SUBJECT A PHYSICAL INTEGRITY: COMPROMISED
SUBJECT B CARETAKING BEHAVIOR: CONFIRMED
PHYSICAL CONTACT TOLERANCE: INCREASED
CARE MOTIVE: CLASSIFIED AS OPERATIONAL
CLASSIFICATION RELIABILITY: LOW
CROWシステム/接触許容度更新
対象Aの身体状態:低下
対象Bの看護行動:確認
身体接触許容度:上昇
看護動機:作戦上の合理性として分類
分類信頼度:低
アクトトゥルスが体調不良を認めたのは、熱が三十九度を超えてからだった。
正確には、本人はいまだに認めていない。
「ちょっと暑いだけや」
ベッドの上で、アクトはそう主張した。
声はかすれていた。
赤いセルフレーム眼鏡は外され、枕元の小さなテーブルに置かれている。腰まで伸びた金髪は寝汗で首筋へ張りつき、普段はやや吊り気味の青い目も、今は焦点が定まっていなかった。
服装は黒いタンクトップとショートパンツ。
四肢の銀色のサイバーリムは露出したままだが、いつものような鋭さはない。両腕は力なく毛布の上へ投げ出され、クロームの指先が時折、小さく震えている。
赤い野球帽と機械式のウサ耳センサーモジュールは、部屋の隅にある椅子へ置かれていた。
耳を外したアクトは、普段よりずっと小さく見える。
魔法使いはベッド脇に立ち、体温計の表示を見つめていた。
「三十九・二度です」
「誤差や」
「許容できない誤差です」
「さっきより下がっとる」
「三十九・四度から〇・二度低下しただけでしょう」
「下がっとるやん」
「回復傾向とは判断できません」
魔法使いは体温計をケースへ戻した。
今夜の彼女は黒いローブではなく、暗い色のシャツと細身のパンツを着ていた。儀礼装束で他人の部屋へ来ると床の工具や部品へ裾を引っかける、と以前アクトに指摘されたためらしい。
本人は「衛生管理上の判断です」と説明した。
巨大な三角帽子もない。
杖だけは壁際に立てかけられ、その先端の紫水晶が一定の間隔で弱く明滅している。
「医者呼ばんでええって」
アクトが言った。
「すでに遠隔診療を手配しました」
「勝手に?」
「事前に通告しました」
「いつ」
「先ほどです」
「聞いてへん」
「返答がありませんでした」
「寝とったんや」
「意識状態の低下を確認したため、緊急性があると判断しました」
「ただの昼寝やろ」
「午後四時から午後九時まで、呼びかけへ反応しない状態を昼寝とは呼びません」
「よう寝ただけや」
「ドアも施錠されていませんでした」
アクトは薄く目を開けた。
「また勝手に入ったんか」
「呼びかけに応答がなかったため、安全確認を行いました」
「前にも聞いたわ、それ」
「今回は実際に安全上の問題がありました」
魔法使いは床へ視線を落とした。
部屋の中には、アクトが途中まで整備していた小銃の部品が並んでいる。工具箱は開いたまま。空のビール瓶が一本、作業台の端に置かれていた。
「発熱中に銃器の分解を行っていたのですか」
「熱あるて知らんかった」
「身体の異常へ気づかなかった?」
「なんか腕重いなとは思うた」
「その時点で作業を中断すべきです」
「右腕の応答遅れ、直しときたかったんや」
先日の護送任務で、右腕にごく僅かな動作遅延が出ていた。
魔法使いは専門家へ点検を依頼すべきだと主張した。
アクトは自分で直せると言った。
結局、整備予約を一方的に入れられる前に作業を終わらせようとして、昼過ぎから部品を広げた。
途中で身体が重くなった。
少し休むつもりでベッドへ横になった。
次に目を開けると、魔法使いが額へ手を当てていた。
生身の指が触れた瞬間、驚いて拳を振り上げかけたが、身体が動かなかった。
「何しとんねん」
最初に出た言葉がそれだった。
魔法使いは手を引かず、淡々と答えた。
「発熱を確認しています」
それから一時間。
水分を取らされ、薬を飲まされ、室温を調整され、寝具を交換された。
アクト自身は、ほとんど何もしていない。
「自分、こういうん慣れとるん?」
アクトが聞いた。
「何がです」
「看病」
魔法使いは水差しからグラスへ水を注いだ。
「基本的な医学知識はあります」
「実際に人の面倒見たことは?」
「ありません」
「初めてなんかい」
「問題がありますか」
