CROW SYSTEM / COMBAT PRIORITY ANALYSIS
SUBJECT A SELF-PRESERVATION: OVERRIDDEN
SUBJECT B SURVIVAL PRIORITY: ELEVATED
MUTUAL PROTECTIVE RESPONSE: CONFIRMED
TACTICAL RATIONALITY: DEGRADED
RELATIONSHIP MODEL: EXPANDING
CROWシステム/戦闘優先順位分析
対象Aの自己保存:上書き
対象Bの生存優先度:上昇
相互保護反応:確認
戦術的合理性:低下
関係性モデル:拡張中
最初の一発が飛んできたとき、アクトはまだ銃を構えていなかった。
乾いた破裂音が、廃貨物駅の天井を殴った。
続いて、赤い野球帽のつばが跳ね上がる。
帽子の上に取り付けられた機械式のウサ耳センサーが激しく揺れ、右耳側の外装から白い火花が散った。
「うわっ」
アクトは首をすくめた。
弾丸は帽子をかすめたのではない。
額の中央に命中していた。
赤いセルフレーム眼鏡の奥で、青い瞳が一度だけ瞬く。
衝撃を受けた頭部が後ろへ仰け反ったが、足は動かなかった。コンバットブーツの底が、油と錆に汚れたコンクリート床をしっかり捉えている。
額には傷一つない。
オルソスキンと骨格補綴、防具の裏に仕込まれた衝撃分散材が、弾頭の運動エネルギーを受け流していた。
「いったぁ……」
痛みはある。
無傷と無痛は、別の話だった。
「伏せなさい!」
黒曜の声が響く。
同時に、二発目がアクトの左肩を打った。
ジャケットが裂け、その下の銀色のサイバーアームに黄色い火花が咲く。クロームの表面に施された細い丁銀細工を、弾丸が一筋削り取った。
「こら!」
アクトはようやく背中のアサルトライフルを抜いた。
「これ磨くん、めっちゃ時間かかるんやぞ!」
三発目。
胸。
四発目。
右脇腹。
五発目は左腿。
小柄な身体が、立て続けに撃たれる。
赤い帽子が揺れ、金髪が舞い、銀色の四肢が火花を吐く。
それでもアクトは倒れなかった。
むしろ、一歩前へ出た。
廃貨物駅のホームには、積み上げられた輸送コンテナと、半壊した無人搬送車が並んでいた。頭上には錆びたクレーンレール。左右に伸びる線路は、闇の中で途切れている。
遮蔽物は多い。
だが敵も多い。
敵の数を数えるより先に、銃口の光が暗闇を埋めた。
右側の高架通路に三人。
正面のコンテナの上に二人。
左の保守事務所の窓に四人。
さらに奥、列車の残骸の陰から重い連射音。
最低でも十人。
アクトのサイバーアイが、発砲炎と射線を重ねて表示する。
そのほぼすべてが、彼女へ向いていた。
「人気者はつらいなあ!」
アクトは叫び、アサルトライフルを肩へ当てた。
短い三点射。
高架通路の一人が、手すりの向こうへ転がる。
銃口を振る。
もう一度、三点射。
保守事務所の窓ガラスが砕け、奥にいた男が頭を下げた。
黒曜はアクトの六メートル後方にいた。
長い黒いローブの裾を引き、崩れた貨物台車の陰に身を寄せている。大きな魔女帽子の縁が、弾丸の風圧に震えた。
黒髪のおかっぱが頬へ張りついている。
右手には古風な杖。
紫色の結晶が、呼吸するように明滅していた。
「敵の右側を封じます」
「頼むわ!」
黒曜が杖の石突きを床へ打ちつけた。
乾いた音が一つ。
その直後、廃駅の右半分が歪んだ。
積み上げられたコンテナが二重に見えた。
床が斜めに持ち上がり、壁が液体のように波打つ。
右側にいた敵の銃口が、一斉に別の方向へ向く。
混沌界。
視覚だけではない。
距離感、上下、音の方向、足裏の感覚。
周囲の現実そのものが、信用できない情報へ書き換えられる。
敵の一人が空中へ向けて発砲した。
別の一人は、存在しない柱の陰へ飛び込もうとして床へ転倒した。
「右、空いたで!」
アクトが走り出す。
彼女の視界にも、床が大きく傾いて見えた。
線路が天井へ向かって伸び、コンテナの壁面が足元に変わる。
