アクトと黒曜 ――銃声と魔法、軽口と理屈。関係に名前をつけないまま、共に走る 作:矢塚 和哉
朝。
アクトが起きた時、リビングの床が見えていた。
「……泥棒?」
「片付けました」
理香子が答えた。
床に座っている。
その周囲には、昨日まで散らばっていた工具、ケーブル、交換部品、端末類が種類ごとに並べられていた。
透明ケースには小さなラベルまで付いている。
《通信》 《電源》 《光学》 《規格不明》 《廃棄候補》
「待て」
「何ですか」
「最後の箱」
「廃棄候補です」
「勝手に捨てんな」
「捨てていません。候補です」
「候補に入れんな」
「導通しない端子が七本あります」
「使い道ある」
「昨日も聞きました。いつですか」
「いつか」
「回答が更新されていません」
アクトは頭を掻いた。
白い右手で。
指先が金髪を乱す。
その横を黒曜が通った。
「おはようございます」
「おはよ」
「片付きましたね」
「敵やぞ、こいつ」
「味方です」
「どっちの」
「床の」
「床に陣営あんの?」
理香子は端末から顔を上げない。
「朝食はあります」
アクトが止まった。
「……作ったん?」
「購入しました」
「せやろな」
「失礼です」
「昨日検索する言うてたやん」
「調理法は検索しました」
「実行は?」
「安全性を考慮して延期しました」
黒曜が頷いた。
「賢明です」
「なんであたしの家で意気投合しとるん」
*
食卓には三人分の簡単な朝食が並んだ。
理香子は食べながら端末を見ている。
「飯の時くらい閉じたら」
「求人を見ています」
「昨日の今日で?」
「昨日、仕事を探すと言いました」
「言うたけど」
「条件を整理しました」
画面がアクト側へ向けられる。
大量の求人。
技術職。
データ処理。
ネットワーク保守。
解析補助。
企業所属。
契約。
短期。
「多いな」
「条件を入れると減ります」
「何入れたん」
「身元照会が緩い。居住登録の再取得を待てる。過去の空白期間を問わない。現場勤務を必須としない。違法な業務ではない」
「最後大事やな」
「昨日指摘されたので追加しました」
黒曜が理香子を見る。
「最初は入っていなかったんですか」
「優先順位が低かったので」
「上げてください」
「上げました」
アクトが画面を指で送る。
「これ」
「給与が低いです」
「最初から高望みすんな」
「市場価格より二十一パーセント低い」
「ちゃんと調べとるな……」
「こちらは?」
黒曜が一件を指した。
「身元保証が必要です」
「保証人?」
「企業信用か、継続収入のある個人」
三人とも黙った。
アクトが自分を指す。
「ランナー」
黒曜が自分を指す。
「未登録魔法使い」
理香子が端末を見る。
「不適格です」
「知っとる」
「でしょうね」
少しして。
アクトがコーヒーを飲む。
「まあ、急がんでもええやろ」
「急ぎます」
「なんで」
「居候だからです」
「家事しとるやん」
「床を片付けただけです」
「十分や」
「対価として不均衡です」
「細かいなあ」
「細かくないです」
理香子は端末を閉じた。
「自分で払えるようになりたいだけです」
アクトはカップを置いた。
「ほな探そか」
「何を」
「まともな仕事」
*
その日の午後。
まともな仕事の話をするために、三人はEVOへ来ていた。
「なぜこうなったんですか」
黒曜が小声で聞いた。
「知らん」
「あなたが連絡したんでしょう」
「資料のこと聞いただけや」
「その結果、本人まで連れてくることになったんです」
「話早いやん」
「私は同意していません」
理香子が言った。
「来とるやん」
「情報提供に対する条件確認です」
「それを世間では仕事の相談言うんちゃう?」
「まだ契約していません」
「そこからか」
EVOの会議室。
第2話で使った部屋より小さい。
技術担当者が一人。
契約担当者が一人。
机の上には、理香子が昨夜作った短いメモが表示されている。
《多点感覚入力における同期精度の再評価》
技術担当者が言った。
「まず確認します。この着想は、どこで?」
「資料のタイトルを見ました」
