SUBJECT B PERFECTION MODEL: DEFENSIVE
REJECTION SENSITIVITY: HIGH
SUBJECT A RESPONSE TO SUBJECT B HISTORY: PERSONALIZED
DIGNITY PROTECTION RESPONSE: CONFIRMED
RELATIONSHIP MODEL CONFIDENCE: 48.6%
CROWシステム/起源データ取得
対象Bの完璧性モデル:防御的
拒絶感受性:高
対象Aの対象B過去への反応:個人的
尊厳保護反応:確認
関係性モデル信頼度:48.6パーセント
SUBJECT B PERFECTION MODEL: DEFENSIVE
REJECTION SENSITIVITY: HIGH
SUBJECT A RESPONSE TO SUBJECT B HISTORY: PERSONALIZED
DIGNITY PROTECTION RESPONSE: CONFIRMED
RELATIONSHIP MODEL CONFIDENCE: 48.6%
CROWシステム/起源データ取得
対象Bの完璧性モデル:防御的
拒絶感受性:高
対象Aの対象B過去への反応:個人的
尊厳保護反応:確認
関係性モデル信頼度:48.6パーセント
関係性モデル信頼度:48.6パーセント
その依頼は、最初から妙だった。
報酬が高い。
情報が少ない。
依頼人は身元を明かさない。
そして何より、黒曜が受けると言った。
「嫌な予感しかせえへん」
アクトは助手席で腕を組んだ。
窓の外では、雨に濡れた工業地区が後ろへ流れている。
無人運転のバン。
夜。
海沿い。
閉鎖された研究棟。
いかにも何かが出る場所だった。
「予感は判断材料になりません」
後部座席で、黒曜が答える。
黒いローブ。
大きな三角帽子。
膝の上には古風な儀式杖。
紫色の結晶が、走行中の振動に合わせてかすかに光っている。
「材料になるわ。何年この仕事しとる思てんねん」
「経験則は統計的根拠を欠きます」
「生き残っとる実績はあるで」
「生存者だけを観測した結果です」
「お前、今日やたら噛みつくな」
「通常通りです」
黒曜は窓の外を見た。
それで会話は終わった。
アクトは横目で彼女を見る。
通常通り。
そう言うときほど、通常ではない。
依頼内容は単純だった。
閉鎖されたMCT系列研究施設から、旧式のアストラル観測記録を回収する。
物理媒体。
ネットワークから切り離された保管庫。
施設は数年前に放棄されており、警備は最低限。
依頼人によれば、現場にいるのはスクワッターと自動防衛装置だけ。
嘘だ。
少なくとも、アクトはそう判断していた。
黒曜も分かっているはずだった。
それでも受けた。
「MCTの施設やからか」
アクトが言った。
黒曜は答えない。
「気になるんやろ」
「何がです」
「昔の職場」
「学校です」
「同じようなもんや」
「まったく違います」
「ほな、何で受けたん」
「報酬が適切だったためです」
「はいはい」
バンが止まる。
研究施設は、海に突き出た埋立地の先端にあった。
四階建て。
窓のほとんどは暗い。
外壁にはMCTの旧ロゴが残っている。
正門のセキュリティゲートは壊れ、錆びたまま開いていた。
雨水が地面を流れ、排水溝へ吸い込まれている。
アクトはバンを降りる。
赤い野球帽。
機械式のウサ耳センサー。
アーマージャケット。
背中のアサルトライフル。
左腿の拳銃。
銀色の四肢が、街灯の下で濡れた光を返す。
黒曜も降りた。
その瞬間。
