、いつか本物を撃てる日が来る。
疑いもしなかった。
けれど、そんな日は来なかった。
小学校を卒業する頃には、公園で技名を叫ぶのが恥ずかしくなった。
中学生になる頃には、一人でも構えなくなった。
高校生になる頃には、自分が本気でかめはめ波を撃とうとしていたことさえ、笑い話に変わっていた。
大人になった俺は、かめはめ波が撃てないことを知っていた。
人間は空を飛べない。
どれほど修行しても、掌からエネルギー波など出せない。そもそも隠されたパワーなんてない。
できないことを、できないと受け入れる。
それが大人になることだと思っていた。
だから、諦めたという自覚さえなかった。
ただ忘れた。
子供の頃、何よりも欲しかった力を。
子供の頃に持っていた、あの心を。
そして二十七歳のある日。
俺は、呆気なく死んだ。
◇
「かー……めー……」
生まれ変わって六年。
俺は再び、両手を腰へ構えていた。
朝日が昇り始めた裏庭で、素足を土に沈める。
左足を前へ。右足を後ろへ。
膝を曲げ、腰を落とし、背筋を伸ばす。
「はー……めー……」
ゆっくりと息を吐きながら、身体の中にある力を意識する。
隠された力を、脚から腰へ。腰から背中へ。背中から肩を通り、両腕へ。最後にすべてを掌の間へ集める。
頭の中では、青白い光が膨れ上がっていた。
大気が震え、周囲の草木が激しく揺れる。
六歳の身体では制御できないほどの力が、両手の間で圧縮されている。
「波ぁぁぁぁっ!」
両腕を突き出した。何も出なかった。
朝露に濡れた草が、静かに風に揺れている。
「……今日も駄目か」
小さく息を吐く。落胆はしたものの、諦めるつもりはなかった。
前世の俺が生きていたのは、どこまでも普通の世界だった。
超能力も、魔法も、気も存在しない。
少なくとも、俺が知る限りでは。
だが、この世界は違う。
俺の今の名前は、レイ。
父さんと母さんの間に生まれた、ごく普通の六歳児だ。
住んでいる町も、一見すれば前世と大差ない。
舗装された道路があり、自動車が走り、電気も水道も通っている。
家にはテレビがあり、父さんは毎朝新聞を読む。
しかし、少し視線を外へ向ければ、前世との違いはいくらでも見つかった。
町の外にある森には、大人の背丈を超える獣がいる。
ニュースでは、ときどき聞いたこともない生物が発見されたと報じられる。
地図を見ても、日本もアメリカも存在しない。
国の形も、都市の名前も、俺の知っている世界とはまるで違っていた。
異世界。
そう理解するまでに、時間はかからなかった。
前世の記憶をはっきりと思い出したのは、三歳の頃だった。
それ以前から、断片的な記憶はあった。
知らない天井を見上げながら、自分はもっと身体が大きかったような気がしていたし、母さんに抱き上げられるたび、この人を知っているような、知らないような奇妙な感覚があった。
三歳になり、言葉を覚え、自分というものが形になったとき。
ようやく、過去と現在がつながった。
俺は一度死んで、別の世界に生まれ変わった。
ならば、今度こそ可能性があるかもしれない。
魔法があるかもしれない。
気があるかもしれない。
人間が手からビームを撃てる世界かもしれない。
そう考えた日から、俺は再びかめはめ波の修行を始めた。
毎朝、日の出とともに起きる。
庭を走り、腕立て伏せをして、腹筋とスクワットをする。
身体が温まったら、呼吸を整え、掌に力を集めるイメージを繰り返す。
雨の日は軒下で。
雪の日は部屋の中で。
熱を出した日には、布団の中で両手だけ構えた。
三年間、一度も休んでいない。
当然、一度も成功したことなんてない。
「レイー! 朝ご飯よー!」
家の中から母さんの声が響いた。
「今行くー!」
返事をして、もう一度だけ自分の掌を見る。
六歳児らしい、小さな手だった。
豆ができるほど硬くもなく、傷一つない。
それでも、可能性はある。
この世界には、俺の知らない何かがある。
そう信じられるだけで十分だ。
◇
「またやってたの?」
食卓に着くと、母さんが呆れたように笑った。
皿には丸いパンと卵、それから焼いたウインナーがある。
「朝の修行」
「その修行、いつ終わるのかしら」
「出るまで」
「何が?」
「かめはめ波」
向かい側に座った父さんが、新聞をめくりながら鼻で笑った。
「まだ言っているのか」
「もちろん!」
「手から何か出るわけないだろ」
「そんなの、分からないじゃないか!」
「分かるよ。人間の身体は、そういうふうにはできていないんだ」
「父さんは試したことある?」
「ない」
「なら、分からないでしょ!」
父さんが新聞を少しだけ下げた。
「試さなくても分かることはある」
前世の俺も、同じことを言っただろう。
現実を知っている大人の顔で。
「レイ」
母さんが困ったように眉を下げる。
「お父さんを困らせないの」
「別に困ってはいないよ」
父さんは新聞を畳んだ。
「ただ、やるならもう少し役に立つことをやったらどうだい? 走り込みとか、腕立て伏せとかさ」
「それもやってるよ」
「いつから?」
「三歳から」
「……毎日か?」
「うん」
「どれくらいだ」
「庭を十周。腕立て二十回。腹筋二十回。スクワット五十回」
父さんの眉がわずかに動いた。
