アクトと黒曜 ――銃声と魔法、軽口と理屈。関係に名前をつけないまま、共に走る 作:矢塚 和哉
技術者が消えた扉は、開かなかった。
EVOの現場班が旧精密機器組立棟へ到着してから十九分。外部電源を落とし、非常系を切り離し、手動開放器を接続しても、地下保守区画へ続く大型扉だけが沈黙している。
その代わり、地上の出口は全部開いていた。
警備員二人。 技術者三人。
施設が外へ出した五人は、全員無傷だった。
「ほんまに選んだんやな」
アクトは開いた防火扉の前でしゃがみ、床を見た。
赤い眼鏡の奥で視線だけを動かす。
搬送台の車輪痕。 靴底の擦れ。 壁際に落ちた工具。
警備員が一度だけ発砲した弾痕。
血はない。
「警備員は?」
「別区画へ誘導されました」
理香子が答える。
端末上には施設内部の動作履歴が再構成されていた。
「二人とも武装。うち一人は発砲しています。でも施設側は反撃していません」
「撃てる設備は?」
「ありました」
「動いた?」
「はい」
理香子が映像を出す。
旧式の警備砲塔が天井から降りる。
銃口は警備員を追う。
照準する。
撃たない。
代わりに横の搬送床が動き、警備員を通路の反対側へ押し流す。閉まった扉の向こうで、もう一人と合流させる。
「隔離しただけです」
黒曜が言った。
「せやな」
アクトは立ち上がる。
「殺したないんやなくて、殺す必要がなかった感じや」
理香子は返事をしなかった。
同じことを考えていた。
施設は六人を同じ「人間」として扱っていない。
五人は邪魔だから退かした。
一人は必要だから運んだ。
問題は、何に必要なのかだった。
◆
地下へ直接入る許可は出なかった。
EVOの設備管理班が図面と現物の不一致を確認したからだ。
「現行図面にない区画へ、現行図面にない搬送設備が動いている。人を入れる段階ではありません」
昨日ならアクトが一言二言噛みついたかもしれない。
今日は頷いた。
「そらそうやな」
設備管理担当が少し意外そうな顔をする。
「何や」
「いえ」
「無茶する人みたいに思われとる?」
「契約記録上、その評価には回答できません」
「してるやん」
黒曜が小さく息を吐いた。
「アクト。邪魔をしない」
「してへんやろ」
「今からするところでした」
「まだしてへん」
理香子は二人を置いて、現場端末へ接続した。
地下扉そのものは応答しない。
だが周囲の設備は生きている。
搬送アーム。 監視カメラ。 空調。 旧式の保守端末。
一つずつ状態を拾う。
その途中で、表示が割り込んだ。
《管理者不一致》
昨日から残っている文字列。
「また出た」
アクトが後ろから覗く。
「はい」
「連れてった人が違うんやろ?」
「そのはずです」
理香子が照合履歴を開く。
技術資格。 保守権限。 生体識別。
そこまでは一致。
管理者だけが不一致。
「何の管理者や?」
「不明です」
「施設?」
「それならEVO側の管理IDを照合するはずです」
「ちゃうん?」
「形式が違います」
理香子は拡大する。
管理者照合欄には、社員番号も権限階層もない。
代わりに並んでいるのは、運動記録、判断履歴、接続履歴、生体識別。
「人間を管理者として探しています」
黒曜が言った。
「そう見えます」
「ほな、あの人は何で持ってかれたん?」
アクトの問いに、端末が答えた。
《構成要素:保守》 《資格照合:適合》 《搬送完了》
三人とも黙った。
アクトが最初に口を開く。
「構成要素?」
「……はい」
理香子は表示を保存した。
「人を、設備と同じ分類に入れています」
黒曜の眉がわずかに寄る。
「保守をする人、ではなく」
「保守という機能です」
理香子が言った。
人間一人の名前は出ていない。
年齢も所属もない。
あるのは、何ができるかだけだった。
アクトが大型扉を見る。
「部品扱いか」
その時、理香子の端末が震えた。
新しい一行。
《管理者不一致》
次。
《残り二名を登録してください》
「……は?」
アクト。
