アクトと黒曜 ――銃声と魔法、軽口と理屈。関係に名前をつけないまま、共に走る 作:矢塚 和哉
最初に気づいたのは、理香子だった。
「止まってください」
アクトの足が止まる。
右足が路面へ着く、その直前。
白い足裏が濡れた舗装から二センチ浮いたまま静止した。
「何や」
「前方の交通制御が変です」
夜の高架下。
雨は細い。
仕事帰りの三人は、駅へ向かって歩いていただけだった。
黒曜が杖をわずかに持ち上げる。
「事故ですか」
「違います」
理香子の視線が端末の上を走る。
「信号が三つ、同じタイミングで保守モードへ入りました。監視カメラも二系統停止」
「工事」
「予定なし」
「停電」
「電力は生きています」
アクトは浮かせていた右足を戻した。
一歩、後ろへ。
「うちら?」
「可能性、高いです」
「帰り道まで仕事すんなや」
「相手に言ってください」
黒曜が振り返る。
「後ろは」
「今、閉じました」
理香子が言った。
背後。
交差点の信号が赤へ変わる。
左右も赤。
車列が止まった。
高架下だけが、妙に空く。
「露骨やな」
「アクト」
「分かっとる」
右手が白い小銃へ伸びる。
その時。
高架の向こうから、大きな影が歩いてきた。
*
「久しぶりだな」
ダンボだった。
以前より大きく見えた。
身長が伸びたわけではない。
肩。
背中。
腰。
身体の外側に、機械が増えている。
黒い外装。
太い接続基部。
背中から左右へ伸びる二本の支持フレーム。
その先に。
腕。
人間の腕ではない。
関節が多い。
長い。
先端の一つは盾。
もう一つは銃器らしい塊を抱えている。
アクトの目が細くなる。
「……それ」
「見覚えがあるか」
「あるような、ないような」
理香子が息を呑む。
「構成が似ています」
「ヘカトンケイル?」
「似せています」
ダンボの口元が上がった。
「同じだ」
「ちゃうやろ」
アクトは即答した。
「見ただけで分かるのですか」
黒曜。
「知らん」
「では即答しないでください」
「でもちゃう」
ダンボが一歩進む。
外部腕が遅れない。
背中の動きに合わせて、盾が正面へ回る。
銃器腕が右上へ。
アクトは小銃を抜いた。
「理香子」
「走査中」
「黒いの」
「います」
「知っとる」
「なら呼ばないでください」
ダンボが笑う。
「相変わらずだな」
「そっちも喋れるんやな。安心したわ」
「心配していたのか」
「別に」
アクトの小銃が上がる。
ダンボの盾が、その射線へ入った。
速い。
アクトは撃たない。
「……ほう」
銃口を左へ。
盾も左へ。
右へ。
盾も右へ。
「追うなあ」
「お前の動きは知っている」
「ストーカー?」
「戦闘記録だ」
「もっと嫌や」
理香子の声。
「アクト。外部腕、本人操作だけではありません」
「やっぱり?」
「姿勢補正が先行しています。視線と肩の動きから射線を予測している」
「推奨行動?」
「近いですが――」
ダンボが動いた。
速かった。
*
最初の一歩で、距離が消えた。
「右!」
黒曜。
アクトは左へ出た。
「逆やん!」
「あなたの右ではありません!」
「先言え!」
ダンボの拳が通過する。
風圧。
金髪が跳ねる。
アクトは小銃を脇へ畳み、左腕で拳の外側へ触れた。
重い。
受けない。
流す。
肩を沈める。
足を入れる。
以前なら。
そこに重心があった。
ない。
「うわ」
外部腕が路面へ突いた。
ダンボの巨体が、倒れる寸前で止まる。
アクトが離れる。
「ずる」
「補助脚ではありません」
理香子。
「腕やろ、見たら分かる」
「なら言わないでください」
ダンボが振り向く。
その前に銃器腕が回った。
本人の顔より早い。
「伏せて!」
黒曜の障壁。
銃声。
硬い衝撃が透明な壁を叩く。
アクトはその下を走る。
二発。
三発。
小銃弾が盾へ当たる。
抜けない。
「硬っ」
「正面装甲、あなたの通常小銃を基準にしている可能性があります」
「なんであたし基準やねん」
「戦闘記録」
「知っとるわ!」
ダンボの右腕。
外部盾。
銃器腕。
三つが別々に動く。
だが。
本人は迷わない。
迷わないというより。
迷う時間がない。
アクトの視界に、一瞬だけ昨日のログが重なる。
《推奨提示》 《自動受諾設定:有効》
ダンボが踏み込む。
アクトは横へ。
その先へ、盾が来ていた。
「っ」
白い肩が盾の縁に当たる。
身体が飛ぶ。
アクトは空中で捻った。
右手。
左手。
足。
着地。
