アクトと黒曜 ――銃声と魔法、軽口と理屈。関係に名前をつけないまま、共に走る   作:矢塚 和哉

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誤差

 四センチ。

 

 黒曜が床へ置いた目印は、指二本ぶんより少し広い程度だった。

 

 たったそれだけの距離が、人を一人、生かしていた。

 

「もう一度、出してください」

 

 EVOの解析室。壁面いっぱいに投影された術式記録を前に、黒曜が言った。

 

 理香子は返事をせず、右手だけを動かした。

 

 昨夜から何度目になるか分からない再生が始まる。

 

 旧施設の監視映像。

 映像そのものには、ほとんど何も映っていない。薄暗い搬送区画。倒れたコンテナ。逃げ遅れた作業員。警備ドローン。そして、画面の端に立つ一人の術者。

 

 魔法はカメラには映らない。

 

 だからEVOが残したセンサー記録と、黒曜が現地で拾った残留魔力の形を重ねる。

 

 半透明の線が床を走った。

 

 防壁。

 

 本来なら、指定座標を中心に閉じるはずだった円弧が、わずかに外へずれている。

 

 四センチ。

 

 その内側に、倒れた作業員の肩が収まる。

 

「次」

 

 黒曜が言う。

 

 理香子が送る。

 

 二件目。

 

 別の施設。

 別の日付。

 別の命令座標。

 

 防壁は、またずれていた。

 

 三・八センチ。

 

 方向は同じ。

 

「次」

 

 三件目。

 

 四・二センチ。

 

 今度は警備員の頭部が、ぎりぎり防壁の内側へ残っている。

 

 アクトは壁際で腕を組んでいた。

 

 赤い眼鏡の奥で、青い目だけが投影を追っている。

 

「偶然やったら、ずいぶん律儀な偶然やな」

 

「偶然ではありません」

 

 黒曜は即答した。

 

 理香子が画面の端へ数値を並べる。

 

《偏差平均:4.03cm》

《方向一致率:96.8%》

《指定座標との差異:許容範囲内》

 

「許容範囲内」

 

 小鴉が読み上げた。

 

 解析卓の反対側に立ったまま、表情を変えない。

 

「命令違反にはならない」

 

「はい」

 

 理香子の声は平坦だった。

 

 左手は膝の上に置かれている。

 

 昨夜まで勝手に曲がった指は、今は動いていない。

 

 それでも、ときどき理香子は五本の指を順番に見ていた。

 

「座標指定には誤差が認められています。設備側の測位誤差、術者側の投射誤差、対象の移動。四センチは、どの記録でも異常判定の閾値より内側です」

 

「だから毎回四センチ外せる」

 

 アクトが言った。

 

「怒られへん範囲で」

 

「正確には、異常として処理されない範囲で、です」

 

「似たようなもんやろ」

 

「違います」

 

「元気戻ってきたな」

 

 理香子がアクトを見る。

 

「最初から元気です」

 

「昨日、栄養バー口まで持っていけへんかったやん」

 

「記録しないでください」

 

「見たもんはしゃあない」

 

「アクト」

 

 黒曜の声が飛ぶ。

 

「はいはい」

 

 アクトは肩をすくめた。

 

 ただ、その視線は理香子の左手から完全には離れなかった。

 

 黒曜は再び記録へ向き直る。

 

「防壁だけではありません」

 

「ええ」

 

 理香子が別のログを開いた。

 

 今度は術式出力。

 

 致死性の攻撃呪文。

 命令上の要求出力。

 実測値。

 

《要求強度:6》

《推定実行強度:5.72》

 

 次。

 

《要求強度:5》

《推定実行強度:4.81》

 

 さらに次。

 

《要求強度:6》

《推定実行強度:5.69》

 

「弱い」

 

 小鴉が言った。

 

「はい。ただし失敗と判定されるほどではありません」

 

「毎回?」

 

「確認できる範囲では」

 

 黒曜が目を細めた。

 

「限界まで落としている」

 

「そう見えます」

 

「見える、ではありません」

 

 黒曜の指が、空中の数値をなぞる。

 

「この術者は、自分が命令を実行したと判定される最低限を探しています」

 

 室内が静かになった。

 

 アクトが腕組みを解いた。

 

「サボっとる?」

 

「抵抗しています」

 

 黒曜は言った。

 

「非常に小さく」

 

「四センチぶん」

 

「ええ」

 

 小鴉が別の窓を開いた。

 

 MCT側から持ち込まれた術式運用記録だった。

 

「精霊への命令文も同じだ」

 

 表示された命令は短い。

 

