アクトと黒曜   作:矢塚 和哉

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CROW SYSTEM / PROTECTIVE INTERFERENCE ANALYSIS

OPERATIONAL COMPATIBILITY: HIGH
PROTECTIVE BIAS A→B: EXCESSIVE
PROTECTIVE BIAS B→A: EXCESSIVE
MUTUAL INTERFERENCE: INCREASED
BEHAVIORAL ADJUSTMENT: REQUIRED

CROWシステム/保護干渉分析

作戦行動上の適合性:高
対象Aから対象Bへの保護傾向:過剰
対象Bから対象Aへの保護傾向:過剰
相互干渉:増大
行動調整:必要



合理的な距離

翌日に仕事を入れたのは、アクトではなかった。

 

「自分から受けたん?」

 

《ラスティ・コヨーテ》の奥、いつもの丸テーブルで、アクトは端末の依頼書を眺めながら聞いた。

 

赤い野球帽の上では、修理を終えた機械式のウサ耳センサーモジュールが、店内の音へ合わせて小さく動いている。

 

向かいに座る黒曜は、赤ワインのグラスへ口をつけた。

 

「フィクサーから適性を確認され、受諾しました」

 

「それ、自分から受けた言うんやで」

 

「依頼を探していたわけではありません」

 

「断らんかったんやろ」

 

「断る理由がありませんでした」

 

「傷、まだ塞がりきってへんやん」

 

黒曜の左脇腹には、まだ治療用の固定材が巻かれている。

 

外からは黒いローブに隠れて見えない。

 

だが、座るときの動きが以前より僅かに遅いことを、アクトは見逃していなかった。

 

黒曜の視線が、アクトの胸元へ移る。

 

「あなたも肋骨周辺の打撲が残っています」

 

「治っとる」

 

「昨日、椅子から立ち上がる際に顔をしかめていました」

 

「腹減っとっただけや」

 

「痛みと空腹では表情筋の動きが異なります」

 

「人の顔、よう見とるな」

 

「観察です」

 

「便利な言葉やな」

 

アクトは端末をテーブルへ置いた。

 

今回の仕事は、小型医療コンテナの護送だった。

 

依頼主は、レドモンド地区で移動診療所を運営する非営利団体。

 

運ぶのは、抗生物質、人工血液、簡易手術用器材。

 

表向きには正規の医療物資だ。

 

ただし、配送先は企業の認可を受けていない無登録診療所。

 

正規ルートを使えば、物資の半分は検査名目で押収される。

 

残り半分は、通行料と保護費と管理費で消える。

 

だからシャドウランナーへ依頼が来た。

 

出発地点はダウンタウン南部の倉庫。

 

配送先はレドモンド北東部。

 

輸送車両は小型の装甲バン。

 

運転手は自動操縦システム。

 

アクトと黒曜は護衛として同乗する。

 

道中で襲撃がなければ、二時間で終わる。

 

「簡単な仕事やな」

 

アクトが言った。

 

「その発言を撤回してください」

 

「まだ何も起きてへんで」

 

「あなたが簡単だと評価した仕事は、高確率で複雑化しています」

 

「偶然やろ」

 

「統計的傾向です」

 

「何件調べたん」

 

「直近八件です」

 

「数えとったんかい」

 

黒曜はグラスを置いた。

 

「今回の任務において、優先すべきは物資の保全です」

 

「人ちゃうん?」

 

「依頼条件には、運転手や医療従事者の護衛は含まれていません」

 

「自動運転やろ」

 

「そうです」

 

「ほな物資だけやん」

 

「だから述べました」

 

アクトは依頼書を指で拡大した。

 

経路上には三か所、ギャング支配区域がある。

 

そのうち二つは、依頼人が通行料を支払っている。

 

問題は、残り一つ。

 

《スカル・ラッツ》。

 

下層道路と廃線跡を縄張りにする小規模ギャング。

 

最近になって構成員が増え、武器も良くなったと報告されている。

 

「ここやな」

 

「同意します」

 

「避けるルートは?」

 

「南へ十二キロ迂回。ただし、企業検問所を二か所通過します」

 

「偽造輸送許可は?」

 

「レーティング三です」

 

「微妙やな」

 

「ギャング区域を通過するほうが、危険度は低いと判断します」

 

「戦闘になったら?」

 

「あなたが前衛、私が後方支援」

 

「いつも通りやな」

 

「ただし」

 

黒曜が続ける。

 

「今回は、敵の射線を集める戦術を禁止します」

 

