四層世界の最下層、魔物の森で生き残る 作:鳩夜(HATOYA)
「マグ、実は――!」
聞きたいことが山ほどある。
一年前に別れてから、俺は祭壇を見つけた。
四輪まで魔法を覚えた。
そして今日、次の洗礼の試練が始まった。
そのことを伝えようとした――その瞬間だった。
「チチチッ!」
「っ!?」
何もなかった空間から、巨大な影が突然現れた。
まただ。
光沢のある外殻。
硬いデッドマンティス。
しかも、今度はマグの目の前。
「危ない!」
巨大な鎌が振り上げられる。
間に合わない。
そう思った直後――。
ギュンッ!
「……え?」
振り下ろされた鎌が、不自然に軌道を変えた。
マグの身体すれすれを沿うように通過し、そのまま地面へ深々と突き刺さる。
まるで最初からマグだけを避けるように。
「硬いデッドマンティスの攻撃は、マグには絶対に当たらないの」
「どういう――」
マグは平然とした表情で、地面へ突き刺さった巨大な鎌へ手を伸ばした。
ガキンッ!
鎌の付け根へ攻撃を叩き込み、そのまま切断する。
巨大な鎌が地面へ落ちた。
マグはそれを片手で拾うと、少しだけデッドマンティスから距離を取った。
「返す」
ぽいっ。
軽く放り投げる。
ただそれだけだった。
だが――。
ギュオッ!
「なっ!?」
マグの手から離れた鎌が、突然ものすごい勢いで加速した。
一直線にデッドマンティスへ吸い寄せられる。
ドガンッ!
「ヂギッ!」
巨大な鎌が、自分自身の胴体へ深々と突き刺さった。
衝撃で硬い外殻が割れ、中から火花が飛び散る。
「どうなってるんだ……?」
魔法を使ったようには見えなかった。
手の甲へ触れていない。
魔法輪にも触れていない。
詠唱もない。
俺が《制御》を使うときに近い。
つまり――。
「ユニークリング……!」
「お姉ちゃん!」
考えていると、後ろから声がした。
助けた赤髪の少女が、マグへ駆け寄る。
「怖かったよ!」
少女はそのままマグへ抱きついた。
「この人がいなかったら、アミナ死んでた……!」
「そう……」
マグはアミナと呼ばれた少女を抱き留めると、ゆっくり俺へ顔を向けた。
赤い瞳が、じっとこちらを見つめる。
「……」
「……あ」
そういえば。
一年前、俺はマグの名前を結果的に知った。
だが、自分の名前は名乗っていなかった気がする。
「俺はロフル」
「ロフル」
マグは俺の名前を一度口にした。
「そう。マグはマグノリアって名前」
「マグノリア……」
だからマグなのか。
マグは小さく頭を下げた。
「アミナを助けてくれて、ありがとう」
「あ、いや……」
一年前とは少し印象が違う。
相変わらず淡々とはしているが、きちんと礼を言われるとは思っていなかった。
マグはアミナへ視線を戻す。
「アミナ。ここに落とされたってことは、やっぱり……?」
アミナは少し寂しそうな表情で頷いた。
「ユニークリングだったよ……」
「……え?」
今、なんと言った?
「落とされた?」
二人を見る。
「ユニークリングだから?」
マグとアミナは顔を見合わせた。
何か知っている。
だが、今ここで話し込むのは危険だ。
「……正直、まだよく分からないけど」
俺は周囲へ目を向けた。
「とりあえず安全な場所へ移動しよう。ここに長くいるのはまずい」
立ち上がろうとした――そのとき。
「いっ……!」
背中へ鋭い痛みが走った。
思わず膝をつく。
「お兄ちゃん!?」
「大丈夫……!」
そう言ったものの、全然大丈夫ではない。
背中が熱い。
服へ手を回すと、ぬるりとした感触があった。
血だ。
先ほどアミナを庇ったとき。
どうやらデッドマンティスの鎌が、背中を切っていたらしい。
「ひどい怪我」
マグが背中を確認する。
「《エンハンス》を纏って」
「エンハンス?」
「多少だけど、回復を助ける効果もあるから」
「そんな効果まであるのか……」
痛みに耐えながら手の甲へ触れる。
「三輪――《エンハンス》」
魔力が全身を覆った。
「……お?」
痛みが少し和らぐ。
完全に消えたわけではない。
それでも、先ほどまでの焼けるような痛みがかなり軽くなった。
出血も徐々に止まっていく。
「便利すぎるだろ、この魔法……」
身体能力強化。
防御。
そして、わずかな回復補助。
三輪を覚える前と後では、本当に別世界だ。
マグが俺へ手を差し出した。
「安全な場所は?」
「ああ。ここから東だ」
