何度目かのあなたへ。―― All for You,   作:あいしてる

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狂気への誘い。

 

 

 人は、生まれながらに平等ではない。

 

 与えられる個性も、生まれ育つ環境も、背負う宿命も、一人として同じ者はいない。

 

 だからこそ人は、自分には持ち得ないものへ憧れ、時に羨み、時に嫉妬し、そして誰かを理解しようと手を伸ばす。

 

 形の違う心だからこそ、人は互いを知ろうとする。

 

 それでも_____決して交わることのない想いが、この世界には確かに存在する。

 

 これは、私が齢十六にして知ることとなった、この社会で最も残酷な現実だった。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

「……久遠少女」

 

静まり返った面会室に、自分の声だけが小さく響いた。

 

返事はない。

 

もっとも、返ってくるとは最初から思っていなかった。

 

私の向かい側に腰掛けている少女――久遠澪(くおん れい)は、まるで時間だけが止まってしまったかのように、微動だにせず椅子へ身を預けていた。

 

その姿は、保護された当初からほとんど変わっていない。

 

彼女は、かつてヴィラン連合によって拉致された被害者。

 

長らく消息を絶っていたが、最終決戦のさなか、オール・フォー・ワン、そして死柄木弔との戦場で保護されることとなった少女だ。

 

保護された当初、彼女の瞳には確かに感情が宿っていた。

 

恐怖とも絶望とも違う。

 

あれは紛れもなく――『助けてほしい』と誰かへ縋る者の瞳だった。

 

だから私は信じていた。

 

時間は掛かるだろう 傷は深いだろう それでも彼女は救える 

 

ヒーローとして、そう信じたかった。

 

だが、その希望はあまりにも呆気なく打ち砕かれる。

 

死柄木弔の死亡が確認され、その一報を耳にした瞬間だった。

 

彼女の瞳から、最後の光が消えた。

 

……いや、違う。

 

あれは光を失ったのではない。

 

最初からそこには何も残っていなかったのだ。

 

私が勝手に、希望があると信じ込んでいただけだった。

 

 

「事情聴取も終わった。君は法的にも被害者として認められ、もう間もなく自由の身となる」

 

 

言葉を選びながら、ゆっくりと告げる。

 

ヴィラン連合の一員であったスピナー少年の証言。

 

その他の証拠。

 

それらを照らし合わせた結果、久遠澪は終始人質として扱われていたことが判明した。

 

隙を見て脱走を試み、そのまま最終決戦へ巻き込まれた。

 

少なくとも、法は彼女を罪人とは判断しなかった。

 

……だが

 

人の心は、法律だけでは測れない。

 

 

「……すまない。これは私の職業病のようなものなんだ」

 

 

私は小さく笑みを浮かべながら続けた。

 

 

「長年、多くの人々を見てきた。だから表情や瞳から、その人が何を抱えているのか……ある程度なら分かるつもりでいる」

 

彼女は黙ったままだ。

 

だが、聞いていないわけではない。

 

その証拠に、視線だけはこちらを捉え続けている。

 

 

「君は……まだ救われていない」

 

 

その瞬間だった。

 

彼女の瞳が、ほんの僅かだけ揺れた。

 

それは怒りでも悲しみでもない。

 

もっと深く、もっと濁った何か。

 

底の見えない泥濘を覗き込んでしまったような錯覚に、思わず言葉を失う。

 

私は理解した。

 

いや、理解したつもりになっていた自分の愚かさを悟った。

 

違う。

 

私は見誤っていた。

 

この少女は、『救えなかった者』ではない。

 

もっと根本から違う。

 

ならば、確かめなければならない。

 

私は静かに息を吸い、一つだけ問いを投げかけた。

 

 

「……久遠少女。一つだけ聞かせてほしい」

 

「君にとって、死柄木弔とは……なんだい?」

 

 

沈黙が流れる。

 

その数秒が、何分にも感じられた。

 

やがて彼女は、ゆっくりと唇を開く。

 

 

「…………ヒーロー……です」

 

 

掠れた声だった。

 

