白鳥の国にて ~駐エルフィンド公使館付海軍武官の回想~   作:ポオツマス亭

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――さ、食事にしましょう。始めてちょうだい」 V・エスタリンド


星暦八七五年九月(12) 本編《特別車:ファスリン峠~ネヴラス間》

 

「お待たせしましたね」

 

 完璧な仮面の笑みを浮かべて私の横を通り過ぎるタリンナリー大佐。

 

 その背中を見送りながら、私は確信していた。

 

 この従順で愛らしい人間の大佐は、間違いなく我がエルフィンド海軍の、最も忠実な『賛美者』になってくれるのだと――。

 

◇ 

 

 サロンへのガラス扉を押さえてくれているアルヴェーン大尉の横を通り過ぎ、一歩を踏み出そうとしたその刹那だった。

 

 私の背中に、じっとりとした、密度の高い視線が突き刺さるのを感じた。

 

 振り返らなくとも分かる、扉の脇に佇むシトリン・アルヴェーン大尉の、あの薄青(アイスブルー)の瞳だ。

 

 それは、先ほどまでの「自らの敬愛する主君を称えられ、美の自尊心を甘美に擽られた白エルフの娘」の、おめでたいほどに弛緩した視線――のはずだった。

 

 だが、敵の欺瞞と殺意を嗅ぎ分けることで生きながらえてきた私の「猟犬」としての本能が、その視線の温度の変化に、言葉にできない奇妙な歪みを感知していた。

 

 ただの、御しやすい短命種(にんげん)の賛美者を愛でるような甘さではない。

 

「何か、大尉?」

 

 私は足を止め、振り返らずに低く問いかけると、背後でかすかな衣擦れの音がした。

 

「いいえ、何でもありませんよ、タリンナリー大佐」

 

 アルヴェーン大尉はガラス扉のノブを握る白手袋の手をそのままに、私の背中を見つめていた。私がゆっくりと首を巡らせると、彼女はすぐさま人形めいた微笑をその端正な顔に張りつかせる。

 

「ただ、あまりに嘉国紳士(キャメリッシュ・ジェントルマン)の所作が優雅でしたので、つい見惚れてしまいました」

 

「それは光栄だ、大尉」

 

 私は軍帽の目庇に指先をかけ、小さく会釈した。

 

「美しい貴女にそう言っていただけるなら、長旅の疲れも吹き飛びますよ」

 

「ふふ、お上手ですこと。さあ、中へお入りください」

 

 彼女の表情には微塵も隙がなかった。私の思い過ごしか、あるいは白エルフ特有の、無意識の傲慢さが生んだ視線の冷たさだったのか。

 

 だが、私の脳裏の警告は完全に消えていなかった。

 

(面白いな。あのファラサール大将が、ただの『お飾りの美形』をわざわざ私の連絡将校に指名するはずがない。案外、あの白銀の髪の下には、見た目以上の鋭い頭脳が隠されているのかもしれないな……)

 

 胸の内で冷酷な愉悦を転がしながら、私はサロンの中へと足を運んだ。

 

 特注された車内には、ファルマリアの寒々しい潮風とは無縁の、濃厚で甘美な香りが満ちていた。

 

 私は入り口で軍帽を脱ぐと、座席上部にある見事な真鍮細工のハットラックへ、白手袋と共に音もなく収めた。遅れて入ってきたアルヴェーン大尉もまた、手慣れた動作で自らの軍帽を隣のフックへと掛けていく。

 

「お待たせいたしましたね、エスタリンド書記官」

 

 私は完璧な声調で語りながら、進行方向を向いた右側の席――最も心地よく窓外の景色を見渡せる上座へと滑り込んだ。

 

 対面の窓側に座るエスタリンド書記官が、形の良い眉を微かにひそめ、香油のしみ込んだハンカチで鼻元を覆った。

 

「ずいぶんと長い煙草のお時間でしたのね、大佐」

 

 冷ややかな切れ長の瞳がこちらを射抜く。細く白い指先が、書類入れの縁をゆっくりとなぞった。

 

「少々、時を忘れてしまいまして。ご容赦を」

 

 私は苦笑を交えて応じ、座席の背にゆったりと身を預ける。エスタリンドはハンカチを口元に当て、小さく小首を傾げる。

 

