アクトと黒曜 ――銃声と魔法、軽口と理屈。関係に名前をつけないまま、共に走る   作:矢塚 和哉

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百の手

 白い部屋の中央に、椅子が一脚あった。

 

「……地味やな」

 

「今日は射撃試験ではありません」

 

「分かっとる」

 

「ガウスもありません」

 

「分かっとるって」

 

「外部機器を撃つ予定もありません」

 

「理香子」

 

「何ですか」

 

「楽しんどる?」

 

「いいえ」

 

 口元が少しだけ上がっている。

 

「フヒ」

 

「楽しんどるやん」

 

「測定前です。座ってください」

 

 アクトは椅子に腰を下ろした。

 

 白い増加装甲に覆われた両脚が床につく。

 

 赤い眼鏡は外してある。

 

 代わりに頭部と首筋、背中にいくつもの接続パッドが貼られていた。

 

 右側にはEVOの技術担当者。

 

 正面の観察窓の向こうには医療担当者が二人。

 

 理香子は端末の前。

 

 黒曜は少し離れた壁際に立っている。

 

「なんでそんな遠いん」

 

「邪魔にならないようにです」

 

「別に邪魔ちゃうで」

 

「何かあれば止めます」

 

「そっちかい」

 

 技術担当者が口を挟む。

 

「停止権限は我々にもあります」

 

「知っとる」

 

「本人にもあります」

 

「それも知っとる」

 

「理香子さんにもあります」

 

「増えたな」

 

「私にもあります」

 

 黒曜が言った。

 

「なんでや」

 

「契約書に入れました」

 

「いつの間に」

 

「あなたがガウスの仕様書を読んでいる間です」

 

「またそれ言う?」

 

 理香子が端末を叩く。

 

「基準値、正常。WR2待機。感覚入力は現状のまま」

 

 壁際。

 

 高さ一メートルほどの細い支柱が動いた。

 

 先端に小型の光学センサーが一基。

 

 車輪も脚もない。

 

 床のレールに沿って位置を変えるだけの試験装置。

 

「第一段階。外部視覚、一系統」

 

 技術担当者がアクトを見る。

 

「接続します」

 

「おう」

 

「違和感、吐き気、自己位置の喪失、視覚競合が発生した場合は即座に申告してください」

 

「おう」

 

「我慢しないでください」

 

「せえへんて」

 

「では」

 

 理香子の指が止まる。

 

「三、二、一」

 

 接続。

 

     *

 

 アクトは自分の後頭部を見た。

 

「……うわ、気持ち悪」

 

 声が漏れた。

 

 目の前には技術担当者。

 

 その横に理香子。

 

 壁際に黒曜。

 

 同時に。

 

 自分の後ろ姿が見える。

 

 金髪。

 

 白い肩。

 

 椅子の背。

 

 自分自身の頭の後ろ。

 

 視界の隅に別画面が出たのではない。

 

 赤い眼鏡のAR表示とも違う。

 

 見えている。

 

 前を見たまま、後ろも。

 

 脳が一瞬、どちらを正面として扱うか迷った。

 

 胃が浮く。

 

 床が半歩ずれたような感覚。

 

 アクトは椅子の肘掛けを掴んだ。

 

「視覚競合がありますか」

 

「あるで」

 

「接続を切ります」

 

「なんでや。見えとるで?」

 

「……はい?」

 

 技術担当者が止まった。

 

「気持ち悪いんですよね?」

 

「気持ち悪い」

 

「なら」

 

「でも見えとる」

 

 アクトは右手を上げた。

 

 自分の目では手の甲が見える。

 

 後方センサーからは、その腕の裏側が見える。

 

 指を一本立てる。

 

「これ一本」

 

「何を確認していますか」

 

「同じ手や」

 

「当然です」

 

「ちゃうちゃう」

 

 アクトは指を曲げる。

 

 前から見た指。

 

 後ろから見た指。

 

 像は二つ。

 

 でも、動かしているものは一つ。

 

「二個見えとるけど、手ぇは一個や」

 

 技術担当者が理香子を見る。

 

 理香子は画面を見たまま答える。

 

「自己位置保持、正常。視覚入力の選択遅延、許容範囲。神経負荷、上昇していますが閾値以下」

 

「選択できています?」

 

「できています」

 

「アクトさん」

 

「ん?」

 

「後方センサーだけを意識できますか」

 

「できるで」

 

「前方視覚を捨てずに?」

 

「なんで捨てんねん」

 

 担当者が黙った。

 

「試してください」

 

 理香子が言う。

 