今にも消えてしまいそうなほど弱々しく、それでいて何者にも揺るがされない確固たる意志だけが、その一言には宿っていた。

 

そして、その声は私へ向けられた敵意でもあった。

 

私個人ではない。

 

オールマイトでもない。

 

この社会が築き上げてきた『ヒーロー』という存在、そのすべてへ向けられた拒絶。

 

 

「……そうか」

 

 

それ以上、私は何も言えなかった。

 

励ます資格も。

 

慰める資格も。

 

きっと、この少女には届かない。

 

私たちヒーローは、多くの人を救ってきた。

 

笑顔も、未来も、平和も守ってきたつもりだった。

 

それでも。

 

目の前にいる、このたった一人だけは___

 

『救えなかった者』ではない。

 

『私たちには、救えない者』だった。

 

 

 

 

 

 

 

 面会室を後にしてから、どれほど歩いただろうか。

 

 行き先なんて決めていなかった。

 

 目的も、帰る場所も、会いたい人も、今日という一日に意味を見出せる理由も、もう何一つ残されていない。

 

 それでも足だけは止まらなかった。

 

 人は、何かを失った時こそ立ち止まるものだと思っていた。

 

 けれど現実は違う。

 

 何もかも失ってしまえば、立ち止まる理由すら見失ってしまう。

 

 だから私は歩き続ける。

 

 まるで、行き先を忘れた亡霊のように

 

 見慣れた街並みを眺めながら。

 

 いや‥もう見慣れてしまった、と言うべきだろう。

 

 弔くんが壊した街は、驚くほどの速度で元の姿を取り戻しつつあった。

 

 瓦礫の山は姿を消し、崩れた建物は骨組みを組み直され、クレーンが忙しなく腕を動かしている。

 

 道端ではボランティアの人たちが笑顔で炊き出しを行い、プロヒーローたちは復興支援の指揮を執っていた。

 

 テレビカメラの前ではレポーターが明るい声で話している。

 

『復興は順調に進んでいます!』

 

『人々の笑顔も戻り始めています!』

 

『ヒーローたちは新たな時代へ――』

 

 その言葉が耳に入った瞬間、思わず視線を逸らした。

 

 あの人が壊した世界が、少しずつ消えていく。

 

 世界中の人たちから歓喜の声があがる

 

 ‥‥当たり前だ

 

 壊れた街が元へ戻ることは、誰にとっても喜ばしいことなのだから。

 

 

 でも、私だけは違った。

 

 あの日、あの人が見せてくれた景色は、私にとって初めて美しいと思えた世界だ。

 

 誰も私を見ていない世界。

 

 誰も期待しない世界。

 

 誰もヒーローを語らない世界。

 

 全部、全部‥‥全部。

 

 あの人が壊してくれた。

 

 だからあの瓦礫も、崩れた建物も、舞い上がる砂煙も、あの地平線まで届かんばかりに破壊したあの景色も

 

 私にとっては、何よりも大切な思い出だった。

 

 

「……また、奪われちゃったな」

 

 呟いた声は工事の音へ飲み込まれ、誰にも届くことはなかった。

 

 きっとこれから先も同じ。

 

 ‥むしろ理解されなくていい。

 

 理解されないからこそ、この思い出には意味がある‥‥私だけはそう思いたかった。

 

 

 この街は元へ戻る。

 

 人々には笑顔が溢れ、子どもたちは今まで以上にヒーローへの憧れが増すだろう。

 

 ニュースでは平和が戻ったと語られる。

 

 きっと、誰も死柄木弔を覚えていない。

 

 覚えていたとしても、それは"最悪のヴィラン"としてだけだ。

 

「…………」

 

 ‥‥胸が苦しい。

 

 泣きたいわけじゃない。

 

 怒っているわけでもない。

 

 

 

 ただ‥世界から、あの人だけが切り取られてしまったような感覚だった。

 

 私だけが、まだあの日から前へ進めない。

 

「……私の、居場所だったんだけどな‥‥」

 

 気付けば人通りも少ない路地へ足を踏み入れていた。

 

