アクトと黒曜   作:矢塚 和哉

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CROW SYSTEM / SEPARATION EVENT

SUBJECT B WITHDRAWAL: VOLUNTARY
SUBJECT A PURSUIT: IMMEDIATE
MUTUAL ASSOCIATION TERMINATION: FAILED
RETURN DECISION: SELF-SELECTED
RELATIONSHIP STATUS: SELF-MAINTAINING

CROWシステム/分離事象

対象Bの離脱:自発的
対象Aの追跡:即時
相互関係の終了:失敗
帰還判断:自己選択
関係性の状態:自己維持中





隣に戻るまで

黒曜が退院したのは、銃撃から十二日後だった。

 

退院といっても、完全に治ったわけではない。

 

左脇腹には再生促進材と生体接着剤で閉じられた傷が残り、医師からは少なくとも一週間の安静を命じられていた。

 

重い物を持たない。

 

激しく動かない。

 

魔法を行使しない。

 

特に、強いドレインを伴う術式は絶対に避ける。

 

ストリートドクは三度念を押した。

 

黒曜は三度とも、

 

「理解しています」

 

と答えた。

 

その返事を聞くたびに、アクトは信用を失った。

 

「理解しとる奴は、病室で勝手に荷物まとめへんねん」

 

「退院許可は出ています」

 

「今出たとこやろ」

 

「したがって、荷造りに問題はありません」

 

「まだ先生が説明しとる途中やったやんけ」

 

「説明内容は事前に予測可能でした」

 

「予測で退院すんな」

 

黒曜は黒い旅行鞄を閉じた。

 

普段の大きな帽子は鞄の上に載せられている。

 

ローブも戦闘用ではなく、装飾の少ない薄手のものだった。

 

病室の白い照明の下では、いつも以上に細く見える。

 

アクトは壁にもたれ、腕を組んだ。

 

赤い帽子。

 

赤い眼鏡。

 

銀色の四肢。

 

十二日間、ほぼ毎日そこにいた。

 

最初の三日は病室の椅子で寝た。

 

四日目に看護用ドローンから追い出され、廊下のベンチで寝た。

 

五日目からはストリートドクが諦め、簡易ベッドを置いた。

 

黒曜は一度も、帰れとは言わなかった。

 

礼も言わなかった。

 

ただ毎朝、目を覚ますたびにアクトがいることを確認し、そのあとで、

 

「まだいたのですか」

 

と言った。

 

アクトは毎回、

 

「今来たとこや」

 

と答えた。

 

十二日間、同じやり取りだった。

 

だが退院当日の黒曜は、朝から妙に静かだった。

 

傷の状態を確認されても。

 

処方薬を受け取っても。

 

会計額を見ても。

 

アクトが支払い端末へ手を伸ばしても。

 

「私が支払います」

 

それだけだった。

 

「別にええで」

 

「私の治療費です」

 

「半分は仕事中の怪我やろ」

 

「全額、私の責任です」

 

「何でやねん」

 

「不合理な攻撃行動を選択したためです」

 

「撃った奴が悪いやろ」

 

「被弾を回避できなかったのは私です」

 

「弾避けられへん奴が悪い理屈なら、世の中の被害者ぜんぶ悪なるぞ」

 

「一般論の話はしていません」

 

「ほな、何の話しとんねん」

 

黒曜は答えなかった。

 

支払いを済ませ、鞄を持とうとする。

 

アクトが先に取った。

 

「返してください」

 

「重いもん持つな言われたやろ」

 

「この程度は重くありません」

 

「基準はお前ちゃう。医者や」

 

「私の身体です」

 

「ほんま可愛げないな」

 

「あなたに評価される理由はありません」

 

黒曜の声は平坦だった。

 

いつもの口調。

 

いつもの言葉。

 

だが、何かが違う。

 

言葉が全部、少しずつ遠い。

 

病院を出る。

 

雨は降っていなかった。

 

雲の薄い午後。

 

道の向こうを広告ドローンが飛び、路面へホログラムを投げている。

 

アクトは黒曜の鞄を肩に担いだ。

 

「家まで送る」

 

「不要です」

 

「タクシー来るまで」

 

「不要です」

 

「ほな荷物返せ言うな」

 

「返してください」

 

「嫌や」

 

黒曜が立ち止まる。

 

アクトも止まった。

 

人の流れが二人を避けていく。

 