「自分も、倒れるほどの術式は禁止や」

 

「必要なら使用します」

 

「ほな、あたしも必要なら前出る」

 

二人は見つめ合った。

 

黒曜の指が、グラスの脚を少し強く掴む。

 

アクトはそれを見て、口を閉じた。

 

昨日、互いの無茶を理由に離れかけたばかりだった。

 

昨日。

 

黒曜は一人で関係を終わらせようとした。

 

アクトは追いかけた。

 

撃ち合いになった。

 

傷が開いた。

 

互いに、言わなくてもいいことまで言った。

 

言うべきことは、あまり言えなかった。

 

それでも最後には戻った。

 

隣へ。

 

戻ったばかりだった。

 

だから、これ以上こじらせるのは面倒だった。

 

「分かった」

 

アクトが言った。

 

黒曜の眉が僅かに動く。

 

「何がです」

 

「無茶せえへん」

 

「具体性がありません」

 

「射線集めすぎん。被弾せんようにする。遮蔽使う」

 

「最初からそうしてください」

 

「自分もやで」

 

「私は常に適切な防御を」

 

「脇腹撃たれたやろ」

 

「例外です」

 

「ほら、それや」

 

黒曜は反論しようとした。

 

だが、アクトが端末を閉じたため、言葉を止める。

 

「明日、九時やな」

 

「八時五十分に集合してください」

 

「九時でええやろ」

 

「装備確認に十分必要です」

 

「端末で先にやったらええ」

 

「現物確認が必要です」

 

「八時五十五分」

 

「五十分」

 

「五十三分」

 

「妥協の根拠は?」

 

「なんとなく」

 

「非合理的です」

 

「ほな五十二分」

 

「悪化しています」

 

二人は結局、八時五十二分に集合することになった。

 

翌朝。

 

輸送用バンは、依頼書の写真より古かった。

 

外装は灰色。

 

側面の塗装は剥げ、後部ドアには過去の銃撃痕が残っている。

 

車両上部に簡易銃座があるが、武器は取り外されていた。

 

「装甲車いうより、装甲っぽい車やな」

 

アクトが側面を指で叩く。

 

鈍い音。

 

装甲材の下に空洞がある。

 

「小火器への耐性はあります」

 

黒曜が答える。

 

「小火器いうても、ピストルくらいやろ」

 

「ライフル弾への完全な防護は依頼条件に含まれていません」

 

「撃たれへん前提の装甲車やん」

 

「あなたが撃たれないようにすれば問題ありません」

 

「そこにつなげる?」

 

後部ドアが開く。

 

内部には、白い医療コンテナが四つ固定されていた。

 

それぞれに温度管理装置と位置追跡タグ。

 

奥には二人分の簡易座席。

 

アクトはコンテナの固定具を確認し、医療キットを床へ置いた。

 

黒曜は車内を一周見る。

 

「脱出口が一つしかありません」

 

「後ろだけやな」

 

「側面扉が必要です」

 

「今から作る?」

 

「破壊は推奨しません」

 

「珍しいな」

 

「依頼品の温度管理へ影響します」

 

アクトは助手席へ座った。

 

黒曜は後部の座席へ向かおうとする。

 

「自分、前座り」

 

「なぜです」

 

「何かあったら先に降りるん、あたしや」

 

「なら私は後方から支援します」

 

「前のほうが周囲見える」

 

「アストラル知覚に物理的な窓は不要です」

 

「ほんま何でも言い返すな」

 

「役割分担です」

 

結局、黒曜は後部へ座った。

 

アクトは助手席。

 

運転席には誰もいない。

 

自動運転システムが起動し、低い合成音声で経路を読み上げる。

 

車両が倉庫を出る。

 

朝のシアトルは曇っていた。

 

雨は降っていない。

 

だが道路は濡れている。

 

前夜の水が排水しきれず、路面のくぼみに灰色の水たまりを作っていた。

 

企業広告のホログラムが水面へ映る。

 

健康。

 

安全。

 

清潔。

 

保証された未来。

 

その下で、無登録診療所へ違法に薬を運んでいる。

 

アクトは窓の外を眺めた。

 

「薬、どんなやつやろな」

 

「依頼書に記載されています」

 

「そういう意味ちゃう。誰に使うんやろなって」

 

「配送先は、複数の居住区を担当する診療所です」

 

「子供もおるやろな」

 

「いるでしょう」

 

「間に合うとええな」

 

黒曜は返事をしなかった。

 

代わりに、端末へ目を落とした。

 