「母さん」
「私は止めたわよ。でも、やめないのよ、この子」
「身体に痛いところはないのか?」
「ない」
父さんは俺の腕を掴み、肘を曲げさせた。
次に肩へ触れ、背中を見て、膝を曲げさせる。
「無理はするなよ。身体を壊したら元も子もない」
「分かった」
「それから、朝から大声を出さないでくれ……近所から苦情が……」
「分かった」
「分かってない顔だな」
「小さめに言う」
「言うのはやめないのか……」
「俺の夢だもん」
父さんは深く息を吐いた。
それでも、修行そのものを禁止しようとはしなかった。
なんだ、意外と理解があるじゃないか。
朝食を食べ終えると、父さんは仕事へ向かった。
母さんは食器を片づけ始め、俺は居間のテレビをつけた。
普段なら、子供向けの番組が流れている時間だった。
しかし、その日は違った。
画面に映ったのは、雲の上まで伸びているんじゃないかと錯覚するほど巨大な塔だった。
『本日も天空闘技場から、注目の試合をお届けします!』
俺の指が止まった。
「……え?」
聞き間違いかと思った。画面の隅には、大きな文字が表示されている。
――天空闘技場。
その下に、二百階クラスという表記。俺はリモコンを握ったまま、画面を凝視した。
天空闘技場。どこかで聞いたことがある、という程度ではない。知っている。
前世で何度も読んだあの漫画で、少年たちが修行のために戦い、上の階を目指した場所。
勝利すれば賞金が支払われ、二百階を超えた先には、一般人の知らない世界が存在する。
「レイ?」
母さんが台所から顔を出した。
「どうしたの?」
「母さん、この建物……」
「天空闘技場?」
「知ってるの?」
「有名じゃない。上まで登れば、一生遊んで暮らせるくらい稼げるんでしょう?」
母さんは何でもないことのように答え、再び食器へ視線を戻した。
俺だけが動けなかった。
心臓が、速くなる。天空闘技場がある。
なら、ハンター協会もあるのか?
ヨークシンシティも?
ククルーマウンテンも?
流星街も?
そして――念能力も。
『それでは両選手、入場です!』
実況の声に合わせ、二人の男がリングへ上がった。
一人は、筋骨隆々の大男。もう一人は、痩せた老人だった。
老人は腰を曲げ、両腕をだらりと下げている。
こう言っては悪いけど、どう見ても戦えるようには見えない。
けど、もしここが本当にそうなら――
『試合開始!』
合図と同時に、大男が踏み込んだ。それと同時に床が砕ける。
六歳の目でも分かるほど、異常な速度だった。
一瞬で老人との距離を詰め、その顔面へ拳を振り抜く。
老人が片手を前に出した。
拳と掌は、触れていないように見えたのに、大男の身体が吹き飛んだ。
リングの端まで転がり、壁へ激突する。
観客の歓声が爆発した。
『これは強烈だぁ! 達人の一撃が炸裂!』
老人はゆっくりと手を下ろした。
その足元は、ほとんど動いていない。
何も見えなかった。何をしたのかが、まるで分からなかった。
まだ精孔が開いていない人間に、オーラは見えない。
老人が何をしたのかまでは分からない。
掌からオーラを放ったのかもしれないし、何らかの《発》を使ったのかもしれない。
けれど、そんなことはどうでもよかった。
念。
人間の生命エネルギーであるオーラを操る技術。
纏、絶、練、発。
前世で読んだ知識が、次々と蘇ってくる。
その中には、オーラを身体から切り離し、遠くへ飛ばすことを得意とする系統も存在する。
放出系。
その言葉が頭に浮かんだ瞬間、全身に鳥肌が立った。
念がある。
オーラは存在する。
人間は、身体の中にある生命エネルギーを掌へ集め、外へ放つことができる。
それはつまり。
「……撃てる」
声が漏れた。
「何が?」
母さんが振り返る。
それに俺は何も答えなかった。否、答えられなかった。
テレビの中で、老人が勝者として手を上げている。
俺の目には何も見えない。だが、確かにそこにある。
前世では、どれだけ願っても存在しなかった力が。
テレビ画面から目を離し、自分の小さな掌を見る。
まだ六歳だ。
身体は小さいし、念の修行方法も、漫画で読んだ知識しかない。
精孔を無理やり開けば、命を落とすかもしれない。
独学で《纏》を覚えられる保証もない。そもそも俺が放出系になるとも限らない。それでも、前世とは違う。
不可能ではない。
道は、確かに存在する。
「母さん」
「どうしたの?」
「俺、ハンターになりたい!」
母さんは目を丸くした。六歳児の突拍子もない夢だと思ったのだろう。実際、その通りだろうし、それでいい。今はまだ、誰にも理解されなくてもいいんだ。
まずは身体を作り、呼吸を整える。自分の内側にあるオーラを感じる。正しい修行法を学び、系統を調べる。そして、いつか。
掌にオーラを集め、圧縮し、増幅し、前方へ放つ。ただの念弾ではなく、誰もがその姿を見ただけで理解するほどの、本物を。
かめはめ波を。
俺は両手を腰へ運んだ。
母さんが何か言っていたが、耳には入らなかった。
前世の記憶と同じ構え。けれど、意味はもう違う。あの頃は、何も知らずに信じていた。
今は、確かな根拠がある。この世界には念がある。
ならば――。
かめはめ波は、撃てる。
今度こそ、絶対に!