アクトと黒曜 ――銃声と魔法、軽口と理屈。関係に名前をつけないまま、共に走る 作:矢塚 和哉
七日も要らなかった。
三日目の午後、アクトはEVOから受け取った契約書をテーブルへ投影した。
「ここ」
赤い眼鏡の奥で目を細める。
「第十二項の三」
「読みました」
黒曜は向かいに座ったまま答えた。
「こっちは?」
「第十四項の二も読みました」
「ほなこれは」
「第十九項。身体機能に不可逆な障害が生じた場合の補償規定」
「……ちゃんと読んどるやん」
「あなたが読まない可能性を考えました」
「読んどるわ」
「三日前からガウスライフルの仕様書ばかり開いていました」
「契約書も開いた」
「表示時間は?」
アクトは黙った。
黒曜が目を細める。
「何秒ですか」
「細かいなあ」
「何秒ですか」
「……二百八十七」
「五分も読んでいません」
「必要なとこは検索した」
「それを読んだとは言いません」
アクトは椅子へ深く座り直した。
契約書はまだ白紙だった。
署名欄の上に、いくつか赤い印が付いている。
アクトが付けたもの。
黒曜が付けたもの。
重なっている箇所もあった。
「で」
黒曜が言った。
「受けるんですか」
「条件次第」
「三日前よりはまともな答えですね」
「最初からそう言うとる」
「ガウスを見た時の顔を覚えています」
「あれは顔が勝手にやった」
「身体の責任にしないでください」
アクトは笑って、契約書を閉じた。
「ほな、行こか」
*
前回と同じEVO施設。
違うのは階だった。
受付の後、医療区画を抜ける。
認証。
さらに認証。
エレベータ。
また認証。
最後の扉だけは、係員の生体認証とアクト本人の仮登録情報を同時に要求した。
「厳重ですね」
「高いもん置いとるんやろ」
「あなたの身体を置く場所ですよ」
「まだ置かへん」
「その認識は維持してください」
扉が開いた。
白。
前回の会議室より、ずっと白かった。
壁も床も天井も、継ぎ目がほとんど見えない。
中央に診察台。
奥に大型の医療機器。
その向こうには透明な隔壁。
隔壁の先に、人型のフレームが四つ立っていた。
腕。
脚。
まだ皮膚も装甲もない。
骨格と人工筋肉だけの、人体の部品。
アクトの足が止まる。
「……これか」
「候補の一つです」
前回の技術担当者が待っていた。
隣には別の人物。
白衣ではない。
灰色のスーツ。
契約担当者だった。
「本日は契約条件の最終確認と、更新案の詳細説明を行います」
「先に言うとくけど」
アクトは椅子へ座らず言った。
「嫌な条項あったら帰るで」
「構いません」
「ほんまに?」
「署名されていない契約は契約ではありません」
黒曜が少しだけ表情を緩めた。
「そこは信用できます」
「EVOを?」
「契約書を、です」
「なるほど」
契約担当者も否定しなかった。
*
最初に開かれたのは、反射強化系だった。
《WIRED REFLEXES 2》
その横に、グレード表示。
《DELTA》
「現在装着中の反射強化系を撤去し、第二段階へ更新します」
「前にも聞いたけど、ほんまにデルタ?」
「はい」
「中古とかちゃうよな」
「デルタグレードに中古という概念を持ち込まないでください」
「冗談や」
技術担当者は一瞬だけ黙った。
「冗談でしたか」
「そこ迷う?」
「あなたの場合、確認が必要です」
黒曜が横を向いた。
肩が少し動いた。
「笑った?」
「笑ってません」
「今笑ったやろ」
「説明を続けてもらってください」
アクトは不満そうに前を向く。
神経図が拡大された。
「単純な反応速度だけではありません。新規四肢との同期制御を前提に調整します」
「四肢込み?」
「はい。反射強化系だけを先に更新しても、現在の四肢側が追従しきれません」
「〇・〇七秒」
アクトが呟いた。
技術担当者が頷く。
「あなたが提出した戦闘ログも確認しました。遅延の原因を一箇所へ限定することはできません。入力、判断、神経伝達、四肢制御。それぞれの累積です」
「WRだけ上げても消えへん」
「保証できません」
「せやから全部替える?」
「正確には、全体を一つの系として再調整します」
アクトは少し笑った。
「ええな」
「何がですか」
黒曜が訊く。
「一個だけ速くして誤魔化さんとこ」
「褒めるところなんですか」
