かめはめ×ハンター 作:波動待ち
前話の一部、両親の説得部分を大幅に修正しました。大筋には影響はありません。
今回は結構長くなっちゃいましたが、読んでもらえると幸いです。
故郷の村を出てから、五日が過ぎた。
父さんが描いてくれた地図を頼りに乗合自動車と列車を乗り継ぎ、途中にある町で何度か宿を取る。
六歳の子供が一人で旅をしていることに驚く者はいたものの、わざわざ呼び止めて事情を問い詰めてくる者はいなかった。
前世の常識で考えれば、とっくに警察に保護されていてもおかしくない。
しかし、この世界では子供が一人で旅をすること自体、それほど珍しくないらしい。森や荒野を歩いて横断しようとすれば止められるのだろうが、金を払って公共交通機関を利用している限り、本人の自由として扱われるようだった。
十二歳の子供が命懸けのハンター試験を受けられる世界なのだから、六歳児の一人旅くらいで驚く方が間違っているのかもしれない。
旅の途中でも、修行を休むことはなかった。
朝は宿の周辺を走り、腕立て伏せと腹筋、スクワットを行ったあと、《纏》と《練》を繰り返す。夜には人目のない場所を探し、両手を腰へ構えて、掌からオーラを伸ばす練習を続けた。
初めて成功した五十センチほどの光は、未だに狙って確実に出せる技にはなっていない。十回やって一度成功すればいい方であり、調子が悪ければ指先から僅かに飛び出しただけで消え、うまくいった日でも腕一本分ほど伸びたところで形を失った。
それでも、一度も成功していなかった頃とは違う。
以前は、何が正しくて何が間違っているのかさえ分からなかった。今は僅かながらも、オーラを身体と繋げたまま外へ伸ばす感覚を知っている。
できないのではない。まだ安定していないだけだ。
ならば、安定するまで何度でも繰り返せばいい。
そんなことを考えながら列車を降り、人の流れに沿って大通りを進んでいくと、やがて周囲の建物の隙間から、巨大な建物が姿を現した。
「……でっけぇー」
思わず足を止め、遥か上空を見上げる。
テレビ越しに見たときにも大きいとは思っていたが、実際に目の前へ立つと、その印象はさらに大きなものへと覆される。
周囲に建ち並ぶ高層建築すら、天空闘技場と比較すればアリのようなものだ。首が痛くなるほど見上げても頂上までは確認できず、上部は薄い雲の向こうへ霞んでいた。
これほど巨大な建物の中で、毎日のように格闘試合が行われている。
勝てば上の階へ進み、賞金も増えていく。そして二百階を超えた先には、念能力者たちの世界が待っている。
原作で読んだ知識が正しければ、そこへ辿り着くまでは、念能力者と戦う可能性は低い。それならば、こちらから念を攻撃へ使うことも避けるべきだろう。
まだ念を目覚めさせていない人間に、オーラを込めた拳を叩き込めば、相手の精孔を無理やり開いてしまう可能性がある。ゴンとキルアが受けた方法と同じであり、下手をしたら命に関わる。
俺がここへ来たのは、人を殺すためではない。
かめはめ波を完成させるために、自分に足りない戦闘経験を積むためだ。
「まずは、二百階までだな」
拳を握り、入口に向かって歩き出した。
◇
巨大な扉の先に広がっていたのは、闘技場という言葉から想像していたものとは少し違う、明るく整えられた空間だった。
高い天井の下を大勢の人間が行き交っており、試合へ向かうらしい格闘家だけでなく、観戦に来た家族連れや、飲み物を片手に談笑している若者たちもいる。壁には開催予定の試合が大きく表示され、売店では選手の名前や顔が入った商品まで売られていた。
格闘場というより、巨大な娯楽施設に近い。
もっとも、挑戦者らしき者たちへ目を向ければ、ここが普通の観光地ではないことはすぐに分かった。
顔へいくつもの古傷を刻んだ男や、俺の胴体ほど太い腕を持つ大男が、当然のように受付へ並んでいる。血のついた包帯を拳へ巻き直しながら笑っている女もいれば、担架で運ばれていく負傷者の横を、何事もなかったように通り過ぎる者もいた。