アクトは横目で見る。

 

「何見とる」

 

「到着予定時刻です」

 

「五分遅れ?」

 

「道路工事の影響です」

 

「医療物資なら急いだほうがええんちゃう」

 

「速度を上げれば検問対象になる可能性があります」

 

「合理的やな」

 

「不満ですか」

 

「別に」

 

車両はダウンタウンを抜けた。

 

高層ビルの壁が低い集合住宅へ変わり、集合住宅が廃工場と倉庫へ変わる。

 

道路脇の監視カメラは減り、代わりに武装した見張りが増える。

 

最初のギャング支配区域。

 

通行料は支払い済み。

 

道路脇の男が端末をかざす。

 

輸送車の識別タグを確認し、顎を振った。

 

問題なく通過。

 

二つ目も同じだった。

 

三つ目。

 

《スカル・ラッツ》の区域へ入る手前で、自動運転システムが速度を落とした。

 

前方に障害物。

 

横倒しになった配送トラックが、道路を半分塞いでいる。

 

反対車線には、燃えた乗用車。

 

通行できる幅は一台分。

 

アクトのウサ耳センサーが前方へ向く。

 

人の声。

 

金属音。

 

無線。

 

少なくとも五人。

 

「止めろ」

 

アクトが言う。

 

自動運転は応答しない。

 

「緊急停止」

 

今度は反応した。

 

車両が減速する。

 

黒曜が後部から聞く。

 

「待ち伏せですか」

 

「たぶん」

 

「人数は」

 

「五……いや、七」

 

熱源表示。

 

横倒しのトラックの陰に二人。

 

建物の二階に一人。

 

道路右側の排水路に三人。

 

もう一人は不明。

 

アクトは小銃を手に取る。

 

「迂回できる?」

 

黒曜が端末を操作する。

 

「後方道路に車両が二台接近しています」

 

「挟まれたな」

 

「計画的です」

 

「そら待ち伏せやからな」

 

後方ミラーに黒い車が二台現れる。

 

前方のトラック陰から、一人の男が出てきた。

 

赤い防塵マスク。

 

首に鼠の頭蓋骨を模したアクセサリー。

 

両手は見える位置に出している。

 

ただし、腰には短機関銃。

 

『車を止めろ。通行税だ』

 

外部スピーカーを通じて声が響く。

 

アクトが通信を開く。

 

「もう払っとるで」

 

『誰にだ』

 

「お前らやないん?」

 

『古い契約は無効だ』

 

「昨日まで有効やったやろ」

 

『今日から変わった』

 

「急やな」

 

『新しい管理者が決めた』

 

「その管理者呼んで」

 

男が笑った。

 

『俺だ』

 

「ほな話早いな。いくら」

 

『積み荷の半分』

 

アクトは黒曜を見る。

 

後部座席から、黒曜の顔は見えない。

 

「高いな」

 

『命よりは安い』

 

「命と比べたら何でも安いやろ」

 

男の表情が消える。

 

『三十秒やる』

 

通信が切れた。

 

黒曜が言った。

 

「交渉の余地はありません」

 

「最初から取る気やな」

 

「物資を渡すことはできません」

 

「せやな」

 

アクトはドアへ手をかける。

 

黒曜の声が飛ぶ。

 

「待ってください」

 

「何や」

 

「あなたは車内に残ってください」

 

アクトは振り返った。

 

「は?」

 

「私が幻影で突破経路を作ります」

 

「自分、まだ傷あるやろ」

 

「戦闘ではありません」

 

「術式使うんやろ」

 

「低負荷です」

 

「相手に魔法使いおったら?」

 

黒曜は一瞬黙る。

 

「確認できません」

 

「ならあたしが先や」

 

「あなたが外へ出れば、射線が集中します」

 

「車に撃たれたら薬があかんやろ」

 

「障壁を展開します」

 

「車全体に?」

 

「可能です」

 

「何分持つ」

 

「必要な時間は」

 

「何分」

 

黒曜は答えなかった。

 

アクトが眉を寄せる。

 

「自分、また無茶する気やろ」

 

「あなたへ言われることではありません」

 

「昨日の話、もう忘れたんか」

 

「忘れていません。だからあなたを外へ出しません」

 

「それ、守っとるんちゃう。動かさんようにしとるだけや」

 

黒曜の声が硬くなる。

 

「あなたが被弾するより合理的です」

 

「自分が倒れたら同じやろ」

 

「私は倒れません」

 

「前も聞いた」

 

「今回は」

 