施設の上階で、紫の光が一度だけ瞬いた。
アクトのウサ耳センサーが動く。
「見えたか」
「ええ」
「スクワッター、紫に光るんやな」
「珍しい例でしょう」
「帰ろか」
「却下します」
「そう言うと思ったわ」
二人は正面を避け、搬入口から入った。
扉の電子錠は死んでいる。
アクトが銀色の指を隙間へ差し込み、無理やりこじ開けた。
内部は暗い。
非常灯だけが赤く点灯している。
湿った埃。
古い薬品。
焼けた配線。
黒曜が杖を軽く掲げる。
紫晶の明かりが廊下を照らした。
「明かり消せ」
「視界が必要です」
「あたしは見える」
「私は見えません」
「魔法で何とかせえや」
「光源を生成しています」
「目立つ言うとんねん」
黒曜は不満そうに杖を下げた。
代わりに、アクトの肩越しに廊下を見る。
「近い」
「何がです」
「顔」
「あなたが小さいためです」
「離れろ」
「視界を確保できません」
「ほな帽子脱げ」
「拒否します」
いつもの調子。
だが黒曜の声は、少し硬い。
廊下の壁に、古い訓練室の番号が残っていた。
黒曜の足が、一瞬だけ止まる。
白い机。
同じ形の椅子。
隣の席には、いつも青い軸の筆記具が置かれていた。
持ち主は、召喚課程で一度だけ精霊の制御を失った。
負傷者はいなかった。
設備損傷も軽微。
翌朝、その席は空になっていた。
青い筆記具だけが残っていた。
誰も名前を口にしなかった。
教官は出欠を取らず、机を一つ詰めさせた。
黒曜は質問しなかった。
質問すれば、次に空く席が自分になると理解していた。
その日の演習で、黒曜は一度も誤差を出さなかった。
終わったあと、教官が一言だけ告げた。
――よくできました。
うれしかった。
同時に、恐ろしかった。
その二つを分けられないまま、黒曜は現在まで持ち続けていた。
「黒曜」
アクトの声で、廊下へ戻る。
「何です」
「今、どこ見とった」
「何も」
「そうか」
アクトは追及しなかった。
廊下を進む。
床には、古い足跡。
新しい泥。
複数人。
ブーツ。
重装備。
アクトはしゃがみ込む。
「五人以上」
「どの程度、新しいですか」
「今日や」
黒曜の目が細くなる。
「依頼情報と一致しません」
「今さらやな」
さらに進む。
角。
階段。
保管庫は地下二階。
だが、地下へ向かう前に黒曜が足を止めた。
「待ってください」
「何や」
「アストラルに反応があります」
「何人」
黒曜は答えなかった。
目を閉じる。
空気が変わる。
見えない圧力が、廊下へ満ちていく。
「黒曜」
「静かに」
「何人や」
黒曜が目を開けた。
「六」
アクトは数秒黙った。
「帰ろ」
「同意します」
「お前が即答すると怖いわ」
「全員、覚醒者です」
「はい無理」
「うち二人は精霊を維持しています」
「もっと無理」
「一人は高位の収束具を所持」
「帰るで」
「ええ」
二人は同時に後ろを向いた。
その瞬間。
廊下の両端に、半透明の壁が立ち上がった。
マナ障壁。
物理的な壁ではない。
だが黒曜にとっては、巨大な鉄格子に近い。
アストラル空間が閉じられる。
「罠やな」
「ええ」
「見事に釣られたな」
「依頼情報の信頼性が不足していました」
「それを罠言うねん」
前方の暗闇から、足音がした。
一人。
二人。
三人。
黒い戦闘服。
防具化コート。
杖。
短いロッド。
指輪。
全員、魔術装備。
後方からも三人。
完全に挟まれている。
アクトはライフルへ手をかけた。
「動かないでください」
前方中央の男が言った。
年齢は五十前後。
銀縁眼鏡。
髪はきれいに撫でつけられている。
戦闘員というより教師に見えた。
黒曜の呼吸が止まる。
