アクトと黒曜 ――銃声と魔法、軽口と理屈。関係に名前をつけないまま、共に走る 作:矢塚 和哉
再侵入の目的は、戦うことではなかった。
だからアクトは、最初からガウスライフルを持っていた。
「矛盾してませんか」
黒曜が言った。
「何が?」
「戦わないのに、それを持っていることです」
「測るだけや」
「何をですか」
「撃てるかどうか」
「それを戦うと言うのでは」
「撃たへんかったら戦闘ちゃうやろ」
「その理屈は通りません」
旧施設外周。
昨日とは違う進入口。
正面からではない。
地上の物流棟へは入らず、外壁に沿って走る保守用の高架通路から、施設内部を斜めに見下ろす。
風が強い。
金属床の隙間から、地上の割れた舗装が見える。
理香子はしゃがみ込み、壁面へ小型センサーを貼りつけていた。
「射線候補、三本です」
仮想表示が空中に伸びる。
第一候補。
外周壁を一枚抜き、搬送層を横切り、地下へ落ちる。
第二候補。
旧クレーンヤードから斜め下。
第三候補。
建物内部の柱列を二本抜く。
「三本目、好き」
アクトが言う。
「却下です」
「即答やな」
「撃った場合、崩落予測が成立しません」
「ほな一番目」
「まだ撃ちません」
「知っとる」
小鴉が少し離れた位置に立っている。
今日は最初から指揮系統が一本だった。
前回の第一次突入で、指揮権限の境界はもう試した。
アクトが命令から外れることも。
小鴉がそれを止めきれないことも。
その結果、作業員一人を拾えたことも。
撤退余裕を失ったことも。
全部、記録に残っている。
『射線確認は十五分で切る』
小鴉の声がイヤホンへ落ちる。
「短ない?」
『ダンボの同期率が上がっている』
アクトの顔から軽さが消えた。
「どれくらい」
理香子が答える。
「昨日の撤退時、外部優先制御は局所系統だけでした。今朝から、姿勢制御と視覚補助の同期が増えています」
「本人は?」
「運動入力は残っています」
「まだ喧嘩しとる?」
「はい」
「ほな急ごか」
理香子は一瞬だけアクトを見る。
「本人の意思が残っているから安全、という意味ではありません」
「分かっとる」
「本人の身体能力が高いので、競合していても危険です」
「それも分かっとる」
「なら」
「急ご言うたやん」
「……はい」
黒曜が二人を見る。
「あなたたちはたまに、会話の途中だけ切り取ると同じことを言っていますね」
「気のせいや」
「気のせいです」
「そこは揃うのですね」
*
最初の射線候補。
アクトはガウスライフルを固定架へ置いた。
撃たない。
それでも身体は、射撃の準備へ入る。
脚。
腰。
肩。
右腕。
左腕。
固定架。
視線。
一本の線になる。
「固定開始」
理香子が言う。
「三十秒、測ります」
「了解」
アクトが白い脚を開く。
左足を半歩前。
右脚で荷重を受ける。
腰を落とす。
背中へ重さを逃がす。
肩がカウルへ触れる。
銃身が射線へ乗る。
撃っていないのに、身体はもう知っている。
「二十一秒」
理香子。
「十九」
ガウス固定架の爪が床へ食い込む。
その時、高架通路の下で何かが動いた。
搬送アーム。
停止していたはずの一本が、ゆっくりと首を上げる。
こちらへ向いたわけではない。
だが、その先端センサーだけが高架の縁をなぞった。
「索敵?」
黒曜の声が低くなる。
「受動です。まだ捕捉ではありません」
理香子が答える。
「十三」
遠くでシャッターが一枚閉じた。
帰路ではない。
その隣。
次に閉じれば、こちらの退路へ繋がる区画だった。
アクトが目を細める。
射線の先。
壁。
その向こう。
何も見えない。
それでも、施設はもうこちらを数え始めている。
「七」
理香子の声が止まった。
アクトが動かないまま問う。
「何」
「施設側の予測処理が走りました」
「一致率」
「六十三」
アクトの眉が寄る。
「固定しただけやで」
「はい」
「射撃してへん」
「はい」
「封印記録も開けてへん」
「はい」
小鴉が低く言う。
『外せ』
「まだ測定――」
『外せ』
アクトが即座に固定を解除する。
