アクトと黒曜 ――銃声と魔法、軽口と理屈。関係に名前をつけないまま、共に走る 作:矢塚 和哉
最初に動いたのは、扉だった。
開いたのではない。
左右から半分ずつせり出した防火扉が、通路を狭める位置で止まった。
次に天井灯が落ちる。奥から三列。手前から二列。残った照明だけが、床へ細長い白線を引いた。
その白線の先で、搬送アームがゆっくりと持ち上がる。
理香子は端末から目を離さなかった。
「停止命令は出していません」
「見たら分かるわ」
アクトは白線の外へ半歩ずれた。
右手は小銃のグリップ。銃口はまだ下げたまま。
旧物流施設の中央搬送区画。
前回までと同じEVOの古い施設だった。違うのは、今日は設備の電源を落とさず、こちらから観測するために最低限の系統だけを生かしていることだ。
最低限。
そのはずだった。
「空調、変わりました」
黒曜が言った。
風が止まっていた。
いや、止まったのではない。
背後から流れていた空気が左右へ分かれ、三人のいる中央だけが無風になっている。
アクトが鼻を鳴らした。
「扉で足場決めて、灯りで目ぇ誘導して、風まで切ったか」
「偶然ではありません」
「せやろな」
天井の監視カメラが一斉に角度を変えた。
レンズが三人を見る。
その下で、二本目の搬送アームが上がった。
一本目とは逆側。
人間なら、両腕を少し開いたような位置だった。
理香子の画面へ数字が出る。
《姿勢同期:開始》
「……姿勢?」
黒曜の声が低くなる。
理香子が指を走らせた。
「設備単位の制御ではありません。搬送系、照明系、空調系、警備系を一つの動作列として束ねています」
「一個ずつ動かしとるんやない?」
「はい」
床下で低い振動が走った。
搬送ローラーが、三メートルだけ回る。
アクトの左足がわずかに引かれた。
同時に、正面の搬送アームが肩の高さまで下がる。
右上の照明が消える。
左の防火扉が二十センチ閉じる。
天井カメラが追う。
別々の機械だった。
別々のメーカーで、別々の年代に増設され、別々の制御盤へ繋がっている。
なのに今は、一つのものが重心を移したように見えた。
アクトの口から笑いが消えた。
「……身体やな」
理香子が顔を上げる。
「はい」
その返事だけが、妙に早かった。
「施設全体で、一つの身体を作っています」
搬送アームが動いた。
速くはない。
旧式の産業機械だ。人間を殴るために作られてはいない。
それでも先端の金属爪が横薙ぎに走れば、まともに受ける理由はない。
アクトが一歩踏み込む。
「右、開けて」
「開けます」
理香子が答えるより先に、右の防火扉が開いた。
アクトの足が止まった。
「……おい」
「私ではありません」
その瞬間、黒曜が杖を上げた。
見えない壁へ搬送アームがぶつかる。
鈍い金属音。
アームの先端が十数センチ押し戻された。
同時に床のローラーが逆転する。
アクトが身体を沈める。
左足を滑らせ、右足を残す。
肩を黒曜の側へ寄せる。
いつもの動きだった。
その先にあるはずの安全な角度へ。
だが、黒曜が張った防壁より先に、天井クレーンのフックがそこへ落ちた。
「アクト!」
「見えとる!」
アクトは肩から倒れ込むように軸を外した。
フックが床を叩く。
火花が散った。
白い脚部装甲が床を削り、アクトは二メートル滑って止まる。
理香子の画面に新しい表示が開いた。
《予測動作:一致》
《対象A:87.2%》
《対象R:91.6%》
《対象K:74.9%》
「一致率が出ています」
「何とや」
「私たちです」
理香子の声が少し硬い。
黒曜がアクトの前へ防壁を重ねる。
すると、施設側の砲塔が旋回を始めた。
撃たない。
銃口だけが、黒曜の防壁の端へ向く。
アクトが目を細めた。
「黒曜の数字、低いな」
「喜んでよい話ではありません」
「そらそうやけど」
理香子は表示を拡大した。
「黒曜さんだけ、施設側から直接取得できる運動制御記録がありません。魔術そのものも設備側の制御対象にはできない。ただし――」
砲塔が数度、銃口をずらす。
黒曜が防壁の位置を変えた直後だった。
「行動履歴から、どこへ防壁を置くかは学習しています」
「私を使えなくても、私たちが私をどう使うかは知っている」
「そういうことです」
アクトが立ち上がった。
「なるほどな。黒曜だけ仲間外れやのうて、部品にできへんから外から読んどるんか」