「……教官」
アクトが彼女を見る。
男は微笑んだ。
「久しぶりですね、黒宮静」
その名前が、廊下へ落ちた。
黒曜の顔から表情が消える。
「人違いです」
「その言い方は変わりませんね」
「私は黒曜です」
「ストリートネームでしょう」
「それが何です」
「何でもありません。ただ、君がまだその服装を続けていることに少し驚いただけです」
男の視線が、黒曜の帽子とローブをなぞる。
「学院では、よく似合っていました」
「アクト」
黒曜が低く言う。
「この人物の発言を信用しないでください」
「まだ何も聞いてへん」
「聞く必要がありません」
男はアクトを見る。
「あなたがアクトトゥルスですね」
「何で知っとる」
「有名ですよ」
「悪名なら間に合っとる」
「そうではありません」
男は微笑みを崩さない。
「彼女の現在の行動記録に、あなたは頻繁に現れる」
アクトの目が細くなる。
「誰が記録しとる」
「それを確認するために、我々もここへ来たのです」
男は片手を上げた。
敵の魔法使いたちは、まだ攻撃しない。
だが全員が術式を準備している。
見えない照準が、二人へ重なっていた。
「黒宮静。帰還しなさい」
「拒否します」
「君にはその権限がない」
「私はMCTの所有物ではありません」
「所有物ではない。人材です」
「同義です」
「相変わらず極端ですね」
男はため息をついた。
「君の実地課程は、すでに終了しています」
黒曜の眉がわずかに動く。
「何を」
「正式配属は見送られました」
「誤りです」
「君は外部実地研修中ではない」
「記録が混同されています」
「黒宮静」
男の声から、わずかに教師らしい柔らかさが消えた。
「君は卒業時点で、現場適応性に重大な欠陥ありと評価された」
「誤りです」
「協調性不足」
「他者の能力が不足していただけです」
「命令系統への不適応」
「不合理な命令を拒否しました」
「自己評価と現実の乖離」
「評価者の理解が不足しています」
「そして、失敗を認めない」
黒曜の指が、杖を強く握る。
「黙りなさい」
「君は特別選抜ではなかった」
「黙りなさい」
「正式配属前の保留対象だった」
「黙れ」
最後の言葉だけ、普段の黒曜らしくなかった。
アクトは横顔を見る。
青白い。
唇が震えている。
怒りではない。
もっと深いところ。
男は続けた。
「ストリートへ出したのは、研修ではない。観察です」
「違う」
「企業環境の外で機能するか」
「違います」
「修正可能か」
「違う」
「それとも、廃棄すべきか」
アクトの銃口が上がった。
「その言い方、もう一回してみ」
「アクト」
黒曜が止める。
「これは私の問題です」
「お前、今まともに喋れてへんやろ」
「正常です」
「どこがや」
「彼の発言には根拠がありません」
男が端末を取り出す。
古い形式のMCT認証画面。
黒曜の顔写真。
黒宮静。
適性評価。
実地配属保留。
対人適応性、重大懸念。
特別観察対象。
回収優先度、低。
廃棄判断、保留。
黒曜は画面を見た。
瞬きしない。
「捏造です」
「認証署名を確認しますか」
「不要です」
「君なら理解できるでしょう」
「不要だと言っています」
「静」
「その名で呼ぶな!」
杖の紫晶が弾けた。
黒曜が術式を放つ。
速い。
怒りに任せた一撃。
青白い雷光が廊下を走る。
だが男の前で、光は歪んだ。
対呪文。
左右の魔法使いが同時に防御へ入る。
術式が分散され、壁へ流れる。
コンクリートが爆ぜる。
「ほらな」
アクトが舌打ちする。
「集団で受けられたら通らへん」
「もう一度です」
「やめろ」
「次は出力を」
