白鳥の国にて ~駐エルフィンド公使館付海軍武官の回想~ 作:ポオツマス亭
キャメロット製の蒸気機関車が吐き出した黒い煤煙と、足元を包む白い蒸気。
駅のプラットフォームを包んでいた白煙が、海風に流されてゆっくりと霧散していく。
銀のトレイに載せられた最高級ワインや、花の香を移した冷たい果実水などが次々と車両へと運びこまれている。
その一糸乱れぬ、しかし緊迫した動きを視界の隅で追いながら、海軍のシトリン・アルヴェーン大尉は、シニヨンにしてまとめている
彼女の
「……エスタリンド書記官」
アルヴェーン大尉は、隣に立つヴァレリア・エスタリンド二等書記官へと歩み寄った。
エルフィンドにおいて、剣を振るう軍人は「国の刃」として重用されるが、生命の根源たる白銀樹の伝統と文化を墨守する文官や宮廷貴族の地位は、それよりも遥かに高い。
名門氏族の出身であり、外務省儀典局の宮廷付儀典官を兼ねるエスタリンドは、軍の最高司令部附という肩書きを持つアルヴェーン大尉にとっても、明確に格上の存在だった。
「何ですか、アルヴェーン大尉。これから『高貴なる』キャメロットの客人たちを、我が国の鉄路でティリアンへ向かう道中で饗応せねばならないのです。あまり時間はなくてよ」
エスタリンドは、精緻な刺繍が施された宮廷衣裳の袖から、白大理石のような細い指先を覗かせ、香油の染み込んだハンカチで鼻元をそっと覆った。人間の機械がもたらす煤煙の臭いを、心底から忌避する仕草だった。
「アルヴェーン大尉、あなたも見たでしょう……信じがたいわ。あの[[rb:短命種 > にんげん]]たち、特にあの『伯爵家の嫡男』とかいう武官。何なの、あの日の打ちどころのない慇懃さは。まるで、我らの教義を理解しているかのような物言い……」
彼女は、塵を払うように細く白い指先で自分の袖口を叩く。
特別車の扉はすでに開かれていたが、エスタリンド書記官は、まるで汚物が付着しているかのような険しい表情で、その入り口を睨みつけていた。
「それにしても、何よ、この乗り物は……反吐が出ますわ。あのような『排泄を前提とした』装置が、我が国の誇る白銀の軌道を走る車両に組み込まれているなど」
エスタリンドは心底嫌そうな表情で車両の窓へと視線を向けた。彼女の精緻な宮廷衣裳の裾が、プラットフォームの塵を避けるように微かに持ち上げられている。
「あの中には、人間たちのための『トイレ』があるのでしょう?排泄という汚らわしい生理現象を、わざわざ車内に持ち込むなど……考えただけで吐き気がしますわ。なぜ、清廉な一族である私たち
アルヴェーン大尉は、大佐らに別れを告げて去っていく領事たちの背中を一瞥してから、冷ややかな視線を僚友へと向けた。彼女の顔には、文官特有の傲慢さに対する、軍人らしいわずかな苛立ちが混じっている。
「エスタリンド書記官、愚痴はそこまでに。あれは女王陛下の政府が許可した『異国の風習』だ。我々
「わかっています。それが我が外務省の役目ですから」
彼女たちは、これから
エルフィンドの高官や軍人は、通常であれば「浄化された別の車両」に乗るのが礼儀であるが、今回はキャメロットからの武官を「監視・誘導」するという極めて重要な公務のため、同乗が義務付けられていた。
「それに……大尉……」
エスタリンドは、小声で、周囲に控える世話係の白エルフたちに聞かれぬよう言葉をひそめた。
「あの人間の一等書記官……プレストンとかいう老人、先ほど我が国の予算の綻びについて、実に無礼な口をききましたね。まるで、我が国が部品を買う余裕さえないかのように」
アルヴェーン大尉の瞳から、親愛の熱が消え、冷酷な軍人の色が戻る。
「先月、キャメロットでのドック明けから回航されたばかりの装甲艦「
さきほど、ファルマリア港外に錨泊している「