「今回は大丈夫。次は大丈夫。毎回それやんけ」

 

外から銃声。

 

威嚇射撃。

 

弾丸が車両前方の路面へ当たり、火花を散らす。

 

残り時間を催促している。

 

アクトはドアを開けた。

 

黒曜が立ち上がる。

 

「アクト!」

 

「自分は車守れ」

 

「命令しないでください」

 

「ほなお願いや。薬守って」

 

アクトは車外へ出た。

 

小銃は下げたまま。

 

男たちの銃口が一斉に向く。

 

前方二。

 

右三。

 

二階一。

 

後方車両から二人ずつ。

 

合計十人。

 

先ほどより増えている。

 

「一人で来たか」

 

赤いマスクの男が言う。

 

「話しに来ただけや」

 

「積み荷を開けろ」

 

「薬やで」

 

「知ってる」

 

「売るん?」

 

「必要なところへ回す」

 

「必要なところいうんは、一番高う買うやつやろ」

 

男は笑った。

 

「商売だ」

 

「病人相手にええ商売やな」

 

「俺らも病人みたいなもんだ」

 

「ほな診療所連れてったるわ」

 

「口が減らねえな」

 

男の右手が銃へ近づく。

 

アクトは動かない。

 

視界の端で、黒曜の魔力反応を感じる。

 

見えない。

 

だが、帽子につけた護符が弱く震えた。

 

術式の準備。

 

「黒曜」

 

小声で通信へ送る。

 

「まだや」

 

返事はない。

 

代わりに、道路の反対側で爆発音が鳴った。

 

ギャングたちが一斉に振り返る。

 

炎。

 

煙。

 

車両の衝突音。

 

すべて幻影。

 

アクトには何も見えない。

 

彼女のサイバーアイには、現実の道路だけが映っている。

 

だが、ギャングたちは混乱した。

 

二階の射手が偽の爆発へ銃口を向ける。

 

右側の三人が排水路から飛び出す。

 

「今です」

 

黒曜の声。

 

「走ってください」

 

「車は?」

 

「私が守ります」

 

自動運転車が動き出す。

 

前方の狭い隙間へ向かう。

 

アクトはその横を走る。

 

予定とは違う。

 

車内に戻る暇はない。

 

前方の男が幻影を振り払い、アクトへ銃を向ける。

 

「止まれ!」

 

短機関銃が火を噴く。

 

アクトは横へ跳んだ。

 

道路脇のコンクリート障壁へ滑り込む。

 

弾丸が角を削る。

 

「遮蔽使っとるで!」

 

通信へ叫ぶ。

 

「報告は不要です!」

 

「褒めてくれてもええやろ!」

 

車両が障害物へ近づく。

 

道幅が足りない。

 

横倒しのトラックの一部が、通行線へ突き出している。

 

このままでは側面を擦る。

 

医療コンテナへ衝撃が入る。

 

アクトは遮蔽から飛び出した。

 

銃撃。

 

肩の横を弾丸が通る。

 

帽子のつばが揺れる。

 

アクトはトラックへ走る。

 

銀色の両手を車体のフレームへかけた。

 

「何をしているのです!」

 

「広げる!」

 

「射線上です!」

 

「分かっとる!」

 

サイバーリムへ出力指示。

 

脚部固定。

 

腰を落とす。

 

両腕の人工筋肉が収縮する。

 

横倒しのトラックが僅かに動いた。

 

タイヤが路面を擦る。

 

一センチ。

 

二センチ。

 

足りない。

 

銃弾がアクトの背中へ当たった。

 

防具が衝撃を受ける。

 

一発。

 

続いて二発目。

 

「アクト!」

 

黒曜の声。

 

「撃たれてへん!」

 

「今、被弾しました!」

 

「当たっただけや!」

 

「同義です!」

 

アクトはさらに力を込める。

 

トラックが動く。

 

五センチ。

 

十センチ。

 

輸送バンが隙間へ入った。

 

右側面がトラックへ擦れる。

 

金属音。

 

だが通れる。

 

「行け!」

 

自動運転システムは無言で前進する。

 

ギャングの一人が車両後部へ向かって走る。

 

黒曜が外へ出た。

 

黒いローブが風に広がる。

 

「車内おれ言うたやろ!」

 

「追手を排除します!」

 

杖の紫水晶が光る。

 

追手の前に、巨大な壁が現れた。

 

幻影。

 

男は止まらない。

 

実体がないと見抜いている。

 

黒曜が次の術式へ移る。

 

アクトには分かった。

 