遠くから響く歓声に混じって、ときおり獣の咆哮のような叫び声まで聞こえてくる。
「思ってたより、だいぶ怖い場所だ……」
テレビでは、見栄えのいい部分だけが放送されていたらしい。
人の流れを抜け、挑戦者用と書かれた受付へ向かうと、制服を着た若い女性が営業用の笑顔を向けてきた。
「天空闘技場へようこそ! 観戦はあちらになります!」
「いや、試合に出たいんです」
「挑戦者の登録ですね。こちらの用紙へ必要事項を――」
女性は慣れた様子で用紙を取り出し、そこで初めて俺の姿をきちんと確認したらしい。笑顔を保ったまま、ほんの一瞬だけ動きを止める。
「えと……参加されるのは、ご本人ですか?」
「はい」
「保護者の方は?」
「来てません」
「お一人で?」
「そうです」
女性は困ったように瞬きをした。
子供の参加者はやっぱり珍しいものなんだろうか。六歳で一人というのは、さすがに少し異常だったらしい。あれ、キルアも六歳の頃だかに来たって話してたような……
「参加できませんか?」
「いえ。天空闘技場に年齢制限はありませんので、登録は可能です。ただし、試合中の負傷や死亡について、当方は一切の責任を負いません」
死ぬ可能性まで、笑顔を崩さずに説明するのか。やはり、思っていた以上に野蛮な場所だった。
「分かりました、大丈夫です」
「そうですか……では、こちらへお名前と年齢をご記入ください」
渡された用紙へ、覚えたばかりの文字で必要事項を書き込んでいく。
氏名、年齢、出身地。
格闘経験という欄では、少しだけ手が止まった。
毎日身体を鍛え、念の修行を続けてきたものの、誰かから武術を教わった経験はない。父さんとふざけて取っ組み合いをしたことなら何度かあるが、それを格闘経験へ含めるのは無理があるだろう。
正直に「なし」と記入して用紙を返すと、受付の女性は内容を確認したあと、一枚の番号札を差し出してきた。
「初参加の方には、最初に実力査定を受けていただきます。三分間の試合を行い、その内容に応じて階数を決定しますので、必ずしも相手を倒す必要はありません。制限時間内に、ご自身の実力を十分に発揮してください」
勝敗を決めるための試合ではなく、開始地点を決めるための試験のようなもの、ということだろうか?
最初から全員を一階ずつ登らせるより、ある程度強い人間は上へ送った方が、運営側にも選手側にも都合がいい。
「分かりました」
「奥の控室でお待ちください。番号が呼ばれましたら、係員の指示に従って試合会場へお進みください」
受付を済ませ、案内された通路を歩いていく。
壁の向こうから、観客の歓声と、何かがぶつかる鈍い音が聞こえてきた。音が響くたび、胸の鼓動が少しずつ速くなっていく。
怖くないと言えば、嘘になる。
前世を含めても、誰かと本気で戦った経験は一度もない。テレビや漫画で格闘技を見たことはあっても、自分で拳を振るい、相手の攻撃を受けるのは初めてだった。
それでも、恐怖以上に楽しみだった。
庭で一人きりの修行を続けているだけでは、決して学べないものが、この先にはある。
控室へ入ると、すでに何人もの参加者が待っていた。
年齢も体格もばらばらだったが、俺以外は全員大人であり、椅子へ座った途端、周囲から値踏みするような視線を向けられた。
「おい、ガキが紛れ込んでるぞ」
向かい側に座っていた坊主頭の男が、俺を指差して声を上げる。
「坊主、迷子か?」
「試合に出ます」
「お前が?」
「はい」
男は一瞬呆けたあと、隣の男と顔を見合わせて大声で笑った。
「ここも悪趣味なもんだな! 誰と当たるか知らねえが、子供を殴らせる気かよ」
「泣かせたら勝ちなんじゃねえか?」
「それなら三秒で終わるな!」
控室のあちこちから笑い声が上がる。
馬鹿にされているのは分かったが、特に腹は立たなかった。
