――全力で来い。
メティアさんは僕に剣の切っ先を突き付け、そう言った。
全力……か。
簡単に言ってくれる。
それが出来るのなら、僕は今世で虚しさに身が浸かることもなかったというのに。
彼女が僕のそんな内面を知るはずもないし、知ってほしいとも思わない。
だから僕の頭は、この後の手合わせでどう全力を出すのかではなく、どう彼女の目を誤魔化すか、その算段を立て始めた。
「碌でもないことを考えている顔だな、ブラン」
僕の意思とは無関係に、肩が跳ねる。
それを見たメティアさんは、額に指を当てて、首を横に振る。
「ポーカーフェイスは一流でも、カマかけに引っかかるようではまだまだだな」
「……」
「今回の一件と、その反応でお前のことを少しは理解できた。今後は、お前の上っ面を信じるのはやめにしよう」
とんでもないことを言い出すメティアさんに口元を引きつらせる。
今更ながら、こうなる原因を作った数時間前の自分を恨む。
「ブラン」
メティアさんが稽古用の木剣……ではなく、腰に差していた真剣を、鞘ごと投げてよこす。
僕はそれを慌てて受け取った。
「理由は分からないが、私を殺したいんだろう? それを使って少しはやる気を出すんだな」
僕は受け取った剣へ一瞬だけ視線を落とす。
「……いいんですね?」
「もちろんだ、殺す気で来てもらわないと困る」
ニヤリと笑うメティアさんを見て、僕も覚悟を決める。
「分かりました……絶対に殺して見せます」
剣に意識を集中させ、メティアさんを殺すための筋道を組み立てる。
メティアさんが何か言った。
声は耳に入っていたはずだが、意味までは頭に届かない。
稽古場へ入り、鞘から剣を抜き、構える。
彼女の剣は、先ほど何人もの命を奪ったとは思えない無垢な輝きを放っていた。
加えて、野盗の剣を受け流したというのに、刃こぼれ一つなく、彼女が隔絶した剣技を持つと改めて理解させられる。
全身が震える。
さっきのように体が冷えたからではない。
むしろその逆、僕の中の行き場のない熱が、早くメティアさんを自分だけのものにしろ《殺せ》、そう言って止まないからだった。
稽古場に入ったメティアさんは、僕の正面、十メートル程先で木剣を構える。
さっきと同じ構えだった。
それを見るのは二回目だというのに、隙を見つけられそうにない。
ポタ、どこかで水が落ちるような音がした。
それが合図になった。
瞬間、メティアさんから今まで感じたことのない、研ぎ澄まされた殺気を向けられ、目を瞬かせる。
――そして、次に目を開くと、僕の目の前にメティアさんがいた。
木剣は、僕の首筋すれすれで止まっていた。
剣圧だけで僕の皮膚は裂け、血が滲んだ。
彼女が何をしたのか分からない。
「私から攻撃しない、とは言っていない」
冷たい視線が僕を射抜く。
メティアさんの言うとおりだ。
僕は彼女を殺そうというのに、彼女に殺される可能性を念頭に置いていなかった。
剣の腕以前に、覚悟が足りなかった。
メティアさんが剣を下ろす。
「言いたいことは二つ。敵を前に目を閉じるな。考える前に、考えさせる前に殺せ」
メティアさんは僕にそう言うと、踵を返す。
「……ありがとうございます」
遠ざかっていくメティアさんの背中は、手を伸ばせば、一歩踏み込めば触れられる。
なのに……彼女に触れられる気がしなかった。
だからどうした。
触れられないのであれば、その理由を潰せばいい。
それが叶わないのであれば、またその理由を潰す。
それだけだ。
メティアさんは元の位置に戻ると、再び剣を構える。
それに応えるように僕もまた剣を構えた。
空気の揺れ、葉のひしめき、僕を取り巻く全ての音が鮮明に聞こえた。
それは、互いの呼吸音も例外ではない。
ここだ。
メティアさんが息を全て吐き出す瞬間、僕は地面を蹴った。
隙と呼べるようなものでもない。
ただ相手に考えさせないように、相手にとって一番都合が悪い。
その瞬間を狙う。
メティアさんが満足そうに口の端を歪め、その場を動かない。
先手は譲る、ということらしい。
その僅かな反応だけで、彼女にとって僕は脅威として認識されていないことを理解する。
それなら本気を出させればいい。
走る勢いはそのままに、メティアさんに向かって跳び、剣を横に振る。
剣の振りは小さく、だが当たれば確実に命に届くよう振る。
木剣で受けることも、隙を突くことも難しい。
リーチの差もある。
この状況なら、考えさせないことはできずとも思考に負荷を掛けることはできる。
それを証明するようにメティアさんは切り込んでこない。
「あんなことを言ってたのに防戦一方ですね」
そう言う僕にも攻めきる一手がない。
こうしている瞬間も彼女の眼は僕の動きを正確に把握し、反撃の隙を探している。
