『清隆…正義は巡るよ…』
オレの腕の中で、少女がかすれた声を漏らす。
声は細く、喉の奥で何度も途切れかけていた。
言葉を形にするだけでも相当の負担なのだろう。胸は浅く上下し、そのたびに血の混じった息が唇の端を濡らす。
腹部は大きく抉れていた。衣服はすでに原形を留めないほど赤黒く染まり、布越しに見える損傷の輪郭だけでも、傷の深さは十分に知れた。
まだ息はある。
だが、それは生の残滓にすぎない。助からないことは明白だった。
それでも、オレの内側には何も生じなかった。
哀れみも、後悔も、痛みもない。ただ事実として、一人の人間が死にかけている。それだけだった。
腕の中の体温が少しずつ失われていく感覚すら、感傷ではなく現象としてしか認識できない。
周囲では誰かが涙を流し、誰かが少女の名を叫んでいた。悲嘆は伝播する。
『私……英雄譚が大好きなんだ……』
少女は虚ろな目のまま、どこか遠くを見るように呟いた。焦点の合わない瞳が、オレを見ているのか、それとも別の何かを見ているのかは判然としない。
「知っている」
短く返す。
それ以上の言葉は必要なかった。必要だったとしても、オレの中には用意されていなかった。
『だから……清隆……英雄になってよ』
その言葉を最後に、少女の喉が小さく震えた。
指先から力が抜け、オレの服を掴んでいた手がゆっくりと滑り落ちる。胸の上下は一度、二度と弱まり、次の瞬間には完全に止まった。
そう告げて、少女は息を引き取った。
オレが何かを返すより先に、彼女は死んだ。
人はいつか死ぬ。冒険しようがしまいが、その結末だけは平等に訪れる。
だが、死を避けられないものと割り切るなら、せめて誰が死ぬかくらいは選別しておくべきだ。
だからオレはこの少女を見捨てた。
『英雄になって』
最後に残されたその言葉を、今でも時折思い出す。
あの時、オレは何を返そうとしたのか。
もう思い出せない。思い出す必要も感じない。
━━━だが事実は変わらない。
オレが『アーディ・ヴァルマ』を殺した。
死ぬとわかっていて、見殺しにした。
全ては悲願のために。
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「清隆、飯を寄越せ」
「ああ」
ベートに言われるまま、オレは背負っていたバックパックの口を開き、中から携帯食を取り出した。
包みを一つ選び、片手で放るように渡すと、ベートはそれを空中で雑に受け取る。
礼も言わず、包みを歯で引き裂き、そのまま勢いよく食べ始めた。
現在、オレたち【ロキ・ファミリア】は遠征からの帰路にある。
本来ならさらに先の領域まで進む予定だったが、
「清隆〜嫌だったらいいんだよ?この狼にご飯なんて渡さなくて〜」
横からティオナが顔を覗き込むようにして言った。歩きながら上体だけをこちらへ傾け、からかうような笑みを浮かべている。
「オレはサポーターだ。第一級冒険者の要求には従った方がいい」
「うげ〜、清隆ってこういう時真面目だよね〜」
ティオナはつまらなさそうに口を尖らせながらも、オレの隣を歩き続ける。
『グオオオオオオッッ』
通路の奥から、低く濁った咆哮が響いた。空気が震え、壁面に反響した音が遅れて耳へ返ってくる。
「ミノタウロスの群れ…」
アイズが短く呟く。すでに腰の剣へ手がかかっていた。
「腹ごなしにはちょうどいいぜ」
ベートは口元を歪め、食べかけの携帯食を乱暴に飲み込んだ。肩を回し、足の向きを前へ切り替える。獲物を前にした獣のような反応だった。
アイズ、ベートが戦闘体制に入る。
他の第一級冒険者も念のため戦闘体制に入った。
だがしかしこの階層で戦闘になることはなかった。
ミノタウロスたちが、こちらの姿を認識した直後、踵を返して逃げ出したからだ。
「モンスターが逃亡!?ありえないでしょ!?」
「逃すな!ミノタウロスが向かった方角は上層に繋がる道だ」
ティオネが驚愕を露わにする一方で、フィンは即座に指示を飛ばした。
判断は正しい。
このまま逃がせば、上層を探索している冒険者に被害が出る可能性が高い。
ベートは地を蹴ると同時に前傾姿勢へ入り、一気に加速した。アイズはそれに遅れず、むしろ音もなく滑るように前へ出る。二人の背中があっという間に通路の先へ吸い込まれていく。
オレたちもその後を追った。
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オレは単独でミノタウロスを追っていた。
サポーターのオレが一時的に隊列から外れたところで、大きな支障はない。
ここは上層だ。オレ一人でも十分に行動できる。
「うわあああああああっっ!?」
悲鳴が響く。
反射的にその方向へ走ると、白髪の少年がミノタウロスに追い詰められていた。
見たところ、駆け出しの冒険者だ。経験も浅いのだろう。
立ち回りに余裕がなく、背後は行き止まりで、逃げ場も失っている。
「うわああああああ…ってあれ?」