「大事やで」
次の図面が開いた。
四肢。
今度は前回より詳細だった。
「両腕、両脚ともモジュラー接続対応へ変更します」
接続基部が拡大される。
「交換できるんやな」
「対応規格内であれば」
「自分で?」
「推奨しません」
「できるか聞いとる」
「設備があれば可能です」
「ほなできる」
「森田さんの仕事を増やす顔をしていますね」
「なんで分かるん」
「分かります」
技術担当者が続ける。
「通常任務用の四肢には、増加装甲を装着します」
画面に完成予想図が出た。
白い。
今の銀色の四肢を覆うように、厚い白の外装が重なる。
肩。
前腕。
大腿。
脛。
足底。
全体に今より一回り太い。
「白なん?」
「色は変更できます」
「いや」
アクトは拡大した。
「これでええ」
「珍しいですね」
黒曜が言う。
「何が」
「銀色にこだわると思っていました」
「中は銀やろ」
「はい。基部および主要構造材は金属外装が残ります」
アクトは白い装甲の隙間から覗く銀色の関節部を見る。
「ほなええやん」
白の下に銀。
アクトは何度か画像を回した。
「装甲値は?」
数値が表示される。
「上がるな」
「重量も上がります」
「脚側は?」
「足底構造を含めて再設計します。全高は現在より約四センチ増加する見込みです」
「背ぇ伸びるん?」
「結果としては」
「やった」
「四センチで喜ぶんですか」
「四センチを笑う奴は四センチに泣くんや」
「何の格言ですか」
「あたしの」
黒曜は無視した。
「交換可能ということは、別の四肢も作れるんですか」
「将来的には」
技術担当者が答える。
「外見を生身へ近づけたもの。低威圧用途。特定作業へ最適化したもの。規格と予算が許せば選択肢は増やせます」
「予算」
アクトが嫌そうに繰り返した。
「そこは普通に金取るんやな」
「今回の契約対象外です」
「世知辛い」
「当然です」
次に表示されたのは小銃だった。
アクトが首を傾げる。
「こっちは普通やな」
「通常任務用です」
白いカウル。
新しい四肢装甲と同系統の外装。
大きさも、先日見たガウスとは比較にならない。
「毎回あれを持ち出すわけにはいきません」
「そらそうや」
「分かっているんですね」
黒曜が言った。
「ガウスを何やと思っとんねん」
「あなたが持てるなら持ち歩きそうなもの」
「持てへんから持ち歩かへん」
「持てたら?」
「持つ」
「ほら」
技術担当者は会話が終わるまで待った。
「通常小銃は新しい四肢側の照準補助と連動します。ただし射撃判断そのものへ介入はしません」
「当たり前や」
アクトの返事が少し早かった。
技術担当者が彼女を見る。
「そこは重要ですか」
「重要やろ」
「自動照準補正は一般的です」
「補正はええ。撃つ相手まで決められたら困る」
「その機能はありません」
「ならええ」
黒曜は何も言わなかった。
ただ、アクトを一度だけ見た。
次。
ガウスライフル。
アクトの姿勢が露骨に変わった。
「顔」
「まだ何も言うてへん」
「顔です」
「ほっとけ」
技術担当者が仕様図を開く。
「本体側の詳細は射撃試験時に説明します。本日は身体側の適合設計のみです」
「はい」
「返事が良いですね」
「技術説明やぞ」
「私への返事と違います」
「お前は技術説明せえへんやろ」
「しますよ。魔法なら」
「長いやん」
「……帰りますか?」
「ごめん」
技術担当者が咳払いした。
「ガウスライフルは常時装着しません」
「うん」
「射撃時のみ四肢側ハードポイントへ接続します」
「うん」
「脚部固定、姿勢制御、電力系統の切り替えを含め、発射準備には時間が必要です」
「前に聞いた。三十秒」
「はい」
「走りながら撃つとかは?」
「しないでください」
「できるかどうか」
「しないでください」
「二回言うた」
「必要だと判断しました」
アクトは笑った。
「分かった。撃つ時だけ使う」
「それが前提です」
「身体を銃に合わせるんやなくて、銃を使う時だけ身体に繋ぐ」
「その理解で構いません」
アクトは頷いた。
「好きやで、その考え方」
*
「ここからは、今回の更新契約に直接含まれない項目です」
技術担当者の声が少し変わった。
隔壁の向こうが暗くなる。
代わりに、壁一面へ研究映像が投影された。
中央に椅子。