立ち上がりながら考える。
「マグ、《サーチ》出せるか?」
「うん」
マグは《エンハンス》を纏ったまま、手を動かした。
「一輪――《サーチ》」
「やっぱり……」
《エンハンス》は解除されない。
二つの魔法を同時に使っている。
「いいな、それ」
「?」
「俺も《エンハンス》を纏いながら《サーチ》が使えれば、さっきみたいなことにはならなかったんだけどな」
《サーチ》を使うために《エンハンス》を解除した。
その直後にデッドマンティスが現れた。
それが今回の負傷につながっている。
「五輪になればできる」
マグがあっさり言った。
「やっぱり左手か!」
「うん」
「……ますます五輪になりたくなったな」
「さあ、行こ」
マグがもう一度肩を貸そうとしてくる。
「大丈夫。歩けるよ」
「でも怪我」
「思ったより平気なんだ」
実際、《エンハンス》を発動してからは、少し走るくらいならできそうだった。
俺たちは祭壇へ向かって歩き始めた。
・・・
・・
・
「なあ、マグ」
「なに?」
道中。
ずっと気になっていたことを聞いてみる。
「ユニークリングって、どんな効果なんだ?」
「……」
マグが黙った。
「マグ?」
少しして、マグがこちらを見る。
「普通なら、他人には言わない」
「あ……」
言われて気づいた。
「そりゃそうか」
ユニークリングは、個人だけが持つ特殊な力だ。
戦いになれば、大きな切り札になる。
それを簡単に他人へ教えるのは、自分の手の内を晒すのと同じだ。
「悪い。今のは忘れてくれ」
「でも」
マグはまた少し黙った。
「ロフルは、アミナの恩人だから教える」
「え?」
「マグのは、硬いデッドマンティスにすごく強い」
「……結局教えてくれるのか」
思わず笑ってしまった。
「さっきも鎌が勝手に避けてたもんな」
「普通のデッドマンティスには無理」
「硬い奴だけ?」
「うん。硬い奴なら、マグの方へすごく速く寄せられる」
マグが手を自分へ引き寄せる仕草をする。
「逆に、遠ざけることもできる」
「引き寄せたり、反発させたり……?」
やはり何かを操っている。
「特定の魔物に強くなるユニークリングなのかな」
俺の《制御》とは、かなり性質が違う。
「でも、あいつら相手にほとんど無敵ってのは羨ましいな」
何度剣を当てても傷がつかなかった。
殴るためにも《エンハンス》の出力を右腕へ集中させなければならなかった。
「俺なんて、硬すぎてずっと苦労してたよ」
マグが足を止めた。
「……四輪で倒したの?」
「ん?」
「ロフル、今四輪でしょ」
「ああ」
「どうやって硬いの倒した?」
「右手で思いっきり殴った」
「……」
マグの目が、少しだけ大きくなる。
「《ブラスト》なしで?」
「ブラスト?」
「すごい……」
「いやいや」
思わずマグを見る。
「マグなんて三体まとめてバラバラにしてただろ。俺なんかより遥かにすごいよ」
「マグは特別」
ほんの少し。
マグの口元が得意げに持ち上がった。
「フーチェは《エンハンス》で叩いても、絶対倒せない」
「フーチェ?」
「マグの仲間」
また知らない名前が出てきた。
「普通は《エンハンス》だけじゃ、硬いのを壊すには威力が足りない」
「じゃあ、その《ブラスト》ってのを使うのか?」
「うん」
マグは拳を作った。
「簡単に言うと、《エンハンス》で殴る力に《ブラスト》の威力も一緒に乗せる」
「なるほど……」
想像する。
ただでさえ強力な《エンハンス》の拳。
そこに、さらに攻撃魔法の威力を重ねる。
「……強そうだな」
「強いよ」
ますます五輪になりたくなった。
「そうだ。もうすぐ着く」
木々の向こうを指さす。
巨大な切り株が見えてきた。
「あれだ」
俺は少し歩調を速めた。
「一人だけだけど、紫髪の男の子も助けられたんだ」
「他は?」
「……もっと助けたかった」
自然と声が小さくなる。
「でも、甘かった」
十キロまで広がった《サーチ》。
それでも、人間の反応はもうない。
「近くには、もう誰もいない」
範囲外へ逃げただけかもしれない。
帰還した可能性だって、ゼロではない。
だが。
今日転送されたばかりだ。
二輪を覚えて帰ったとは考えにくい。
「俺も怪我しちまったし、今から無茶に動き回るのは難しい」
「……」
「まずは、助けた子を――」
梯子の下へたどり着く。
俺は上を見上げた。
「上にいる。さっきは怖がってたけど、いい子だったから――」