 アクトは前を向いたまま、左手を後ろへ伸ばした。

 

 椅子の背の後ろ。

 

 そこに技術担当者が置いた小さなブロック。

 

 後方センサーで位置を見る。

 

 左手を下げる。

 

 掴む。

 

 持ち上げる。

 

「青」

 

 アクトが言った。

 

 手にしたブロックは青かった。

 

「……正常です」

 

「せやろ」

 

「普通は、もう少し時間がかかります」

 

「慣れた」

 

「接続から四十七秒です」

 

「四十七秒あったら慣れるやろ」

 

「通常は慣れません」

 

「ほな、あたしが早いんやな」

 

「そういう結論にしたくないので、測定しています」

 

「研究者めんどくさ」

 

「あなたを測っているんです」

 

     *

 

 五分後。

 

「第二段階。外部聴覚を追加します」

 

「耳増えるん?」

 

「集音器です」

 

「耳やん」

 

「機械です」

 

「目ぇは目ぇやったやろ」

 

「光学センサーです」

 

「細かいな」

 

「技術試験です」

 

 左右。

 

 前後。

 

 部屋の四隅に、小型集音器が配置される。

 

「全部?」

 

「最初は一基です」

 

「はいはい」

 

 一基目。

 

 右後方。

 

 接続。

 

 アクトの眉が動いた。

 

「……あー」

 

「どうですか」

 

「声の場所が変や」

 

「説明できますか」

 

「黒曜」

 

「はい」

 

「喋って」

 

「何をですか」

 

「なんでも」

 

「嫌です」

 

「聞こえた」

 

「喋っているでしょう」

 

「ちゃう。後ろからも聞こえる」

 

 黒曜はアクトの左前方にいる。

 

 けれど、右後方の集音器にも黒曜の声が届いている。

 

 二つの位置。

 

 二つの距離。

 

 一つの声。

 

「気持ち悪い?」

 

 理香子が聞く。

 

「気持ち悪い」

 

「切りますか」

 

「いや」

 

「理由」

 

「分かるから」

 

 アクトは目を閉じた。

 

 自分の耳。

 

 外の耳。

 

 空調。

 

 端末の冷却ファン。

 

 観察窓の向こう。

 

「右奥、壁の向こうに二人」

 

 医療担当者が顔を上げた。

 

「一人立った」

 

 観察窓の向こうで、一人が椅子から立ち上がる。

 

「左に三歩」

 

 三歩。

 

「止まった」

 

 止まる。

 

 技術担当者が表示を見る。

 

「映像は送っていません」

 

「音やろ」

 

「壁越しです」

 

「足音するやん」

 

「通常の聴覚では、この位置から識別困難です」

 

「外の耳には近い」

 

 アクトは目を開けた。

 

「もう一個つけて」

 

「予定では、ここで五分観察です」

 

「ほな五分待つ」

 

「珍しく素直ですね」

 

「理香子、あたしを何やと思っとる」

 

「試験対象」

 

「お前な」

 

「現在は事実です」

 

     *

 

 二基目。

 

 三基目。

 

 入力が増える。

 

 音が増えるのではない。

 

 場所が増える。

 

 右。

 

 左。

 

 後ろ。

 

 少し高い位置。

 

 自分の耳で聞く部屋と、外の耳で聞く部屋が重なる。

 

 アクトは顔をしかめた。

 

「……これは、だいぶキモいな」

 

 黒曜が一歩動く。

 

「やめますか」

 

「まだええ」

 

「無理をしていませんか」

 

「してへん」

 

「本当に?」

 

「吐きそうになったら言う」

 

「その前に言ってください」

 

「注文多いな」

 

 理香子が画面を見る。

 

「負荷上昇。ですが、入力選別は維持」

 

「WR2の処理は?」

 

 担当者が聞く。

 

「反射系・神経伝達系とも余裕あり。低位の位置補正も正常です」

 

「帯域は想定通り」

 

「はい」

 

「問題はそこではない」

 

「はい」

 

 担当者の視線がアクトへ向く。

 

 アクトは四方向の音を聞きながら、退屈そうに足先を動かしていた。

 

「……受け手ですね」

 

「そうです」

 

 理香子の声だけ、少し楽しそうだった。

 

     *

 

「第三段階」

 

 壁の一部が開いた。

 

 奥から細い機械腕が出てくる。

 

 人間の腕より長い。

 

 先端には五指ではなく、三本の把持爪。

 

 関節がいくつもある。

 

「マニピュレータ一基」

 

 アクトが眺める。

 

