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――大正時代の始まり
大日本帝國憲法の改正に伴い世を心機一転、一新するという為として、1912年をもって睦仁天皇が退位し上皇の座に就き、明宮嘉仁殿下が天皇に即位する事となった。
これは1つに睦仁上皇が御年60を数えた今、高齢となる中で糖尿病を持病としている事もあって天皇としての職務を背負った儘では満足のいく治療、養生が難しいという部分があればこそであった。*1
この即位に併せて、改めて大日本帝國と大韓帝国との間で定められた協約が改定され、第4次日韓協約が成立する。
日露戦争後早々に考えられていた
大韓帝国は植民地とならない。
その事に、大韓帝国の人々は自負と同時に不安を抱く事となった。
特に
同時に大韓帝国の発展に必要な投資を日本は行うが、その投資の返済義務は大韓帝国政府が背負い、適時返済する事と定められた。
又、日本帝國から派遣され、朝鮮半島で働く事となる人々の給与も大韓帝国が担うモノと明記された。
日本帝國は先進国の義務として大韓帝国の発展を支援するが、それは日本帝國を傾けてまで行うモノではない。
そういう話であった。
兎も角。
大韓帝国は保護国ながらも国家の態を維持する事となり、結果、嘉仁天皇の即位の礼に際して大韓帝国皇帝が列席する事となるのであった。*2
――富国強兵への道
国を豊かにするには産業が必要になる。
特に二次産業が重要になってくる。
だが、二次産業を涵養するには、技術と金がとても大事と成ってくる。
これを大日本帝國は何処から引っ張ってくるのかが問題であった。
現時点で日露戦争の戦費すらも抱えているのだ。
簡単な話では無かった。
日本国もある程度の支援 ―― 情報としての技術支援は全般で行うと約束していたが、金に関しては容赦は無かった。
健全な民主主義国家として
それが日本国と大日本帝國との協力関係が話し合われ始めた際、その協力項目を定めるのど同時進行で行われた重要な話し合いであった。
金を貰うという発想は出なかった。
この点に於いて日本国も日本帝國も高い矜持を持っていた。
乞食では無い、と。
日本帝國が持つ資産、日本国が持つ情報。
或いは歴史。
それらを突き合わせて財務を知る人を中心として熱い激論が交わされた。
当初は日本国内各地にある金山その他を一気に掘るという様な暴論すらも出た。
大規模な増税案も出たが、日本国側出席者が経済の冷却化によって税収が下がると言って大反対をした。
財務関係者によって煮詰まりつつあった議論は、その外側の人間によって壊された。
国内に無いのであれば、外から持ってくれば良いじゃない。
山田大郎と茅ヶ崎研究所組である。
煮詰まった頭を冷やす為の
借りる対価は
満州権益を日本が独占するのではなく、中国進出をしたがっているアメリカに解放する事を対価に投資を呼び込もうというのだ。
コレには日本帝國側から強い反発が出た。
血を流して得た権益であるのだから、独占出来なければ
だが、その感情論が数字で叩き潰される。
得られた権益から大規模な利益が得られる様になる為には、どれ程の投資が必要であるのか日本側が積み上げていったのだ。
又、その投資も日本帝國の国外であり、何かがあれば失われる場所であるのだ。
しかも、今現在の日本帝國本土の発展に寄与しない。
であれば、その権益を使って日本帝國本土に投資を呼び込み、日本帝國を豊かにする事こそが血を流した甲斐があると言うものではないかと、強い調子で反論したのだ。
目的は日本帝國が豊かに発展する事である。
土地を得る事ではないという指摘であった。
正しく正論と言えた。
尚、この議論に対して陸軍からの出席者は沈黙していた。
血を流して
尚、土地と言う形での象徴が無い海軍からの出席者は、礼儀正しく沈黙を守っていた。
勝利の栄光、その象徴としては戦艦三笠があったからである。
東洋第1位の大海軍との自負もあった。
兎も角。
煮詰まった議論は最終的に御前会議にまで上がる事となる。
天皇を前に、総理大臣を筆頭に各大臣や元勲たちが揃った会議が行われたのだ。
立憲君主制国家の象徴と言う役割を自覚していた嘉仁天皇は沈黙を守り、その見守られる下で喧々諤々の議論が行われた。
御前会議は二日に渡って、それも深夜まで行われた。
その後半に於いて重大な視点となったのは、日本帝國が過度にアメリカの影響下に入る危険性であった。
アメリカを、満州権益を餌にして日本帝國に投資させる事自体は難しくはないかもしれない。
だが、その結果として日本帝國がアメリカの意向に逆らえなくなる訳にはいかない。
そういう話であった。
独立国の矜持であり、そうであるが故に一定の説得力があったのだ。
喧々諤々の議論。
疲労から議論が行き詰ってきた時、嘉仁天皇がふと思いついたとばかりに動いた。
質問の相手は、御前会議にオブザーバーの立場で参加していた山田大郎。
未来人としての見地から見て、どうであるのか、と言う質問であった。
それに山田大郎はおずおずと答えた。
素朴な疑問があります、と前置きしてつづけた。