「本文は?」
「読んでいません」
「アクトさん」
「読ませてへんで」
「契約上、閲覧権限はありません」
「せやからタイトルだけや」
担当者は理香子へ戻る。
「では、なぜこの仮説を?」
「一般論です」
「一般論?」
「異なる周期で取得される情報を、完全に同じ時系列へ整列させようとすれば補正量が増えます。補正量が増えれば遅延も増えます」
「それはそうです」
「なら、揃える必要がない情報まで揃えない方がいい」
担当者の指が止まった。
理香子は続ける。
「視覚と聴覚と触覚は、元々同じ形式ではありません。人間も完全同期した生データを受け取っているわけではない」
「続けてください」
「必要なのは完全同期ではなく、本人が必要な情報を必要な時に拾えることです」
壁面に図が出る。
EVO側の既存モデル。
複数の外部センサー。
統合処理。
身体像への入力。
理香子はしばらく見る。
「……これ」
「何か?」
「全部、中央に集めています」
「はい」
「だから詰まる」
技術担当者が黙った。
アクトが横から覗く。
「分かりやすく」
「百人が一つの扉から同時に入ろうとしています」
「詰まるな」
「はい」
「扉増やす?」
「違います」
「ちゃうんか」
「全員を同じ部屋へ入れる必要がない」
理香子は図の一部を指した。
「外部視覚は視覚処理へ。音は聴覚処理へ。姿勢情報は身体位置の補正へ。必要な時だけ上位で関連づける」
「……分散処理」
EVOの担当者が呟いた。
「既存の補助肢制御系に近い」
「はい」
「しかし、身体像の統合が――」
「そこは知りません」
即答だった。
担当者が止まる。
「知りません?」
「私は神経工学の専門家ではありません」
「では」
「情報をどう分けるかは分かります。分けた後に、人間の脳へどう入れるかはそちらの仕事です」
アクトが吹き出した。
「担当分けよった」
「当然です」
「ええな、それ」
技術担当者は笑わなかった。
代わりに、別の資料を呼び出した。
古い研究ログ。
補助肢。
義肢。
複数センサー。
神経接続。
「実は」
担当者が言う。
「類似した分散処理モデルは、過去にも検討されています」
「なら私の話は不要では」
「成立しなかった」
「なぜですか」
「利用者側が追いつかなかったからです」
映像。
被験者。
外部カメラが一つ。
二つ。
三つ。
補助肢。
入力が増えるたび、反応が遅くなる。
身体の位置を見失う。
吐く。
倒れる。
黒曜の顔が険しくなった。
アクトも笑わない。
「第2話で見たやつやな」
「同系統の試験です」
「結局、人間側で詰まった」
「はい」
理香子が映像を見る。
「なら、入力を減らすしかない」
「通常はそう判断します」
「通常は?」
担当者がアクトを見る。
理香子も見る。
黒曜が嫌な顔をした。
「……やめてください」
「まだ何も言ってへん」
「顔で分かります」
技術担当者が表示を切り替えた。
SpeC2の神経応答ログ。
WR2。
四肢制御。
反応速度。
大量の数値。
技術担当者は理香子へ視線を戻した。
理香子も身を寄せ、表示された神経応答ログを覗き込む。
「アクトさんの現行システムでは、低位の姿勢補正と反射処理の一部をWR2側で処理しています」
「うん」
「本人が逐一、右足の角度や左手首の補正値を考える必要はない」
「そらな」
「しかし最終的な動作選択は本人が行う」
「当たり前やろ」
「そこです」
「何が」
「既存研究では、外部機器を増やした時点で、利用者がすべてを意識的に把握しようとする傾向が強かった」
理香子が画面を見る。
「情報の優先順位付けができない」
「正確には、身体ではないものを身体として扱おうとして失敗する」
「……なるほど」
理香子の目が細くなった。
「なら、この人で試す価値はあります」
「おい」
「あなた、自分の右手の関節角度を全部把握していますか」
「してへん」
「歩く時、足裏の圧力分布を考えていますか」
「考えへん」
「でも必要なら分かる?」
「そら分かる」
「それです」
「雑やな」
「あなたに言われたくありません」
