OPERATIONAL COMPATIBILITY: HIGH
PROTECTIVE BIAS A→B: EXCESSIVE
PROTECTIVE BIAS B→A: EXCESSIVE
MUTUAL INTERFERENCE: INCREASED
BEHAVIORAL ADJUSTMENT: REQUIRED
CROWシステム/保護干渉分析
作戦行動上の適合性:高
対象Aから対象Bへの保護傾向:過剰
対象Bから対象Aへの保護傾向:過剰
相互干渉:増大
行動調整:必要
翌日に仕事を入れたのは、アクトではなかった。
「自分から受けたん?」
《ラスティ・コヨーテ》の奥、いつもの丸テーブルで、アクトは端末の依頼書を眺めながら聞いた。
赤い野球帽の上では、修理を終えた機械式のウサ耳センサーモジュールが、店内の音へ合わせて小さく動いている。
向かいに座る黒曜は、赤ワインのグラスへ口をつけた。
「フィクサーから適性を確認され、受諾しました」
「それ、自分から受けた言うんやで」
「依頼を探していたわけではありません」
「断らんかったんやろ」
「断る理由がありませんでした」
「傷、まだ塞がりきってへんやん」
黒曜の左脇腹には、まだ治療用の固定材が巻かれている。
外からは黒いローブに隠れて見えない。
だが、座るときの動きが以前より僅かに遅いことを、アクトは見逃していなかった。
黒曜の視線が、アクトの胸元へ移る。
「あなたも肋骨周辺の打撲が残っています」
「治っとる」
「昨日、椅子から立ち上がる際に顔をしかめていました」
「腹減っとっただけや」
「痛みと空腹では表情筋の動きが異なります」
「人の顔、よう見とるな」
「観察です」
「便利な言葉やな」
アクトは端末をテーブルへ置いた。
今回の仕事は、小型医療コンテナの護送だった。
依頼主は、レドモンド地区で移動診療所を運営する非営利団体。
運ぶのは、抗生物質、人工血液、簡易手術用器材。
表向きには正規の医療物資だ。
ただし、配送先は企業の認可を受けていない無登録診療所。
正規ルートを使えば、物資の半分は検査名目で押収される。
残り半分は、通行料と保護費と管理費で消える。
だからシャドウランナーへ依頼が来た。
出発地点はダウンタウン南部の倉庫。
配送先はレドモンド北東部。
輸送車両は小型の装甲バン。
運転手は自動操縦システム。
アクトと黒曜は護衛として同乗する。
道中で襲撃がなければ、二時間で終わる。
「簡単な仕事やな」
アクトが言った。
「その発言を撤回してください」
「まだ何も起きてへんで」
「あなたが簡単だと評価した仕事は、高確率で複雑化しています」
「偶然やろ」
「統計的傾向です」
「何件調べたん」
「直近八件です」
「数えとったんかい」
黒曜はグラスを置いた。
「今回の任務において、優先すべきは物資の保全です」
「人ちゃうん?」
「依頼条件には、運転手や医療従事者の護衛は含まれていません」
「自動運転やろ」
「そうです」
「ほな物資だけやん」
「だから述べました」
アクトは依頼書を指で拡大した。
経路上には三か所、ギャング支配区域がある。
そのうち二つは、依頼人が通行料を支払っている。
問題は、残り一つ。
《スカル・ラッツ》。
下層道路と廃線跡を縄張りにする小規模ギャング。
最近になって構成員が増え、武器も良くなったと報告されている。
「ここやな」
「同意します」
「避けるルートは?」
「南へ十二キロ迂回。ただし、企業検問所を二か所通過します」
「偽造輸送許可は?」
「レーティング三です」
「微妙やな」
「ギャング区域を通過するほうが、危険度は低いと判断します」
