――イギリス/阿蘇型巡洋戦艦見学会
第3次日英同盟の締結以降、日本帝國とイギリスの軍事技術交流は深化していた。
日本帝國側のメリットは言うまでもないが、イギリスからしてもメリットは大きかった。
日本帝國はインド洋以東の安全保障に置ける貴重な
故に、交流とは言っても基本的には格下への情報開示と言う意識が強かった。
そんな意識が一変したのが、阿蘇型巡洋戦艦の建造途中で行われた見学会であった。
50口径12in.の主砲こそイギリス製であったが、砲塔まわりのシステムは完全に日本帝國式のモノが採用されており、装填装置の機力化 ―― 準自動とまで言えるレベルまで達したそれは、イギリスの現行主力艦群に搭載されているモノよりも先進的であった。
防御に関しても同様であった。
否、受けた衝撃と言う意味ではそれ以上であった。
更に特徴的なのは、水平防御を重視しているという点であった。
元来、巡洋戦艦とは格上と戦わないという前提で、
だが阿蘇型巡洋戦艦は、漫然と装甲を薄くするのではなく、防護するべき区画を絞り込む事で装甲材の使用量を抑え込む設計としてあったのだ。
この様を理解したイギリスの造船技官は、阿蘇型は巡洋戦艦では無く高速戦艦 ―― 新世代の戦艦像のひな形足り得ると称した程であった。
勿論、イギリスらしい捻くれた表現で、であったが。
とは言え水平防御の強化の必要性に関して主砲の射程延長、交戦距離の増大によって敵砲弾が甲板を垂直に撃ち抜くリスクの増大は、それを日本帝國側が具体的な数字で示してきた事はイギリス側の顔色を変えさせるだけのインパクトが存在していた。
だが、そうであるが故に阿蘇型巡洋戦艦がイギリスの感覚で言えば極端と呼べる程の集中防御を採用した理由として納得が出来たのだった。
戦艦の大型化や、大型戦艦の大量配備の難しい
強ち間違ってはいなかった。
だが、そんな覇権国家の矜持は、実際の建造現場に入った時に消し飛んでいた。
建造の現場で溶接による構造の接合が実用化、実戦投入されていたのだ。
1900年代後半にスウェーデンで被覆溶接棒が開発されて以降、溶接技術の熟成、現場への投入の為の研究が行われていたが、未だ、戦艦の様な大物で使用できる程の水準に達してはいなかったのだ。
それが、
勿論、作業自体はおっかなびっくりと言った態であり、極々初期的な段階にある事は
若い国家故の新技術への邁進と呼ぶべきモノと認識したのだった。
とは言え侮る訳にはいかない。
世界最大の帝国、先進科学の雄と言う意識は強いが、そうであるが故にイギリスも新進なモノへの意欲は決して低くは無いのだ。
その場で、イギリスの見学会派遣団の技術責任者は日本帝國との、より深い技術交流を要請するのであった。
主題は実用的な溶接技術の獲得であったが、同時に、コレだけの
イギリスに留学に来ていた
何かが違う要素、人員が居る、と。
それが、イギリスが茅ヶ崎研究所別館 ―― 茅ヶ崎研究所と山田大郎を認識する切っ掛けであった。
――金剛級戦艦
阿蘇型巡洋戦艦の建造見学会で得られた知見は、ヴィッカース社へと伝えられ、設計が完成しつつあった金剛級戦艦の設計に修正が加えられる事となる。
とは言え、抜本的な変更にまでは至らる事は無かった。
水平防御の強化等、艦内構造の変更を含めた修正は、次なるイギリスの巡洋戦艦であるタイガー級に持ち越される事となる。
一部の造船技官からは金剛級戦艦に、阿蘇型巡洋戦艦で採用されていた主砲の準自動装填装置の採用を検討する声も上がっていたが、イギリスが見た所、余りにも煩雑な構造であった為、機械的トラブルの頻発リスクが高いと判断され、採用は見送られる事となった。
とは言え、成功した場合の効果は大である為、独自に、阿蘇型巡洋戦艦にインスパイアされた形で、準自動装填装置の開発に取り掛かる事となる。
設計の改定などもあり、当初よりも基準排水量は増大する事となった金剛級巡洋戦艦は、若干の速度低下を生む事となった*1が、トータルで言えばバランスの取れた装甲強化型の巡洋戦艦、高速戦艦と言っても過言ではない形に纏まる事となる。
