アクトと黒曜   作:矢塚 和哉

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覚えたぞ、チビ

 黒曜が契約書を読むとき、部屋の空気は少しだけ重くなる。

 

 紙ではない。端末上の文字列だ。それでも黒曜は、ページをめくるように指を滑らせ、一項目ごとに止まり、注釈を付ける。無言の時間が長くなるほど、アクトは落ち着かなくなった。

 

「まだ?」

 

「まだです」

 

「昨日から読んどるやん」

 

「昨日は契約本文。本日は別紙三、別紙五、医療同意書、データ利用規約、保守契約、解除後の部品供給条件を確認しています」

 

「読みすぎちゃう?」

 

「あなたが読まなさすぎるのです」

 

 アクトはソファの背へ逆向きに座り、顎を乗せていた。赤い帽子のウサ耳だけが、黒曜の指の動きを追っている。

 

「なあ」

 

「何です」

 

「WR2になったら、反応速度どれくらい変わると思う?」

 

「今、その話をしていません」

 

「してへんから聞いとる」

 

「術後の神経適応には個人差があります」

 

「初動で〇・一秒くらい縮むかな」

 

「分かりません」

 

「射線入ってから一発返すまでが――」

 

「黙ってください」

 

 アクトは黙った。

 

 三十秒後、右手を空中で振り、見えない銃を抜く動作を始めた。

 

「それもやめなさい」

 

「音出してへんやろ」

 

「視界に入ります」

 

「ほな向こう向いとくわ」

 

「それではウサ耳だけがこちらを向いています」

 

「センサーやから」

 

「外してください」

 

「嫌や」

 

 玄関の呼び出し音が鳴った。

 

 アクトは即座に立ち上がる。黒曜は契約書から目を離さない。

 

「仕事」

 

「まだ受けるのですか」

 

「手術まで稼がなあかんやろ」

 

「契約は未締結です」

 

「せやからや」

 

 フィクサーからの依頼は、小口だった。

 

 湾岸物流区の旧倉庫へ入り、横流しされた医療品のデータタグを確保する。現物を運び出す必要はない。依頼人が欲しいのは流通経路を示す記録だけ。警備は民間の低価格業者。報酬は二人で二万八千新円。

 

「安いですね」

 

「短いし、撃ち合い少なそうやし、今のうちにちょうどええ」

 

「あなたの『撃ち合いが少なそう』は信用できません」

 

「あたしかて毎回撃たれたいわけちゃうで」

 

「結果として毎回撃たれています」

 

「避けるほどでもない弾が多いねん」

 

 黒曜は端末を閉じた。

 

「同行します」

 

「契約書は?」

 

「持っていきます」

 

「現場で読むん?」

 

「移動中です」

 

 湾岸物流区は、空が低かった。

 

 灰色の雲と、貨物用クレーンと、企業ロゴの剥がれたコンテナ。海からの湿気が金属の匂いを運び、路面の油膜へ広告光が滲んでいる。

 

 アクトは赤い帽子の上にフードを被り、銀色の四肢を濃色のジャケットと装甲布で隠していた。完全には隠れない。歩くたび、膝と手首のクロームが薄く光る。

 

 黒曜は黒いローブの上から地味なコートを着せられていた。

 

「不快です」

 

「目立たへんやろ」

 

「儀礼構造が崩れています」

 

「コート一枚で崩れる儀礼、弱ない?」

 

「無理解を誇らないでください」

 

 倉庫へ入る前に、競合がいると分かった。

 

 同じデータタグを狙う別口のランナーが三人。監視映像の死角から侵入し、東側の搬入口へ向かっている。

 

 一人は小柄なデッカーらしい。もう一人はショットガンを持ったオーク。残る一人が、妙に背の高い青年だった。

 

 痩せている。長い腕。軽装。髪は短く、頬が少しこけている。高価ではないが動きやすい装備を選び、自分の身体能力へ自信がある者の歩き方をしていた。

 

 彼はアクトを見て、最初に笑った。

 

「子供連れか」

 

「誰が子供や」

 