嘉国(キャメロット)の煙は、我が国の空気よりも魅惑的かしら?」

 

「まさか。我が故郷の重苦しい煙など、この国の清らかな空気の足元にも及びませんよ」

 

 私は穏やかに微笑み、純白のクロスにそっと手を置いた。流れる窓外の景色へと視線を移し、言葉を続ける。

 

「ただ――あまりに美しいファルマリアの街並みに、つい時間を忘れて目を奪われていただけです」

 

 私の左隣、通路側の席にはすでにプレストン一等書記官が老獪な笑みを浮かべてゆったりと腰掛けていた。彼は楽し気に口を挟む。

 

「大佐はこれでも、なかなかのロマンチストでしてね。おまけに、古き知人との再会を心待ちにされている。お許しを、書記官殿」

 

「ええ、先ほど馬車の中で、嫌というほど伺いましたわ」

 

 エスタリンドは退屈そうに視線を窓外へと流した。 

 

「我が国の海軍最高司令官、ファラサール閣下のことでしょう? 二十年前、まだ少年だった大佐の頭を撫でてくださったという……」

 

「ええ、その通りです」

 

 私は穏やかに微笑み、彼女の冷徹な眼差しを正面から受け止めた。

 

「随分と古い記憶を大切にされているのね。人間の短い一生にとっては、それほど価値のあることかしら?」

 

「一生の宝物になり得る時間ですよ。特に、ファラサール閣下のような傑物のお言葉となれば」

 

 そこへ、遅れてアルヴェーン大尉が、私の斜め向かい――プレストンの正面にある進行方向逆向きの通路側に席を取った。彼女が、誇らしげに薄青(アイスブルー)の瞳を輝かせる。

 

「ええ。閣下も、大佐との二十年ぶりの再会を心待ちにされておりますよ」

 

「それは光栄ですね、大尉」

 

 私が応じると、大尉はさらに居住まいを正した。

 

「最高司令部では、すでに万全の体制でお迎えする準備を整えております。タリンナリー大佐。明日の会見を、海軍一同、誇りを持ってお待ちしております」

 

 プレストンは手元で金細工の煙草入れを弄びならがら、楽し気に肩をすくめる。

 

「それは重畳。我が大佐の少年の日の憧れが、今や両国の架け橋になろうとは、外交官冥利に尽きるというものですな」

 

「海軍としても光栄の至りであります。プレストン一等書記官」

 

 アルヴェーン大尉は端正な顔をこちらへ向け、毅然と言い添えた。

 

「これほど我が国の価値を正しく理解して下さる武官をお迎えできたのですから」

 

「温かいお言葉、恐縮です」

 

 大尉の言葉を受け、私は二人の白エルフの顔を均等に見据え、さらに声を和らげた。

 

「当時はまだ随行員の少年に過ぎませんでしたが、閣下にいただいた温かいお言葉と、あの美しい白銀の艦隊の輝きは、今も私の胸に鮮烈に焼き付いておりますから」

 

 一度言葉を切り、窓外を流れるネヴラス湾の光景に視線を流した。列車がわずかに揺れ、車輪が刻む規則的なリズムが、室内に心地よく溶け込んでいく。

 

 窓側に私とエスタリンド。通路側にプレストンと大尉。

 

 キャメロットの外交儀礼(プロトコール)に厳格に則った、美しい配席。

 

 「さ、食事にしましょう。始めてちょうだい」

 

 対面の窓側に座るエスタリンドが、側に控えていた給仕の白エルフの乙女へ、不遜な物言いで短く命じた。

 

 その言葉を合図に、特別車(サロンカー)の奥からそれまで密閉されていた重厚な扉が開き、現れた白エルフの客室乗務員(アテンダント)たちが一糸乱れぬ動作で動き始める。

 

 その刹那、特別車(サロンカー)の中に漂ってきた香りに、私は嘉国紳士(キャメリッシュ・ジェントルマン)の仮面の下で、微かに眉を動かした。

 

(……ほう、これは面白い)

 

 鼻腔を焦がすような、香ばしい牛脂の爆ぜる匂い。そして、じっくりと煮込まれた濃厚な肉汁(フォンドヴォー)と黒トリュフの芳醇な薫香が、車内の温かな琥珀色の光の中に一気に満ちていく。

