アクトと黒曜 ――銃声と魔法、軽口と理屈。関係に名前をつけないまま、共に走る 作:矢塚 和哉
ロクは、理香子の端末から電源ケーブルを抜いた。
「は?」
画面が落ちた。
接続が切れた。
理香子は数秒、暗くなった端末を見ていた。
それから顔を上げる。
「何してるんですか」
「飯」
「作業中です」
「知ってる」
「戻してください」
「飯食ったらな」
隣ではナギがまだ接続を続けていた。
細い指が空中を滑り、視線はここではない場所を追っている。理香子より深い。呼んでも返事が遅い時の顔だった。
ロクはそちらも見た。
「ナギ」
返事はない。
「三つ数える前に切るぞ」
ぴくり、とナギの眉が動いた。
「……待って」
「一」
「今、経路を――」
「二」
「ロク」
「三」
ロクがもう一本のケーブルへ手を伸ばす。
ナギが慌てて接続を閉じた。
「横暴」
「生きてる奴は飯食うんだよ」
「処理が途中です」
「飯は処理じゃねえんだろ?」
ナギが黙る。
理香子はまだ不満だった。
「あと十二分で終わりました」
「お前の十二分は四十分になる」
「なりません」
「昨日なった」
「昨日とは条件が違います」
「一昨日もなった」
「……条件が違います」
「はいはい」
ロクは二人分の端末を抱えた。
「返してください」
「飯屋まで持ってく」
「信用できません」
「俺もお前らの『あと少し』は信用してねえよ」
安い店だった。
合成麺。 薄いスープ。 肉と書いてある何か。
ロクは自分の皿から具を二つ取って、理香子とナギの器へ一つずつ落とした。
「要りません」
「食え」
「自分で食べてください」
「前衛は頑丈なんだよ」
「栄養学的根拠がありません」
「うるせえ」
ナギが具を箸でつまむ。
「これ、肉?」
「メニューにはそう書いてある」
「質問への回答になってない」
「第六世界でメニュー以上の真実を求めるな」
ナギが少し笑った。
理香子も食べた。
ロクは強くなかった。
有名でもなかった。
銃は普通。 腕も普通。 コネも普通。
ただ、退路を先に見た。
取り分をごまかさなかった。
二人が潜りすぎれば端末を抜いた。
飯を食わせた。
仕事が終われば帰らせた。
理香子は、その役割に名前を付けていなかった。
必要もなかった。
そこにいたからだ。
◆
十一年後。
理香子は、EVOの古い名簿の中に水無瀬凪の名前を見つけた。
《水無瀬 凪》 《適性区分:テクノマンサー》 《研究協力:本人同意》
《施設統合試験:参加》 《状態:失踪》
死亡ではない。
失踪。
その二文字を、理香子は三度読んだ。
「死んだことにはなってへんな」
横からアクトが言った。
「はい」
「知っとった?」
「死亡確認がないことは」
「失踪扱いなんは?」
「知りませんでした」
黒曜が理香子の反対側から表示を見る。
「本人同意、とあります」
「はい」
理香子は統合試験の記録を開いた。
古い。
形式も違う。
承認画面の設計思想そのものが今とは違う。
《研究目的》 《分散設備との感覚統合》 《複数制御対象の同時操作》
《接続解除:任意》 《被験者本人による中断権:保証》
署名。
水無瀬凪。
電子署名だけではない。
当時の生体認証も付いている。
「最初から無理やり入れられたわけではない」
黒曜が言った。
「そうです」
理香子は答えた。
「本人が入った」
「はい」
アクトが腕を組む。
「で、出られんようになった?」
「そこから先が欠けています」
記録は途中で途切れている。
最初の統合試験。
二回目。
三回目。
接続対象が増える。
監視カメラ。 搬送設備。 保守ドローン。 扉。 空調。
ナギの感覚へ、施設が一つずつ追加されていく。
最初は実験だった。
次は運用試験。
その次から、名称が変わる。
《統合設備維持》
被験者という語が消える。
ナギの名前も消える。
代わりに設備番号が付く。
「……ここです」
理香子が言った。
「何が?」
「人の名前が消えた」
アクトが画面を見る。
黒曜も黙る。