「手際ええな思て」
「必要な手順を実行しているだけです」
魔法使いはアクトの背中へ手を回し、上体を起こそうとした。
「自分で起きる」
「先ほど失敗したでしょう」
「今度はいける」
アクトは肘をつき、身体を持ち上げようとした。
銀色の腕に力を込める。
だが、生身の肩と胴体がついてこない。
視界が暗くなり、身体が横へ傾く。
魔法使いの腕がすぐに背中を支えた。
「失敗しています」
「まだ途中や」
「倒れる途中でした」
「言い方」
アクトは不満そうに眉を寄せたが、抵抗する力は残っていなかった。
魔法使いの肩へ体重を預ける。
黒い髪が頬に触れる。
微かな香の匂いがした。
戦闘中、《混沌界》の中でも彼女を見失わなかった匂い。
薬草と、古い紙と、雨上がりの石に似た香り。
「近い」
アクトが言った。
「支えなければ水を飲めないでしょう」
「腕だけ貸してくれたらええ」
「現在のあなたは、自分の体重を適切に支持できません」
「機械の腕あるで」
「胴体は生身です」
「知っとるわ」
魔法使いはグラスをアクトの口元へ運んだ。
アクトは顔を背ける。
「自分で持つ」
「落とします」
「落とさん」
「では、持ってください」
魔法使いがグラスを差し出す。
アクトは右手で掴んだ。
人工触覚がガラスの硬さと温度を伝える。
握力は正常。
指の制御も問題ない。
だが、口元へ運ぶ途中で腕が止まった。
サイバーリムは動く。
それを支える生身の身体に力がない。
水面が揺れ、少しこぼれた。
魔法使いがグラスの底へ手を添える。
「補助します」
「いらん」
「すでにこぼれています」
「ちょっとや」
「寝具を交換した直後です」
「そこ気にする?」
「衛生管理です」
二人でグラスを持つような形になった。
銀色の指へ、魔法使いの白い指が重なっている。
アクトは何か言おうとしたが、喉が乾いていたため、先に水を飲んだ。
冷たい。
普段なら何でもない水が、妙にうまく感じた。
半分ほど飲んだところで、魔法使いがグラスを離す。
「もうええ」
「残りも飲んでください」
「腹たぷたぷや」
「発汗によって水分を失っています」
「あとで飲む」
「今です」
「自分、病人相手でも強引やな」
「病人だからです」
アクトは諦め、残りを飲んだ。
再び枕へ横になると、魔法使いが毛布を肩まで引き上げる。
「暑い」
「寒気を訴えていました」
「今は暑い」
「体温変動による感覚です。毛布を完全に外すべきではありません」
「半分」
「肩は覆います」
「首までいらん」
「分かりました」
魔法使いは毛布を胸元まで下げた。
交渉が成立したらしい。
アクトは目を閉じる。
静かだった。
部屋の空調音。
遠くを走る車両の音。
壁際の杖が発する、ごく小さな振動。
魔法使いが何かを操作する端末音。
しばらくして、アクトは薄く目を開けた。
「帰らへんの」
「あなたの状態が安定するまで残ります」
「明日、用事あるんちゃう」
「延期しました」
「仕事?」
「個人的な予定です」
「何の」
「あなたには関係ありません」
「気になるやろ」
「好奇心が強すぎます」
「自分があたしの予定全部把握しとるからや」
魔法使いは端末から顔を上げた。
「必要な範囲です」
「またそれや」
「明日の仕事は断りました」
アクトは目を開いた。
「何で」
「あなたが参加できないためです」
「自分だけ行ったらええやろ」
「二人を前提に受注した仕事です」
「別のサムライ入れてもらえば」
「必要ありません」
「報酬減るで」
「問題ありません」
「自分、金ないやろ」
魔法使いの眉が僅かに動いた。
「あなたに心配されるほどではありません」
「偽造SIN、まだ二やったっけ」
「現在は三です」
「上げたんや」
「以前、あなたが執拗に指摘したためです」
「えらいやん」
「子供扱いしないでください」
アクトは小さく笑った。
その笑いが咳へ変わった。
一度。
二度。
喉の奥が引きつり、胸が痛む。
身体を丸めようとしても、四肢の重さが邪魔をする。
魔法使いがすぐに背中へ手を当てた。
「ゆっくり呼吸してください」
「分かっとる」
「鼻から吸って」
「指図すんな」
「話さないでください」
咳が収まるまで、魔法使いの手は背中にあった。
手のひらが、呼吸に合わせてゆっくり動く。
アクトは目を閉じたまま、その感触を意識していた。
生身の背中に触れられるのは、あまり好きではない。