突飛さ、或いは先進性と言う意味に於いて十分とは言い難いが、それは別の言い方をすれば枯れた技術で構成されていると言えるだろう。
金剛級巡洋戦艦に要求される事が、帝國海軍の主力として在るという事である為、新機軸の少なさは故障その他のリスクが低いと言う部分もある為、成功した巡洋戦艦と呼ばれる事となる。
――イギリス
日本帝國が生み出す事となった高速戦艦と言う概念は、イギリスで大きな波紋を広げる事となった。
戦艦を補助する戦力として巡洋戦艦*2の整備を進めていた為に、日本帝國が抱えた疑問 ―― 戦艦と戦う必要が要求された場合に巡洋戦艦に後退と言う選択肢は取れるや否や? が、極めて大きな問題と認識されたのだ。*3
戦意に不足の無いイギリスの船乗り達は、要求されれば
その健気さに、艦艇を整備する人間は応えていると言えるのだろうか。
誠にもってある種の哲学めいた問題、或いは命題を突きつけていたのだ。
イギリスは、イギリス海軍はこの問題に真摯に取り組む事とした。
その上で、この巡洋戦艦の問題にいち早く気付いた日本帝國、日本帝國の頭脳である茅ヶ崎研究所と山田大郎に対して共同研究を申し込む事となった。
尚、イギリスからの招聘の話を聞いた山田大郎は笑顔の儘にしめやかに吐血し卒倒したのだった。
就役時点での金剛級巡洋戦艦の最大速力は26.2knotであり、計画初期の目標値である27knot台には劣る事にはなったが、1910年代の帝國海軍が保有している戦艦群の中では一番の俊足であり、駆逐艦などとの艦隊行動にも問題が出る様な速度低下ではない為、大きな問題とは見られなかった。
それよりも初期案よりも垂直及び水平防御の強化が為されている事の方が評価される事となった。
そもそも、純然たる巡洋戦艦として設計し、就役している阿蘇型巡洋戦艦が速力22.5knotであったのだ。
問題とされる筈も無かった。
尚、余談ではあるが阿蘇型巡洋戦艦の最大速力が22.5knotに抑えられた理由は、1つには戦術的な要求であった。
艦隊構成艦として要求される速力からの算出である。
その意味では、金剛級巡洋戦艦の速力は
又、阿蘇型巡洋戦艦が想定している主たる敵艦 ―― 通商破壊戦に投入されるであろうドイツ海軍の仮設巡洋艦の速力を思えば、安定して常時出し続ける事の出来る22.5knotと言う数字は必要十分であった。
ある程度抑えられた速力、その対価に阿蘇型巡洋戦艦は基準排水量比で厚い装甲を持ち、そして船内の容量を確保していたのだ。
それは石炭と重油、それに食料を大量に積み込める事を意味していた。
ある意味で阿蘇型は言葉通りの巡洋、
対通商破壊戦の艦として良く考えられ、構成されているのだった。
巡洋戦艦に要求されているのは、自艦よりも劣位な
戦艦には戦艦をぶつければ良い。
とは言え、他国の優に2倍近い戦艦群を保有しているのだから傲慢と評するのは失礼と言う話でもあった。
それだけの戦艦をイギリス保有しているのだった。
尚、余談ではあるが、イギリスの保有する戦艦群は、その数字的なモノ程に優位を持っていた訳では無い。
ドレッドノートが引き起こした問題 ―― 革新的なドレッドノートの登場によって、それ以前の戦艦群が一気に陳腐化させられてしまったからである。
ドレッドノート以前の戦艦は一気に二線級の戦力となり、洋上戦力の柱はドレッドノート級、或いはスーパードレッドノート級戦艦となっていったのだ。
戦力のリセットが掛かったのだ。
それが、イギリスがドイツの戦艦群をその規模以上に警戒する理由でもあったし、日本帝國による安全保障協力の強化提案を即答めいた勢いで受け入れた理由であった。
イギリスには新世代の戦艦の不足していたのだ。
少なくとも、イギリスの視点では。
勿論ながらも日本帝國がそこに考えが至ったのは、日本国からの情報、海上自衛隊からの第1次世界大戦と太平洋戦争/第2次世界大戦の戦訓を見たからであった。
必要があれば戦艦と戦い。
そうであるが故に、装甲の薄さから大被害を呼んだ。
速力は重要であるが、それは戦術的要求を勘案した上で設定されるべきである。
至極、冷静な判断であった。