「戦闘になったら?」
「あなたが前衛、私が後方支援」
「いつも通りやな」
「ただし」
黒曜が続ける。
「今回は、敵の射線を集める戦術を禁止します」
「自分も、倒れるほどの術式は禁止や」
「必要なら使用します」
「ほな、あたしも必要なら前出る」
二人は見つめ合った。
黒曜の指が、グラスの脚を少し強く掴む。
アクトはそれを見て、口を閉じた。
昨日、互いの無茶を理由に離れかけたばかりだった。
昨日。
黒曜は一人で関係を終わらせようとした。
アクトは追いかけた。
撃ち合いになった。
傷が開いた。
互いに、言わなくてもいいことまで言った。
言うべきことは、あまり言えなかった。
それでも最後には戻った。
隣へ。
戻ったばかりだった。
だから、これ以上こじらせるのは面倒だった。
「分かった」
アクトが言った。
黒曜の眉が僅かに動く。
「何がです」
「無茶せえへん」
「具体性がありません」
「射線集めすぎん。被弾せんようにする。遮蔽使う」
「最初からそうしてください」
「自分もやで」
「私は常に適切な防御を」
「脇腹撃たれたやろ」
「例外です」
「ほら、それや」
黒曜は反論しようとした。
だが、アクトが端末を閉じたため、言葉を止める。
「明日、九時やな」
「八時五十分に集合してください」
「九時でええやろ」
「装備確認に十分必要です」
「端末で先にやったらええ」
「現物確認が必要です」
「八時五十五分」
「五十分」
「五十三分」
「妥協の根拠は?」
「なんとなく」
「非合理的です」
「ほな五十二分」
「悪化しています」
二人は結局、八時五十二分に集合することになった。
翌朝。
輸送用バンは、依頼書の写真より古かった。
外装は灰色。
側面の塗装は剥げ、後部ドアには過去の銃撃痕が残っている。
車両上部に簡易銃座があるが、武器は取り外されていた。
「装甲車いうより、装甲っぽい車やな」
アクトが側面を指で叩く。
鈍い音。
装甲材の下に空洞がある。
「小火器への耐性はあります」
黒曜が答える。
「小火器いうても、ピストルくらいやろ」
「ライフル弾への完全な防護は依頼条件に含まれていません」
「撃たれへん前提の装甲車やん」
「あなたが撃たれないようにすれば問題ありません」
「そこにつなげる?」
後部ドアが開く。
内部には、白い医療コンテナが四つ固定されていた。
それぞれに温度管理装置と位置追跡タグ。
奥には二人分の簡易座席。
アクトはコンテナの固定具を確認し、医療キットを床へ置いた。
黒曜は車内を一周見る。
「脱出口が一つしかありません」
「後ろだけやな」
「側面扉が必要です」
「今から作る?」
「破壊は推奨しません」
「珍しいな」
「依頼品の温度管理へ影響します」
アクトは助手席へ座った。
黒曜は後部の座席へ向かおうとする。
「自分、前座り」
「なぜです」
「何かあったら先に降りるん、あたしや」
「なら私は後方から支援します」
「前のほうが周囲見える」
「アストラル知覚に物理的な窓は不要です」
「ほんま何でも言い返すな」
「役割分担です」
結局、黒曜は後部へ座った。
アクトは助手席。
運転席には誰もいない。
自動運転システムが起動し、低い合成音声で経路を読み上げる。
車両が倉庫を出る。
朝のシアトルは曇っていた。
雨は降っていない。
だが道路は濡れている。
前夜の水が排水しきれず、路面のくぼみに灰色の水たまりを作っていた。
企業広告のホログラムが水面へ映る。
健康。
安全。
清潔。
保証された未来。
その下で、無登録診療所へ違法に薬を運んでいる。
アクトは窓の外を眺めた。
「薬、どんなやつやろな」
「依頼書に記載されています」