だがサイバーイヤーの平衡強化と、サイバーリムの関節角度情報は、床が水平であることを示していた。
目は嘘をついている。
機械は違う。
アクトは迷わない。
三歩。
四歩。
五歩目で、右脚を強く踏み込む。
銀色のサイバーレッグが床を蹴り、身体が低く滑った。
敵の一人が、混乱の中で彼女へ気づく。
アクトは銃を横へ振り、敵のライフルを銃床で叩き上げた。
火を噴いた銃口が天井を撃つ。
そのまま懐へ入る。
左腕を敵の脇へ差し込む。
腰を落とす。
「よいしょっ!」
柔術の投げ。
敵の身体が宙へ浮かび、背中から床へ落ちた。
呼吸が止まる音。
アクトは倒れた男を踏み越え、次の敵へ銃口を向けた。
しかし、混沌界の外にいた敵は冷静だった。
奥の列車の残骸から、重い発砲音が響く。
通常のアサルトライフルではない。
大口径。
銃声というより、金属板を巨大なハンマーで殴りつけたような音だった。
「アクト!」
黒曜が叫んだ。
警告より弾丸のほうが速い。
アクトの胸部に命中。
身体が浮いた。
小柄な身体が一メートル近く後ろへ飛び、コンテナの側面へ叩きつけられる。
金属壁が大きくへこむ。
赤い帽子が落ちた。
金髪が広がる。
アサルトライフルが手から離れ、床を滑っていった。
黒曜の顔から血の気が引いた。
「アクト!」
「……うるさ」
へこんだコンテナの壁から、アクトが身を起こした。
胸元のジャケットには、大きな穴が開いていた。
防弾プレートの表面が割れ、白い繊維が露出している。
その下。
生身の胸元には、赤い痣が浮かび始めていた。
だが血はない。
骨も折れていない。
肺も動いている。
「――っ、ぁ」
息を吸おうとしても、胸が痙攣するだけだった。
割れた防弾プレートの破片が、ジャケットの裂け目から床へ散る。胸元の固定具が一つ弾け飛び、白い防弾繊維が毛羽立っていた。
視界の端へ警告表示が重なる。
胸部衝撃。
呼吸周期異常。
右肩応答遅延。
致命的損傷――なし。
アクトは膝をついたまま、二度、三度と短く息を吸った。
ようやく空気が肺へ入る。代わりに、胸骨の裏側へ鈍い痛みが広がった。
「いっつ……何や今の」
口の中に鉄の味がする。
血は出ていない。骨も折れていない。肺も動いている。
だが心臓は、全力で走り切った直後のように暴れていた。
サイバーアイが、奥の射手を拡大する。
列車の残骸の陰。
固定脚付きの大型ライフル。
装甲目標用の弾薬。
「対物持ちかいな。そら痛いわ」
彼女は落ちた帽子を拾った。
潰れたウサ耳センサーを指で起こし、もう一度かぶる。
「大丈夫なのですか」
黒曜の声が震えていた。
「見ての通りや」
「見たところ、胸部へ大口径弾を受けています」
「それも見ての通りやな」
「あなたはなぜ立っているのです」
「丈夫やから」
アクトは床のライフルへ向かって歩き出した。
その瞬間、左右から一斉射撃。
十数発の弾丸が飛来する。
肩。
腕。
腹。
脚。
背中。
クロームの四肢が弾丸を弾き、細かい火花が線を描く。
右前腕の外装板が固定具ごと弾け、回転しながら床を滑った。左腿の化粧カバーが裂け、内部フレームが覗く。アーマージャケットの布片が舞い、片方のウサ耳センサーが根元から折れた。
それでも右腕は動く。
左脚も荷重を支えている。
照準系も歩行制御も、生きている。
アクトは腕で顔を覆ったまま進む。
一歩。
二歩。
右膝に被弾。
関節が沈み、床へ膝をつきかける。
制御系が姿勢を補正した。
立てる。だが警告表示は消えない。
三歩。
左肩に二発。
上体が振られ、腕の反応が一拍遅れる。
四歩。
脇腹に一発。
胃がせり上がり、喉の奥から苦い息が漏れた。
耳鳴りの向こうで銃声が続いている。呼吸は、もう整わない。
五歩目で、ライフルを拾った。
「黒曜!」
「聞こえています」
「あのデカいやつ、黙らせられるか!」
返事はすぐには来なかった。
黒曜は貨物台車の陰で、杖を両手に持っていた。
青白い顔。
唇から血が一筋流れている。