そこで。
言葉が止まった。
「……は?」
切り株の上。
何かがおかしい。
俺は嫌な予感に襲われ、痛む背中を無視して梯子を登った。
「おい!」
上へ出る。
そして――。
「なんだ……これ……!」
簡易住居が、無残に破壊されていた。
レッドアントの外殻で作った屋根は、細かく切り裂かれている。
グランドセンチピードの甲殻で作った水受けも砕かれていた。
食料袋は引き裂かれ、中身が散乱している。
何より。
至るところに、鋭い刃物で斬りつけたような跡が残っていた。
「おい!」
俺は走る。
「どこにいる!」
寝床。
食料庫。
暖炉の陰。
「返事してくれ!」
いない。
「おい!!」
少年の姿が、どこにもない。
マグが壊れた屋根へ近づいた。
切断面へ指を這わせる。
そして、静かに言った。
「硬いのにやられた」
「……え?」
「硬いデッドマンティス」
「そんな……」
頭が理解を拒んだ。
「ありえない」
祭壇の周辺には魔物が近づけない。
一年間。
何度も。
何度も確認した。
「ここには魔物は来ない!」
「普通のは来れない」
マグは淡々と答える。
「硬いのだけは、どこにでも行ける」
「……」
力が抜けた。
「そんな……」
俺は、その場へ膝をついた。
知らなかった。
俺が知らなかったばかりに……!
「くそ……!」
拳を握り締める。
「祭壇の中で待たせれば……!」
切り株の上ではなく。
青い扉の奥。
祭壇の内部で待っていれば。
助かったかもしれない。
「あの子は……!」
あの少年は、一人で梯子を登った。
怖いと言いながらも。
俺が助けに行けと言ったから。
頑張ってねと送り出してくれた。
「あの子は、俺の言うことを信じて……!」
俺が安全だと言った。
ここなら大丈夫だと。
俺の指示で、この場所に残った。
「俺のせいだ……!」
握った拳へ、爪が食い込む。
その手を。
小さな両手が、そっと包んだ。
「……?」
顔を上げる。
アミナだった。
「貴方は悪くないよ」
「……っ」
その言葉を聞いた瞬間。
堪えていたものが、一気に崩れた。
涙が頬を伝う。
「ぐ……!」
助けたかった。
一人でも多く。
去年の俺と同じように、何も知らずこの場所へ落とされた子供を。
「ごめんな……」
誰に向けた言葉なのか、自分でも分からない。
「ごめん……」
俺はしばらく、その場から動けなかった。
・・・
・・
・
少し休んだ後。
マグが立ち上がった。
「マグは、アミナと元の場所に戻る」
「元の場所?」
「うん」
おそらく、マグたちが生活している場所なのだろう。
「ロフルはどうする?」
「ああ……」
俺は壊された住居を見る。
この場所を見るだけで、胸が痛む。
それでも。
「俺は、ここを作り直すよ」
「……」
「来年に向けてな」
今年は失敗した。
知らないことが多すぎた。
安全だと思っていた場所も、安全ではなかった。
次は同じ失敗をしない。
祭壇の中へ避難できる場所を作る。
硬いデッドマンティスへの対策も考える。
もっと早く子供を見つける方法も必要だ。
「……そう」
マグは、それだけ言った。
なぜか少しだけ、寂しそうな表情に見えた。
「ありがとう、マグ」
「?」
「今日も助けられた。前も助けてもらったしな」
「うん」
「こっちの方に来ることがあったら、ぜひ寄ってくれ」
マグは小さく頷いた。
「分かった」
「お兄ちゃん!」
アミナが元気よく手を上げる。
「本当にありがとう!」
「ああ」
「元気でね!」
大きく手を振るアミナへ、俺も手を振り返した。
「アミナもな!」
マグとアミナは梯子を降り、森の中へ入っていく。
俺は二人の姿が見えなくなるまで、その場に立っていた。
「……」
また一人になった。
風が吹く。
壊れた屋根の一部が、カタカタと揺れていた。
「いつまでも落ち込んでても仕方ないな」
両手で自分の頬を挟む。
パシッ!
「よし」
痛みで少し頭が冴えた。
失敗した。
なら、次に同じ失敗をしなければいい。
「そういえば……」
今日だけで硬いデッドマンティスを何体も倒した。
俺自身も一体倒している。
「祭壇で、レベルが上がってるか確認してみるか」
五輪まで、あと〇・二。
もし硬い個体が、普通の魔物より多くの経験値を持っているなら――。
俺は右腕の四つの魔法輪を見下ろす。
そして、青い祭壇へ続く横穴へ向かって歩き始めた。