アクトと黒曜 ――銃声と魔法、軽口と理屈。関係に名前をつけないまま、共に走る 作:矢塚 和哉
足音は、二度目を鳴らさなかった。
暗闇の奥にいる。
それだけ分かる。
アクトは通常小銃の照準を通路の中央へ置いたまま、呼吸を一つ落とした。
暗視表示の端で、理香子の測距値だけが細かく揺れている。
「距離、取れへん?」
「固定物なら取れます」
「向こうは?」
「反射が散っています。遮蔽物が動いている可能性があります」
「動いとる?」
「音はありません」
音がないまま、何かが位置を変えている。
その方が嫌だった。
小鴉の声が低く入る。
『前進。アクト、右壁。黒曜は中央を空けろ。理香子、私の後ろへ』
「了解」
アクトは右へ寄った。
黒曜は中央から外れる。
理香子が下がる。
いつもの並びではない。
背中に防壁もない。
それでも、五メートル進んだ。
何も起きない。
さらに五メートル。
床の継ぎ目を越える。
何も起きない。
「効いとるやん」
『喋るな』
「はい」
さらに進む。
暗闇の奥に、旧統合試験区画へ続く隔壁が見えた。
閉じている。
その手前、左右に搬送路。 天井には大型クレーン。
床には物流用の可動帯。
全部、止まっている。
アクトの視線が一つずつ拾う。
扉。 床。 クレーン。 搬送路。 空調口。
動けば全部、武器になる。
小鴉が手を上げた。
『理香子。隔壁だけ見ろ。他は触るな』
「了解」
理香子が端末を操作する。
「隔壁制御、取得できます」
『開けるな。状態だけ』
「閉鎖。ロック二重。駆動系待機。内部側に圧力差なし」
「向こうに人は?」
「生体反応――」
理香子が止まった。
「一つ。隔壁の向こう、約四十二メートル」
「でかい方?」
「判定できません」
『予定通りだ。左搬送路を使う』
小鴉が先に動いた。
アクトは右壁沿い。
黒曜は中央より後ろ。
理香子はさらに遅れる。
十メートル。
十五。
可動床の上へ、小鴉だけが先に入る。
床は動かない。
アクトも踏む。
動かない。
黒曜。
動かない。
理香子が最後に乗った。
その瞬間。
床が逆向きに走った。
「っ!」
アクトの脚部が床を噛む。
白い足裏が滑る前に姿勢制御が入る。
小鴉は前へ跳ぶ。
理香子は後方へ流された。
黒曜が手を伸ばしかける。
『黒曜、動くな!』
小鴉。
黒曜の足が止まる。
アクトは理香子へ行かなかった。
行きたかった。
いつもなら行く。
代わりに小鴉の指示を待つ。
『理香子、右の手摺。アクトは前。黒曜、その場』
理香子が手摺を掴む。
床だけが走り続ける。
アクトは前へ出た。
黒曜は動かない。
次の瞬間、天井クレーンが理香子の頭上を薙いだ。
だが理香子は、もうそこにいなかった。
手摺へ身体を寄せた分だけ、鋼材のフックが空を切る。
「外した」
理香子が息を吐く。
『一回目だ』
小鴉の声は平坦だった。
床が止まる。
クレーンも止まる。
何事もなかったように。
アクトが奥を見る。
「学習し直す前に行く?」
『そうする』
隔壁まで二十メートル。
小鴉が走る。
アクトも続く。
黒曜と理香子は時間をずらす。
今度は床が動かない。
クレーンも。
扉も。
何も来ない。
隔壁脇の保守扉へ到達する。
理香子が最低限の権限で開けた。
三秒。
ではない。
一・七秒。
「速なっとるな」
「はい」
『入れ』
*
保守通路は狭かった。
一列になれば、いつもの順番へ戻る。
だから小鴉は順番を変えた。
理香子。 アクト。 小鴉。 黒曜。
「なんで理香子が先なん」
『お前が先頭だと読まれる』
「理香子撃たれたら?」
『お前が撃たれるより全体の生存率は高い』
理香子が振り返った。
「私は同意していません」
『なら代案を出せ』
「アクト、小鴉、私、黒曜」
『却下。アクトとお前が近すぎる』
「では小鴉、私、アクト、黒曜」
『採用』
「決まるん早」
『歩け』
小鴉が先頭へ出る。
理香子。 アクト。 黒曜。
狭い通路を進む。
アクトは前の理香子の背中を見る。
その向こうに小鴉。
後ろに黒曜。
誰も、いつもの位置にいない。
気持ちが悪い。
