アクトと黒曜 ――銃声と魔法、軽口と理屈。関係に名前をつけないまま、共に走る   作:矢塚 和哉

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断れる契約

 翌日の朝。

 

 アクトは冷蔵庫を開けたまま、後ろを見ようとした。

 

 見えなかった。

 

「……」

 

「何をしているんですか」

 

 食卓から理香子が聞いた。

 

「何も」

 

「冷蔵庫を開けて十三秒です」

 

「朝飯考えとる」

 

「昨日と同じものがあります」

 

「知っとる」

 

「なら閉めてください」

 

「冷気逃げるで」

 

「あなたが逃がしています」

 

 アクトは扉を閉めた。

 

 振り返る。

 

 当然、理香子がいる。

 

 昨日なら。

 

 振り返らなくても、外部視覚があれば見えた。

 

 そこまで考えて。

 

「……便利やったな」

 

「何がですか」

 

「目ぇ」

 

「目ではありません」

 

「まだ言う?」

 

「光学センサーです」

 

「昨日、手ぇは手ぇでええ言うたやん」

 

「あれはマニピュレータです」

 

「裏切り者」

 

「分類の問題です」

 

 黒曜が湯を注ぐ。

 

 返事はしなかった。

 

 アクトはその横顔を見る。

 

「黒いの」

 

「何ですか」

 

「まだ嫌そうやな」

 

「何がですか」

 

「昨日の」

 

「嫌でしたよ」

 

 即答だった。

 

 アクトが少しだけ眉を上げる。

 

「どこが?」

 

「全部です」

 

「全部て」

 

「目が増えて、耳が増えて、腕が増えて」

 

「便利やったで」

 

「そうでしょうね」

 

「……怒っとる?」

 

「怒っていません」

 

「それ怒っとる時の言い方や」

 

「怒っていません」

 

 理香子がパンを齧る。

 

「同一回答二回。信頼度は上がりません」

 

「理香子さん」

 

「はい」

 

「黙っていてください」

 

「はい」

 

 アクトは椅子へ座った。

 

「何が嫌やったん」

 

 黒曜はすぐには答えなかった。

 

 湯呑みを置く。

 

「馴染みすぎたことです」

 

「それ、ええことちゃうん?」

 

「技術としては」

 

「ほな」

 

「あなたにとって良いことかは別です」

 

 アクトが黙る。

 

 理香子も口を挟まない。

 

「昨日、切った後」

 

 黒曜が言う。

 

「見えないことを、不便だと思ったでしょう」

 

「まあ」

 

「接続前は見えていなかったのに」

 

「そら便利なもん知ったら――」

 

「一時間です」

 

「ん?」

 

「一時間も使っていません」

 

 アクトはコーヒーへ手を伸ばした。

 

「それで、元の身体を狭いと言った」

 

 指がカップの取っ手に触れる。

 

「……言うたな」

 

「私は、それが嫌です」

 

     *

 

 EVOから追加契約の通知が来たのは、午前九時十二分だった。

 

《ヘカトンケイル適合試験 第二段階》 《追加試験協力》

《実戦接続準備を含む》 《本人同意必須》

 

 下に。

 

《承諾》 《保留》 《拒否》

 

 三つ。

 

「ちゃんと拒否あるやん」

 

 アクトが言った。

 

「ありますね」

 

 黒曜は画面を見る。

 

「押したら終わり?」

 

 理香子が契約文書を開く。

 

「この追加試験については」

 

「他は?」

 

「現行契約は継続。WR2、四肢保守、通常装備、医療支援、既存のデータ提供契約には影響なし」

 

「ガウスは?」

 

「現行契約内です」

 

「大事や」

 

「そこですか」

 

「大事やろ」

 

 黒曜は笑わない。

 

「拒否した場合、今後のヘカトンケイル試験への参加資格は?」

 

「自動失効しません」

 

 理香子が読む。

 

「再申請可能。再評価あり。拒否履歴を不利益評価へ使用しない、とあります」

 

「えらい丁寧やな」

 

「前の契約で入れた条項が効いています」

 

「黒いのが?」

 

「主に」

 

「えらい」

 

「今さらですか」

 

「いつもえらいで」

 

「軽いです」

 

 アクトは三つの選択欄を見る。

 

 指を伸ばす。

 

「待ってください」

 

 黒曜。

 

 指が止まる。

 

「押してへんで」

 

「今押そうとしたでしょう」

 

「承諾を」

 

「分かっています」

 

「ほな何」

 

「読んでからにしてください」

 

「昨日説明聞いたやん」

 

「昨日の試験と、今日の契約は別です」

 

 理香子が頷く。

 

「別です」

 

「二対一や」

 

「多数決ではありません」

 