ナギが設備になった瞬間が記録されているわけではない。
ただ、書類の上から人間の名前が消えた。
それだけだった。
「最後の本人確認は?」
黒曜が訊く。
「ありません」
「中断権は?」
「記載が消えています」
「取り消した記録は?」
「ありません」
アクトが赤い眼鏡を押し上げる。
「本人が始めたんと、いつまでも続けてええんは別やろ」
理香子は答えなかった。
その通りだった。
始めることに同意した。
その事実はある。
だが、終われなくなることまで同意した記録はない。
◆
「契約窓口だけでは処理できません」
黒宮が言った。
会議室の壁面に、旧開発班の資料が固定されている。
黒宮はいつも通りだった。
声も。 姿勢も。 表情も。
ただ、机上に置かれた資料が昨日より三倍に増えている。
「施設は理香子さんへ直接接触し、技術者一名を移送し、アクトさんの封印記録とMCT由来の強化身体制御記録を要求しています。さらに、水無瀬凪さんが生存している可能性が出ました」
「越えたら、あんたは外れるん?」
アクトが訊く。
「外れません。契約上の保護範囲を確認します」
「仕事増えたな」
「増えています」
「ご愁傷さん」
「他人事ではありません」
「知っとる」
黒宮が三枚の所属表示を出した。
《内部監査 榊原冴子》
《情報保全 御厨慧》
《医療・研究倫理 牧瀬冬子》
最初に入ってきたのは榊原だった。
年齢は五十代半ばほど。
紙を持っている。
端末ではない。
紙。
アクトがそれを見た。
「珍し」
「改竄履歴の比較用です」
榊原は椅子へ座る。
「電子記録と同時に手元へ残します。消された場合、消されたこと自体を記録するためです」
「嫌な仕事やな」
「監査はだいたいそうです」
次に御厨。
本人は別室。
壁面に顔だけが出る。
『情報保全室、御厨慧です』
「遠隔?」
『隔離系から接続しています。今回のデータを通常社内網へ持ち込みたくありません』
「正しい」
理香子が言った。
『評価ありがとうございます』
「していません」
『そうですか』
最後に牧瀬。
白衣ではない。
濃い色のスーツ。
手には薄い紙の確認表。
座る前に、理香子を見る。
次にアクト。
黒曜。
そして壁面のナギの記録。
「生存者が存在する前提で進めます」
榊原が顔を上げた。
「十一年間です」
「経過年数は死亡確認ではありません」
『対象が人格を維持している保証はありません』
御厨。
「人格の有無は、生体保護を外す条件になりません」
『生体が存在する保証もありません』
「だから確認します」
牧瀬は確認表を一枚めくった。
空欄。
心拍。 呼吸。 栄養供給。 筋量。 褥瘡管理。 薬剤投与。
神経活動。
どこにも数値がない。
「医療区画の電力消費は継続しています。消耗品の搬入記録もある。ただし、誰に使われたかは確認できません」
「十一年、生きとる可能性は?」
アクトが訊いた。
「設備が機能していればあります」
「切ったら死ぬ?」
「切断方法によります」
「線抜くだけちゃうん」
牧瀬はアクトの脚を見る。
「あなたの脚部接続を、電源線だけ抜いて外しますか」
アクトも自分の右脚を見る。
白い増加装甲。
その内側にある接続。
「外れへんな」
「外れないように接続されたものを、外す作業です」
「ナギも、施設にそうなっとる?」
「可能性があります」
「本人側は?」
「確認できていません」
牧瀬は紙へ一行書いた。
《一括遮断:保留》
『反対します』
御厨が即座に言った。
「理由を」
『施設制御はすでに人員を拉致しています。被害が拡大した場合、遮断を遅らせた判断そのものがリスクになります』
「被害防止は必要です。生命維持系統まで同じ処理へ含めないでください」
『生命維持系統が独立している保証がありません』
「独立していないなら、なおさら先に調べます」
『調べている間にも制御範囲は拡大します』
「二人とも、根拠ないとこで喧嘩すんなや」
アクトが言った。
「喧嘩ではありません」