 

 純白のクロスの上に、金縁の施された磁器と共に、小さなメニューカードがそっと置かれた。

 

 そこに美しいエルフィンド文字と、キャメロットの外交官への敬意を示す完璧なグロワール語で記されていたのは、冷製料理(コールド・ランチ)などではなく、国力を誇示するかのような、堂々たる温製の肉料理を主軸とした文官たちの『予算の理知』の結晶だった。

 

 

 昼食会御献立(Menu du Déjeuner)

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 ◆汁物 (Potage) 

   琥珀色に澄んだ牛肉の二重汁

   Consommé double de bœuf

 

 ◆魚料理 (Poisson)

   ネヴラス湾産舌平目のブレゼ、白ワインと焦がしバターのソース

   Sole Braisée de la Baie de Nevras, sauce au vin blanc et au beurre noisette

 

 ◆肉料理 (Viande)

   アルトリア産牛フィレ肉の厚切りステーキ、芳醇な黒トリュフソース

   Tournedos de Bœuf d'Artoria, Sauce Périgueux

 

 ◆付け合わせ (Garniture)

   ネニング平原産黒トリュフを練り込んだジャガイモのピューレ、秋の根菜のロースト

   Purée de pommes de terre aux truffes noires de la plaine de Nening et légumes-racines d'automne rôtis

 

 ◆菓子 (Dessert)

   季節の野イチゴを添えた冷製バニラパルフェと王室風焼き菓子

   Parfait à la Vanille aux Fraises des Bois de Saison et Mignardises Royales

────────────────────

 ◆飲料 (Vins)

   エルフィンド宮廷御用達「アルトリアの滴」赤(星歴八六〇年ヴィンテージ)

   « Les Larmes d'Artoria » rouge, sélection de la Cour d'Elfind (Millésime 860, Ère Stellaire)

 

 ◆食後 (Après le Repas)

   キャメロット宮廷指定・高級ダージリン紅茶

   または、外務省秘蔵の白葡萄の古酒

   Thé Darjeeling d'Exception, Sélection de la Cour de Camelot

   ou

   Vieux Vin Blanc de la Réserve Secrète du Ministère des Affaires Étrangères

────────────────────

 

 

 私は手元に置かれたメニューを指先で軽く撫でながら、正面のエスタリンド書記官を見た。

 

 彼女は、人間が驚嘆するであろうその肉食のメニューを前にして、極めて平然と、当然の権利を享受する女王のような気品で、最初に運ばれてきたスープの器を見ている。

 

「両国の調和の始まりにふさわしいお席ですもの。お口に合うとよろしいのだけれど、タリンナリー大佐?」

 

 エスタリンドは瞳を微かに和らげ、銀のスプーンに細く白い指を添えた。

 

「まさかこれほど見事な、温かな牛肉の恵みに与れるとは。旨味の凝縮具合が素晴らしい」

 

「お気に召して?」

 

 エスタリンドが銀のスプーンを美しく傾け、くすんだ笑みを向ける。

 

「我が国の牧野は、キャメロットの霧深き土地とは違い、豊かな陽光と清廉な水に恵まれておりますから」

 

「その言葉に偽りはないようだ。プレストン書記官、我が故郷のクラブで出すコンソメが、急に無骨に思えてくるほどですよ」

 

 私が隣の老紳士に向かって苦笑を向けると、プレストンは老獪な目を細め、贅沢に香る湯気を楽しみながら、短く応じた。

 

「全くですな、大佐。……ですが」

 

 老外交官はスプーンを止め、正面のエスタリンドへ視線を滑らせる。

 

「この豊かな肉の英知を支える予算が、宮廷のどこから湧き出ているのか、実務派の私としてはそちらの方に興味が尽きませんがね」

 

 チリンと小さな音がした。

 

 エスタリンドの銀のスプーンが器の縁に当たったのだ。

 

「プレストン書記官」

 

 彼女は静かにスプーンを置き、香油の染み込んだハンカチで唇を拭った。絹のような声音に、冷たい拒絶が混じる。

 

「我が国の『理知』は、数字を右から左へ動かすだけの事務作業とは一線を画しておりますの」

 