ミノタウロスは少年に届く寸前で、赤い血を撒き散らし、灰となって崩れた。
オレが投じた一撃は最小限だった。首筋を正確に断ち、勢いだけを殺す。巨体が前のめりに傾ぎ、そのまま崩れ落ちるより早く灰へ変わっていく。
「大丈夫か?」
オレは少年へ手を差し伸べた。
少年は状況を理解できていないのか、呆然としたままオレを見上げた。赤い瞳が大きく開かれ、呼吸だけが浅く速い。助かったという認識より先に、何が起きたのかわからないという混乱が勝っている顔だった。
「え、あ…」
喉がうまく回らないらしい。言葉にならない音だけが漏れる。
「わあああああああああっ!」
次の瞬間、少年はオレを追い越し、そのまま一目散に駆け去っていった。
正直嫌な気持ちになったかというよりかは、元気ならばそれでいいか、という気持ちの方が強い。
オレは行き場を失った手を静かに引っ込める。
「クッ……ハハハハハハハッ!!」
背後から、露骨な笑い声が響いた。
振り返ると、ベートとアイズがいた。
ベートは腹を抱えるようにして笑っている。肩を震わせ、息を整えようとしても笑いが止まらないらしい。アイズはその隣で、気遣うような目をオレへ向けていた。
アイズ……オレをそんな可哀想な目で見るな。
「清隆…大丈夫、元気出して」
アイズは数歩近づいてくると、オレの肩に手を置いた。慰めるつもりなのだろうが、表情が真面目な分だけ余計に刺さる。
「別に気にしてないんだが…」
そう返しても、アイズはまだ少し心配そうだった。
正直、その反応をされる方が辛い。
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『かんぱーーーい!!』
遠征は失敗したが、死者なく帰還できたことを祝って、オレたちは【豊穣の女主人】で打ち上げをしていた。
店内は熱気と喧騒に満ちていた。木製の卓が並び、酒の匂いと料理の香りが混ざり合う。誰かの笑い声が上がれば、別の卓からもそれに釣られるように声が重なる。
「清隆さん!これ飲み物です」
「ありがとう、レフィーヤ」
ニコニコしながら酒を差し出してくる
現在はレベル3の魔導士。
リヴェリアから直々に指導は貰っているのだが、まだモンスターとの戦闘に慣れない、少し臆病な性格が残っている。
オレがレフィーヤを【ロキ・ファミリア】に誘った手前、オレがなんとかしないといけない。
どうするかは悩み中ではあるが…
「おい、清隆!あの話しねえのかよ!」
「あの話?」
「アレだよ!お前が助けたトマト野郎の話だよ!!」
「あー…」
ベートが席を立ち、身を乗り出すようにして言った。酒も入っているせいか、いつも以上に声が大きい。頬もわずかに赤く、機嫌の良さがそのまま態度に出ている。
アレというのは、オレが助けた白髪の少年のことか。
オレはそういう話にあまり興味がないので、返事を濁すように飲み物をあおった。
「なんだよ、覚えてねえなら俺から話してやるよ!」
少年の慌てぶりを誇張し、オレの差し出した手を無視して逃げた場面をことさらに面白おかしく再現する。
その話に笑い声が響く。
だが、アイズやリヴェリアは面白くないとばかりに、逆に不快そうな表情をしていた。アイズは無言で杯を見つめ、リヴェリアは眉間に薄く皺を寄せている。
「おい、ベート。あのミノタウロスは我々が逃した不手際だ…非難されることはあれど、我々が酒の肴にするのはおかしな話だ」
感情を荒げてはいないが、それだけに不快感が明確だった。
「黙れババア!弱い奴に弱ェと言って何が悪い!雑魚は大人しく巣穴に引っ込んでればいいんだよ!!」
ベートは卓を軽く叩き、吐き捨てるように言った。
ベートが言ってることは間違ってはない。
この時代、自分の力量を見誤ったままダンジョンに潜る新米冒険者は少なくない。憧れだけで生き残れるほど、
「雑魚は憧れなんて許されねえんだよ!!」
「ベルさんっ!?」
一人の少年が、酒場を逃げるように駆けた。
女主人で働く店員が、その背中へ向かって名を叫ぶ。
あの少年だ。名前は確かベルと言われていたな。
捕まえることもできたが、特に興味がないということで放置していた。食い逃げになるかもしれないが、ミアなら問題なく対処するだろう。
「清隆さん……?」
「悪い、少し酔った…少し夜風に当たってくる」
レフィーヤの視線を受け流し、オレは店を出た。
理由は明確ではない。
だが、あの少年のことが少しだけ気になった。
それだけで、後を追うには十分だった。
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ベルは一人で戦っていた。
雪辱を晴らすように。
あの酒場で言われたことは事実だ、駆け出し冒険者に強さを求めるのは酷だとしても、弱いという現実そのものは否定できない。
ベルの呼吸は荒い。剣を握る手も安定しているとは言い難い。踏み込みは浅く、回避も大きい。動きの一つ一つに無駄がある。戦闘技術は未熟。経験も足りない。客観的に見れば、特筆すべき点はほとんどない。
