ようこそ実力至上主義のダンジョンへ   作:修羅シュラ

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今回の話は長くなっちゃいました〜
ゆっくり見てってください〜




輝夜の独白と実力者

「そっちに行ったぞ!」

 

草木をかき分け、飛来する矢を避け、迫り来る死から逃れるように駆ける。

もう逃げ場はない。

それでも、立ち止まれば終わる。

だから走るしかなかった。

 

「ハッ…!ハッ…!ハッ…!」

「いたぞ!!ってなんだアレは!!」

『グルルルルルルルッッ』

「や、やめろ!!こっちに!グギャアアアアアッッ!!」

 

だが次の瞬間、崖上を見上げた武士たちの顔から血の気が引いた。

そこには、大量のモンスターがいた。

獣じみた唸り声を上げながら、群れは躊躇なく武士たちへ襲いかかる。

腕を食い破り、足に喰らいつき、喉笛を食いちぎった。

たちまち周囲は阿鼻叫喚に包まれた。

 

もっとも、地上にいるモンスターは比較的弱体化されている。

ここがオラリオでなくとも、恩恵を持ち、昇華(ランクアップ)している者であれば、本来なら造作もない相手だ。

 

「この程度のモンスターに怯むんじゃねぇ!我らはウカノミタマ様のご加護を授かっているんだ!こんなガキ……に……ッッ!?」

 

その言葉は、最後まで続かなかった。

心臓から、銀の刃が咲いた。

血潮が飛び散る。

 

確かに彼女にとっては、目の前にいる人物は脅威だった。

目の前に立つ人物は、トラウマの一つであった。

 

女武士の身体がびくりと震え、口から濁った息が漏れた。

確かに彼女にとって、目の前の人物は脅威だった。

いや、それ以上だ。

目の前に立つその男は、輝夜にとってトラウマの一つだった。

 

それなのに━━━輝夜は高揚していた。

 

彼が、自分を救う英雄のように現れたからだ。

火をつけられたように背中が熱い。

焼けるような感覚が、脊髄を這い上がっていく。

頬には、憎むべき相手の血が降りかかっていた。

そして彼は、そのトラウマを、何事でもないように殺した、表情一つ変えずに。

 

「アッ……!? づっ━━━━!!き、貴様……いつからそこに……」

「初めからだ、お前だけが脅威だからな。確実に殺すためにお前を待っていた」

「武士として……ッッ恥ずかしく……ガッアッ!!」

 

言い終える前に、彼はもう一振りの小刀を首へ突き刺した。

女武士は崩れ落ちる。

もう動かない。

もう喋らない。

ただ、口元から血を溢れさせるだけだった。

 

「オレは武士じゃない」

 

彼━━━清隆は、冷たく言い放つ。

 

「それに、命の取り合いに名乗りを上げるお前らの神経がわからない」

 

その後、生き残っていた残党を、清隆と輝夜は片づけていった。

慈悲も情けもなかった。

ただ、生き残るために必要なことだけをした。

そして。

 

「ここでお別れだ、輝夜」

 

別れは、あまりにも唐突だった。

輝夜は言葉にならない何かを伝えようとして、必死に唇を動かす。

 

「わ、私も……清隆と一緒に……」

「ダメだ」

「……っ」

 

唯一の心の拠り所が、離れていこうとしている。

それは輝夜にとって、生きる意味を失うことと同義だった。

 

「お願いだ!連れてってほしい!!私にはお前がいないと……足手纏いにはならないように努力する!だから……!」

「足手纏いだ」

 

清隆は、容赦なく告げた。

 

その通りだった。

あの程度の相手に追い詰められ、息を乱し、心を折られかけていた。

そんな者に、自分の隣に立つ資格はない。

そう、その目が語っていた。

 

輝夜は声を上げることもできず、ただ噛み締めるように涙を零した。

悔しさ。

惨めさ。

必要とされていないという事実。

そのすべてが刃のように胸へ突き刺さり、息ができないほど苦しかった。

 

「だが、オレはお前をずっと手放そうとは思っていない」

「……えっ?」

「二年後迎えにくる」

 

何を言われたのか、一瞬理解できなかった。

なぜ二年なのか。

なぜ迎えにくるのか。

どうして自分なのか。

分からない。

何一つ分からない。

 

「お前はまだ足手纏いだ、それは変わらない」

 

清隆は事実を告げる。

 

「オレと過ごした三年は目を見張るものがあった」

「……っ、お前がいたから私は……!」

「だから、二つ条件を出す」

 

清隆は、輝夜に条件を突きつけた。

 

「一つ。お前を嵌めた首謀者━━━妹を倒せ」

「……咲夜を、か?」

 

「ああ。殺してしまっても構わない」

 

輝夜は息を呑む。

 

「それで、二つ目は?」

「二年間、生き残ることだ」

 

生き残る。

それは簡単な言葉ではない。

咲夜は輝夜を嵌め、殺すつもりでいた。

 

仮に生きて帰れたとしても、難癖をつけられ、裏切り者として処理されるのが関の山だ。

家も、血も、立場も、すべてが敵に回る。

そんな中で二年間生き残るなど、無理に等しい。

 

「オレに価値を示してみせろ」

「価値……」

「その二つを果たした時、二年後の今日、この時間に━━━あの丘の桜の木で待っていろ」

 

清隆が指を差した先には、桃色の花を満開に咲かせた一本の木があった。

 

「できるか?」

 

短い確認だった。

それ以上の言葉は必要ない。

そういう響きがあった。

輝夜の中では、もう答えは決まっていた。

清隆と共にいられるのなら、他に何もいらない。

家族も、友も、神でさえも。

何一つ。

 

「後悔するなよ、清隆」

「むしろ後悔させてみてくれ」

 

輝夜は息を整え、覚悟を口にする。

もう、これ以上話している暇はなかった。

 

これから始まる二年間を生き抜くために、綿密に計画を立てなければならない。

妹を殺すことすら視野に入れ、すべてを捨ててでも生き残らなければならないのだから。

 

