第1話 剣の稽古をサボった日
僕は今日、初めて剣の稽古をサボった。
元々傭兵だった今世の両親の知り合い――メティアさんを師匠に、僕はここ数か月、剣の稽古に励んでいた。
彼女は剣の腕はもちろん、指導も得意なようで、僕が稽古でつまずく度にどこが間違っているのか、どう改善するかを丁寧に教えてくれた。
感覚派で説明下手な両親が頼るのも頷ける、そんな人だった。
彼女のおかげで、僕は剣の腕をメキメキと上げていった。
一方で、どれだけ上達を実感しようが、どれだけ両親やメティアさんに称賛を受けようが、剣が僕の心を満たしてくれることはなかった。
だからだろうか。
僕はメティアさんの目を盗み、稽古を抜け出してしまった。
「それにしても、初めて稽古をサボったツケがこれってのはなぁ……」
「ボーっとしてたと思ったら、急に何言ってんだこのガキ」
「まあまあ、そう言うなって。これから身ぐるみはがされて殺されるんだ。現実逃避でもしないとやってらんねぇんだろ、きっと」
稽古を抜け出した僕は、森で散歩をしていたところを運悪く野盗に見つかった。
すぐにその場から逃げ出したが、逃げた甲斐なく岩壁まで追い込まれ、こうして取り囲まれている。
街の治安維持隊に文句の一つも言ってやりたかったが、その治安維持隊が嬲り殺しにされている所に居合わせてしまったのだから、そうもいかない。
野盗たちは、こんなことを考えている間にも、僕が身に付けた物を値踏みするかのような目をして、じりじりとこちらに近づいてくる。
こんなもの、売っても大した金にならないだろうによくやる。
そんな視線から逃れようにも、前には野盗、後ろは壁とそもそも逃げ場がない。
かといって、素人の僕が戦って勝ち目があるかと言われればそれもまず無理だ。
ここから生きて帰るのは不可能と言えた。
「まあけど、いいか」
どうせ一度は死んだんだ。
それに、今世で――いや、前世を含めてやりたいことなんて一つもなかった。
満たされることもなかった。
そんな退屈なだけの人生をもう一度歩むくらいなら、ここで死んでしまっても構わなかった。
壁にもたれ掛かるように、僕はその場に座り込んだ。
「ようやく諦めたか。手間かけさせやがって」
「さっさと取るもん取って殺しちまおう」
野盗たちはまだ何やら言っているが、何を言っているのかよく聞き取れない。
むしろ奴らのざっざという足音の方が耳に響いた。
死が形をもって近づいてくるようだ。
そう言えば、前世もこんな風に、誰かも分からない奴らに殺されたような気がする。
そう思うと、こんな状況にすら懐かしさを覚えるのだから不思議なものだ。
少し離れた場所で足音が止む。
「お前、今から死ぬってのに、なんで笑ってんだ。気持ち悪い」
僕が笑っている?
右手を頬に伸ばす。
確かに頬が上がっていた。
野盗の言う通り、僕は死を目前に笑ってしまっているらしい。
「気付いてなかったのか……」
心底気持ちが悪いのか、その声には嫌悪すら滲んでいた。
「そうだね、教えてくれなかったら多分気が付かなかった」
「ッチ。まあいい、そのまま動くなよ。そうすれば楽に逝かせてやる」
ブンと野盗の持つ剣が振り上がる。
僕は目を閉じ、死を迎える準備をする。
……そうだ、死ぬ前に稽古をサボったこと、謝っておくか。
「サボってごめんなさい」
「死ね」
風が薙いだ。
「謝るくらいなら、最初からサボるな。馬鹿弟子」
カランカランと何かが落ちる。
少し遅れて、生暖かい液体が顔に付く。
どこか生臭く思わず眉を顰める。
今の声は、メティアさんの声だ。
だが、こんなところに彼女がいるはずない。
そう思い目を開くと、僕を殺そうとしていた野盗が膝をついていた。
よく見ると、首筋が深く切り裂かれている。
野盗が崩れ落ち、その影からメティアさんが現れる。
風に揺れる白い長髪、不機嫌そうにこちらを見下ろす蒼い瞳、すらりとした体躯。
そして、その手には細身の剣が握られている。
そのどれもが美しく、僕はメティアさんに目を奪われる。
「ブラン、少し待っていろ。残りの奴らもすぐに片付ける」
僕の返事を聞く前に、メティアさんは駆け出す。
野盗たちは、突然仲間が殺されたことに酷く動揺しているようで、動き出しが一歩遅れた。
その隙を突くようにして、メティアさんは野盗の懐に飛び込んでいく。
一閃。
野盗の首筋に正確に刃を当て、最小限の動きで命を刈り取り、血飛沫が上がる。
一連の動きは洗練されていた、されすぎていた。
一体どれだけの鍛錬を積み、何人殺せばあの動きができるのだろう。
胸が高鳴る。
「よくも仲間を二人も殺してくれたなクソ女」
「野盗風情にも、仲間意識なんて高尚なものが備わっているとは思わなかったよ」
「言ってろ。すぐにあの世に送ってやる」
戦闘開始から数秒が経ち、野盗たちは状況を正確に把握し始めていた。
いや、仲間を殺されて頭に血が上っているだけかもしれない。
全員が殺意に染まった目をしてメティアさんに向かっていく。
そんな視線を向けられていても、メティアさんは涼し気な表情を崩さない。
先ほどと同じように、近づいてきた野盗の懐に飛び込んでいく。
彼女が最後の一歩を踏み込む直前、野盗は足をピタと止め、剣を構える。