「ほう?」

 

 プレストンが面白そうに片眉を上げる。エスタリンドは端正な顎をわずかに引き、冷徹な視線を返した。

 

「国家の美徳と調和をどこに具現化すべきか。それを見極めることこそが宮廷の役割。ただ兵器を並べることだけが国家の豊かさではございませんわ」

 

 彼女の視線が、斜め向かいのアルヴェーン大尉へ、無言の圧力と共に向けられる。

 

 大尉は瞳に鋭い光を宿らせ、小さく唇を結んだ。

 

 絶妙なタイミングで客室乗務員(アテンダント)たちが空いた器を下げ、次の一皿を運んできた。

 

 純白の磁器の上で、ふっくらと蒸し焼きにされた舌平目が、黄金色のソースを纏って鎮座している。焦がしバターの香ばしさと白ワインの酸味が、車内に新たな豊潤さをもたらした。

 

「これは、先ほどから私たちが見ているネヴラス湾の恵みですね」

 

 私は険悪になりかけた空気を覆うように、手慣れた手つきで魚用ナイフを入れた。

 

「ええ、我が海軍が海の安全を担保してこそ、この新鮮な一皿が宮廷の食卓へと届くのです」

 

 アルヴェーン大尉が、ここぞとばかりに胸を張って白銀の髪を揺らした。

 

「そうですか、大尉」

 

 エスタリンドは細いフォークを魚の白身に沈め、平然と口に運びながら冷徹な微笑を返す。

 

「ですから外務省も、先月戻った一番艦「[[rb:白鳥 > リョースタ]]」の回航予算に関しては、一言も異議を唱えませんでしたわ……先月までは、ね」

 

 私の隣で、プレストンが通路側で小さく喉を鳴らした。

 

 その老獪な瞳は、エスタリンドが口にした「先月まで」という言葉の裏にある、二番艦「[[rb:黒鳥 > スヴァルタ]]」への予算凍結の意図を完全に捉えていたのを私は察した。

 

 私は優雅に白ワインのグラスを傾けながら、彼女たちの傲慢な均衡を内面で見据える。

 

(財政が健全だからこそ、互いのパイを奪い合う内紛がここまで先鋭化する。この国を動かしているのは神聖な調和などではない。ただの肥大した自尊心のぶつかり合いだ)

 

 やがて、メインディッシュである重厚な銀のドームカバーが厳かに持ち上げられた。

 

 厚く切り出された牛フィレ肉は、完璧な火入れによって中心が美しいバラ色に染まっていた。周囲を彩る[[rb:黒トリュフのソース > ソース・ペリグー]]が、肉の放つ芳醇な脂の香りと混ざり合い、濃厚な官能を刺激する。

 

「素晴らしい……。これほど見事なステーキを、走る列車の中でいただけるとは」

 

 私は心底から感嘆してみせた。

 

 ナイフを滑らせると、肉は抵抗なく切り裂かれ、極上の肉汁が溢れ出す。口に含んだ瞬間、上品な牛脂の甘みとトリュフの薫香が脳髄を震わせた。

 

 王族の血筋を持つ名門伯爵家の嫡男として生まれ、その儀礼子爵としての教育を受けて育った私の舌をも、このアルトリア産の牛肉は完璧に満足させていた。

 

「我が国の女王陛下も、アルトリア産の牛肉を大変好まれておりますのよ」

 

 エスタリンドは優雅に肉を口へ運び、楽し気にアルヴェーン大尉をねめつける。

 

「四足獣の脂を避けるのは、東方の未開な短命種(にんげん)のお話。我が国の清らかな牧野で育った牛には、いささかの穢れもございません。これこそが、宮廷の『予算の正当性』というものです』

 

「その通りですね」

 

 私は本気で微笑み、彼女の言葉に初めて深く肯いてみせた。

 

「この洗練された肉の文化を知らずに、エルフィンドを語ることはできない。我が祖国の宮廷にも、このアルトリア牛のすばらしさを広く伝えるべきだと確信いたしましたよ」

 

「それは素晴らしいことですわ、大佐」

 

