令和と昭和   作:◆QgkJwfXtqk

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1-8 軍拡/阿蘇型巡洋戦艦

――2万t級補助戦艦建造に至る狂想曲

 改定日英同盟条約(第3次日英同盟)に基づき、インド洋以東での通商保護を目的とした戦艦の建造が正式に決定した。

 仮称、2万t級補助戦艦である。

 2隻の整備が予定されているが、とは言え全くの新規な艦ではなかった。

 元々は国産の薩摩級戦艦に続く、改正薩摩級戦艦として建造が予定されていた。

 それが行われなかったのは日本国と接触し、早々に未来の情報に接したが故であった。

 

 薩摩級戦艦は、その進水の前にイギリスが従来の戦艦の全てを旧式化せしめる新世代艦たるドレッドノートを生み出した為、生まれる前より旧式と呼ばれる羽目になっていたのだ。

 だからこそ、薩摩級に続く戦艦はそうならぬ様によくよく検討を重ねようとしたのだ。

 対して日本帝國政府も、決して安くない金を投じるのであればより効果的な戦艦を欲したのだった。

 

 基準排水量 20,000t

 主砲    連装50口径12in.砲4基

 最大速力  25knot

 

 更には、外洋で長期間作戦可能な能力が要求される事となった。

 新機軸が要求される2万t級補助戦艦、その設計を茅ヶ崎研究所で行わせたいという欲求は判らぬ話では無かったのだが、この時点で茅ヶ崎研究所は仮設建物などを利用して医療及び政治経済の研究所として実働していた程度であったのだ。

 にも拘わらず軍事的、工業的な部門までカバーさせる、できるというのは流石に設定として無茶が過ぎる話であった。

 日本帝國政府も、それを納得するだけの冷静さはあった。

 無かったのは帝國海軍の上層部である。

 凄い! 未来な! 戦艦! が欲しいと駄々をこねたのだ。

 それが更に悪化したのは帝國海軍の設計部門 ―― 艦政本部が提案(試案)の態で出してきた設計案を見ての事であった。

 帝國海軍上層部が、山田大郎と天才集団(茅ヶ崎研究所)に新戦艦の設計を投げたがっているという噂を聞いての行動であった。

 とは言え、艦政本部の試案版は、242計画(26艦隊案)の要目にこそ合致しようとの努力はあったが、その設計は時間的余裕から戦艦ドレッドノートの新世代な要素を取り込みこそすれども、船体その他は薩摩級戦艦の延長線上にある(旧態依然とした)にあったのだから、ある意味で当然の反応であった。

 とは言え、茅ヶ崎研究所(100年先の技術情報集団)の実態を知らない艦政本部側からすればとてもではないが納得出来る話ではなかった。

 喧々諤々の態となる2万t級補助戦艦の建造計画。

 その助け舟を出したのは、ある意味で予算的政治的な対立関係にある存在であった。

 帝國陸軍だ。

 帝國陸軍上層部は、山田大郎に触発された軍事技術の先進化開発集団を内側に抱えており、そこが設計したとの形式を取れば良いと提言したのだ。

 帝國陸軍が茅ヶ崎研究所に対抗して研究所を広大な東富士演習場に作っていたのだとも。

 勿論、まるっきり(フェイク)である。

 これに帝國海軍も防衛総省も乗った。

 書類上は1年遡って、茅ヶ崎研究所の設立と同時期に行われたとした。

 工兵部隊を動員し、急ごしらえの施設を作り、茅ヶ崎研究所別館とも東富士科学技術研究所とも呼ばれる組織をでっち上げたのだ。

 これが、後に国立科学研究所(SCEBAI)と呼ばれる組織の始まりであった。

 

 大正も始まりのこの時代、軍事と名が付けば軍事機密と言う言葉で煙にまけるが故の乱暴な処置であったが、日本帝國国民(臣民)にせよ世界にせよ、そこまで注目していないというのも、この乱暴なやり方が通った理由として大きかった。*1