サイバーリムなら、触られても圧力値として処理できる。
生身の部分は違う。
温度も、指の動きも、距離の近さも、そのまま身体へ入ってくる。
だが、今は振り払う気になれなかった。
「もうええ」
咳が止まり、アクトが言った。
魔法使いは手を離した。
その動きがあまりに素直だったため、アクトは逆に落ち着かなくなった。
「……別に、すぐ離さんでもよかったけど」
「何です」
「何でもない」
「発熱によって言語機能にも影響が?」
「しばくぞ」
「その状態で?」
「治ったらな」
「記録しておきます」
魔法使いが端末へ視線を戻す。
アクトは毛布の中で身体を丸めた。
「魔法で治せへんの」
「治療呪文は外傷に有効ですが、感染症そのものを除去するものではありません」
「便利そうで不便やな」
「魔法を万能な道具だと思わないでください」
「自分が何でもできそうな顔しとるから」
「私は自分の能力範囲を正確に理解しています」
「正面玄関」
「高熱による錯乱ですか」
「覚えとるやん」
魔法使いは小さく息を吐いた。
アクトはその音を聞きながら、目を閉じる。
薬が効き始めたのか、身体の重さが増していく。
意識が沈む直前、額に冷たいものが触れた。
濡らした布。
魔法使いが前髪を避け、額へ置いたらしい。
「冷た」
「交換しますか」
「いや、ええ」
「温度が高すぎる場合は言ってください」
「冷たすぎる場合やろ」
「どちらでも」
「自分、ずっとここおる気?」
「先ほど説明しました」
「寝てええで」
「眠る予定はありません」
「なんで」
「体温と呼吸状態を定期的に確認します」
「端末に任せたらええやん」
「機械は誤作動する可能性があります」
アクトは薄く笑った。
「機械嫌い?」
「そうは言っていません」
「信用してへんやん」
「単独の情報源へ依存すべきではないと言っているだけです」
「ほな、自分の目でも見る?」
「はい」
「ずっと?」
魔法使いは一瞬だけ黙った。
「必要な時間だけです」
「便利な言葉やな」
アクトはそのまま眠りへ落ちた。
次に目を覚ましたとき、部屋は暗かった。
窓の外が僅かに青い。
夜明け前。
額の布は新しいものへ替えられていた。
喉の痛みは残っているが、身体の熱は少し引いている。
枕元の体温計を取ろうとして、隣に人の気配があることに気づいた。
魔法使いが、ベッド脇の椅子に座ったまま眠っていた。
腕を組み、背筋を伸ばした姿勢。
それでも頭は僅かに横へ傾き、黒い髪が頬にかかっている。
普段の張りつめた表情はない。
年相応の、疲れた若い女の顔だった。
アクトはしばらく眺めた。
端末は膝の上。
画面には、体温と脈拍の記録が並んでいる。
三十分ごとに数値が入力されていた。
最後の記録は、十五分前。
「寝とるやん」
小声で言う。
魔法使いは起きない。
アクトは毛布から右腕を出した。
銀色の指を伸ばす。
黒い髪へ触れる直前で止めた。
何をしようとしたのか、自分でも分からなかった。
髪を避けるだけ。
起こすだけ。
たぶん、そんなところだ。
結局、指先は魔法使いの肩へ触れた。
「自分」
魔法使いの目が即座に開いた。
眠っていたとは思えない速さだった。
「体調は」
「第一声それかい」
「異常は?」
「ちょい楽」
魔法使いが体温計を取り、アクトへ向ける。
「測定します」
「自分でできる」
「先ほどは失敗しました」
「今はいける」
「確認します」
アクトは体温計を受け取った。
脇に挟み、待つ。
魔法使いは正面からじっと見ている。
「見んでええやろ」
「測定中に落とさないか確認しています」
「子供ちゃうぞ」
「昨夜、水のグラスを落としかけました」
「熱あったからや」
「今もあります」
電子音。
表示は三十七・八度。
魔法使いが画面を確認する。
「低下しています」
「ほら、治った」
「平熱ではありません」
「もう寝とったら治る」
「朝食後に薬を飲んでください」
「腹減ってへん」
「少量でも食べる必要があります」
「何ある?」
魔法使いは立ち上がった。
「消化しやすいスープを用意しました」
「自分が作ったん?」
「レシピに従いました」
「食える?」
「成分上は問題ありません」
「味の話や」
魔法使いは答えない。
アクトは少し嫌な予感がした。
キッチンから運ばれてきたスープは、見た目だけなら普通だった。
透明な汁。
細かく刻まれた野菜。
柔らかく煮た穀物。
魔法使いはベッド脇へ小さなテーブルを寄せ、器を置く。