「手ぇ増えるんやな」

 

「厳密には――」

 

「手ぇでええやろ」

 

 理香子が言った。

 

「今回は私も手でいいと思います」

 

「勝った」

 

「何にですか」

 

 技術担当者が説明する。

 

「あなた自身の四肢制御とは別系統です。低位の関節制御、衝突回避、可動域制限は機械側が処理します」

 

「うん」

 

「あなたが行うのは、動作の選択です」

 

「掴め、とか?」

 

「そうです」

 

「離せ、とか」

 

「はい」

 

「殴れ、とか」

 

「試験では禁止です」

 

「例えや」

 

「あなたの場合、念のため」

 

「信用ないなあ」

 

 黒曜が言った。

 

「実績があります」

 

「何のや」

 

 接続。

 

 アクトの右肩がわずかに跳ねた。

 

 機械腕は動かない。

 

「……なんやこれ」

 

「異常?」

 

 理香子の声が変わる。

 

「ちゃう」

 

 アクトは自分の右手を見る。

 

 握る。

 

 開く。

 

 左手も。

 

 握る。

 

 開く。

 

 その二本とは別に。

 

 動かせる場所がある。

 

 部屋の右側。

 

 三メートル離れたところ。

 

 そこに。

 

 手がある。

 

「動かしてください」

 

 技術担当者が言う。

 

「どうやって」

 

「任意の方法で」

 

「雑やな」

 

「我々も、あなたがどう認識しているのか分かりません」

 

「ほな」

 

 アクトは機械腕を見る。

 

「これ取って」

 

 マニピュレータが動いた。

 

 机の上のブロックへ伸びる。

 

 爪が開く。

 

 掴む。

 

 持ち上げる。

 

 アクト本人の両腕は、膝の上から動いていない。

 

 黒曜の目が細くなる。

 

「……動かしました?」

 

「動かした」

 

「何をしたんですか」

 

「手ぇ動かした」

 

「操作感覚を説明してください」

 

 技術担当者がすぐに聞く。

 

「手ぇ動かす感じ」

 

「もう少し具体的に」

 

「無理や」

 

「力を入れた?」

 

「入れてへん」

 

「映像を見て操作した?」

 

「見えとるけど、それだけちゃう」

 

「では、位置はどう認識していますか」

 

「そこにある」

 

「そこ、とは」

 

「そこや」

 

 アクトが顎で示す。

 

 三メートル先。

 

「自分の身体との位置関係は?」

 

「右手がここ」

 

 自分の右手を上げる。

 

「左手がここ」

 

 左手。

 

「あれがそこ」

 

 機械腕。

 

「それだけ?」

 

「それだけ」

 

 技術担当者が理香子を見る。

 

 理香子は端末を見ている。

 

「身体位置基準、崩れていません」

 

「自己位置は?」

 

「椅子上。変化なし」

 

「機械側への没入兆候は」

 

「ありません」

 

 担当者がアクトを見る。

 

「リガー制御とは違います」

 

「似たようなもんちゃうん?」

 

「違います。あなたは機体へ没入していません」

 

「せやけど機械の手ぇ動かしとるで」

 

「はい。しかし、あなた自身はどこにいますか」

 

 アクトは自分の胸を指した。

 

「ここ」

 

「マニピュレータではない?」

 

「なんであたしがあれやねん」

 

「そこです」

 

「何が」

 

「リガーは、機体へ感覚を没入させ、機体そのものを身体として扱う確立された制御体系です」

 

「うん」

 

「今のあなたは違う」

 

 担当者はマニピュレータを指す。

 

「自分自身の身体を失っていない。その上で、外側へ身体感覚を追加している」

 

 アクトは少し考えた。

 

「手ぇ増えた?」

 

「非常に雑に言えば」

 

「最初からそう言うとるやん」

 

「我々は、その言い方をしたくなかったんです」

 

「なんで」

 

「本当にそうなるとは思っていなかったので」

 

 部屋が静かになった。

 

「……あかんかった?」

 

「逆です」

 

 担当者は画面を見た。

 

「成立しています」

 

     *

 

 試験は、そこで終わる予定だった。

 

「一本追加します」

 

 理香子が言った。

 

「予定にありません」

 

「帯域に余裕があります」

 

「理香子さん」

 

「停止基準には達していません」

 

「受容側の評価が――」

 

「本人」

 

 理香子がアクトを見る。

 

「増やせますか」

 

「やってみよ」

 

 黒曜が眉を寄せる。

 

「無理ならすぐ止めてください」

 

「分かっとる」

 

 二本目。

 