魔力の流れが強すぎる。

 

「それ使うな!」

 

「必要です」

 

「低負荷ちゃうやろ!」

 

「接近を許容できません」

 

「自分、傷開くぞ!」

 

「あなたは黙って退避を」

 

黒曜の術式が完成する前に、二階の射手が撃った。

 

アクトのウサ耳センサーが発砲音を拾う。

 

射線予測。

 

標的は黒曜。

 

アクトは走った。

 

間に入る。

 

だが黒曜も動いた。

 

杖をアクトへ向ける。

 

不可視の力が、アクトの身体を横へ押した。

 

弾丸は二人の間を通り、道路へ当たった。

 

アクトは転がり、すぐ立ち上がる。

 

「何すんねん!」

 

「あなたこそ!」

 

黒曜の術式は崩れた。

 

反動が戻る。

 

脇腹を押さえる。

 

ローブの下に赤い色が滲んだ。

 

「ほら見ろ!」

 

アクトが駆け寄る。

 

「問題ありません」

 

「血ぃ出とる!」

 

「軽微です」

 

「軽微なやつは赤ならへん!」

 

「あなたの背中にも弾痕があります」

 

「今あたしの話ちゃう!」

 

ギャングたちが態勢を立て直す。

 

前方のバンは、障害物を抜けて十五メートル先。

 

だが停止している。

 

乗員が離れたため、安全機能が作動したらしい。

 

「二人とも、そこで終わりだ!」

 

赤いマスクの男が叫ぶ。

 

左右から囲まれる。

 

アクトと黒曜は背中合わせに立った。

 

「なあ」

 

アクトが言う。

 

「何です」

 

「これ、庇い合うて余計あかんことなってへん?」

 

黒曜は周囲を見た。

 

「……否定できません」

 

アクトは弾倉を確認する。

 

残弾、二十二。

 

「守るんはやめへん。でも、何もさせへんのは違う」

 

黒曜は杖を握り直した。

 

「同意します」

 

その一言で十分だった。

 

ギャングが近づく。

 

十メートル。

 

アクトは赤いマスクの男を見る。

 

「任せてええか」

 

黒曜が僅かに目を見開く。

 

「何をです」

 

「左と後ろ。車までの道」

 

「あなたは」

 

「右と前。二階の射手もあたしがやる」

 

「被弾を」

 

「遮蔽使う。できるだけ」

 

「できるだけでは不十分です」

 

「自分もドレイン抑えろ」

 

「必要な範囲で」

 

「それでええ」

 

アクトは拳銃を抜き、黒曜へ銃把を向けた。

 

「使える?」

 

「射撃技能は基礎訓練のみです」

 

「近いやつに向けて撃つだけや」

 

「私には杖があります」

 

「ほな予備」

 

黒曜は拳銃を受け取った。

 

白い指が、銀色の指へ一瞬触れる。

 

「三つ数えるで」

 

「待ってください」

 

「何や」

 

「私が合図します」

 

「何で」

 

「術式の展開時間に合わせます」

 

「分かった」

 

黒曜は目を閉じた。

 

呼吸を整える。

 

無理に魔力を引き上げない。

 

傷口を押さえる手を離す。

 

杖を水平に構える。

 

アクトはその横顔を見る。

 

青白い。

 

だが、目を開いたときの視線は澄んでいた。

 

「今です」

 

世界が歪んだ。

 

大規模な混沌界ではない。

 

狭い。

 

浅い。

 

だが正確だった。

 

左側のギャング三人の視界だけが、僅かにずれる。

 

道路が半歩横へ移動する。

 

アクトと黒曜の位置が一メートル後方に見える。

 

それだけ。

 

だが銃撃戦では、一メートルが生死を分ける。

 

敵が撃つ。

 

弾丸は二人の横を通過する。

 

アクトが右へ走る。

 

遮蔽。

 

壊れた乗用車のエンジンブロック。

 

二階の射手が追う。

 

アクトは車体の下へ滑り込み、反対側へ抜けた。

 

立ち上がりざまに三点射。

 

窓枠。

 

壁。

 

射手の肩。

 

男が銃を落とす。

 

前方から赤いマスクの男。

 

短機関銃。

 

アクトは撃たない。

 

距離を詰める。

 

銃口の内側へ入る。

 

左手で銃身を外へ流す。

 

右肘を胸へ。

 

男の装甲で止まる。

 

ならば投げる。

 

足をかける。

 

腰を回す。

 

男が路面へ落ちる。

 