 昔、毎日のように俯きながら歩いていた道だった

 

 見覚えのある自動販売機に色褪せた看板

 

 全部変わっていない。

 

 多分変わってしまったのは、私だけだろう

 

 少し歩いた先に、小さな喫茶店が見える。

 

 気付けば自然と扉へ手を掛けていた。

 

 カラン、と控えめなベルが鳴る。

 

「いらっしゃいませ」

 

 店員の声へ小さく会釈だけ返し、窓際の席へ腰を下ろす。

 

 勧められるままブラックコーヒーを頼んだ。

 

 昔は苦くて飲めなかった。

 

 なんでこんなものを飲むのか、理解に苦しむくらいには分からなかった

 

 でも、ヴィラン連合にいた頃

 

 何度か弔くんが飲んでいるのを見て、少しだけ真似をしたことがある。

 

 結局、美味しいと思えたことは一度もなかったけど。

 

 それでもこの苦味だけは、少しだけ私を安心させた。

 

 私は何をするでもなく、その黒い水面をぼんやり眺め続けていた。

 

 もう何も考えたくない。

 

 何も

 

 何も_____

 

 

 

 

「……隣、失礼してもよろしいですか」

 

 

 

 

 

 コーヒーの湯気をぼんやりと眺めていると、不意に穏やかな男の声が耳へ届いた。

 

 顔を上げる

 

 四十代ほどだろうか。

 

 年齢の割に皺は少なく、身なりもよく整えられている。どこか学者を思わせる落ち着いた雰囲気を纏った男性だった。

 

 見覚えがない

 

 私は再びカップへ視線を落とす

 

 

 

「……ナンパなら、他を当たってください」

 

「おっと」

 

「これは手厳しい。

どうやら人生最速で振られてしまったようです。」

 

 

 そう言いながら、男は困ったように笑みを浮かべながら懐へ手を入れる、すると一冊の黒い手帳を取り出し、私の前へ静かに開いて見せた。

 

 

「失礼、名乗るのが遅れました」

 

「警察の者です」

 

 警察手帳。

 

 一通り目を通すが、偽物か本物かなんて私には判断できない。

 

 けれど、正直どちらでも良かった。

 

 

「……そうですか」

 

 

 それだけ答えると、私はカップを持ち上げ、ブラックコーヒーを一口だけ口へ含んだ。

 

 男はその様子を静かに眺めながら、わずかに目を細める。

 

 

「驚かないんですね」

 

「驚いてはいますよ。表情に出ていないだけです」

 

 

 そう返すと男は肩を竦め、小さく笑った。

 

 

「とても、そうは見えませんけどね」

 

 

 その口調には探るような鋭さはなく、ただ事実を口にしているだけの穏やかさがあった。

 

 私はカップをソーサーへ戻し、男へ視線を向ける。

 

 

「それで、私に何か用ですか?」

 

「警察が、わざわざこんな場所まで来て世間話をしに来た……なんてことはないでしょう」

 

「ここまで前置きをするくらいです。聞きたいことがあるんですよね」

 

 

 一瞬だけ、沈黙が流れた。

 

 けれど男は、その沈黙すら崩そうとはしない。

 

 まるで相手の呼吸や間合いまで観察しているかのように、静かにコーヒーへ口を付けると、小さく頷いた。

 

 

「……ええ。仰る通りです」

 

「では、率直に伺いましょう」

 

「世間では、君は被害者として扱われています」

 

「ヴィラン連合に誘拐され、長期間監禁されていた悲劇の少女。それが今、社会が認識している『久遠澪』という人物像です」

 

 

 一拍置き、男は続ける。

 

 

「ですが……本当に、それだけなのでしょうか」

 

 

 その視線は真っ直ぐだった。

 

 探るようでも、責めるようでもない。

 

 ただ純粋に、答えを求めている。

 

「…………」

 

「スピナーという青年の証言にも目を通しました」

 

「彼は一貫して、君は人質だったと証言しています」

 

「現場の状況や物証も、おおむねそれを裏付けている」

 