「そういう意味ちゃう。誰に使うんやろなって」
「配送先は、複数の居住区を担当する診療所です」
「子供もおるやろな」
「いるでしょう」
「間に合うとええな」
黒曜は返事をしなかった。
代わりに、端末へ目を落とした。
アクトは横目で見る。
「何見とる」
「到着予定時刻です」
「五分遅れ?」
「道路工事の影響です」
「医療物資なら急いだほうがええんちゃう」
「速度を上げれば検問対象になる可能性があります」
「合理的やな」
「不満ですか」
「別に」
車両はダウンタウンを抜けた。
高層ビルの壁が低い集合住宅へ変わり、集合住宅が廃工場と倉庫へ変わる。
道路脇の監視カメラは減り、代わりに武装した見張りが増える。
最初のギャング支配区域。
通行料は支払い済み。
道路脇の男が端末をかざす。
輸送車の識別タグを確認し、顎を振った。
問題なく通過。
二つ目も同じだった。
三つ目。
《スカル・ラッツ》の区域へ入る手前で、自動運転システムが速度を落とした。
前方に障害物。
横倒しになった配送トラックが、道路を半分塞いでいる。
反対車線には、燃えた乗用車。
通行できる幅は一台分。
アクトのウサ耳センサーが前方へ向く。
人の声。
金属音。
無線。
少なくとも五人。
「止めろ」
アクトが言う。
自動運転は応答しない。
「緊急停止」
今度は反応した。
車両が減速する。
黒曜が後部から聞く。
「待ち伏せですか」
「たぶん」
「人数は」
「五……いや、七」
熱源表示。
横倒しのトラックの陰に二人。
建物の二階に一人。
道路右側の排水路に三人。
もう一人は不明。
アクトは小銃を手に取る。
「迂回できる?」
黒曜が端末を操作する。
「後方道路に車両が二台接近しています」
「挟まれたな」
「計画的です」
「そら待ち伏せやからな」
後方ミラーに黒い車が二台現れる。
前方のトラック陰から、一人の男が出てきた。
赤い防塵マスク。
首に鼠の頭蓋骨を模したアクセサリー。
両手は見える位置に出している。
ただし、腰には短機関銃。
『車を止めろ。通行税だ』
外部スピーカーを通じて声が響く。
アクトが通信を開く。
「もう払っとるで」
『誰にだ』
「お前らやないん?」
『古い契約は無効だ』
「昨日まで有効やったやろ」
『今日から変わった』
「急やな」
『新しい管理者が決めた』
「その管理者呼んで」
男が笑った。
『俺だ』
「ほな話早いな。いくら」
『積み荷の半分』
アクトは黒曜を見る。
後部座席から、黒曜の顔は見えない。
「高いな」
『命よりは安い』
「命と比べたら何でも安いやろ」
男の表情が消える。
『三十秒やる』
通信が切れた。
黒曜が言った。
「交渉の余地はありません」
「最初から取る気やな」
「物資を渡すことはできません」
「せやな」
アクトはドアへ手をかける。
黒曜の声が飛ぶ。
「待ってください」
「何や」
「あなたは車内に残ってください」
アクトは振り返った。
「は?」
「私が幻影で突破経路を作ります」
「自分、まだ傷あるやろ」
「戦闘ではありません」
「術式使うんやろ」
「低負荷です」
「相手に魔法使いおったら?」
黒曜は一瞬黙る。
「確認できません」
「ならあたしが先や」
「あなたが外へ出れば、射線が集中します」
「車に撃たれたら薬があかんやろ」
「障壁を展開します」
「車全体に?」
「可能です」
「何分持つ」
「必要な時間は」
「何分」
黒曜は答えなかった。
アクトが眉を寄せる。
「自分、また無茶する気やろ」
「あなたへ言われることではありません」
「昨日の話、もう忘れたんか」
「忘れていません。だからあなたを外へ出しません」
「それ、守っとるんちゃう。動かさんようにしとるだけや」