アクトは腕を捻り、短機関銃を奪った。

 

後方。

 

黒曜の幻影が消える。

 

同時に拳銃が二発鳴った。

 

一発は地面。

 

一発は敵の足元。

 

正確ではない。

 

だが敵は怯む。

 

黒曜が杖を振る。

 

強風ではない。

 

衝撃でもない。

 

敵の視界に、無数の黒い鳥が現れた。

 

羽音。

 

嘴。

 

翼。

 

狭い範囲を埋め尽くす。

 

敵が顔を覆う。

 

実体はない。

 

その隙に黒曜は車両へ走る。

 

脇腹を庇わない。

 

無理に速度も上げない。

 

必要な距離だけ移動する。

 

アクトは残る二人へ短機関銃を向けた。

 

「追わんほうがええで」

 

赤いマスクの男が地面から見上げる。

 

「殺す気か」

 

「薬奪うやつに聞かれたないわ」

 

「ここは俺たちの土地だ」

 

「病人の薬まで土地代にすんな」

 

男が笑った。

 

「綺麗事だな」

 

「せやな」

 

アクトは短機関銃の弾倉を抜いた。

 

薬室の弾も排出する。

 

武器を男の胸へ放る。

 

「でも今日は、それでええ」

 

後方から黒曜の声。

 

「アクト!」

 

輸送バンの後部ドアが開いている。

 

黒曜が車内に立ち、拳銃を構えていた。

 

銃口は少し揺れている。

 

「早くしてください!」

 

「撃つなよ!」

 

「必要なら撃ちます!」

 

「その持ち方やとあたしに当たる!」

 

「ならば早く!」

 

アクトは走った。

 

ギャングたちは追わない。

 

赤いマスクの男は倒れたまま、短機関銃の空になった薬室を見ていた。

 

アクトが車内へ飛び込む。

 

黒曜が後部ドアを閉める。

 

自動運転システムが再起動。

 

バンは加速した。

 

数分後。

 

追跡反応はなかった。

 

車内には、温度管理装置の低い音だけが響いている。

 

アクトは座席へ座り、背中を壁へ預けた。

 

すぐ顔をしかめる。

 

黒曜が見る。

 

「痛むのですね」

 

「ちょっとな」

 

「装甲を確認します」

 

「自分の傷が先や」

 

「止血されています」

 

「見せて」

 

「必要ありません」

 

「さっきの話もう忘れた?」

 

黒曜は黙った。

 

それからローブの裾を少し上げ、脇腹の固定材を見せる。

 

赤い染み。

 

大きくはない。

 

だが新しい。

 

アクトは医療キットを引き寄せた。

 

「座り」

 

「あなたの背部も」

 

「順番や」

 

「同時に可能です」

 

「どうやって」

 

「あなたが私を処置し、私があなたを確認します」

 

アクトは少し考えた。

 

「器用やな」

 

「合理的です」

 

二人は向かい合って座った。

 

アクトが黒曜の固定材を外す。

 

黒曜はアクトの背部装甲の留め具を開ける。

 

互いの手が何度もぶつかる。

 

「動くな」

 

「あなたこそ」

 

「そこ痛い」

 

「では、先に言ってください」

 

「自分もやろ」

 

「私は表情へ出していません」

 

「手ぇ止まったで」

 

「確認です」

 

「便利やな」

 

止血剤。

 

消毒。

 

新しい固定材。

 

背部装甲の点検。

 

弾丸は防具で止まっている。

 

生身には大きな損傷なし。

 

ただし痣は増えた。

 

「二発です」

 

黒曜が言う。

 

「少ないやろ」

 

「比較対象がおかしい」

 

「遮蔽使ったで」

 

「途中までは」

 

「努力したやん」

 

「結果が伴っていません」

 

「自分も傷開いとるやろ」

 

「術式負荷ではありません。急な移動によるものです」

 

「同じや」

 

「違います」

 

「もうそれ、やめへん?」

 

「何をです」

 

「どっちの無茶がましか競うん」

 

黒曜は手を止めた。

 

アクトも止血パッチを押さえたまま、顔を上げる。

 

「どっちもあかんかった」

 

アクトが言う。

 

「あなたが私を車内へ残そうとしたのも。あたしが自分を車内へ残そうとしたのも」

 

「私は残るべきでした」

 

「でも外出たやん」

 

「追撃を防ぐ必要が」

 

「それでええねん」

 

黒曜が眉を寄せる。

 

「何がです」

 

「必要なときは出る。任せる。危なかったら言う。それでええ」

 

