白鳥の国にて ~駐エルフィンド公使館付海軍武官の回想~ 作:ポオツマス亭
エルフィンド外務省の紋章が刻まれた黒塗りの馬車は、ファルマリアの鋭い潮風を遮るように重厚な扉を閉ざし、石畳の路面を滑らかに走り出した。
特注の
座席の配置は、極めて厳格な
進行方向に向いた上座の右側――すなわち最も格の高い席に、キャメロット連合王国の駐在武官であり名門伯爵家嫡男、儀礼称号としてアヴォンデール子爵である私、アーサー・R・タリンナリー海軍大佐。その左手には、公使館を代表する案内役のヘンリー・プレストン一等書記官。
そして、私たちを迎え撃つように対面の下座へ座ったのが、二人の
私の正面、下座右側には海軍の
実用的な軍服を着こなす海軍士官の
私は軍帽を脱ぎ、膝の上で手袋を外しつつ、窓の外へと視線を向けた。
馬車がファルマリアの軍港を出るために、一度警衛の門前で止まった。回り込んできたエルフィンド海兵隊の女兵士に対してアルヴェーン大尉が声を張った。
「公用だ!」
窓外の女兵士は、よく訓練されたいい目をしていた。彼女は二本指の敬礼をピシりと捧げ、動き出した馬車を見送った。
エルフィンドにはファラサール大将の主導により、海軍の近代化と並行してキャメロット式の
かつて、父伯爵が特使として滞在した時に、屋敷の警衛隊長を務めていた海軍大尉マリンカ・エスタリシアが、今や新設された海兵隊の本部長で海兵連隊二等少将の座にあることは、今回の赴任前に資料で目を通している。
……当時のマリンカは、ファラッサール大将が進める将来の装甲艦導入を見据えて新設されるファルマリア港湾警備隊(海兵隊の前身組織)の隊長候補で、幼い私に銃の構え方や、剣術を教えてくれたり、時には私を肩車してファルマリアの防波堤を走り回っていたものだ。
異国の高貴な子供である私をひどく甘やかし、おもちゃのように可愛がってくれた数少ない理解者の一人だった。
今や海兵隊のトップとなった彼女にもいずれ再会できるだろうか、と私は胸中で思いを馳せる。だが果たして、今の私を見たら、あの女傑は何と笑うだろうか。
エリーが「高貴な女性の光」なら、マリンカは「強者の戦士の光」だった。彼女は私の幼い頃の隠し事やエリーへの淡い恋心すらも「青二才めッ」と豪快に笑い飛ばして見守ってくれた、戦友のような数少ない理解者の一人である。
馬車が海沿いの大通りを進むにつれ、港外の錨地が車窓を通り過ぎていく。
私の左隣に座るプレストンの肩越しに目を向ければ、並み居る艦艇の中で、やはりあの二隻――白大理石の街並みを背景に浮かぶ
一等装甲艦
まだ見ぬ巨艦の受け入れ幹部候補として、ファルマリアの港の岸壁や練習船の上で私の小さな指を握り、海の風の読み方を教えてくれた。
私が生涯を懸けて恋焦がれ続け、そして「人間はすぐに心変わりする」と笑ってあしらわれた、エレオノーラ・メルリンド少佐――私のお姉さん……。
「――お父上が我が国に導入を促した装甲艦が、気になりますかな?」
ふいに、アルヴェーン大尉の静寂を破る爽やかな声が車内に響いた。
その言葉に、隣のエスタリンドが不快そうに微かに口元を歪めたのを私は見逃さなかった。外務省の彼女にしてみれば、海軍がキャメロット製の兵器を誇る図式そのものが面白くないのだろう。
だが、正面に座るアルヴェーン大尉が、私の視線の先を追い、少しだけ得意げに口元を綻ばせていた。彼女の[[rb:薄青 > アイスブルー]]の瞳には、キャメロットの上客に対する洗練された親愛の情と、大国の技術の結晶を自国の誇りとして所有しているという、エルフ特有の優越感が浮かんでいる。
「偉大なるタリンナリー伯爵閣下が、我が国と女王陛下の政府の間に立ってご尽力くださった、エルフィンド海軍の至宝です。あの
その言葉に、私は内心で微かに息を吐いた。