「起きられますか」
「いける」
今度は、アクトはゆっくり身体を起こした。
魔法使いは手を出さない。
ただし、すぐ支えられる距離へ立っている。
アクトはそれに気づいたが、何も言わなかった。
スプーンを持つ。
一口。
味が薄い。
香辛料の配分が微妙におかしい。
不味くはない。
うまくもない。
病人食としては、たぶん正しい。
「どうです」
魔法使いが聞く。
「健康に良さそうな味やな」
「具体的に」
「味せえへん」
「塩分を制限しました」
「制限しすぎや」
「発熱時には刺激物を避けるべきです」
「あと、なんか苦い」
「薬草です」
「入れたんか」
「抗炎症作用があります」
「普通のスープにしてくれ」
「食べられないほどですか」
アクトはもう一口飲んだ。
「食える」
「なら問題ありません」
「美味いとは言うてへんで」
「栄養摂取が目的です」
魔法使いはそう言いながら、器の中を気にしている。
アクトは三口目を飲む。
「まあ、初めてにしては悪ない」
「慰めは不要です」
「褒めとるんや」
「分かりにくい」
「自分もやろ」
魔法使いは黙った。
だが、杖の紫水晶が一度だけ少し明るくなった。
アクトは時間をかけて、スープを半分ほど食べた。
そこで力尽き、スプーンを置く。
「もう無理」
「残りは後で構いません」
「珍しく強制せえへんのやな」
「吐かれては逆効果です」
「合理的やな」
「当然です」
薬を飲み、再び横になる。
魔法使いが器を片づける。
アクトはその背中を見ていた。
「なあ」
「何です」
「昨日の予定、何やったん」
「関係ありません」
「看病代わってもろたんやから、気になる」
「代わっていません」
「延期した言うたやろ」
魔法使いは少し黙った。
「魔術用品の競売です」
「欲しいもんあった?」
「古い収束具が一つ」
「高いやつ?」
「相場より安く入手できる可能性がありました」
「行かんでよかったんか」
「すでに終了しています」
「悪かったな」
魔法使いが振り返る。
「なぜ謝るのです」
「自分の予定潰したから」
「私が判断しました」
「でも」
「収束具は別の機会にも入手できます」
「限定品ちゃうの」
「代替品はあります」
魔法使いは器を持ったまま、ベッド脇へ戻ってきた。
「あなたの代替は、現在用意できません」
アクトは目を瞬いた。
魔法使いも、自分が何を言ったのか理解したらしい。
視線が僅かに逸れる。
「チーム編成上の話です」
「まだ何も言うてへん」
「誤解を避けるためです」
「顔、赤ない?」
「室温の影響です」
「二十二度やで」
「調理後ですから」
「キッチンから離れとるやん」
魔法使いは器を持って部屋を出ていった。
逃げた、とアクトは思った。
声を出して笑おうとしたが、また咳が出そうだったのでやめる。
代わりに毛布を鼻まで引き上げた。
熱のせいだけではなく、顔が少し熱かった。
しばらくして、魔法使いが戻ってくる。
何事もなかったような顔をしていた。
「眠ってください」
「自分は?」
「ここにいます」
「競売の代わりに?」
「健康状態の監視です」
「役割分担?」
魔法使いはベッド脇の椅子へ座った。
「便利な言葉です」
アクトは目を閉じる。
「治ったら酒奢るわ」
「不要です」
「ほな飯」
「あなたの料理は信用できません」
「焼くだけならできる」
「栄養配分に問題があります」
「自分よりは味あるで」
「先ほどのスープを完食してから言ってください」
「治ったらな」
「約束です」
「はいはい」
「その返答をやめてください」
「治ったらな」
アクトは笑いながら、ゆっくり眠りへ落ちていった。
今度は寒くなかった。
毛布があるからだけではない。
ベッドの隣に、誰かがいる。
定期的に額へ触れ、呼吸を確認し、水を替え、薬の時間を記録する。
本人はそれを看病とは呼ばないだろう。
健康管理。
戦力維持。
チーム編成上の必要性。
あるいは、役割分担。
便利な言葉はいくつもある。
アクトも、それを指摘するつもりはなかった。
ただ眠る直前、毛布の外へ出した銀色の手を、魔法使いの座る椅子のほうへ少しだけ伸ばした。
魔法使いは何も言わなかった。
白い指が、クロームの指先へ軽く触れた。
熱を測るには、そこは適切な場所ではない。
それでも二人は、朝まで手を離さなかった。
共通修正:全話の行頭字下げを削除し、ハーメルン向けの字下げなしに統一。
(7,31,2026)