実際、俺には格闘経験がない。
念を使えば、この場にいる全員より強い可能性はある。だが、それを除いた自分がどの程度戦えるのかは、俺自身にも分かっていなかった。
それを確かめるために、ここへ来たのだ。
番号が一つずつ呼ばれ、参加者が控室を出ていく。戻ってくる者はいなかったため、査定が終われば、そのまま指定された階へ向かう仕組みなのだろう。
やがて、壁に取りつけられたスピーカーから、俺の番号が読み上げられた。
『百八十七番の選手は、第三試合場へお進みください』
椅子から立ち上がると、先ほどの坊主頭の男が口角を上げた。
「小便漏らすなよ、坊主」
「気をつけます」
真面目に答えると、男は一瞬妙な顔をしたあと、再び仲間と笑い始めた。
軽く頭を下げ、係員に案内されて通路を進んでいく。
やがて目の前の扉が開くと、それまで壁越しに聞こえていた歓声が、一気に全身へ押し寄せてきた。
照明に照らされた広い会場の中央には、正方形のリングがいくつも並んでいる。観客席は上の階まで続いていたが、空席も多く、テレビで見た二百階クラスの試合ほど注目されているわけではないようだった。
それでも、数百人はいる。
これほど大勢に見られながら戦うのかと思うと、意識していなかった指先が、僅かに震えた。
「こちらへ」
係員に促され、リングへ上がる。
反対側には、すでに対戦相手が立っていた。
三十歳前後に見える大柄な男であり、身長は父さんより頭一つ高く、太い首と分厚い胸板を持っている。両手へ巻いた布は薄汚れ、右拳の包帯には、乾いた血までこびりついていた。洗えよ。
男は俺を見た瞬間、露骨に顔を歪める。
「はぁ? ガキじゃねえかよ! こんなの殴っても査定になるのかよ」
俺の対戦相手の男は、不満を隠そうともせず俺を睨みつけてくる。
「おい坊や! ここは遊び場じゃねえんだぜ!」
「相手がガキとは運がいいなテメー!」
観客たちのやじも、そこかしこからとんでくる。その誰もが俺の負けを疑っていない声だった。
「制限時間は三分です。勝敗にかかわらず、試合内容を基に階を決定します」
男は俺を上から下まで眺め、それから面倒そうに首を鳴らした。
「まあいい。さっさと泣かせて終わらせてやるよ!」
そんなことは言いつつも、構えを見る限り、まるで本気とは思えなかった。両腕は低く下がり、顎も上がったままであり、こちらが何をしても問題ないと思っているのが伝わってくる。
審判から、武器の使用は禁止であることや、相手が降参するか戦闘不能になった場合には即座に終了することが説明される。その声を聞きながら、俺は自分のオーラへ意識を向けた。
全身には、普段から維持している《纏》がある。
《練》を行えば、身体能力も防御力も大幅に引き上げられる。拳へオーラを集中させれば、目の前の男へ重傷を負わせることもできるだろう。
けれど、念を知らない相手へ大量のオーラを込めた攻撃を叩き込むのは危険すぎるし、力だけで押し切ってしまえば、ここへ来た意味がない。
俺が知りたいのは、これまで鍛えてきた身体と、最低限の《纏》だけで、実際の格闘家を相手にどの程度戦えるかだ。
《纏》を解くつもりはない。すでに呼吸と同じように身についたものをわざわざ捨てる必要はなく、相手の攻撃から身を守るためにも最低限の防御は必要になる。
「両者、準備はいいか?」
男は構えを取ろうともせず、俺へ向かって手招きした。
「いつでも来いよ、坊主」
俺はそれに対して、今まで見てきた格闘家や漫画作品の真似をした、両拳を上げる。
かめはめ波の構えなら、何も考えず、もはや無意識に取ることができる。
けれど、殴り合うための構えとなると、拳をどこへ置き、足をどの程度開けばいいのかすら分からない。
それだけで、目の前の男との間に大きな差があることを思い知らされた。
「始め!」
開始の合図が響いた。
