救ってくれた師匠を殺すため、僕は剣を学ぶ   作:ttr@

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第2話 僕は師匠の本気が好きらしい

 目を覚ました僕をまず迎えたのは、メティアさん……ではなく、背に触れる草と、雨に濡れた時のような気持ちの悪さだった。

 

 眉間に皺が寄る。

 

 上体を起こして確かめると、頭からつま先まで濡れていない箇所はなく、衣服がべたりと全身に張り付いていた。

 

 体温で温くなった水が滴る感覚は、まるで大量の汗をかいたようで最悪の気分だった。

 

 こんなことをする人は――

 

「起きたか」

 

「はい、おかげさまでばっちり目が覚めました」

 

 僕は目を細め、メティアさんに礼を言う。

 

「そうか。水を掛けてやった甲斐があったよ」

 

 愉快そうに手に持ったバケツを振るメティアさんに、僕はげんなりとしてしまう。

 

 弟子を苛めるのはそんなに面白いのだろうか。

 

 そんな彼女の姿を見ても殺したいという衝動は湧いてこない。

 

 いや、衝動に繋がらないだけで、熱はあった。

 

 ただ、その熱が炎となって僕を突き動かすようには思えなかった。

 

「どうした、そんなに私の顔をジロジロ見て。惚れでもしたか?」

 

 ククッと笑うメティアさんは、よほど気分が良いのだろう。

 

 とことんまで僕をからかってやろうという魂胆が目に見えていた。

 

「そういうことにしておいてあげます……」

 

 こういう時の彼女とはまともに取り合わない方がいい。

 

 この数か月で得た、剣以外で数少ない学びだった。

 

「そういうことにしておけ」

 

 今回も、メティアさんの手のひらの上で転がされっぱなしだった。

 

 ……いつかこの人の余裕そうな笑みを崩してやろう。

 

 それはそうと、さっきは野盗から助けてもらったんだった。

 

「あ、それと助けてくれてありがとうございます」

 

 メティアさんに頭を下げる。

 

「命を救ってもらった礼がついでなのか……まあいい」

 

 僕の適当な礼にメティアさんは他にも何か言いたそうだった。

 

 まあ確かに、命を救われたにしては淡々としすぎているかもしれない。

 

「それで、こうして起こされたってことは……えーと、稽古するんでしたっけ?」

 

「稽古はする。だがその前に一つ聞かせろ」

 

 メティアさんが聞きたいことに思い当たる節しかない。

 

 むしろ一つで済むのだろうか。

 

「なんでしょうか?」

 

 意図したわけではないが、メティアさんの機嫌を窺うような声が出る。

 

「なに、そう畏まるな。私とお前の仲じゃないか」

 

 メティアさんはそう言って、ハハとフレンドリーに笑うと、

 

「私が聞きたいのは……ブラン、お前今までの稽古では手を抜いていたな?」

 

 底冷えするような声を放った。

 

 あー……怒ってるな……。

 

 まずいか?

 

 まずいな。

 

 今までにも何度か、メティアさんを怒らせたことはあったが、ここまでではなかった。

 

「それで、どうなんだ。早く答えろ」

 

 適当な答えは許さないと、メティアさんの蒼い瞳が僕を睨み、答えを急かす。

 

 噴き出した汗が体を撫でる。

 

 体は既にびしょ濡れだというのに、一滴ごとに汗と水の区別がついてしまう。

 

 ごくりと唾を飲み、肺の中の空気を吐き出す。

 

「手は確かに抜いてました。でも別に、特別な理由はないです。ただ……虚しくて」

 

「虚しい……虚しい、か」

 

 メティアさんは目を閉じ、腕を組む。

 

 言葉の意味を理解しようと反芻する。

 

「お前の剣の上達は目を見張るものがある。私もご両親もそれを認めている。それでもか?」

 

「……もっとも、お前は手を抜いていたようだが」

 

 自嘲気味にメティアさんはそう続ける。

 

「はい。その……すみません」

 

 謝るしかなかった。

 

 実際、稽古で手を抜く理由なんてそれしかなかった。

 

 それに、メティアさんに下手な嘘をついても、彼女は簡単に見破ってくる。

 

 火に油を注ぐようなものだ。

 

 自分の返事が間違っていないことを祈り、答えを待つ。

 

「お前の気持ちも分からないわけじゃない」

 

 メティアさんが口を開く。

 

「だから、今回は特別に許そう。ただし、次に手を抜いたら、分かるな?」

 

 腕を組んだまま、片目を開いて、そう問うてくるメティアさんに、僕は何度も首を縦に振った。

 

「ならいい。稽古の続きをしよう」

 

 どうやら僕は助かったらしい。

 

 僕に背を向け、稽古に向かうメティアさんを見てそう実感する。

 

 彼女の気が変わらないうちに、稽古に入ってしまう方がいい。

 

 立ち上がり、彼女の背中を追いかける。

 

 辺りを見ると、少し遠くに僕の家があった。

 

 彼女は気絶した僕を運んでくれていたようだ。

 

「ブラン」

 

 メティアさんに追いつくと、視線は前を向いたまま名前を呼ばれる。

 

「どうかしましたか」

 

「さっき私を殺そうとしたのは何故だ?」

 

 やっぱり、それは聞かれるか。

 

 メティアさんを横目で見る。

 

「メティアさん、僕はさっき一つ答えましたよ?」

 

 非常に苦しいが、僕も何故あんなことをしたのかが分からない。

 

 できることなら、有耶無耶にしておきたかった。

 

「……確かにそう言ったな。忘れてくれ」

 