「そっちの魔女の護衛か? 足元に気をつけろよ」

 

「お前こそ天井当たらんようにな」

 

 青年の笑みが消えた。

 

 黒曜が小声で言う。

 

「挑発する必要はありません」

 

「向こうから言うてきたんや」

 

「あなたは十九歳です。子供扱いに反応する年齢ではありません」

 

「身長高い奴には分からへん」

 

 競合との目的は同じだったが、依頼人は別らしい。先にタグへアクセスした側が勝つ。殺し合う必要はない。だが倉庫内の狭い通路では、互いに邪魔だった。

 

 警備ドローンが巡回する音が近づく。

 

 アクトは片手を上げた。

 

「先、警備片づけよ。終わってから取り合い」

 

 オークがうなずきかけたが、背の高い青年が前へ出た。

 

「仕切るなよ、チビ」

 

「ほな勝手に撃たれ」

 

「その前に退かせる」

 

 青年は銃を上げなかった。

 

 体格差で押しのけるつもりだった。

 

 肩から入る。アクトの重心を崩し、そのまま壁へ押しつける。そういう動きだった。

 

 アクトは半歩だけ下がった。

 

 青年の右腕を内側から取り、肩を落とす。腰を入れる必要すらなかった。長い身体の前進力を、そのまま斜め下へ流す。

 

 青年の足が床から離れた。

 

「は?」

 

 次の瞬間、背中が床へ叩きつけられた。

 

 アクトは手首を極めたまま、青年の肩甲骨へ膝を置く。

 

「重いな、自分」

 

「お前――」

 

「静かにせえ。ドローン来るで」

 

 青年は反射的に起き上がろうとした。アクトが関節を少しだけ締める。

 

「折る気はない。動いたら折れるけど」

 

 警備ドローンが通路の角を曲がった。

 

 黒曜が杖を上げる。短い術式。空気が歪み、ドローンの視界へ存在しない廊下が重なる。機械は五人を見落とし、そのまま進んでいった。

 

 アクトは青年を離した。

 

「ほな行こか」

 

 青年は床から起き上がり、顔を赤くしていた。

 

「覚えたぞ、チビ」

 

 アクトは振り返った。

 

「誰やったっけ」

 

「……ダンボだ」

 

「耳でかないやん」

 

「殺すぞ」

 

「名前の話やろ?」

 

 オークが笑いを堪えきれず、咳き込んだ。

 

 そこから先は、一時的な共同作業になった。

 

 警備員を傷つけずに避け、監視カメラを誤認させ、二組は別の経路から中央保管区へ向かう。黒曜は物理障壁で閉まりかけた防火扉を止め、アクトはドローンの死角へ身体を滑り込ませてセンサーを潰す。

 

 データタグは、医療品コンテナの側面に埋め込まれていた。

 

 競合のデッカーが先に端末を接続する。アクト側には専門のデッカーがいない。黒曜が探知魔法で対象を特定し、アクトが物理的にタグを抜き取る計画だった。

 

「壊すなよ」

 

 ダンボが言った。

 

「壊さん」

 

「お前、何でも力で解決しそうだからな」

 

「さっき投げられたん根に持ちすぎちゃう?」

 

「持ってねえ」

 

「持っとる顔や」

 

 アクトはコンテナの薄いパネルへ工具を差し込んだ。内部構造をサイバーアイで透視し、固定爪の位置を確認する。力ではなく角度で外す。

 

 その瞬間だった。

 

 視界の端が、ほんのわずかに遅れた。

 

 右手へ送った指令と、指が動くまでの間に、空白があった。

 

 〇・一秒にも満たない。

 

 普段なら気づかない程度。

 

 だがアクトは、自分の身体の遅延を知っている。

 

「アクト」

 

 黒曜の声がした。

 

 同時に、天井の警備銃座が起動した。

 

 競合デッカーが解除へ失敗したのだ。銃身が下がる。最も近い対象――タグへ手を伸ばしているアクトへ照準が合う。

 

 避ける。

 

 その判断は間に合った。

 

 身体が、わずかに遅れた。

 