「アクト」

 

「何や」

 

「治療は完了しました」

 

「してへん」

 

「入院治療は完了しました」

 

「安静一週間」

 

「自己管理できます」

 

「信用ない」

 

「私の生活に、これ以上あなたが関与する必要はありません」

 

その言い方は、妙に整っていた。

 

黒曜はきっと、何度も頭の中で繰り返したのだ。

 

間違えないように。

 

声が震えないように。

 

余計な言葉を出さないように。

 

「何や、それ」

 

「説明した通りです」

 

「何の話や」

 

「共同任務についても、当面は停止します」

 

「傷治るまでやろ」

 

「期限は未定です」

 

「未定?」

 

「今後の協力関係そのものを再検討します」

 

アクトは黒曜を見た。

 

黒曜は視線を逸らさない。

 

顔色も悪くない。

 

姿勢も真っすぐだ。

 

帽子をかぶっていないせいで、いつもより小さく見える。

 

いや。

 

小さく見えるのではない。

 

逃げ道がないだけだ。

 

「再検討して、どうすんねん」

 

「解消する可能性があります」

 

「何を」

 

「私たちの共同活動を」

 

「理由は」

 

「戦術的相性に問題があります」

 

アクトは少し黙った。

 

「今さら?」

 

「今回、明確になりました」

 

「あたしら、生きて帰ったやん」

 

「結果論です」

 

「戦術としては悪くなかった」

 

「あなたの判断が乱れました」

 

「乱したんは敵や」

 

「私です」

 

「何でお前やねん」

 

「私が被弾したため、あなたは撤退計画を変更した」

 

「そらするやろ」

 

「冷静さを失った」

 

「失ってへん」

 

「手が震えていました」

 

アクトの口が止まった。

 

黒曜は続ける。

 

「本来なら、私を残して離脱する選択肢もありました」

 

「ない」

 

「ありました」

 

「ない言うとるやろ」

 

「戦術上は存在します」

 

「選ばん選択肢は、ないのと同じや」

 

「それが問題です」

 

黒曜の声が少し低くなる。

 

「あなたは私を優先する」

 

「共同任務やからな」

 

「任務の範囲を超えています」

 

「ほな、お前はどうや」

 

「何がです」

 

「あたしが倒れたら置いてくんか」

 

「状況によります」

 

「嘘つけ」

 

「合理的に判断します」

 

「嘘や」

 

「根拠のない断定です」

 

「前にドレインで立てんようなっても、魔法使おうとしたやろ」

 

「必要だったためです」

 

「あたし守るためやった」

 

「任務遂行のためです」

 

「そうやって、全部言い換えたら済む思うなよ」

 

黒曜の目がわずかに揺れた。

 

アクトは鞄を地面へ置いた。

 

「お前、あの教官に言われたこと気にしとるんやろ」

 

「無関係です」

 

「嘘や」

 

「虚偽ではありません」

 

「ほな何で、治った途端あたし切ろうとすんねん」

 

「治ってはいません」

 

「そういう細かい話ちゃうわ!」

 

通行人が振り返る。

 

アクトは声を抑えた。

 

「同情されとる思うたんか」

 

黒曜は答えない。

 

「かわいそうやから、あたしがおると思うた?」

 

「その可能性は否定できません」

 

「否定せえ」

 

「判断材料が不足しています」

 

「本人が否定しとるやろ」

 

「本人の自己認識が事実と一致するとは限りません」

 

「ほんま、お前は……」

 

アクトは言葉を切った。

 

怒鳴りたい。

 

肩を掴んで揺らしたい。

 

だが傷がある。

 

強く触れない。

 

それが余計に腹立たしい。

 

「黒曜」

 

「何です」

 

「お前、あたしを馬鹿にしとるやろ」

 

「そのような意図はありません」

 

「自分の気持ちも分からん馬鹿や思うとる」

 

「感情認識に不正確な点があることは事実です」

 

「お前に言われたないわ!」

 

黒曜がわずかに顔を背けた。

 

「ともかく」

 

「終わらすな」

 

「共同活動の停止は決定です」

 

「勝手に決めんな」

 

「私が参加しなければ成立しません」

 

「ほな、あたしも勝手に決める」

 

「何をです」

 

「お前が勝手に消えんよう見張る」

 

「迷惑です」

 

「知るか」

 

