英雄はいない。
そんなことは、ずっと前からわかっていた。
少なくとも、私の前には現れてくれなかった。
暗闇の中で手を差し伸べてくれる誰かも、絶望を切り裂いてくれる誰かも、私には来なかった。
待っていても何も変わらないのだと、幼い頃の私は嫌というほど思い知らされていた。
願うだけでは足りない。祈るだけでは届かない。誰かが来てくれることを期待しているうちに、失うものの方がずっと多いのだと、あの頃の私はもう知っていた。
だから、強くなるしかなかった。
誰かに救われることを期待するより、自分で立てるようになるしかない。
泣いても、怯えても、何かが変わるわけじゃない。
なら、剣を振るうしかない。
前へ進むしかない。
そうやって私は、自分の中にある空白を埋めるみたいに、ひたすら強さを求めた。
私が【ロキ・ファミリア】に入った頃、彼がすでに先に入団していた。
彼は、いつもどこか遠くを見ていた。
目の前の相手を見ていないわけじゃない。周囲に無関心なわけでもない。
必要なことにはきちんと反応していた。
けれど、その視線の奥には、今ここではない別の場所があるように見えた。
誰かと笑い合うでもなく、群れるでもなく、ただ静かにそこにいて、それでいて不思議と周囲から浮いていた。
綾小路 清隆。
彼は強かった。
どんなモンスターを相手にしても、取り乱すことがなかった。
無駄な動きも、焦りも、怒りも見せない。
ただ必要な動きだけを選び取るように剣を振るい、相手の動きを読み、最短で仕留める。
その戦い方は綺麗だった。洗練されていて、静かで、まるで最初から勝敗が決まっているみたいだった。
でも、綺麗だからこそ、少し怖かった。
そこには熱がなかった。
勝ちたいとか、負けたくないとか、そういう感情がないように見えた。
ただ淡々と、当然のように敵を倒していく。
その姿は頼もしいというより、どこか触れてはいけないもののように思えた。
私は、そんな彼に嫉妬した。
必死だった。
強くなりたかった。
誰よりも前へ進みたかった。
なのに、彼はそんな私の焦りを置き去りにするみたいに、最初からずっと先にいた。
追いつこうとしても、その背中は少しも近づかない。
追いつこうとしても、その背中は少しも近づかない。
手を伸ばせば届きそうに見えるのに、その距離が少しも縮まらない。
そんな感覚だった。
悔しかった。
腹が立った。
どうしてそんなに強いのか、どうしてそんなふうに平然としていられるのか、理解できなかった。
喧嘩もした。
『なんでそんなに強いのっ!』
今思えば、ひどく子どもっぽい言い方だったと思う。
問いかけというより、八つ当たりに近かったのかも。
自分の未熟さを、全部まとめてぶつけていただけだったのだけ。
けれど彼は、何も言わなかった。
言い返しもしない。怒りもしない。
ただ、こちらを見ているようでいて、やっぱりどこか別のものを見ているようだった。
まるで私の言葉が届いていないみたいに。
届いていたとしても、それに答える必要を感じていないみたいに。
その無反応が、余計に悔しかった。
私のことなんて、視界に入っていない。
だから私は、もっと頑張った。
彼に認めてもらえるように。
彼と並べるように。
せめて、同じ場所に立てるように。
剣を振った。何度も振った。
身体が軋んでも、腕が重くなっても、足が動かなくなりそうでも、やめなかった。
強くなれば、何かが変わると思っていた。
彼の見ている景色に、少しでも近づけると思っていた。
そして、いつの間にか私は彼を追い抜いていた。
少なくとも、周囲はそう見ていたのだと思う。
私の方が前に出るようになって、私の方が評価されるようになって、彼は逆に立ち止まってしまったように見えた。
あんなに強かったはずなのに、まるで自分から一歩引いたみたいに、前へ出なくなっていた。
それが不思議だった。
嬉しいはずなのに、少しもすっきりしなかった。
追いつきたかった。
追い越したかった。
そのはずなのに、いざそうなってみると、勝ったという実感がなかった。
彼は負けたように見えなかったから。
ただ、自分からそこに立つのをやめただけ。
だから私は聞いた。
『私は強くなった?』