男はすぐには動かず、顎を上げたまま、俺がどうするのかを眺めていた。子供が自分から殴りかかってくるのを待っているらしい。
ならば、望み通りにしてやる! 俺はリングを蹴り、一気に相手との距離を詰めた。
「お?」
男の眉が僅かに上がる。
身体能力だけなら、普通の六歳児とは違う。
男の腹へ向かって右拳を振り抜いたが、拳が届くより先に、相手は半歩だけ後ろへ下がった。
空振りした勢いで、身体が前へ流れる。
「なかなかはええじゃねえか坊主!」
男の右手が、頭上から振り下ろされた。
拳というより、子供を叱るときに使うような平手だった。
避ける暇もなく、頬へ掌が叩き込まれる。乾いた音がリングへ響き、俺の身体は横へ弾かれた。
「おら、終わりか?」
頬が熱を持ち、遅れて鈍い痛みが広がってくる。
それでも、《纏》で守られた身体へ深刻な傷を与えるほどではない。倒れかけた足へ力を入れ、リングを踏み締めたまま顔を上げると、男の表情から笑みが消えていた。
「……倒れねえのか」
男は自分の右手を見たあと、改めて拳を握る。
「なんだ。結構根性あるじゃねえか」
口元が吊り上がった。
先ほどまでとは違い、両拳を顔の前へ上げ、顎を引く。腰を僅かに落とし、足を止めることなく左右へ動き始めた。
構えが変わった。
子供を適当に追い払おうとしていた男ではなく、目の前の相手を殴り倒すために戦う格闘家の姿だった。
「だったら、遠慮はいらねえな!」
男が一気に踏み込んでくる。
左拳が顔へ伸びたため、身体を沈めて避けようとした瞬間、その拳が途中で止まった。
フェイント。
そう理解したときには、右足が俺の太腿へ叩き込まれていた。
「っ!」
鈍い痛みが脚へ広がり、身体が横へ揺れる。そこへ男の右拳が飛んできたため、腕を上げて受け止めたものの、大人の体重が乗った衝撃によって、靴底がリングの上を滑った。
「まだ倒れねえか!」
男は楽しそうに笑いながら、続けざまに拳と蹴りを繰り出してきた。
顔へ拳が来ると思えば太腿を蹴られ、足元へ意識を向ければ腹を殴られる。最初の動きだけを追っていると、簡単に反応を誘われ、守りを崩されてしまう。
フェイントの類は、漫画や映像で見たことはあった。
しかし、画面の外から眺めるのと、実際に自分へ向けられるのとでは、まるで違う。
人間の身体は、いざという時、考えるより先に反応する。顔へ拳が来ると思えば腕を上げ、足が動けば視線を下へ向ける。その反応を利用されるだけで、格闘経験がない俺の守りは簡単に破られた。
「ほら、どうした!」
男の拳が頬を掠め、顔が横へ振られる。
それでも、ただ殴られ続けるつもりはない。
次の右拳が伸びてきた瞬間、俺は後ろではなく、さらに前へ踏み込んだ。
「なに?」
身体を深く沈める。
六歳の身体は、普通に立っているだけでも大人より遥かに重心が低い。さらに腰を落とせば、男の拳は俺の頭上を通り過ぎた。
そのまま懐へ潜り込む。
近すぎる距離では、大人の長い腕を満足に振るうことはできない。
俺は空いていた腹へ、下から突き上げるように左拳を打ち込んだ。
「ぐっ!」
男の口から息が漏れる。
《練》も《硬》も使っていない。普段の《纏》を維持したまま、これまで鍛えてきた身体の力だけで打ち込んだ拳だったが、完全に油断していた相手の呼吸を詰まらせるには十分だったらしい。
続けて右拳を振るう。顔には届かない。なら、他の急所を狙えばいい。拳が男の鳩尾へ当たる直前、横から腕を掴まれた。
「調子に乗るな!」
男が俺の腕を引き、体勢を崩そうとする。
大人と子供では、腕の長さも体重もまるで違う。このまま力比べをすれば、どれだけ身体を鍛えていても勝てない。
俺は抵抗せず、引かれる方向へ自分から飛び込んだ。
「っ!」
男の足元へ滑り込むように身体を沈め、空いている腕で膝裏を抱える。
正しい組み技など知らない。
それでも、相手の片脚を地面から離せば、立っているのが困難になることはわかる!