 

 兎も角。

 日本国技術の導入の目途が立った事で、帝國海軍上層部は2万t級補助戦艦の設計を艦政本部案と茅ヶ崎研究所別館案による競技形式(コンペティション)で決定する事とした。

 これは未来技術も大事であるが、艦政本部を蔑ろする事も政治的に問題であるという意識の表れでもあった。

 

 帝國海軍は正式に、艦政本部と茅ヶ崎研究所別館に対して2万t級補助戦艦の設計を行う事を要請した。

 奮起した艦政本部に対して、茅ヶ崎研究所別館(日本国技術者)側は少し悩む事となる。

 基本的な設計に対してではない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 この2点が難問となったからである。

 日本国が抱えている太平洋戦争の戦訓由来の彼是の問題もあった。

 (日本国)からの命令で新しい設計、新しい概念を導入しても、現場の人間が納得しなければソレが効果を発揮するのは難しいからである。

 日本国側の人間は自身の歴史、戦艦三笠や戦艦陸奥の爆沈と言った例を決して忘れてはいなかったのだ。

 

 尚、2万t級補助戦艦の主砲。

 元々は薩摩級戦艦の改設計型艦に搭載する為にアームストロング社に特注して開発させた50口径12in.砲の搭載が指示されていた。

 だが、日本国側に残されていた資料には余り良好な砲では無かったとの記述が残されていた為、この採用に日本国側は控えめながらも反対する旨を提案するのだった。

 強度不足から砲身が撓ってしまっており、射撃時の散布界が広い(命中率の低下)と言う問題を持っていた。

 又、砲身寿命も短いのだ。

 だが、帝國海軍側は、それを受け入れる事は無かった。

 政治的問題 ―― 帝國海軍で開発の予算を出したという事、そして問題自体の存在を把握しているのであれば()()()()()()()()と甘く見ていたのだ。

 威力自体は優秀であった事が、この判断の理由でもあった。

 新設計の50口径12in.砲は386kgの砲弾を133.5㎏の装薬で打ち出し、初速は914m/sに達していた。

 対して、従来的な45口径12in.砲は、同じ重量の砲弾を113.4kgの装薬で発砲する為、初速は810m/sとなっているのだ。

 国力由来の問題で数を揃える事が難しい、数が揃わぬが故に質的な優秀さを求めてしまう運用側が、この50口径12in.砲に幻惑されてしまうのも仕方のない話であった。*2

 尚、搭載する砲に関して、用兵側から50口径12in.砲と45口径12in.砲の混載も要求されていたのだが、此方に関しては茅ヶ崎研究所別館(日本国側)は非効率の一言で一蹴していた。

 結果、茅ヶ崎研究所別館案は連装砲塔4基8門艦となる。

 対して艦政本部案は連装砲塔6基12門艦(50口径砲塔2基、45口径砲塔4基)として纏まる事となる。

 単純な火力(砲門数)で優越する事になる艦政本部案であったが、機力を大量に導入した茅ヶ崎研究所別館案は総合的な火力(発射レート)で優位に立っていた。

 ある意味で互角であった。

 だが、それ以外の要素は殆どが茅ヶ崎研究所別館案が優位であった。

 装甲配置の効率性に始まり、高速発揮に適した船体の採用。

 戦艦に要求される能力の殆どで、比較にならぬ差があった。

 艦政本部案を纏めた人間は、設計の専門家であり、そうであるが故に差の大きさを実感した。

 とは言え意固地になる事は無かった。

 差があるのであれば、差が判るのであれば詰めれば良いのだから。

 かつての様に、イギリスやフランスに学んだように、学び、進めば良いのだから。

 2万t級補助戦艦の競技(コンペティション)終了後、茅ヶ崎研究所別館との技術交流(研修)の場を要求していく事となる。*3

 