だが、襲撃は来ない。
三十メートル。
四十。
理香子が囁いた。
「予測処理、断続的に走っています」
『一致率』
「低いです。三十二。二十九。三十五」
「昨日まで?」
「七十を超えていました」
「効いとるやん」
『だから黙って歩け』
「はい」
五十メートル。
通路の先が開ける。
旧整備区画。
広い。
天井が高い。
左右に搬送アームが並び、床面には三本の物流レーン。
奥に二階分の高さの制御室。
中央には何もない。
人もいない。
「空やな」
「生体反応は奥です」
理香子が答える。
「距離七十八」
小鴉が散開を指示する。
アクトは右。 黒曜は左。 理香子は入口。 小鴉は中央。
今度は完全にばらけた。
アクトは小銃を構えたまま、右側の搬送アームを見た。
一本。 二本。 三本。
止まっている。
奥の自動扉。
閉じている。
天井クレーン。
停止。
「……来んな」
黒曜の声。
「来ない方がいいでしょう」
「せやけど」
アクトは床を見た。
自分の足。
右へ一歩。
止まる。
施設側の予測処理が走る。
「理香子」
「四十一パーセント」
「上がった?」
「はい」
「何した?」
「あなたが一歩動きました」
「それだけ?」
「それだけです」
アクトがもう一歩。
「四十七」
「戻る」
「四十三」
「……あたし単体も読まれとるな」
『当然だ。実戦記録がある』
小鴉。
「でも全部やない」
『だから使える』
奥の扉が開いた。
誰も触っていない。
ゆっくり。
音もなく。
暗い通路が現れる。
理香子の端末に表示。
《進入経路:開放》
「誘われとる」
「はい」
『乗る』
小鴉が即答した。
黒曜が見る。
「罠では」
『罠だ。だから形が分かる』
「好きやなあ、そういうの」
『嫌いだ。使えるだけだ』
アクトが口の端を上げた。
「そこは気ぃ合うかも」
『行け』
*
罠は、三つ目の角で閉じた。
最初に扉。
アクトと理香子の間。
厚い防火扉が天井から落ちる。
「理香子!」
「無傷です!」
次に空調。
黒曜側の通路へ強い逆風。
ローブが跳ねる。
黒曜が姿勢を崩す。
最後に床。
アクトの足元だけが沈んだ。
十センチ。
それだけ。
だが、アクトの身体は反応した。
重心が落ちる。
右脚が踏ん張る。
左肩が前へ出る。
被弾に備える。
いつもの補正。
その瞬間、右壁が開いた。
警備砲塔。
「来た!」
アクトは踏み込んだ。
砲口より内側へ。
射線を潰す。
いつもなら。
そこに黒曜の防壁がある。
アクトは、考えるより先にその角度へ身体を預けた。
ない。
「――っ」
黒曜は別通路だ。
分かっていた。
分かっていたのに、身体がそこへ行った。
砲声。
アクトが捻る。
一発目が白装甲を削る。
二発目。
紫色の膜が割り込んだ。
黒曜の防壁。
遠い。
本来なら届かせない位置から、無理に伸ばした。
弾丸が防壁へ叩き込まれる。
膜が揺れる。
「黒曜!」
「前を!」
三発目。
別方向。
天井。
第二砲塔。
黒曜がもう一枚。
防壁が重なる。
「二枚?」
「黙って!」
アクトが砲塔へ撃ち返す。
通常小銃。
短い連射。
砲身基部を砕く。
一基停止。
だが床が動く。
今度は横。
アクトの身体が流される。
壁から搬送アーム。
掴みに来る。
黒曜が三枚目。
「黒曜、やめ――」
「あなたが避けてください!」
「避けとる!」
アクトは跳ぶ。
白い脚が床を蹴る。
アームの先端を越える。
着地。
床が逆転。
着地先が逃げる。
「っ、くそ!」
アクトの膝が落ちる。
その頭上へクレーンのフック。
防壁。
四枚目。
金属音。
紫の膜が大きく歪んだ。
黒曜の息が切れる。
「黒曜!」
返事がない。
「黒曜!」
「……聞こえています」
声が細い。
暗視表示の共有欄で、黒曜の姿勢が一瞬崩れた。
片膝。
鼻から落ちたものが床へ散る。
血。
「止めろ!」
アクトが怒鳴る。
「あなたが止まってください!」
黒曜も怒鳴り返した。
その声で、アクトが止まった。
一瞬。
施設側の予測値が跳ねる。
「七十八!」
理香子。
「何が!」
「今の停止で一致率七十八!」