 接続。

 

 左側に、新しい手。

 

 アクトの肩が一度だけ強く震えた。

 

「うっわ」

 

「停止?」

 

「待って」

 

 右の外部肢。

 

 左の外部肢。

 

 自分の右手。

 

 自分の左手。

 

 四つ。

 

 頭の中で数える必要はない。

 

 右の外部肢を開く。

 

 左を閉じる。

 

 自分の右手で指を鳴らす。

 

 左手で膝を叩く。

 

 全部違う動き。

 

「……できた」

 

 理香子の指が速くなる。

 

「神経伝達遅延、増加二・一パーセント。運動出力競合なし」

 

「次」

 

 技術担当者が振り返った。

 

「次?」

 

「外部視覚を一基追加します」

 

「待ってください」

 

「停止基準には――」

 

「分かっています。しかし予定を越えています」

 

「だから試験です」

 

「理香子さん」

 

「フヒ」

 

「笑わないでください」

 

「すみません」

 

 まったく反省していない声だった。

 

 アクトが笑う。

 

「ええやん。やろ」

 

 黒曜がアクトを見る。

 

「あなたも煽らないでください」

 

「使える範囲知りたいやん」

 

「今日全部知る必要はありません」

 

「それもそうやな」

 

 アクトが素直に引いた。

 

 技術担当者が少し安心した顔をする。

 

「では――」

 

「でも一個だけ」

 

「……何ですか」

 

「火力腕あるんやろ?」

 

 担当者の顔が戻った。

 

     *

 

 火力担当腕。

 

 試験用。

 

 武装は無効化されている。

 

 照準機構と反動補正、姿勢制御だけを持つ。

 

「撃てへんの?」

 

「撃ちません」

 

「つまらん」

 

「この前の試験で十分撃ったでしょう」

 

「一発だけや」

 

「一発で壁を複数枚貫通しました」

 

「せやな」

 

 黒曜が言った。

 

「撃たなくていいです」

 

「二対一や」

 

「理香子さんも撃たせませんよ」

 

「安全規定上、射撃は禁止です」

 

「三対一やった」

 

 接続。

 

 今度は。

 

 重い。

 

 手とは違う。

 

 腕ではある。

 

 でも、用途が狭い。

 

 掴むためではない。

 

 支える。

 

 向ける。

 

 狙う。

 

 撃つための腕。

 

 低位制御が勝手に姿勢を保つ。

 

 照準軸を安定させる。

 

 関節が細かく補正される。

 

 アクトはその補正を意識しなくていい。

 

 ただ。

 

 どこへ向けるかだけを決める。

 

「右上」

 

 火力腕が向く。

 

「左下」

 

 追従。

 

「後ろ」

 

 アクトは振り返らない。

 

 後方センサーで見る。

 

 火力腕だけが回る。

 

 照準点が、背後の模擬標的へ止まった。

 

「……これ、ええな」

 

「射撃は禁止です」

 

「分かっとる」

 

「今、撃とうとしました?」

 

「してへん」

 

「発射系は切っています」

 

「信用ないなあ」

 

「安全設計です」

 

 技術担当者が数値を見る。

 

 もう笑っていない。

 

 困っていた。

 

「……止めましょう」

 

「なんで?」

 

「予定していた限界試験になっていません」

 

「限界来てへんから?」

 

「はい」

 

「ええことちゃうん?」

 

「試験としては困ります」

 

「贅沢やな」

 

「違います」

 

 担当者はアクトを見る。

 

「あなたが、どこで破綻するのかを確認する予定でした」

 

「まだいけるで」

 

「それが困ると言っています」

 

「研究者めんどくさ」

 

「二度目です」

 

     *

 

 理香子がログを止める。

 

「総入力負荷、想定値の六十八パーセント」

 

「まだ余っとるやん」

 

「数字だけなら」

 

「運動出力は?」

 

「競合なし」

 

「自己位置」

 

「正常」

 

「吐き気」

 

「ちょっと」

 

「ちょっと?」

 

「最初よりマシ」

 

 技術担当者がアクトの前へ来た。

 

「一つ確認します」

 

「おう」

 

「今、何本を自分の腕として認識していますか」

 

 アクトは首を傾げた。

 

「知らん」

 

「……知らない?」

 

「右手動かす時、右手が何本目か考えへんやろ」

 

 担当者が黙った。

 

 理香子も一瞬だけ手を止める。

 

 黒曜は目を閉じた。

 

「つまり」

 

 担当者が慎重に言う。

 

「本数を意識していない?」

 