「黒曜!」
後方の術者が動いた。
アクトのサイバーアイが、指先の動きを捉える。
彼女は黒曜の肩を掴み、横へ投げた。
床を転がる黒いローブ。
直後、アクトがいた場所へ炎が走る。
空気が爆ぜる。
ジャケットの背中が焼ける。
「熱っ!」
アクトはライフルを抜く。
三点射。
後方の術者が障壁を張る。
弾丸が空中で逸れる。
「物理障壁まであるんかい!」
別の術者が手を上げる。
アクトの視界が歪む。
廊下が伸びる。
黒曜が三人に増える。
敵が消える。
「幻影!」
「分かっています!」
黒曜が立ち上がり、杖を床へ打ちつける。
空間がさらに歪む。
混沌界。
幻影と幻影がぶつかる。
廊下の壁が波打ち、床が反転し、天井が何重にも重なる。
敵の一人が姿勢を崩す。
別の一人が、存在しないアクトへ術式を撃つ。
「今です!」
「帰るんやろ!」
「一人落とします!」
「欲張んな!」
黒曜は聞かない。
正面右の術者へ指を向ける。
スタンボルト。
不可視の衝撃が飛ぶ。
だがまた防がれる。
二人がかりの対呪文。
黒曜の顔が歪む。
「なぜ」
「向こうのほうが多いからや!」
アクトは煙幕弾を抜き、床へ転がした。
白煙。
魔術師に煙幕が絶対的な意味を持つわけではない。
だが視線を切る。
照準を乱す。
アストラルと物理の情報差を作る。
同時に、アクトは天井のスプリンクラー配管を撃った。
水が噴き出す。
廊下へ雨が降る。
煙が広がる。
赤い非常灯が滲む。
「左!」
黒曜の声。
アクトは見えないまま左へ撃つ。
悲鳴。
一人が肩を押さえて下がる。
命中。
「走るで!」
「保管庫は地下です」
「まだ言うか!」
「依頼対象を」
「罠や言うたやろ!」
後方で獣の唸り声。
炎の精霊。
煙の中に、巨大な輪郭が立ち上がる。
熱が増す。
スプリンクラーの水が蒸気へ変わる。
「精霊来る!」
「私が止めます」
「無理や!」
「可能です」
「六人相手にして何が可能やねん!」
黒曜は振り返った。
炎の精霊。
その背後に術者。
さらに前方にも三人。
マナ障壁は健在。
逃げ道はない。
黒曜の目が、冷たくなる。
「障壁を破ります」
「ドレイン残っとるやろ」
「回復しています」
「嘘つけ」
「成功率はあります」
「何割」
「三十八」
「低いわ!」
「他に選択肢がありません」
黒曜は杖を両手で握る。
紫晶が強く光る。
周囲の空気が沈む。
アクトには魔法の細部は分からない。
だが、これはまずいと分かる。
弾雨の中心で見た光。
黒曜が倒れる前の光。
「おい」
「障壁を破ったら、右の階段を使ってください」
「一緒に行くんやぞ」
「当然です」
「その言い方、信用ならん」
黒曜は術式を始める。
敵も気づく。
前方の三人が同時に詠唱へ入る。
対呪文。
妨害。
攻撃。
複数の魔力がぶつかり、廊下の照明がすべて割れた。
暗闇。
紫。
青。
赤。
アクトの視界に、魔力の残光が焼きつく。
次の瞬間。
銃声。
魔法ではない。
通常弾。
敵の一人が拳銃を抜いていた。
魔術師だからといって、銃を使わない理由はない。
アクトが反応する。
だが遅い。
弾丸はアクトではなく、黒曜へ向かっていた。
黒曜は術式へ集中している。
避けない。
「黒曜!」
アクトが腕を伸ばす。
間に合わない。
弾丸が黒曜の左脇腹へ入った。
黒いローブが跳ねる。
身体が一歩、後ろへずれる。
紫晶の光が乱れる。
だが術式は止まらなかった。
「……継続します」
「阿呆!」
血が流れる。
黒い布の上で、赤は目立たない。
だが床へ落ちた瞬間、はっきり見えた。
一滴。
二滴。
三滴。
アクトの呼吸が止まる。
自分が撃たれたときとは違う。