男の身体が大きく傾いた。
「この野郎!」
倒れる直前、男が俺の背中へ腕を回した。
身体を持ち上げられ、足がリングから離れかける。完全に持ち上げられてしまえば、小さな身体では何もできない。
俺は男の腰へしがみつき、両脚を大きく開いて踏ん張った。
男が俺を引き剝がそうと腕へ力を込めた瞬間、掴んでいた膝裏を一気に持ち上げる。
片脚を失った男の身体が大きく傾いた。
倒せる。
そう思った瞬間、男は残った足を軸に身体を回転させ、俺の腕を膝裏から外すと、逆に肩を強く押した。
勢いのままリングの上を転がったが、すぐに手をついて起き上がる。
「ちょこまか逃げてんじゃねえ!」
立ち上がるより早く、男の蹴りが迫ってきた。
頭を蹴り飛ばすつもりらしい。
身を低くして避けると、足が頭上を通り過ぎる。男が振り向くより先に背後へ回り込み、膝裏へ蹴りをぶつけると、太い脚が曲がって身体が僅かに沈んだ。
けれど、倒れない。
振り向きざまに振るわれた肘が当たり、俺の身体は横へ弾き飛ばされた。
痛みを堪えて立ち上がると、男は息を弾ませながら笑っていた。
「いいじゃねえか。最初から本気で潰すつもりでやればよかったぜ」
男の目には、もう俺を子供として見ていた、侮る視線はなかった。
次に来た攻撃は、それまでよりさらに鋭かった。
拳だけではない。蹴りを避けた先へ拳が置かれ、前へ潜り込もうとすれば膝が進路を塞ぐ。小さな身体を利用して懐へ入ろうとしても、その動き自体を読まれ、頭を押さえられて距離を作られた。
俺も一度見た動きはできるだけ覚え、同じ攻撃に二度続けて引っかからないようにする。
顔だけを見ず、胸元へ視線を置く。大きな動きへ反応するのではなく、男の足と腰がどこへ向いているのかを見る。
すべてを避けることはできない。
それでも、最初のように一方的に殴られることはなくなっていた。
男の左拳が顔へ伸びてくる。
俺はその腕の下へ潜り込み、脇腹へ拳を打ち込もうとしたが、肘を下げて防がれた。
続けて右拳が飛んでくる。頭を低くして避け、そのままさらに一歩、懐の奥へ踏み込む。
「同じ手を――」
男の両手が、俺の肩を掴んだ。
「捕まえたぞ、ガキ!」
強い力で身体を持ち上げられ、今度こそ足がリングから離れた。
まずい。
このまま投げられれば、受け身の取り方すら知らない俺では、大きな隙を晒すことになる。
男は俺の身体を頭上へ持ち上げ、そのままリングへ叩きつけようとしていた。
足が地面から離れている以上、踏ん張ることはできない。拳を振っても、男の顔には届かなかった。
俺は両脚を振って身体を前へ揺らす。
「暴れても無駄だ!」
男が笑いながら、俺をさらに高く持ち上げようとする。
その瞬間、俺は男の肩を掴み、全身を丸めるようにして頭から懐へ飛び込んだ。
次の瞬間、頭頂部が、柔らかい何かに深く沈み込んだ。
「――――ッ!?」
男の身体が硬直する。
口を大きく開いているのに、声が出ていない。
俺の肩を掴んでいた両手から力が抜け、身体がリングへ落ちたため、咄嗟に足をついて男から距離を取った。