黒曜の声が硬くなる。
「あなたが被弾するより合理的です」
「自分が倒れたら同じやろ」
「私は倒れません」
「前も聞いた」
「今回は」
「今回は大丈夫。次は大丈夫。毎回それやんけ」
外から銃声。
威嚇射撃。
弾丸が車両前方の路面へ当たり、火花を散らす。
残り時間を催促している。
アクトはドアを開けた。
黒曜が立ち上がる。
「アクト!」
「自分は車守れ」
「命令しないでください」
「ほなお願いや。薬守って」
アクトは車外へ出た。
小銃は下げたまま。
男たちの銃口が一斉に向く。
前方二。
右三。
二階一。
後方車両から二人ずつ。
合計十人。
先ほどより増えている。
「一人で来たか」
赤いマスクの男が言う。
「話しに来ただけや」
「積み荷を開けろ」
「薬やで」
「知ってる」
「売るん?」
「必要なところへ回す」
「必要なところいうんは、一番高う買うやつやろ」
男は笑った。
「商売だ」
「病人相手にええ商売やな」
「俺らも病人みたいなもんだ」
「ほな診療所連れてったるわ」
「口が減らねえな」
男の右手が銃へ近づく。
アクトは動かない。
視界の端で、黒曜の魔力反応を感じる。
見えない。
だが、帽子につけた護符が弱く震えた。
術式の準備。
「黒曜」
小声で通信へ送る。
「まだや」
返事はない。
代わりに、道路の反対側で爆発音が鳴った。
ギャングたちが一斉に振り返る。
炎。
煙。
車両の衝突音。
すべて幻影。
アクトには何も見えない。
彼女のサイバーアイには、現実の道路だけが映っている。
だが、ギャングたちは混乱した。
二階の射手が偽の爆発へ銃口を向ける。
右側の三人が排水路から飛び出す。
「今です」
黒曜の声。
「走ってください」
「車は?」
「私が守ります」
自動運転車が動き出す。
前方の狭い隙間へ向かう。
アクトはその横を走る。
予定とは違う。
車内に戻る暇はない。
前方の男が幻影を振り払い、アクトへ銃を向ける。
「止まれ!」
短機関銃が火を噴く。
アクトは横へ跳んだ。
道路脇のコンクリート障壁へ滑り込む。
弾丸が角を削る。
「遮蔽使っとるで!」
通信へ叫ぶ。
「報告は不要です!」
「褒めてくれてもええやろ!」
車両が障害物へ近づく。
道幅が足りない。
横倒しのトラックの一部が、通行線へ突き出している。
このままでは側面を擦る。
医療コンテナへ衝撃が入る。
アクトは遮蔽から飛び出した。
銃撃。
肩の横を弾丸が通る。
帽子のつばが揺れる。
アクトはトラックへ走る。
銀色の両手を車体のフレームへかけた。
「何をしているのです!」
「広げる!」
「射線上です!」
「分かっとる!」
サイバーリムへ出力指示。
脚部固定。
腰を落とす。
両腕の人工筋肉が収縮する。
横倒しのトラックが僅かに動いた。
タイヤが路面を擦る。
一センチ。
二センチ。
足りない。
銃弾がアクトの背中へ当たった。
防具が衝撃を受ける。
一発。
続いて二発目。
「アクト!」
黒曜の声。
「撃たれてへん!」
「今、被弾しました!」
「当たっただけや!」
「同義です!」
アクトはさらに力を込める。
トラックが動く。
五センチ。
十センチ。
輸送バンが隙間へ入った。
右側面がトラックへ擦れる。
金属音。
だが通れる。
「行け!」
自動運転システムは無言で前進する。
ギャングの一人が車両後部へ向かって走る。
黒曜が外へ出た。
黒いローブが風に広がる。
「車内おれ言うたやろ!」
「追手を排除します!」
杖の紫水晶が光る。
追手の前に、巨大な壁が現れた。
幻影。
男は止まらない。
実体がないと見抜いている。
黒曜が次の術式へ移る。
アクトには分かった。
