ダンジョンに実力主義を求めるのは間違っているだろうか 作:修羅シュラ
オラリオを囲う外壁。その上に、オレとベル・クラネルは並んで立っていた。
朝の風は高所を遠慮なく吹き抜け、衣服の裾を絶えず揺らしていく。眼下には都市の街並みが広がり、遠くでは人々の営みが小さなざわめきとなって漂っていた。だが、この場に限って言えば、意識を割くべき対象は一つしかない。
オレの正面で、ベルが短く息を整える。
「準備はいいか、ベル」
そう声をかけると、ベルは一度だけ喉を鳴らし、それから勢いよく顔を上げる。
「はい、綾小路さん!お願いします!」
返事と同時に、ベルの重心が前へ落ちる。
次の瞬間には、石の上を蹴る乾いた音とともに、一直線にこちらへ駆け出していた。
無論、レベル1の冒険者の動きなど、今のオレにとっては十分に視認可能な範囲にある。
速さそのものは脅威ではない。だが、ベルの踏み込みには迷いが少ない。技術は未熟でも、前へ出ることを躊躇しない人間の初動は、時に数値以上の鋭さを帯びる。
ベルは右手から斬撃を放った。
オレは胸元をわずかに外すだけで、その刃をかわした。刃先が空を裂き、風を切る細い音が耳元を掠める。
振り抜いた勢いを殺しきる前に、ナイフを左手へ持ち替え、体を半歩ねじるようにして二撃目へ繋げてくる。
オレは右手を伸ばし、ベルの左手首を正確に制した。
ベルの腕に力がこもるのがわかったが、オレの身体に届くことはない。
それでも、ベルは止まらなかった。
左手を封じられたまま、無理やり腰をひねり、崩れかけた体勢から回し蹴りを放ってくる。軸は甘い。威力も十分とは言えない。だが、封じられた瞬間に次の手を出せるのは長所だ。追い詰められた場面で思考を止めない人間は、それだけで生存率が違う。
オレは頭をわずかに後ろへ引き、蹴りの軌道を外した。
靴先が鼻先を掠めるより早く、空いた胴へ掌底を打ち込む。
ベルの身体が後方へ押し戻され、靴底が石の上を滑る。二歩、三歩とたたらを踏み、ようやく転倒を免れた。
「今の一撃は良かったぞ」
そう告げると、ベルは腹部を押さえながら、苦しげに息を吐いた。肩が上下し、喉の奥で詰まったような音が漏れる。
しかも、律儀に頭を下げていた。
「ゔっ……ぐっ……あ、ありがとうございます……」
少しやりすぎたかもしれない。
だが、慢心を覚えさせるよりはいい。痛みは判断を研ぐ。少なくとも、ダンジョンではそうだ。甘い成功体験より、失敗の感触の方がよほど長く身体に残る
その後も何度か模擬戦を重ねた。
ベルは打ち込まれるたびに癖を修正し、崩されるたびに次の一手を探そうとする。動きはまだ粗い。
だが、粗いなりに前回の失敗を繰り返さないだけの学習能力がある。
やがて、オレたちは休憩のため壁際に腰を下ろした。
オレは持ってきていた飲み物をベルへ差し出した。
ベルは両手で受け取り、小さく礼を言ってから口をつける。喉が渇いていたのだろう。二、三度、急ぐように飲んでから、ようやく一息ついた。
それから、少し言いにくそうに視線を泳がせる。
膝の上に置いた手が落ち着きなく動き、指先が容器の縁をなぞった。
「怖くて聞けなかったんですけど……なんで僕なんかに稽古をつけてくれるんですか?」
「罪滅ぼし、と言った方が正確だろうな」
「え……?」
ベルの目が丸くなる。
オレは前を向いたまま、淡々と続けた。
「オレたちが逃したミノタウロスのせいで、お前は命の危機に晒された。加えて、あの酒場での一件だ。お前からすれば、不快な記憶しか残っていないはずだ」
「そ、そんな! 気にしてないって言ったら嘘になりますけど……でも、あれは綾小路さんが悪いわけじゃ……!」
ベルは慌てたように首を振り、オレの言葉を否定した。
この少年は、自分が受けた不利益よりも、相手の事情を先に汲もうとする。甘さと言えばそれまでだが、同時にそれは稀有な資質でもある。
「最初は罪滅ぼしのつもりだった。だが、今は少し違う」
「違う……?」
「お前の吸収力には、何度も驚かされている」
「えっ?」
戦いを知らない人間が、ゼロから技術を学べば伸び幅が大きいのは当然だ。
だが、ベルの成長はそれだけでは説明しきれない。
こいつには素直さがある。
教えを疑わず、余計な自意識で歪めず、必要なものをそのまま取り込める。学習において、それは単純な才能以上に厄介な強みだ。