混沌界を維持したまま、大口径射手を探っていたのだ。
敵の装備には、魔法対策が施されている。
護符。
防護術式。
さらに射手の周囲には、ぼんやりとした霊的な霞がある。
敵側にも魔術支援がいる。
黒曜は目を閉じた。
「黙らせます」
短く言い切る。
杖の紫晶が強く光った。
彼女の周囲で空気が沈んだ。
音が一瞬、遠くなる。
黒曜の意識が、物質界の表面から深く沈み込む。
アストラルの視界。
敵の生命が火のように浮かぶ。
奥の射手。
その背後に、隠れている魔法使い。
痩せた男。
術式を維持しながら、大口径射手を魔法的に補助している。
黒曜は標的を選んだ。
射手ではない。
魔法使い。
「あなたの術式は、粗雑です」
敵には聞こえない声で言う。
黒曜の左手が宙を切った。
不可視の力が、遠距離を一息で駆け抜ける。
敵魔法使いの防護が弾けた。
紫と青の光が、列車の陰で爆ぜる。
男の身体が壁へ押しつけられた。
護符が砕ける。
同時に、対物ライフルの射手が銃を取り落とした。
補助術式が切れた。
「やった!」
アクトが笑う。
だが黒曜は返事をしなかった。
杖の紫晶が暗くなる。
彼女の膝が崩れた。
「黒曜?」
魔法は成功していた。
完璧に。
だからこそ、反動も完全だった。
過剰な魔力を一気に通した代償が、術者の内側へ返ってくる。
ドレイン。
黒曜の視界が白く染まる。
喉の奥に鉄の味。
鼻から血が流れ、床へ落ちた。
彼女は片手をつこうとした。
力が入らない。
杖が床へ倒れ、甲高い音を立てた。
混沌界が消える。
歪んでいた駅が、突然本来の形へ戻った。
敵兵たちは一瞬だけ戸惑ったが、すぐに状況を理解した。
魔法が切れた。
術者が倒れた。
そして、アクトは遮蔽物の外にいる。
「……あかん」
アクトの声から笑いが消えた。
敵の銃口が、一斉に黒曜へ向く。
倒れた魔法使い。
戦力外。
無防備。
優先して排除すべき標的。
それは敵にとって、あまりにも正しい判断だった。
「それは、あかんやろ」
アクトは走った。
黒曜まで十二メートル。
敵が引き金を絞る。
銃撃音が重なり、一つの巨大な轟音になる。
アクトは黒曜と敵の間へ滑り込んだ。
膝をつく。
身体を広げる。
左腕を黒曜の頭の前へ。
右腕で胴を覆う。
背中を敵へ向けた。
弾丸が降り注いだ。
背部装甲へ連続着弾。
金属音。
布が裂ける音。
クロームへ弾頭が食い込む音。
帽子が再び飛ばされる。
金髪が弾風にあおられる。
一発が右肩の継ぎ目へ入った。
エラー表示が視界に浮かぶ。
右腕出力、八十二パーセント。
二発目が左腿。
外装損傷。
三発目が腰部。
衝撃吸収限界に接近。
四発目。
五発目。
六発目。
数えるのをやめた。
アクトはただ、黒曜を覆った。
「……アクト」
黒曜がかすれた声を出す。
「喋んな」
「私は……まだ、術式を」
「無理や」
「可能です」
「手ぇ震えとるやろ」
「これは、一時的な生理的反応です」
「戦力外っちゅうねん」
「訂正を要求します」
「却下や」
アクトの背中へ、さらに銃弾が叩き込まれる。
身体が前へ押される。
黒曜の上へ覆いかぶさりそうになり、両腕で床を支えた。
銀色の指がコンクリートへ食い込む。
クロームの表面には無数の傷。
丁銀細工は削れ、黒い火薬汚れがこびりついている。
それでも腕は折れない。
「なぜ」
黒曜が問う。
「何や」
「なぜ、遮蔽物へ移動しないのです」
「移動したら、お前に当たるやろ」
「私は防御術式を」
「今のお前が張ったら、死ぬやろが」
黒曜は黙った。
アクトの身体越しに、射撃の衝撃が伝わってくる。
一発ごとに、小さな身体が震える。
無傷。
確かに、まだ無傷だった。
装甲は削れている。
サイバーリムの外装も傷だらけ。
防具はほとんど原形を失っている。
胸には痣が広がり、呼吸のたびに痛みが走る。
だが致命傷はない。
それでも黒曜には、彼女が少しずつ壊れていくように見えた。
撃たれるたびに。
守るたびに。
「アクト」
「今度は何や」
「十一時方向。保守事務所の下」