黒曜が理香子を見る。
「二名?」
「私にも分かりません」
理香子は即座に送信元を切り分ける。
外部回線ではない。
目の前の施設でもない。
昨日から応答を続けている旧施設群。その複数から、同じ文面がほぼ同時に返っている。
《残り二名を登録してください》
「三人一組?」
アクトが言った。
理香子の指が止まった。
「何?」
「いや。管理者一人と、残り二人かな思て」
「根拠はありません」
「せやな」
「でも」
理香子は文字列を見た。
「可能性はあります」
胸の奥で、昔の数字が動いた。
三人。
自分。 ナギ。 ロク。
理香子はそれをまだ口にしなかった。
◆
午後、EVOの解析室で施設側から回収したデータが開かれた。
正確には、開かされた。
情報保全担当が隔離環境へ複製した瞬間、データ側が自分で分類表示を始めたからだ。
「実行コードではない?」
「違います」
理香子が答える。
「記録の表示規則だけです。隔離環境の外には出ていません」
「信用できますか」
「信用していません。確認しています」
アクトが横で笑った。
「似たようなもんちゃう?」
「全然違います」
画面中央に、人型が立っていた。
顔はない。
髪もない。
輪郭だけの人体モデル。
だがアクトは一目見て、自分だと分かった。
「ちっさ」
「そこですか」
「いや、あたしやろこれ」
「はい」
理香子が表示項目を読む。
身長。 四肢長。 関節可動域。 反応速度。 歩幅。
そこまでは身体計測の範囲だった。
次からがおかしい。
《脚部固定:射撃時》 《重心移動:被弾方向別》 《右肩入力時:左脚補正》
《防壁接触時:荷重委譲》 《防壁角度:推定》
黒曜の表情が変わった。
「防壁?」
「あなたのです」
理香子が言う。
「アクトさんが黒曜さんの防壁を使う時の身体挙動まで入っています」
「使う?」
アクトが首を傾げる。
「預ける、の方が正確です」
理香子がモデルを動かす。
人型が前へ踏み込む。
仮想的な衝撃。
普通なら後ろへ逃がすはずの重心が、斜め後方へわずかに傾く。
そこに半透明の面が現れた。
黒曜の防壁を模したもの。
人型は、その面があることを前提に姿勢を作り直す。
「……これ」
黒曜が低く言った。
「私が防ぐ角度まで?」
「推定されています」
「当たってる?」
アクトが訊く。
黒曜はすぐには答えなかった。
「概ね」
「へえ」
「感心しないでください」
「いや、よう見とるな思て」
「それが問題です」
理香子の声が硬くなる。
別の記録を重ねる。
アクトが射撃する。 反動を脚へ逃がす。 被弾する。 装甲で受ける。
黒曜の防壁が出る。 そこへ身体を預ける。
単独の戦闘記録ではない。
三人で動いた時の癖までモデル化されている。
「封印記録は開いていないはずです」
EVOの情報保全担当が言った。
「開いていません」
「では、なぜここまで?」
「観測です」
理香子は即答した。
「過去の施設ログ、監視映像、戦闘時の環境センサー。断片を集めれば作れます」
「精度は?」
「検証します」
理香子がアクトへ向く。
「立ってください」
「今?」
「今です」
「はいはい」
アクトが解析室の空いた場所へ立つ。
「右から衝撃」
「どれくらい?」
「中程度」
「雑やな」
「実際には当てません」
「そらそうや」
「黒曜さん。防壁を出す想定で、アクトさんの左後方」
「想定だけで?」
「はい」
アクトが半歩踏み出す。
理香子が合図する。
右肩がわずかに引ける。 腰が回る。 左脚が床を噛む。
そして、まだ存在しない防壁へ背中を預けるように重心が傾いた。
理香子の画面で、モデルが同じ動きをした。
誤差。
小さい。
アクトの笑みが消えた。
「……気色悪」
「はい」
黒曜はもっと露骨だった。
「消してください」
「原本は施設側です」
「なら壊す対象が増えました」
「待ってください」
「待っています」
待っている顔ではない。
理香子は次のデータへ移った。
もう一体、人型がある。
