アクトと黒曜 ――銃声と魔法、軽口と理屈。関係に名前をつけないまま、共に走る 作:矢塚 和哉
ガウスライフルの試験から三日後。
アクトは、壊れた自動販売機の前にいた。
「……またか」
赤い眼鏡の奥で目を細める。
表示は《販売中》。
端末も反応する。
決済も通る。
なのに商品が出ない。
「返金処理は?」
「された」
「なら帰りましょう」
「そういう問題ちゃうやろ」
黒曜がため息をついた。
夕方の路地は薄暗い。
街の雨は上がっていたが、濡れた舗装にはまだ看板の光が滲んでいる。
アクトは自販機の下を覗き込んだ。
「金取って物出さん機械を放置したらあかん」
「返金されています」
「信用の問題や」
「誰に対する信用ですか」
「自販機への」
「帰りますよ」
「待て。管理番号だけ――」
視界の端で、何かが動いた。
アクトが顔を上げる。
路地のさらに奥。
使われなくなった通信施設。
入口のフェンスは半分倒れ、企業ロゴは剥がされている。
「黒曜」
「はい」
「今、誰かおった」
黒曜の表情が変わった。
杖を持つ手が下がる。
構えるほどではない。
けれど、いつでも動ける位置。
「人ですか」
「たぶん」
「たぶん?」
「熱源はある」
アクトは赤い眼鏡の表示を切り替えた。
白い四肢が小さく駆動音を立てる。
「一人。奥」
「待ってください」
「待っとる」
「珍しいですね」
「なんやねん」
黒曜が周囲を確認する。
魔力の気配。
精霊。
呪文。
少なくとも、すぐに飛びかかってくるものは感じない。
「行きましょう」
「おう」
*
中は、思ったより荒れていなかった。
機材の大半は抜かれている。
床には古いケーブル。
壁際に空のラック。
天井の照明は死んでいた。
アクトの視界が自動的に補正される。
白い装甲の足音が、空の施設内に響いた。
「そこ」
奥の部屋。
扉は開いている。
人影があった。
女。
若い。
床に座り、壁にもたれている。
膝の上には古い端末。
髪は伸び放題。
服も、いつ洗ったのか分からない。
けれど。
端末の周囲だけは妙に整っていた。
ケーブル。
小型電源。
分解された通信機器。
拾い集めたらしい部品。
全部、用途ごとに分けられている。
女が顔を上げた。
アクトを見る。
数秒。
「……動画の人」
「は?」
「動画の人です」
「何の」
「撃たれても倒れない人」
「いっぱいおるやろ、そんなん」
「いません」
即答だった。
黒曜がアクトを見る。
「有名人ですね」
「嫌な有名さやな」
女は黒曜を見た。
それからまたアクトを見る。
「本物」
「偽物おるん?」
「切り抜きはあります」
「そういう意味ちゃう」
アクトは部屋を見回した。
「ここ住んどるん?」
「住んではいません」
「ほな何しとる」
「寝ています」
「それ住んどる言うんちゃう?」
「住所登録がないので、居住ではありません」
黒曜の眉が動いた。
「いつからですか」
「正確には分かりません」
「食事は」
「しています」
「今日」
沈黙。
「昨日」
さらに沈黙。
アクトがしゃがんだ。
白い膝装甲が小さく鳴る。
女は少しだけ身体を引いた。
アクトはそこで止まる。
近づかない。
「名前」
「理香子」
「名字は」
「要りますか」
「今はいらん」
アクトは立ち上がった。
「飯食いに行くか」
理香子が瞬いた。
「なぜですか」
「腹減った」
「あなたが?」
「せや」
「私を連れていく理由になっていません」
「一人で食うより三人の方がええやろ」
黒曜が横から言った。
「私は人数に含まれているんですね」
「当たり前や」
「私、まだ行くと言ってません」
「行かんの?」
「……行きます」
理香子は二人を交互に見た。
「料金」
「飯食う前から金の話すんな」
「払えません」
「知っとる」
「まだ何も言っていません」