「ですが……宮廷と貴方の外務省が、春の大詩会や庭園の整備への予算配分を優先したせいで、海軍には現在、スヴァルタを動かすための十分な外貨も、予備部品の購入予算も下りていない。プレストンのあの老獪な物言いは、我が国の『予算の英知』が枯渇し、二番艦の維持が凍結されている事実を、すでに数字で掴んでいるという警告ではないのだろうか?」
厳しい指摘だった。海軍がどれほど「無敵の盾」を誇ろうとも、それを維持するための予算を[[rb:宮廷 > 文官]]に削られているという身内の恥部を、キャメロット側に見破られているのではないかという恐怖。
「今の我が海軍に、あの人間の武官の目を欺くだけの『
だが、エスタリンドはハンカチをそっと引くと、傲慢なまでに美しい微笑をその面輪に湛えてみせた。
「……考えすぎですよ、大尉」
彼女は特別車の窓越しに、中で着々とキャメロットの要人に対する接待の準備を進める世話係たちを見据えた。
「
エスタリンドは冷ややかな笑いを浮かべ、特別車の扉にそっと触れた。その指先は、まるで腐った果実でも触るかのような忌避感に満ちている。
そう言って突っぱねたものの、彼女の白い爪が、再びドキュメントケースの革を微かに引っ掻いた。その脳裏にも、一瞬の不穏な疑念がよぎったのかもしれない。
(……いえ。あるいは、あの老紳士は本当に……)
アルヴェーン大尉の背筋にも、同時に冷ややかな戦慄が走っていた。
プレストンが投げかけてきた笑みは、単なる嫌がらせにしては、あまりにこちらの「急所」を正確に突きすぎていたからだ。
エルフィンド内部における海軍と文官の主導権争い。その綻びを、キャメロットは本国の発注データの減少という冷酷な数字から逆算しているのかもしれない。
しかし、彼女たちの白エルフとしてのプライドが、それを短命種の「冴えた洞察」として認めることを拒絶させていた。
「それよりも…」
エスタリンドは話題を切り替えるように、特別車の窓からアルヴェーン大尉へと視線を戻した。
「タリンナリー大佐のことです。あの方は……実に素晴らしい
その言葉には、先ほどまでの冷徹な外交官のトーンではなく、一人の高貴な白エルフとしての、至極満足げな響きが混じっていた。
「プレストンとかいう悪趣味な事務屋とは違い、大佐は我が国の美しさと、それを支える宮廷の理知を完璧に理解していらしたわ。『刃を支える鞘こそが、宮廷の理知』……。人間の分際で、これほど理に叶った賛辞を紡げる者がいるとは思いもしませんでした」
「ええ、全くです」
アルヴェーン大尉もまた、その言葉には深く同意するように頷いた。
「大佐はファラサール閣下の先見の明を、我が国の至宝を正しく称えてくれた。少年の頃に閣下に頭を撫でられた記憶を、今なお海軍士官としての誇りにしているなど……。やはり、あの『偉大なる』伯爵閣下の御令息……いや、子爵だ。キャメロットの中にも、我が国の調和を狂おしいほどに慕う、良識ある血統が残されていたということですな」
「はい、プレストンがどれほど数字を捏ね回そうとも、情報を握る海軍駐在武官であるタリンナリー大佐が我が国の信奉者であるならば、今後の交渉は我が外務省とあなたたち海軍最高司令部の思い通りに進むでしょう」
世話係の白エルフが「お支度が整いました」と小声で告げる。
エスタリンドはふっと、人形めいた美しい顔に甘美な優越感を蘇らせた。
「さあ、行きましょう、アルヴェーン大尉。汽笛が鳴ります。これからの鉄路の旅、あの愛らしいキャメロットの子爵を、我が国の至高の美ともてなしで、さらに深く[[rb:魅了 > おぼ]]れさせて差し上げなくては」
「御意に、書記官殿。あの
二人の白エルフは、人形のように端正な
ファラサール大将の期待を背負う武官と、伝統ある名門氏族出身の文官。自らの教義と傲慢という名の揺るぎない鎧をまとう二人のエルフは、鼻をつく油の匂いに表情を凍らせながら、これから始まる「
自分たちが、すでにキャメロットの二人の
甲高い発車を知らせる汽笛が、今度こそファルマリアの空に鳴り響いた。
(続)