「綾小路さん、明日遠征ですよね?」
「ああ、そうだな」
そう答えると、ベルは膝の上で手を握り直した。指先に力が入り、爪がわずかに食い込む。
「死なないでください」
「善処しよう」
その言葉は、思っていたより静かだった。
大げさでもなく、感傷的でもない。ただ、率直な願いとしてそこに置かれていた。
休憩を終え、オレたちは再び修行に戻る。
明日で、ベルとの稽古はいったん終わる。
その後、オレたち【ロキ・ファミリア】は長期遠征へ向かう予定だ。
そして、その遠征の先には、見過ごせない闇が潜んでいる。
オレたちはそれを暴かなければならない。
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「べ、ベル君!?」
ベル・クラネルが酒場から逃走した後、ダンジョンに潜り傷だらけになりながらも戦い続けた。
オレはベル・クラネルを背中に背負いながら、廃墟となっている教会へと向かった。
ベルが完全に力尽きる前にホームを突き止め、そのままここまで運んできた形だ。
「あ、ありがとう君!ベル君をここまで連れてきてくれて!」
「あなたがベル・クラネルの主神ですか?」
「そうだよ! あ、自己紹介がまだだったね。僕はヘスティア。そこにいるベル・クラネルの主神さ!」
ヘスティアと名乗った女神を見て、オレは一瞬だけ言葉を失った。
服飾に詳しいわけではないオレですら、あの格好がかなり際どい部類に入ることくらいはわかる。
いや、さすが神と言ったところなのか…?
「ここで立ち話をするのも何ですし、中まで運びますよ」
「ああ、お願いしてもいいかい?」
ヘスティア様は慌てて身を引き、入口を空けた。オレは軽く頷き、そのままベルを背負って教会の中へ入る。
内部は外観以上に荒れていたが、それでも生活の痕跡は確かに残っていた。
最低限の家具、使い込まれた日用品。
ここで二人だけで暮らしているのだと、すぐに理解できた。
オレはベルをベッドに寝かせる。
ヘスティア様はベッドの脇へ駆け寄り、ベルの顔を覗き込んだ。
額にかかった前髪をそっと払う指先に、露骨な安堵が滲んでいる。
呼吸を確認し、胸が上下しているのを見て、ようやく肩の力を抜いた。
オレはその近くにあった椅子へ腰を下ろした。
ヘスティアはどこか落ち着かない様子でこちらを見ていた。
おそらく、「なぜまだ帰らないのか」とでも思っているのだろう。
だが、生憎とオレにはここへ来た目的がある。
「ヘスティア様。一つ、相談があります」
「相談?なんだい?ベル君を助けてくれたんだ。僕にできることなら、何だってするさ!」
勢いよく言い切った直後、ヘスティアは少しだけ胸を張った。恩義には恩義で返すつもりなのだろう。
「ベル・クラネルのステイタス……いや、正確にはスキルを見せてほしい」
「は、はぁ!?」
ヘスティア様は目を見開き、素っ頓狂な声を上げた。
当然の反応だ。
他派閥の人間にステイタスを見せるというのは、手の内を明かすに等しい。警戒して然るべき要求だった。
「そんなの教えられるわけが……」
「オレがあの場にいなければベル・クラネルは死んでいた」
「うっ……それは……」
ヘスティアは言葉を詰まらせた。
視線を落とし、指先が落ち着きなく服の裾をつまむ。
恩義と警戒。そのどちらを優先すべきか、判断しかねているのだろう。
「他派閥にステイタスを教えることに抵抗があるのは理解しています。だから、こちらも条件を提示します」
「じょ、条件?」
「オレのステイタスも、ヘスティア様にだけは見せます」
「君のステイタス?」
「オレのステイタス自体に、そこまでの価値を感じないかもしれません。これだけでは交換条件として弱いのも承知しています」
ヘスティア様にとって、オレのステイタスそのものは本来どうでもいいはずだ。
だが、これから提案する内容まで含めれば、条件としては釣り合う。
「オレが見た限り、ベル・クラネルは師がいないと思ってますが、それは合っていますか?」
「うん、確かにベル君には師いない」
「だから、オレが師として稽古をつけようと思っています」
ヘスティアは怪訝そうに眉を寄せた。
それもそうだろう。
他派閥の修行などもってのほかだが、ここまでする理由がわからない。