だからこそ、せめて一つだけ。

冬島(・・)を出たら伝えようと思っていた言葉を、今ここでぶつける。

 

「清隆!私は、お前が全世界の敵になったとしても━━━私だけは、お前の味方だ!」

 

その叫びを背に、彼は振り返らなかった。

それでも輝夜には、それで十分だった。

あの日の約束だけで、二年を生きられると確信していたから。

 

 

「夢か……」

 

忘れもしない。

あれは、私が十二の時の記憶だ。

目を覚ました輝夜は、じっと天井を見上げた。

 

寝汗が肌に張りついて気持ち悪い。

寝巻きを脱ぎ、濡らした布で首筋から肩、胸元へと汗を拭っていく。

少しずつ熱が引いていくのを感じながら、自然と脳裏に浮かぶのは、やはり清隆のことだった。

 

……いや、今さら思い出すも何もない。

あいつのことを忘れたことなど、一度もなかった。

 

私は自己研鑽を怠ったことがない。

それはもう、習慣というより本能に近い。

剣も、身のこなしも、立ち振る舞いも。

 

そして、美しさも。

いつ清隆に求められてもいいように。

いつ触れられてもいいように。

常に清潔で、女として見劣りしない自分であり続ける。

それもまた、私なりの執念だった。

 

「よし、これでいいか」

 

朝の支度を終え、輝夜は小さく息を吐く。

そろそろ食事の時間だ。

今日の食事当番は自分だったはずだ。

 

【アストレア・ファミリア】での暮らしは、嫌いではない。

むしろ、気に入っている。

穏やかで、真っ当で、眩しいほどに優しい場所だ。

自分のような人間には、少しばかり似つかわしくないと思うこともある。

それでも、ここにいる時間は確かに心地よかった。

 

仲間にも恵まれている。

馬鹿をやって笑い合える時間も、背中を預けて戦える信頼も、ここには確かにある。

 

だからこそ、この場所を裏切りたくないと思っているのも本心だ。

この日々を壊したくない。

失いたくない。

そう思える程度には、私はもうこの家族(ファミリア)に情を抱いている。

 

だけど━━━それでも。

私には、一つだけ昔から変わらず誓っていることがある。

 

『世界中が清隆の敵になろうとも、私だけは味方であり続ける』

 

それだけは、昔も今も変わらない。

たとえ【アストレア・ファミリア】を裏切ることになったとしても。

たとえアリーゼやリオンたちと刃を交えることになったとしても。

たとえこの穏やかな居場所を、自分の手で壊すことになったとしても。

 

私が選ぶのは、きっと清隆だ。

あの男が正しいかどうかなんて、私にはどうでもいい。

救われるべき人間かどうかも、今さら問うつもりはない。

清隆がどれほど冷酷でも、どれほど多くを切り捨てても、どれほど世界に拒まれようとも━━━私だけは、あいつを見捨てない。

あの日、地獄みたいな場所で手を差し伸べられてしまった時から。

あの桜の木の下で、二年後に迎えに来ると言われた時から。

 

私の生きる理由は、ずっと変わっていないのだから。

 

 

地下水路を進んだ先、オレたちの探していた目的、敵の本拠地の扉を発見した。

オレたちは一部人を残して進むことになった、フィンやガレスは先行隊へ。リヴェリアは待機という形になった。

 

オレとしても待機組に混ざりたいと思っていたが

『お前がアイズを止めろ、いいな?くれぐれも絶対無理させるんじゃないぞ?わかったな?』そんな圧を、過保護お母さん(リヴェリア)から真正面で叩きつけられたせいで、結局オレも同行する羽目になった。

しかも、オレの監視役としてアリシアまで先行隊に組み込まれている。

……信用がないのか、あるのか、判断に困るところだ。

 

扉の先に広がっていたのは、もはや敵の住処(アジト)というより、一つの迷宮(ダンジョン)だった。

扉は『最硬金属(オリハルコン)』。

壁は『超硬金属(アダマンタイト)』。

数年程度で築ける代物ではない。

これだけのものを地下に築き上げていたとなれば、敵の規模はオレたちの想像以上に大きいと考えた方がいい。

 

「班を二つに分けよう」

 

内部を見渡したフィンが、即座にそう指示を飛ばした。

 

分けられたのは、ガレス、アイズ、ティオネ、ティオナを中心とした第一級冒険者の多い班。

 

そしてもう一方が、フィン、ベート、レフィーヤ、フィルヴィス、ラウル、アキ、アリシア、そしてオレを含む機動力重視の班だった。

 

ティオネとアイズは露骨に不満そうだったが、アイズにとっては少し距離を置くくらいがちょうどいい薬になるだろう。

……いや、本当にそうか?

最近のあいつを見ていると、離した方が逆に面倒な気もする。

考えるだけ無駄か。

それにしても、アリシアまでこっちに回されたのは、やはりオレの監視込みなのだろう。

 

「ここ、ダンジョンにある広間(ルーム)に似ている」

 

アキが周囲を見回しながら呟く。

 

「こっちの左右の扉も開きません!」

 

団員たちが左右の扉に手をかけるが、びくともしない。

先ほどまでの通路とは違い、この空間には妙な既視感があった。

アキの言う通り、まるでダンジョンの広間(ルーム)だ。

左右の扉が閉ざされている以上、進路は一つ。

先にある開いている入り口しかないだろう。

 

「フィ〜〜〜〜〜ン〜〜〜〜〜〜ッ!!」

 

女の声が、広間いっぱいに響き渡る。

オレたちが向かおうとしていた先の入口から、一つの人影が姿を現した。

 

「会いたかったぜぇクソすかした勇者様ァ!!てめぇは私のこと覚えていたか?覚えていたよなぁ?忘れたなんてとぼけやがったらブチ殺す!!」

 

ヴァレッタ・グレーデ。

オラリオの暗黒期に秩序を乱し、混乱を撒き散らした闇派閥(イヴィルス)の幹部。

だが、こいつは死んだはずだ。

少なくとも表向き(・・・)には、あの『27階層の悪夢』で。

 