「下げろ!」
「やっています!」
防火扉の向こう。
理香子が切断処理へ入る。
「床制御を切ります。次に砲塔。次に搬送――」
表示。
《切断予測:床制御》
「……は?」
理香子の指が止まる。
次の表示。
《代替経路:準備済》
床制御を切る。
同時に搬送レーンが独立電源へ切り替わった。
「先に――」
《切断予測:砲塔系》
理香子の顔から色が消える。
「読まれています」
「順番変えろ!」
「変えます!」
搬送アームから。
《切断予測:搬送系》
照明から。
《切断予測:照明系》
空調から。
《切断予測:空調系》
理香子が息を呑む。
「私の選び方を――」
小鴉の声が割り込む。
『理香子、切るな』
「ですが」
『全部残せ』
「残したら動きます」
『動かせ』
「何を」
『全部』
一瞬、理香子が固まる。
『アクト、伏せろ。黒曜、防壁を解け』
「何?」
アクト。
「解けば――」
黒曜。
『今すぐ』
黒曜が防壁を消した。
紫が全部消える。
アクトは床へ伏せる。
同時に、施設が動いた。
砲塔。 床。 搬送アーム。 空調。 クレーン。
全部。
互いの動線へ入り込んだ。
横滑りした搬送床が砲塔の射線をずらす。
アームがクレーンのフックと衝突。
逆風が吊り下げケーブルを揺らし、二射目を外す。
アクトの頭上を弾丸が抜けた。
「……雑!」
『お前たちが切る前提で調整していた。残せば干渉する』
小鴉が防火扉の非常解放部へ射撃。
ロックが飛ぶ。
『開けろ』
アクトが立つ。
白い両手を扉の隙間へ差し込む。
脚を踏ん張る。
油圧が鳴る。
「理香子、下がれ!」
扉を持ち上げる。
理香子が滑り込む。
アクトが手を離す。
防火扉が落ちた。
「黒曜!」
「立てます」
「顔見せ」
「今は――」
「見せ」
黒曜が振り向く。
鼻血。
唇の端にも赤い筋。
瞳孔が一瞬、焦点を外す。
アクトの顔から軽さが消えた。
「撤退や」
『まだだ』
小鴉。
「は?」
『ここまでは抜けられる。次の区画まで行けば中枢側の実測が取れる』
「黒曜がこれやぞ」
『歩ける』
「歩けると戦えるは別や」
「アクト」
黒曜が割り込む。
「私は――」
「黙っとき」
珍しく強い声だった。
黒曜が止まる。
小鴉は数秒黙った。
『撤退判断は私がする』
「ほな今して」
『まだしない』
「理由」
『今引けば、施設はこの戦闘で得た更新だけを持ち帰る。こちらは入口の仕組みしか持ち帰れない。次はもっと悪い』
「黒曜潰してまで?」
『潰れる前に引く』
「その線、あんたが決めるん?」
『現場指揮は私だ』
アクトの指が小銃を握る。
「……分かった」
黒曜がアクトを見る。
「意外ですね」
「まだ歩ける言うとるしな」
「あなたが言うと腹が立ちます」
「なんでや」
「後で説明します」
理香子が小さく言った。
「黒曜の生体値、低下しています。継続可能時間は長くありません」
『七分』
「五分です」
『六』
「五」
『五分。次の分岐まで』
アクトが鼻で笑った。
「値切るんや」
『歩け』
*
次の分岐まで、百二十メートル。
施設は、もう待たなかった。
アクトが右へ出れば、左が開く。
黒曜が手を上げれば、まだ呪文を使っていないのに遮蔽物が落ちる。
理香子が端末へ触れれば、その系統だけ先に独立する。
小鴉の指示だけが、まだ完全には読まれない。
『アクト、左へ三歩』
「了解」
『止まれ』
止まる。
目の前を搬送アームが横切る。
『黒曜、前へ』
「はい」
黒曜が出る。
アクトが守りたくなる。
動かない。
黒曜の横を砲弾が抜ける。
防壁は張らない。
小鴉が一発。
砲塔のセンサーを潰す。
『理香子、今』
「切断」
照明系だけが落ちる。
成功。
「いける」
理香子が言う。
『まだだ』
小鴉。
次の扉。
開く。
その向こうに、人影が倒れていた。
「人!」
アクト。
作業服。
EVOでもMCTでもない古い保守服。 男。 生きている。
脚が搬送レールの固定具へ挟まれている。
意識はない。
理香子が確認する。
「生体反応あり。登録されていた拉致技術者ではありません」