 あっさりと引くメティアさんに拍子抜けする。

 

 普段なら、こういう時は無理やりにでも口を開かせることが多いのだが。

 

「具合でも悪いんですか?」

 

 メティアさんの顔を覗き込む。

 

「問題ない。お前も答えたくないなら余計なことを言わずに、足だけ動かしていろ」

 

「すいません」

 

 確かにその通りだ。

 

 ここは素直にメティアさんの言葉に甘えよう。

 

 家の前に着くと、メティアさんは僕の全身を確かめるように視線を走らせる。

 

「今すぐにでも稽古に戻りたいところだが……ブラン、お前、濡れすぎだな。私がバケツを戻してくる間に着替えてこい」

 

「わかりました」

 

 誰が濡らしたと思ってるんだと抗議したいのを、グッと抑えて言う通りにする。

 

 僕の返事に満足したのか、メティアさんは井戸の方へ歩いていく。

 

 残された僕は、この後の稽古に思いを馳せると、がくりと肩が落ちる。

 

 憂鬱を背負ったまま家に入ると、父さんも母さんもどこかに出かけているようで誰もいなかった。

 

 マメな母さんのことだ、汗をかいた僕のために着替えを準備してくれているだろうと、家の中を見回す。

 

「お、あった。さすが母さん」

 

 椅子の上に丁寧に畳まれた着替えを見つけた僕は、内心で手を合わせつつ、濡れた服に手を掛ける。

 

 コンコンと扉が鳴った。

 

 メティアさんが戻ってきたようだ。

 

「すいません、まだ着替えてます!」

 

 服を脱いだまま、扉に向かってそう伝えると、ノックが止む。

 

「わかった、先に始めているから着替えたらすぐに来い」

 

 メティアさんはそれだけ言い残して、扉の前から離れたみたいだ。

 

 ブルリと寒気が走る。

 

 遅まきながら体が冷えていることを自覚し体を抱く。

 

 今世で風邪を引くのは少し面倒だ。

 

 それにメティアさんを待たせているし、さっさと着替えよう……。

 

 僕は着替えを終えると、家の裏へ回った。

 

 そこには、草を刈って軽く地面を均した簡易的な稽古場があり、普段から僕はそこでメティアさんの稽古を受けている。

 

 稽古場から風を斬るような音が聞こえ、足を止めた。

 

 その音には聞き覚えがある。

 

 家の陰から稽古場を覗き見ると、僕を待つメティアさんは、剣を振っているだけではなかった。

 

 真剣な表情で何かを躱し、受け流すような動作を繰り返していた。

 

 それはまるで、見えない誰かを相手にした剣舞のようで、僕はそんな彼女に見入ってしまう。

 

 改めて見る彼女の動作は、その一つ一つが美しく、続く動きにも一切の淀みがなく、流れる風を想起させる。

 

 燻っていた火種に、小さな火が灯り、僕を内側から焦がしていく。

 

 惜しむらくは、その剣舞に相手がいないことだろう。

 

 その火がそれ以上大きくなる気配はなかった。

 

 ただ、少し分かったことがある。

 

 普段稽古で見せるメティアさんの剣に、こうも惹かれたことはなかった。

 

 つまり――

 

「……僕はメティアさんの本気の剣が好きなのかもしれない」

 

 まずい。

 

 気付けば、考えていたことが口から漏れていた。

 

 僕は咄嗟に口元を押さえるが、遅かったらしい。

 

 メティアさんは動きを止め、剣を下ろすと僕を見つける。

 

「……ブラン、来ていたなら声を掛けろ」

 

 見つかった以上、ここに立っていてもメティアさんの機嫌を損ねるだけだ。

 

 僕は、足早にメティアさんの元へ向かう。

 

「アハハ……すいません、遅れました」

 

 気まずさから、頬を掻く。

 

「いや、お前が来たのに気が付かなかった私も悪かった」

 

 メティアさんが僕に謝るなんて珍しい。

 

 確かに、さっきの彼女は、今まで見たことないほど集中しているようだったが……一体何をしていたんだろうか?

 

「時間も惜しい、すぐに稽古に入るぞ」

 

「あ、はい」

 

 メティアさんの声に思考を打ち切られ、咄嗟に返事をした。

 

 まあいい、こんなことは後で聞けばいい。

 

 それよりもまず問題なのは、今から何をするのかだ。

 

「それで、今日のために考えていたのがこれだ」

 

 メティアさんは取り出した紙をぺらりと開く。

 

 そこに書かれている稽古の内容に、僕は思わず顔を顰める。

 

 素振りに始まり、腕立てや腹筋などの体づくりが相当量。

 

 それをこなした上で彼女と日が暮れるまで打ち合い、夜は技術指南に加えて、その他諸々。

 

 こんなの僕の体がもたない。

 

「不満そうな顔だな。だが、安心しろ」

 

 そう言って、メティアさんは目の前で紙をビリビリと破ってしまう。

 

「破っちゃっていいんですか?」

 

 書かれていた稽古をするのは、勘弁願いたかったが、僕が強くなれるようしっかりと考えられた内容だった。

 

 紙も決して安いものではない。

 

 それを破くのは少々もったいなく感じてしまう。

 

「もうこの紙は不要だからな」

 

「不要……ですか?」

 

「ああ、なにせこれは手を抜いていたお前用に考えたものだからな」

 

 あー……なるほど。

 

 なんとなく、この先の展開が見えた気がするぞ。

 

 メティアさんが木剣を僕の鼻先に突き出す。

 

「お前の実力を確かめる。全力で来い」

 




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