白鳥の国にて ~駐エルフィンド公使館付海軍武官の回想~   作:ポオツマス亭

8 / 8
 ――首都ティリアンの本部へ、すぐに電信を。 小柄な白エルフの女 


星暦八七五年九月Ⅷ 幕間 《追跡者たち》

 

 甲高くて冷徹な汽笛、駅員が鳴らしている発車を告げる鐘の音が、ファルマリアの寒々しいプラットフォームに響き渡る。

 

 キャメロット製の蒸気機関車は、黒い煤煙と真っ白な蒸気を吐き出しながら、ゆっくりと、しかし確実にその重厚な巨体を前へと滑り出し始めた。

 

 最後尾に連結された、あの「トイレ」という汚濁の部屋を備えた、贅を尽くした特別車が、規則的な鉄音を響かせながら遠ざかっていく。

 

 見送りの人々が手を振るプラットフォームの喧騒。その中心から外れた、古びた石造りの高架を支える太い支柱の影。

 

 陽光の届かない冷たい暗がりに、二人の白エルフ(アールブ)の女が佇んでいた。

 

 彼女たちは、プラットフォームにいる一般人たちのような質素な服装でも、華美な宮廷衣裳をまとっているわけでも、濃紺の海軍服を誇らしげに着こなしているわけでもなかった。

 

 身にまとっているのは、煤煙の汚れや群衆の視線を吸い込むような、実用的な暗い色の旅マント。

 

 エルフィンド内務省の管轄下――人知れず国内の不穏分子や異国のスパイを、法の光の届かぬ暗闇で処理する『秘密警察』の追跡者たちだった。

 

「――出立したわね」

 

 小柄な方の白エルフ(アールブ)が、マントの隙間から細く白い指先を覗かせ、硬質な黒皮の手帳を開いた。その手帳のページには、万年筆の鋭い筆跡で、びっしりと文字が書き込まれている。

 

「被監視対象:アーサー・リチャード・タリンナリー。アヴァンデール子爵。王立海軍大佐。キャメロット連合王国国籍。十時十五分、ファルマリア港に上陸。歩行時の歩幅、均等。視線の配置、極めて警戒。十時二十分、プレストン一等書記官らと合流し、外務省の馬車へ乗車……」

 

 彼が嘉国(キャメロット)船籍の客船「アルガンティック」のタラップを降りたその瞬間から、彼女らの追跡は始まっていた。

 

「外務省の馬車の中までは、厳重すぎて尖り耳が届かないのが癪に障るわ」

 

 手帳をめくる微かな紙音が、列車の駆動音にかき消される。

 

「けど、降りてきたあの二人を見れば、中で何があったかは容易に想像がつくわね」

 

 長身で、冷徹な切れ長の瞳を持つもう一人の白エルフが、薄い唇の端を侮蔑的に歪めた。

 

「エスタリンド書記官はすっかり毒気をぬかれて、うっとりとした顔をしていたわ」

 

 彼女は冷たく鼻を鳴らし、煤煙を避けるように、マントのフードを深く被り直す。

 

「アルヴェーン大尉にいたっては、まるで黄金樹の恵みでも授かったかのような恍惚とした表情よ」

 

「笑わせるわね」

 

 手帳を持つ小柄な女が、万年筆の先で、特定の行をコンコンと叩いた。

 

「宮廷の温室で育った文官も、ファラサール大将の懐で甘やかされた海軍の小娘も、人間の『お坊ちゃん(お貴族様)』の甘いお世辞一つで、あれほど簡単に自尊心を蕩けさせてしまうなんて」

 

 彼女は万年筆を胸ポケットに差し込み、侮蔑に満ちた声を潜める。

 

「あの伯爵家の一族は、人間の国の中でも特に私たちの心を掌握することに長けている。……だが、それだけかしら?」

 

「何か、おかしな動きでも?」

 

 長身の女が問いかけると、小柄な女は視線を泳がせることなく答えた。

 

「プラットフォームでの、あの蒸気の煙幕。キャメロットの領事エンジャートンが駆け寄った一瞬の出来事」

 

 彼女は手帳から視線を上げ、去り行く列車の尾灯をじっと見つめた。

 

「……気づいていたのね」

 

 長身の女が、マントの下で静かに腕を組む。

 

「当然よ」

 

 小柄な女は手帳を閉じ、冷たい海風が吹き抜けるプラットフォームの先を睨んだ。

 

「蒸気が晴れた後、大佐の右の掌は不自然な厚みを持っていた。手袋越しであっても、何かを握り込んでいるのがはっきりと分かったわ」

 

「おそらく、領事から『何か』を受け取った」

 

 長身の女の切れ長の瞳が、冷徹に細められる。

 

「密書か、あるいは暗号表を受け取っている。……外務省も海軍も、あのタリンナリー大佐を『御しやすい短命種(にんげん)の信奉者』だと信じ込んでいるけれど……」

 

  秘密警察の女たちの目は、エスタリンドやアルヴェーンのように「見たいものだけ見る」美の鎧に守られていない。彼女たちは、暗闇の、さらに深い闇の中で、人間という汚らわしい短命種(にんげん)の本質を見つめ続けてきた、本物の猟犬だった。

 

「私たちの目は欺けない」

 

 小柄な女が、冷たい笑みを湛えて深く頷いた。

 

「あの男の目は、我が国の『美』を慕う者の目ではないわ」

 

「……ええ」

 

 長身の女が、マントの下で腰に帯びた冷たい短剣の柄に、そっと指先を滑らせた。その瞳に、獲物を追い詰める悦びの光が灯る。

 

「あれは、獲物の首筋を冷酷に見定める猟犬の目よ……私たちの同類」

 

 小柄な女が、冷たい笑みを湛えて手帳をパチンと閉じた。

 

「二十年前にこの国を舐めるように見て回った、あの貪欲なタリンナリー伯爵の、血を分けた息子そのもの」

 

 二人は無言で頷き合い、高架の影のさらに奥へと身を引いた。

 

「列車がファルマリアを発ったわ。首都ティリアンの本部へ、すぐに電信を」

 

「はい」

 

 長身の女の声が、冷たい風に混じる。

 

「宮廷や海軍の阿呆どもが、あの甘い嘉国紳士(キャメリッシュ・ジェントルマン)に毒されてすべてを売り渡す前に、私たち(秘密警察)は首都で誰と接触するか、あの男が何を持ち込んだのか、ティリアンで徹底的に突き止めるわよ」

 

 冷たい風が吹き抜け、彼女たちの気配は、霧散していく蒸気の中にとけるようにして、静かにプラットフォームの影へと消えていった。

 

「……猟犬がどこまで深く我が国に鼻を突っ込んでくるか、見極めてあげるわ」

 

 鉄路の先、首都ティリアン。

 

 アーサーが向かうその目的には、美しき白エルフ(アールブ)の宴だけでなく、音もなく牙を研ぐ内務省管轄下――秘密警察の冷酷な追跡が静かに待ち受けている。

 

 

 

 

 

(続く)

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。