爪が上がる。
銃身を外す。
十秒。
理香子が時刻を取る。
「解除九・八」
「ほら」
「何がです」
「十秒切った」
「今それを誇る場面ではありません」
理香子は予測ログを拡大する。
「施設側は、固定予備動作を参照しています」
「どこから」
「現地観測だけでは不足です」
「でも封印記録は」
「未解除です」
小鴉が言う。
『第二クール以前の公開戦闘映像』
理香子が頷く。
「可能性はあります。ただし一致率が高すぎます」
黒曜がアクトを見る。
「あなた、昔から同じ構えなのですか」
「ガウスで撃ったん、そんな何回もないで」
「固定の話です」
「重いもん撃つ時は似るやろ」
「つまり癖です」
「せやな」
アクトはガウスのグリップから手を離した。
白い指を開く。
閉じる。
「……まだ先に動かれるか」
誰も答えなかった。
*
第二候補。
今度は固定位置を変えた。
アクトの立ち位置も。
左右も逆。
理香子が固定順をランダム化した。
小鴉が最後の十秒まで射線を告げない。
黒曜はアクトの近くにいない。
第一射点から二十八メートル離れた高架通路。
「今」
小鴉。
アクトが動く。
固定架。
銃身。
脚。
腰。
肩。
「予測処理」
理香子。
「一致率五十二」
「下がった」
「でも走っています」
下層で、さっきとは別の搬送アームが起き上がった。
一基。
二基。
照明が高架の手前から順に落ちる。
暗くするためではない。
残った照明だけで、こちらの位置を切り取るように。
『あと六分だ』
小鴉。
「十五分ちゃうかった?」
『向こうが縮めた』
アクトは一度だけ下を見た。
まだ撃ってこない。
まだ塞いでもこない。
だから安全なのではない。
施設が、こちらを捕まえる形を作っている途中なのだ。
「第三候補は?」
「測る前に問題があります」
理香子の声が変わった。
「MCT側から照会」
「今?」
「はい」
小鴉が端末を見る。
数秒。
顔が硬くなる。
「何や」
アクトが訊く。
「差分学習の提案」
「何の」
「お前の封印記録」
アクトは動きを止めた。
「却下」
「まだ説明していない」
「却下」
理香子が仮想画面を共有する。
《提案:封印済実戦記録と現行観測ログの差分照合》
《目的:施設側予測モデルの欠損領域特定》
《原記録の外部送信なし》
《隔離環境内比較のみ》
「要は」
アクトが言う。
「開けて、今のあたしと比べるんやろ」
「はい」
「嫌や」
「EVO側も同案を支持しています」
「もっと嫌や」
「理由を」
「前にも言うたやろ」
「今回は用途が限定されています」
「限定でも開けるやろ」
「はい」
「ほな嫌や」
黒曜がアクトを見る。
「戦術上は、有効かもしれません」
「せやろな」
「それでも?」
「それでも」
小鴉が聞く。
「施設側が、お前の古い記録を既に持っている可能性がある」
「あるやろな」
「なら、こっちも使う方が合理的だ」
「合理的やな」
「拒否する?」
「する」
小鴉は数秒、黙った。
「理由は」
アクトが白い手を上げた。
指を一本。
二本。
三本。
握る。
「今のあたしが、今動いとる」
小鴉は黙る。
「古いあたし開けて、今のあたしに合わせて、相手の読み方修正する。そんなん始めたら、次も次も開ける理由できるやろ」
「必要な時だけ使う」
「必要いうたら何でも通るんが嫌やねん」
理香子の端末へ、新しい承認確認が出る。
《本人承認:要求》
アクトが見る。
触れない。
「拒否」
「記録します」
理香子が即座に処理する。
《本人承認:拒否》
《封印維持》
「ええん?」
アクトが訊いた。
「何がです」
「理香子も欲しいやろ。差分」
「欲しいです」
「正直やな」
「必要です」
「でも?」
「あなたが拒否しました」
それだけだった。
アクトは少し笑った。
「ほな次」
*
第三候補は使えなかった。
射線上の構造材が、前回図面と違っていた。
「増設?」
黒曜が訊く。
「違います」
理香子が実測を重ねる。
「梁一本が移動しています」
「梁が?」