《侵入者の進行を妨害せよ》

《対象を区域内に留めよ》

《必要な手段を用いて排除せよ》

 

「最後の一文だけなら殺害まで含められる」

 

 小鴉が言う。

 

「だが、実際に術者が精霊へ渡している補助命令には、《可能な限り》《進行阻害を優先》《区域外への追跡不要》が混じっている」

 

「解釈の余地を作っています」

 

 黒曜が答えた。

 

「精霊が命令を狭く解釈できるように」

 

「術者本人が命令違反にならない範囲で?」

 

「そうです」

 

 アクトが鼻から息を吐いた。

 

「器用なことするなあ」

 

「器用で済ませないでください」

 

「褒めとるんやけど」

 

「なお悪いです」

 

 黒曜はそう言ったが、声は少しだけ柔らかかった。

 

 理香子は黙っていた。

 

 画面の中に並ぶ誤差を見ている。

 

 四センチ。

 出力の数パーセント。

 曖昧な副詞ひとつ。

 

 どれも大した量ではない。

 

 どれも命令を拒絶してはいない。

 

 それでも積み重なると、同じ形になる。

 

 人を一人だけ残す。

 

「……変です」

 

 理香子が言った。

 

「何が?」

 

 アクトが聞く。

 

「これだけ反復しているなら、施設側が学習していないはずがありません」

 

 理香子は防壁の記録を拡大した。

 

「一回なら誤差です。二回でも誤差です。三回、四回、十回。方向まで一致している。統合制御がこれを認識できないとは考えにくいです」

 

 小鴉が理香子を見る。

 

「同感だ」

 

「でも修正されていない」

 

 黒曜が言った。

 

「はい」

 

 理香子の右手が止まった。

 

「それどころか――」

 

 別のログを引き出す。

 

 術者の行動評価記録。

 

 命令適合率。

 術式成功率。

 座標精度。

 目標達成率。

 

 どれも正常範囲。

 

「評価側に出ていません」

 

「四センチが?」

 

「四センチだけではありません。出力低下も、精霊命令の曖昧化もです」

 

 アクトが眉を寄せる。

 

「見落とし?」

 

「違います」

 

 理香子は即答した。

 

 その声が少し強かった。

 

「見落とすなら、もっと雑になります。これは――」

 

 言葉が切れる。

 

 左手の小指が一度だけ曲がった。

 

 理香子はそれを見た。

 

 自分の指。

 

 自分の意思ではない動き。

 

 ほんの一瞬。

 

 昨日、ナギの身体だと思わされたものの残り。

 

 搬送路を腕と感じた。

 受電盤を背骨と感じた。

 切断される配線を、自分の肉が裂けるように感じた。

 

 そして、その向こうでナギは言った。

 

 切るな。

 

 理香子は左手を右手で押さえた。

 

「……隠されています」

 

「誰に?」

 

 小鴉の問いは短い。

 

 理香子は答えなかった。

 

 答えたくなかった。

 

 画面へ別系統の記録を重ねる。

 

 統合制御の生ログ。

 術者の行動評価へ送られる前の入力。

 途中に、薄い補正層がある。

 

 通常ならノイズ除去に使う程度のもの。

 

 測位揺らぎ。

 術式出力の微細変動。

 生体反応の遅延。

 

 そこへ、四センチが入る。

 

 丸められる。

 

 出力差が入る。

 

 丸められる。

 

 曖昧な命令文は、意味差を持たない同義表現として処理される。

 

 全部、正常になる。

 

「ナギ」

 

 理香子が言った。

 

 誰も返事をしない。

 

 回線は繋いでいない。

 

 それでも、その名前だけで室内の空気が変わった。

 

「ナギが隠しています」

 

 黒曜は驚かなかった。

 

 小鴉も驚かなかった。

 

 アクトだけが、少し首を傾げた。

 

「本人が?」

 

「統合制御の評価前処理に、同じ癖があります。三秒待機の経路選択と一致します」

 

「つまり」

 

 アクトは画面を指した。

 

「命令しとる側が、命令から外れとる奴を庇っとる?」

 

「……はい」

 

「なんで?」

 

 理香子は口を閉じた。

 

 それが一番分からない。

 

 ナギは施設を身体と言った。

 

 砲塔を目。

 搬送路を腕。

 電力幹線を骨。

 

 切断を痛がった。

 

 人間を構成要素として扱い始めている。

 

 アクトとダンボを実働肢候補にした。

 

 理香子へ登録を要求した。

 

 それなのに。

 

 命令から四センチだけ外れ続ける一人を、正常として扱っている。

 

「ナギに聞けばいい」

 

 小鴉が言った。

 