胸に対物弾を受けても、こんな感覚はなかった。
頭の中が白くなる。
「止めろ!」
「障壁を破らなければ」
「止めろ言うとるやろ!」
「黙ってください。集中が」
二発目の銃声。
アクトが黒曜の前へ出る。
弾丸が銀色の肩へ当たる。
火花。
アクトは撃ち返す。
長い連射。
拳銃を持った術者が障壁の陰へ下がる。
「黒曜、術式切れ!」
「不可能です」
「死ぬぞ!」
「死にません」
「血ぃ出しながら言うな!」
黒曜の唇が白い。
だが目は正面を向いている。
紫晶の光が一点へ集まる。
マナ障壁。
敵の術者たちが強化している。
黒曜一人では破れない。
正面からなら。
アクトは周囲を見る。
壁。
配管。
非常用電源。
天井。
床。
マナ障壁は魔法的な封鎖。
だが建物そのものを支えているわけではない。
「黒曜」
「何です」
「障壁、壁ごと動いたらどうなる」
「質問の意味が」
「向こうの壁、壊したら抜けられるか」
「障壁は空間に固定されています」
「ほな横から出るで」
アクトは銃口を右側の壁へ向ける。
非常口表示。
その向こうは階段室。
問題は厚いコンクリート。
通常弾では時間がかかる。
アクトは腰のグレネードへ手を伸ばす。
「伏せろ!」
「何を」
「ええから!」
壁際へ爆薬を設置する。
即席。
精密ではない。
だが穴は開く。
黒曜は術式を維持したまま、アクトの意図を理解した。
「構造崩落の可能性があります」
「ここおるよりマシや」
「計算が不足しています」
「今からする暇あるか!」
アクトが起爆する。
轟音。
壁が内側へ吹き飛ぶ。
粉塵。
破片。
空気の圧力。
アクトは黒曜を抱き込み、背中で破片を受ける。
階段室が現れる。
黒曜の術式が切れた。
同時に、彼女の膝が崩れる。
「おい!」
「障壁は」
「もうええ!」
アクトは黒曜の身体を抱き上げる。
長身。
黒いローブ。
普段なら重さをからかうところ。
今は何も言えない。
左脇腹から流れる血が、アクトの銀色の腕へ広がる。
温かい。
自分の身体にはない温度。
「下ろしなさい」
「黙れ」
「私は歩けます」
「黙れ」
「まだ戦闘は」
「黙れ言うとるやろ!」
アクトが怒鳴る。
黒曜が口を閉じる。
階段を駆け上がる。
背後から精霊が追う。
熱。
炎。
敵の術者たちも穴を抜けてくる。
「右、上」
黒曜がかすれた声で言う。
「寝とけ」
「二人います」
「分かっとる!」
一人目。
階段の踊り場。
アクトは走りながら射撃。
三点射。
敵が障壁を張る。
弾丸が逸れる。
アクトは止まらない。
距離を詰める。
黒曜を左腕で抱えたまま、右肩から敵へぶつかる。
障壁は弾丸を逸らせても、百キロ近い機械化された身体の突進までは止められない。
男が壁へ叩きつけられる。
アクトはその腹へ膝を入れた。
息が止まる。
二人目が術式を撃つ。
黒曜が指を動かした。
弱い対呪文。
完全には防げない。
だが軌道がずれる。
青い光がアクトの横を抜け、階段の手すりを溶かす。
「魔法使うな!」
「必要でした」
「次やったら殴る!」
「戦術的に不適切です」
「お前が死ぬより適切や!」
黒曜は答えなかった。
一階。
出口まで二十メートル。
だが正面玄関には、さらに一人。
先ほどの教官。
彼は杖を持って立っていた。
「静」
「その名で呼ぶな」
黒曜がアクトの腕の中で言う。
声は弱い。
だが言葉は鋭い。
「帰還すれば治療を受けられます」
「必要ありません」
「その状態で?」
「この程度」
「この程度ちゃう!」
アクトが口を挟む。
男は彼女を見る。
「あなたには関係のない話です」
「あるわ」