「合理的理由がありません」

 

「嫌やからや」

 

「何が」

 

「お前が勝手に消えんのが」

 

黒曜は黙った。

 

アクトは鞄を持ち上げる。

 

「家まで送る」

 

「不要です」

 

「送る」

 

「拒否します」

 

「ほな、ここで一生立っとくか?」

 

「タクシーを呼びます」

 

「一緒に乗る」

 

「なぜです」

 

「見張る言うたやろ」

 

「あなたは本当に……」

 

黒曜はため息をついた。

 

その吐息が、少しだけいつもの黒曜に戻っていた。

 

だが結局、タクシーは別々に乗った。

 

黒曜が先にドアを閉めたからだ。

 

アクトは追わなかった。

 

追えなかった。

 

窓の向こうで黒曜は一度も振り返らなかった。

 

 

三日後。

 

アクトの端末に、フィクサーから連絡が入った。

 

内容は短い。

 

魔法関連の小口依頼。

 

違法タリスモンガーの倉庫から、呪物を一つ回収。

 

警備は少数。

 

依頼主は品物を壊さないことを希望。

 

報酬は低い。

 

アクトは画面を見て眉を寄せた。

 

「何であたしに」

 

『お前にじゃない』

 

「ほな誰や」

 

『黒い魔女さんだよ』

 

アクトの声が止まる。

 

『一人で受けるってさ。お前とは当面組まないとも言ってた』

 

「いつや」

 

『今朝』

 

「場所」

 

『教える義理は』

 

「報酬の一割」

 

『二割』

 

「一割」

 

『一割五分』

 

「急げ」

 

フィクサーから座標が届く。

 

市街地外縁部。

 

旧物流区画。

 

黒曜の家から車で十五分。

 

アクトは立ち上がった。

 

ライフルを掴む。

 

赤い帽子をかぶる。

 

玄関を出る直前、少し迷って医療キットも持った。

 

 

倉庫は、使われなくなった高架道路の下にあった。

 

錆びたシャッター。

 

薄汚れた企業看板。

 

周囲には違法露店と修理工場が並び、どこからか金属を切る音が聞こえる。

 

アクトが着いたとき、倉庫の横扉はすでに開いていた。

 

内側に警備員が一人倒れている。

 

死んではいない。

 

眠っている。

 

黒曜の術式だ。

 

「安静一週間言われとったよな」

 

アクトは銃を抜く。

 

内部へ入る。

 

積み上げられた木箱。

 

吊り下げられた古い照明。

 

空気に、香と薬品が混じった匂いがある。

 

魔法的な品物が多い場所は、アクトにはいつも息苦しく感じられた。

 

ウサ耳センサーが音を拾う。

 

奥。

 

複数の足音。

 

低い話し声。

 

何かが割れる音。

 

そして、黒曜の声。

 

「それ以上近づかないでください」

 

「もう来たんかい!」

 

アクトは走った。

 

棚の角を曲がる。

 

倉庫中央。

 

黒曜が三人の男に囲まれている。

 

一人は拳銃。

 

一人は電撃警棒。

 

一人は、魔法使いらしい。

 

袖口に護符。

 

手には短いワンド。

 

黒曜はいつものローブを着ていた。

 

大きな帽子。

 

杖。

 

だが立ち方がおかしい。

 

左側を庇っている。

 

「お前!」

 

アクトの声に、全員が振り返る。

 

黒曜だけが、露骨に嫌そうな顔をした。

 

「なぜここにいるのです」

 

「それ、こっちの台詞や!」

 

「依頼です」

 

「療養は!」

 

「終了しました」

 

「してへん!」

 

拳銃を持った男がアクトへ照準を向けた。

 

「増援か!」

 

「ちゃう!」

 

アクトは即答した。

 

「いや、増援や!」

 

「どちらですか」

 

「お前は黙っとけ!」

 

銃声。

 

アクトは棚の陰へ滑り込む。

 

弾丸が箱を割る。

 

中から乾燥した植物片が舞った。

 

「商品壊すな言われとるんやろ!」

 

「あなたが敵を刺激したためです」

 

「囲まれとった奴が言うな!」

 

黒曜が杖を振る。

 

拳銃の男の視界が乱れた。

 

男は誰もいない方向へ三発撃つ。

 

幻影。

 

その隙にアクトが飛び出す。

 

拳銃の男へ接近。

 