あの問いには、たぶんいろんな意味が混ざっていた。
ちゃんと前に進めているのか。
あなたに届いたのか。
私は、あなたが見ていた場所に少しでも近づけたのか。
彼は無愛想に、『ああ』とだけ答えた。
たった一言。
愛想もないし、特別な感情もこもっていない。
それでも、彼なりに認めてくれたのだとわかった。
嬉しいはずだった。
ずっと欲しかった言葉だった。
追いかけて、追いかけて、ようやく手に入れたはずのものだった。
なのに、私の心は少しも満たされなかった。
認めてくれたはずなのに。
強くなったはずなのに。
私はまだ、どこか足りないままだった。
たぶん、欲しかったのは肯定じゃなかった。
強くなったと認められることだけじゃない。
もっとはっきり、もっと深く、自分の中に残る形で、彼に見てもらいたかった。
追いついたと、自分はここにいるのだと、彼に私を見て欲しかった。
本当に私は清隆を追い抜いたんだろうか。
€
50階層。
オレたちは順調に
しかしいつもより、空気が違っている。
ベート、ティオネ、ティオナ。
そしてアイズ。
誰も露骨に構えているわけじゃない。だが、緊張の糸を切っていないのがわかる。視線は鋭かった。
50階層に着く前、49階層での暴れ方もすごかった。
荒々しいというか、危なっかしいというべきか。
原因はわかっている。
ベル・クラネル。
上層で見せたミノタウロスとの戦い。
ベルは勝ってみせた。
ミノタウロスを倒すこと自体は、オレたちにとって難しいことじゃない。
だが、ベルにとっては意味が違う。
駆け出しの冒険者が、自分より格上の相手に真正面から挑み、恐怖も痛みも抱えたまま、それでも立ち上がって勝った。
あれは、ただの勝利じゃない。
現実に打ちのめされながら、それでも理想を捨てずに前へ出た。
あの戦いには、そういうものがあった。
心を揺さぶられないはずがない。
だが、アイズにとってはそれだけじゃない。
アイズが助けようとした場面でオレが止め、理想を問い直した相手だ。
そして、オレはあいつの中に残ったものを見た。
認めた。
少なくとも、アイズにはそう見えたはずだ。
長い時間をかけて追いつこうとしてきた自分には、あんなふうに言葉を向けなかった。
なのに、出会ってまだ大して時間も経っていないベルには違った。
理想を砕くような言葉を投げて、その奥にあるものを見ようとした。
そして最後には、英雄になれるかもしれないとまで言った。
それが、アイズの中で引っかからないはずがない。
「清隆さん……上層で何が……」
レフィーヤが遠慮がちに声をかけてくる。
問いには不安と戸惑いが滲んでいた。
無理もない。
上層で何かがあったことくらい、ここにいる全員が察している。
だが、その言葉が最後まで続く前に、別の声が割って入った。
「清隆」
短い呼びかけ。
それだけなのに、レフィーヤはすぐに口を閉じた。
珍しく強い響きがあったからだろう。レフィーヤは一歩引き、オレの近くで待機するように黙り込んだ。
アイズがまっすぐこちらを見る。
表情はいつもと大きく変わらない。
だが、その瞳の奥には、見過ごせない硬さがあった。
押し殺しているものがあると、長く見ていればわかる程度には。
「清隆は本当に英雄はいないと思うの?」
どうしてベルには、あんなふうに言葉を向けたのか。
どうしてベルの中にあるものを見ようとしたのか。
どうして、自分にはくれなかったものを、ベルには与えたのか。
そういう問いが、その一言の奥に沈んでいる。
「理想の英雄なんていない。それは今も変わらない」
アイズの視線は変わらずオレに向けられている。
レフィーヤも後ろで行き場を失ったのか、それとも話を聞きたいのか立ち止まっていた。
「だけど、英雄と呼ぶならベルみたいなやつが英雄になれるのかもしれないな」
その瞬間、アイズの瞳がわずかに揺れた。
悔しさ。
戸惑い。
そして、認めたくない嫉妬。
長い時間をかけて追いかけてきた。
強くなった。
認められたかった。
少しでも届きたかった。
なのに、オレがそういう言葉を向けたのはベルだった。
アイズは何も言わなかった。
ただ、どこか寂しそうに、少しだけ唇を引き結んだ。
━━━━狙い通りだ。
アイズとの関係は9年以上になる。