膝が沈む。
「アクト!」
「平気!」
言いながら笑った。
痛い。
だが。
「おもろなっとるやん」
「笑わないでください!」
「いや、これ――」
ダンボが来る。
「前より強いで」
「当然だ」
拳。
アクトは避ける。
盾。
潜る。
銃口。
白い腕で跳ね上げる。
その瞬間。
ダンボ本人の左手が、アクトの首を掴みに来た。
速い。
アクトは手首を取る。
返す。
返らない。
外部腕が背後の柱を掴んでいる。
巨体の軸が四点に増えている。
「なるほどな!」
アクトは手を離した。
蹴る。
ダンボではない。
柱を掴んだ外部腕の肘。
機械音。
外部腕が反射的に畳まれる。
その一瞬だけ。
ダンボの身体が揺れた。
アクトが入る。
腰。
肩。
重心。
投げる。
――直前。
ダンボの足が半歩引いた。
アクトが舌打ちする。
「今のも?」
「補正です!」
理香子が叫ぶ。
「投げ入力を検出、重心を自動退避!」
「便利すぎやろ!」
「お前が遅い」
ダンボの肘。
アクトの頬を掠める。
赤い眼鏡が飛んだ。
「……あ」
路面を滑る。
止まる。
アクトの顔から笑みが消えた。
「それ高いんやぞ」
「そこですか!」
*
黒曜の魔力が走った。
ダンボの足元。
空気が沈む。
巨体が一瞬だけ止まる。
「離れて!」
「了解!」
アクトが跳ぶ。
重力の圧。
舗装が鳴る。
ダンボの膝が沈んだ。
だが。
背中の外部腕が二本とも路面へ突く。
四点。
六点。
身体を支える。
黒曜の目が細くなる。
「魔法まで」
「対策しとるなあ」
「感心しないでください」
「いや、敵が仕事しとると嬉しない?」
「しません」
理香子が通信へ割り込む。
「二人とも、長引かせないでください」
「なんで」
「周辺回線に追加接続。別働が来ます」
「何人」
「不明。少なくとも車両二」
「MCT?」
「識別なし」
「ほな帰るか」
アクトは即答した。
ダンボの顔が歪む。
「逃げるのか」
「帰るんや」
「俺に勝てないからか」
「今日は勝ちに来てへん」
「同じだ」
「ちゃうわ」
アクトは落ちた眼鏡を拾う。
レンズ。
片方に傷。
「最悪や」
かける。
ダンボは動かない。
いや。
動けない。
黒曜の術式がまだ足元を押さえている。
外部腕が支えている。
その状態で。
背中の銃器腕だけが、ゆっくりアクトを追った。
理香子の声が低くなる。
「アクト」
「見えとる」
「射線予測、継続中」
「うん」
「あなたが撤退方向へ動く前から追っています」
「……うん」
アクトは一歩、右へ。
銃器腕が先に右へ。
左。
先に左。
止まる。
銃口も止まる。
ダンボ本人の目は。
アクトを見ていない。
黒曜の術式を見ている。
なのに銃はアクトを追う。
「これ、お前が動かしとるん?」
ダンボが笑った。
「俺の装備だ」
「質問ちゃう」
「同じだ」
アクトは答えなかった。
理香子が叫ぶ。
「車両、四十秒!」
「黒いの」
「あと十五秒なら拘束できます」
「十分」
アクトは小銃を下げた。
ダンボの眉が動く。
「撃たないのか」
「抜けへんし」
「諦めたか」
「いや」
アクトは背中を見る。
外部腕。
盾。
銃。
本人より先に動く補正。
自分の通常小銃を前提にした装甲。
投げを読んで逃げる重心。
魔法へ耐える支持。
昨日までのダンボではない。
「分かっただけ」
「何がだ」
アクトは答えない。
「十二秒」
黒曜。
「撤退経路、後方左。信号制御を戻します」
理香子。
「了解」
三人が走る。
ダンボの声が追った。
「アクト!」
振り返らない。
「次は逃がさない!」
アクトは片手だけ上げた。
「ほな次な!」
*
三ブロック離れた地下駐車場。
理香子がシャッターを閉じた。
「追跡なし」
「ほんま?」
「今のところ」
「車両は」
「高架下へ到着。こちらへは来ていません」
「回収班?」
「可能性があります」
アクトは壁へ背を預けた。
頬を触る。
薄く血。
「眼鏡……」
「身体より先に眼鏡を確認しないでください」
黒曜が近づく。
「肩」
「平気」
「見せてください」
「平気やって」
「見せてください」
「はい」
白い肩装甲。
盾の縁が当たった場所に細い擦過痕。
黒曜の指がその周囲を確認する。
「駆動」
アクトが肩を回す。
「正常」
「痛み」
「二」
「十段階?」
「百」
「十段階で」
「二」
「最初からそう言ってください」
理香子は端末を見ていた。
「映像、取れています」
「全部?」
「ほぼ」