「オレのステイタスを見れば全部説明ができます、ステイタスを見た後に稽古の話を断ってくれてかまいません。断る場合、オレのステイタスは他言無用であれば特に問題はないです、しかしオレに師を仰ぎたいとなった場合、ベル・クラネルのステイタスを開示してもらいます」
「条件としては悪くないね、嘘をついてるわけでもないし」
ヘスティア様は横になっている少年を一度見た後、すぐにオレに視線を戻す。
ヘスティア様にとって悪くない条件のはずだ。
師を断るのだとしても、ステイタスを他言しなければ特に
「君のステイタスを見せてくれと言いたいところだが、なぜそんなにベル君が気になるんだい?」
「それもオレのステイタスを確認すればわかります」
「いいだろう、君のステイタスを見せてくれ」
オレは服の内側にしまっていた紙を取り出し、ヘスティア様へ手渡した。
彼女はそれを受け取ると、最初は訝しげに目を細め、次の瞬間には文字を追う視線が止まった。
「レ、レレレレレ!レベル7!?」
叫び声と同時に、紙を持つ手がぶれた。
オレは反射的にベルへ目を向ける。幸い、起きる様子はない。ヘスティアも同じことを考えたらしく、慌てて口元を押さえ、ほっと胸を撫で下ろした。
「き、君!! 確か名前は......」
「綾小路清隆です」
「清隆君!君一体何者なんだい!?僕は下界に降りてまだ浅いけれど、第一級冒険者として清隆君の名前があったのは覚えがないんだけど!」
「訳あって、ギルドにはレベル3として登録させています。だから、表に名前が出ることはないでしょうね」
ヘスティアは取り乱しながらも、必死に状況を整理していく。
特にオレのステイタスを知ってる存在はこの下界には、二柱の女神と二人の男しか知らないはずだ。これで三柱の女神にはなったが。
「流石にこのステイタスを見せられたら、頷いてしまうが......なるほど、君がベル君に執着している理由はこの
【直感】
オレの発現した
戦闘だけではなく、日常生活でも活用可能な能力だ。
危機感知、環境感知、真偽感知など、用途は広い。
このアビリティが発現した時、「チートやチート!ありえへん!!」などと騒いでいたが、オレとしては、使えるものは使うだけだ。
「どうですか?オレを師として迎え入れるのは」
正直、師として稽古というのは面倒ではあるのだが、彼をを見極めるなら、直接介入した方が早い。
もし彼が英雄の器なのだとしたら、ベル・クラネルと接点を作っておくことは必要事項にはなるからな。
「正直このステイタスを見せられると、首を縦に振りたくなるね」
ヘスティア様が良い反応を見せてくれたところで、一つだけ条件を追加させてもらおう。
「もしオレに師を頼むとなった場合もう一つ条件追加してもいいでしょうか」
「ん?なんだい?」
「今後のベル・クラネルのステイタスをオレが見たい時に開示してください」
この条件は、オレのステイタスを先に見せたからこそ成立する。
普通なら、他派閥に何度もステイタスを見せるなどありえない。
一度ならまだしも、継続的となれば話は別だ。
だが、ヘスティア様は断りにくい。
まず、ベル・クラネルに師がいないこと。
先ほどの戦闘を見る限り、誰かに学んでいたわけではない、彼の独学での戦いだった。
加えて、その独学の戦いで死にかけたこと。
能力値の不足だけで片づけることもできるが、戦い方を知らないというのはそれ以上に大きい。今後も冒険者として生きるなら、師は必要になる。
そして、オレという存在。
都市最大戦力であるレベル7――【
「ひとつ、聞かせてくれ」
ヘスティアは紙を膝の上に置き、オレから目を逸らさずに言った。
先ほどまでの慌ただしさが少し引き、主神としての慎重さが前に出ている。
「君はベル君を裏切らないかい?」
「ベル・クラネルが裏切らない限り、オレは裏切りませんよ」
「ベル君のステイタスを他言しないかい?」
「ええ、約束しましょう」
ベル・クラネルを裏切ることも、他言する気はない。
少なくとも、現時点では。
神に嘘は通じない。
この問いに正面から答えるだけで、信頼を得るには十分だろう。
「......わかった、君の条件を飲もう。ただし!ベル君の師になった以上ビシバシと鍛えて強くしてやってくれよ!」
「もちろんそのつもりです」
オレがそう返すと、ヘスティア様は一度だけこちらを見上げ、それから視線を外して戸棚の方へ向かった。
それから戸棚を開け、奥から一枚の紙を取り出した。