幼少期からアイズのことは見てきているが、オレに依存してきている。
最初はアイズなど興味もなかったが、7年前の暗黒期を終えた時から、興味が湧いた。
いや、自覚したと言った方がいい。
彼女はオレに認められるために強くなろうとしていた。
その一端があるのは理解していたが、興味がなかった。
だからそれを利用することに決めた。
あえて、突き放す。
あえて、欲しい言葉を与えない。
そうして煽ってきた。
心の奥底では満足はしていないだろう。
だから、思い出させないといけない。
━━━━アイズの根源を。
「お前は、まだオレを追いかけてるのか?」
アイズの瞳がまた揺れた。
「……っ」
「ベルは違った」
アイズの肩が、ほんのわずかに強張る。
比較されたと理解したんだろう。
「否定されても、折られても、それでも自分で立とうとした。誰かに認められるためじゃない。自分の理想を、捨てなかった」
アイズは黙っている。
何も言い返さない。
「お前はどうだ」
問いを投げる。
「お前はまだオレに執着しているのか?」
アイズは俯いていた。
何も答えられない、それは事実だからだ。
「だったら、お前はそこまでだ」
言い切る。
冷たく。容赦なく。
あいつがいちばん聞きたくない形で。
アイズの瞳が、はっきりと揺れた。
これでいい。
「自分が何のために剣を振るってるのか、それくらい自分で決めろ、他人の言葉でしか立てないなら、お前は一生そのままだ」
レフィーヤは口を紡いでいた。
レフィーヤだけではなく、他の団員もそうだが、ここで話せる空気ではないだろう。
しかし、オレのことを解せない目で見ている二人を除いて。
アイズはしばらく何も言わなかった。
ただ、オレを見ていた。
その目の奥で、何かが揺れて、沈んで、また浮かび上がろうとしているのがわかる。
傷ついて終わるなら、それまでだ。
ここで折れるなら、その程度だったというだけの話だ。
だが、あいつはたぶん、そうじゃない。
元々根源があったはずだ。
入団した時そうじゃなかっただろう。
思い出せ、根源を。
あの黒き憎悪を。
だから、オレは与えない。
今はまだ。
€
レフィーヤは不安そうにアイズが去っていった方を見つめたまま、何か言いたげに唇を開いては閉じていた。ベートは露骨に機嫌が悪そうに鼻を鳴らし、ティオナとティオネは揃ってオレを見ている。
その視線に含まれているものは、さすがにわかる。
非難の目だ。
しかも、軽い反発なんてものじゃない。身内を傷つけられた側の、はっきりとした怒りだった。
「……ちょっとさ。今の、さすがに言いすぎじゃない?」
先に口を開いたのはティオナだった。
普段の明るさを残してはいるが、声の奥は笑っていない。
腕を組んだまま、まっすぐオレを見る。
長く一緒にいた相手に、本当にああいう言葉を向けたのか、と。
「アンタ、アイズとどれだけ長い付き合いだと思ってんの?」
「9年ちょっとだな」
「そういうことを聞いてんじゃないのよ」
被せるように言ったのはティオネだった。
目が冷えている。眉間には深い皺が寄り、声も普段より低い。怒りを抑え込んでいる時の声だ。
その隣でティオナも、いつもの軽い調子を消したまま続ける。
「長い間ずっと一緒にいたんでしょ? アイズがどんなふうに頑張ってきたか、いちばん近くで見てきたんでしょ?」
「事実を言ったまでだ」
短く返す。
言い訳を重ねる気はなかった。
理解を求めるつもりもない。
ティオネもティオナも、もともと身内に甘い。
アイズが相手ならなおさらだ。
あいつらにとってアイズは、同じ派閥の仲間というだけじゃない。長い時間を共有してきた、守るべき身内だ。だからこそ、今のやり取りを見過ごせるはずがない。
ティオナも、珍しく笑わないまま言う。
「アイズ、あんな顔してたじゃん。それ見て、何とも思わないわけ?」
「なんとも思わないな」
次の瞬間、ティオネの拳が飛んできた。
感情に任せた一撃、避けようと思えば避けられた。
だが、しなかった。
鈍い音が響く。
頬に衝撃が走り、視界がわずかに揺れる。身体が半歩ぶれたところで、口の中に鉄の味が広がった。
「ティオネさん!?」
レフィーヤの悲鳴に近い声が上がる。
