白鳥の国にて ~駐エルフィンド公使館付海軍武官の回想~ 作:ポオツマス亭
重々しい、深い海を思わせる帳が引かれた海軍最高司令官室。
そこは日中であるにもかかわらず、薄暗い沈黙に支配されていた。
窓の外から、冷たい霧を震わせて響いてくるのは、先代女王の崩御を告げる葬送の鐘だ。
重く、断続的なその音が、部屋の空気を一段と重苦しい色に塗りつぶしていく。
海軍省次官、ヴァロワール中将は、細い眼鏡の奥の鋭い双眸で、窓の前に立つ最高司令官の背中を凝視していた。
ヴァロワールは左腕に喪章を付け、白手袋の中で爪が食い込み、血がにじむほど拳を強く握りしめていた。
「閣下……」
絞り出すような声が、静寂を微かに揺らした。
「宮廷医の報告書を読みました。あんなデタラメが公に通用するなど、あまりにも……!」
ファラサール大将は応じない。窓の外の、灰色に濁った空を見つめたまま、岩のように微動だにしなかった。
「近侍部長だって、長年陛下に尽くしてきた忠臣です」
その声が、行き場のない怒りで微かに震えた。
「それを、発見が遅れたなどという見え透いた言いがかりで即刻処刑するなど、どう考えても――」
「……何も言うな」
遮る声は、地の底から響くように低かった。
「何も、だ」
凍り付くほどに冷徹な拒絶。しかし、彼女にはわかった。
制止を口にした最高司令官の誇り高き背中が、いまや怒りと屈辱の奔流に耐えかねて微かに震えているのを、彼女ははっきりと見て取った。
「しかし、閣下!陛下が最後に遺そうとされた『海への活路』は、これで完全に潰れます!」
ファラサールの肩が、ぴくりと動いた。ヴァロワールは堰を切ったように言葉を重ねる。
「海軍大臣が政府首班に指名される話も、閣下が最高司令官を兼任して侍従武官長として陛下を支えるはずだった人事も、全ては水泡に帰しました……!」
一拍の、重苦しい沈黙が部屋を支配する。
ヴァロワールの瞳に、細い眼鏡の奥の瞳に無念の光が滲む。
「せっかく、キャメロットの『
唇を嚙み締め、拳を震わせる。
「ここからなのに……!」
感情の昂ぶりに任せ、次官は叫び声を上げた。
「宮廷も、政府も、あの頑迷な陸軍どもも、また古臭い考えの下に予算を注ぎ込む気です!」
「……」
「我々海軍は、ただの飾りに逆戻りです!海に浮かぶ鉄くず扱いか!おのれ……!女王陛下を葬った者たちめ!」
その呪詛が響き渡った瞬間、ファラサール大将がゆっくりと振り返った。
漆黒の瞳には、次官をその場に縫い付けるほどの鋭い殺気と、同時に底の知れない、深い悲しみが宿っていた。
「……それ以上口を開けば、次はお前の番だ、次官」
低く、しかし有無を言わせぬ重圧。ヴァロワールの息が、ぴたりと止まる。
「証拠などない」
ファラサールは静かに、しかし冷酷な現実を告げる。
「証人も、今朝全て消された。我々が今すべきことは、正義を叫んで犬死にすることではない」
ヴァロワールは悔しげに顔を歪め、言葉を失う。
「……この、
大将は視線をヴァロワールから外し、再び窓の外の灰色の街並みへと目を戻した。
その横顔は、すでに感情を排した冷徹な軍人のそれに戻っている。
「我々には、もう……あのお方はおられないのだからな……」
ファラサール大将は、白手袋に包まれた手で窓枠を軋むほどに掴んだ。
まるで、自分自身の魂に言い聞かせるように。
「牙を、研ぐのだ、ヴァロワール。そして、キャメロットの『
「閣下……」
「……海だけは、我らを裏切らん」
冷たい葬送の鐘の音が、エルフィンド海軍の『沈黙の抗議』を覆い隠すように、いつまでも鳴り響いていた。
あとがき(4)
エルフィンド海軍について
原作ではあまり目立った活躍の機会がありませんでしたが、私なりに整理・考察したエルフィンド海軍の特徴につきまして、本項でまとめさせていただきます。
【組織および運用の特徴】
◎主敵の明確化と兵力の集結