魔力の流れが強すぎる。
「それ使うな!」
「必要です」
「低負荷ちゃうやろ!」
「接近を許容できません」
「自分、傷開くぞ!」
「あなたは黙って退避を」
黒曜の術式が完成する前に、二階の射手が撃った。
アクトのウサ耳センサーが発砲音を拾う。
射線予測。
標的は黒曜。
アクトは走った。
間に入る。
だが黒曜も動いた。
杖をアクトへ向ける。
不可視の力が、アクトの身体を横へ押した。
弾丸は二人の間を通り、道路へ当たった。
アクトは転がり、すぐ立ち上がる。
「何すんねん!」
「あなたこそ!」
黒曜の術式は崩れた。
反動が戻る。
脇腹を押さえる。
ローブの下に赤い色が滲んだ。
「ほら見ろ!」
アクトが駆け寄る。
「問題ありません」
「血ぃ出とる!」
「軽微です」
「軽微なやつは赤ならへん!」
「あなたの背中にも弾痕があります」
「今あたしの話ちゃう!」
ギャングたちが態勢を立て直す。
前方のバンは、障害物を抜けて十五メートル先。
だが停止している。
乗員が離れたため、安全機能が作動したらしい。
「二人とも、そこで終わりだ!」
赤いマスクの男が叫ぶ。
左右から囲まれる。
アクトと黒曜は背中合わせに立った。
「なあ」
アクトが言う。
「何です」
「これ、庇い合うて余計あかんことなってへん?」
黒曜は周囲を見た。
「……否定できません」
アクトは弾倉を確認する。
残弾、二十二。
「守るんはやめへん。でも、何もさせへんのは違う」
黒曜は杖を握り直した。
「同意します」
その一言で十分だった。
ギャングが近づく。
十メートル。
アクトは赤いマスクの男を見る。
「任せてええか」
黒曜が僅かに目を見開く。
「何をです」
「左と後ろ。車までの道」
「あなたは」
「右と前。二階の射手もあたしがやる」
「被弾を」
「遮蔽使う。できるだけ」
「できるだけでは不十分です」
「自分もドレイン抑えろ」
「必要な範囲で」
「それでええ」
アクトは拳銃を抜き、黒曜へ銃把を向けた。
「使える?」
「射撃技能は基礎訓練のみです」
「近いやつに向けて撃つだけや」
「私には杖があります」
「ほな予備」
黒曜は拳銃を受け取った。
白い指が、銀色の指へ一瞬触れる。
「三つ数えるで」
「待ってください」
「何や」
「私が合図します」
「何で」
「術式の展開時間に合わせます」
「分かった」
黒曜は目を閉じた。
呼吸を整える。
無理に魔力を引き上げない。
傷口を押さえる手を離す。
杖を水平に構える。
アクトはその横顔を見る。
青白い。
だが、目を開いたときの視線は澄んでいた。
「今です」
世界が歪んだ。
大規模な混沌界ではない。
狭い。
浅い。
だが正確だった。
左側のギャング三人の視界だけが、僅かにずれる。
道路が半歩横へ移動する。
アクトと黒曜の位置が一メートル後方に見える。
それだけ。
だが銃撃戦では、一メートルが生死を分ける。
敵が撃つ。
弾丸は二人の横を通過する。
アクトが右へ走る。
遮蔽。
壊れた乗用車のエンジンブロック。
二階の射手が追う。
アクトは車体の下へ滑り込み、反対側へ抜けた。
立ち上がりざまに三点射。
窓枠。
壁。
射手の肩。
男が銃を落とす。
前方から赤いマスクの男。
短機関銃。
アクトは撃たない。
距離を詰める。
銃口の内側へ入る。
左手で銃身を外へ流す。
右肘を胸へ。
男の装甲で止まる。
ならば投げる。
足をかける。
腰を回す。
男が路面へ落ちる。
アクトは腕を捻り、短機関銃を奪った。
後方。
黒曜の幻影が消える。
同時に拳銃が二発鳴った。
一発は地面。
一発は敵の足元。
正確ではない。
だが敵は怯む。
黒曜が杖を振る。
