白鳥の国にて ~駐エルフィンド公使館付海軍武官の回想~   作:ポオツマス亭

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――ディネルース様? どうかされましたか? A・アーレント 


星暦八七五年九月Ⅴ 幕間《大通りの日陰で》

 

 白大理石に秋の陽光が照り返し、街全体が不自然なほど眩しく輝くファルマリアの大通り。

 

 その華やかな賑わいから弾きだされるように、路地の影、大通りの脇を歩く一際異質な一団があった。

 

 それは、美しい褐色の肌に、陽光を鈍く吸い込む栗色の髪をした黒エルフ(デック・アールブ)

 

 白エルフ(アールブ)による黒エルフ(デック・アールブ)への過酷な排斥は、中央や北部ではすでに始まっているが、南部の貿易港であるここファルマリアには、まだ公的な弾圧の嵐までは及んでいない。

 

 だが、それでも白エルフ(アールブ)たちの彼らに対する視線は、日を追うごとに冷たさを増していた。その刺すような侮蔑の中を、シルヴァン川流域で静かに身を寄せ合って暮らしている黒エルフ(デック・アールブ)の民。

 

 ――この一氏族を率いるのが、長のディネルース・アンダリエルである。

 

 彼女は真っ赤な、しかし泥汚れ一つない外套のフードを深く被り、久しぶりに街に出てきて買い出しの荷物を抱えた同胞の女たちの先頭を歩いていた。

 

 すれ違う白エルフ(アールブ)の女たちが、露骨に嫌悪の目を向け、精緻な衣装の裾を引いて避けていく。

 

 その理不尽な侮蔑に、まだ若い同じ氏族のアウレリア・アーレントが悔し気に肩を震わせたが、ディネルースはただ静かに、その切れ長の琥珀色の瞳を路面の石畳へとむけさせた。

 

「気に病むな、リィル(アウレリアの愛称)。私たちは必要な物資を手に入れ、同胞の待つ森へ戻る。それだけが今日の仕事だ。」

 

「……はい、ディネルース様。ですが、あいつらのあの目は……ついこの間までは、ああではなかったのに」

 

「目など気にするな。曇った目で何を見ようと、私たちの価値は揺るがない」

 

 ディネルースの凛とした、しかし乾いた声が、氏族の少女たちの心を静かに落ち着かせる。

 

 その時、前方から規則正しい軽快な蹄の音が響き渡り、大通りを行き交う白エルフたちが、一斉に憧憬と敬意に満ちた眼差しで道を開けた。

 

 現れたのはエルフィンド外務省の紋章が誇らしげに金箔で描かれた、黒塗りの重厚な馬車だった。

 

 特注の懸架装置(サスペンション)によって、石畳を滑るように走るその車体は、この国の「美と調和」を体現したかのような優雅さだった。

 

「外務省の公用馬車ですね……。宮廷の青白い人形どもが、また何か贅沢な玩具でも運んでいるのかしら」

 

 リィルが不満げに吐き捨てる。

 

 しかし、ディネルースはその馬車が自分たちの目の前を通り過ぎる瞬間、外套のフードの奥で、わずかに眉根をひそめた。

 

(……いや、違う)

 

 馬車の窓ガラスの向こう。

 

 [白エルフ(アールブ)の傲慢な官僚たちと向かい合うように座っていたのは――短命種(にんげん)の男だった。

 

 キャメロット連合王国の、仕立ての良い深い濃紺の軍服。

 

 その海軍服の男――アーサー・R・タリンナリー大佐は、膝の上で白手袋を綺麗に揃え、完璧なポーカーフェイスで正面の白エルフ(アールブ)たちに微笑みかけていた。

 

 ほんの一瞬。

 

 馬車の速度が落ち、窓越しに、アーサーの冷徹で、全てを見透かすような灰緑(ヘーゼル)の瞳が、大通りの脇に佇む褐色のダークエルフの女たちを捉えた――ように見えた。

 

 男はただの感傷的な観光客ではない。

 

 その微笑みの裏にあるのは、エルフィンドの「美」を愛でる優雅な眼差しなどではなく、獲物の骨の太さまで測り知ろうとする、冷酷な獣のそれだった。

 

 馬車はそのまま、砂埃一つ立てずにファルマリア駅の方向へと滑り去っていった。

 

 「ディネルース様? どうかされましたか?」

 

 立ち止まった長を、リィルたちが不思議そうに見上げる。

 

 ディネルースは、遠ざかる馬車の軌跡を見つめたまま、外套の下で拳を静かに握りしめた。

 

 「キャメロットの軍人だ。それも、ただの飾りではない……本物の、血の匂いを知る海軍将校がこの国に入った」

 

 ティリアンの白エルフ(アールブ)たちは、自らの美と無敵の艦隊に酔いしれ、外の世界で「鉄と汗、そして硝煙」が歴史を動かしている現実から目を背け続けている。

 

 だが、今通り過ぎたあの人間の男は違う。

 

 あの男は、この美しいエルフィンドの仮面の裏にある「綻び」を、冷酷に、そして愉悦を交えながら剥ぎ取りにきたのだ。

 

 「あの白エルフども……自らを『高貴な支配者』と信じて疑わない哀れな人形たちが、あの男の掌の上でいつまで踊っていられるかしらね」

 

 ディネルースの薄い唇から、自嘲気味な、しかし極めて冷徹な言葉が零れ落ちる。

 

 それは誰に聞かせるでもない、乾いた独り言だった。

 

 すでに昨年、あのロザリンド会戦の上官であり、王家側近を務めていた同胞が『謀殺』され、それ以来、エルフィンドにおけるダークエルフの立場は、坂を転げ落ちるように悪化し続けている。

 

(こうして街に出るのも、今日が最後かもしれないわね……)

 

 様々な思考が巡るが、迷いを断ち切るようにして首を振った。

 

「行きましょう。おめでたい白エルフの女の国(エルフィンド)がいつまで保つかは知らないけれど、私たちには私たちの生きる道がある。……帰りましょう、故郷でヴァスリーたちが待ってるわ。買い忘れがないようにね」

 

 ダークエルフの氏族長は、もう一度だけ馬車が消えた先を鋭い目で見据えてから、身を翻した。

 

 白大理石の街が放つ欺瞞の輝きを拒絶するように、彼女たち(ダークエルフ)は日陰の路地へと、その確かな足取りで消えていった。

 

 

 

《作者注記》

※ヴァスリー:イアヴァスリル・アイナリンド。ダークエルフ族。ディネルースの隣の氏族長。ディネルースは彼女たち氏族の買い物も頼まれていた。

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