「同じ動きで殺せると思うなよ」
野盗はそう言うと、飛び込んできたメティアさん目掛けて、剣を振り下ろす。
これじゃ避けきれない。
「メティアさん!!」
「騒ぐな、馬鹿弟子」
メティアさんは顔の前で剣を斜めに構え、野盗の振り下ろす剣を迎え撃つ。
二つの刃が交わる。
彼女は振り下ろされた剣を、構えた剣と体を反らして受け流していく。
「同じ動きで殺せるとは、私も思っていない」
野盗の剣が、メティアさんの剣の上を滑り落ち、地面に叩きつけられる。
瞬間、反った体を捻り、野盗の身体を肩から斜めに切りつけた。
「だから、最初からこうして殺すつもりだった……聞こえてないか」
体が熱い。
メティアさんを見るだけで、体の内側を焦がすような情念の炎が沸きあがる。
一人、二人、三人と次々と命を刈る彼女の姿は、まるで花を摘んでいるように美しかった。
野盗たちは、みるみるうちに数を減らしていき、遂には一人になった。
その一人すらも、既にメティアさんが首筋に刃を当てている。
剣を振るえばすべてが終わる。
僕はそれを惜しいと感じてしまっていた。
同時に、今の彼女を知る人間は僕以外、早く死んでしまえとも思う。
「クソが、なんで俺たちがこんな目に遭わないといけねぇんだ」
「それは、お前たちに殺された奴らの台詞だろう」
「んなこと知るか……って、お前【流星】か?」
メティアさんの目じりが歪む。
「はは、やっぱりそうか。白い髪に、蒼い瞳、何よりその強さ。そりゃ勝てねぇわけだ」
野盗が僕を見る。
「ガキ! こいつと関わるのはやめとけ! 死にたくな――」
「もういい、死ね」
メティアさんが剣を振るう。
野盗は言葉を紡ぎきる前にこと切れた。
ああ、終わってしまった。
このままでは、二度の生で初めて感じた、熱が冷めてしまう。
メティアさんがこちらに向かってくる。
どうすれば、何をしたら、この熱を永遠に僕だけの物にできるんだ。
どうすればどうすればどうすれば――
「……!」
ああ、そうか。
今すぐメティアさんを殺して、僕も死ねばいいんだ。
そうすれば、彼女のこの美しさも僕の熱も永遠に消えることがない。
気付けば、僕はメティアさんに向かって駆け出していた。
稽古用の木剣を抜き、どこを狙えば彼女を殺すことができるか思考を巡らせる。
こんな武器では、一撃で彼女の命を摘むのは不可能。
ならば意識を刈り、その後殺す必要がある。
なら――
僕とメティアさんの距離が縮まる。
彼女は、一度は納めた剣を抜き、構え、僕と相対する。
隙は全くなかった。
僕の全てを投げうったとて、彼女に一撃を入れられるイメージが沸かない。
それが気絶させるような一撃となれば尚さらだ。
だけど、そんなつまらない理由で止まれるのであれば、初めから彼女を殺そうとなどしない。
メティアさんの踏み込みを模倣する。
姿勢を低く、地面を力一杯に蹴り、身体を前方に加速させる。
彼女は驚いたような感心したような笑みを浮かべる。
「それで?」
この次は何をするんだ?
面白そうにするメティアさんの顔が言外にそう煽ってくる。
僕は、足元に倒れている死体の傷に剣先を通し、そのまま振りぬく。
剣先に着いた血は、勢いのままに彼女の顔目掛けて飛んでいく。
メティアさんの動きを模倣するだけでは彼女《オリジナル》を殺せない事なんて、僕が一番理解している。
だから、今この瞬間に筋道を組み立てる。
メティアさんは飛ばした血を、首を横に傾けるだけで躱す。
瞬間、僕は持っていた剣を彼女の頭を目掛けて全力で横向きに放り投げる。
「……はぁ」
狙いが甘く、メティアさんはもう一度首を横に逸らしただけで、投げた剣の軌道から外れる。
期待外れだ。
呆れを隠そうともしない彼女の目が僕の心を揺さぶる。
彼女の期待に応えられなかったから?
違う。
渾身の一撃が簡単に対処されてしまったから?
違う。
ただ純粋に――殺せる。
そう思ったからだ。
投げた木剣がメティアさんの横を通過する。
その直前、僕は腰紐を力一杯に引いた。
張り詰めた紐に引かれ、木剣の軌道が彼女の側頭部へと折れ曲がる。
血を飛ばした時に、こっそり木剣の柄に腰紐を引っかけておいた。
こうでもしないと、僕の攻撃は彼女に届かない。
メティアさんの意識を奪うまで残りコンマ数秒。
昂揚が胸の内を満たしていく。
だが、僕はそこでようやく、彼女の表情が変わっていないことに気が付いた。
彼女ほどの剣士がこの状況を把握できないはずがない。
メティアさんが木剣を受け止める。
「工夫も才能もある。だが、まだまだ腕が足りないな」
木剣が力任せに引っ張られる。
僕は木剣とつながった紐ごと体を引き寄せられ、そして、腹を思い切り殴られた。
「カハッ……うぉえ……」
肺の空気とさっき食べた昼食が逆流し、吐き出される。
意識が薄れていく。
嫌だ、この熱が消えてしまうことが怖い。
この熱をまた感じられないことが怖い。
だから、まだ……。
「思ったよりも頑丈だな。……一度眠れ。目が覚めたらまた稽古をつける」
その言葉の直後、首筋に鈍い痛みが走ったのを最後に、僕の意識は沈んでいった。
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