手首を掴む。

 

銀色の指が骨の手前で止まる。

 

捻る。

 

銃が落ちる。

 

腹へ肘。

 

男が崩れた。

 

電撃警棒の男が黒曜へ走る。

 

黒曜は術式を組む。

 

紫晶が光る。

 

「魔法使うな!」

 

「すでに使用しています!」

 

「強いやつや!」

 

「強度は適正です!」

 

電撃警棒が振り下ろされる。

 

黒曜は避ける。

 

だが左脇腹が引きつる。

 

動きが遅れる。

 

警棒の先端が肩へ触れた。

 

放電。

 

黒曜の身体が跳ねる。

 

「黒曜!」

 

アクトが男へ体当たりする。

 

銀色の肩が胸へ入る。

 

男は数メートル飛び、木箱へ突っ込んだ。

 

箱が崩れる。

 

「商品!」

 

「知るか!」

 

「依頼条件違反です!」

 

「お前の傷開くよりマシや!」

 

魔法使いがワンドを向ける。

 

見えない力がアクトを横から打った。

 

身体が棚へ叩きつけられる。

 

金属棚が歪む。

 

アクトのサイバーアイに警告が走る。

 

損傷軽微。

 

問題なし。

 

「一人で受ける相手ちゃうやろ!」

 

「事前情報では覚醒者はいませんでした」

 

「またか!」

 

「今回は情報提供者の過失です」

 

「前も似たこと言うとったぞ!」

 

魔法使いが次の術式へ入る。

 

黒曜も杖を上げた。

 

紫と青の光がぶつかる。

 

対呪文。

 

空気が鳴る。

 

黒曜の顔が歪んだ。

 

傷ではない。

 

ドレイン。

 

「やめろ!」

 

「干渉しないでください!」

 

「お前まだ治っとらんやろ!」

 

「勝てます!」

 

「勝つ必要ない!」

 

アクトは腰から煙幕弾を抜いた。

 

床へ転がす。

 

「また煙ですか!」

 

「文句言うな!」

 

白煙が広がる。

 

視界が塞がる。

 

魔法使いが咳き込む。

 

黒曜が何か言う。

 

聞こえない。

 

アクトのウサ耳センサーが位置を拾う。

 

右前方。

 

足音。

 

アクトは低く走り、煙の中から魔法使いへ組みついた。

 

「なっ――」

 

ワンドを持つ腕を上へ逸らす。

 

もう片方の手で胸倉を掴む。

 

足を払う。

 

床へ倒す。

 

そのまま腕を極める。

 

「動くな。折るで」

 

「撃て!」

 

誰かが叫ぶ。

 

倒れていた拳銃の男が起き上がっている。

 

アクトへ向けて銃を拾う。

 

銃声。

 

弾丸がアクトの背中へ当たる。

 

装甲で止まる。

 

二発目。

 

三発目。

 

火花。

 

「アクト!」

 

黒曜の声。

 

アクトは伏せない。

 

押さえ込んだ魔法使いを盾にも使わない。

 

ただ顔を上げる。

 

「撃たれても平気や!」

 

「知っています!」

 

「ほな魔法使うな!」

 

黒曜の術式が放たれる。

 

不可視の衝撃が、拳銃の男を正面から打つ。

 

男は壁へ叩きつけられ、動かなくなった。

 

同時に、黒曜が膝をつく。

 

「阿呆!」

 

「必要でした」

 

「またそれか!」

 

「あなたが撃たれていました」

 

「平気言うたやろ!」

 

「知っています」

 

「ほな何で!」

 

黒曜は返事をしなかった。

 

アクトは押さえていた魔法使いの首へスタンバトンを当てる。

 

短い放電。

 

男が意識を失う。

 

倉庫が静かになる。

 

煙。

 

倒れた敵。

 

壊れた箱。

 

その中央で、黒曜は床へ片膝をついていた。

 

左脇腹を押さえている。

 

黒い手袋の下から、赤いものが見えた。

 

アクトの頭が冷たくなる。

 

「見せろ」

 

「必要ありません」

 

「見せろ!」

 

アクトが黒曜の手を退ける。

 

ローブの左側。

 

乾きかけた傷の上に、新しい赤が滲んでいる。

 

大量ではない。

 

だが確実に開いている。

 

「何が治療終了や」

 

「表層が一部開いただけです」

 