「単純化しすぎです」

 

「複雑にしたら、また庇い合うて二人とも撃たれるで」

 

黒曜は少し黙った。

 

「あなたは、私が危険な術式を使用しても止めないのですか」

 

「止めるで」

 

「矛盾しています」

 

「止めるけど、最後は自分で決めたらええ」

 

「その結果、私が倒れた場合は」

 

「担いで帰る」

 

「あなたが倒れた場合は」

 

「自分が担ぐ?」

 

黒曜はアクトの身体を見る。

 

小柄だが重い。

 

装備と金属の四肢を含めれば、簡単に運べる重量ではない。

 

「浮遊させます」

 

「やっぱ担ぐ気ないやん」

 

「効率的です」

 

「それでええ」

 

アクトは笑った。

 

黒曜は笑わない。

 

だが、杖の紫水晶が一度だけ明るくなった。

 

輸送バンは目的地へ到着した。

 

無登録診療所は、廃校になった小学校を利用していた。

 

校庭には簡易テント。

 

入口には患者が並んでいる。

 

子供。

 

老人。

 

腕に包帯を巻いたオーク。

 

咳をするエルフの女。

 

診療所の職員が輸送バンへ駆け寄る。

 

後部ドアが開き、医療コンテナを確認した。

 

「全部ある」

 

職員の男が息を吐く。

 

「温度も正常だ」

 

「遅れてすまんな」

 

アクトが言う。

 

「来ただけで十分だ」

 

男はコンテナを運び出し始めた。

 

診療所の奥から、子供の泣き声が聞こえる。

 

黒曜はその方向を見た。

 

「間に合ったみたいやな」

 

アクトが言う。

 

「そうですね」

 

「薬守れてよかったな」

 

「依頼条件です」

 

「それだけ?」

 

黒曜は少し考える。

 

「……結果として、望ましい状態です」

 

「素直ちゃうなあ」

 

「あなたに言われたくありません」

 

引き渡し完了。

 

報酬も予定どおり振り込まれた。

 

減額なし。

 

損傷した車両外装についても、依頼人は問題にしなかった。

 

帰りの車両は別に用意されていた。

 

古いセダン。

 

自動運転。

 

二人は後部座席へ並んで座った。

 

アクトは眠そうに窓へ頭を預ける。

 

黒曜は報告書を作成していた。

 

「反省点、多そうやな」

 

「多いです」

 

「第一に?」

 

「あなたが車両外へ出たこと」

 

「自分も出たやろ」

 

「第二に、あなたが遮蔽物から離れ、輸送車両の経路を確保したこと」

 

「必要やった」

 

「第三に、私の術式展開中に干渉したこと」

 

「自分が無茶するからや」

 

「第四に」

 

「まだあるん?」

 

「私があなたを術式で押し退けた結果、術式維持に失敗したこと」

 

アクトが顔を上げる。

 

「自分の反省も入れるんや」

 

「当然です」

 

「珍しいな」

 

「以前から行っています」

 

「前は全部、情報の誤りとか相手の反応が早かったとか言うてたやん」

 

「改善しました」

 

アクトは少し笑った。

 

「成長したなあ」

 

「子供扱いしないでください」

 

黒曜が報告書を保存する。

 

その瞬間。

 

端末の画面が一度消えた。

 

黒曜の指が止まる。

 

「何や」

 

「待ってください」

 

画面が再点灯する。

 

作成した報告書とは別のファイルが開いていた。

 

白い背景。

 

黒い文字。

 

企業ロゴなし。

 

作成者情報なし。

 

ファイル名もない。

 

アクトが覗き込む。

 

「依頼人の自動記録?」

 

「違います」

 

画面に文字が表示される。

 

一行ずつ。

 

`SUBJECT A: ARCTURUS`

`対象A:アクトトゥルス`

 

`SUBJECT B: KOKUYOU`

`対象B:黒曜`

 

アクトの表情が消えた。

 

「何やこれ」

 

黒曜は答えない。

 

次の行。

 

`OPERATIONAL COMPATIBILITY: HIGH`

`作戦行動上の適合性:高`

 

`PROTECTIVE BIAS A→B: EXCESSIVE`

`対象Aから対象Bへの保護傾向:過剰`

 

`PROTECTIVE BIAS B→A: EXCESSIVE`

`対象Bから対象Aへの保護傾向:過剰`

 

`MUTUAL INTERFERENCE: INCREASED`

`相互干渉:増大`

 