ティオネは肩で息をしていた。
拳を握りしめたまま、怒りを隠そうともしない。殴ったことで収まる程度の感情じゃないのだろう。
むしろ、殴ってなお足りない顔をしている。
「テメェ……よくそんなこと、平気で……!」
「事実を言ったまでだ」
その無機質な返答が、さらに火に油を注いだ。
「このっ━━!」
今度はティオナまで前に出る。
だが、その前にレフィーヤが割って入った。
「や、やめてくださいっ!」
震えた声だった。
怖くないはずがない。
相手はティオネとティオナだ。
普段から世話になっている先輩であり、実力差も大きい。
それでもレフィーヤは、二人とオレの間へ身体を滑り込ませた。
それでも必死に両手を広げて、オレとティオナたちの間に立つ。
「だ、ダメです! ここで喧嘩なんて……!」
「レフィーヤ、どいて!」
「どきませんっ!」
ティオネに睨まれても、レフィーヤは引かなかった。
それでも、ここで退いたら本当に殴り合いになるとわかっている。だから必死に踏みとどまっている。
「そこまでだ。ティオネ、ティオナ」
「団長……」
「清隆も言い過ぎだ」
フィンが今にも殴りそうなティオネを静止させる。
いつの間にか近くまで来ていたらしい。小柄な体躯のまま二人の前へ立つと、それだけで場の空気が変わる。
「今は休む時だ、それなのに喧嘩なんてもってのほかだ」
ティオネはなおも言い返したそうにしていたが、フィンの視線を受けて、ようやく拳を下ろした。ティオナも唇を尖らせたまま、渋々といった様子で身を引く。
去り際まで、二人の目は険しかった。
「清隆……君は……いや、今はいい。だが今は遠征中だ不要なことを言うのは控えてくれ」
「ああ、すまなかった」
フィンはそれ以上は何も言わなかった。
短く息を吐くと、ティオナたちの後を追うようにその場を離れていく。
言いたいことはあるが、ここで掘り返すべきじゃないと判断したのだろう。
「清隆さん……大丈夫ですか?」
レフィーヤが恐る恐る近づいてくる。
さっきまでの勢いは消えていて、代わりに心配と戸惑いがそのまま顔に出ていた。
「ああ、ティオネも流石に手加減してくれたみたいだ」
「でも……」
レフィーヤは言い淀みながら、そっと手を伸ばした、指先がオレの頬に触れた。
「でも…なんでアイズさんやティオネさん達にあんなことを…」
当然の疑問だろう。
レフィーヤはアイズやティオネ、ティオナにも世話になっている。
だからこそ、オレの言葉がただの冷酷さにしか見えないのも無理はない。
だが、レフィーヤには素直に話しておくか。
オレ個人としても、レフィーヤにも成長してもらわないと困るしな。
「アイツらの成長のためには必要なことだ、ここではっきり伝えた方がいい、ベルの冒険を見た後なら尚更な」
「ベル・クラネルの冒険……」
レフィーヤが小さくその名を繰り返す。
ベルに対する感情は複雑だろう。
レフィーヤはベルを
オレとベルが稽古していたところに鉢合わせして以来、妙に意識している節がある。
ベルがオレとの稽古する際に鉢合わせし、稽古するのを知って追いかけ回したとか。
悔しい。
自分より後から来たはずの相手が、目に見える勢いで伸びていくのが。
「レフィーヤも追い抜かれないようにしないとな」
「あのヒューマンには負けません!」
さっきまでの不安を押し返すように、レフィーヤは強く言い切った。
胸の前で小さく拳を握る。
目には火が宿っていた。
すると、レフィーヤは少しだけ視線を泳がせた。
言うべきか迷っているのがわかる。
指先が自分のローブの裾をつまみ、離し、またつまむ。
「だから清隆さん……私のこと見ていて欲しいです……」
誤魔化さなかった。
認められたい。
見ていてほしい。
その願いが、未熟なまま真っ直ぐに出ている。
「ああ、しっかり見させてもらおう」
そう返すと、レフィーヤの表情が目に見えて明るくなった。
頬が赤くなり、さっきまでの不安が嘘みたいに薄れる。
「頑張るぞー!」
レフィーヤは慌ただしく持ち場へ戻っていった
さて、オレもそろそろ遠征の準備をしよう。
€
「では、これから51階層以降に進む
時刻は夜。
51階層以降に進む
より深い領域へ踏み込む資格があるか。