「医療キット出す」

 

「任務が先です」

 

「終わりや」

 

「回収対象が残っています」

 

「知らん」

 

「報酬が」

 

「知らん!」

 

アクトは医療キットを開く。

 

黒曜が手首を掴んだ。

 

「放してください」

 

「お前が放せ」

 

「私は依頼を完了します」

 

「何でそこまで一人でやりたいねん」

 

「あなたには関係ありません」

 

「ある言うたやろ!」

 

「ありません!」

 

黒曜が初めて声を荒らげた。

 

煙が薄れていく。

 

壊れた照明が明滅する。

 

アクトは黒曜の顔を見る。

 

怒っている。

 

傷が痛いからではない。

 

見つかったからでもない。

 

自分自身に追いつめられている顔だった。

 

「私は、一人で遂行できます」

 

「できてへんやん」

 

「あなたが介入したため、計画が乱れました」

 

「囲まれとったやろ」

 

「対処可能でした」

 

「傷開いて、ドレイン食らって、膝ついとる奴が?」

 

「可能でした!」

 

「何を証明したいねん!」

 

黒曜が黙る。

 

アクトは畳みかける。

 

「あの教官が間違っとるって?」

 

「……」

 

「自分は不適合ちゃうって?」

 

「黙ってください」

 

「一人でも完璧にできるって?」

 

「黙れ」

 

「お前が誰にも捨てられへん価値あるって?」

 

「黙れ!」

 

倉庫の奥で、何かが落ちた。

 

小さな金属音。

 

黒曜の呼吸が荒い。

 

「私は」

 

「うん」

 

「私は、あなたの判断を乱します」

 

「それ、まだ言うか」

 

「事実です」

 

「違う」

 

「私が被弾すれば、あなたは冷静さを失う」

 

「失ってへん」

 

「今回も傷を見ただけで、依頼を放棄すると言った」

 

「そら言うやろ」

 

「だから問題なのです!」

 

黒曜は立ち上がろうとする。

 

傷が痛む。

 

身体が揺れる。

 

アクトが支える。

 

黒曜はその腕を振り払った。

 

「触らないでください」

 

「倒れるぞ」

 

「一人で立てます」

 

「立ててへん」

 

「立てます!」

 

「立てるかどうかの話ちゃう!」

 

「では何です!」

 

黒曜の声が倉庫へ響いた。

 

アクトは一度息を吸った。

 

何を言えばいい。

 

どう言えば伝わる。

 

言葉にするのは苦手だった。

 

銃撃戦のほうが簡単だ。

 

敵がいて。

 

狙って。

 

撃つ。

 

それで終わる。

 

目の前の魔法使いには、どこを撃てば止まるのか分からない。

 

「お前が勝手に決めんな」

 

アクトは言った。

 

「何をです」

 

「あたしの判断が乱れたとか、迷惑やとか」

 

「実際に」

 

「乱れたんは、あたしの勝手や」

 

「意味が分かりません」

 

「お前が決めることちゃう」

 

「原因は私です」

 

「原因でも決める権利ない」

 

「では誰にあるのです」

 

「あたしや」

 

黒曜が眉を寄せる。

 

「あなたが?」

 

「せや」

 

「非合理的です」

 

「知るか」

 

「あなたは、自分を危険にさらします」

 

「いつものことや」

 

「私のために」

 

「それが嫌なんか」

 

「嫌です」

 

即答だった。

 

アクトは少し傷ついた。

 

顔には出さなかった。

 

「何で」

 

「あなたが損なわれる可能性がある」

 

「お前も同じやろ」

 

「私は」

 

「自分はええ言うなよ」

 

「私は、もともと」

 

黒曜の言葉が止まる。

 

「もともと何や」

 

「……評価の保留された人材です」

 

「人材ちゃう。人間や」

 

「言葉の問題ではありません」

 

「言葉の問題や」

 

「私は、あなたほど生存性が高くありません」

 

「知っとる」

 

「実戦経験も不足しています」

 

「知っとる」

 

「判断を誤ります」

 

「それも知っとる」

 

「なら、なぜ」

 

「それでもや」

 

「説明になっていません」

 

「お前、面倒やし」

 

黒曜が瞬く。

 

「何を」

 

「偉そうやし、言うこと聞かんし、無駄に目立つ帽子かぶるし」

 

「帽子は関係ありません」

 