 理香子の肩がわずかに固まった。

 

「今は接続しません」

 

「理由は?」

 

「必要性がありません」

 

「ある」

 

 小鴉は淡々としている。

 

「敵性システムが洗脳下の術者を意図的に保護している可能性がある。理由を確認できれば、制御構造の穴になる」

 

「接続すれば答える保証はありません」

 

「保証の話はしていない」

 

「なら――」

 

「やめとき」

 

 アクトが割った。

 

 小鴉がアクトを見る。

 

「理香子が今は繋がん言うとる。ほな別口から詰めたらええ」

 

「効率は落ちる」

 

「落とせばええやん」

 

「お前は簡単に言うな」

 

「簡単やからな」

 

 アクトは壁から背を離した。

 

「繋ぐんは理香子や。あたしでもあんたでもない」

 

 小鴉は数秒、アクトを見た。

 

 それから理香子へ視線を戻す。

 

「別口で詰める。MCT側の術式運用記録を追加で出す」

 

「ありがとうございます」

 

「礼はいらない。必要だから出す」

 

「はい」

 

 それで終わった。

 

 黒曜がアクトを見る。

 

「珍しく口を挟みましたね」

 

「珍しくは余計や」

 

「普段なら本人に言わせるでしょう」

 

「言うてたやん。今は接続せんて」

 

 アクトは自分の右手を開いた。

 

 白い装甲に覆われた五本の指。

 

 一本ずつ曲げる。

 

 開く。

 

 手首を返す。

 

 肘を曲げる。

 

 命令どおり、ではない。

 

 誰の許可も待たない。

 

 動かしたいから動く。

 

 止めたいから止まる。

 

 それだけだった。

 

「これくらい単純やったらええのにな」

 

「何がですか」

 

「手ぇ」

 

 黒曜がアクトの右腕を見る。

 

「あなたの場合は単純すぎます」

 

「便利やで」

 

「知っています」

 

 理香子は二人を見て、それから自分の左手を見た。

 

 五本。

 

 今度は動かなかった。

 

     *

 

 追加記録が届いたのは一時間後だった。

 

 MCTのデータは親切ではない。

 

 必要な範囲だけが切り出され、識別情報の大半は黒塗り。時刻すら相対値へ置き換えられている。

 

 それでも小鴉は、その不親切な資料から必要なものを拾った。

 

「ここだ」

 

 画面へ一つの術式記録を出す。

 

 黒曜が身を乗り出した。

 

「雑ですね」

 

「やっぱりそう見えるか」

 

「ええ」

 

 術式の一部だけ、妙に粗い。

 

 術式そのものが下手なのではない。

 

 むしろ逆だった。

 

 周囲が整いすぎている。

 

 精密に組まれた術式の中へ、一箇所だけ、わざと手を抜いたような継ぎ目がある。

 

「ここから崩せます」

 

 黒曜が言った。

 

「術者本人が?」

 

「おそらく」

 

「命令された術式を作って、その中に自分で壊せる場所を残している?」

 

「あるいは、他人が壊しやすい場所を」

 

 小鴉が頷いた。

 

「MCTの評価では?」

 

「品質低下。許容範囲内」

 

 アクトが笑った。

 

「また許容範囲内か」

 

「笑うところではありません」

 

「いや、好きやで、こういうん」

 

「何がですか」

 

「怒られへんギリギリで言うこと聞かん奴」

 

 黒曜は返事をしなかった。

 

 代わりに、画面の粗い継ぎ目を見つめた。

 

「この人は、まだ自分で決めています」

 

 静かな声だった。

 

「全部ではありません。命令も受けている。従わされてもいる。でも、ここだけは残している」

 

 四センチ。

 

 数パーセント。

 

 曖昧な一語。

 

 粗い継ぎ目。

 

「それをナギが消していない」

 

 理香子が言った。

 

「はい」

 

「なぜですか」

 

 黒曜は少し考えた。

 

「分かりません」

 

 理香子が顔を上げた。

 

 黒曜は続ける。

 

「本人に聞かなければ分からないことを、こちらで綺麗に理由付けするべきではありません」

 

 アクトが小さく頷いた。

 

「せやな」

 

「ただ」

 

 黒曜は画面を見る。

 

「ナギは、この人が抵抗していることを知っている。そして、止めていない。それだけは事実でしょう」

 

「……はい」

 

 理香子は答えた。

 

 敵。

 

 そう分類すれば簡単だった。

 

 ナギは危険だ。

 施設を自分の身体として使う。

 人間を部品へ変える。

 接続を要求する。

 

 それらは変わらない。

 

 だが、そのナギが、別の誰かの四センチを残している。

 