黒曜は目だけを動かしていた。
魔法は使えない。
立つこともできない。
それでも観察はできる。
「弾薬箱があります」
アクトの視界が、示された位置を拡大する。
保守事務所の一階。
崩れたシャッターの奥。
黄色い危険物表示。
古い燃料セルと、敵が持ち込んだ予備弾薬箱。
「距離は?」
「二十八メートル」
「間にコンテナ二枚」
「一枚目は薄い。二枚目の下部には腐食があります」
「見えとるんか」
「私は完璧です」
「今、地面に転がっとるけどな」
「姿勢と能力は無関係です」
アクトは口元を歪めた。
「ほな、使わせてもらうで。完璧な観測」
彼女は左腕で黒曜を覆ったまま、右手のアサルトライフルを持ち直した。
右肩の出力が落ちている。
照準が微妙に揺れる。
スマートリンクが補正値を出す。
アクトは呼吸を止めた。
敵は撃ち続けている。
背中への衝撃。
肩への衝撃。
右腕の照準が跳ねる。
それでも銃口を、十一時方向へ向けた。
「一枚目、抜く」
引き金。
短い連射。
弾丸が薄いコンテナ壁を貫く。
「下へ四十センチ」
黒曜が言う。
アクトは銃口を下げる。
「右へ二十」
修正。
「そこです」
引き金を絞る。
弾丸が腐食した金属板を突き破り、その向こうの燃料セルへ届いた。
一瞬の沈黙。
次の瞬間、保守事務所の下部が膨れ上がった。
白い閃光。
爆発。
弾薬箱が誘爆し、衝撃波が駅構内を駆け抜ける。
窓ガラスが一斉に砕けた。
高架通路の敵が吹き飛ぶ。
コンテナ上の二人が伏せる。
駅の右半分が炎と煙に包まれた。
銃撃が止まる。
「今や!」
アクトは黒曜の身体を抱き上げた。
細身だが背は高い。
アクトよりずっと大きい。
それでもサイバーアームは容易に持ち上げる。
「下ろしなさい」
「歩けるんか」
「歩行能力に問題は」
黒曜の足が床についた。
膝が折れた。
「あるやん」
「これは床面が不安定なためです」
「床、めっちゃ平らやで」
アクトは黒曜を左肩へ担ぎ上げた。
長いローブが背中に垂れ、魔女帽子は貨物台車のそばに残された。
「帽子」
「諦め」
「高価なのです」
「命より安いやろ」
「比較対象として不適切です」
「元気やな!」
アクトは煙の中を走る。
右腕の出力低下。
左腿の外装損傷。
背部装甲限界。
サイバーアイの表示が、警告で埋まっている。
その向こうに、脱出経路。
保守用の側扉まで二十メートル。
敵が煙の中から姿を現す。
一人。
アクトは走りながら射撃。
敵の足元を撃ち、進路をずらす。
二人目。
弾切れ。
「ちっ」
ライフルを捨てる。
左腿のホルスターから拳銃を抜く。
三発。
敵がコンテナの陰へ退く。
黒曜を担いだまま、アクトは側扉へ近づく。
あと八メートル。
背後で、重い金属音。
対物ライフルの射手が、予備武器を構えていた。
大型の自動散弾銃。
至近距離。
射線上にはアクトの背中。
その肩に黒曜。
避ければ、黒曜が撃たれる。
アクトは振り返った。
「頭、下げ!」
黒曜の身体を抱き込み、自分の胸元へ押しつける。
銃声。
散弾がアクトの背中へ叩き込まれた。
ジャケットの残骸が吹き飛ぶ。
身体が前へ倒れる。
だが転ばない。
右脚を踏ん張る。
平衡強化が姿勢を再計算。
反応力強化が、次の動きを先に作る。
アクトは黒曜を片腕で抱えたまま、身体を回した。
拳銃を撃つ。
一発。
射手の散弾銃が跳ねる。
二発。
肩。
三発目は撃たなかった。
距離を詰める。
射手は大柄だった。
アクトの倍近い体重。
だが重さは、投げられない理由にならない。
アクトは黒曜を床へ滑らせるように下ろし、敵の腕を取った。
散弾銃の銃口を外へ向ける。
敵が殴りかかる。
アクトは頭を沈めた。
拳が帽子のない頭上を通過する。
懐へ入る。
右足を敵の足の外へ。
腰をぶつける。
肘を引く。
身体を回す。
大柄な射手の足が床から離れた。
「せぇ、のっ!」
敵が宙を舞った。
背中から床へ落ちる。
散弾銃が転がる。
アクトは敵の腕を捻り上げ、肩関節を固定した。