 凡その面で優秀な設計と評された茅ヶ崎研究所別館案であったが、唯一、駄目出しが為されたのは()()()()であった。

 日本近海ではなく太平洋東南アジアからインド洋までを活動範囲に納めるが故に、現地の有力者との外交(プレゼンス)を成す事が予想されており、その視点で見ると余りにも実用本位(貧相)過ぎていたのだ。

 下士官以下、水兵などの居住性は極めて良好と想像できる設計であったが、幹部将校の部屋は余りにも狭く、来賓者を迎えるには如何なものかと評価されたのだ。

 さもありなん。

 茅ヶ崎研究所別館案は日本国海上自衛隊(純戦闘用殺意100%の実戦向け)仕様が元となっており、そうであるが故に被弾時の延焼などを呼ぶ装飾の類は極端な迄に剥ぎ取られていたのだ。

 1890年代末の、イギリスやフランス製の艦艇の優美さに慣れていた人々は、率直に言って眉をひそめる(呆れ果てる)程であった。

 だが、この点を指摘された茅ヶ崎研究所別館案を纏めた設計主任、海上自衛隊からの出向者は真顔で首を傾げるのだった。

 とは言え、この時代が要求するのであれば、とある程度の修正は行われた。

 艦政本部の助言を受け、相応しい()と言うモノを有する様にされた。

 とは言え簡単では無かった。

 幾度もの修正が重ねられる事となり、担当した海上自衛隊からの出向者は、まるで豪華客船の様な品位が要求されているみたいだと零す程であった。

 だがそれも当然の話ではあった。

 この1910年代に於いて戦艦と言うモノは単純な水上戦力(暴力の象徴)ではなく、国家と国威を代表する様な存在であったのだから。*4

 

 兎にも角にも。

 些細な文化的混乱はあったが、最終的に2万t級補助戦艦の設計は固まる事となる。

 最終的には基準排水量23,000tと言う、堂々たる超弩級巡洋戦艦(Super Dreadnoughts)として建造される事となった。 

 2万t級の()と言う言葉の便利さを実感する話であった。

 尚、当初予定されていた2万t級と言う規模は、建造コストをある程度は抑制する為に設定された数値であった。

 それだけ日本帝國の経済規模は苦しかった。

 だが、建造に際して日本国側の徹底支援 ―― 溶接技術や装甲材の提供(茅ヶ崎研究所別館の試作品名目)を受けるられる事もあり、1隻あたりの単価が予想を下回った為、この凶悪な阿蘇型巡洋戦艦は23,000tと言う原案通りの形で世に生み出される事となるのであった。

 

 

【挿絵表示】

 

 基準排水量 23,000t

 主砲    連装50口径12in.砲4基

 最大速力  25.5knot

 

 尚、残る6隻の建造に於いて、4隻の巡洋戦艦はイギリスに発注される事が決定している。

 第3次日英同盟の日本側の役割負担増へのご褒美的な意味で行われたソレは、格安であり、しかも最新鋭の14in.砲のライセンス生産権も含めた設計図の完全な日本帝國への提供込みと言う破格な待遇であった。

 最後の4万t級大戦艦2隻は、この阿蘇型の建造を見ながら設計が行われるモノとされていた。

 

 

 

 

 

 

*1

 尚、この国立科学研究所(SCEBAI)設立に絡む彼是は、日本国の情報の漏洩その他、くそ面倒くさい事が発生させない為に、全ての資料は短期間で散逸する方向で調整されていた。

 明治からそう離れていない事もあって、建国神話の類に紛れ込ませようとしているとも言えた。

 尚、研究機関の諸設備が帝國陸軍の演習場に建てられた結果、日本国技術の導入に関するイニシアティブを帝國陸軍が握る事となり、帝國海軍は切歯扼腕する事となる。

 とは言え10年も後になれば、軍事技術の開発は防衛総省管理下と言う意識が育つ事となり、その様な対立(遊び)は酒の席の肴程度に落ち着く事となる。

 