今の日本帝國の国力で、アメリカから何らかの強い要求があったとして撥ね退ける事は可能なのですか、と。
投資を取っ掛かりとした要求が怖いという気持ちは判る。
だが、本当にアメリカが何かを欲した時に、ソレを軍すら用いて要求しようとした時に、抵抗する事は出来るのですか、と。
誠にもって無慈悲な質問であった。
反対派は言葉に詰まる事になる。
衆目が陸軍と海軍の代表に向かうが、代表である2人の将官は揃って首を左右に振った。
そもそも日本国が生まれた経緯が、本気になった
沈黙が御前会議を占める。
だが、山田大郎は続けた。
結論を言う。
どちらにせよ対峙するのであれば、その時まで国力を涵養し、抵抗力を付けられる方がまだマシではないのか、と続けた。
間違ってはいなかった。
議論に疲れ果てていた事もあり、かくしてアメリカの投資を全面的に引き込む事で結論が出る事となる。
――外交
中国大陸への
勿論、アメリカとイギリスの両国の関係が悪化しない様に、最新の注意を払って行うとしていた。
日英米極東協約と言う構想であった。
主軸を経済活動の協力に置き、その相互の経済活動を承認し合い、そして互いに保証するという内容であった。
アメリカに対しては満州権益と言う飴。
イギリスに対しては朝鮮半島での経済活動に関する日本に準じる特権の付与と、日英同盟の強化拡大と言う飴を用意するのであった。*3
アメリカとイギリスの関係性は、戦争に至る様な権益の全面的衝突が無いと読んでの方針でもあった。
日本帝國は日本国からの助言もあって、アメリカとイギリスの両政府に対して外交交渉に出る前に両国の
当然、その際には真実を詳らかにしていた。
日本帝國の
日本帝國の提案内容を理解すれば、その様な誤解をする事は無いだろう。
だが、人間と言うのは感情と言うモノを持っている。
故に、何となくと言う形で感情的反発を起こしてしまう可能性があるのだ。
それを、如何に抑制するか。
穏便に着地させるにはどうすれば良いのか。
そこの知恵を借りたいという話であると伝えたのだ。
勿論、そこには
正しく交渉の
日本帝國は日本国と言う100年先の国家から情報を得る事で急速に外交の
山田大郎を中心とした
この事が更に山田大郎の評価を高める事になる。
それ程に明治時代に於いて睦仁天皇の評判は高かったのだ。
後に、嘉仁天皇も体調が悪化した際して天皇を退位した際には茅ヶ崎研究所の世話になる事となる。
又、その事を知った海外の人々 ―― 主に外交関係から情報を知った持病や難病を抱えた富裕層などが山田大郎を頼る事となり、その治療も可能な限り担った為、その評判は益々もって高まる事となった。
結果、茅ヶ崎研究所の敷地は建屋が完成するよりも先に、拡張され、敷地内に皇族方の御用邸が誂えられ、又、貴人 ―― 華族は勿論、国外の貴族や国内外の富裕層が長期療養する為の豪奢な施設が増設される事となるのであった。
又、茅ヶ崎研究所別館が設立され、一般の難病者も入院する事となる。
別館として茅ヶ崎研究所敷地の外に、拡張された建物が用意された理由は、皇族や華族貴族が入院する建物と分けた方がセキュリティ上の問題が無いからであった。
当然ながらも受けられる医療に差は無いのだが、建物が違う ―― 差別が行われていると声高に批判し大衆を扇動しようとする
たが、実際に入院した人間の声を第1類新聞紙が載せ、正面から情報で殴り合った結果、その流れが大きくなる事は無かった。
尤も、だからこそ自分たちの
尤も、武装して茅ケ崎研究所施設に入り、そして一般警備員に向けて発砲した途端、
未来の紆余曲折。
そして様々な難病への治療手段を生み出した結果、ノーベル医学賞を1918年にアジア人として初めて受賞する事となった。
尚、山田大郎の胃袋は茅ヶ崎研究所の病室で静かに死んだ。
日韓併合を止めたのは、日韓併合反対の急先鋒であった伊藤博文が日本国からの情報を得て更に強い調子で反対した結果であった。
他国を併合し、その善導を行う事が先進国/強国の証明であるという認識を持った日本帝國の政府高官も居て抵抗を示してもいたのだが、日本国が開示した日韓併合による収支の詳細を見た事で抵抗は終息する事となった。
35年の統治期間は見事に赤字であり、又、恨まれもする。
又、日本国内に密航した大韓帝国人による治安維持などの諸問題も大きかった。
日本帝國は、日英同盟の適用をイギリス側が第2次同盟に際して要求していたインド洋まで適用範疇とする内容を認めるどころか、欧州も必要時には協議し、派遣を前向きに検討するという方針を内閣で纏めたのだ。
日本国の世界の歴史から見て、日本帝國の世界でも将来的にイギリスがドイツと戦争をする可能性は極めて高い。
と言う判断であった。
律儀な同盟者として振る舞う事で、イギリスが日本を手放せなくしようというのだ。
勿論、
そのように行動しては警戒されるだろう。
だが高確率で発生するイギリスの対ドイツ戦争があるのだ。
そこで恩を売れば、ある程度以上の配慮を買う事は可能になる。
そうする事で
安定した安価な資源の供給と、日本製品の安定した市場の確保によって、繁栄への道を確保しようというのだ。
その為に、最初の取っ掛かりとして