 銃声。

 

 アクトは肩から床へ転がった。弾丸がジャケットの外装を削り、銀色の上腕へ深い傷を作る。

 

 黒曜の障壁が二発目を弾いた。

 

「下がりなさい!」

 

「これくらい――」

 

「下がれと言っています!」

 

 声が鋭かった。

 

 アクトは反論を飲み込み、コンテナの陰へ滑り込む。ダンボとオークが別方向から銃座へ射撃を集中させる。黒曜は障壁を維持しながら、スタンボルトで操作盤の前にいた警備員を倒した。

 

 アクトは肩を確認する。

 

 装甲に溝。内部フレームは無事。神経系も問題ない。

 

 問題は、弾ではない。

 

 遅れた。

 

 確かに遅れた。

 

「動ける?」

 

 ダンボが訊いた。先ほどまでの嘲りは薄い。

 

「誰に言うとんねん」

 

 アクトは立ち上がった。

 

 銃座が再び向きを変える。今度は予測していた。射線が合う前に踏み込み、壁を蹴り、銃座の基部へ跳ぶ。左手で銃身を逸らし、右手の拳銃を制御箱へ三発。

 

 火花が散った。

 

 停止。

 

「動けるやん」

 

「せやろ」

 

 タグは、結局アクトが確保した。

 

 競合側は悔しそうだったが、銃座を共同で処理した分、完全な敵対にはならなかった。オークは帰り際に肩をすくめ、デッカーは無言でログの一部だけを交換条件に提示した。

 

 ダンボだけが、アクトを見ていた。

 

「今、遅れただろ」

 

「気のせいや」

 

「俺には分かった」

 

「ほな目ええんやな」

 

「次は投げられねえ」

 

「次あるん?」

 

「覚えたって言っただろ」

 

「あたしはもう忘れかけとる」

 

 ダンボは舌打ちして去った。

 

 

 倉庫へ向かう車内でも、黒曜は契約書を読んでいた。

 

 アクトが運転し、黒曜は助手席で端末を縦に固定している。窓の外を貨物列車が長く並走し、コンテナの壁が赤、青、灰色と切り替わった。

 

「なあ、任務拒否したら補助率下がる条項」

 

「読みました」

 

「どれくらい?」

 

「年間四件を下回った場合、翌年度の保守補助が段階的に縮小します。ただし、任務内容に重大な危険または倫理的問題がある場合は算定対象から除外されます」

 

「普通やな」

 

「『倫理的問題』の判断主体がEVOです」

 

「交渉できる?」

 

「異議申立て手続きはあります」

 

「ほな使えるやん」

 

「手続きがあることと、公平に機能することは同じではありません」

 

「それ言い出したら何も契約できへんで」

 

 黒曜は返答せず、次の項目へ進んだ。

 

 アクトは横目で見た。

 

「反対したいん?」

 

「条件を確認しています」

 

「それは分かっとる。せやなくて、ほんまは嫌なん?」

 

「感情で契約を判断するつもりはありません」

 

「聞いたうちが悪かったわ」

 

 車内に少しだけ沈黙が落ちた。

 

 黒曜は端末へ視線を戻したが、同じ段落を二度読んだ。

 

 物流区の外周ゲートでは、警備会社のスキャナが車両を一度止めた。アクトは偽造SINを提示し、配送業者の下請けを装った。黒曜は帽子を後部座席へ置き、無表情で作業員証を見せた。

 

「笑えとは言わんけど、もうちょい普通の顔できん?」

 

「これが通常です」

 

「警備員、怯えとったで」

 

「職務への緊張でしょう」

 

「お前の顔への緊張や」

 

 ゲートを抜けたあと、黒曜は三角帽子を取り戻した。

 

「作業員がその帽子被る方が不自然やろ」

 

「祭具です」

 

「潜入に向いてへん祭具やな」

 

「隠密性だけが任務の全てではありません」

 

「今日は隠密任務や」

 

「……理解しています」

 

 理解したうえで被った。

 