座っている人物。
その周囲に、四台のカメラ。
二台の集音器。
一基の簡易マニピュレータ。
映像の人物が目を閉じている。
「ヘカトンケイル?」
「はい」
アクトが身を乗り出す。
「前回より詳しく見せてええん?」
「契約検討に必要な範囲と判断されました」
映像が動いた。
被験者が目を開く。
正面を見る。
同時に、左右と背後のカメラ映像が入力される。
数秒。
被験者の身体が傾いた。
手が椅子を掴む。
呼吸が速くなる。
映像が止まった。
「三視点追加で、自己位置の保持に失敗しました」
黒曜の指が、杖を握る位置をわずかに変えた。 何も言わない。
けれど、その視線は止まった映像から離れなかった。
アクトも黙っていた。 眉を寄せたまま、画面だけを見ている。
次の映像。
別の人物。
今度は音だけ。
前後左右から異なる音。
被験者が耳を塞ぐ。
意味はない。
音は耳から入っていない。
頭を振る。
吐く。
映像が止まる。
「二分十四秒」
黒曜が眉を寄せた。
「これを、アクトに?」
「現時点では行いません」
「将来は?」
「本人が希望し、適性試験を通過し、双方が同意した場合のみです」
「双方?」
「EVOとアクトトゥルスさんです」
「私は?」
「契約当事者ではありません」
「でしょうね」
黒曜の声が冷えた。
アクトが横から言う。
「まあ待てって」
「待っています」
「顔が待ってへん」
「あなたが言いますか」
映像が切り替わる。
外部マニピュレータ。
被験者の腕は動いていない。
それでも機械の指が開く。
閉じる。
途中で震え始める。
「これは?」
「運動出力の追加試験です」
「リガー制御やないんやな」
「違います」
技術担当者は明確に言った。
「操縦対象へ自己を移す方式ではありません」
人体図が表示される。
中央に人間。
その身体像は残ったまま。
外側に一本、腕が足される。
「本人は本人のままです。右腕も左腕も、自分の右腕と左腕として存在する。その状態を崩さずに――」
外側の腕がもう一本増える。
「三本目を追加する」
さらに視点。
さらに音源。
「四本目。五本目。外部視覚。外部聴覚」
アクトは黙って見ていた。
「機械側の制御技術は、既にかなりの部分まで成立しています」
「問題は人間」
「はい」
人体図の中央が赤くなる。
「入力が増えるほど、脳は既存の身体像との整合を取ろうとします。どれが自分の視点なのか。どこまでが自分の身体なのか。どの運動命令がどの肢へ対応するのか」
「ごちゃごちゃになる」
「簡単に言えば」
「簡単に言わんでもそうやろ」
アクトは腕を組んだ。
「で、何人くらい試したん」
技術担当者は答えなかった。
「言えへん?」
「契約開示範囲外です」
「成功した奴は?」
一拍。
「実用域には達していません」
アクトの眉が少し上がる。
「ゼロ?」
「実用域には」
「言い方変えたな」
「変えていません」
黒曜が映像を見たまま言う。
「なぜ続けるんですか」
「可能だからです」
技術担当者は即答した。
黒曜が彼を見る。
「機械側は成立している。神経接続も成立している。情報伝送も成立している。残る問題が人間側の適応なら、それを解決する研究には価値があります」
「人間を機械に合わせるんですか」
「その方法も研究されています」
黒曜の目が細くなる。
「好きではありません」
「承知しています」
「会ったばかりでしょう」
「魔法使いの方から同様の反応を受けることは珍しくありません」
「一緒にしないでください」
アクトが小さく笑った。
「そこ怒るんや」
「怒ります」
技術担当者が次の資料を出す。
「ただし、今回あなたに提示している更新案は逆です」
白い四肢。
WR2。
通常小銃。
ガウス用ハードポイント。
「使用者が装備へ恒常的に最適化されるのではなく、用途ごとに装備を交換する」
モジュラー接続部が強調される。
「身体側に選択肢を残す設計です」
アクトの表情が変わった。
ほんの少し。
「……なるほどな」
「ヘカトンケイルも、将来的にこの規格へ接続できる可能性があります。ただし、それは今回の契約とは別です」
「試験せえ言われても断れる?」
「断れます」
「断ったらWR2返せとか」
「ありません」
「四肢も?」
「契約条件を履行している限り、ありません」