開戦前、オルクセン海軍はエルフィンド海軍を「全滅をも覚悟すべき強敵」と認識していました。その最大の特徴として、エルフィンドはベレリアント半島東南部の要港ファルマリアに全兵力を集結させていました。これは、彼らが仮想敵を完全にオルクセン海軍一局に絞っていたことの証左でもあります。
◎海外依存による兵力整備
作中(原作および「白鳥の国にて」)でも度々言及しております通り、エルフィンドは自国における近代的な造船能力や火砲の製造能力に乏しく、主力艦艇や艦砲をはじめとする海上兵力のすべてを、人間族の強国キャメロットからの輸入に依存していました。近代海軍の発足初期としては一般的な姿ではありますが、かつての大日本帝国海軍が辿った歴史と同様、近代海軍の整備・維持には莫大な費用と長期的計画、そして専門人材が不可欠となります。
◎教育体系の未発達
原作の描写にもある通り、エルフィンド海軍には独立した海軍士官学校が存在せず、艦上での実務教育に頼る旧態的な育成体制にとどまっていました。近代化以前であれば機能した手法ですが、高度な計算能力や技術が求められる近代海軍において、体系的な教育体系の欠如は決定的な弱点であったと言わざるを得ません。
◎燃料・兵站の課題と低い稼働率
エルフィンド国内では良質な石炭が産出されず、上質な無煙炭(キャメロット製)をはじめとする燃料の補給を外部に依存していたため、開戦後は瞬く間に燃料不足に陥り、戦力の分断を余儀なくされました。
そのため、石炭を必要としない帆船などは活発に運用されていたものの、キャメロットから購入した装甲艦や装甲巡洋艦といった主要艦艇の運用効率は著しく低い状態にありました。平時における稼働率の低さから、乗員の練度もオルクセン海軍の想定を大きく下回る状態であったと考えられます。
【沈黙の抗議】
エルフィンド海軍は、その組織の規範を(キャメロット=)イギリス海軍に求めていました。これは、かつての史実において大日本帝国海軍が英国海軍を手本とし、その紳士的な「貴族趣味」や立ち振る舞いを模倣しようとした姿と深く重なります。
しかし、本来そうしたイギリス貴族階級の土壌を持たない組織が、表面的なスタイルや嗜好だけを模倣したところで、その根底にある精神までも完全に移植することはできません。史実における日本海軍もまた、形式的な英国風の装飾を纏いながらも、内実は硬直化した日本式の官僚組織へと変貌を遂げ、私たちが知るあの悲劇的な最後を迎えることとなりました。
いち歴史の観察者として、私自身その末路にはあまりにも切なく、報われない悲しみを禁じ得ません。しかし、だからこそ――構造的な必然として、エルフィンド海軍もまた同じ宿命を辿ってしまうのです。
彼らが掲げる「沈黙の抗議」という態度は、たしかにイギリス的な様式美としては正しく、一見すると気高さを感じさせるかもしれません。ですが、自国の文化的な根底を欠いたまま、形だけを真似たところで一体何が残るのでしょうか。『オルクセン王国史』という作品に触れ、歴史の足跡を紐解く中で、私はその模倣の虚しさと限界を強く感じずにはいられませんでした。
それぞれの国や組織には、長年培われてきた固有の歴史と伝統が存在します。他国のスタイルをうわべだけ追うのではなく、自らの足元にある歴史と伝統をこそ真に尊び、大切にしてほしい――エルフィンド海軍の辿る不条理を描く背景には、そうした私の切なる想いが込められています。
【おわりに】
もっとも、これらの事態は決してエルフィンド海軍だけの責任や過失によるものではありません。二次創作でありますが、そのあたりの詳しい背景につきましては、追って「白鳥の国にて」で作品の中で書いていきたいと考えております。
そして――なぜ私という筆者が、これほどまでに「海軍」という存在を物語の重要かつ不可欠な主軸に据えているのか。その真意や秘めた想いにつきましても、今後の物語の展開を通じて、自ずと深く感じ取っていただけるのではないかと存じます。
アーサーとトゥイリン・ファラサール海軍大将による会見の場面を、ぜひ楽しみにお待ちいただけますと幸いです。
我が王万歳。