強風ではない。
衝撃でもない。
敵の視界に、無数の黒い鳥が現れた。
羽音。
嘴。
翼。
狭い範囲を埋め尽くす。
敵が顔を覆う。
実体はない。
その隙に黒曜は車両へ走る。
脇腹を庇わない。
無理に速度も上げない。
必要な距離だけ移動する。
アクトは残る二人へ短機関銃を向けた。
「追わんほうがええで」
赤いマスクの男が地面から見上げる。
「殺す気か」
「薬奪うやつに聞かれたないわ」
「ここは俺たちの土地だ」
「病人の薬まで土地代にすんな」
男が笑った。
「綺麗事だな」
「せやな」
アクトは短機関銃の弾倉を抜いた。
薬室の弾も排出する。
武器を男の胸へ放る。
「でも今日は、それでええ」
後方から黒曜の声。
「アクト!」
輸送バンの後部ドアが開いている。
黒曜が車内に立ち、拳銃を構えていた。
銃口は少し揺れている。
「早くしてください!」
「撃つなよ!」
「必要なら撃ちます!」
「その持ち方やとあたしに当たる!」
「ならば早く!」
アクトは走った。
ギャングたちは追わない。
赤いマスクの男は倒れたまま、短機関銃の空になった薬室を見ていた。
アクトが車内へ飛び込む。
黒曜が後部ドアを閉める。
自動運転システムが再起動。
バンは加速した。
数分後。
追跡反応はなかった。
車内には、温度管理装置の低い音だけが響いている。
アクトは座席へ座り、背中を壁へ預けた。
すぐ顔をしかめる。
黒曜が見る。
「痛むのですね」
「ちょっとな」
「装甲を確認します」
「自分の傷が先や」
「止血されています」
「見せて」
「必要ありません」
「さっきの話もう忘れた?」
黒曜は黙った。
それからローブの裾を少し上げ、脇腹の固定材を見せる。
赤い染み。
大きくはない。
だが新しい。
アクトは医療キットを引き寄せた。
「座り」
「あなたの背部も」
「順番や」
「同時に可能です」
「どうやって」
「あなたが私を処置し、私があなたを確認します」
アクトは少し考えた。
「器用やな」
「合理的です」
二人は向かい合って座った。
アクトが黒曜の固定材を外す。
黒曜はアクトの背部装甲の留め具を開ける。
互いの手が何度もぶつかる。
「動くな」
「あなたこそ」
「そこ痛い」
「では、先に言ってください」
「自分もやろ」
「私は表情へ出していません」
「手ぇ止まったで」
「確認です」
「便利やな」
止血剤。
消毒。
新しい固定材。
背部装甲の点検。
弾丸は防具で止まっている。
生身には大きな損傷なし。
ただし痣は増えた。
「二発です」
黒曜が言う。
「少ないやろ」
「比較対象がおかしい」
「遮蔽使ったで」
「途中までは」
「努力したやん」
「結果が伴っていません」
「自分も傷開いとるやろ」
「術式負荷ではありません。急な移動によるものです」
「同じや」
「違います」
「もうそれ、やめへん?」
「何をです」
「どっちの無茶がましか競うん」
黒曜は手を止めた。
アクトも止血パッチを押さえたまま、顔を上げる。
「どっちもあかんかった」
アクトが言う。
「あなたが私を車内へ残そうとしたのも。あたしが自分を車内へ残そうとしたのも」
「私は残るべきでした」
「でも外出たやん」
「追撃を防ぐ必要が」
「それでええねん」
黒曜が眉を寄せる。
「何がです」
「必要なときは出る。任せる。危なかったら言う。それでええ」
「単純化しすぎです」
「複雑にしたら、また庇い合うて二人とも撃たれるで」
黒曜は少し黙った。
「あなたは、私が危険な術式を使用しても止めないのですか」
「止めるで」
「矛盾しています」
「止めるけど、最後は自分で決めたらええ」
「その結果、私が倒れた場合は」
「担いで帰る」