「すぐ強い魔法使うし、怪我隠すし、一人で勝手に依頼受けるし」

 

「あなたにだけは言われたくありません」

 

「ほんま腹立つ」

 

「では、離れればよいでしょう」

 

「それでも」

 

アクトは黒曜を見る。

 

「おらんようになるよりマシや」

 

黒曜の表情が止まった。

 

アクトは続ける。

 

「かわいそうやから一緒におるんちゃう」

 

「……」

 

「教官に捨てられたからでもない」

 

「……」

 

「役に立つからだけでもない」

 

「では、なぜです」

 

「分からん」

 

「分からない?」

 

「分からんもんは分からん」

 

「説明を放棄しないでください」

 

「でも、お前がおらんようになるんは嫌や」

 

倉庫のどこかで、換気装置が動き始めた。

 

煙がゆっくり吸い出されていく。

 

黒曜は何も言わない。

 

アクトは視線を逸らした。

 

言いすぎた。

 

耳のあたりが熱い。

 

サイバーイヤーだから温度など関係ないはずなのに、妙に熱い。

 

「何とか言えや」

 

「処理しています」

 

「何を」

 

「あなたの発言を」

 

「機械みたいに言うな」

 

「内容に矛盾が多すぎます」

 

「知っとる」

 

「理由が分からないのに、私が不在になることを嫌う」

 

「せや」

 

「私の欠点を複数認識している」

 

「いっぱいある」

 

「それでも共同活動を継続する」

 

「せや」

 

「合理性がありません」

 

「ないな」

 

「なのに、撤回しない」

 

「せえへん」

 

黒曜は目を伏せた。

 

「理解できません」

 

「せやろな」

 

「あなた自身は理解しているのですか」

 

「してへん」

 

「では、私にどうしろと」

 

「勝手に消えんな」

 

「命令ですか」

 

アクトは少し迷った。

 

いつもなら、命令や、と言う。

 

だが今回は違う気がした。

 

「お願いや」

 

黒曜が顔を上げる。

 

紫色の目。

 

驚いている。

 

「もう一度、言ってください」

 

「嫌や」

 

「聞き取れませんでした」

 

「嘘つけ」

 

「確認です」

 

「お願いや言うたんや!」

 

「声が大きいです」

 

「お前が言わせたんやろ!」

 

黒曜の口元がわずかに緩む。

 

笑った。

 

ほんの少し。

 

アクトはそれを見て、さらに腹が立った。

 

「何笑っとんねん」

 

「笑っていません」

 

「笑っとる」

 

「筋肉の一時的な収縮です」

 

「ほな、その筋肉しばくぞ」

 

「暴力は不適切です」

 

「誰のせいや」

 

黒曜は黙った。

 

それから、ゆっくり息を吐く。

 

「私は」

 

「うん」

 

「あなたに同情されていると考えていました」

 

「ちゃう」

 

「教官の記録を知ったことで、あなたの評価が変化したと」

 

「変わったで」

 

黒曜の顔が固まる。

 

「どのように」

 

「思ったより阿呆やった」

 

「……」

 

「自分が捨てられたんちゃうか言われて、証明するため一人で撃たれに行くくらい阿呆や」

 

「撃たれる予定はありませんでした」

 

「そこちゃうわ」

 

「では、どこです」

 

「一人で何でもできる証明せんでええ」

 

「しかし」

 

「お前一人やったら無理なことある。あたし一人でもある」

 

「あなたは相当数の状況に単独で対応できます」

 

「魔法は無理や」

 

「魔法使いに対しても一定の」

 

「六人で詰んだやろ」

 

黒曜が言葉を止める。

 

「お前がおらんかったら、あの研究所から出られへんかった」

 

「私がいなければ、そもそも罠へ入っていません」

 

「細かい!」

 

「因果関係です」

 

「今回も、お前が相手の魔法止めたから撃たれながら突っ込めた」

 

「あなたは撃たれすぎです」

 

「平気や」

 

「装甲の損耗は蓄積します」

 

「ほら」

 

「何です」

 

「お前もあたし心配しとるやん」

 

「戦力資源の維持です」

 

「まだ言うか」

 

「事実です」

 

「ほな、あたしも同じでええ」

 

「同じ?」

 

「お前は戦力資源や。失ったら困る」

 

「その表現は適切では」

 

「お前が先に言うたんやろ」

 