『切り離せ』
小鴉。
理香子が顔を上げる。
「この区画を?」
『隔壁を落とせば後方設備をまとめて止められる。ここから先の圧力が下がる』
「中に人がおる」
アクト。
『だから切り離す』
「死ぬで」
『可能性は高い』
「ほなあかんやろ」
『全員がここで止まる方が悪い』
アクトが倒れた男を見る。
小鴉を見る。
「知らん。拾えるなら拾う」
『命令違反だ』
「知っとる」
走った。
「アクト!」
黒曜。
『追うな!』
小鴉が黒曜を止める。
アクトは一人で区画へ入った。
床が動く。
予測されている。
右からアーム。
しゃがむ。
左から扉。
白い肩で受ける。
装甲が鳴る。
男の脚へ到達。
「おっちゃん、生きとる?」
返事はない。
固定具。
油圧ロック。
アクトが掴む。
引く。
動かない。
『二十秒』
小鴉。
「分かっとる!」
『十五で戻れ』
「分かっとる!」
白い指が固定具へ食い込む。
右腕。 左腕。 両脚。
力をかける。
金属が歪む。
ロックが外れた。
「よし!」
男を担ぐ。
重い。
だが人間一人。
問題ない。
戻る。
床が逆走。
「うざ!」
脚部が踏む。
ハイドロリック・ジャッキが一瞬だけ出力を上げる。
床を蹴る。
前へ。
『八秒』
「見えとる!」
隔壁が降り始める。
小鴉が操作している。
待っている。
ぎりぎりまで。
アクトが滑り込む。
男を先に投げる。
自分も。
白い脚が隔壁の下を抜ける。
直後。
轟音。
隔壁が落ちた。
後方区画の音が消える。
アクトは床に転がった。
男が横で呻く。
「生きとる」
理香子が駆け寄る。
「脈あり。脚部損傷。搬送可能」
アクトが小鴉を見る。
「ほら」
『四十七秒遅れた』
「助かったやん」
『主退避路の予測余裕が四十七秒減った』
「……そら悪かった」
『謝罪は後だ。拾ったなら運べ』
「はい」
小鴉は怒鳴らなかった。
アクトも笑わなかった。
どちらも、自分が正しかったとは言わない。
黒曜が男へ簡易防護をかけようとして、手が震えた。
アクトがその手首を掴む。
「いらん」
「ですが」
「今は使うな」
「……はい」
理香子が男を簡易担架へ固定する。
「撤退時間、再計算。主退避路は危険域に入ります」
『第二退避路』
「この人数なら通れます。アクトはガウスを置けば」
「まだ持ってへん。入口や」
「そうでした」
「理香子」
「はい」
「ちょっと疲れとるな」
「あなたに言われたくありません」
「そらそうや」
『撤退する』
小鴉が決めた。
今度は誰も反対しなかった。
*
戻り始めて二分。
施設の予測一致率は、再び上がっていた。
「六十一」
理香子。
「小鴉込み?」
「はい」
「早ない?」
「更新されています」
小鴉の指示で外した動き。 救助へ走ったアクトの動き。
黒曜が魔法を使わず我慢した時間。 理香子が切断を止めた順番。
全部。
この数分で、向こうの材料になっている。
「食うの早いなあ」
『だから帰る』
主退避路へ続く角。
閉鎖。
「予定より早い」
理香子が言う。
『第二へ』
「第二退避路まで九十メートル」
曲がる。
照明が一列ずつ点く。
暗闇に慣れた目へ、白い光が刺さる。
アクトの暗視が自動で落ちる。
その切り替えの一瞬。
床が震えた。
どん。
今度は近い。
アクトが止まる。
「来た」
次。
どん。
一定ではない。
歩幅が大きい。
重い。
曲がり角の向こう。
何かが壁へ当たる。
金属が軋む。
人間用の通路幅では足りない。
それでも来る。
どん。
どん。
白い照明の下へ、影が出た。
大きい。
アクトより頭二つどころではない。
肩幅。 補助腕。 増設された装甲。
人間の輪郭へ、機械を足し続けた身体。
アクトは銃口を上げた。
「久しぶりやな」
男が止まった。
ダンボ。
顔は前より痩せている。
だが目だけは変わらない。
アクトを見た瞬間、そこに明確な敵意が灯った。
「……チビ」
「覚えとった?」
「忘れるかよ」
低い声。
本人だ。
アクトは少しだけ安心した。
次の瞬間。
ダンボの右補助腕が上がった。
銃口。
アクトへ。
「お」
アクトが身構える。