ヘスティア様は数歩で戻ってくると、オレの前で足を止め、その紙を差し出した。
《スキル》
【
・早熟する。
・求め続ける限り効果持続。
・想いの丈により効果向上。
――脆い。
紙に記された短い文面を見た瞬間、最初に浮かんだ感想はそれだった。
強力ではある。むしろ、成長速度という一点に限れば破格と言っていい。
だが、その効力の根幹を支えているのが「英雄を求める意志」である以上、土台はあまりにも不安定だ。剣技や筋力のように積み上げたものではない。心が折れれば、それだけで機能不全に陥る可能性がある。
理想を燃料にする力は、理想が揺らいだ瞬間に失速する。
それは、強さであると同時に致命的な欠陥でもあった。
「……君の見解を聞かせてほしい」
ヘスティア様が、こちらの表情を窺うように問いかけてくる。
オレは紙から視線を外さず、数秒だけ思考を巡らせた。
「人間の意志は、能力値ほど単純じゃない。数値のように積み上がるものでもなければ、常に一定でもない。憧れは人を前に進ませますが、同時に現実との落差を最も鋭く突きつける」
ヘスティア様は何も言わず、ただ続きを待った。
「英雄を目指す、と言うのは簡単です。だが、目指し続けることは簡単じゃない。敗北するたび、自分の未熟さを突きつけられる。守れないたび、自分の無力を知る。そのたびに、このスキルは持ち主へ問い続けることになる。――それでも、まだ求めるのか、と」
ヘスティア様は黙っていた。
軽々しく口を挟めないと判断したのか、それとも、すでに似た不安を抱いていたのか。
どちらでもよかった。
重要なのは、このスキルの本質を共有しておくことだ。
「こいつはこれから何度も負けるでしょう。傷つくし、挫折もする。自分より強い相手、自分では届かない現実、自分ではどうにもならない局面にも直面する」
「……うん」
「人は折れないまま強くなるわけじゃない。一度も揺らがない人間なんていない。重要なのは、揺らいだ後にどう立て直すかです」
ヘスティア様は、少しだけ目を細めた。
今の彼女は、ベル・クラネルの将来を案じていたように思う。
「君は……そこまで考えて、ベル君を鍛えようとしてるのかい?」
「半分は観察です」
「観察?」
「ええ」
隠す必要はない。ここで取り繕っても意味がない。
「オレはベル・クラネルに興味がある。こいつが本当に英雄の器なのか、それとも、ただ理想に酔っているだけの少年なのか。それを見極めたい」
「ずいぶん直球だね……」
「取り繕う方が不誠実でしょう」
そう返すと、ヘスティア様は一瞬だけこちらを見つめ、それから小さく笑った。
「君、もっとこう……優しい言い方はできないのかい?」
「必要なら考えますが、今は必要ないかと」
「はぁ……ベル君が聞いてたら泣くよ、それ」
「なら、聞かせない方がいいですね」
そう返すと、ヘスティア様はとうとう苦笑した。
肩をすくめ、半ば諦めたように首を振る。
英雄に憧れること自体は悪くない。むしろ、未熟な人間が前へ進むには、それくらい強い動機が必要な場合もある。
だが、憧れだけでは越えられない壁がある。
現実は、理想ほど整っていない。
救うべき相手が必ず救えるわけでもなければ、正しい行いが報われる保証もない。時には、善意そのものが判断を鈍らせる。
誰かを救えば、別の誰かを切り捨てることになる。全てを守ることなど不可能で、選ばなければならない局面は必ず来る。
その時、ベル・クラネルはどうするのか。
理想を守るために現実を捨てるのか。現実を受け入れるために理想を捨てるのか。
あるいは、そのどちらでもない第三の答えを見つけるのか。
そこにだけ、少し興味があった。
「……清隆君」
ヘスティア様が、先ほどより落ち着いた声で呼ぶ。
「なんですか」
「君は、ベル君が英雄になれると思うかい?」
抽象的な問いだった。
ヘスティア様は膝の上で手を重ねたまま、指先にわずかに力を込めている。答えを恐れていないわけではない。だが、それでも聞かずにはいられないのだろう。
オレは少しだけ考え、それから率直に口を開いた。
「今のままでは無理でしょう」
「うっ」
ヘスティア様の肩がぴくりと揺れた。予想していた答えでも、真正面から言われれば堪えるらしい。
「甘い。脆い。判断も未熟。戦い方も粗いし、理想に対して現実の理解が追いついていない」
「容赦ないなあ……」
