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――弁論大会
山田大郎によって炸裂させられた大日本帝國憲法の改正と言う爆弾。
新聞各紙は過熱した報道を繰り返していた。
勿論、一般市民も様々な意見を交わしていた。
この状況を鎮静させる為の一手として選ばれたのは大弁論大会と言う場であった。
山田大郎、そして大日本帝国憲法改正への賛否の何れを問わぬ様々な論客弁士が参加し、喧々諤々議論を公開の場でするのだ。
空前絶後の話であった。
尚、暴漢対策として議場に入る人間は全て、身体検査が行われた。
全員である。
論客弁士は勿論、国会議員などもであった。
野党側の国会議員 ―― 特に貴族院に属する議員などから、自分たちの面子を潰す行為であると強い批判が為されていたが、その声が通じる事は無かった。
裏技、皇族が観覧の為に訪れており、その皇族が率先して身体検査を受けていたからだ。
日本帝國の国民、臣民として、この状況で声を上げて抵抗する事が出来る筈も無かった。
熱気の溢れる議論の場に、山田大郎が現れた時、誰もが驚いた。
新聞各紙が面白おかしく歪曲して報道していた山田大郎は
新聞紙の挿絵は、そういう風に統一されていたのだ。
だが、壇上に登場したのは余りにも爽やかな雰囲気のある青年であった。
体に合った仕立ての良い背広には皺の一つも無く、赤いネクタイは輝くようであった。
髪は綺麗に撫でつけられており、見たことも無いフレームの細い眼鏡を掛けた顔には穏やかな笑みが浮かんでいた。
正しく好青年であった。
誰もが好意的な感情を抱く山田大郎。
日本国政府が用意したスタイリストは実に良い仕事をしていた。
そして科学的な支援もあった。
山田大郎が掛けている眼鏡だが、コレには骨振動イヤホンが設置されており、後方 ―― 建屋内の1室に歴史や法の各専門家が揃っており、議論を支える準備をしていた。
実に大人げない、日本国の全力全開であった。
情け容赦の無い山田大郎の無双。
無双する羽目になった本人は、心の中で泣いていたが、外から見ただけでは判らなかった。
山田大郎も、相応の経験を積んでおり、日本国と日本帝國の歴史を曲げる決断をし、実行まで行った人間であるのだ。
個性の弱い、
兎も角。
大弁論大会は終始、山田大郎が流れを主導し、最後まで押し切ってみせた。
山田大郎と言う個の力もだが、そもそもその背後に日本国と言う集団が居たのだ。
論客弁士がどれ程の才を持っていたとしても抵抗出来るモノでは無かった。
結果。
誰もが判る形で日本帝國憲法の改正の必要性が周知徹底される事となった。
と言うか、写真に撮られ、新聞に載った若き天才たる山田大郎の姿にミーハーなファンが付く事になり、そのファンを怒らせない為に手控えたという側面が大きかった。
実に売文屋仕草であった。
尚、真っ当な新聞社は、山田大郎のみならず各論客弁士の主張をキチンと纏めて、国民に伝える努力をしていた。
――大日本帝國憲法改正に対する憲法問題
大日本帝國憲法の改正は、大弁論大会によって改正に対する国民世論の賛意が集まったお陰でスムーズに進む事となった。
尚、一部の憲法学者からは、改定を定めた大日本帝國憲法第73条違反であるとの批判も出ていた。
大日本帝國憲法の第73条は『將來此ノ憲 法ノ條項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝國議會ノ議ニ付スヘシ』とされており、コレを憲法学者達は、
即ち、天皇が持つ権限への干犯であるという意見である。
日本国関係者は自分たちの歴史にあった統帥権干犯めいたモノの発生であると、対応の真剣度を上げようとした。
だが動く前に行われた日本帝國の対応によって、一切合切が解決する事になる。