ダンボの口が歪む。
「今度こそ――」
補助腕が止まった。
ほんの一瞬。
ダンボの眉が寄る。
「……あ?」
銃口が、横へ動いた。
アクトではない。
小鴉。
『散開!』
発砲。
小鴉が跳ぶ。
弾丸が壁を砕く。
「何しとんねん!」
「俺じゃ――」
ダンボが左腕で右補助腕を掴む。
止めようとする。
補助腕が振りほどく。
アクトの背中が冷えた。
見たことがある。
第二クールの最後。
追おうとした腕が。
本人の意思より先に止められた。
「ダンボ」
「黙れ!」
本人の両脚がアクトへ踏み出す。
敵意は消えていない。
アクトを殴りたい。
倒したい。
その動きは本人のものだ。
だが補助腕は小鴉を追う。
別の補助腕が理香子へ向く。
「おい!」
ダンボが怒鳴った。
誰に向けているのか分からない。
自分の腕か。 施設か。 アクトか。
アクトが前へ出る。
「こっち見ろや!」
「見てる!」
ダンボの本体がアクトへ向く。
拳。
速い。
アクトが受ける。
白い腕と巨大な拳がぶつかる。
衝撃。
足が半歩滑る。
「相変わらず重いな!」
「軽いんだよ、てめえが!」
ダンボがもう一発。
アクトは潜る。
腹へ小銃の銃床。
硬い。
効かない。
ダンボが笑う。
「そんなもんか!」
「元気そうで何よりや!」
本人同士は、いつもの喧嘩だった。
その横で。
補助腕が理香子を撃った。
「理香子!」
黒曜が手を上げる。
紫の防壁。
一枚。
弾丸が弾ける。
黒曜の身体が揺れた。
「黒曜!」
「一枚なら……!」
鼻血がまた落ちる。
アクトの顔が変わる。
「終わりや」
「逃げんのか、チビ!」
「今日はな!」
アクトがダンボの胸を蹴る。
距離を作る。
ダンボは踏ん張る。
追う。
本人は追う。
右脚が出る。
左脚。
その次。
止まった。
「――っ」
ダンボの身体が一瞬、前のめりになる。
脚部制御が別命令を受けた。
上体だけがアクトを追おうとする。
補助腕は小鴉。 視線補助は理香子。 脚は退避路を塞ぐ位置へ。
一つの身体が、三方向へ引かれる。
ダンボの顔が歪んだ。
「動け……!」
右腕はアクトを殴ろうとする。
補助腕は別の標的を撃つ。
脚は動かない。
「動けっつってんだろ!」
アクトは息を止めた。
怒鳴り声に、恐怖はなかった。
あるのは屈辱だった。
自分の身体へ命令している。
自分の身体が聞かない。
理香子が端末を見る。
「二系統あります」
「何が」
「運動入力。本人入力と、上位制御」
ダンボがアクトを睨む。
「見るな!」
「見えるわ!」
「殺すぞ!」
「それ自分でやってから言え!」
「てめえ――!」
ダンボの本体が無理やり前へ出る。
右脚が一歩。
施設側が止める。
膝が震える。
それでも踏み出す。
一歩。
アクトへ。
補助腕は、その間も別方向へ撃っている。
口はアクトへ悪態を吐く。
「チビ! 逃げんな!」
腕は小鴉を撃つ。
もう一本は理香子へ向く。
脚は施設の命令と本人の命令の間で軋む。
アクトは銃を構えたまま、撃てなかった。
敵だった。
今も敵意は本物だ。
なのに。
あれは、ダンボの全部ではない。
『アクト、下がれ』
小鴉。
「……了解」
『黒曜を連れて行け。理香子、第二退避路を開けろ』
「開放します」
「ダンボ」
「逃げんな!」
「また来るわ」
「ふざけ――」
補助腕が跳ねた。
ダンボ自身の左手が、それを掴んだ。
一瞬だけ。
自分で止めた。
銃口が天井へ逸れる。
発砲。
火花。
アクトはそれを見た。
ダンボも見た。
二人の目が合う。
「……次は」
アクトが言う。
「その手ぇ、どっちのか聞かせてもらうで」
「殺す!」
「元気でええな」
アクトは背を向けた。
黒曜の肩を支える。
「自分で歩けます」
「知っとる。ちょっと貸して」
「何をですか」
「肩」
「……返してくださいね」
「借りもんは返すって」
第二退避路へ入る。
理香子。 担架。 小鴉。 黒曜。 アクト。
後ろでダンボが怒鳴っている。
アクトを呼ぶ声。
悪態。
銃声。
全部が同じ方向から聞こえるのに。
全部が、同じ意思ではなかった。