白鳥の国にて ~駐エルフィンド公使館付海軍武官の回想~ 作:ポオツマス亭
甲高くて冷徹な汽笛、駅員が鳴らしている発車を告げる鐘の音が、ファルマリアの寒々しいプラットフォームに響き渡る。
キャメロット製の蒸気機関車は、黒い煤煙と真っ白な蒸気を吐き出しながら、ゆっくりと、しかし確実にその重厚な巨体を前へと滑り出し始めた。
最後尾に連結された、あの「トイレ」という汚濁の部屋を備えた、贅を尽くした特別車が、規則的な鉄音を響かせながら遠ざかっていく。
見送りの人々が手を振るプラットフォームの喧騒。その中心から外れた、古びた石造りの高架を支える太い支柱の影。
陽光の届かない冷たい暗がりに、二人の
彼女たちは、プラットフォームにいる一般人たちのような質素な服装でも、華美な宮廷衣裳をまとっているわけでも、濃紺の海軍服を誇らしげに着こなしているわけでもなかった。
身にまとっているのは、煤煙の汚れや群衆の視線を吸い込むような、実用的な暗い色の旅マント。
エルフィンド内務省の管轄下――人知れず国内の不穏分子や異国のスパイを、法の光の届かぬ暗闇で処理する『秘密警察』の追跡者たちだった。
「――出立したわね」
小柄な方の
「被監視対象:アーサー・リチャード・タリンナリー。アヴァンデール子爵。王立海軍大佐。キャメロット連合王国国籍。十時十五分、ファルマリア港に上陸。歩行時の歩幅、均等。視線の配置、極めて警戒。十時二十分、プレストン一等書記官らと合流し、外務省の馬車へ乗車……」
彼が
「外務省の馬車の中までは、厳重すぎて尖り耳が届かないのが癪に障るわ」
手帳をめくる微かな紙音が、列車の駆動音にかき消される。
「けど、降りてきたあの二人を見れば、中で何があったかは容易に想像がつくわね」
長身で、冷徹な切れ長の瞳を持つもう一人の白エルフが、薄い唇の端を侮蔑的に歪めた。
「エスタリンド書記官はすっかり毒気をぬかれて、うっとりとした顔をしていたわ」
彼女は冷たく鼻を鳴らし、煤煙を避けるように、マントのフードを深く被り直す。
「アルヴェーン大尉にいたっては、まるで黄金樹の恵みでも授かったかのような恍惚とした表情よ」
「笑わせるわね」
手帳を持つ小柄な女が、万年筆の先で、特定の行をコンコンと叩いた。
「宮廷の温室で育った文官も、ファラサール大将の懐で甘やかされた海軍の小娘も、人間の『
彼女は万年筆を胸ポケットに差し込み、侮蔑に満ちた声を潜める。
「あの伯爵家の一族は、人間の国の中でも特に私たちの心を掌握することに長けている。……だが、それだけかしら?」
「何か、おかしな動きでも?」
長身の女が問いかけると、小柄な女は視線を泳がせることなく答えた。
「プラットフォームでの、あの蒸気の煙幕。キャメロットの領事エンジャートンが駆け寄った一瞬の出来事」
彼女は手帳から視線を上げ、去り行く列車の尾灯をじっと見つめた。
「……気づいていたのね」
長身の女が、マントの下で静かに腕を組む。
「当然よ」
小柄な女は手帳を閉じ、冷たい海風が吹き抜けるプラットフォームの先を睨んだ。
「蒸気が晴れた後、大佐の右の掌は不自然な厚みを持っていた。手袋越しであっても、何かを握り込んでいるのがはっきりと分かったわ」
「おそらく、領事から『何か』を受け取った」
長身の女の切れ長の瞳が、冷徹に細められる。
「密書か、あるいは暗号表を受け取っている。……外務省も海軍も、あのタリンナリー大佐を『御しやすい
秘密警察の女たちの目は、エスタリンドやアルヴェーンのように「見たいものだけ見る」美の鎧に守られていない。彼女たちは、暗闇の、さらに深い闇の中で、人間という汚らわしい
「私たちの目は欺けない」
小柄な女が、冷たい笑みを湛えて深く頷いた。
「あの男の目は、我が国の『美』を慕う者の目ではないわ」
「……ええ」
長身の女が、マントの下で腰に帯びた冷たい短剣の柄に、そっと指先を滑らせた。その瞳に、獲物を追い詰める悦びの光が灯る。
「あれは、獲物の首筋を冷酷に見定める猟犬の目よ……私たちの同類」
小柄な女が、冷たい笑みを湛えて手帳をパチンと閉じた。
「二十年前にこの国を舐めるように見て回った、あの貪欲なタリンナリー伯爵の、血を分けた息子そのもの」
二人は無言で頷き合い、高架の影のさらに奥へと身を引いた。
「列車がファルマリアを発ったわ。首都ティリアンの本部へ、すぐに電信を」
「はい」
長身の女の声が、冷たい風に混じる。
「宮廷や海軍の阿呆どもが、あの甘い
冷たい風が吹き抜け、彼女たちの気配は、霧散していく蒸気の中にとけるようにして、静かにプラットフォームの影へと消えていった。
「……猟犬がどこまで深く我が国に鼻を突っ込んでくるか、見極めてあげるわ」
鉄路の先、首都ティリアン。
アーサーが向かうその目的には、美しき
(続く)