「正確には、補助フレームが別の柱へ荷重を移しています」
「こっちの射線潰した?」
「その形跡はありません」
理香子は昨日の荷重ログと重ねる。
「内部の搬送経路が変わっています。重量物の通過回数も増加。統合対象の移動に合わせて、施設側が床荷重と通路幅を組み替えた結果です」
「うちら狙いやないのに、昨日撃てた場所が今日は撃てへん」
「はい」
黒曜が内部図を見る。
「建物のほうが、使う身体に合わせて姿勢を変えている」
「また身体やな」
アクトが言った。
理香子は黙る。
施設は、前回より深く同期している。
設備だけではない。
人間も。
ダンボも。
術者も。
統合対象が増えるたび、その全体に都合のいい形へ建物そのものが組み替わっている。
一つの身体へ近づいている。
理香子が時刻を見る。
「残り六分」
『切り上げる』
小鴉。
「もうちょい測れん?」
『ダンボの同期率、七十四』
「さっき」
「六十八でした」
理香子が言う。
アクトはガウスを搬送位置へ戻す。
「上がり方おかしいな」
「はい」
「本人の抵抗は?」
「残っています」
「減ってる?」
「相対的には」
その言い方で十分だった。
本人の意思が消えたわけではない。
上から乗るものが増えている。
「帰ろ」
アクトが言った。
「今日は撃たへん」
「最初からその予定です」
「予定どおりやん」
「珍しいですね」
「黒曜まで失礼やな」
*
戻る途中。
理香子が突然立ち止まった。
「待ってください」
全員止まる。
「施設側ログが変わりました」
受動観測。
こちらから接続していない。
それでも外周へ漏れてくる制御パターンに変化がある。
「何」
アクトが訊く。
理香子の画面へ、身体制御系が並ぶ。
《補助腕同期:確立》
《視覚補助同期:確立》
《姿勢制御同期:進行》
《運動優先度:上位系統へ移行》
黒曜が低く言う。
「ダンボ」
「はい」
理香子が次を開く。
本人入力。
残っている。
赤い線。
前へ出ようとする。
右腕を動かす。
視線をアクトたちの方向へ向ける。
その上に白い線。
補助腕。
視覚。
姿勢。
施設側の命令。
二つが同じ身体へ刺さっている。
「まだ本人動いとるな」
「はい」
「でも上のが強い」
「はい」
小鴉が言う。
「次の突入まで待てない」
「何日?」
「日じゃない」
理香子が計算する。
「今の増加率が続けば、数時間で姿勢制御全域が上位優先へ移ります」
アクトの口元が消える。
「ほな、次やるん早めよ」
「それだけではありません」
理香子が別のログを開く。
覚醒者制御系。
洗脳術者。
《術式同期:維持》
《命令適合率:上昇》
黒曜の目が細くなる。
「四センチは」
「残っています」
理香子が言った。
「まだ」
その一語だけが重かった。
小鴉が端末を閉じる。
「戻る。今夜、第二次突入案を作る」
「今夜?」
アクト。
「今夜」
「寝る時間ある?」
「お前は寝ろ」
「小鴉は?」
「私は寝ない」
「それあかんやろ」
「お前に言われたくない」
「それはそう」
誰も笑わなかった。
*
臨時作戦室。
夜。
黒宮。
榊原。
御厨。
牧瀬。
MCT側の法務と技術監査。
小鴉。
アクト。
黒曜。
理香子。
画面に、三本の射線候補。
その横へ、ダンボの同期率。
覚醒者制御系。
ナギの中核反応。
「目的を分けます」
理香子が言った。
「次回突入時の優先順位」
第一。
《水無瀬凪:生存分離》
第二。
《覚醒者一名:生存回収》
第三。
《実戦学習ログ:消去》
第四。
《MCT強化身体対象:状態確認》
小鴉が眉を寄せる。
「四番目?」
「本人から救助要求はありません」
アクトが言った。
「せやから勝手に救うとは決めへん」
「だが、上位制御は進んでいる」
「見た」
「遅れれば本人の判断が消えるかもしれない」
「ほな聞けるうちに聞く」
「聞けなかったら」
「その時決める」
小鴉がアクトを見る。
「曖昧だな」
「人間やし」
「便利な言葉にするな」
「企業よりマシやろ」
黒宮が咳払いした。
「議論を戻します」
御厨が共有資料を出す。