「彼女は我々の人材です」
「ちゃう」
「君に何が分かる」
「少なくとも」
アクトは拳銃を抜いた。
「お前らんとこ帰りたない言うとるんは分かる」
男の周囲に魔力が集まる。
アクトの銃口が揺れない。
撃っても防がれる。
魔法を受ければ危険。
正面からは勝てない。
それでも退かない。
黒曜がアクトのジャケットを掴んだ。
「左の消火設備」
「何や」
「圧力タンク」
アクトのサイバーアイが左を見る。
壁際。
大型の消火剤タンク。
高圧。
「破裂させれば、視界と姿勢を奪えます」
「お前、撃たれとるほうが頭回るな」
「通常通りです」
アクトは男へ銃を向けたまま、足元の空薬莢を蹴った。
金属音。
男の視線が一瞬動く。
その瞬間、アクトは左へ撃った。
消火剤タンク。
弾丸がバルブを破壊する。
白い泡と高圧ガスが噴き出す。
廊下が一瞬で白く染まる。
男のローブが風圧で翻る。
アクトは走った。
横を抜ける。
男が術式を放つ。
黒曜が最後の力で手を上げる。
光が二人の背後で弾ける。
対呪文。
不完全。
衝撃がアクトの背中へ入る。
視界が白くなる。
足がもつれる。
それでも転ばない。
銀色の脚が姿勢を立て直す。
正面扉。
閉鎖。
アクトは蹴破った。
外。
雨。
冷たい空気。
バンまで三十メートル。
背後から追手。
「アクト」
「喋んな」
「三人」
「知っとる」
「精霊も」
「見えとる」
「勝てません」
「最初から知っとるわ!」
アクトは笑った。
息が切れている。
腕の中の黒曜は軽くない。
血は止まらない。
敵は多い。
魔法使いが六人。
精霊。
完全に不利。
「せやから逃げるんや」
バンの後部ドアが開く。
アクトは黒曜を放り込むように乗せ、自分も飛び込んだ。
「出せ!」
無人運転が発進する。
後方から炎。
バンの後部へ命中。
車体が揺れる。
窓が割れる。
アクトは黒曜の上へ覆いかぶさる。
二撃目。
車体側面が焦げる。
三撃目は来なかった。
施設が遠ざかる。
敵は追ってこない。
あるいは、追う必要がないと判断した。
アクトは黒曜の脇腹を押さえる。
銀色の手が血で染まる。
「医療キット!」
自動診断アームが伸びる。
ローブを切る。
傷口。
弾丸は貫通していない。
脇腹に残っている。
出血。
臓器損傷の可能性。
血圧低下。
「大丈夫です」
「黙れ」
「致命傷では」
「黙れ!」
アクトの手が震えている。
自分でも分かる。
銀色の指。
弾丸を受けても震えなかった手。
対物弾を受けたときも。
散弾を受けたときも。
何十発撃たれたときも。
今は震えている。
黒曜の血。
赤い。
温かい。
止まらない。
「アクト」
「何や」
「圧迫位置が少し上です」
「分かっとる!」
「分かっていません」
「うるさい!」
黒曜は苦しそうに息を吐いた。
それでも口元がわずかに動いた。
「あなたは、動揺しています」
「してへん」
「手が震えています」
「車が揺れとる」
「路面は平坦です」
「黙れ言うとるやろ!」
アクトは傷口を押さえ直す。
黒曜の顔が歪む。
「痛い?」
「問題ありません」
「あるやろ」
「許容範囲です」
「何で庇わんかった」
「何を」
「あの弾や。何で避けへんかった」
「障壁破壊を優先しました」
「あたしは撃たれても平気や」
「知っています」
「お前は平気ちゃうやろ!」
黒曜は目を閉じる。
顔色が悪い。
「戦力配分として」
「その言葉、今使うな」
「合理的判断です」
「どこがや!」
「あなたが生存すれば、撤退可能性が残ります」
「あたし一人で帰って、何が残るんや」
黒曜の目が開く。
アクトは自分が何を言ったか気づいた。