`SEPARATION RESPONSE: UNSTABLE`

`分離時反応:不安定`

 

アクトが画面へ手を伸ばす。

 

「消せる?」

 

「待ってください」

 

さらに文字が続く。

 

`BEHAVIORAL ADJUSTMENT OBSERVED`

`行動調整を確認`

 

`DEPENDENCY CLASSIFICATION: UNRESOLVED`

`依存関係の分類:未解決`

 

`RELATIONSHIP STATUS: UNRESOLVED`

`関係性の状態:未解決`

 

黒曜の顔が硬くなる。

 

「この記録は、誰が作成したのです」

 

「依頼人ちゃうん?」

 

「いいえ」

 

「フィクサー?」

 

「この端末は、任務中ネットワークへ接続していません」

 

「車のシステムから入ったんちゃう」

 

「通信履歴がありません」

 

「ほな、前から入っとった?」

 

「それも考えにくい」

 

黒曜はファイル情報を開こうとする。

 

反応なし。

 

複製。

 

失敗。

 

削除。

 

失敗。

 

外部記憶へ転送。

 

失敗。

 

「壊れた?」

 

「いいえ」

 

文字が一行増えた。

 

`OBSERVER DETECTION PROBABILITY: RISING`

`観察者を検知する確率:上昇中`

 

アクトと黒曜は同時に黙った。

 

車内には、道路を走る低い振動だけがある。

 

黒曜が端末の電源を切った。

 

画面が暗くなる。

 

三秒後。

 

勝手に再起動した。

 

同じ白い画面。

 

同じ文字。

 

そして最後に、新しい一行。

 

`SUBJECT B HAS RECOGNIZED OBSERVATION`

`対象Bが観察の存在を認識`

 

黒曜の指が僅かに震えた。

 

アクトはその手へ、自分の銀色の手を重ねた。

 

「自分、知っとるん?」

 

「いいえ」

 

「嘘ちゃう?」

 

「知りません」

 

黒曜の声は低かった。

 

「これは報告書ではありません」

 

「ほな何や」

 

黒曜は画面を見つめる。

 

そこにはもう、新しい文字は表示されていない。

 

ただ最後の行だけが点滅していた。

 

`RELATIONSHIP STATUS: UNRESOLVED`

`関係性の状態:未解決`

 

「観察記録です」

 

アクトはしばらく画面を見た。

 

それから眉を寄せる。

 

「誰が相互依存やねん」

 

黒曜は数秒黙った。

 

「依存ではなく、相互補完でしょう」

 

アクトが横を見る。

 

黒曜も見る。

 

二人の間に、一瞬だけいつもの空気が戻った。

 

「そこ訂正するとこ?」

 

「分類の精度は重要です」

 

「ほな書き換えてや」

 

「操作を受け付けません」

 

「使えんな」

 

「問題はそこではありません」

 

「分かっとる」

 

アクトは黒曜の手を離さなかった。

 

黒曜も、振り払わなかった。

 

窓の外では、雨が降り始めていた。

 

シアトルの街が、水の向こうで歪んでいく。

 

赤いネオン。

 

企業広告。

 

高架道路。

 

濡れたコンクリート。

 

そのどこにも、二人を見ている者の姿はない。

 

通信履歴もない。

 

侵入記録もない。

 

発信元もない。

 

それでも、何かは二人を知っていた。

 

名前を。

 

行動を。

 

互いに庇おうとしたことを。

 

離れようとして失敗したことを。

 

本人たちが、まだ言葉にしていないものまで。

 

端末の画面が一度だけ明滅した。

 

`OBSERVATION MODE: CONTINUOUS`

`観察モード:継続`

 

黒曜が電源ユニットを引き抜く。

 

今度こそ画面が消えた。

 

車内が暗くなる。

 

「帰ったら調べるで」

 

アクトが言った。

 

「私が調査します」

 

「二人でや」

 

「危険性が不明です」

 

「せやから二人やろ」

 

黒曜は反論しなかった。

 

しばらくして、アクトの肩へ僅かに体重を預ける。

 

傷が痛んだのか。

 

車両が揺れたのか。

 

あるいは、ただ距離を空ける理由がなかったのか。

 

アクトは聞かなかった。

 

代わりに、自分の肩を少しだけ黒曜側へ傾けた。

 

二人を隔てる距離は、ほとんどなくなった。

 

それが合理的かどうかを、今は決める必要がなかった。

 




共通修正:全話の行頭字下げを削除し、ハーメルン向けの字下げなしに統一。
(7.31.2026)
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