アクトより明らかに大きい。
肩幅が広い。 四肢が太い。 背部から補助肢らしき構造が伸びている。
細部は欠けている。
輪郭だけ。
アクトが画面を見上げた。
「……でかいな」
「比較対象があります」
理香子がMCT由来の運動制御署名を重ねる。
一致。
完全ではない。
だが昨日より明確だった。
「ダンボさんのモデルです」
「本人おるん?」
「分かりません。これは記録から作られた模型です」
「ふうん」
アクトはしばらく見た。
「本人より素直そうやな」
「輪郭しかありませんから」
「本人も輪郭だけなら静かかもしれんな」
軽口を置いてから、アクトはもう一度その模型を見た。
人間そのものではない。ただの記録だ。
それでも、あの男が自分で選んで動かしていた身体の記録が、アクトの模型と同じ場所に、用途だけを付けられて並べられている。
「……趣味悪いな」
今度の声には笑いがなかった。
黒曜がアクトを見る。
「あなたもです」
「なんであたしまで」
理香子は二人の会話を聞きながら、二つの模型の分類欄を開いた。
アクト。
《運動参照:登録候補》 《協調履歴:解析中》
大きな模型。
《運動参照:登録候補》 《上位制御履歴:適合》
そして、空欄が一つ。
《管理者:未登録》
理香子の背中が冷えた。
人を探している。
技術者を部品として運び。 戦闘する身体を模型にし。
管理者を探している。
施設は、人間を設備の外側に置いていない。
全部、同じ表の中にある。
◆
EVO側との解析を終え、三人だけになっても、理香子はしばらく端末を閉じなかった。
画面には、アクトの模型の横に《協調履歴:解析中》が残っている。
三人で動く癖まで、向こうは記録している。
理香子はその表示を消した。 消してから、もう一度開いた。
三人。
その数を、昔も知っていた。
「話があります」
理香子がそう言った。
アクトは壁にもたれている。
黒曜は立ったまま。
「珍しいな」
「何がです?」
「自分から昔話するん」
「まだしていません」
「今からするんやろ?」
「……はい」
理香子は端末を閉じた。
表示があると、そちらへ逃げる気がした。
「水無瀬凪」
名前を口にする。
久しぶりだった。
「みなせ、なぎ?」
アクトが繰り返す。
「はい。ナギと呼んでいました」
「昨日の三秒の人?」
「はい」
黒曜が訊く。
「生きているのですか」
「分かりません」
理香子はそこで一度止まった。
「死亡確認はしていません。失踪です」
「いつ?」
「昔です」
「どれくらい昔?」
「今は必要ありません」
アクトはそれ以上訊かなかった。
黒曜も。
理香子は続ける。
「私とナギと、もう一人。三人で動いていた時期があります」
「もう一人?」
「ロク」
それだけ言う。
喉の奥が少し乾いた。
「事故がありました。私は接続を切りました。ロクは戻りませんでした。ナギも、その後、戻りませんでした」
アクトの目が細くなる。
「死んだとは限らん?」
「はい」
「施設におると思う?」
「分かりません」
「でも三秒はナギの癖」
「はい」
「《まだ切れていない》も?」
「私の端末に出ました」
黒曜が僅かに眉を動かす。
「EVOには?」
「報告していません」
「理由は昨日聞きました」
「はい」
理香子は二人を見る。
「今は、二人には共有します」
アクトが頷く。
「ええんちゃう」
「それだけですか」
「何言うたらええん」
「普通は、なぜ黙っていた、とか」
「昨日聞いたやろ」
「怒るとか」
「何に?」
理香子は答えられなかった。
アクトが肩をすくめる。
「あんたが今言うた。ほな今から材料や」
黒曜は少しだけ厳しい声で言った。
「ただし、次に個人的な通信が来た場合は共有してください」
「内容に関係なく?」
「危険性を判断するためです。あなたの過去を聞きたいからではありません」
「……分かりました」
「約束してください」
「はい」
アクトが黒曜を見る。
「お堅いなあ」