誰が前に出て、誰がここに残るのか。
実力、経験、連携、信頼――その全部を含めた選別だ。
フィンは全員を見渡してから、簡潔に名前を読み上げていく。
「まず、僕、リヴェリア、ガレス」
当然の人選だ。
フィンの視線が、隣にいるリヴェリアとガレスへ一瞬だけ向く。
リヴェリアは静かに頷き、ガレスは腕を組んだまま低く鼻を鳴らした。
「アイズ、ベート、ティオナ、ティオネ」
呼ばれた四人が、それぞれ短く応じる。
「そしてサポーターとして、レフィーヤ」
「は、はい!」
少し上ずった声だった。
レフィーヤは背筋をぴんと伸ばして返事をしたが、その直後に自分でも声が裏返りかけたのを気にしたのか、わずかに頬を赤くしていた。気合いは十分だ。だが同時に、緊張も隠しきれていない。
「鍛治師として、椿」
「うむ、任された」
落ち着いた声が返る。
【ヘファイストス・ファミリア】唯一のレベル5。
鍛治師でありながら前線にも立てる異質な存在だ。武器の整備だけでなく、深層での不測の事態にも対応できる。戦力として見ても、同行する価値は高い。
フィンは一拍だけ間を置いた。
わずかな沈黙。
だが、その短い空白が場の空気を変えるには十分だった。
「そして最後に清隆。君も来てくれ」
「わかった」
オレは一言だけ返す。
その瞬間だった。
『はあああああああっ!?』
三つの声が、ほとんど同時に上がった。
ティオネ、ティオナ、ベート。
団長決定とはいえ、オレがこのパーティに加わるのは異論があるということだ。
「何か問題でも?」
「問題大アリだろ!!なんで清隆連れてくんだよ!こんなやつ足手纏いだろ!」
「ベート、君はいつも清隆をサポーターとして置いていたじゃないか、今回も清隆にサポーターとして同行してもらう、なんの問題もないはずだ」
実際、オレをサポーターとして使うこと自体は、これまでにも何度もあった。深層での荷運び、索敵補助、状況判断、撤退時の支援。表立った戦力じゃなくても、使い道はいくらでもある。
それをベート自身が理解していないはずがない。
「だってコイツはアイズを……!」
「ティオネ、私情を持ち出すのは良くないな、僕は清隆の力が不可欠だと思っている。深層に来て、こんなに場数を踏んでいるサポーターは他にはいない」
今度はフィンが、ベートではなくティオネの方を見た。
ティオネは一歩前に出かけていた。
昼間の怒りが、まだ完全には冷めていないのだろう。
フィンの言葉は冷静だった。
感情を切り離し、必要な要素だけを並べていく。
実際、その通りだ。
オレ自身ですら、深層に潜った回数を正確には覚えていない。
フィンはさらに、場数だけで言えば僕、リヴェリア、ガレスと比べても遜色ない、とまで付け加えた。
「ティオネ、私は大丈夫」
「アイズ……」
声は落ち着いている。少なくとも、そう聞こえた。
だが、完全に吹っ切れているわけじゃない。
昼間に突きつけられた言葉を、まだ整理しきれていないのがわかる。
しかし、オレが同行することに関してだけは、拒絶よりも別の感情が勝っているはずだ。
まだ見ていてほしいと。
あるいは、今度こそ自分の立つ場所を見せたい。
そんな想いが、アイズの中であるのだろう。
ティオネもそれ以上は言わなかった。
フィンはその空気ごと受け止めたうえで、話を先へ進める。
「異論があるのはわかる。だが、これは決定だ。51階層以降は、これまで以上に一つの判断ミスが命取りになる。経験と連携、そして生き残るための戦力だ」
フィンは最後に全員を見渡し、短く締める。
「以上だ。選ばれた者は今夜のうちに装備と役割を再確認しておいてくれ。出発は明朝だ。残る者たちはここを拠点に待機、補給、周辺警戒を担当する。各自、気を抜かないように」
アイズは静かに視線を伏せ、何かを噛みしめるように小さく息を吐いた。
ティオナとティオネはまだ不満を残しているが、それでもアイズの言葉を受けて、これ以上は表立って反発しないつもりらしい。
ベートだけが最後まで露骨に舌打ちしていた。
オレは、そんな反応を一歩引いた位置から眺めていた。
感情の整理がついていようがいまいが、ダンジョンは待ってくれない。
進むしか道はない。
€
ちょっとした
レフィーヤ、ティオネ、ティオナ、ベート、ガレス。