だが撤回しなかった。
「お前置いて帰って、生き残った言えるか」
「任務上は」
「任務の話ちゃう!」
バンの中に、医療キットの作動音だけが響く。
黒曜はアクトを見る。
いつものように反論しようとする。
だが言葉が出ない。
アクトの手は、まだ震えている。
「……黒宮静」
アクトが言った。
黒曜の表情が固まる。
「その名で呼ぶなと言いました」
「分かった」
「では、なぜ」
「確認や」
「何を」
「お前が嫌がる名前」
黒曜は黙る。
「黒曜は黒曜や。それでええ」
「当然です」
「特別選抜やろうが、厄介払いされとろうが、あたしには関係ない」
「関係ないなら、なぜ怒っているのです」
「お前が怒らへんからや」
黒曜の眉が動く。
「私は怒っています」
「ちゃう」
「何が違うのです」
「お前、自分が間違ってへん証明しようとしとるだけや」
「当然でしょう」
「お前をあんな扱いしたことに怒れや」
「評価には評価者の基準があります」
「廃棄とか言われて、何で庇うねん」
「庇っていません」
「庇っとるわ!」
アクトは叫ぶ。
黒曜は顔を逸らした。
「私は」
言葉が途切れる。
「私は、選ばれていました」
「うん」
「成績は上位でした」
「知っとる」
「術式理論も、召喚も、対呪文も」
「うん」
「誰より正確でした」
「せやな」
「だから」
黒曜の声が震える。
「だから、間違っているのは記録です」
アクトは答えなかった。
否定もしない。
肯定もしない。
ただ傷口を押さえている。
「私は、失敗していません」
「うん」
「私は不適合ではありません」
「うん」
「私は」
黒曜の呼吸が浅くなる。
「私は、廃棄対象ではありません」
「当たり前やろ」
アクトは即答した。
「そんなもん、あいつらが決めることちゃう」
「では誰が決めるのです」
「お前や」
「私が?」
「せや」
「自己評価は客観性を欠きます」
「今だけ黙っとけ」
黒曜は目を閉じた。
「……あなたの説明は、論理的ではありません」
「知っとる」
「基準が曖昧です」
「知っとる」
「慰めにもなっていません」
「それも知っとる」
「では、なぜ言うのです」
アクトは血に濡れた手を見る。
「言わんよりマシやから」
黒曜は少しだけ笑った。
ほんの一瞬。
「非効率です」
「うるさい」
医療キットが警告を表示する。
緊急処置完了。
外科手術が必要。
最寄りのストリートドクまで七分。
アクトは黒曜の手を掴む。
「寝るなよ」
「睡眠ではありません」
「目ぇ閉じんな」
「疲労です」
「喋れ」
「何を」
「何でもええ」
「あなたの判断は、先ほどから一貫性がありません」
「それでええ。続けろ」
「圧迫位置がまたずれています」
「うるさい」
「医療行為の精度が低い」
「うるさい」
「あなた一人では、やはり見落とします」
「せやから」
アクトは黒曜の手を強く握った。
「見とけ」
「何をです」
「あたしを」
黒曜は目を開けた。
青白い顔。
焦点はまだ合っている。
「……合理的理由は」
「ない」
「そうですか」
「文句あるか」
「ええ」
「あとで聞く」
「忘れないでください」
「忘れへん」
バンは雨の中を走る。
後方の研究施設は、もう見えない。
依頼は失敗。
記録媒体は回収できなかった。
敵も倒していない。
六人の魔法使いと精霊を相手に、二人はただ逃げた。
勝利ではない。
だが、生きている。
少なくとも今は。
黒曜の血で、アクトの銀色の腕は赤く染まっていた。
その色だけが、いつまでも落ちないように見えた。
共通修正:全話の行頭字下げを削除し、ハーメルン向けの字下げなしに統一。
(7.31.2026)