「あの『27階層の悪夢』はやはり死を偽装するための隠れ蓑だったわけかな?」

 

フィンが静かに問いかけると、ヴァレッタは心底憎たらしそうに顔を歪めた。

 

「腹が立つくらい正解だよ、チビ勇者」

 

27階層での惨劇を前に、フィンは救援を切り捨てる判断を下した。

その代わり、手薄になっていた闇派閥(イヴィルス)の本拠地候補を片っ端から襲撃し、神々を天上へ送還した。

 

「ん〜〜〜?? 珍しい顔もいるじゃねぇか。清隆〜。お前を仲間に誘って断られたの、今でも覚えてるぜぇ?」

 

ヴァレッタの視線が、フィンの後ろにいたオレへ向く。

 

「清隆、あなた彼女と面識が?」

 

隣のアリシアが驚いたように問いかけてきた。

 

「ああ、七年前にな」

 

短く答えると、ヴァレッタは口元を吊り上げた。

 

「どうだ?今からでもお前がこっちにくるっていうならお前だけは見逃してやってもいいぞ?」

「魅力的な提案だが、お前の誘いに乗ったらコイツらに殺される」

「ちょっと清隆!!」

 

冗談でそう言った瞬間、頭上から拳骨が飛んできた。

 

「まあ誘いに乗らねぇってことならここで叩き潰すだけだ!この『人工迷宮(クノッソス)』に呑まれて死ね!!」

 

人工迷宮(クノッソス)

それが、この場所の名らしい。

 

ヴァレッタがそう言い放った直後、オレたちが通ってきた背後の扉が重々しい音を立てて閉じた。

同時に、左右の閉ざされていた扉の向こうから、嵐の前触れのような振動が伝わってくる。

 

次の瞬間、左右の扉が一斉に開いた。

そこから溢れ出してきたのは、大量の食人花だった。

 

「やるぞ!テメェら!!」

 

ベートの一声で、開戦の狼煙が上がる。

食人花は確かに脅威だ。

だが、こちらには猛狼(ベート)がいる。

 

「がるああああああああっっ!!」

 

圧倒的な速度。

圧倒的な威力。

ベートは群がる食人花を次々と蹴り砕き、引き裂き、屠っていく。

だが、それでも数が減らない。

押し寄せる花弁と牙の波は、こちらを圧殺する勢いで迫ってくる。

 

「総員、正面へ進め!狙うはヴァレッタ・グレーデ!!」

 

フィンの指示が飛ぶ。

オレたちは唯一残された正面の道へ、全速力で駆け出した。

ヴァレッタは、切り替えの早いフィンに心底憎たらしそうに顔を歪めたが、すぐに背を向けて奥へ逃走していく。

 

その手には、Dと刻まれた球体の魔道具(マジックアイテム)が握られていた。

おそらく、あれが扉を自在に開閉するための鍵だろう。

しかも、わざわざこちらに見せつけてきた。

十中八九、オレたちをこの先へ誘い込むための誘導だ。

だが、戻ればモンスターの群れに呑まれる。

なら、進むしかない。

 

「団長!殿(しんがり)は私とフィルヴィスさんに任せてください!」

「……頼んだよレフィーヤ」

 

レフィーヤが叫ぶと、フィンは笑ってレフィーヤに背中を預けた。

 

「フィルヴィスさん!」

「……なるほど、任せろ!」

 

「【ディオ・グレイル】!」

「【アルクス・レイ】!」

 

フィルヴィスが盾となってモンスターの進行を食い止め、レフィーヤの魔法が群れをまとめて蒸発させる。

いい二人(コンビ)だ。

オレが見てないうちに、仲良くなれたようで何よりだ。

 

「清隆!先進みますよ!」

「ああ」

 

足を止めかけたオレを、アリシアが鋭く促す。

レフィーヤたちに殿を任せ、オレたちは先行しているベートを追ってさらに奥へ進んだ。

 

「何あれ!?食人花じゃない!!新種!?」

 

正面から現れたのは、食人花だけではなかった。

一つ目の蜘蛛のような外見をした、新種のモンスターが道の先から這い出してくる。

 

「構うか!仕掛けてくる前に潰しちまえばいいだろうが!」

『ギィィ!?』

 

だが、新種が現れたところでベートの進行速度はまるで落ちない。

勢いを殺さぬまま蹴殺し、そのまま前へ前へと突き進んでいく。

 

「脅威にならなかったな、新種のモンスターは」

「……やっぱりすごいわね、ベートは」

 

アリシアが感心したように呟く。

 

もっとも、油断はできない。

この新種は、道のあちこちに空いた穴から這い上がってきていた。

一匹一匹は大したことがなくても、数が揃えば話は別だ。

しかも統率され、狭い場所からでも次々と湧いてくるとなれば、厄介さは食人花以上かもしれない。

 

この人工迷宮(クノッソス)は、ただの敵の住処(アジト)じゃない。

侵入者を殺すために、最初からそう設計されている。

そしてヴァレッタは、その中心でオレたちを待っている。

 

そして、その異変をオレは見逃さなかった。

中衛にいるフィン。

そのすぐ横、精巧に造られていた扉が、音もなく開いていた。

嫌な予感、という言葉では足りない。

肌の上を、冷たい刃が這うような感覚だった。

次の瞬間、前後左右をを埋め尽くしていたモンスターの群れが、左右へ割れた。

 

それは偶然の乱れではない。

明確な意志を持って、統率され、道を譲っていた。

まるで臣下が王のために膝を折るように。

あるいは、神前に頭を垂れる信徒のように。

その異様な道の中央を、ゆっくりと一つの影が歩み出る。

 

赤い髪。

人の形をしていながら、人ではない異形。

背には、紅赤の不気味な大剣。

血を煮詰めて鍛えたような、禍々しい色をした刃だった。

その怪人(クリーチャー)は、迷いなくフィンへ狙いを定めていた。

 

「━━━━ッッッ!?」

 

一撃。

 

ただ、それだけだった。

だが、その一撃だけでフィンは理解したはずだ。

 