「まだやる?」
敵が何かを言おうとする。
アクトは少しだけ力を加えた。
関節が軋む。
「聞こえへんかった?」
男は武器から手を離した。
「よろしい」
アクトは立ち上がる。
黒曜を見る。
彼女は床へ座り込み、壁にもたれていた。
顔は青白い。
鼻血は止まっていない。
だが目は開いている。
「立てる?」
「当然です」
「ほんまに?」
「ええ」
黒曜は壁へ手をつき、立ち上がろうとした。
脚に力が入らない。
ゆっくりと元の位置へ座り直す。
「……現在は、立つ必要性がありません」
「そら便利な理屈やな」
アクトは笑った。
そのとき、側扉の向こうで車のエンジン音が鳴った。
回収車両。
デッカーが遠隔で寄越した無人バンだ。
扉が開く。
「ほら、帰るで」
アクトが黒曜へ手を伸ばす。
黒曜はその手を見た。
銀色のクローム。
傷だらけ。
火薬で黒く汚れ、丁銀細工の一部は削れている。
指先には、弾丸の破片が食い込んでいた。
「あなたは」
黒曜が言った。
「ん?」
「負傷していないのですか」
「してへんで」
「大量に被弾していました」
「当たっただけや」
「それを一般的には負傷と呼びます」
「血ぃ出てへんやろ」
アクトは自分の身体を見下ろした。
ジャケットは穴だらけ。
胸元の防弾材は裂けている。
サイバーリムには無数の弾痕。
右肩の動作にはわずかな遅延。
左膝から細い煙。
帽子は失った。
ウサ耳センサーもたぶん修理が必要だ。
だが肉体は無事。
歩ける。
撃てる。
まだ戦える。
「ほらな。無傷や」
「その言葉の定義について、後ほど議論が必要です」
「元気になってからにしてや」
「私は元気です」
「戦力外やったやん」
「魔力反動による一時的な機能低下です」
「それを戦力外言うんや」
黒曜は不満そうに目を細めた。
アクトはその身体を再び抱き上げる。
「自分で歩けます」
「ほな歩いてみ」
黒曜は黙った。
「素直でよろしい」
アクトが無人バンへ向かう。
背後では、燃料セルの火が廃駅の天井を赤く照らしていた。
砕けたガラス。
転がる薬莢。
煙の中で明滅する非常灯。
ほんの数分前まで静かだった貨物駅は、砲撃を受けた戦場のように変わり果てている。
その中心を、赤い帽子を失った金髪の少女が歩いていた。
腕の中には、動けなくなった黒衣の魔法使い。
少女の身体には、数え切れないほどの弾痕がある。
だが一滴の血も落ちていない。
無人バンの後部ドアが開く。
アクトは黒曜を座席へ寝かせた。
医療キットを起動する。
自動診断アームが伸び、黒曜の瞳孔と脈拍を確認する。
「重度の疲労、急性ストレス反応、魔力行使に伴う身体負荷……やて」
「診断精度が低い機器です」
「今のお前よりは正確やろ」
「比較根拠を提示してください」
「まだ言うか」
アクトは黒曜の鼻血を布で拭いた。
乱暴に見えて、手つきは慎重だった。
黒曜は抵抗しない。
代わりに、アクトの胸元へ目を向けた。
「そこを見せなさい」
「何を」
「被弾箇所です」
「嫌や」
「なぜです」
「下着見えるやん」
「医療行為です」
「お前、医者ちゃうやろ」
「身体構造については理解しています」
「サイバーリムの整備もまともにできへんくせに」
「魔術師に機械整備を要求すること自体が不合理です」
「ほな、あたしの身体見るんも不合理やな」
黒曜は数秒黙った。
「では、ストリートドクへ直行します」
「帰って寝たい」
「却下します」
「何でや」
「あなたは自分を無傷と誤認しています」
「誤認ちゃう」
「胸部に対物弾。背部に散弾。その他、少なくとも三十発以上」
「数えとったん?」
「途中までは」
「暇やったんやな」
「あなたが私の上で撃たれ続けていたため、他に観察対象がありませんでした」
アクトは返事をしなかった。
無人バンが動き出す。
貨物駅が遠ざかる。
窓の外では、赤い炎が闇の中へ沈んでいった。
しばらくして、黒曜が言った。
「アクト」
「何や」
「先ほどの行動は、合理的ではありません」
「どれ」