男は両脚を内側へ閉じたまま、数秒ほど立ち尽くしていた。顔が見る間に青ざめ、額から大量の汗が噴き出している。
「……?」
何が起きたのか理解するより先に、男の両目が裏返った。
そのまま膝から崩れ落ち、顔面からリングへ倒れ込む。
会場が、一瞬だけ静まり返った。
俺は動かなくなった男と、自分の頭が直前まであった位置を交互に見たあと、ようやく何をしたのか理解した。
「あ……」
直後、観客席から爆笑と歓声が巻き起こった。
「おい坊主! 見かけによらずえげつねえ攻撃すんじゃねえか!」
「そこまで! 試合終了!」
審判が男のもとへ駆け寄り、意識を確認する。頬を何度か叩かれても、男は白目を剥いたまま動かなかった。
「その……狙ったつもりはないです……」
同じ男として、その痛みはよくわかる。申し訳なく思い、誰に聞かれたわけでもないのに、小さく弁明した。
男を倒すために懐へ飛び込んだのは事実であり、頭突きのような形になったのも、完全な偶然ではない。ただ、もう少し上、腹の辺りへ当たると思っていた。
俺の身体が想像以上に小さかったのか、それとも男が持ち上げようとして腰を落としていたせいなのか。
結果として、俺の頭は人間の急所へ、完璧な角度で突き刺さってしまった。
「大金星だな! 一撃KOだぜ!」
「一撃っていうか……」
それまでに、俺は何発も殴られている。
こちらも腹や脇腹へ拳を当てたが、まともな打撃で男を倒せたわけではない。勝ったというよりは、ただの事故のような気がする。
しかし、観客はそんな事情など気にしていない。
「ガキ、やるじゃねえか!」
「もう一発やれ!」
「そいつ死んでねえだろうな!」
笑い声と歓声がリングへ降り注ぎ、誰一人として、倒れた男を本気で心配している様子はなかった。
この場所では、子供が大人を倒すことも、大人が急所への一撃で気絶することも、すべて見世物の一つなのだろう。
天空闘技場、恐ろしいところ……!
◇
医療班らしき者たちが男を担架へ乗せて運び出したあと、俺もリングを降りた。
係員から示された階数は三十階。
「三十階か……」
新しいカードを受け取り、エレベーターへ向かって歩き出す。
勝ったことに間違いはない。けれど、喜びは不思議なほど湧いてこなかった。
フェイントには何度も引っかかり、攻撃が見えていても身体は思うように動かず、懐へ飛び込めても決定打を与えられない。体重差のある相手に掴まれれば、自力で逃れることさえ難しかった。
最後の頭突きも、同じ状況でもう一度やれと言われて再現できる自信はない。そもそも、あんな勝ち方を繰り返すつもりもなかった。
念を使えば、もっと簡単に勝てたかもしれない。
《練》で身体能力を底上げし、オーラを拳へ集めれば、男ごと吹き飛ばすこともできただろう。
けれど、それでは何も学べない。
力で押し潰すだけなら、庭に置いた木箱を相手に修行しているのと何も変わらない。
そんなことを続けた先で、もし掌から自在にオーラを放てるようになったとして。
……それは、本当にかめはめ波と言えるのだろうか?