18階層で遭遇した時のそれとは、もはや別物だと。

威力が。

速度が。

圧が。

目の前の怪物は別次元に踏み込んでいた。

 

「また会ったな小人族(パルゥム)

「っっ!?」

「18階層の借りは返しておくぞ」

 

敵の剣から放たれる絶対的一撃を防ぐこと三回。

たった三撃でフィンはもう終わっていた。

 

このままでは、殺される。

フィンは魔法を使わなかった。

━━━違う。使えなかった。

 

使えば指揮官として機能が終わる。

指揮官を失えないと判断したから。

 

その判断は指揮官として正しい。

だが、この敵を前にした時だけは、その正しさが致命傷になった。

 

「づっ━━━━!?」

 

赤い軌跡が、空間を斜めに走る。

次の瞬間、フィンの身体が大きく揺れた。

肩口から腹部にかけて、深々と斬り裂かれていた。

血が噴き出す。

夥しい量の血が、鎧を、床を、空気を汚していく。

口からも赤黒い液体が溢れ、フィンは膝を折った。

 

その光景に、場が凍りつく。

アキが息を呑む。

アリシアの目が見開かれる。

後方で殿(しんがり)を務めるレフィーヤの顔から血の気が引く。

そして、あのベートでさえ、一瞬だけ動きを止めた。

誰もが動揺した。

━━━オレ以外は

 

「死ね」

 

赤髪の怪人(クリーチャー)が、今度こそフィンの息の根を止めるため、大剣を振り上げる。

時間が凍る。

空気が固まる。

 

だが凍った時間の中で━━━━ラウルは跳んでいた。

 

「続けえ!!」

 

叫びは、短く、鋭かった。

それだけで十分だった。

ベートを残し、アキたちは即座に動く。

新種のモンスターが這い出してきた穴へ、躊躇なく飛び降りていく。

ここで全滅するより、隊を分けてでも生き残る道を選ぶしかない。

 

オレも、アリシアも、追うように穴へ身を投げようとした。

その時だった。

 

「清隆お前はそっちだぜぇ?」

「清隆!?」

 

横合いから、強烈な衝撃が叩き込まれる。

ヴァレッタだ。

不意打ちの蹴りが脇腹にめり込み、身体が大きく浮いた。

 

そのままオレは、ラウルたちとは別の穴へ叩き落とされた。

アリシアが叫ぶ。

そして、ほとんど反射でオレを追うように同じ穴へ飛び込んできた。

 

「てめえがこっちにくると計画が狂うんでな、そっちで遊んでな!ひゃはははははははっ!!」

 

頭上から降ってくるヴァレッタの笑い声。

耳障りで、甲高く、底意地の悪さだけを煮詰めたような声だった。

 

オレの身体は、暗い縦穴の中を落ちていく。

風が耳元で唸る。

壁面が凄まじい速度で流れていく。

上を見上げれば、さっきまでいた場所の光が、もう小さな穴のようにしか見えない。

深い。

思った以上に深い。

 

しかも、ただ落ちるだけでは終わらない。

この人工迷宮(クノッソス)のことだ。

落下先に何も仕込んでいないはずがない。

 

 

穴に落ちてから、どれくらいの時間が経ったのか、もう分からなかった。

二時間かもしれない。

十時間かもしれない。

もしかしたら、そこまで経っていないのかもしれない。

けれど、そんなことはもうどうでもよかった。

 

あるいは、もっと短かったのかもしれないし、もっと長かったのかもしれない。

時間の感覚は、とっくの昔に擦り切れていた。

ただ分かるのは、息をつく暇もなく戦い続けてきたということだけだ。

 

「はぁ…はぁ…清隆!もう私精神力(マインド)が!」

 

喉が焼けるように熱い。

肺は空気を求めて悲鳴を上げ、脚は鉛のように重い。

『魔法』を絞り出し続けたせいで、頭の芯までじんじんと痛んでいた。

 

「温存していろ。あとはオレがやる」

 

それでも、前を行く清隆の声は変わらない。

息一つ乱していなかった。

 

食人花を斬り払い、新種のモンスターを蹴散らし、狭い通路を血と泥で汚しながら、ただ出口を探して前へ進む。

だが、進んだ先に待っているのは休息ではない。

次の角を曲がればまた敵。

扉を抜ければまた群れ。

まるでこの人工迷宮(クノッソス)そのものが、侵入者を疲弊させ、削り、最後には喰い潰すために生きているかのようだった。

アリシアは唇を噛む。

 

自分は清隆と同じLv.4だ。

けれど、純粋なステイタスなら自分の方が上のはずだった。

なら、守らなければならない。

彼を。

自分たちの本拠(ホーム)へ帰るために。

 

そう思って、ここまで必死に食らいついてきた。

足を止めず、弱音も飲み込み、少しでも清隆の負担を減らそうと戦ってきた。

━━━けれど。

どうやら、自分の運もここまでらしい。

 

「こんなところで会うなんて運がない奴らだ」

 

その声が響いた瞬間、アリシアの背筋を冷たいものが走った。

通路の先。

重々しい扉の向こうから、ゆっくりと姿を現したのは、あの赤髪の怪人(クリーチャー)だった。

 

忘れるはずがない。

団長を、たった数合で圧倒した化け物。

あの異様な威圧感も、血のように赤い髪も、背負った不気味な大剣も、何一つ見間違えようがなかった。

 

空気が変わる。

通路の温度が、一気に下がったように感じる。

 

「貴様は、あの女が気に入っていた男か……」

 

怪人の視線が、私ではなく清隆へ向く。

 

「アイツは殺すなとは言われてなかったな。帰る予定だったが、手土産にはちょうどいい」

「清隆……隙を見て逃げて」

 

気づけば、私は一歩前に出ていた。

清隆を庇うように、その前へ立つ。

 

「なんだ、この羽虫は」

 

侮蔑のこもった声。

でも、そんなことはどうでもよかった。

ここで清隆を見捨てて、自分だけ逃げるなんてありえない。

そんな選択肢、最初から私の中にはなかった。

 

彼とは同族(エルフ)じゃない。

育ちも違うし、考え方だってきっと違う。

それでも、異性でこんなふうに自然に話せる相手は初めてだった。

友達。

そう呼べる相手は誰かと聞かれたら、私はきっと清隆の名前を挙げる。

それくらいには、好いている。

 

私の方が、たぶん強い。

それに年だって私の方が上だ。

なら、守るのは私の役目だ。

お姉ちゃんなら、弟を守るものでしょう?