『優先順位の確認です』
「息ぴったりやん」
榊原は二人の発言時刻を紙へ書いた。
一行も消さない。
黒曜が訊く。
「誰が決めるのですか」
室内が静かになった。
「遮断の?」
「はい。情報保全は拡大阻止。医療倫理は生存確認。監査は責任記録。黒宮さんは契約保護。優先順位が衝突した場合、最終的に誰が決めますか」
黒宮が答えた。
「現時点では決まっていません」
「決めてから動いてください」
黒曜の声は静かだった。
「現場で四つの命令を聞くつもりはありません」
「同意します」
榊原が言った。
『異論ありません』
御厨。
牧瀬も頷く。
「決まるまで、生命維持へ影響する処置はしません」
「それでええ」
アクトが言う。
「撃つ時に誰の許可取るかで揉めるん、いっちゃん嫌いや」
「あなたは許可を取ってください」
黒曜が言った。
「取っとるやろ」
「事後報告を許可とは呼びません」
「最近は取っとる」
「最近は、ですね」
榊原のペンが止まった。
「その会話も記録対象ですか?」
「やめて」
◆
問題はもう一つあった。
アクトの封印記録。
御厨が画面を切り替える。
『施設側の照合要求が継続しています。封印記録そのものへの侵入は成立していません』
「昨日も聞いた」
アクト。
『本日は解除承認の要否を決めます』
「誰が?」
『本人です』
「ほな終わりやん」
『照合だけなら、全記録を外へ出す必要はありません』
「御厨さん」
黒宮の声が少し硬くなった。
『説明します。記録を隔離環境内で開き、施設側の要求項目と一致するかだけを確認する。原データは提供しません』
「開くんやろ?」
『はい』
「封印って何のため?」
『本人同意なしに利用しないためです』
「ほな、開けたら利用ちゃうん?」
『照合と利用は分けられます』
「便利やなあ、言葉」
御厨は黙らなかった。
『だから本人へ説明しています』
アクトの笑みが少し消えた。
『こちらで勝手に開けることはしません。必要性はあります。しかし、必要だから許可されるとは考えていません』
アクトは壁面を見る。
自分の記録番号。
第二クールで残した戦闘ログ。
足の固定。 射撃。 被弾。 反射。
黒曜の防壁を信じて踏み込んだ角度。
昨日見せられた模型には、すでにかなりの部分が再現されていた。
「開けたら、何が分かる?」
『施設側が観測だけで再構成したのか、どこかから記録が流出したのかを切り分けられます』
「開けんかったら?」
『切り分け不能です』
「困る?」
『困ります』
「正直やな」
『隠す意味がありません』
アクトは赤い眼鏡を押し上げた。
「今は開けん」
『了解しました』
早かった。
説得もない。
再確認もない。
「ええん?」
『本人同意なしでは開けない記録です』
「必要なんやろ?」
『必要性と権限は別です』
アクトは少しだけ御厨を見る目を変えた。
「……ふうん」
榊原が紙へ書く。
《本人拒否。解除せず》
牧瀬は何も言わず、自分の確認表の該当欄へ印を付けた。
黒宮だけがアクトへ確認する。
「意思は変わりませんか」
「今はな」
「承知しました」
それで終わった。
アクトは、自分の番号が画面に残っているのを見た。
消してくれとは言わなかった。
◆
休憩になった。
理香子は自販機の前で止まっていた。
何を買うか決められないわけではない。
何も見ていなかった。
「理香子」
黒曜の声。
「はい」
「食べてください」
「空腹ではありません」
「昨日も似た返答をしていました」
「摂取しています」
「何を?」
「栄養バー」
「いつ?」
「……」
「理香子」
「朝」
「何時?」
「六時十二分」
「今は?」
「十四時三十八分」
アクトが横から口を出す。
「ロクに線抜かれるで」
理香子の肩が固まった。
アクトは言ってから気づいた。
「あ」
黒曜がアクトを見る。
「今のは」
「悪い」
理香子は首を振った。
「いいです」
「いや」
「本当に」
理香子は自販機へ指を伸ばした。
安い麺のパックを選ぶ。