52階層で、
オレたちは正規ルートで合流しようと動く。
そうしてオレたちは妨害を退け、最終的に58階層で無事に合流することができた。
そして今、オレたちは59階層――未到達領域へ踏み込む前の最終確認として、椿が装備の点検と武器の整備を進めていた。
59階層は『氷河の領域』極寒の冷気が動きを鈍らせるという非常に過酷な環境下の階層域と言われている。
そのため、事前に
だが、妙だった。
58階層の連絡路から冷気が滲み出してきてもおかしくない。
にもかかわらず、冷気がオレたち届いていなかった。
【ゼウス・ファミリア】が虚偽の報告を残すとは考えにくい。
なら、変わったのはダンジョンの側だ。
実際、58階層に大量発生していた
あれだけの数が、理由もなく一方向へ移動するとは思えない。
生態の変化か、環境の変化か、それとももっと別の要因か。
いずれにせよ、59階層には何らかの
「清隆......」
不意に名前を呼ばれ、顔を上げる。
そこに立っていたのはティオネだった。
ばつが悪そうな顔をしている。
周囲の団員たちは、それぞれ休憩や打ち合わせに意識を向けていて、こちらを気にしている様子はなかった。
「どうした」
オレがそう短く聞いた。
「昨日は、その……殴って悪かったわ……反省してる」
「いや、怒って当然だろう、あんな言い方しかできないオレが悪い」
昨日のことを、あいつなりに引きずっていたんだろう。
59階層という未知の領域に挑む前だからこそ、余計なわだかまりを残したくなかった。深層では、感情のしこりひとつが判断の遅れに繋がる。
ティオネは感情的に見えて、そういう線引きはできる。
実際、あんな言い方をされたら誰だって怒る。
ティオネの反応は、むしろ自然だった。
「それじゃあ仲直りしましょ」
ティオネはそう言って、少しだけ口元を緩めた。
「アイズにあんなこと言ったのは、今でも許せないけど。でも、清隆なりの考えがあったってことは理解したから」
多分、アイズにも確認したんだろう。
オレとアイズの間にあるものを、ティオネなりに。
ティオネはアイズほどじゃないにせよ、オレとも長い付き合いだ。
オレが人付き合いを得意としていないことも、アイズとの関係が他の誰とも少し違うことも、薄々感じ取っていたはずだ。
だからこそ、昨日の言葉を単純な悪意だけでは片づけきれなかった。
ティオネはオレの前に手を差し出した。
オレはその手をそのまま握り返す。
「清隆は私たちよりもレベルは下だけど、結構頼りにしてるんだからね」
「そうなのか?」
少し意外で、思わず聞き返す。
ティオネは呆れたように眉を上げた。
「ええ、アンタ昔から物怖じしないでしょ、いつも冷静っていうか...だから割と清隆の顔見て安心したりしてるのよ」
「......褒めてるんだよな?」
「褒めてるわよ」
ティオネは即答した。
それから、ほんの少しだけ真面目な顔になる。
「……それと、この後も信じてるから」
それだけ言うとティオネはフィンの元に歩いていく。
オレはその背を見送り、それからふと視線を横へ流す。
アイズがいた。
少し離れた場所で、静かに腰を下ろしている。
感情を表に出さないまま、内側で答えの出ない問いを抱え続けているのだろう。
自分が何のために剣を振るうのか。
未だに迷っている。
あの状態で未到達領域に挑むのは、本来なら好ましくない。
判断の遅れや迷いは、そのまま死に繋がる。
深層、それも未知の領域ならなおさらだ。
だが───
それはそれとして、面白いとも思った。
ここで折れるのか。
それとも、迷いの底で何かを掴み直すのか。
今のアイズは、ちょうどその境目に立っていた。
その境目に立っている人間を見るのは、嫌いじゃない。
開示可能情報
二振りの小刀
【
綾小路家に代々伝わる二振りの小刀。
極東から去る際、宝蔵を襲い入手した。
椿に造らせてる汎用武器。
投げ物として使用している、投げやすさや製造費が少ないところから大量生産をし、自分の部屋に大量に置いている。
大量生産をしたせいで、椿は
小説の文字数について
-
7000〜10000文字くらいまで
-
10000〜15000文字くらいまで
-
気にせず書いていい