白鳥の国にて ~駐エルフィンド公使館付海軍武官の回想~   作:ポオツマス亭

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――君に会うために。 A・R・タリンナリー


星暦八七五年九月Ⅱ 本編《入国審査所》

 

 入国審査所の重い樫の扉を押し開けると、ファルマリアの容赦のない秋の潮風が、再び私の黒い軍用外套を激しく煽った。

 

 灰白色の大理石の神殿めいた静寂とは対照的に、一歩外へ踏み出せば、そこは大帝国の汽船がもたらした熱気と、エルフィンド軍港特有の極限まで統制された、白エルフたちの喧騒に満ちていた。

 

 石畳の路面には、磨き上げられた高級馬車の車輪が立てる硬い音が響き渡り、遠くからは、これも祖国が作った巨大な蒸気クレーンが軋む金属音が風に乗って聞こえてくる。

 

 その車寄せの特等席に、私の到着を待ち受ける一団があった。

 

「――ようこそおいでくださいました、タリンナリー大佐。いや、今は『アヴォンデール子爵』閣下とお呼びすべきかな」

 

 洗練された、だが多分に外交的な含みを持たせた声とともに、真っ先に駆け寄ってきたのは、ヘンリー・プレストン一等書記官だ。

 

 彼は首都ティリアンの公使館からわざわざ足を運んでくれた我が国の外交官で、いささかの乱れもないフロックコートを着こなし、シルクハットのつばの陰から老獪な光を覗かせている。

 

 大国の外交を裏で回す中堅特有のその鋭い眼光には、見知った本国の同胞と合流できた安堵と、外交官らしい皮肉が宿っていた。

 

 その斜め後ろには、質の良いツイードの上着を着た小柄な男が控えている。

 

 在ファルマリア領事、チャールズ・エンジャートン。潮風と北国の烈日に灼かれたその顔は、彼がこの荒々しい軍港都市の通商、そして何より「諜報」の末端を長年支えてきた現実主義者であることを無言のうちに雄弁に物語っていた。

 

「お疲れ様でございます、大佐。お荷物はすべて手配いたしました」

 

 背後から影のように進み出て、完璧な挙手の敬礼を捧げたのは、私の専属従卒であるベイツ曹長だ。幾多の戦地を共にしてきたベテラン下士官の、幾多の修羅場をくぐってきた屈強な顔とキャメロット海軍伝統の厳格な軍紀は、この異質なエルフの国にあって、私に絶対的な安心感を与えてくれた。

 

 彼の背後では、アヴァロン・マリーン・ラインのポーターたちが、私の膨大な数の軍服や礼装が詰まった巨大なトランク群をうやうやしく馬車の荷台へと積み込み始めている。

 

 「お出迎えに感謝いたします、プレストン書記官、エンジャートン領事。女王陛下の信任状を携え、これより着任いたします」

 

 私は軍帽の目庇に軽く指をかけ、大国の大佐として、そして、名門貴族の跡取りとしての完璧な角度で社交辞令を返した。彼らとの握手の手応えは、懐かしい祖国の冷徹な平穏そのものだった。

 

「プレストン書記官殿。ティリアンの公使閣下はご健勝か?」

 

「はっ。武官殿の着任を、首を長くしてお待ちです。馬車で駅まで移動し、そこから特別車両に乗り込むてはずになっています」

 

 プレストンは事務的な笑みを浮かべ、それから、自らの背後に佇む『エルフィンド側の役人たち』へと視線を流し、声を一段落とした。

 

「……ですが大佐、まずは、我々の傲慢なホストへのご挨拶が先決のようですな」

 

 そこに停められていたのは、白銀樹を象徴する紋章が銀色に輝く、豪華な黒塗りの馬車。そして、その傍らに、彫刻のように直立不動で佇む二人の白エルフの姿があった。一人は海軍大尉。もう一人は、おそらく外務省の役人だろう。

 

 「ようこそ、ファルマリアへ、タリンナリー大佐。海軍最高司令官ファラサール大将のご命により、大帝国の栄光ある武官殿が道中、我が国の美しき鉄路で迷子になられぬよう、出迎えと案内を仰せつかっております」

 

 一歩前に出て、見事な所作で敬礼を捧げた彼女の袖には、金色に輝く二本のモールを配した――エルフィンド海軍のシトリン・アルヴェーン大尉である。

 

 ファラサール大将の息がかかった有能な海軍最高司令部附 連絡将校(リエゾン・オフィサー)。彼女の薄青(アイスブルー)の瞳には、先ほどのルチア少尉のような剥きだしの敵意はない。だが、それは親愛などでは決してなかった。

 

 彼女は、私の父である伯爵がこの国にもたらした巨大な恩恵――あの錨地に浮かぶ一等装甲艦(リョースタとスヴァルタ)の価値を、軍人として打算的に理解しているだけだ。

 

 エルフにとって極めて都合のよい『上客の息子』に対する、値踏みと品定め。洗練された慇懃さの衣の下には、やはり人間を『便利な道具』として見下す、白エルフ特有の冷徹な優越感が、確固たる枠組みとして存在していた。

 

 彼女の纏う通常礼装は、他でもない、かつて我が祖国キャメロットが排他的な彼女たちのために輸出し、この国で定着した黒を基調とする海軍の軍服だった。

 

 二列に並んだ真鍮の六ボタン、胸元を重厚に覆うウールの重み、腰に佩いた細身の儀礼剣。

 