「昔も、こうでした」
アクトは黙る。
黒曜も。
理香子がパックを受け取る。
「私とナギが潜り続けて、ロクが切る」
「物理で?」
「物理で」
「強いな」
「強くありません」
理香子は即答した。
「銃も普通。前衛としても普通。よく怪我をしていました」
「ほな何が強かったん」
「……帰る判断が早かった」
理香子は蓋を開ける。
「危なくなったら逃げる。報酬が割に合わなければ断る。私たちが潜りすぎれば抜く。食べていなければ食べさせる」
湯気が上がる。
「取り分も、ごまかさなかった」
「ええ奴やん」
「普通です」
「その普通、ストリートでは高級品やで」
理香子は一口食べた。
味は昔より少しましだった。
「事故の時も」
言葉が止まる。
アクトは待つ。
黒曜も待つ。
「ロクが最後尾でした」
理香子は麺を見たまま言う。
「それだけは覚えています」
「ナギとあんたを先に?」
「はい」
「で、戻らんかった」
「はい」
「ナギは?」
「その後、失踪しました」
アクトは壁へ背を預けた。
「二人とも戻らんかったんやな」
理香子の箸が止まった。
ロクだけではない。
ナギも。
自分だけが戻った。
「……はい」
黒曜が言う。
「だから、ナギが生きているなら確認したい?」
理香子はすぐには答えなかった。
「確認は必要です」
「それは仕事の答えです」
「はい」
「今はそれで構いません」
黒曜はそれ以上聞かなかった。
理香子はもう一口食べた。
アクトが自販機を見る。
「それうまい?」
「普通です」
「一口」
「自分で買ってください」
「ケチ」
「取り分をごまかさないでください」
アクトが一瞬止まる。
それから笑った。
「はいはい」
理香子も、ほんの少しだけ口元を緩めた。
◆
午後の会議で、榊原が一枚の承認書を出した。
「旧開発班の設備延命承認です」
十一年前。
施設統合試験の終了後。
通常なら停止されるはずだった設備へ、電力と保守予算を継続投入する承認。
理由欄。
《統合対象の安全な切断方法が未確立》 《生命維持上、継続稼働を推奨》
牧瀬が読む。
「この時点で、生存者を認識しています」
『少なくとも、停止すれば生命へ影響する対象がいた』
御厨。
「対象名は?」
黒曜。
「黒塗りです」
榊原が答える。
「解除できますか」
『原本側の権限が失効しています。復元を試します』
「承認者は?」
アクトが訊いた。
榊原の手が止まった。
紙の右下。
署名欄。
若い頃の彼女の名前がある。
《榊原冴子》
アクトは何も言わなかった。
黒曜も。
理香子だけが榊原を見る。
「覚えていますか」
「いいえ」
榊原は即答した。
「承認件数が多かった?」
「それもあります」
「他には?」
「私は当時、監査補助でした」
榊原は自分の署名を指でなぞらない。
紙の端を押さえるだけ。
「上位承認済み案件の形式確認。予算区分、設備番号、責任部署。条件が揃っていれば署名する」
「中身は?」
「医療案件だとは認識していませんでした」
牧瀬が榊原を見る。
「生命維持、と書いてあります」
「今の資料には」
「当時は?」
「別紙だった可能性があります」
『あるいは後から追記された』
御厨。
榊原が頷く。
「だから調べます」
「自分の責任も?」
アクトが訊く。
「当然です」
即答だった。
「知らなかった、で終わらせない?」
「知らなかったことが免責になるなら、監査は要りません」
アクトは少しだけ笑った。
「お堅いなあ」
「褒め言葉として受け取ります」
「黒曜と気ぃ合いそう」
「アクト」
「はい」
榊原は紙を裏返した。
「この承認がなければ、設備は十一年前に停止されていた可能性があります」
理香子の指がわずかに動く。
「停止していたら」
「水無瀬凪さんがそこにいた場合、死亡していた可能性があります」
牧瀬。
「逆に、この承認があったから十一年接続が続いた可能性もあります」
御厨。
『どちらも現時点では推測です』
「分かっています」
榊原が言う。