「その言い方は気に入りませんが、概ね」
「ほな、ちょっと安心したわ」
「なぜですか」
「全部取られたわけやない」
黒曜は一瞬だけ黙った。
「……だからといって、試さないでください」
「何を?」
「読めない動きをしよう、と考えたでしょう」
「まだ何も言うてへんやん」
「顔に出ています」
「理香子ほどやないで」
「私を巻き込まないでください」
理香子は即答した。
その間にも、施設は止まっていない。
砲塔。
搬送アーム。
床。
扉。
照明。
空調。
一つ一つなら、古い。
遅い。
壊すのも難しくない。
だが、どれか一つを避ける動作が、次の設備にとっての照準になっている。
床に動かされればアームが待つ。
アームを避ければ扉が狭める。
扉を抜ければ照明が落ちる。
暗所へ入ればカメラが赤外へ切り替わる。
機械が強いのではない。
施設が、三人の次の姿勢を知っている。
アクトが舌打ちした。
「これ、撃ってええん?」
「必要最小限なら許可されています」
「その言い方、嫌いやわあ」
「壊した分だけ原因が分からなくなります」
「もっと嫌な理由やった」
正面の搬送アームがもう一度上がる。
アクトは動かなかった。
代わりに小銃だけを持ち上げる。
銃口をアームへ向ける。
施設側の砲塔が即座に旋回した。
アクトの射線を潰す角度。
「……ほんまに知っとるな」
「アクト」
「撃たへんよ」
銃口を下げる。
砲塔も止まった。
三秒。
それから、ゆっくり元の角度へ戻る。
理香子が小さく息を吸った。
「三秒」
「またか」
「はい」
画面の隅でログが流れていた。
動作要求。
予測。
比較。
補正。
再予測。
その中に、理香子が見たことのある形式が混ざっている。
人間の身体を設備と同じ列へ並べるための項目。
第四話で見た、MCT由来の強化身体制御ID。
理香子が表示を止めた。
《実働肢候補》
《生体同期:継続》
《運動制御モデル:取得済》
《接続待機》
「出ました」
「何がや」
理香子は画面を二人へ共有した。
アクトの眉が寄る。
「実働肢」
「第四話で確認したMCTの強化身体制御IDです」
「生きとるでかい奴」
「はい」
黒曜が表示を見る。
「施設へは、まだ接続されていない?」
「少なくとも現在のログでは待機です。ただし運動モデルは登録済みです」
「本人の許可は」
黒曜が言いかけて、止めた。
アクトが横目で見る。
「言わんでも分かるやろ」
「……そうですね」
アクトは《実働肢候補》の文字をしばらく見た。
「……あいつ、強なりたい言うてたけどな」
理香子は答えなかった。
アクトが少し眉を寄せる。
「これは、聞いとるんかな」
理香子の指が一瞬止まった。
それからまた動く。
「この施設が欲しがっている三つは、同じものではありません」
画面を三分割する。
一つ目。
理香子の旧識別情報。
二つ目。
アクトの封印済み実戦記録番号。
三つ目。
MCTの強化身体制御ID。
「私には管理系の履歴があります。アクトには実戦時の身体運用記録がある。MCTの対象には、外部から身体制御へ介入された履歴があります」
アクトが画面を見る。
「三人集めたいんやなくて」
「三種類の機能を集めている可能性があります」
黒曜が続ける。
「だから私は登録候補ではない」
「現時点では、その解釈が最も自然です。黒曜さんの魔術は施設から直接制御できない。ですが私たちの連携履歴に含まれるため、行動予測には利用されている」
「感じ悪いなあ」
「同感です」
黒曜が珍しく即答した。
アクトが少し笑う。
笑った直後だった。
後方で小さな破裂音がした。
三人が振り向く。
EVOの調査ドローンだった。
施設側のものではない。
彼らが持ち込んだ小型機が、壁際の補助制御箱へ工具アームを伸ばしている。
「何しとる」
アクトが言った。
理香子の端末へ通知が入る。
《局所制御系・診断分離シーケンス開始》
「待ってください」
理香子が通信を開く。
「誰が許可しました」
『許可ではない。保全ドローンの診断ルーチンだ』
御厨の声だった。
『主系統にも生命維持指定系統にも触れない。補助盤単体を一時分離して応答差を――』
「止めてください」
理香子が遮った。
『停止を送った』
ドローンの工具アームが止まりかける。
だが、一手遅かった。
カッターはすでに配線束へ入っていた。