 倉庫内部は、外から見た以上に広かった。天井近くを無人フォークリフトが走り、床には黄色い誘導線が何本も交差している。古い設備と新しい管理システムが継ぎ足され、センサーの規格も統一されていない。

 

 アクトは入口でしゃがみ、床へ指を触れた。

 

「最近、重量物通っとる」

 

「痕跡から分かるのですか」

 

「床の沈みと油。医療品だけやないな」

 

「依頼範囲外です」

 

「分かっとる。せやけど、逃げるとき邪魔になるかもしれん」

 

 黒曜は周囲を霊視した。生体反応は遠い。小さな警備精霊が一体、建物中央を巡回している。

 

「精霊がいます」

 

「安い警備ちゃうやん」

 

「低位です。契約業者が最低限配置したのでしょう」

 

「先に寝かせられる?」

 

「精霊は睡眠を取りません」

 

「言い方の話や」

 

「可能です。ただし消滅させれば術者へ通知されます」

 

「ほな騙して」

 

「精霊を何だと思っているのです」

 

「お前の得意分野」

 

「雑すぎます」

 

 黒曜は結局、精霊へ偽の侵入兆候を見せ、西側区画へ誘導した。アクトはその間に電子錠を物理的に迂回し、二人を中央へ通した。

 

 競合ランナーとの遭遇は、その直後だった。

 

 ダンボが投げられたあと、彼の仲間は一瞬だけ武器へ手を伸ばした。黒曜の杖先がわずかに上がり、オークのショットガンが止まる。誰も撃たなかったのは、全員が報酬額を知っていたからだ。

 

 二万八千新円の仕事で死ぬ者はいない。

 

 少なくとも、まともなランナーなら。

 

 タグ確保後、撤退経路で警備員二人と鉢合わせた。アクトは銃を撃たず、最初の一人の手首を取って壁へ押しつけ、もう一人へ拳銃を向けた。

 

「寝といて。殺すほどの仕事ちゃう」

 

 警備員は迷ったあと、武器を床へ置いた。

 

 ダンボが後ろから言った。

 

「甘いな」

 

「安い仕事で死体増やしたら割に合わん」

 

「いつか、その甘さで死ぬぞ」

 

「殺せるから殺さんだけや」

 

 アクトの声音が変わったため、ダンボはそれ以上言わなかった。

 

 任務後、フィクサーへタグを渡すと、彼は損傷したアクトの腕を見た。

 

「契約前に壊すなよ」

 

「壊れてへん」

 

「傷ついてる」

 

「傷と故障は別や」

 

「医者が一番嫌う患者の台詞だな」

 

 黒曜が横から診断ログを送った。

 

「反応遅延が発生しています」

 

「告げ口すんなや」

 

「事実共有です」

 

 フィクサーはログを見て、表情を少し硬くした。

 

「EVOに送るか?」

 

「まだ契約前や」

 

「だからこそだ。手術計画へ入る」

 

 アクトは一瞬迷い、うなずいた。

 

 自分の不具合を企業へ渡す。その行為が、すでに契約の入口へ片足を入れているように感じた。

 

 だが、隠して手術を受ける方が馬鹿らしい。

 

「送って」

 

 黒曜はその判断を黙って見ていた。

 

 帰宅後、黒曜はアクトを椅子へ座らせた。

 

 ジャケットを脱がせ、右上腕の装甲損傷を確認する。メディキットの診断は軽微。だが黒曜は三度スキャンし直した。

 

「二回で結果同じやろ」

 

「測定誤差があります」

 

「三回目も同じや」

 

「統計的信頼性が上がります」

 

 アクトは肩をすくめた。黒曜の視線が傷ではなく、わずかな応答波形の乱れへ固定されていることには気づいていた。

 

 黒曜は肩の傷より、神経応答ログを見ていた。

 

「遅延は〇・〇七秒」

 

「短いやろ」

 

「あなたにとっては長い」

 

「せやな」

 

 アクトは素直に認めた。

 

 黒曜が顔を上げる。

 

「WR2なら防げたと?」

 

「たぶん」

 

「確実ではありません」

 