幕末と言う乱世を生き抜いて気が明治の元勲、その薫陶を受けている政治家たちは豪胆であり剛腕であり、そして何よりも現実主義者であった。
山田大郎の進講を利用して、大日本帝國憲法第73条による憲法改正を内閣が主導する事を否定しないとの睦仁天皇の発言を引き出したのだ。
併せて、改めて日本帝國は立憲君主国家であり、総理大臣を頂点とする内閣は天皇の輔弼組織として国家の運営の実務を担うものであるとも発言したのだと云う内容を、侍従が新聞の記者会見に際して公表していたのだ。
憲法学者の遊びは、正面から叩き潰される事となる。
日本国側は明治期の日本帝國元勲たちの持つ威力を理解し、そして、そうであるが故に元勲が失われた後に迷走した事も理解するのであった。
その日本国側からの指摘に、日本帝國側も又、納得するのであった。
今はまだ元勲が存命であり、活動的であり、影響力をもって調整出来ているが、それが失われてしまえば、日本帝國は安定を失う ―― その危険性を理解する事となったのだ。
――立憲君主国家大日本帝國2.0
先の大弁論大会の結果と在野の憲法学者の
在野で行われる弁論会でも、議題は主に、どの様な改正が良いのかと言う内容に変化していった。
そして、その事が憲法改正に対して非
司法省にとって憲法改正は従来の力 ―― 憲法を解釈によって運用する。解釈を積み重ねる事が組織を守ってきた権威を否定し、失わせる事に繋がるが為に、反発は強かったのだ。
だが、睦仁天皇の言葉と民意が動けば抵抗出来るモノでは無かったのだ。
結果、本憲法改正に於いて
尚、この憲法改正論議が決着するのは大正時代に入ってからの為、明治維新に次ぐ大正維新、或いは大正一新と呼ばれる事となる。
大日本帝國は、天皇を頂点として実務を総理大臣が統括する内閣が担うと言う事が明確化したのだ。*2
又、併せて軍部大臣現役武官制の完全な形での廃止が為された。
軍 ―― 陸軍側からは、政治によって軍が壟断されるリスクの排除と言う側面から抵抗する声も大きかったのだが、そういう
瘦せても枯れても天皇の臣であり、軍人として大日本帝國へ奉仕する者であるという自己認識があったが為、後継者たちが「大日本帝國あっての国軍」では無く「国軍あればこそ大日本帝國」と言う誤解、或いは傲慢によって道を誤り、その果てに国を亡ぼすなど許せなかったのだ。
とは言え勿論、一方的に陸軍や海軍が日陰に入るのを良しとする事は無く、英雄軍神揃いの陸海軍は交渉し将兵の一定以上の名誉の確保と共に、総理大臣直属として
この辺り、統帥権などの天皇が有する権利なども憲法改正に合わせて近代的内容に再定義が行われた結果、日本国側の歴史と同様に大正デモクラシーと言う表現が用いられる事も多かった。
司法の独立自体は、立憲君主制国家にとって極めて重要な話であるのだが、同時に、完全に政治サイドから独立し過ぎてしまえば、此方も問題になるのだ。
政治は民意を受けて動くのだが、民意は感情に基づくモノが強いからだ。
その他に、後の検尊判卑主義にも繋がる問題とも言えた。
この問題意識が憲法改正に伴う、政治制度の改革にもつながる事となる。
天皇の輔弼機関としての内閣、そして内閣の首班である総理大臣の権限強化であった。
此方は、日本国からの情報 ―― 歴史的教訓によるモノが極めて大きかった。
この大正一心によって大日本帝國は、より近代的な立憲君主制国家として天皇、政治、
天皇は国家を照覧し、現人神として臣民の幸せを祈る。
政治は天皇を輔弼代行し、国民の信任を受けて国家の運営を行う。
国民は天皇を支え、国家を監視し、その繁栄の為に努力する。
概ね、そういう事となった。
ある意味で天皇の親政を夢見た幕末の尊皇思想はここに潰え、何時もの
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プロローグ編
終了
後は、カンカンに大日本帝國を繁栄させていくゾ