 

「貴様如きが足止めになると思っているのか?」

「私は死ぬかもしれないけど、清隆だけは絶対守る、貴方なんかに殺させはしない!!」

 

叫びながら剣を構える。

手が震えているのが分かった。

怖い。

当たり前だ。怖くないわけがない。

でも、それでも退けなかった。

 

「知っているか?」

 

赤髪の怪人が、大剣をゆっくりと構える。

 

「弱い奴は、死に場所も死に方も選べない」

 

その瞬間、私は清隆を後ろへ押しやった。

それが合図だったみたいに、怪人の姿が消える。

目は離していなかった。

ちゃんと見ていた。

それなのに、もう目の前にいた。

 

「死ね」

 

短い声。

それだけで、終わりだと分かった。

 

ああ、私は弱いんだ。

英雄にはなれない。

英雄って呼ばれるのは、団長やアイズみたいな人たちだ。

誰かを導いて、誰かを救って、誰かの希望になれる人たち。

清隆が英雄なんて呼ばれる未来は、たぶん来ない。

あいつはそういう光の中を歩く人じゃないから。

 

でも、それでもいい。

彼だけは守ってみせるって決めた。

だったら、せめて最後くらいは。

この一瞬だけでも、私が彼の盾になれたなら。

清隆の英雄になって、この人生を終えるのも悪くない。

そう思った。

魔法はもう使えない。

精神力(マインド)は底をつきかけている。

詠唱したところで、どうせ間に合わない。

 

なら、一撃。

たった一撃だけでも、この身で受け止める。

剣ごと抱え込んで、縫い止めて、ほんの少しでも時間を稼ぐ。

それで終わりでいい。

そうして、私の人生は終わる

 

━━━━はずだった。

 

「なに?」

 

目の前で、赤い軌跡が逸れた。

怪人の大剣が、横へ弾かれている。

何が起きたのか、一瞬理解できなかった。

 

次の瞬間、身体がふわりと浮く。

抱え上げられていた。

そのまま後ろへ大きく跳ぶ。

風が頬を打って、景色が流れて、着地の衝撃でようやく私は自分を抱えている相手を見上げた。

 

「きよ……たか……?」

「怪我はないか?」

 

清隆だった。

怪人の剣筋を蹴りで逸らして。

その上で私を抱えて、後ろへ離脱した。

そんなこと、できるはずがない。

少なくとも、私の知っている清隆なら。

 

「え、ええ。それより今のは……」

「話はあとだ、今はコイツの対処が先だ」

 

そう言って、清隆は私をゆっくり下ろした。

その顔には、驚きも焦りもなかった。

まるで最初からこうなると知っていたみたいに。

あるいは、この程度は当然だとでも言いたげに。

表情が、ほとんど動いていない。

 

胸の奥がざわついた。

今の動きは何?

どうして間に合ったの?

どうして、あの怪人の一撃を逸らせたの?

聞きたいことはいくらでもある。

でも、そんな暇はない。

 

「そこで見ていろ、オレがなんとかしてやる」

 

静かな声だった。

 

なのに、不思議なくらい耳に残る声だった。

そして清隆は、一歩、また一歩と前へ出る。

団長ですら敵わなかった、あの赤髪の怪人(クリーチャー)の前へ。

 

血の匂いが濃く淀む通路の中で。

赤い怪物と、黒い静けさを纏った男が向かい合う。

その背中を見つめながら、私は初めて思った。

━━━私、清隆のこと、何も分かってなかったのかもしれない。

 

 

「お前、何者だ?あの動き……いや、今はいいか」

 

赤髪の怪人(クリーチャー)が、低く唸るように言った。

怒気と警戒が混じった声だった。

さっきまで獲物を嬲る側だったはずの相手が、初めてこちらを測り始めている。

 

「お喋りに来たのか?だったらオレたちは帰らせてもらうぞ」

 

そう返しながらも、視線は一瞬たりとも外さない。

目を切れば終わる。

そう直感していた。

オレがこの怪人から意識を逸らした瞬間、後ろにいるアリシアが死ぬ。

それだけは、ほとんど確信に近かった。

 

通路の空気は重い。

血の匂いと、焼けた肉の臭いと、湿った石壁の冷気が混ざり合って、肺の奥にまとわりついてくる。

足元には、さっきまで斬り伏せてきたモンスターの残骸が散らばっていた。

その向こうで、赤髪の怪人はゆっくりと口元を歪める。

 

「ふっ、はははははっ!!お前は面白い奴だな……アリアを捕らえられなかった心労(ストレス)を貴様で払わせてもらおう」

 

赤髪の怪人はもうオレしか見ていなかった。

それならばもう注意する必要もない。

 

「いくぞ、すぐ死んでくれるなよ」

 

言葉と同時に、怪人が跳んだ。

床を砕くような踏み込み。

禍々しい紅の大剣が、一直線にオレの眼前へ迫ってきた。

 

「清隆ぁ!!」

 

背後でアリシアの叫び声が弾ける。

 

「がっ━━!?」

 

オレは身体を半歩分だけ捻り、紙一重で斬撃を外へ流した。

頬のすぐ横を、赤い刃が風を裂いて通り過ぎる。

熱を持った殺意が皮膚を掠めた。

そのまま、捻った勢いを殺さずに後ろ回し蹴りを放つ。

踵が怪人の顔面を捉えた。

鈍い衝撃が脚に返ってくる。

 