「私は、もう少し正確に」

 

「じゃあ仲間」

 

黒曜が黙る。

 

「それでも嫌なら、相棒」

 

「定義が曖昧です」

 

「面倒やな!」

 

「共同契約者で十分です」

 

「それでええわ!」

 

「ただし」

 

「何や」

 

「共同契約者には、互いの判断へ一定の尊重が必要です」

 

「今回のお前が言う?」

 

「あなたも病院に十二日間居座りました」

 

「あれは必要やった」

 

「六日目以降は不要でした」

 

「お前、夜中に三回起きとったやろ」

 

「把握していたのですか」

 

「ウサ耳なめんな」

 

「プライバシーの侵害です」

 

「病院で勝手に立とうとするからや」

 

「あれは水を」

 

「呼べ言うたやろ」

 

「あなたは寝ていました」

 

「起こせ」

 

「非効率です」

 

「傷開くほうが非効率や!」

 

黒曜は少しだけ視線を泳がせた。

 

「……善処します」

 

「そこは分かった言え」

 

「検討します」

 

「戻っとるやんけ」

 

「何がです」

 

「いつものお前に」

 

「私は常に通常通りです」

 

「はいはい」

 

アクトは医療キットを取り出し直した。

 

「座れ」

 

「依頼対象が」

 

「先に傷や」

 

「出血は軽微です」

 

「座れ」

 

「命令ですか」

 

「お願いや」

 

黒曜がアクトを見る。

 

「その言い方を多用しないでください」

 

「何で」

 

「判断が難しくなります」

 

「ほな座れ、阿呆」

 

「そのほうが明確です」

 

黒曜は木箱へ腰を下ろした。

 

アクトがローブの裂け目を広げる。

 

新しい出血。

 

傷そのものは大きく開いていない。

 

再消毒と接着が必要な程度。

 

アクトの銀色の指が慎重に動く。

 

普段、銃を分解するときより遅い。

 

「痛かったら言え」

 

「痛くありません」

 

「嘘つけ」

 

「許容範囲です」

 

「それ痛い言うんや」

 

「定義が」

 

「黙っとけ」

 

消毒剤。

 

止血材。

 

生体接着テープ。

 

黒曜が一度だけ息を詰めた。

 

アクトの手が止まる。

 

「痛いやん」

 

「一時的な刺激です」

 

「ほんま可愛げない」

 

「必要ありません」

 

「少しはあってもええぞ」

 

「あなたが担当してください」

 

「何を」

 

「可愛げを」

 

「何であたしやねん」

 

「役割分担です」

 

「誰が可愛げ担当や!」

 

黒曜の口元がまた少し動く。

 

今度は、アクトも指摘しなかった。

 

処置を終える。

 

黒曜がローブを整える。

 

「歩けるか」

 

「問題ありません」

 

「ゆっくりな」

 

「依頼対象を回収します」

 

「まだやるんか」

 

「ここまで来て放棄する理由はありません」

 

「敵増えたら逃げるで」

 

「状況によります」

 

「絶対や」

 

「検討します」

 

「黒曜」

 

「……理解しました」

 

倉庫の奥。

 

封印された小型ケース。

 

中身は黒ずんだ銀製の指輪だった。

 

魔法的価値はアクトには分からない。

 

黒曜はアストラルで確認し、偽物ではないと判断した。

 

ケースを閉じる。

 

「終わりか」

 

「ええ」

 

「ほな帰るで」

 

「待ってください」

 

黒曜が倒れた男たちを見る。

 

「記憶処理を」

 

「強い魔法ちゃうやろな」

 

「簡易的な混乱を残すだけです」

 

「ドレインは」

 

「軽微です」

 

「やめとけ」

 

「追跡されます」

 

「顔見られたんはあたしや。いつものことや」

 

「私も見られています」

 

「帽子で覚えられとるやろな」

 

「認知度の向上です」

 

「悪目立ちや」

 

「戦略的特徴です」

 

「その帽子捨てたら追跡されへんぞ」

 

「共同活動を解消します」

 

「今仲直りしたとこやろ!」

 

「仲直りという認識はありません」

 

「何やねん!」

 

「意見の調整です」

 

「はいはい、ほな調整済みや。帰るで」

 

アクトが先に歩く。

 

数歩進み、振り返る。

 

黒曜はまだ立っていた。

 