「だから法は、君を被害者と判断した」

 

 そこで男は言葉を切り、静かに息を吐いた。

 

「ですが……どうしても、一つだけ腑に落ちないことがありましてね」

 

「…………」

 

「久遠さん」

 

「君は、ヴィラン連合という場所を……どう思っていましたか」

 

 その問いを聞いた瞬間、私は初めて男の顔をまともに見た。

 

「……どうして、そんなことを聞くんですか」

 

「君が、その答えを持っている顔をしていたからです」

 

 迷いのない返答だった。

 

「監禁されていた人間なら、もっと違う目をします」

 

「恐怖、嫌悪、安堵……あるいは怒り」

 

「ですが君の瞳には、そのどれも映っていない」

 

 男は私の瞳を見つめたまま、小さく考え込むように目を伏せる。

 

「強いて言うなら……そうですね」

 

「まるで、大切な何かを、あの場所へ置いてきてしまった人の目をしている」

 

 その一言だけで十分だった。

 

 胸の奥が、ほんの僅かに痛むが……それを表情へ出すつもりはない。

 

「答える義務も、義理もありません」

 

「ええ、その通りです」

 

 男はあっさりと頷いた。

 

 無理に聞き出そうという気配はない。

 

 それどころか、その返答すら予想していたような穏やかさだった。

 

「名乗っておいて今さらですが……実は私、警察という立場で君に会いに来たわけではありません」

 

「……というと?」

 

「警察という肩書きを借りて、個人的な興味から君に会いに来ただけです」

 

 そう言って男は苦笑する。

 

「言ってしまえば、ただの好奇心ですよ」

 

「正直に言えば、これから君がどんな道を歩もうと、私には関係ありません」

 

「第二の死柄木弔になろうと」

 

「あるいは全く別の存在になろうと」

 

「それは君自身が選ぶ人生です」

 

「私は、それを善いとも悪いとも評価するつもりはありません」

 

「…………そうですか」

 

 やはり、この人は気付いている。

 

 私が、世間の思うような『被害者』ではないことを。

 

 きっと今この人の中には、いくつもの仮説が浮かんでいるのだろう。

 

 そのどれが正しいのかを確かめるために、私の前へ座っている。

 

 けれど__

 

「安心してください」

 

 自然と、言葉が零れた。

 

「私は、彼には成れません」

 

 男は何も言わない。

 

 ただ静かに、その続きを待っていた。

 

「こんな世界を壊せるのは……あの人だけでしたから」

 

「私には、あんなふうには壊せません」

 

「壊したいとも思わない」

 

 ほんの少しだけ視線を落とし、コーヒーの黒い水面を見つめる。

 

「……あの人だけが、私の居場所を作ってくれましたから」

 

 それだけで十分だった。

 

 男は何も返さない。

 

 否定も、肯定もしない。

 

 ただその言葉だけを静かに受け止めると、胸ポケットへ手を伸ばし、一枚の紙片を取り出して私の前へ置いた。

 

「もし」

 

「その居場所を、もう一度見つけたいと願うのなら」

 

 紙には住所ではなく、一つの座標だけが記されていた。

 

「ここへ向かいなさい」

 

 私は紙片を見つめたまま尋ねる。

 

「……何があるんですか」

 

 男は穏やかに微笑む。

 

英雄(ヒーロー)には示せない道があり、警察にも辿り着けない真実があり___」

 

 

「_____(ヴィラン)だけが知る救済も、この世界には確かに存在する」

 

 

「君が本当に願うものがあるのなら」

 

「きっと、その先で答えを見つけられるでしょう」

 

 

「…………あなたは」

 

 私が問いかけるより早く、男は静かに席を立った。

 

 会計を済ませ、扉へ向かう。

 

 そして店を出る直前、一度だけ足を止めると、誰に聞かせるでもなく、小さく呟いた。

 

「……やはり、人という種は実に興味深い」

 

 

 これは、ヒーローの物語ではない。

 

 たった一人の少女が、果て無き時間を彷徨い続け___

 

 文字通り、化物になるまでの物語である

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