「見せて」
壁へ投影。
ダンボ。
外部腕。
盾。
銃器腕。
動作が分解される。
アクト本人の動き。
ダンボ本人の動き。
外部装備の動き。
色分け。
「ここ」
理香子が止める。
アクトが小銃を右へ振る。
ダンボの視線は黒曜。
盾だけがアクトへ追従。
「自動」
「低位制御です」
「うちらと同じ?」
「違います」
「どこが」
「範囲です」
次。
アクトが投げへ入る。
ダンボ本人が反応するより先に、足が引かれる。
「これは姿勢制御の範囲を越えています」
「行動補正」
「はい」
次。
撤退前。
アクトが動く前に、銃器腕が進行方向を塞ぐ。
「予測」
「はい」
理香子が別窓を出す。
昨日拾ったログ。
《推奨行動》 《自動受諾設定:有効》
並べる。
「偽物というより」
理香子が言う。
「思想が逆です」
「思想?」
「EVO側は、入力を分けて本人へ渡します。本人が選びます」
「うん」
「ダンボさん側は、入力から推奨を作り、本人が選ぶ工程を減らしています」
「便利にしすぎた」
「そうです」
黒曜が画面を見る。
「でも、強い」
「はい」
理香子は即答した。
「少なくとも、今日の構成ではアクトより対応速度が上です」
「言い切るなあ」
「事実です」
「通常小銃も通らん」
「正面は」
「投げも逃げよる」
「補正が生きている間は」
「黒いのの魔法も支えよった」
「完全には止められませんでした」
黒曜が認める。
三人とも黙る。
画面の中。
ダンボは迷わない。
盾が守る。
銃が追う。
足が逃げる。
全部が速い。
「……勝てる?」
理香子が聞いた。
アクトは画面を見たまま答える。
「今のままやと、しんどいな」
「珍しいですね」
「何が」
「即答で『勝てる』と言わない」
「勝てるとは思うで」
「どちらですか」
「勝つだけなら、やりようある。でも」
アクトは映像を戻す。
ダンボの外部腕。
盾。
銃。
本人。
「次、あれだけとは限らんやろ」
「はい」
「向こうも増やす」
「可能性は高いです」
「なら」
アクトは自分の後ろを見る。
何もない。
当然だ。
今は。
目も。
耳も。
腕も増えていない。
「こっちも要るな」
黒曜がアクトを見る。
「ヘカトンケイルを?」
「うん」
「昨日、契約したばかりです」
「せやから使えるようにするんやろ」
「まだ実戦接続準備です」
「準備、急げる?」
理香子が考える。
「安全手順を省かない条件なら」
「省くな」
「言われなくても」
「EVOに連絡」
「今?」
「今」
黒曜が口を挟む。
「待ってください」
アクトが見る。
「何」
「今日の戦闘を理由に、焦って決めていませんか」
アクトは少し黙った。
「焦っとる」
「なら」
「でも、昨日決めたことは変わってへん」
「何を」
「使うかはあたしが決める。やめるんもあたしが決める」
黒曜は黙る。
「今日は、使わんかった」
「使えなかった、でしょう」
「せやな」
「次は?」
アクトは画面のダンボを見る。
「使う」
短かった。
理香子が端末を操作する。
《EVO技術部門:緊急試験日程照会》
送信。
三秒。
返信。
《最短:翌日 06:00》 《条件:前回試験後の神経評価正常》
《追加安全管理者立会い》 《本人撤回権維持》
「朝六時」
「早っ」
「やめますか」
「行く」
「即答ですね」
「朝飯出る?」
「知りません」
「聞いといて」
「そこですか」
「大事や」
黒曜がため息をつく。
少しだけ。
いつもの音だった。
*
同じ頃。
高架下。
ダンボは動かなかった。
技師が外部腕の接続部を確認する。
「損傷、軽微」
盾。
擦過。
銃器腕。
正常。
支持腕。
一基、関節負荷上昇。
端末へ結果が並ぶ。
《実地適応:良好》 《対象戦闘データ:取得》 《予測補正:有効》
《本人介入:許容範囲》
最後。
《次工程》
ダンボが見る。
《外部肢増設》 《火力系統追加》 《行動補正範囲拡大》
《本人選択頻度:低減推奨》
確認欄。
《詳細》 《承認》
ダンボの指が動く。
詳細は開かない。
《承認》
画面が変わる。
《本人同意:YES》
技師が聞く。
「次工程へ進みます」
「ああ」
「現在より、システム側の先行入力が増えます」
「強くなるんだろ」
「はい」
「ならいい」
技師はそれ以上言わなかった。
処置車両の扉が閉じる。
ダンボは右手を握る。
開く。
背中の外部腕も。
ほとんど同時に。
握る動作を真似た。
ダンボは振り返らなかった。