 黒曜はアクトの端末を指す。

 

「あなた一人で決めることです」

 

「ほな押してええ?」

 

「読んでからです」

 

「どっちやねん」

 

     *

 

 契約書は長かった。

 

 アクトは途中で三回欠伸をした。

 

 理香子は一度もしなかった。

 

 黒曜は二度、前の頁へ戻った。

 

「ここ」

 

 黒曜の指が止まる。

 

《残留身体像》

 

「昨日言うてたやつ?」

 

「はい」

 

 理香子が別紙を開く。

 

《接続解除後、外部肢・外部感覚器の身体像が残留する可能性》

《一過性の違和感、誤動作、幻肢様反応》 《長期残留例あり》

 

 アクトが読む。

 

「長期てどれくらい」

 

「旧試験群では最長十一か月」

 

「長っ」

 

「正常復帰が確認できなかった例もあります」

 

 黒曜が言った。

 

 アクトの目が止まる。

 

「昨日の担当、そこまで言うてへんかったな」

 

「昨日は適合試験でした。実戦接続の同意説明ではありません」

 

 理香子が答える。

 

「死亡例は?」

 

「直接死因として記録されたものはありません」

 

「直接?」

 

「事故後の二次障害はあります」

 

「どんな」

 

 理香子は画面を送る。

 

「転倒。誤認操作。睡眠障害。自分の四肢と外部肢の位置を混同した例」

 

「……それは嫌やな」

 

 黒曜がアクトを見る。

 

「嫌なんですね」

 

「嫌やろ普通に」

 

「なら」

 

「でも、それと使うかどうかは別や」

 

 黒曜の目が細くなる。

 

「どう違うんですか」

 

「危ないから使わん、で全部決めたら、ガウスも白いのもWR2も付けてへん」

 

「同じではありません」

 

「同じや言うてへん」

 

「では何を基準にするんですか」

 

 アクトは少し考えた。

 

「使う意味あるか」

 

「意味があれば?」

 

「危なさと比べる」

 

「昨日は?」

 

「試験やった」

 

「今日からは?」

 

「まだ試験やろ」

 

「実戦接続準備を含みます」

 

「せやな」

 

 アクトは画面へ戻る。

 

 今度は欠伸をしなかった。

 

     *

 

 昼。

 

 三人でEVOへ行った。

 

 昨日と同じ白い区画。

 

 昨日と違って、試験室には入らない。

 

 会議室。

 

 技術担当者と契約担当者。

 

 それから契約担当者。

 

「またあんた?」

 

「契約変更ですので」

 

「便利やな」

 

「業務です」

 

 黒曜が先に座る。

 

「確認したいことがあります」

 

「どうぞ」

 

「拒否した場合、本当に現行契約へ影響はありませんか」

 

「ありません」

 

 契約担当者が即答した。

 

「ヘカトンケイル関連の追加試験のみです」

 

「次回以降の契約条件は」

 

「拒否を理由に不利益変更しません」

 

「口頭ではなく」

 

「本文にあります」

 

「確認しました」

 

「では、なぜ聞いたのですか」

 

「本人の前で言わせるためです」

 

 契約担当者が一拍だけ黙る。

 

「合理的です」

 

「理香子みたいなこと言うなや」

 

「どういう意味ですか」

 

「褒めとる」

 

「そうですか」

 

 理香子が端末を開く。

 

「技術面を確認します」

 

 昨日の試験結果。

 

《自己位置保持:正常》 《視覚競合:初期のみ》 《多点聴覚選別:正常》

《外部肢運動競合:なし》 《残存帯域:32%》

 

「三十二パーセント余ってたん?」

 

「試験条件上です」

 

 技術担当者が答える。

 

「実戦では環境ノイズ、損傷、通信遅延、敵性電子妨害が加わります。余剰とは考えていません」

 

「なるほど」

 

「また、昨日の結果をもって安全性が証明されたわけではありません」

 

「分かっとる」

 

「我々も、あなたの適応理由を説明できていません」

 

「そこ気にするなあ」

 

「気にします」

 

「WR2が太いからちゃうん?」

 

「それだけでは説明できません」

 

「理香子の分け方が上手い」

 

「それも要因です」

 

「ほな何」

 

「分かりません」

 

 技術担当者は、はっきり言った。

 

「分からないまま、成立しています」

 

 アクトが笑う。

 

「ほな、それでええやん」

 

「研究者としてはよくありません」

 

「めんどくさ」

 

「三度目です」

 

 黒曜は笑わなかった。

 

「分からないものを、身体へ繋ぐんですね」

 

「はい」

 

 技術担当者も誤魔化さない。

 

「だから、本人同意が必要です」

 

「同意があれば、やる?」

 

「安全基準内なら」

 