俺が憧れたかめはめ波は、ただ掌から気を放つだけの技ではなかった。
世界最強と謳われた武人、武天老師の編み出した亀仙流の奥義だ。
身体を鍛え、技を鍛え、人としても鍛え抜いた者が、その積み重ねの先で初めて放つ一撃だ。
今日の俺はどうだった。
相手の攻撃を見切れず、間合いを支配され、懐に入っても倒し切る術がない。
戦うということを、何一つ理解していなかった。
三年以上、一日も欠かさず修行を続けてきた。念を覚え、掌からオーラを放つ感覚も掴み始めている。
その修行が無駄だったとは思わない。いや、むしろあれがあったからこそ、今日ここへ立てた。
けれど、足りなかった。俺は、かめはめ波という技ばかりを見ていた。その技を放つ人間になるための修行を、してこなかったんだ。
エレベーターへ乗り込み、三十階のボタンを押す。
静かに上昇していく箱の中で、不意に前世の記憶が脳裏をよぎった。
亀仙人は、悟空やクリリンへいきなり技術を教えたりはしなかった。
重い甲羅を背負い、牛乳を運び、畑を耕し、山を駆け、日常そのものを修行へ変えていた。
あれは筋力だけを鍛える修行じゃない。
身体を鍛え、技を磨き、戦うための土台そのものを作る修行だった。何よりも基礎を優先していたのだ。
「……そういうことか」
思わず小さく笑みが漏れる。あんな重い甲羅はないし、教えてくれる亀仙人もいない。それでも、真似することはできる。重い物を背負って生活し、身体を鍛え、戦いを重ね、少しずつ技を磨いていく。
その積み重ねの先にあるものこそ、俺が目指すかめはめ波なんだ!
やがて短い電子音とともに扉が開いた。
三十階。
まだ二百階には程遠い。それでも、焦る必要はない。
「まずは、大きな石でも探すか」
カードを握り直し、俺は新天地へ踏み出した。
見よう見まねのかめはめ波を覚えるためじゃない。本物のかめはめ波を撃てるようになるために!
今回レイが戦った相手は、普通に一般格闘家です。
数日間は執筆時間も取れず、感想返信も出来ないかもしれませんが、ご了承下さい。ま、毎日更新してえ、してえよぉ……
いつも通り、ここから先は読まなくても問題ありません。
天空闘技場
野蛮人の聖地。190階まで行けた場合、ファイトマナーは数億ジェニーにも昇ると言う。メ○ウェザーとマ○ー・パッキャオ戦の1%近くの金額と考えるとその凄まじさがわかる。果たして凄まじいのはどちらなんだろうか……
二百階クラスに行けば、纏を覚えたゴンを圧倒できるほどの実力者もいる。尚、練を覚えた側には手も足も出ず、足を折られたらしい。仮に今のレイが、その選手と戦うと、練を覚えているものの、ボコボコにされる。
武天老師
また名を亀仙人。五十年かけて、亀仙流奥義、かめはめ波を編み出した偉人。DBでは主人公、孫悟空の永遠の師匠。
「これいじょうわしのもとで修行をうけてもしょうがないわい」などと言っていたものの、力の大会においてベジータかフリーザの影響なのかは分からないが、力に囚われていた悟空を諭し、神の次元を踏み越える手助けをしてくれた。身勝手の極意覚醒の功労者と言っても過言ではないかもしれない。破壊神ビルスにも認められていた。
金的
人体に存在する、鍛えようのない急所。身長差のある相手へ頭から飛び込んだ結果、レイは偶然にも完璧な角度でこれを捉えた。念能力も武術も関係なく、決まれば大抵の男を沈められる恐るべき一撃である。強化系だから耐えられる、といった甘えもおそらく許されない。なお、本人に狙ったつもりはない。対戦相手からすれば、狙われた方がまだ納得できたかもしれない。
亀の甲羅
亀仙流の修行を象徴する装備。日常生活の間も背負い続けることで、特別な修行時間を設けずとも身体を鍛えられる優れもの。悟空とクリリンはこれを背負ったまま牛乳を運び、畑を耕し、工事現場で働き、サメに追われた。武術の修行を受けに来たはずなのに、やっていることだけ見れば過酷な住み込み労働である。しかし流石は亀仙人、この修行により、悟空とクリリンの基礎能力は大幅に上がった。
レイの世界には都合よく亀の甲羅を作ってくれる老人はいないため、当面は大きな石で代用する予定。背負い方を間違えると修行より先に腰を壊す。