「必要ある?」

 

「普通はあります」

 

「なんで」

 

「増えた腕だからです」

 

「動くんやろ?」

 

「動きます」

 

「ほな手ぇやん」

 

「……」

 

「右手も左手も、使う時に番号振らんやろ。あれも一緒や」

 

 理香子が画面を見た。

 

「フヒ。神経伝達帯域、まだ余っています」

 

「ほな増やせるな」

 

「そういう意味ではありません」

 

 黒曜が壁から離れた。

 

「今日は終わりです」

 

「まだいけるで」

 

「知っています」

 

「ほな」

 

「だから終わりです」

 

「なんでや」

 

「あなたが止めないからです」

 

 アクトが口を閉じた。

 

 理香子が頷く。

 

「合理的です」

 

「裏切ったな」

 

「試験データは十分です」

 

「さっき増やそうとしてたやん」

 

「十分になりました」

 

「技術者め」

 

「あなたに言われたくありません」

 

     *

 

 切断は、一つずつ行われた。

 

 火力担当腕。

 

 消える。

 

 左の外部肢。

 

 消える。

 

 右の外部肢。

 

 消える。

 

 多点聴覚。

 

 一つ。

 

 二つ。

 

 三つ。

 

 部屋が静かになっていく。

 

 最後に。

 

 後方視覚。

 

「切ります」

 

「おう」

 

 三、二、一。

 

 消えた。

 

 アクトは反射的に、自分の後ろを見ようとした。

 

 見えない。

 

 一瞬。

 

 何もない場所へ意識を向ける。

 

 それから。

 

 首を回した。

 

 自分の目で、背後を見る。

 

「……狭いな」

 

 黒曜が眉を寄せる。

 

「何がですか」

 

 アクトは前へ向き直った。

 

「視界」

 

 技術担当者が何も言わない。

 

 理香子も。

 

 黒曜だけが、少し嫌そうな顔をした。

 

     *

 

 検査終了後。

 

 医療担当者による確認は二十分続いた。

 

 神経損傷なし。

 

 異常放電なし。

 

 WR2正常。

 

 四肢制御正常。

 

 平衡感覚も基準内。

 

「問題なし?」

 

「現時点では」

 

「ほな帰れる?」

 

「今日は施設内で一時間経過観察です」

 

「長い」

 

「短いです」

 

 理香子が隣の椅子へ座る。

 

 端末には試験結果。

 

「何見とる」

 

「ログ」

 

「おもろい?」

 

「非常に」

 

「フヒ言うてたもんな」

 

「言っていません」

 

「言うた」

 

「記録にありません」

 

「あるやろ」

 

「音声ログを確認しますか」

 

「そこまでせんでええ」

 

 黒曜が飲み物を三本持って戻ってきた。

 

 一本をアクトへ渡す。

 

「ありがとうございます」

 

「なんで敬語」

 

「なんとなく」

 

 黒曜は理香子にも一本渡した。

 

「次の試験はいつですか」

 

「未定です」

 

 理香子が答える。

 

「EVO側で再評価が入ります」

 

「止まるん?」

 

「逆です」

 

「逆?」

 

「予定を組み直す必要があります」

 

 技術担当者が部屋へ入ってきた。

 

「アクトさん」

 

「ん?」

 

「本日の結果について、追加の契約確認をお願いすることになります」

 

 黒曜の目が細くなる。

 

「契約?」

 

「ヘカトンケイル試験の範囲が、当初想定を越えました」

 

「金増える?」

 

「アクト」

 

「大事やろ」

 

「大事ですが、先に聞くことがあります」

 

 黒曜が担当者を見る。

 

「追加試験を断ることはできますか」

 

「もちろんです」

 

 即答だった。

 

 黒曜はそれでも視線を外さない。

 

「今後も?」

 

「契約上、本人の拒否権は維持されます」

 

 アクトが飲み物の蓋を開ける。

 

「ほなええやん」

 

 黒曜は答えなかった。

 

 理香子も、少しだけアクトを見る。

 

 アクトは気づかず一口飲んだ。

 

「……これ甘っ」

 

「あなたが選んだ銘柄です」

 

「昨日のあたし、何考えとったん」

 

「知りません」

 

 白い部屋の向こう。

 

 試験用の外部センサーと機械腕が、電源を落として並んでいる。

 

 もう動かない。

 

 もう見えない。

 

 もう聞こえない。

 

 アクトは一度だけ、首を回さずに背後を見ようとした。

 

 何も返ってこなかった。

 

 それから、少し遅れて自分で振り向いた。

 

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