「ガウスは?」
「試験兵器ですのでEVO資産です」
「そこはしゃあないか」
「残念そうですね」
「ちょっとな」
黒曜が契約書を開いた。
「この条項ですか」
「第二十三項です」
契約担当者が答える。
黒曜は読む。
長い。
アクトは待つ。
一分。
二分。
「……本当に、拒否できますね」
「はい」
「将来のヘカトンケイル試験参加を拒否したことを理由に、今回提供された身体機能の停止、遠隔制限、返却要求を行うこともできない」
「その通りです」
「遠隔停止機能そのものは?」
「ありません」
アクトが即座に訊いた。
「診断用の外部アクセスは?」
「本人認証を必要とします」
「EVO側から勝手に開ける保守口」
「設けません」
「バックドア」
「設けません」
「ほんまに?」
「契約書へ明記します」
「書いて」
「追記します」
契約担当者がその場で条文を修正した。
黒曜が確認する。
アクトも今度はちゃんと読む。
「……ええやん」
「まだです」
黒曜が言った。
「何が」
「補償規定」
「ああ」
二人で契約担当者を見る。
「続けましょう」
*
四時間後。
アクトは疲れていた。
戦闘ではない。
契約書に。
「もうええやろ……」
「まだ二箇所です」
「黒曜、お前こういう時だけ元気やな」
「あなたが雑すぎるんです」
「契約担当の人、顔死んどるで」
「職務です」
契約担当者は真顔だった。
「お気遣いなく」
「強いなあ」
最後の修正。
医療事故時の補償。
再手術。
交換部品。
後遺障害。
機密保持。
研究データの利用範囲。
戦闘ログの提供条件。
そして、契約解除。
黒曜がようやく端末を置いた。
「私は、これ以上ありません」
「やっとか」
「アクトは?」
アクトは契約書を最初から最後までスクロールした。
今度は検索ではない。
署名欄まで。
白い空欄。
三日前と同じ。
ただし、その上に並ぶ文章は少し変わっていた。
「一個だけ」
「どうぞ」
契約担当者が答える。
「この身体、誰のもん?」
部屋が静かになった。
黒曜がアクトを見る。
技術担当者は答えず、契約担当者を見る。
契約担当者が言った。
「法的所有権についてですか」
「ちゃう」
アクトは自分の右手を上げた。
銀色の指。
今はまだ、今の腕。
「新しい腕も脚も、WR2も。EVOが金出す。EVOが作る。データも取る」
「はい」
「せやけど、付いた後に動かすんは?」
「あなたです」
「外すん決めるんは?」
「あなたです」
「何付けるか決めるんは?」
「契約および安全基準の範囲内で、あなたです」
「ほなええ」
黒曜が訊いた。
「それだけですか」
「それが一番大事やろ」
アクトは署名欄へ指を置いた。
一度止める。
黒曜を見る。
「何ですか」
「止めへんの?」
「止めてほしいんですか」
「いや」
「では、自分で決めてください」
アクトは少し笑った。
「せやな」
指を下ろす。
《署名認証》
《ACTURUS》
《契約成立》
白紙だった欄に文字が入った。
同時に、奥の隔壁が透明になる。
四つのフレーム。
白い装甲材。
銀色の関節。
まだ組み上がっていない、新しい手足。
技術担当者が立ち上がった。
「では、適合計測を開始します」
「今日から?」
「契約成立後、直ちに開始可能です」
「ええやん」
「帰るんじゃなかったんですか」
黒曜が呆れた声を出す。
「デルタやぞ」
「知っています」
「扉開いたんやぞ」
アクトは隔壁の向こうを見る。
白い四肢。
その先に、まだ姿のないガウス。
さらに遠くに、百の手。
全部が自分のものになるわけではない。
全部を使う必要もない。
選べる。
今は、それでよかった。
「ほな」
アクトは赤い眼鏡を押し上げた。
「測ろか」
白い扉が開いた。
◆ 作中用語ミニ解説
・SIN(システム識別番号): 市民権や個人認証を管理する電子登録番号。これを持たない無戸籍者は「SINレス」と呼ばれ、裏仕事では「偽装SIN」を用いて身元を偽る。
・ランナー(シャドウランナー): 企業や個人の非合法な依頼(暗殺、潜入、データ回収など)を請け負う裏社会の傭兵・何でも屋。
・魔法・障壁: 本作の世界(第六世界)はサイバーパンクと魔法が同居しており、黒曜のような魔導士(メイジ)は呪文や障壁などの魔術を行使できる。