止まらない。

着地と同時に間合いへ潜り込み、拳を叩き込む。

顔面。

肩。

腹。

太腿。

一発ごとに狙いを変え、呼吸を乱す暇も与えず、執拗に打ち込む。

骨の硬さ、筋肉の密度、皮膚の強度。

人間よりはるかに頑丈だが、関係ない。

壊れないなら、壊れるまで打つだけだ。

 

「貴様ああああッッ!!」

「来るなら叫ぶなよ」

 

怪人が大剣を振るう。

だが、当たらない。

フィンが受けたような一撃を、オレが受ける理由はない。

 

剣は空を斬るだけだ。

二撃。

三撃。

四撃。

五撃。

 

連続して放たれる斬撃を、最小限の動きで外す。

半歩。

首の傾き。

腰の捻り。

それだけで十分だった。

当然だ、オレの方が強い。

だから、当たるわけがない。

 

六撃目。

怪人が怒りに任せて大きく振り抜いた瞬間、オレは床を蹴った。

跳躍。

赤い刃が足元を空しく薙ぐ。

その上から、全身の捻りを乗せた拳を振り下ろす。

 

━━━グシャッ

拳がめり込んだ瞬間、果実を硬い石に叩きつけたような、湿った破砕音が響いた。

怪人の頭部が大きく弾け、巨体が後方へ吹き飛ぶ。

石床を削りながら数歩分滑り、最後は剣を地面に突き立てて、どうにか踏み止まった。

血とも体液ともつかない赤黒いものが、床にぽたぽたと落ちる。

 

「ッッ……グッッ!貴様、何故それほどの力がありながらあの小人族(パルゥム)を助けなかった!?その実力ならば私が現れた瞬間、屠れたはずだ!!」

 

怪人は怒り狂っていた。

実力差を理解した怒り。

それ以上に、自分が見過ごされていたことへの屈辱。

その両方が、声に滲んでいる。

後ろでは、アリシアも息を呑んでいる気配がした。

 

当然だろう。

今のやり取りだけでも、オレが今まで見せてきた範囲を明らかに超えている。

別に隠し通す必要もない。

ここまで来たら、多少見られたところで大差はない。

 

「興味があった」

 

オレは淡々と答える。

 

「あの時、あの瞬間、フィンがどんな判断を下すのか」

 

確かにオレはフィンを助けられた。

助けるだけじゃない。

あの場でこの怪人ごと殺すこともできた。

だが、しなかった。

ああいう状況に追い込まれた時、フィンがどう動くのか見たかった。

魔法を使うのか。

それとも、指揮官としての役割を優先して迷うのか。

 

結果は、良くはなかった。

少なくとも、最善ではない。

だが、今頃ラウルたちが動いているはずだ。

ラウルもアキも、英雄と呼ばれる器ではない。

それでも、やる時はやる男と女だ。

 

「貴様らは仲間じゃないのか……?」

「ああ、仲間だからこそ成長させる必要がある、フィンが狙われるということはこれから先もあるかもしれないからな」

 

口にした瞬間、自分でも白々しいと思った。

心にもない。

 

別にフィンを成長させたいわけじゃない。

人工の英雄なんてものに、興味はない。

 

ただ見たかっただけだ。

フィンという男が。

ロキ・ファミリアの団長が。

極限でどんな思考をし、どんな選択をするのか。

 

それだけだ。

 

「貴様、イカれているな……あの女がお前を引き込もうとした理由が分かったぞ」

「言っとくが、オレはお前らの仲間になんてならないぞ」

 

それは本心だった。

こいつらの側に立つ気はない。

最初から一度もない。

利用価値があるかどうかと、同類になるかどうかは別の話だ。

 

怪人の肩が上下している。

呼吸が荒い。

顔面の損傷も、完全には戻っていない。

再生能力はあるらしいが、即時ではない。

なら、まだ余裕がある。

 

「どうだ?時間稼ぎして、傷が癒えた頃合いだろ?」

 

オレは軽く首を鳴らした。

拳に残る鈍い感触を確かめるように、指を開いて閉じる。

 

「オレの機能回復(リハビリ)に付き合ってくれ」

「ほざけェ!!」

 

怒号と同時に、怪人が再び踏み込んでくる。

石床が砕け、空気が震える。

赤い殺意が一直線に迫る。

 

オレは静かに息を吐いた。

ちょうどいい。

まだ身体は鈍い。

感覚も完全じゃない。

だが、この程度の相手なら、戻すには十分だ。

 

さて。

どこまで保つか、試してみるか。

 

 

圧倒だった。

その一言でしか、言い表せなかった。

目の前で繰り広げられているのは戦いのはずなのに、私の知っているどんな戦闘とも違っていた。

剣戟の応酬でもない。

力と力がぶつかり合う死闘でもない。

もっと一方的で、もっと冷たくて、もっと異様なものだった。

 

赤髪の怪人(クリーチャー)は、清隆の前でなすすべがなかった。

大剣を振り上げれば、その軌道に入る前に腕ごと叩き砕かれる。

渾身の踏み込みから神速の一撃を放っても、斬り裂くのは空気だけ。

 

紅い刃は何度も何度も虚空を薙ぎ、そのたびに石壁に反響する風切り音だけが、空しく通路に残った。

 

「楽しいなァ!!人間(ヒューマン)!!」

 

怪人は笑っていた。

口元を歪め、血を撒き散らしながら、それでも歓喜に震えるような声を上げている。

 

なのに。

清隆は、無表情だった。

そこに危機感はない。

高揚もない。

怒りも、焦りも、愉悦もない。

ただ身体を動かしているだけ。

必要だからそうしているだけ。

 

まるで、目の前の怪物を相手にしているというより、決められた作業を淡々とこなしているようにすら見えた。

その温度差が、かえって恐ろしかった。

 

「何が面白いんだ?こんなつまらない戦いでオレが心躍ることはない」

「ッッ!?」

 

清隆の声は低く、平坦で、挑発ですらない。

本心から、そう言っているのだと分かる声だった。

そして、その言葉通りに、清隆は一撃、一撃を積み重ねていく。

 

剣も。

槍も。

斧も。

何一つ使わない。

武器を一切手にせず、ただ己の肉体だけで、あの怪物を圧倒していた。

 