一本。
二本。
三本。
最後の太いケーブルが切れた。
施設全体が硬直した。
音が消えた。
搬送アームが途中で止まる。
砲塔も。
床も。
空調も。
照明さえ、一瞬だけ明滅した。
それは停止ではなかった。
アクトには、そう見えた。
肩を殴られた人間が、息を止める。
そんな止まり方だった。
「……理香子」
「見ています」
ログが跳ね上がる。
切断されたのは補助制御箱一基だけだ。
施設全体の能力から見れば、指一本にも満たない。
なのに各系統から、同時に補正要求が上がった。
電力。
搬送。
監視。
空調。
警備。
全部が同じ瞬間に、失われた一系統を迂回しようとしている。
まるで一つの身体が、傷ついた場所を庇うように。
搬送アームが震えた。
ほんの数ミリ。
次に照明が二度明滅する。
天井クレーンが軋んだ。
防火扉が閉じかけ、止まり、また開く。
施設全体が姿勢を崩した。
黒曜が杖を握り直す。
「攻撃ですか」
「ちゃう」
アクトが言った。
「これ、痛がっとる」
理香子は答えなかった。
画面を見ていた。
大量のエラーの奥。
通常の設備ログではない場所に、一行だけ異なる形式の応答が出ている。
《損傷部位:左上肢末端》
理香子の呼吸が止まる。
補助制御箱の位置は、施設構造図では西側搬送系の末端。
左。
上側。
末端。
設備番号ではない。
身体の呼び方だった。
「……ナギ」
黒曜が理香子を見る。
「何が出ました」
理香子は共有した。
アクトの顔から、残っていた軽さが消える。
「左上肢末端」
「はい」
「箱一個やろ」
「はい」
「それを腕やと思っとる?」
「分かりません」
理香子は即座に否定しなかった。
「ただ、施設側は損傷を設備番号ではなく身体部位へ変換しています」
別のログが出る。
《疼痛入力:継続》
《代替経路:形成》
《姿勢補正:実行》
切断された制御箱の周囲で、隣接設備が一斉に動いた。
搬送アームが位置を変える。
照明が切断箇所から外れる。
防火扉が閉じ、ドローンを隔離する。
施設が傷口を庇った。
「ドローンを下げてください」
理香子がEVOへ言う。
『理由を』
「設備損傷が中核側へ感覚入力として返っています」
『感覚?』
「今は壊さないでください」
『しかし局所切断で全体挙動が――』
「だからです」
理香子の声が鋭くなった。
「切るたびに、向こうへ何が起きるか分からない」
短い沈黙。
『……物理分離試験を停止する』
ドローンが後退する。
その直後、閉じていた防火扉がゆっくり開いた。
三秒。
施設の振動が少しずつ収まる。
搬送アームが下がる。
砲塔が収納位置へ戻る。
空調が再開した。
冷たい風が三人の間を抜けた。
アクトは小銃を下ろしたまま、切断された補助盤を見ていた。
「身体や言うても、例え話や思てたわ」
「私もです」
理香子が答える。
「少なくとも、ナギ側では比喩ではない可能性があります」
黒曜が静かに問う。
「では、施設を止めれば?」
誰もすぐには答えなかった。
電源を落とす。
回線を切る。
搬送系を止める。
砲塔を潰す。
これまでなら、ただの設備停止だった。
今は違う。
どこまでが機械で。
どこからがナギなのか。
その境界がない。
理香子の画面に、通信要求が一件だけ上がった。
送信元は存在しない。
正確には、百を超える旧施設の経路が同時に送信元になっている。
理香子の指が止まる。
「来ました」
「三秒待つ?」
「……まだ分かりません」
一秒。
二秒。
三秒。
文字が表示された。
《切断するな》
理香子は動かなかった。
アクトが画面を覗き込む。
「命令か?」
「分かりません」
「頼んどる?」
「分かりません」
黒曜が言う。
「怖がっている可能性は」
理香子の喉がわずかに動いた。
「……分かりません」
また三秒。
追加の文字は来なかった。
施設は静かだった。
百本を超える経路も、搬送アームも、砲塔も、扉も。
ただ、切断された補助盤の周囲だけが、他の設備に庇われるように空いている。
アクトはそこを見た。
それから理香子を見る。
「次、どうする」
理香子はしばらく答えなかった。
端末の中では、《切断するな》の五文字が消えずに残っている。
「話します」
「誰と?」
理香子は画面を閉じなかった。
「ナギとです」
施設の奥で、搬送アームが一度だけ小さく震えた。