(……やはり、どうしても奇妙な違和感を禁じ得ないな)

 

 私は内心で息を漏らした。本国キャメロットにおいて、軍服を纏い、公の場で儀礼剣を執る女性など一人も存在しない。

 

 人間族の社会では男の特権であるはずの苛烈な軍装を、陶器のような白い肌と、風になびく白金の髪を持つ美しきエルフの女が完璧に着こなしている。その倒錯的な光景は、二十年が経った今でも、私の内面のどこかを狂わせるような錯覚を呼び起こす。

 

 私は彼女に向けて、洗練された、一分の隙もない海軍式の敬礼を捧げた。

 

「歓迎に感謝する、アルヴェーン大尉。これよりティリアンに到着するまで、貴官の優秀な頭脳と手腕を頼りにさせてもらうよ」

 

 私の、大佐としての余裕を含んだ言葉に、彼女は軍人らしく微かに口元を綻ばせた。

 

「……歓迎いたします。タリンナリー大佐。首都ティリアンまでの道中、貴方の手足となりましょう」

 

 しかし、その隣で、長くとがった耳を不快気に震わせているもう一人の女性は、その程度の薄衣で傲慢さを隠すことすら不愉快であるかのような、敵意を全身から漂わせていた。

 

「エルフィンド外務省儀典局 二等書記官 兼 宮廷付儀典官、ヴァレリア・エスタリンドです」

 

 氷の結晶をかみ砕いたような硬い声だった。丁寧な仕立てだが、軍人のような実用性を排した、宮廷官僚特有の仰々しい上衣。彼女はアーサーの胸に飾られた勲章を一瞥すると、すぐに興味を失ったように視線をそらし、手元の日程表へと落とした。

 

「タリンナリー大佐。貴方が偉大なる伯爵閣下の御子息であり、かつてこの地に滞在されていたことは、我が省の記録にもございます。……ですが、現在の貴方の身分は、キャメロットの『駐在武官(スパイ)』。すなわち、我が国の軍事機密に合法的に触れる特権を認められた、警戒すべき異邦人です。首都ティリアンへ至る鉄路、および宮廷での滞在期間中、我が国の教義と秩序を乱さぬよう、貴方の短い一生に免じて、あらかじめ忠告して差し上げます」

 

 挨拶の代わりに突きつけられたのは、外務省官僚としての冷徹な釘刺しと、白エルフ共通の「短命種」への蔑視だった。彼女にとって、人間の武官など、美しき我が国を覗き見にきた合法的なスパイであり、監視の対象でしかないのだ。

 

 プレストン書記官が眉をひそめ、エンジャートン領事が不快気に口元を引き締めるのが分かった。キャメロットの外交官たちにとっても、エルフたちのこの鼻持ちならない態度は、日常的な頭痛の種なのだろう。

 

 だが、私は、私を値踏みするエスタリンドの冷ややかな視線を真っ向から受け止めると、軍帽の目庇に軽く指をかけ、これ以上ないほど洗練された微笑を浮かべた。

 

 「ご丁寧な歓迎、恐悦至極に存じます、エスタリンド二等書記官。我が祖国の格言には『よき隣人は、よき垣根を作る』というものがありましてね。私もまた、女王陛下の武官として、両国の美しい垣根を保つために、この『短い一生』を最大限活用する所存です。……さあ、アルヴェーン大尉。ファラサール大将閣下がお待ちの首都へ、案内を頼もうか」

 

 私の大人の余裕を崩さない返答に、エスタリンドはわずかに不満げに眉を寄せ、アルヴェーン大尉は軍人らしく、微かに口元を綻ばせた。

 

 視線をそらして見上げるファルマリアの空は瑠璃色に澄み渡り、エルフィンド海軍の誇る白銀艦隊(シルバーフリート)――装甲艦白鳥(リョースタ)は姉妹艦黒鳥(スヴァルタ)と共に、未だ美しく海に浮かんでいる。

 

 (エリー……)

 

 白エルフたちは変わらず傲慢な平和の微睡の中にいる。しかし、我が祖国の「目」と「耳」は、すでにこの楽園の底で不気味に広がりつつある致命的な破滅の影が――首都ティリアンを、そしてこの軍港都市を静かに包み込み始めている。

 

 エルフィンドの紋章が刻まれた高級馬車の扉が、エルフの御者の不機嫌な視線など歯牙にもかけないベイツ曹長の手によって、慇懃に開かれる。

 

「さあ、子爵閣下よ。馬車へお急ぎください。――エルフの御者は、どうやら我々ほど気が長くないようです」

 

 プレストン書記官が、何事もなかったかのように微笑みながら、馬車への乗車を促す。

 

「ええ、分かっています」

 

(さあ、行こうか……(エリー)に会うために)

 

 促された私は外套を翻し、大帝国の武官としての格式と威厳を石畳に残しながら、その豪華な座席へと滑り込んだ。革の座席に深く腰掛け、車輪が石畳を叩き始める音を聞きながら、私は胸のポケットにある外交文書の手触りを確認した。

 

 この美しきエルフの国が、内側からどのように腐り、どのように破滅の引き金を引こうとしているのか。その真実の断片が、首都へ至る鉄路の向こうで私を嘲笑いながら待っている。

 

 馬車がファルマリア駅へと向けて加速する中、私の神経は、かつてないほど冷酷に研ぎ澄まされていった。

 

 





※こちらの作品はpixivからの転送です。

※公開はpixivのほうが先です。

https://www.pixiv.net/users/126761990
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