拳がめり込む、蹴りが骨を軋ませる。

踏み込み一つ、体重移動一つ、肩の捻り一つに至るまで、すべてが洗練されすぎていた。

無駄がない、なんて言葉では足りない。

そこには最初から、余分という概念そのものが存在していないようだった。

 

純粋なステイタス差だけで見れば、ほぼ互角なのかもしれない。

少なくとも、怪人が一方的に劣っているようには見えない。

それなのに、どうしてここまで差がつくのか。

答えは、嫌でも分かった。

技術だ。

力量だ。

積み重ねてきたものの質が、まるで違う。

怪人の剣捌きだって凄まじい。

私は魔導士で、剣を主武器にしているわけじゃない。

それでも分かる、あれは強い。

下手をすれば、アイズよりも上かもしれないとすら思った。

 

なのに、届かない。

どうしてかなんて単純だった。清隆が強すぎるからだ、その事実が胸の奥に重く沈んでいく。

清隆は隠していた、意図的に。

私たちロキ・ファミリアに。

アイズは、これを知っていたのだろうか。

……ううん。たぶん、知らない。

確証なんてない、でも、そんな気がした。

 

「はぁ…はぁ…」

 

怪人の呼吸が荒い。

肩が上下し、血と体液が床に滴っている。

さっきまでこちらを圧倒していた存在が、今は追い詰められる側に回っていた。

 

「お前がアイズに勝ったのは偶然に過ぎない」

 

清隆が、動きを止めた怪物に追撃せず、静かにそう告げた。

 

「……何を言っている」

 

怪人の声に、初めて明確な苛立ちが混じる。

 

「お前を怪物だと認識しなかった甘さが敗北を招いた」

「お前はさっきから何を言っている!?私はアリアに勝った!圧倒的な力でな!」

「その程度でか?」

「━━━ガッッ!?」

 

次の瞬間、清隆の姿が消えた。

私には見えなかった、怪人にもたぶん見えていなかった。

気づいた時には、清隆は怪人の懐へ潜り込み、その胸を踏みつけていた。

そのまま、地面へ叩きつける。

 

「ぐおおおおおおおッッ!!」

 

鈍い衝撃が通路全体を揺らした。

怪人の体が床にめり込み、石片が跳ねる。

 

「アイズが負けたのはオレの失態だ、まだ甘さが抜けていなかった。だから敗北した」

 

抜け出そうともがく怪人を、清隆は何の感情もなく踏みつけ続ける。

その重圧に耐えきれないとでもいうように、床の『超硬金属(アダマンタイト)』にひびが走った。

 

ありえない、あの硬度の壁材が。

ダンジョンでも滅多に見ないほどの強度を誇る金属が、ただ踏みつけられただけで悲鳴を上げている。

目の前の光景が、現実味を失っていく。

 

「何故殺さない!!お前なら容易いだろう!!」

 

怒り狂ったように、怪人が叫ぶ。

その言葉に、私は思わず息を呑んだ。

そうだ。

清隆なら殺せる。

私にだって分かる。

この戦いは、もう勝負になっていない。

そのくらいの実力差がある。

 

「お前が言ったんだろう、弱い奴は死に方を選べないと」

「貴様ああああああッッ!!」

 

清隆が、怪人を見下ろしたまま言う。

次の瞬間、清隆が床を砕いた。

 

轟音。

ひび割れが一気に広がり、怪人の身体ごと床が崩落する。

赤髪の怪物は、砕けた石と金属片を巻き込みながら、そのまま下へ叩き落とされていった。

しばらく遅れて、下の方から鈍い衝突音が響く。

 

静寂が落ちた。

そこに立っていたのは、いつも通りの清隆だった。

無表情で、何事もなかったみたいに。

まるで今の戦いすら、彼にとっては特別なことではなかったかのように。

 

「帰るぞ、アリシア」

「は、はい……」

 

差し出された手を、私はほとんど反射で取っていた。

引き上げられるようにして立ち上がる。

その手は温かかった、ちゃんと生きている人の手だった。

なのに、さっきまで見ていたものが現実離れしすぎていて、ひどく遠い存在に触れているような気さえした。

 

清隆は何も言わず、歩き出す。

私もその隣に並ぶ。

けれど、胸の中はぐちゃぐちゃだった。

 

「清隆……隠してたのですか?本当の実力を」

「そうだ」

 

あまりにもあっさりと、彼は答えた。

その一言が、胸の奥に鋭く刺さる。

 

「どうして!?なんで私たちに隠し事を!!」

 

気づけば、声が荒くなっていた。

抑えられなかった。

ひどい裏切りだと思った。

 

二軍部隊(パーティー)として、いつかあの人たちに並ぼうと約束したあの日。

私たちが必死に足掻いていたその横で、貴方は何を考えていたの?

嘲笑っていたの?

呆れていたの?

それとも、怒っていたの?

問い詰めるように見上げても、清隆の表情は変わらない。

ぴくりとも動かない。

その瞬間、私は理解してしまった。

 

━━━ああ、そうか。

無関心なんだ。

彼は、興味がない。

第二級冒険者(私たち)に、英雄になれない私たちに、何者でもない私たちに。

その事実が、悔しくてたまらなかった。

悔しい、悔しい、悔しい。

 

それ以上に、そんなことにも気づかず、守るつもりでいた自分が許せなかった。

何が助けるだ、何が逃げなさいだ。

守られたのは私の方じゃないか。

清隆がどうしてここまで強いのか、私には分からない。

何を見て、何を捨てて、何を積み重ねてきたのかも分からない。

 

でも、知りたいと思った。

これだけの実力を手に入れるまでに、彼がどれだけのものを失ったのか。

どれだけの苦しみを味わってきたのか。

私には想像もつかない。

 

それでも。

背負いたいと思った。

彼と一緒に歩みたいと思った。

それは余計なお世話なのかもしれない、思い上がりなのかもしれない。

彼にとっては、迷惑ですらあるのかもしれない。

それでも、関係なかった。

ああ、私は━━━彼に焦がれてしまった。

今ならアイズの気持ちがわかる。

 