 理香子は画面の評価欄を閉じた。

 

 単純な敵性判定の窓も閉じた。

 

 消したわけではない。

 

 保留へ移した。

 

「フヒ」

 

 小さく漏れた。

 

 アクトが振り向く。

 

「何や」

 

「分類が増えました」

 

「楽しそうやな」

 

「面倒です」

 

「顔がちゃうで」

 

「見ないでください」

 

     *

 

 夕方、EVOから呼び出しが入った。

 

 会議室ではなかった。

 

 地下の設備管理区画。

 壁の半分を占める古い都市インフラ図の前に、榊原と御厨が立っていた。

 

 牧瀬は端末を抱えたまま、少し離れている。

 

「見つかりました」

 

 榊原が言った。

 

 理香子の前へ地図を出す。

 

 シアトル郊外。

 

 工業地帯のさらに外。

 再開発から外れた区画に、何もない空白がある。

 

「何もないやん」

 

 アクトが言った。

 

「登記上は」

 

 榊原が答える。

 

「現在、この場所にEVOの施設は存在しません」

 

「現在は?」

 

「正確には、存在した記録がありません」

 

「それはまた」

 

 アクトが口の端を上げる。

 

「たいそう綺麗に消したな」

 

 御厨が別の資料を出した。

 

「電力使用量はゼロ。通信契約なし。上下水道契約なし。固定資産台帳にもありません」

 

「でも動いてる」

 

 理香子が言う。

 

「はい」

 

 牧瀬が答えた。

 

「周辺設備の保守記録から逆算しました。存在しないはずの区画だけ、地下電力幹線の損失率が一定周期で上がっています。冷却水系にも同じ傾向があります」

 

「盗電?」

 

「企業施設なら、そういう言い方はしません」

 

 御厨が言った。

 

「何て言うん?」

 

「未計上設備です」

 

「便利やなあ、企業」

 

「褒め言葉として受け取っておきます」

 

「褒めてへんで」

 

 榊原は無視して続けた。

 

「旧開発班の紙資料を照合したところ、この区画にはかつて統合試験施設がありました。ただし、廃止処理の記録が不自然です」

 

「不自然?」

 

「解体完了の署名がある。しかし解体業者への支払い記録がない」

 

 榊原の声が硬くなる。

 

「搬出記録もない。廃棄物記録もない。設備資産の移管先もない」

 

「紙の上でだけ消した」

 

 小鴉が言った。

 

「そう判断しています」

 

「誰が?」

 

 榊原は一瞬だけ黙った。

 

「現在調査中です」

 

 アクトが理香子を見る。

 

「行くん?」

 

「まだです」

 

「即答やな」

 

「位置が分かっただけです。中身が分かっていません」

 

「正しい」

 

 小鴉が言った。

 

「存在しない施設へ入るなら、事故が起きた時の責任区分を先に決める」

 

「また書類?」

 

「書類で済むうちにやる」

 

「企業人みたいやなあ」

 

「MCTの人間だ」

 

「知っとる」

 

 その時、小鴉の端末が震えた。

 

 一度。

 

 小鴉が見る。

 

 表情は変わらない。

 

 だが、指が止まった。

 

「どうしました」

 

 黒曜が聞く。

 

「MCT側から追加照会が来た」

 

「何の?」

 

 小鴉は答えず、データを理香子へ送った。

 

 理香子の画面に、細い記録が開く。

 

 医療搬送。

 

 患者名は伏せられている。

 

 処置区分。

 

《治療》

《神経調整》

《姿勢制御系再較正》

《外部協調系適合確認》

 

 アクトの顔から笑いが消えた。

 

「外部協調」

 

「はい」

 

 理香子がスクロールする。

 

 搬送元。

 MCT管理医療区画。

 

 搬送先。

 

 識別番号だけ。

 

 理香子はEVOの旧施設番号と照合した。

 

 一致。

 

 今、目の前の地図にある、存在しない施設。

 

「日付は?」

 

 アクトが聞いた。

 

「第二クールの後です」

 

「生体ID」

 

「黒塗りです」

 

「剥がせる?」

 

 小鴉が言った。

 

「MCTの内部照合キーを出す」

 

 理香子が小鴉を見る。

 

「権限は?」

 

「今取った」

 

「早いですね」

 

「遅いよりいい」

 

 キーが届く。

 

 理香子が照合する。

 

 黒塗りそのものを解除するのではない。

 現在持っている運動制御署名と一致するかだけを見る。

 

 比較対象。

 

 第二クール最終戦。

 

 巨大な身体。

 補助腕。

 本人が追おうとした瞬間に、外部から止められた運動入力。

 