「何しとんねん」

 

「確認しています」

 

「何を」

 

「あなたが本当に待つかどうか」

 

アクトは眉を寄せた。

 

「待つに決まっとるやろ」

 

「以前なら、先に進んでいました」

 

「傷あるからや」

 

「同情では」

 

「ちゃう言うたやろ」

 

「では、共同契約者として?」

 

「何でもええ。はよ来い」

 

黒曜が歩き出す。

 

アクトの隣まで来る。

 

二人は並んで倉庫を出た。

 

外は夕方だった。

 

高架の隙間から、橙色の光が落ちている。

 

アクトのバイクが路肩に止まっていた。

 

黒曜はそれを見る。

 

「二人乗りですか」

 

「送る」

 

「傷に振動が響きます」

 

「ゆっくり走る」

 

「あなたに可能ですか」

 

「失礼やな」

 

「事実確認です」

 

「ほなタクシー呼ぶか」

 

「それでは、あなたが一人になります」

 

「別にええやろ」

 

「次の襲撃に対処できません」

 

「誰が襲ってくんねん」

 

「可能性は否定できません」

 

「何や。心配しとるんか」

 

「戦力資源の維持です」

 

「はいはい」

 

アクトはバイクへ跨がる。

 

黒曜へ予備のヘルメットを投げる。

 

黒曜は受け取り、少し考えた。

 

「帽子はどうすれば」

 

「ケースに入れろ」

 

「変形する可能性があります」

 

「頭に帽子、その上からヘルメットは無理やぞ」

 

「術式で固定を」

 

「魔法使うな!」

 

「冗談です」

 

アクトが振り返る。

 

「お前、冗談言えたんか」

 

「言っていません」

 

「今言うたやろ」

 

「仮定です」

 

「何でもええわ」

 

黒曜は帽子を専用ケースへ入れ、ヘルメットをかぶった。

 

それから後部座席へ乗る。

 

アクトの腰へ手を回そうとして、途中で止めた。

 

「何や」

 

「接触が必要ですか」

 

「落ちるぞ」

 

「安定性は確保できます」

 

「傷あるんやから掴まれ」

 

黒曜の手が、アクトのジャケットへ触れる。

 

弱い。

 

「もっとしっかり」

 

「傷に響きます」

 

「ほな、あたしに寄りかかれ」

 

「姿勢として不適切です」

 

「落ちるほうが不適切や」

 

少し間を置いて。

 

黒曜の身体が、アクトの背中へ触れた。

 

温度。

 

重さ。

 

呼吸。

 

生きている。

 

アクトは前を向く。

 

「行くで」

 

「ええ」

 

「勝手に消えんなよ」

 

「努力します」

 

「分かった言え」

 

「……分かりました」

 

エンジンが動く。

 

バイクがゆっくり走り出す。

 

高架下を抜ける。

 

後ろから、黒曜の声がした。

 

「アクト」

 

「何や」

 

「先ほどの発言について」

 

「どれや」

 

「私が不在になることを嫌う、という」

 

「忘れろ」

 

「忘れません」

 

「忘れろ!」

 

「記憶力には自信があります」

 

「最悪や!」

 

「私も」

 

黒曜の声が少し近くなる。

 

「あなたが不在になることは、好ましくありません」

 

アクトの手が、ハンドルの上で一瞬止まりかけた。

 

バイクが少し揺れる。

 

「危な!」

 

「運転に集中してください」

 

「誰のせいや!」

 

「あなたの感情制御の問題です」

 

「お前ほんま……!」

 

「ただし」

 

「まだ何かあるんか」

 

「理由は明確です」

 

「言うてみ」

 

「戦力資源の維持です」

 

アクトは何も言わなかった。

 

しばらく走ってから、低く答えた。

 

「それでええわ」

 

黒曜の手が、少しだけ強くジャケットを掴んだ。

 

二人を乗せたバイクは、夕方の道路へ合流する。

 

仲直りをしたわけではない。

 

少なくとも、二人はそう主張するだろう。

 

契約を更新したわけでもない。

 

明確な約束を交わしたわけでもない。

 

ただ黒曜は、アクトの隣へ戻った。

 

アクトは、それを待っていた。

 

それだけで十分だった。

 




共通修正:全話の行頭字下げを削除し、ハーメルン向けの字下げなしに統一。
(7.31.2026)
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