 エスタリンドは出会ってから初めて柔和な微笑を彼に魅せた。すっかり上機嫌になり、冷徹だった切れ長の瞳に甘美な優越感を湛えた。

 

 だが、私の隣のプレストンは、その肉の一片を咀嚼しながら、今度はアルヴェーン大尉に向けて視線を走らせていた。

 

「大尉。これほど見事な肉を維持できる御国の財政があれば、あの「[[rb:黒鳥 > スヴァルタ]]」のキャメロットへの回航など、造作もないことのように思えますがね?」

 

 大尉の薄青(アイスブルー)の瞳が一瞬で凍り付き、彼女の手元でナイフがピタリと止まる。

 

「プレストン書記官、それは海軍省次官のヴァロワール中将が、しかるべき場で外交部と交渉する案件です」

 

「あら、大尉」

 

エスタリンドが、バラ色に熟れた肉の一片を優雅に口へ運びながら、楽しげに割り込んできた。

 

「その『しかるべき場』で、我が外務省が首を縦に振るかどうかは別のお話ですわ」

 

「エスタリンド殿!」

 

 大尉がエスタリンドを鋭く睨みつける。その白銀の髪が激しく揺れた。

 

「我が海軍の近代化は、国家の盾。宮廷の庭園を整えるよりも、優先されるべき実利のはずです」

 

「美しい庭園や詩会こそが、我が国の精神の防壁」

 

 エスタリンドは平然と微笑み、冷ややかな視線で一蹴してみせた。

 

「鉄の艦を並べるだけで満足するのは、それこそキャメロットのような人間の国がすることではなくて?」

 

 彼女はハンカチでそっと唇を拭い、楽しげに口元を歪めた。

 

 完璧な食事会の上で、二人の白エルフの対立が完全に浮き彫りになる。

 

 私はその様子を、まるで極上の舞台を鑑賞する観客のように均等に視線で愛でながら、心の中で冷酷な笑みを浮かべていた。

 

(なるほど。エルフィンドの財政は破綻などしていない。むしろ有り余る富がある。だからこそ、文官どもは危機感を持たず、庭園や詩会といった虚飾に金を流し込み、海軍の足元を縛り付けている。……二十年前から何も変わっていない。致命的だな。これでは、その潤沢な富ごと一気に焼き尽くされることになる)

 

 内面の猟犬が、彼女たちの豊かな肉食文化の裏にある「平和ボケ」という最大の脆弱性を、冷徹に嚙み締めていた。

 

 やがて、最後の皿が運ばれてくる。

 

 冷やされたガラスの器に盛られた純白のパルフェ、そして瑞々しい深紅の野イチゴ。その横には、繊細な金箔があしらわれた[[rb:小さな焼き菓子 > ミニャルディーズ]]が並んでいる。

 

 「お口直しに、我が国の森の恵を。タリンナリー大佐」

 

 エスタリンドが、勝利を確信した貴婦人のような笑みでデザートを勧めてくる。

 

「ありがとうございます、書記官殿。今日のこの素晴らしいもてなしは、私の短い一生の中でも、決して色褪せることのない特別な記憶となるでしょう」

 

 私は完璧な嘉国紳士の微笑みを浮かべ、冷たいパルフェを口に運んだ。バニラの甘味と野イチゴの鮮烈な酸味が、肉料理の濃厚な余韻を優しく洗い流していく。

 

 窓外では列車が速度を上げ、鉄橋を次々に渡っていた。右手にヴィンヤマル半島を望み、手前の街道を馬車や人々が行き交うのが見える。

 

 反対側にはファスリン峠の急峻な山がそびえ、列車はその狭間の鉄路を、どこまでも瑠璃色に輝くネヴラス湾を見下ろしながら突き進んでいた。

 

「なんと、美味しいのでしょう……」

 

 私から短く感嘆の声が漏れた。

 

「お気に召して頂けましたか?」

 

 エスタリンドは隣のアルヴェーン大尉に、勝ち誇ったような視線を向けた。

 

「ええ、ですが、残念です。この量では『奥歯が寂しい』ですね」

 

 その瞬間だった。

 

「えっ……」

 

 小さく声を漏らしたエスタリンドの表情が一変した。持っていた銀のデザートスプーンが、カタカタと音を立ててリネンへと落ちる。

 