『施設側の予測学習を逆用するには、アクトトゥルスの封印記録との差分が最も有効です』
「拒否済み」
理香子が言った。
『再提案です』
「却下」
アクト。
『理由は記録済みです。ただし状況が変化しています』
「変わっても嫌」
『本人以外の生存率へ影響します』
「それも聞いた」
黒曜がアクトを見る。
何も言わない。
アクトは続ける。
「必要性上がったら権限増える、いう話にせんといて」
会議室が静かになる。
「必要なんは分かる。使えるんも分かる。せやけど、あたしの記録や」
理香子がそのまま入力する。
《封印解除:再度拒否》
榊原が紙へ同じ内容を書く。
「本人意思、維持」
御厨は反論しなかった。
小鴉が腕を組む。
「なら、別の方法で勝つ」
理香子が次の画面を出した。
指揮権の確認ではない。
そこはもう終わっている。
画面に並んだのは、第一次突入で施設側が高確率で予測した行動だった。
《アクトトゥルス:先頭進入》
《黒曜:アクトトゥルス周辺へ防壁優先》
《理香子:三者同時情報共有》
《被弾時:相互救援へ収束》
「全部やめる」
小鴉が言った。
「全部?」
アクト。
「お前を先頭に固定しない。黒曜はお前を優先して守らない。理香子は三人へ同じ情報を同時に流さない」
黒曜が眉を寄せる。
「わざと不便にするのですか」
「そうだ」
「前回も散開しました」
「散開しただけだった」
小鴉が画面を指す。
「距離を離しても、お前たちは同じ瞬間に同じ相手を見た。アクトが踏み込めば黒曜が守り、理香子が二人へ最短経路を渡した。身体が覚えている連携は残ったままだった」
理香子が予測ログを重ねる。
「施設側の一致率が上昇したのも、その時点です」
「今回は?」
「役割そのものを固定しません」
理香子が答える。
「情報も分けます。アクトに見せる経路と、黒曜に見せる危険域を一致させない。小鴉だけが全体を持つ」
「気持ち悪い戦い方やな」
アクトが言った。
「気持ちよく戦って負けたのが前回だ」
「せやな」
黒曜は画面を見たまま言う。
「私がアクトを守りたくなった場合は」
「命令がなければ守るな」
「……分かりました」
アクトが横を見る。
「嫌そうやな」
「嫌です」
「でもやる?」
「やります」
「ほな一緒や」
「あなたと一緒にしないでください」
理香子が小さく息を吐いた。
「私も同時共有を切ります。必要な情報だけ個別送信します」
「それ、理香子が一番嫌なんちゃう?」
「嫌です」
「全員嫌やん」
小鴉が言う。
「だから使う」
画面上で、三人を結んでいた一本の線が消えた。
代わりに、小鴉から三方向へ別々の線が伸びる。
「次は、いつもの三人で入るな」
小鴉が言った。
「四人で入る」
*
会議が終わる直前。
理香子の端末が一度だけ鳴った。
旧施設側。
受動監視系。
誰も接続していない。
それでも、施設内部の統合ログが断片的に漏れてくる。
「待ってください」
画面に新しい行。
《統合対象:31》
「増えた?」
アクト。
「昨日は二十七です」
次。
《統合対象:34》
リアルタイム。
三つ増える。
「何が増えた」
小鴉が訊く。
「警備ドローン二。搬送アーム一」
「人は」
「まだ」
次の行。
《統合対象:35》
理香子の指が止まる。
「一つ、生体です」
牧瀬が身を乗り出す。
「誰」
「施設内警備員。生存」
さらに。
《統合対象:36》
「また生体」
「分類」
黒曜。
「保守要員」
アクトの顔が硬くなる。
「増やしとるやん」
理香子は答えない。
画面へ別の値。
《運動同期:68.3%》
数秒。
《運動同期:71.9%》
その下。
《上位意思:複数》
一瞬だけ表示。
消える。
書き換わる。
《上位意思:単一》
誰も喋らなかった。
アクトは画面を見る。
理香子も。
黒曜も。
小鴉も。
施設の中で、人と機械が同じ欄へ増えていく。
誰か一人の意志へ。
「……始まっとるな」
アクトが言った。
理香子の画面では、また数字が一つ増えた。
《統合対象:37》
その下に。
《上位意思:単一》
今度は消えなかった。