この有利も長くは続かない、可能な限り速く、そして確実に致命の一撃を叩き込まねばならない。
さらに踏み込む。
剣の振りを大きくすることはなしだ。
自分の優位を崩すことと同義だ。
「攻めきれないようだな、ブラン」
それをメティアさんも正確に理解しているようだ。
少しずつ、彼女の動きが僕の剣に最適化されていく。
元々、こちらの剣を見切って、一寸差で剣を避けていたのが、その半分の距離で避けるようになっている。
そうなると、当然――
メティアさんが、僕の剣を持つ手を狙って木剣を振った。
咄嗟に剣の柄でそれを弾く。
剣の振りが一瞬遅れた。
目の前の彼女はその隙を見逃すようなことはしない。
「やはりまだ甘いな」
その一瞬の間隙に、メティアさんが二度、剣を差し込んでくる。
それを、柄や刃で受け止め、時には回避するが、その分だけ僕の次の動作が遅れていく。
僕が剣を振ると、隙を見てメティアさんが今度は三度、剣を振り返してくる。
その次は四度、五度と打ち合う度に差し込まれる剣は増えていく。
剣の切っ先が少しずつ喉元に近づいてくるようだ。
気付けば、僕よりもメティアさんの方が剣を振る回数が多くなる。
「形勢逆転だな」
目の前の攻撃を捌くために思考リソースを割かれる。
僕の付け焼刃とは違い、こちらの逆転の目を丁寧に摘む、そんな剣だ。
このままだと、あと10秒……いや、5秒もあれば負ける《殺される》。
この状況を打開するには、とにかく手数が必要だ。
腰に差していた木剣に視線がいく。
いや、駄目だ。
木剣はまだ使えない。
何か……何かないのか。
メティアさんの横なぎを思い切り体を後ろに反らして回避する。
瞬間、反った腹がズキと痛んだ。
殴られたのが効いてくるのか……。
いや待て、さっきメティアさんがそうしたように、戦うのは剣だけじゃない。
反らした勢いのまま地面に手をつき、メティアさんが木剣を持つ腕を狙って足を振り上げる。
「剣だけじゃない、体全てを武器にすればいい。」
その蹴りがメティアさんの腕を捉えることはなかった。
だが、目論見は成功した。
紙一重で回避を続けていた彼女が、初めて大きく後退し、状況はスタート地点に戻った。
って、言いたいところだけど。
「……ハァ……ハァ」
立っているのがやっとだった。
一度こうして仕切り直しになると、嫌でも疲れを自覚する。
「剣だけでなく体を使う、二度目の打ち合いでそれに気づくのは流石だ。ただ……少し遅かったみたいだな」
肩で息をする僕を見て、成長を喜ぶように、そして残念そうにするメティアさん。
今の僕はこの人にとって、どこまで行っても弟子なようだ。
本気を出すに値する、対等な関係とは程遠い。
その事実が許せなかった。
彼女を、ではない。
彼女の持つ美しさを全て引き出せない自分を許せなかった。
「そろそろ終わりにしよう」
メティアさんの声が僕の鼓膜を揺らす。
このまま終わるのか?
指先一つ分の本気すら引き出せず?
良いわけがない。
彼女を殺せない僕に……彼女の美しさを引き出せない僕に、生きる資格はない。
その思いが限界を迎えた体を動かした。
悲鳴を上げる体を無視して、もう一度メティアさんに切り掛かる。
「動きが雑になっているぞ」
遅くなった剣では、ほんの数秒たりとも時間を稼ぐことは叶わない。
メティアさんは僕の剣を左前方に踏み込んで躱す。
「これで終わりだ」
横一閃に振られた剣が僕の喉元を打ち抜こうと迫る。
――僕はそれを右腕を上げて受け止めた。
「ッ……」
腕が折れ、鈍い音と痛みが脳髄を震わせた。
それでも肩と肘はまだ動く。
メティアさんが口を引き結んだ。
僕が腕を犠牲にしたことによるものなのか、それとも全く別のことかは分からない。
だが、余裕を崩すことはできたようだ。
折れた右腕で乱暴に、腕ごと剣を叩きつける。
メティアさんは、それを難なく躱し懐のさらに深い場所に潜り込む。
「……これを待ってた」
僕は腰に掛けていた木剣を左手で逆手に振りぬく。
狙いはさっきと同じ、側頭部。
メティアさんの目が見開かれる。
不意を突いた。
この一瞬のために体力も思考も、腕すらも費やした。
本気を出せ。
刹那――メティアさんがさっきとは比べ物にならない殺気を爆ぜさせた。
メティアさんはその場で跳ね、空中で体を捻って攻撃を回避しながら木剣を振るう。
曲芸のような体勢だというのに、メティアさんの振る剣が僕の顎を的確に打ち抜く。
脳が揺れ、急激に意識が薄れる。
僕《剣》を盾にしても、まだ全然足りないか……。
だけど、最後に本気を出させた。
今はそれだけでいい。
遠のく意識に抗う理由は、もうなかった。
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