「だから、責任を先に決めません」
理香子は承認書を見る。
正しかったのか。
間違っていたのか。
延命だったのか。
拘束だったのか。
まだ分からない。
十一年前の一枚の署名が、今になってどちらにも見える。
◆
百以上の端末が同時に起きたのは、その日の夕方だった。
御厨の声が先に飛ぶ。
『全員、操作を止めてください』
「何?」
アクトが立つ。
『旧施設群から一斉照合』
理香子の端末にも通知。
一つ。
二つ。
十。
二十。
百。
前回のように三秒ずつ順番ではない。
全部が起きている。
「呼ばれています」
理香子が言った。
「誰が?」
「私」
画面。
《管理者候補照合》
その下。
理香子の古い識別名。
今は使っていない。
ナギとロクと三人で動いていた頃のもの。
百を超える端末が同じ名前を表示する。
理香子の喉が乾く。
「ナギ?」
返事はない。
三秒。
表示が変わる。
《構成要素照合》
次に出たのは名前ではない。
番号。
アクトの封印済み実戦記録番号。
「またあたしか」
アクトが言った。
「開けへんで」
御厨が答えるより早く、理香子が言う。
「開けません」
アクトが横を見る。
「うん」
百以上の端末が同じ番号を要求する。
しかし保管庫は応答しない。
本人同意がない。
要求は拒否される。
三秒。
次。
《構成要素照合》
別のID。
MCT由来。
強化身体制御。
第2話から追っている番号。
ダンボの運動制御記録へ繋がる識別子。
「三つ」
黒曜が言った。
理香子。
アクト。
そして、あの大きな身体。
《登録候補:3》
画面に表示される。
理香子の背中が冷えた。
「残り二名」
アクトが呟く。
第3話で出た文面。
《残り二名を登録してください》
管理者候補が理香子なら。
残り二名は。
「アクトさんと、このMCT由来ID」
理香子が言う。
「黒曜は?」
アクトが訊く。
「今の照合列にはありません」
黒曜は表情を変えない。
「理由は後です」
その通りだった。
今は画面が動いている。
御厨が隔離回線を増やす。
『MCT側IDへ外部照会をかけます』
「勝手に?」
アクト。
『生体照合だけです。制御記録は要求しません』
「本人同意は?」
『こちらから本人情報を開示しません。IDが現行登録かどうかだけ確認します』
榊原が時刻を記録する。
「照会理由も残してください」
『残します』
牧瀬が訊く。
「生体情報まで返りますか」
『通常は返りません』
「通常は?」
『MCT側の登録区分次第です』
待つ。
三秒ではない。
五秒。
八秒。
十二秒。
アクトが腕を組む。
「長いな」
「他社ですから」
黒宮。
「三秒に慣れすぎたわ」
「慣れないでください」
二十秒。
応答。
御厨が黙った。
「何?」
理香子が訊く。
『登録あり』
「それだけ?」
『いいえ』
御厨の声が一段低くなる。
『生体同期フラグがあります』
牧瀬が立つ。
「現在?」
『現在』
「いつ更新?」
『四十七秒前』
理香子はIDを見る。
ダンボ。
名前はまだ表示されていない。
だが、もう記録だけではない。
どこかに身体がある。
今も。
生きている。
アクトが壁面へ近づいた。
軽口はなかった。
「本人?」
『少なくとも、このIDへ紐づく生体信号は現在も更新されています』
「場所は?」
『MCT管理領域。こちらからは取得不能』
「生きとるんやな」
『その可能性は極めて高い』
アクトはしばらく番号を見た。
第3話で並べられた大きな輪郭。
本人より素直そうだ、と笑った模型。
用途だけを付けられて、自分の模型と同じ場所へ並べられていた身体。
あれは過去の残骸ではなかった。
現在へ続いている。
理香子の画面で、百を超える施設が同じIDを照合し続けている。
三秒。
《生体:確認》
三秒。
《接続候補:有効》
三秒。
《登録待機》
アクトが赤い眼鏡を押し上げた。
「……あいつまで、何に登録する気や」
誰も答えなかった。
百本を超える経路だけが、同じ身体を呼び続けていた。