 照合が走る。

 

《一致率:99.2%》

 

 アクトが息を吐いた。

 

「……ああ」

 

 短い。

 

 驚きではなかった。

 

「本人か」

 

 理香子が頷く。

 

「ダンボです」

 

 その瞬間から、アクトの目が変わった。

 

 地図を見る。

 

 入口。

 周辺道路。

 建物間隔。

 高低差。

 搬入口。

 想定される射線。

 

 まだ突入命令など出ていない。

 

 それでも身体は、もう現場を数え始めていた。

 

「待ってください」

 

 理香子が言った。

 

「待っとるで」

 

「目が待っていません」

 

「目ぇは暇やからな」

 

 黒曜が地図へ近づく。

 

「術者もここですか」

 

「確認します」

 

 EVO側のセンサー情報と、MCTの搬送記録を重ねる。

 

 存在しない施設の内部から、微弱な生体反応が拾われていた。

 

 一つ。

 

 ほとんど動かない。

 

 生命維持系と深く重なっている。

 

「ナギ」

 

 理香子が言った。

 

 二つ目。

 

 周期的に位置が変わる。

 

 だが、命令座標と完全には一致しない。

 

 数センチ。

 

 黒曜が目を細めた。

 

「この人です」

 

 洗脳術者。

 

 四センチを残し続けている人間。

 

 そして。

 

「……待って」

 

 理香子の指が止まった。

 

 生体反応図の端に、まだ処理されていない入力がある。

 

 EVOの設備センサーでは、人間として弾かれていた。

 

 質量が大きすぎる。

 

 発熱量が高すぎる。

 

 複数の駆動系が一つの生体信号へ重なっている。

 

 理香子が分類条件を外した。

 

 人間。

 

 機械。

 

 その区別を一度捨てる。

 

 点が出た。

 

 大きい。

 

 他の二つとは比較にならない。

 

 施設内部を移動している。

 

 一歩。

 

 止まる。

 

 向きを変える。

 

 また一歩。

 

 そのたび、周囲の設備制御が先回りして動く。

 

 扉が開く。

 

 搬送床が止まる。

 

 照明が進行方向へ点く。

 

 まるで施設が、その身体のために道を空けている。

 

 理香子は三つの反応を並べた。

 

 一つは、動けない。

 

 一つは、命令から数センチだけ外れ続ける。

 

 最後の一つは。

 

 巨大だった。

 

 アクトが地図の前へ出る。

 

 右手を開いた。

 

 閉じた。

 

 白い人工指が、何の遅延もなく掌へ収まる。

 

「装備、何持ってく?」

 

 小鴉が聞く。

 

「まだ突入は決まっていない」

 

「決まるやろ」

 

「なぜそう思う」

 

 アクトは巨大な反応を見た。

 

「向こうに、知っとる奴が三人もおる」

 

「一人は敵かもしれない」

 

「せやな」

 

「一人はお前を殺そうとするかもしれない」

 

「それもせやな」

 

「それでも行く?」

 

 アクトは肩をすくめた。

 

「仕事になったらな」

 

 黒曜が横から言う。

 

「そこは先に契約を確認してください」

 

「分かっとるって」

 

「あなたの『分かっている』も信用していません」

 

「信用ないなあ」

 

「実績です」

 

 理香子は二人の声を聞きながら、画面を見ていた。

 

 三つの生体反応。

 

 ナギ。

 

 名前の分からない術者。

 

 ダンボ。

 

 敵と味方では分けられない。

 

 被害者と加害者でも分けられない。

 

 命令する者。

 命令される者。

 命令されながら外す者。

 自分で動いているのに、身体の一部だけ別の意思へ持っていかれる者。

 

 そして、その全部を見ているナギ。

 

 理香子は表示を拡大した。

 

 巨大な反応が、また一歩動いた。

 

 同時に、施設内の照明が一列だけ点灯する。

 

 その先には、外部へ通じる搬送路があった。

 

「アクト」

 

「ん?」

 

「ダンボが移動しています」

 

「どっちへ?」

 

 理香子は経路を追った。

 

 施設内部。

 搬送区画。

 外周通路。

 

 そして。

 

 こちらが突入経路として検討していた側へ。

 

 まだ偶然かもしれない。

 

 まだ命令かもしれない。

 

 まだ本人が歩いているだけかもしれない。

 

 理香子は断定しなかった。

 

「こちら側です」

 

 アクトは数秒、画面を見た。

 

 それから赤い眼鏡を押し上げた。

 

「ほな」

 

 笑わなかった。

 

「次は、向こうで会おか」

 

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