ヘスティア様は眉を下げ、露骨にしょんぼりした顔をした。唇を尖らせるようにして不満を示すが、反論はしてこない。おそらく、彼女自身も薄々わかっているのだろう。
「ですが」
「……ですが?」
「可能性はあります」
その一言で、ヘスティア様の表情が変わった。
「英雄になれるかどうかは知りません。だが、英雄を目指し続ける資格はある。少なくとも、今のベル・クラネルにはそれがある」
「資格……」
「理想を抱くこと自体は誰にでもできます。だが、その理想のために傷つく覚悟を持てる人間は多くない。まだ未熟ですが、逃げずに前へ出ようとはしている」
それは事実だった。
無謀と勇気はしばしば混同される。ベルの行動にも、その危うさは確かにある。
だが、危ういからこそ価値がない、とは限らない。
むしろ、未完成なまま前へ進もうとする人間の方が、完成された強者よりも遠くへ届くことがある。
理屈ではなく、勢いでもなく、ただ愚直に積み上げることでしか辿り着けない領域があるからだ。
「だから鍛えたいのかい?」
「ええ」
「見極めるために?」
ヘスティア様は少しだけ身を乗り出していた。
問いの形を取ってはいるが、答えの先を知りたがっているのがわかる。
「それもあります」
オレは否定しなかった。
「ですが、それだけじゃない」
「……?」
「こいつがどこまで行けるのか、少し見てみたくなった」
口にしてから、自分でも少しだけ妙な気分になった。
合理性だけで説明するには、わずかに熱が混じっている。
ヘスティア様もそれを感じ取ったのか、意外そうに目を瞬かせた。
「君、案外そういうこと言うんだね」
「自分でも意外です」
「ふふっ」
今度こそ、ヘスティア様は笑った。
それから、ベッドで眠るベルを見つめ、どこか誇らしげに呟く。
「ベル君は、昔から英雄譚が好きでね。困ってる人を助ける英雄とか、最後まで諦めない冒険者とか、そういう話を本気で信じてるんだ」
「でしょうね」
「馬鹿みたいだろう?」
ヘスティア様はそう言いながらも、口元には笑みが残っていた。
ベル・クラネルは彼女に愛されていることが一目でわかった。
「ええ。かなり」
「そこは否定してくれよ!」
ヘスティア様は即座に突っ込みを返し、身を乗り出す。
「じゃあ、改めてお願いするよ」
ヘスティア様は一度深く息を吸い、姿勢を正した。
先ほどまでの砕けた空気を引っ込め、主神としての顔でオレを見た。
「ベル・クラネルを、鍛えてやってくれ」
「わかりました」
「甘やかさなくていいけど、ほどほどにしてくれ」
「難しい注文ですね」
「君ならできるだろう?」
「買いかぶりです」
「レベル7が何言ってるんだい」
それには答えず、オレは椅子から立ち上がった。
用件は済んだ。これ以上ここに留まる理由はない。
紙を丁寧に畳み、ヘスティア様へ返す。
「今後、ステイタスの更新後に確認させてもらいます」
「わかった。約束だからね」
「ええ」
オレが踵を返し、教会の出口へ向かいかけたところで、不意に背後から声が飛んできた。
「清隆君」
足を止め、振り返る。
ヘスティア様は、先ほどまでの軽さを少しだけ引っ込めた顔で、静かに言った。
「ベル君は、たぶん君が思ってるよりずっと不器用だ。でも、君が思ってるよりずっと諦めが悪いよ」
その言葉を受け、オレは数秒だけヘスティア様を見返した。
それから小さく頭を下げ、教会を後にする。
太陽が昇っていた。
あの事件から一夜が明けた。
石畳を踏みながら、オレは先ほど見たスキルの文面を反芻する。
英雄希求。
求め続ける限り、効果持続。
単純で、危うい。
あの少年は、まだ自分の憧れの重さを知らない。
理想は人を救うが、同時に人を試す。
英雄を目指すということは、誰かに期待されることではない。期待を裏切り続ける現実の中で、それでもなお自分の理想を手放さないことだ。
その意味で言えば、ベル・クラネルはまだ入口に立ったにすぎない。
だが――入口に立てる人間自体が、そう多くないのも事実だった。
開示情報。
綾小路 清隆
極東出身。
極東で名字があるというのは、極東の貴族なのであるが。
その事実を知るのは、主神であるロキしか知らない。
元々は別のファミリアに入っていたという噂もあるが、それすら謎に包まれている。
現在の綾小路 清隆は【ロキ・ファミリア】に馴染めているらしい。
特にアイズ・ヴァレンシュタインとは仲の良さを伺える。