幸いなことに――いや、極めて都合の良いことに、この優秀な
あそこに乗っている
彼女たち
二十年前、伯爵の付き添いで来ていた人間の子供が、あの艦の
「ええ、大尉。おっしゃる通りです」
私は完璧なポーカーフェイスで口元に笑い皺を浮かべ、
「二十年前、私が父の背中に隠れて見ていたのは、まだ紙の上の青写真と、途方もない予算交渉の応酬にすぎませんでしたからね。当時はまだ影も形もなかった巨艦が、それから十年の歳月を経て[[rb:故郷 > キャメロット]]の造船所でようやく起工され、そして五年前、ついにこの国へ引き渡された。今、この美しい瑠璃色の海でこれほど見事な実体となって浮かんでいる。一人の海軍士官としても、父を持つ息子としても、深い感慨を覚えずにはいられません」
私の言葉に、アルヴェーン大尉は「素晴らしい記憶力ですな」と満足げに頷いた。彼女たちにとって、キャメロットは最高の技術を供給してくれる『便利な都合のよい財布』なのだ。
しかし、隣のヴァレリア・エスタリンド二等書記官は、形の良い鼻を小さく鳴らし、冷ややかな声を挟んできた。
「紙の上の夢を買い取り、それを無敵の盾へと育てたのは、我が国の白銀樹の英知と予算ですがね、武官殿。……お父上の残された古い青写真が、現在の我が国の国防にどれほど『貢献』しているか、滞在期間中……短命な貴方のその脳髄に、しかと刻まれるとよろしい」
短命種の過去の遺物だと切り捨てるような傲慢な釘刺し。
ああ、それでいい――どこまでも傲慢なままでいてくれ、美しいお嬢さん方。
エスタリンド二等書記官が爪の先で、手元の革張りドキュメントケースを無造作に叩く。
「我々エルフィンドの民は、永遠の調和と美を愛する種族です。あなた方のように、煤煙で空を汚し、何でも使い捨てにする短命種は違う。一度迎え入れた艦は、完璧な美しさのまま永遠に保たれる。それは我が国の教義の正しさを証明するものであります」
「なるほど、それは素晴らしい」
今度は、私の隣に座るプレストン一等書記官が、シルクハットのつばを指で押し上げながら、老獪な含み笑いを漏らした。
「我が国の造船所の技師たちが聞けば、感涙にむせぶでしょうな、エスタリンド書記官」
彼は正面のヴァレリアを強く見つめ、その視線に容赦のない外交官の笑みを湛えながら言葉を継いだ。
「何せ、鋼鉄と蒸気の塊である現代の装甲艦を『永遠に保つ』ためには、艦底の掃除ですとか、途方もない部品の交換とか、常に進化し続ける砲術・機関の近代化改修が不可欠ですが……エルフィンドの美しき教義は、そうした金属の疲労さえも『調和』させてしまうのでしょうね。我が国からの予備部品の発注がここ数年、実に落ち着いている理由がよく分かりましたよ」
「ご心配なく、プレストン書記官。
「ええ、楽しみにしていますよ、大尉」
私は微笑み返し、窓の外で遠ざかっていく
(最高峰の乗組員、か。……そうだろうね、あそこには、我がキャメロット海軍が誇る海事技術を、そして、私の魂まで奪っていった、最高の『
大尉の言う「完璧な維持」という言葉が、虚飾と慢心の裏返しであることを、私はすでに港での一瞥で見抜いていた。
彼女らは戦争の進化が止まった時間の中でしか捉えられていない。
隣国オルクセンの豚頭と蔑まれるオーク族を含む魔人種たちが、鉄と汗にまみれながらも新型の炸薬や長砲身の開発に血眼になっている噂が届いている。エルフたちは甲板を塵一つなく掃き清め、純白の塗料で装飾することに腐心している。
だが、その愚かで傲慢な美しさが――私はどうしようもなく好きだった。
愚かであればあるほど、崩壊が近ければ近いほど、あの
たとえ、それが成就できずに失敗し、ともに破滅へ至ることになろうとも、私にとっては同じことだった。
馬車は四人を乗せて一路ファルマリア駅にひた走っていた。
――欲望と傲慢を乗せて……。
(続)