「見たら分かる」
理香子の視線が下がった。
アクトはそれ以上何も言わなかった。
「端末、持ってく?」
「はい」
「ほな行こ」
*
「……ここですか」
「ここや」
理香子が看板を見上げた。
古い。
文字が少し消えている。
入口の引き戸にも年季が入っていた。
黒曜も看板を見る。
「もっと他になかったんですか」
「うまいで」
「外観の話です」
「外観食うんちゃうし」
中へ入る。
見た目に反して、店内はきれいだった。
古い木のカウンター。
小さなテーブル。
厨房から出汁と焼いた肉の匂いがする。
派手ではない。
安くもない。
ちゃんとした料理を出す店だった。
理香子は入口で止まった。
「高い」
「まだ値段見てへんやろ」
「店の構造と客層で推定できます」
「嫌な能力やな」
「帰ります」
「座れ」
「払えません」
「知っとる言うたやろ」
「借りは作りません」
「ほな」
アクトは席に座った。
「いつか奢れ」
理香子が止まる。
「期限は」
「知らん」
「金額は」
「飯代」
「利息」
「取ったろか?」
「アクト」
「冗談や」
黒曜が理香子の向かいに座った。
「この人、こういう人です」
「説明になっていません」
「私もそう思います」
しばらくして料理が来た。
理香子は箸を持ったまま動かなかった。
「毒入ってへんで」
「そういう問題ではありません」
「冷めるぞ」
理香子が一口食べた。
止まった。
もう一口。
今度は少し早い。
アクトは何も言わず、自分の皿に箸を伸ばした。
黒曜も黙って食べる。
三分ほど。
理香子の皿から半分が消えた。
「食うやん」
箸が止まった。
「言わないでください」
「すまん」
また食べ始める。
食事が終わるまで、アクトは事情を聞かなかった。
*
「で」
湯呑みが三つ。
空になった皿。
アクトが背もたれに身体を預ける。
「帰るとこは」
「ありません」
「家族」
「連絡していません」
「できへん?」
「しません」
アクトはそれ以上聞かなかった。
黒曜が理香子を見る。
「さっきの施設で何をしていたんですか」
「作業です」
「何の」
「通信ログの整理。壊れた機器から残存データを拾って、使える部分だけ抜いていました」
「誰かに頼まれて?」
「いいえ」
「金になるん?」
「時々」
「時々」
「売れるデータがあります」
黒曜の顔が険しくなる。
「違法では」
「違法です」
「即答ですか」
「廃棄物からの回収なので、権利関係が曖昧な場合もあります」
「違法なんやな?」
「概ね」
「概ねって便利やな」
理香子は端末を抱え直した。
「生きるには必要でした」
そこで初めて、アクトが黙った。
短い沈黙。
「仕事、何できる」
「何でも」
「それ一番信用できん答えやで」
「では訂正します」
理香子は端末を開いた。
「ログ解析。通信経路の照合。複数センサーの時系列同期。異種規格間の接続情報の抽出。破損データの部分復元。大量データからの――」
「待て待て」
「まだあります」
「十分や」
「何がですか」
「オタクやな」
「違います」
「そこ否定する?」
「技術者です」
「仕事は?」
「ありません」
「一般社会人?」
「現在は違います」
「ほな目標それやな」
「何が」
「一般社会人」
理香子が無表情のままアクトを見る。
「定義してください」
「家あって、仕事あって、飯食える」
「雑です」
「細かくすると面倒やろ」
「あなたの定義では、かなりのシャドウランナーが一般社会人になります」
「ええやん。社会参加しとる」
黒曜が湯呑みを置いた。
「アクト」
「ん?」
「どうするつもりですか」
「何が」
「この後です」
理香子の視線もアクトへ向く。
アクトは首を傾げた。
「うち来る?」
「……は?」
「部屋余っとるし」
「待ってください」