「適合しすぎていること自体は、安全とは限らない」

 

「その通りです」

 

「それでも?」

 

「選択肢として提示します」

 

 黒曜は契約担当者を見る。

 

「企業としては、続けてほしいのでしょう」

 

「はい」

 

「価値があるから」

 

「非常に」

 

「アクトのためではなく?」

 

「双方のためです」

 

 契約担当者は淡々としている。

 

「当社は研究成果を得る。アクトトゥルスさんは技術と装備を得る。利益が一致している間、契約する」

 

「一致しなくなったら」

 

「終わります」

 

「どちらからでも?」

 

「はい」

 

 黒曜の視線が、アクトへ移った。

 

「聞きましたか」

 

「聞いとる」

 

「本当に?」

 

「聞いとるって」

 

「なら」

 

 黒曜は端末をアクトの前へ滑らせた。

 

「決めてください」

 

     *

 

 三つ。

 

《承諾》 《保留》 《拒否》

 

 アクトはすぐには押さなかった。

 

 昨日。

 

 後頭部が見えた。

 

 壁の向こうの足音が聞こえた。

 

 三メートル離れた機械腕を、自分の手みたいに動かした。

 

 切られた後。

 

 狭いと思った。

 

 そこが。

 

 黒曜は嫌だったのだろう。

 

「黒いの」

 

「何ですか」

 

「もしあたしが、あれ無いと嫌や言い出したら」

 

「止めます」

 

「契約で?」

 

「必要なら」

 

「魔法で?」

 

「必要なら」

 

「怖」

 

「今さらです」

 

「ほんまに止める?」

 

「止めます」

 

 即答。

 

 アクトは少し笑った。

 

「ほなええわ」

 

「何がですか」

 

「保険ある」

 

「私を保険扱いしないでください」

 

「高性能やん」

 

「殴りますよ」

 

「魔法ちゃうんや」

 

「手の方が早いので」

 

 理香子が小さく息を吐いた。

 

「意思決定に第三者停止を組み込むのは、厳密には自己決定ではありません」

 

「難しいこと言うな」

 

「ですが」

 

 理香子は続ける。

 

「本人が停止役を選んでいるなら、本人の設計です」

 

「ほら」

 

「何が『ほら』ですか」

 

 黒曜は呆れた顔をした。

 

 アクトは画面を見る。

 

「一個聞く」

 

 契約担当者が頷く。

 

「承諾した後でも、次の試験で嫌になったらやめられる?」

 

「やめられます」

 

「実戦運用の準備まで終わってても?」

 

「やめられます」

 

「装備作った後でも?」

 

「契約上は」

 

「EVOが損してても?」

 

「当社の損失です」

 

「怒らん?」

 

「担当者個人の感情は保証しません」

 

「そこ保証せえへんのや」

 

「できません」

 

 アクトは笑った。

 

「分かった」

 

 指を置く。

 

《承諾》

 

《追加試験協力:受理》

 

《撤回権:維持》

 

 その最後の一行を。

 

 黒曜が長く見ていた。

 

     *

 

 帰り道。

 

「まだ嫌?」

 

 アクトが聞いた。

 

「嫌です」

 

「即答やな」

 

「技術そのものが嫌なのではありません」

 

「ほな何」

 

「あなたが平気なことです」

 

「それ褒めてへん?」

 

「褒めていません」

 

「適合せん方がよかった?」

 

「それも違います」

 

「難儀やなあ」

 

「あなたが簡単すぎるんです」

 

 アクトは歩きながら、自分の右手を開く。

 

 白い指。

 

 五本。

 

 閉じる。

 

「これも最初は気持ち悪かったで」

 

 黒曜が見る。

 

「覚えていますか」

 

「そらな」

 

「いつから気持ち悪くなくなりました」

 

「知らん」

 

「そこです」

 

 アクトの手が止まる。

 

「……なるほど」

 

「本当に分かりましたか」

 

「たぶん」

 

「不安です」

 

「でも」

 

 アクトはまた手を開いた。

 

「気持ち悪いまま使い続けるんも違うやろ」

 

「はい」

 

「馴染むこと自体が悪いわけでもない」

 

「はい」

 

「ほな、どこまで馴染ませるかは、あたしが決める」

 

 黒曜は少し黙った。

 

「決められている間は」

 

「せやな」

 

 アクトはそれを否定しなかった。

 

     *

 

 夕方。

 

 理香子がEVOから届いた次回試験計画を食卓へ投影した。

 

《外部視覚:最大四系統》 《多点聴覚:最大六系統》 《外部肢:最大四基》

《盾担当機:一基》 《火力担当腕:一基》 《低位制御補助:有効》

《発射権限:本人のみ》

 

「増えたなあ」

 