「あなたが倒れた場合は」
「自分が担ぐ?」
黒曜はアクトの身体を見る。
小柄だが重い。
装備と金属の四肢を含めれば、簡単に運べる重量ではない。
「浮遊させます」
「やっぱ担ぐ気ないやん」
「効率的です」
「それでええ」
アクトは笑った。
黒曜は笑わない。
だが、杖の紫水晶が一度だけ明るくなった。
輸送バンは目的地へ到着した。
無登録診療所は、廃校になった小学校を利用していた。
校庭には簡易テント。
入口には患者が並んでいる。
子供。
老人。
腕に包帯を巻いたオーク。
咳をするエルフの女。
診療所の職員が輸送バンへ駆け寄る。
後部ドアが開き、医療コンテナを確認した。
「全部ある」
職員の男が息を吐く。
「温度も正常だ」
「遅れてすまんな」
アクトが言う。
「来ただけで十分だ」
男はコンテナを運び出し始めた。
診療所の奥から、子供の泣き声が聞こえる。
黒曜はその方向を見た。
「間に合ったみたいやな」
アクトが言う。
「そうですね」
「薬守れてよかったな」
「依頼条件です」
「それだけ?」
黒曜は少し考える。
「……結果として、望ましい状態です」
「素直ちゃうなあ」
「あなたに言われたくありません」
引き渡し完了。
報酬も予定どおり振り込まれた。
減額なし。
損傷した車両外装についても、依頼人は問題にしなかった。
帰りの車両は別に用意されていた。
古いセダン。
自動運転。
二人は後部座席へ並んで座った。
アクトは眠そうに窓へ頭を預ける。
黒曜は報告書を作成していた。
「反省点、多そうやな」
「多いです」
「第一に?」
「あなたが車両外へ出たこと」
「自分も出たやろ」
「第二に、あなたが遮蔽物から離れ、輸送車両の経路を確保したこと」
「必要やった」
「第三に、私の術式展開中に干渉したこと」
「自分が無茶するからや」
「第四に」
「まだあるん?」
「私があなたを術式で押し退けた結果、術式維持に失敗したこと」
アクトが顔を上げる。
「自分の反省も入れるんや」
「当然です」
「珍しいな」
「以前から行っています」
「前は全部、情報の誤りとか相手の反応が早かったとか言うてたやん」
「改善しました」
アクトは少し笑った。
「成長したなあ」
「子供扱いしないでください」
黒曜が報告書を保存する。
その瞬間。
端末の画面が一度消えた。
黒曜の指が止まる。
「何や」
「待ってください」
画面が再点灯する。
作成した報告書とは別のファイルが開いていた。
白い背景。
黒い文字。
企業ロゴなし。
作成者情報なし。
ファイル名もない。
アクトが覗き込む。
「依頼人の自動記録?」
「違います」
画面に文字が表示される。
一行ずつ。
`SUBJECT A: ARCTURUS`
`対象A:アクトトゥルス`
`SUBJECT B: KOKUYOU`
`対象B:黒曜`
アクトの表情が消えた。
「何やこれ」
黒曜は答えない。
次の行。
`OPERATIONAL COMPATIBILITY: HIGH`
`作戦行動上の適合性:高`
`PROTECTIVE BIAS A→B: EXCESSIVE`
`対象Aから対象Bへの保護傾向:過剰`
`PROTECTIVE BIAS B→A: EXCESSIVE`
`対象Bから対象Aへの保護傾向:過剰`
`MUTUAL INTERFERENCE: INCREASED`
`相互干渉:増大`
`SEPARATION RESPONSE: UNSTABLE`
`分離時反応:不安定`
アクトが画面へ手を伸ばす。
「消せる?」
「待ってください」
さらに文字が続く。
`BEHAVIORAL ADJUSTMENT OBSERVED`