「――い、いま、なんと……」

 

 かすれそうな声で彼女が呟く。さきほどまで車内を満たしていた甘美な優越感は完全に霧散し、エスタリンドは激しい拒絶を示すように、取り乱したまま窓外へと顔を背けた。

 

 列車の重々しい駆動音だけが、沈黙した車内に響く。

 

「エスタリンド殿、どうかなさいましたか?」

 

 アルヴェーン大尉が、疑念を浮かべて身を乗り出した。彼女の薄青(アイスブルー)の瞳が不審そうに揺れる。

 

「大佐。その言葉は……一体?」

 

 隣のプレストン書記官も、何が起きたのかつかみかねるという顔で、声をひそめて私に尋ねてくる。車内の給仕の白エルフの乙女たちまでもが、息を詰めて硬直していた。

 

「我が伯爵家の、少し古い独自の言い回しでしてね」

 

 私は至極無造作に、小首を傾けてみせた。完璧な仮面の微笑みを保ったまま、彼女たちの動揺の深さを網膜に焼き付ける。

 

「何かおかしいですか?」

 

「……いいえ」

 

 老外交官はそっけなく答え、私とエスタリンドを交互に見つめた。

 

 数秒の息詰まる沈黙。

 

 エスタリンドはハッと我に返ったように微かに息を呑み、強く瞬きをした。

 

「失礼いたしました、タリンナリー大佐」

 

 彼女の声は、すでに平時と変わらぬ冷徹さを取り戻しつつあった。落ちたスプーンには目もくれず、背筋をピンと伸ばす。

 

「ただの……そう、少し、古い知人の悪癖を思い出しただけですわ」

 

 むき出しになった動揺を、宮廷文官としての凄まじいまでの自尊心で力ずくで圧殺し、彼女はすっと完璧な人形の仮面を顔に貼り付け直してみせた。

 

震える指先を隠すように、彼女はあえて過剰なまでに優雅に、ダージリンのカップを口元へと運ぶ。

 

見事なまでの気を取り直し方だった。

 

(古い知人の、悪癖……?)

 

「耳慣れない言葉ですな……」

 

 プレストンはなおも訝しげに白エルフの女たちを見つめ、それから私へと意味深な視線を戻した。車内の空気が、目に見えぬひび割れを孕んでいく。

 

「……お茶の用意を」

 

 エスタリンドは客室乗務員(アテンダント)に無言の合図を送り、汚れたスプーンを素早く下げさせた。そして、何事もなかったかのように、極めて優雅に冷涼な笑みを私に向ける。

 

「大佐、食後のお飲み物はどうなさいますか?我が外務省秘蔵の古酒もございますが、やはり御国の紅茶にいたしますか?」

 

「お心遣いに感謝します、書記官殿。では、我が故郷の紅茶をいただきましょう」

 

 私は何事もなかったかのように微笑み、彼女の完璧な仕切り直しに応じた。

 

 温かなダージリンの香りが車内に満ちていく。

 

 表向きは再び優雅な社交の場へと戻った特別車(サロンカー)

 

 エスタリンドの白い指先が、膝の上で書類入れの革をギチリと、狂おしいほど強く引っ搔いているのを除けば――。

 

 だが、この時の私はまだ知る由もなかった。

 

 私の放ったこの何気ない一言こそが、気高いエルフの仮面の下にある、国家をも揺るがす決定的な秘密を引きずり出す最初の引き金となるのだということを。

 




あとがき(2)

さて、何を語りましょうか。

本作『白鳥の国にて ~駐エルフィンド公使館付海軍武官の回想~』は、本来であれば装甲艦「白鳥:リョースタ」にタリンナリー大佐が乗り込んだ場面――つまり、キーファ岬沖海戦でエレオノーラ少佐(エリー)と二十年間の恋に決着をつけるシーンから始まる予定でした。

ですが、それでは「彼がどのような経緯を経て装甲艦に乗り込むに至ったのか」が伝わらないと思い直し、まずは彼が入国した場面から物語を起こすことにしました。

そうして描き始めた<入国編>ですが、30話を重ねてようやくひと区切りがつきそうです。

ここからも物語はさらに加速していきます。引き続き、応援のほどよろしくお願いいたします!
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