EVOの技術担当者が、初めて少しだけ身を乗り出した。
「我々は、入力側の制御精度を上げ続けていました」
「はい」
「あなたは、精度を落とせと言っている」
「必要のないところは」
「その代わり、利用者に選ばせる」
「選べるなら」
黒曜が口を開いた。
「待ってください」
全員が見る。
「話が早すぎます」
「黒曜」
「理香子さんの仮説と、アクトの適性が噛み合うかもしれない。それは分かりました」
「はい」
「でも、だから明日から繋いでみましょう、にはなりません」
技術担当者が頷いた。
「同意します」
「……え」
黒曜が少し拍子抜けした。
「まずシミュレーションです」
「当然です」
理香子も言った。
「次に非神経接続での情報選別試験」
「はい」
「その後、単一感覚から」
「はい」
「一度に増やさない」
「はい」
黒曜が二人を見る。
「……話が早いですね」
「専門家同士やからな」
「あなたは入っていません」
「なんでや」
*
二時間後。
理香子の前に契約書があった。
「何これ」
「業務委託契約です」
「見れば分かります」
「解析補助。研究資料の整理。既存ログの再分類。週三日。遠隔作業可。必要時のみ来所」
「報酬」
「記載の通りです」
理香子が読む。
止まる。
もう一度読む。
「高い」
「専門業務です」
「私、資格ありません」
「成果物で評価します」
「身元照会」
「限定的です」
「居住登録」
「現状で可」
「契約期間」
「三か月。双方合意で更新」
「違法業務」
契約担当者が一瞬止まった。
「ありません」
アクトが横から覗く。
「そこ聞くんや」
「重要です」
「成長したな」
「昨日からです」
黒曜が契約書を受け取る。
「私も見ます」
「なぜですか」
「あなた、こういう契約に慣れていないでしょう」
「検索できます」
「検索と契約実務は違います」
「……分かりました」
黒曜が読み始める。
アクトは椅子に座ったまま天井を見る。
「暇」
「あなたの時は四時間かかりました」
「知っとる」
「待ってください」
「はいはい」
一時間十二分後。
理香子が署名した。
契約書が確定する。
「これで」
アクトが言った。
「一般社会人?」
「まだです」
「なんで」
「初回報酬が振り込まれていません」
「厳しいな」
「契約しただけです」
「家ある」
「借りています」
「仕事ある」
「契約しました」
「飯食える」
「あなたに奢られています」
「ほぼ達成やん」
「ほぼ、です」
黒曜が立ち上がった。
「帰りましょう」
「晩飯どうする」
「私が買います」
理香子が言った。
アクトが見る。
「まだ金ないやろ」
「契約時の着手金があります」
「もう入ったん?」
理香子が端末を見る。
数秒。
「入りました」
「ほな一般社会人や」
「定義が雑です」
「昨日決めたやろ」
「同意していません」
「飯奢って」
「昨日の分を返します」
「そこは別や」
「なぜですか」
「初給料みたいなもんやろ。奢られる方が気分ええ」
「意味が分かりません」
「そのうち分かる」
理香子は少し考えた。
「では、昨日の店で」
「ええやん」
「同額までです」
「細か」
「利息は払いません」
「覚えとったんか」
黒曜が先に扉へ向かう。
「早くしてください」
三人が会議室を出る。
壁面には、さっきまで使っていた研究モデルが残っていた。
EVOが長く積み上げてきた補助肢制御。
感覚入力。
神経接続。
どれも新しいものではない。
理香子が新しい技術を発明したわけでもない。
ただ。
詰まっていた情報の流れを見て。
全部を同じ場所へ通さなくてもいい、と言った。
それだけだった。
けれど。
閉じかけた画面の隅で、一つの研究項目が更新されていた。
《HEKATONKHEIR》 《統合方式再評価》 《候補モデル:分散選択型》
その下。
《適合試験候補:ARCTURUS》
廊下の向こうから声がする。
「理香子、何食う?」
「昨日と同じでいいです」
「初給料やぞ。もっとええもん食おうや」
「予算を超えます」
「一般社会人、堅実やなあ」
「その呼び方をやめてください」
扉が閉じた