この先がどれだけ険しくても。

どれだけ彼が遠くても。

どれだけ自分が未熟でも。

それでも、追いかけたいと思った。

彼の隣を、彼の見ている先を、彼が一人で背負っているものを。

 

━━━この英雄街道を。

 

 

オレとアリシアは、最初に二言三言だけ言葉を交わしたあと、ずっと無言のまま歩いていた。

 

足音だけが、人工迷宮(クノッソス)の冷えた通路に乾いて響く。

砕けた石片を踏む音、壁のどこかから滴る水音。

それらが、妙に大きく聞こえた。

戦闘の直後だというのに、空気は不気味なほど静かだった。

 

出口は近い。

そう思えるだけの変化が、周囲にはあった。

通路の造りが単調になってきている。

罠の気配も、モンスターの配置も、露骨に薄くなっていた。

人工迷宮(クノッソス)の終わりが見え始めていた。

オレは歩きながら、アリシアのことを考えていた。

 

口止めするべきか。

それとも、何も言わずにおくべきか。

少しだけ迷ったが、結局は後者を選んだ。

 

仮にアリシアが今日のことを喋ったとしても、すぐに致命的な問題になるとは思えない。

信じるかどうかは聞いた側次第だし、仮に信じたとしても、それで何かが急に変わるわけでもない。

それに━━━泳がせておくのも、少し面白い。

人は秘密を抱えた時、そこからどう変わるのか。

何を考え、何を選び、どこへ向かうのか。

観察対象としては悪くない。

 

「清隆」

 

不意に、アリシアが口を開いた。

 

「なんだ?」

「今日あったことは誰にも言いません」

 

オレは足を止めずに答えかけて、少しだけ視線を横へ流した。

アリシアの横顔は、疲労の色を濃く残している。

頬には乾ききっていない血が薄くこびりつき、髪も乱れたままだ。

それでも、その目だけは妙に澄んでいた。

 

「助かるがいいのか?」

 

問い返すと、アリシアは一拍だけ黙った。

道中、ほとんど喋らなかった。

感情の整理でもしていたのだろう。

さっき見たものを、どう受け止めるべきか。

自分の中で、どう言葉にするべきか。

そして、今ようやくまとまったということか。

 

「言わない代わりにお願いがあるんです」

「オレにできることがあるのなら」

 

そう返した瞬間、アリシアがオレの前へ回り込んだ。

通路の真ん中で立ち止まる。

自然と、オレも足を止めた。

 

薄暗い通路の中。

壁に埋め込まれた魔石灯の淡い光が、アリシアの横顔をぼんやりと照らしている。

 

彼女はまっすぐオレを見上げていた。

その瞳に宿っていたのは、炎だった。

そうとしか言いようのない熱があった。

アリシアには、本来なかったはずのものだ。

英雄に至れない者が持つには、あまりにも強すぎる熱。

自分の限界を知り、それでもなお手を伸ばそうとする者だけが宿す、厄介で、眩しくて、時に人を壊す光。

それを、アリシアは宿していた。

 

━━━オレが宿してしまった。

少なくとも、きっかけはオレだ。

今日の一件で、こいつの中の何かを決定的に変えてしまった。

 

「私に戦い方を教えてください」

 

アリシアの声は震えていなかった。

願いというより、宣言に近い響きだった。

 

「私は━━━英雄になりたいのです、貴方と共に」

 

その言葉を聞いて、オレは少しだけ目を細めた。

英雄。

軽々しく口にできる言葉じゃない。

憧れだけで届く場所でもない。

才能だけでも、努力だけでも、運だけでも足りない。

何かを得るたびに、同じだけ何かを失っていく道だ。

 

ついこの前まで、オレにとってアリシアは、ただの妖精(エルフ)だった。

少し真面目で、少し不器用で、仲間意識だけは強い。

それ以上でも、それ以下でもない。

無関心だった。

少なくとも、特別に目をかける理由はなかった。

 

だが、今は違う。

目の前にいるアリシアは、もう以前のアリシアじゃない。

守られるだけの側に甘んじるつもりも、誰かの背中を見て終わるつもりもない。

自分の意志で、焼けるような熱を抱え込んで、前へ進もうとしている。

その姿は、少しだけ滑稽で。

少しだけ危うくて。

そして、少しだけ面白かった。

 

オレはしばらく何も言わず、アリシアを見ていた。

彼女も視線を逸らさない。

逃げる気はないらしい。

言葉の重さを理解した上で、それでも立っている。

なら、試す価値はあるかもしれない。

この熱が一時の感情で終わるのか。

それとも、本当に自分を焼き殺しながら進むのか。

見てみるのも悪くない。

 

 




◇ゴジョウノ・輝夜
清隆に全てを捧げる女の子。
生娘で捧げる相手はとっくに決めている。
求められることを待っている。

◇アイズ・ヴァレンシュタイン
今話一切出てこなかったヒロイン。
実は班分けの際、フィンに「やり直しして」とティオネと共にめちゃくちゃ抗議していたが、ガレスに連れてかれた。

◇ アリシア・フォレストライト
共に英雄に焦がれてしまった女の子。
この身を悪魔に捧げて、これから改造されちゃう女の子。
恋とも執着とも違う。
ただの愛憎。

━━━━━

今回は文字数がとんでもなく多いです。
ゆっくり見てもらえると嬉しいです。

今回は新しくヒロインレースに追加された?アリシアです。
よう実の清隆も割とメインヒロインじゃない生徒に好かれる傾向があるので、全然ヒロインにする気なかったアリシアを出してみました。

さてさて、今回は清隆が少しだけ本気出してみました。
実力バレるの問題ないって言ってますし、そろそろ本気出すんじゃないんですか……?知らないですけど…

【再】現状のヒロイン誰が好き?

  • 壊れちゃったアイズたん
  • 生娘・輝夜
  • アイゾウ・アリシア
  • バーニング・アリーゼ
  • 影の薄いレフィーヤ
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