「あなたが緩すぎるのです」
「バランスええやん」
理香子は端末を開き直した。
「確認したいことがあります」
「何?」
「ナギ本人かどうか」
◆
確認語は、くだらないものだった。
だから残っている。
昔、回線を切り替える時。
ナギは三つ数えた。
理香子が急かすと、決まって同じことを言った。
――順番を飛ばすと、後でどこを飛ばしたか分からなくなる。
ロクは横から、
――腹減ってる時だけは全部飛ばすくせに。
と言った。
ナギは、
――食事は処理ではない。
と返した。
何度も。
何度も同じやり取りをした。
理香子は旧施設群へ最小限の問い合わせを送る。
《食事は処理ですか》
「それ?」
アクトが言う。
「はい」
「合言葉として弱ない?」
「合言葉ではありません」
「せやろな」
送信。
百を超える経路へ分岐する。
一つ目。
三秒。
応答。
二つ目。
三秒。
応答。
三つ目。
三秒。
応答。
同じ。
何も変わらない。
理香子は画面を見る。
「違う?」
黒曜。
「分かりません」
四つ目。
三秒。
五つ目。
三秒。
六つ目。
理香子の指が机の端を押さえる。
七つ目。
問い合わせが届く。
待機。
――しない。
即座に応答が返った。
《食事は処理ではありません》
アクトが息を止めた。
黒曜は何も言わない。
理香子だけが、その一秒にも満たない差を見ていた。
次の経路。
三秒。
応答。
その次も。
三秒。
応答。
消えたのは一度だけ。
一度だけ、ナギは数えなかった。
「本人?」
アクトが訊く。
理香子はすぐに答えなかった。
返信文だけなら、昔のログから拾える。
癖も模倣できる。
施設はすでに人間の動きを模型にしている。
だから証明にはならない。
それでも。
理香子は知っていた。
昔、ナギが三つ数えなかった時がある。
こちらを見ている時だ。
端末から顔を上げて、理香子の返事を待つ時。
処理の途中ではなく。
相手を確認する時。
「理香子?」
黒曜が呼ぶ。
理香子は画面から目を離さない。
「……見られました」
「何?」
「今」
喉が鳴った。
「向こうから、私を見ました」
アクトは何も言わなかった。
理香子の端末に、新しい文字列は出ない。
ただ三秒の待機だけが戻っている。
◆
その夜、EVOから追加資料が届いた。
正式な共有資料ではない。
設備管理担当が、旧施設の建設履歴を掘っている途中で見つけた保守記録の束だった。
添えられていた文面は短い。
《正式照会に上げれば情報保全で止まる可能性がある。こちらだけで抱えるつもりもない。先に見てくれ》
親切ではない。
自分の部署だけで責任を被らないための、企業人らしいリスク分散だった。
「何年前?」
アクトが訊く。
「古いです」
「見たら分かる」
「なら訊かないでください」
理香子がページを送る。
施設名。 閉鎖日。 資産凍結。 電力契約終了。 ネットワーク廃止。
どれも、とっくに死んだ施設だった。
なのに、その後にも保守記録がある。
一年後。
三年後。
五年後。
設備交換。 電源系更新。 冷却材補充。 制御ノード延命。
「誰がやっとるん?」
「記録上は」
理香子が一つの部署名を拡大した。
EVO旧開発班。
現行組織図には存在しない。
廃止年月は、最初の施設閉鎖より前だった。
黒曜が言う。
「存在しない部署が、存在しない施設を保守していた?」
「記録上は」
「何のために?」
理香子は答えない。
最後の保守項目を開く。
《統合設備:生命維持優先》 《接続中断:非推奨》 《管理者登録:未完了》
《設備延命:継続》
アクトが画面を覗く。
「生命維持?」
「はい」
「誰の?」
理香子の指が止まった。
資料には書かれていない。
だが、もう候補は一人しか思い浮かばなかった。
水無瀬凪。
死んだ施設が、何年も何年も延命されている。
設備のためではない。
その中に、切れていない何かがいる。
理香子は保守記録の作成時刻を見た。
どの記録も、承認処理の直前に三秒の空白があった。