「昨日の結果を反映しています」

 

「百本ちゃうやん」

 

「名称は比喩です」

 

「ヘカトンケイル名乗るなら百本ほしいやろ」

 

「神経を壊したいんですか」

 

「いらん」

 

「即答ですね」

 

「百本洗うん面倒やし」

 

「洗いません」

 

 黒曜が資料を読む。

 

「低位制御補助」

 

「関節角、衝突回避、姿勢補正などです」

 

 理香子が答える。

 

「判断は?」

 

「本人」

 

「照準対象の選択」

 

「本人」

 

「発射」

 

「本人」

 

「撤退判断」

 

「本人です」

 

 黒曜が最後まで読む。

 

「上位判断へ介入する項目は」

 

「ありません」

 

「追加された場合は」

 

「再同意」

 

 理香子は即答した。

 

 黒曜が頷く。

 

 アクトは椅子の背にもたれる。

 

「めっちゃ確認するやん」

 

「します」

 

「信用してへん?」

 

「技術を?」

 

「EVO」

 

「契約は信用します」

 

「ほう」

 

「契約に書いてある範囲だけ」

 

「厳しいな」

 

「企業相手なら普通です」

 

 理香子が別の通知を開いた。

 

 表情が止まる。

 

「何や」

 

「外部照会」

 

 空気が変わった。

 

「MCT?」

 

「直接ではありません」

 

「間に挟んどる?」

 

「複数です」

 

 画面に、匿名化された照会経路が並ぶ。

 

 理香子が追う。

 

 一つ。

 

 二つ。

 

 三つ。

 

 最後の先。

 

「……同じ系列」

 

 黒曜が立つ。

 

「何を見ていますか」

 

「EVO施設の出入りではありません」

 

「なら」

 

「装備運用記録」

 

 アクトの目が細くなる。

 

「誰の」

 

「公開側へ漏れる範囲だけです。詳細は取られていません」

 

「何探しとる」

 

 理香子の指が止まった。

 

 検索語。

 

《多肢制御》 《外部肢》 《適応》 《反応補助》 《推奨行動》

 

 最後の一つだけ。

 

 系統が違う。

 

「これ」

 

 理香子が拡大する。

 

《推奨行動》

 

「ヘカトンケイルと関係ある?」

 

 アクトが聞く。

 

「EVO側には、この語はありません」

 

「ほなMCT」

 

「断定できません」

 

「でも?」

 

「前に見た強化サービスの記述と似ています」

 

 黒曜が画面を見る。

 

「誰のですか」

 

 理香子は答える。

 

「ダンボさん」

 

 アクトの椅子が鳴った。

 

「完成した?」

 

「まだ分かりません」

 

 理香子は検索を続ける。

 

 新しい記録。

 

 短い映像。

 

 倉庫。

 

 大柄な男。

 

 以前より厚い肩。

 

 腕。

 

 背中に接続された補助機構。

 

 その横に表示。

 

《行動補正:有効》 《推奨行動:受諾》 《次工程:最終適合確認》

 

 ダンボが動く。

 

 速い。

 

 大きな身体が、迷わない。

 

 一歩。

 

 二歩。

 

 標的へ。

 

 止まる位置まで。

 

 綺麗すぎる。

 

 アクトの笑みが消えた。

 

「……あいつ」

 

「はい」

 

「前、こんな動きちゃうかった」

 

「ログ上も一致しません」

 

「強なった?」

 

「はい」

 

 理香子が映像を止める。

 

「ただし」

 

「何」

 

「選択時間が減っています」

 

 別のログ。

 

《推奨提示》 《受諾》 《実行》

 

 間隔。

 

 〇・八秒。

 

 〇・四秒。

 

 〇・一秒。

 

 最新。

 

《推奨提示》 《自動受諾設定:有効》

 

 黒曜の顔が固くなる。

 

「本人が設定したのですか」

 

「記録上は」

 

「本人同意?」

 

「あります」

 

 画面。

 

《本人同意:YES》

 

 アクトはしばらく見ていた。

 

 それから、自分の右手を開く。

 

 閉じる。

 

 白い五本の指。

 

「……嫌やな」

 

「何がですか」

 

 黒曜が聞く。

 

 アクトは画面のダンボを見る。

 

「自分の手ぇ動かすのに、機械の許可待つんか」

 

 理香子が言う。

 

「正確には、聞く工程も省略されています」

 

「もっと嫌や」

 

 アクトは自分の手を見る。

 

 昨日。

 

 手は増えた。

 

 でも。

 

 どの手を動かすかは、自分で決めた。

 

 画面の向こう。

 

 ダンボは一歩踏み出す。

 

 その一歩が。

 

 誰のものなのか。

 

 映像だけでは分からなかった。

 

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