「私を庇ったことです」
「ああ」
「あなたが倒れれば、撤退能力が失われます。私はすでに戦闘能力を喪失していました。戦術的価値で比較すれば、優先すべきはあなたの生存です」
「せやな」
「では、なぜ」
「お前に当たったら死ぬやろ」
「質問への回答になっていません」
「なっとる」
「私は、あなたより戦術的価値が低下していました」
「せやから何やねん」
アクトは右腕の外装から、食い込んだ弾丸の破片を爪で引き抜いた。
小さな金属片が床へ落ちる。
「戦力外になった仲間を、そのまま撃たせるほど、あたし賢くないねん」
「それは知性ではなく、判断基準の問題です」
「ほな、その判断基準がそうなんや」
「非合理です」
「お前もやろ」
黒曜の目が細くなる。
「私は常に合理的です」
「対物持ちの後ろに魔法使い見つけたからって、一人で無理して焼きに行って、ドレイン食らって倒れたやつが?」
「あれは必要な攻撃でした」
「結果、立てんようになったやん」
「敵術者の排除には成功しました」
「あたしが撃たれまくるんも、敵の弾使わせて、お前を守れて、最後は全員倒したんやから成功やな」
「それとこれとは」
「何が違うん?」
黒曜は口を閉じた。
アクトは笑う。
「似たもん同士やな、あたしら」
「撤回してください」
「嫌や」
「私はあなたほど無謀ではありません」
「今日、戦力外になったんはどっちやっけ」
「一時的機能低下です」
「はいはい」
アクトは座席へ背中を預けた。
その瞬間、顔がわずかに歪む。
散弾を受けた箇所が、背もたれへ触れた。
息を吐こうとして、途中で止まる。胸が痛み、浅い呼吸だけが何度も続いた。
黒曜はそれを見逃さなかった。
「痛むのですね」
「痛ない」
「今、表情が変化しました」
「車が揺れただけや」
「路面は平坦です」
「うるさい」
黒曜は身体を起こそうとした。
すぐに眩暈が来て、座席へ戻る。
それでも手を伸ばした。
白く細い指が、アクトの銀色の右腕へ触れる。
弾痕の一つをなぞる。
「……傷だらけです」
「磨けば戻る」
「装飾が削れています」
「彫り直せばええ」
「右肩の応答も遅延しています」
「調整すれば治る」
「胸部は生身です」
「痣だけや」
「あなたは、何をもって無傷と定義しているのです」
アクトは窓の外を見た。
街の灯りが流れていく。
赤。
青。
紫。
雨に濡れた道路へ、ネオンが長く伸びている。
「あたしが動けて、お前も生きとる」
それだけ言った。
「それで十分や」
黒曜は彼女を見つめた。
反論を探している顔だった。
だが、見つからなかったらしい。
代わりに、銀色の腕へ触れたまま目を閉じる。
「次回は」
黒曜が小さく言う。
「何や」
「私が先に倒れることはありません」
「そうしてや」
「あなたも、必要以上に被弾しないでください」
「必要な分しか当たってへん」
「三十発以上が必要だったとは思えません」
「全部お前に飛んどったやつや」
「……そうですか」
「せや」
黒曜は、それ以上何も言わなかった。
無人バンは夜の街を走り続ける。
座席の下には、アクトの身体から剥がれ落ちた弾頭の破片が散らばっている。
クロームの腕には傷。
脚には焦げ跡。
胸には大きな痣。
背中には散弾の跡。
それでも彼女は、自分を無傷だと言った。
たぶん明日になれば、ストリートドクに怒鳴られる。
修理費の請求を見て、もっと大きな声で怒鳴る。
丁銀細工を彫り直す間、ずっと機嫌を悪くする。
黒曜は数日、魔法を使えない。
そしておそらく、自分は戦力外ではなかったと主張し続ける。
いつもと同じだった。
ただ一つ違うのは、眠りへ落ちる直前まで、黒曜の指がアクトの傷ついた腕から離れなかったことだけだ。
アクトはそれに気づいていた。
だが、何も言わなかった。
外す理由も、特になかった。
共通修正:全話の行頭字下げを削除し、ハーメルン向けの字下げなしに統一。
息切れ、装備外装の破損、機能維持など、ダメージの蓄積が伝わる描写を強化。
(7,31,2026)