 

 

*2

 50口径12in.砲を採用したという事は2万t級補助戦艦、後の阿蘇型巡洋戦艦の運用に於いて大きな問題として後々まで残る事となる。

 帝國海軍上層部は、この選択を大きく悔いる事となる。

 世界大戦争(World War 1914-1918)の終結後、戦傷からの回復も兼ねて行われた大規模な第1次近代化改修で様々な改修を行ったが、余り改善する事は無かった。

 結局、更なる大規模改修 ―― 高千穂型戦艦の建造に向けた技術実証/確認向けの改装によって45口径12in.砲に更新される事となる。

 

 尚、余談ではあるが搭載砲で問題が生じたのは副砲でもあった。

 此方は茅ヶ崎研究所別館(日本国側)が原因であった。

 阿蘇型巡洋戦艦の運用目的が対通商破壊戦であり、その際に予想されるドイツ側の投入戦力が仮装巡洋艦であろうという想定の為、手数の多さと携帯弾数を考慮して40口径120mm速射砲を選択していたのだ。

 実際、世界大戦争(World War 1914-1918)の序盤、インド洋で仮設巡洋艦を相手にした戦いでは120mm砲は十分な火力を発揮出来たのだが、要求される役割は、そこで終わらなかったのだ。

 インド洋太平洋方面でドイツ軍水上艦部隊の殲滅に成功し海洋交易路の安全を回復させた後にはイギリスの要請を受けて金剛型巡洋戦艦と共に大西洋に渡る事となったからである。

 勿論、相手はドイツ主力艦隊(Hochseeflotte)だ。

 ドイツ海軍の誇る艨艟たちと正面から殴り合う羽目になり、問題が露呈したのだ。

 120mm砲では、戦艦は勿論、駆逐艦を相手にしても致命的なまでに威力が不十分(ストッピングパワーの不足)であったのだ。

 

 

 

 

*3

 艦政本部の人間に茅ヶ崎研究所別館が帝國陸軍系の組織であるという事に拘りは無かったのは、それだけ茅ヶ崎の、医聖山田大郎の看板(ネームバリュー)が大きかったという事であった。

 それは、帝國海軍の医療部門も茅ヶ崎研究所で色々と学んでいる部分があった為、山田大郎を確たる医療の知識を持つが、にも拘らず偉ぶらない医聖(大人物)として知っていたというのが大きかった。

 陸軍関係である。

 だが、山田大郎の関係である。

 そういう話であった。

 

 尚、歴史に名を残している帝國海軍の医療関係者や設計関係者から高く評価されているという話を聞いた山田大郎はその夜、一晩中ベットの中で呻いていた。

 

 

 

*4

 令和時代の海上自衛隊が、その艦艇に迎賓機能を保有させる事を全く意識していないという訳では無いのだが、如何せんにも苛烈な太平洋戦争の記憶がこびり付きすぎており、全ての艦艇は戦争が発生すれば悉くがマッチの様に燃える事があるとの意識であった。

 そうであるが故に、延焼リスクの軽減は、迎賓機能に優先されるのだ。

 国を代表する事もある。

 だが()()()であり、()()()である。

 3桁単位で戦闘艦艇を消費しきるまで戦い抜いた海軍(バーサーカー)の末裔らしい態度。

 そう言う事でもあった。

 

 尤も、今現在はその当人(バーサーカー)たちは、末裔の姿勢(ガンギマリ)にドン引きしていたのだが。

 

 

 




※阿蘇型巡洋戦艦
 速力修正
 読み直していて、河内型の枠を喰うとはいえ仮にも「巡洋戦艦」で建造しておいて22.5knotは低すぎるだルォ
 と冷静になりますた
 なので25.5knot
 まー
 主機の出力&船体設計の妙で達成という事で1つ、ご納得を(お
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