「確実やないけど、今よりましや」

 

 黒曜は何も言わなかった。

 

 端末へEVOからの追加回答が届いた。

 

 黒曜が前日に送った二十七項目の質問への回答だった。

 

 データ所有権。契約解除。任務拒否権。術後保守。摘出ウェア。緊急医療権限。黒曜との契約非連動。第三者への情報提供制限。

 

 黒曜は一つずつ確認した。

 

 アクトは腕の外装を外し、傷へ研磨剤を入れようとして止められた。

 

「問題ある?」

 

「待ってください」

 

「何個?」

 

「……現時点では、ありません」

 

 黒曜の声は、満足した者のものではなかった。

 

「ええ話やん」

 

「不自然です」

 

「何が」

 

「問題が見つかりません」

 

「それが不自然だと言っています」

 

 アクトは笑った。

 

「企業がちゃんとした条件出してきただけやろ」

 

「企業が利益なく、善意だけで条件を出すことはありません」

 

「利益ある言うてたやん。データ取るんやろ」

 

「明記されています」

 

「ほなええやん」

 

「明記されているから安全、とは限りません」

 

「ほな何があったら納得すんねん」

 

 黒曜は答えられなかった。

 

 契約には出口がある。拒否権もある。所有権もアクトにある。黒曜との関係まで契約へ抱き合わせていない。

 

 探していた罠がない。

 

 あるいは、見えない。

 

 アクトは端末を取った。

 

「署名してええ?」

 

 黒曜は少しだけ長く黙った。

 

「最終確認を、施設で行います」

 

「反対は?」

 

「……現時点で、合理的な反対材料はありません」

 

「ほな決まりやな」

 

「決まってはいません」

 

「ほぼ決まり」

 

「あなたは言葉を都合よく縮めすぎです」

 

 アクトは契約承諾の仮通知を送った。

 

 送信音は短かった。

 

 その夜、ダンボは別の場所で、床へ投げられた映像を見ていた。

 

 競合デッカーが面白半分で切り抜いたものだ。小柄な女が半歩下がり、自分の身体が浮き、落ちる。何度見ても、理由は分かる。重心を使われた。前へ出た力を流された。ただそれだけだ。

 

 分かるほど、腹が立った。

 

 画面を止める。

 

 赤い帽子。銀色の腕。こちらを見てもいない顔。

 

『誰やったっけ』

 

 ダンボは映像を閉じた。

 

 次は、あの顔をこちらへ向けさせる。

 

 ただ、それだけのつもりだった。

 

 端末の隅には、映像購入者向けの関連広告が出ていた。

 

 反応速度強化。筋出力補助。短期神経ブースト。企業提携クリニックの無料相談。

 

 ダンボは広告を閉じた。

 

 数秒後、もう一度開いた。

 

 相談ボタンへ指を置き、止める。自分が改造を必要としているわけではない。あの小柄な女が使ったのは技術で、筋力ではない。ならば自分も技術を学べばいい。

 

 そう考えた。

 

 それでも、画面の中で何度も投げられる自分の姿が、指を押した。

 

 無料相談の受付表示が点灯した。

 

『ご相談内容を選択してください』

 

 選択肢の最上段に、「身体能力への不満」があった。

 

 ダンボはそれを選ばず、「競合ランナーへの対抗」を押した。

 

 本人にとっては、その違いが重要だった。少なくとも、その時点では、まだ自分で違いを選べると思っていた。画面の向こうが、その選択をどう記録し、誰へ渡し、何に使ったかまでは、まだ知る必要もないと思っていた。

 

 

 




【黒曜の日記】
 アクトトゥルスの現行反応系に、〇・〇七秒の遅延が発生した。

 軽微である。

 一般的な戦闘行動においては、無視できる範囲である。

 しかし彼女は、一般的な範囲で戦闘しない。

 EVOからの回答には、現時点で明確な問題がない。

 問題がないことを理由に契約を止めることはできない。

 止める理由がないことと、安心できることは同じではない。


 その選択の意味を知るのは、まだ先だった。

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