黒曜だった。
「何」
「何、ではありません」
「路上戻すん?」
「そうではなくて、もう少し考えてから――」
「考えたら部屋増える?」
「増えません」
「ほな一緒やん」
「一緒ではありません」
理香子が割って入った。
「私は行くと言っていません」
「せやな」
アクトは頷いた。
「どうする?」
それだけだった。
助ける。
保護する。
面倒を見る。
そういう言葉は使わない。
理香子はしばらく黙っていた。
「条件」
「あるん?」
「ただで住みません」
「ほな家事」
「できます」
「ほんま?」
「検索します」
「できへんやん」
「学習できます」
黒曜が額を押さえた。
「そこからですか」
「あと」
理香子は端末を抱えたまま続ける。
「仕事を探します」
「おう」
「住居が決まれば、登録関係も整理できます」
「おう」
「長居はしません」
「好きにしたらええ」
理香子が目を細めた。
「本当に?」
「何が」
「いつまで、と聞かないんですか」
「出ていく時決めたら教えて」
「……分かりました」
アクトが立ち上がる。
「ほな帰ろ」
「あなたの家に?」
「嫌なら元のとこ送るで」
「行きます」
「即答やん」
「合理的です」
「便利やな、その言葉」
*
帰宅して十五分。
「そこ、あたしの工具箱」
「分類が不適切です」
「触んな」
「このケーブルは通信規格別に分けるべきです」
「触んな言うとるやろ」
「この端子、死んでいます」
「まだ使える」
「導通していません」
「予備部品にできる」
「何の」
「いつか」
「いつですか」
「知らん」
黒曜はソファに座って二人を見ていた。
「……もう馴染んでませんか」
「馴染んでへん」
「馴染んでいません」
二人同時だった。
黒曜は何も言わなくなった。
理香子が床に置かれた部品ケースを見る。
その横。
EVOから持ち帰った技術資料が開いたままになっていた。
外部センサー。
補助肢。
複数機器の統合制御。
ヘカトンケイル。
理香子の視線が止まる。
「これ」
「ん?」
アクトが振り返った。
「EVOの資料」
「勝手に読むなよ」
「読んでいません」
「今読んどったやん」
「タイトルだけです」
「何」
「多点感覚入力の同期問題」
アクトが少し眉を上げる。
「分かるん?」
「問題自体は」
理香子は資料には触れず、自分の端末を開いた。
「入力を一つの時系列へ押し込もうとするから破綻するんです」
「……何?」
「入力側を揃える必要はありません。受け手が必要な情報だけ選べるなら、同期は完全でなくていい」
アクトは黙った。
黒曜も理香子を見る。
理香子は端末に何かを書き始めていた。
「ただし、これだけでは足りません」
「何が」
「身体位置の基準がない」
「身体位置?」
「外側に目や手を増やすなら、どこまでを自分として扱うか決める基準が要ります」
アクトの表情が変わった。
「それ、EVOが詰まっとるとこや」
「そうですか」
「そうですか、て」
「私は解決していません」
理香子は画面を閉じた。
「情報の並べ方を変えただけです」
部屋が少し静かになった。
アクトは床の資料を見る。
理香子を見る。
もう一度、資料を見る。
「……拾ったん」
「何ですか」
「いや」
アクトは笑った。
「なんでもない」
理香子は怪訝そうにしたが、追及しなかった。
十五分前まで。
この部屋に、理香子の物は何もなかった。
今は古い端末が一台。
充電ケーブルが一本。
そして、玄関には履き潰した靴が一足増えている。
それだけだった。
◆ 作中用語ミニ解説
・テクノマンサー: 電脳端末やサイバーウェアを使わず、生身の肉体・精神だけでネットワーク(マトリックス)へ直接潜り込んで干渉できる特異体質者。その希少性と異質さゆえに企業からモルモットや兵器として狙われやすい。