清隆は何も思わなかった。もしここで死ぬのならば器ではないし、ベルが生きていようが、死のうがどうでもいい。
そう思っていた。
この少年には、説明のつかない何かがあった。
英雄の器。そんな予感がしていた。
(ただの駆け出し冒険者だ)
自分にそう言い聞かせても、視線は外れない。
齢22年、清隆は味わったことのない感情に苛まれていた。
理解できない感情だった。従うべきか、切り捨てるべきかもわからない。
先の見えない未来に振り回されるのは好まない。予測不能は、管理不能とほぼ同義だからだ。
━━━しかし。
この未知に振り回され、仮に破綻するとしても。
それは少し、面白いと思った。
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【豊穣の女主人】の宴会の数刻前。
【ロキ・ファミリア】の団員たちが次第にホームを出ていく中、オレはロキを引き留めていた。
「なんや清隆、宴会前に呼び出してそろそろウチらも向かう予定やろ」
「こんな時間にしかオレのステイタス更新はできないからな」
オレは上着だけ脱ぎ、ロキに背中を見せた。
ロキが慣れた手つきでステイタスを更新していく。
「ほい、できたで~...はあ清隆のステイタス見て思うわ...ちゃっちゃっと本気出してくれればな~って...」
綾小路 清隆
Lv.7
力:S 992 耐久:S 982 器用:A 872 敏捷:S 967 魔力:B 795
《発展アビリティ》
【直感:C】【耐異常:C】【闘争:D】
《魔法》
【
・五節詠唱式強化魔法。
・詠唱ごとに効果を増し、身体能力を上昇。
・移行間隔あり、上位ほど魔力消費増大。
《スキル》
【
・
・発展アビリティ、経験値微量補正
・発展アビリティ、発現可能数を最大三。
【
・動体視力向上。
・反射神経向上。
・使用時魔力消費。
【
・五節到達時に発現、最終強化段階。
・【
・装填使用可能。
「契約忘れてないよな、ロキ」
「わかってるちゅうーの、ファミリアに入る代わりに詮索するなやろ?」
「わかっているならそれでいい」
「でもあの子達がヤバい時になったら助けてやってくれよ?
「善処する」
オレは服を着て部屋を出た。
オレのステイタスはロキ以外知らない。正確には、オレが意図的に隠している。
【ロキ・ファミリア】の団長であるフィンにも伝えていない。
オレが【ロキ・ファミリア】に入団する、二つの条件のうちの一つが誰にもオレのステイタスを広めない事。
計画は順調だ。現時点で大きな問題はない。
だが、計画を早めるか早めないかは少しだけ様子を見てからでもいいだろう。
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「清隆、ダンジョンにいこ?」
「……急になんだ?」
翌朝、食堂で何の前触れもなくアイズがそう言った。
オレは昼食を取りながら、盆を持ったアイズに向かいへ座るよう促す。
「アイズさんと清隆さんって仲良いですよね?なんかわかります?雰囲気というか…」
「アイズさんと清隆さんは
ひっそりと話している団員たちの声が耳に入る。
流石にステイタスの影響もあり、聞こえなくていいものまで聞こえてしまうのはあまり嬉しくないところではあるが。
しかし、オレとアイズに対する噂が多少なりともあるらしい。
確かにオレは【ロキ・ファミリア】の中でも古株の方だが、いつ入ったなんていちいち覚えてない。
「聞いた、清隆……? 私たち仲良いらしいよ」
「何でお前は嬉しそうなんだ……」
ふふん、と得意げな顔をするアイズ。
一般的には愛嬌のある表情なのだろうが、オレはこいつが子供の頃からいるのを知っている。今さら特別な感慨はない。
「それで何で唐突にダンジョンなんだ?…いやお前の場合別にダンジョンに潜るのは不思議じゃないのか」
「お金が足りない…」
「そんなに金欠なのか?」
「前の遠征の時、変なおっきい虫を斬った時剣の
「だったら私たちも行く!!」
昼食を食べて話を進めていると、ティオナとティオネが会話に割り込んできた。
オレの横にティオナ、アイズの横にティオネが座り四人で
「私もお金なくなってきたし、ちょうど潜るって聞いたからね」
「そうそう!私たちもついてこーって!」
別にオレもアイズも断る理由は特にないため、承諾する。
いつの間にかオレも同行する流れになっていたが、今日やることもなかったし問題はない。
コイツらに着いて行って楽させてもらおう。
「僕たちも着いていこうかな」
「団長〜!!」
声のする方を振り向くと、我らが団長フィン・ディムナが立っていた。
僕たちという事もあり、後ろにいたリヴェリアとレフィーヤも着いてくるのだろう。
正直、これ以上増えるのは取り分が減るのでやめてほしいところではあるが、男がオレしかいなかったので、快く受け入れることにしよう。というより、断ればティオネが面倒だ。
第一級冒険者がいるのであれば楽をさせてもらおうか。