`行動調整を確認`
`DEPENDENCY CLASSIFICATION: UNRESOLVED`
`依存関係の分類:未解決`
`RELATIONSHIP STATUS: UNRESOLVED`
`関係性の状態:未解決`
黒曜の顔が硬くなる。
「この記録は、誰が作成したのです」
「依頼人ちゃうん?」
「いいえ」
「フィクサー?」
「この端末は、任務中ネットワークへ接続していません」
「車のシステムから入ったんちゃう」
「通信履歴がありません」
「ほな、前から入っとった?」
「それも考えにくい」
黒曜はファイル情報を開こうとする。
反応なし。
複製。
失敗。
削除。
失敗。
外部記憶へ転送。
失敗。
「壊れた?」
「いいえ」
文字が一行増えた。
`OBSERVER DETECTION PROBABILITY: RISING`
`観察者を検知する確率:上昇中`
アクトと黒曜は同時に黙った。
車内には、道路を走る低い振動だけがある。
黒曜が端末の電源を切った。
画面が暗くなる。
三秒後。
勝手に再起動した。
同じ白い画面。
同じ文字。
そして最後に、新しい一行。
`SUBJECT B HAS RECOGNIZED OBSERVATION`
`対象Bが観察の存在を認識`
黒曜の指が僅かに震えた。
アクトはその手へ、自分の銀色の手を重ねた。
「自分、知っとるん?」
「いいえ」
「嘘ちゃう?」
「知りません」
黒曜の声は低かった。
「これは報告書ではありません」
「ほな何や」
黒曜は画面を見つめる。
そこにはもう、新しい文字は表示されていない。
ただ最後の行だけが点滅していた。
`RELATIONSHIP STATUS: UNRESOLVED`
`関係性の状態:未解決`
「観察記録です」
アクトはしばらく画面を見た。
それから眉を寄せる。
「誰が相互依存やねん」
黒曜は数秒黙った。
「依存ではなく、相互補完でしょう」
アクトが横を見る。
黒曜も見る。
二人の間に、一瞬だけいつもの空気が戻った。
「そこ訂正するとこ?」
「分類の精度は重要です」
「ほな書き換えてや」
「操作を受け付けません」
「使えんな」
「問題はそこではありません」
「分かっとる」
アクトは黒曜の手を離さなかった。
黒曜も、振り払わなかった。
窓の外では、雨が降り始めていた。
シアトルの街が、水の向こうで歪んでいく。
赤いネオン。
企業広告。
高架道路。
濡れたコンクリート。
そのどこにも、二人を見ている者の姿はない。
通信履歴もない。
侵入記録もない。
発信元もない。
それでも、何かは二人を知っていた。
名前を。
行動を。
互いに庇おうとしたことを。
離れようとして失敗したことを。
本人たちが、まだ言葉にしていないものまで。
端末の画面が一度だけ明滅した。
`OBSERVATION MODE: CONTINUOUS`
`観察モード:継続`
黒曜が電源ユニットを引き抜く。
今度こそ画面が消えた。
車内が暗くなる。
「帰ったら調べるで」
アクトが言った。
「私が調査します」
「二人でや」
「危険性が不明です」
「せやから二人やろ」
黒曜は反論しなかった。
しばらくして、アクトの肩へ僅かに体重を預ける。
傷が痛んだのか。
車両が揺れたのか。
あるいは、ただ距離を空ける理由がなかったのか。
アクトは聞かなかった。
代わりに、自分の肩を少しだけ黒曜側へ傾けた。
二人を隔てる距離は、ほとんどなくなった。
それが合理的かどうかを、今は決める必要がなかった。
共通修正:全話の行頭字下げを削除し、ハーメルン向けの字下げなしに統一。
(7.31.2026)