四層世界の最下層、魔物の森で生き残る   作:鳩夜(HATOYA)

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区画の壁

 《エンハンス》を纏って移動したおかげで、神輪の祭壇までは驚くほどスムーズに戻ることができた。

 以前なら半日近くかかっていた道も、今ではかなり短く感じる。

 巨大な切り株の内部へ入り、青い扉を抜ける。

 

 冷たい空気。

 青い岩壁。

 

 中央に置かれた台座。

 フーチェは祭壇を見るなり、目を輝かせた。

 

「まずは私から……!」

 

「お、おう」

 

 随分と積極的だ。

 フーチェは迷いなく台座へ近づき、中央の穴へ右手を入れた。

 

 その瞬間。

 

「ひゃっ!?」

 

 身体が前へ引っ張られる。

 

「吸い込まれます! これ!」

 

「大丈夫だ!」

 

 俺は慌てて声をかける。

 

「そのまま身を委ねればいい!」

 

「そ、そういうものなんですか!?」

 

「ああ! 無理に抜こうとしても絶対抜けないから!」

 

 フーチェは少し慌てながらも、抵抗するのをやめた。

 

「……なるほど」

 

 その姿を見て、少し懐かしい気持ちになる。

 

 そうだよな。

 最初はそうなるよな。

 

 俺も腕を千切られたと思ったくらいだ。

 やがて台座が青く光り、黒い石板へ文字が浮かび上がった。

 

――――――――――

 

 現在レベル五・九九。

 

 レベル五までの魔法輪。

 

 特性《炎上》を開放済。

 

 次のレベルまで〇・〇一。

 

 開放の試練をクリアする必要があります。

 

 試練条件。

 

 レベル五・九九以上の神徒を含んだ、

 異なる種族二名の参加が条件の試練を

 神輪の祭壇で受ける必要があります。

 

――――――――――

 

「五・九九……?」

 

 俺は表示を読む。

 

「あと〇・〇一なのに上がらないのか」

 

「試練が必要なんですね」

 

 フーチェが興味深そうに石板を見つめている。

 

 腕が解放されると、今度はマグが前へ出た。

 

「次、マグ」

 

「どうぞ」

 

 マグは何の躊躇もなく腕を穴へ差し込む。

 

「……」

 

 吸い込まれても表情一つ変えない。

 

「驚かないんだな」

 

「フーチェ見てたから」

 

「なるほど」

 

 再び石板が光る。

 

――――――――――

 

 現在レベル五・九九。

 

 レベル五までの魔法輪。

 

 特性《磁力》を開放済。

 

 次のレベルまで〇・〇一。

 

 開放の試練をクリアする必要があります。

 

 試練条件。

 

 レベル五・九九以上の神徒を含んだ、

 異なる種族二名の参加が条件の試練を

 神輪の祭壇で受ける必要があります。

 

――――――――――

 

「マグ……磁力?」

 

 俺は思わずマグを見る。

 

「磁力……ってことは」

 

 硬いデッドマンティス。

 あいつらは破壊すると、ネジや配線のようなものが出てきた。

 

「やっぱり硬いデッドマンティスって……鉄でできてるのか?」

 

「多分」

 

「それでマグは、あいつらを引き寄せたり反発させたりできたのか」

 

「うん」

 

 なるほど。

 

 特定の魔物に強い能力だと思っていたが、そうではなかった。

 マグの能力は鉄を操る磁力。

 

 たまたま硬いデッドマンティスが金属でできていたため、圧倒的に相性が良かったのだ。

 

「マグ、かなり当たりの特性だな」

 

「マグは特別だから」

 

 少し得意げだ。

 

「私は《炎上》ですか……」

 

 フーチェは自分の右手を見つめる。

 

「名前だけで説明はないのですね」

 

 少し不満そうだった。

 

「まあでも、能力そのものは分かりやすいだろ」

 

「分かりやす過ぎます」

 

 最後に、俺も念のため右腕を祭壇へ入れる。

 今日だけでも硬いデッドマンティスを倒している。

 多少は経験値が増えているかもしれない。

 

――――――――――

 

 現在レベル五・五。

 

 レベル五までの魔法輪。

 

 特性《制御》を開放済。

 

 次のレベルまで〇・五。

 

――――――――――

 

「五・五か」

 

 五・一から、一気に〇・四も増えている。

 やはり硬いデッドマンティスは経験値が高いようだ。

 

「で」

 

 フーチェがこちらを見る。

 

「ロフルさんの《制御》とは、どういう能力なのですか?」

 

「ああ」

 

 俺は祭壇から少し離れる。

 

「例えば――」

 

 右手を前へ向ける。

 

「四輪――《バインド》」

 

 円盤状の魔力を射出する。

 普通なら、そのまま一直線に飛んでいく魔法。

 俺は右手を横へ動かした。

 円盤が大きく曲がる。

 

「おお……!」

 

 フーチェの目が見開かれた。

 さらに右手を後ろへ引く。

 

 円盤が空中で急旋回し、俺の方へ戻ってきた。

 身体へ当たる直前で再び方向を変え、壁へ命中させる。

 

「打ち出した魔法を、ある程度自由に操作できる」

 

「すごいですね……」

 

「それだけじゃない」

 

 《エンハンス》を発動する。

 

「身体を覆う魔力の出力も変えられる」

 

 右腕だけに魔力を集中する。

 

「通常を一とすれば、右腕だけ二にしたりな」

 

「なるほど……」

 

 フーチェは感心したように頷いた。

 

「魔法にかなり柔軟性が生まれますね」

 

「便利ではあるな」

 

「羨ましいです」

 

「でも、フーチェの《炎上》も分かりやすくて強いと思うぞ」

 

「……」

 

 フーチェの顔が曇った。

 

「強いですけど」

 

「けど?」

 

「デメリットも多いんです」

 

「そうなのか?」

 

「全部に、嫌でも炎が付与されます」

 

 フーチェが手を上げる。

 

「《バインド》を使えば、鎖まで炎になります」

 

「それは強そうじゃないか?」

 

「拘束には使えません」

 

「あ」

 

 確かに。

 炎に包まれた鎖で拘束したら、相手を捕まえるというより焼き殺してしまう。

 

「それに……」

 

 フーチェは急に顔を赤くした。

 

「何より!」

 

「うん?」

 

「《エンハンス》の炎で服が燃えるから着とけないんです!」

 

「……」

 

 昨日の姿を思い出す。

 

「ああ……」

 

「《エンハンス》を使うたびに服が燃えます……」

 

「とんでもないデメリットだな……」

 

「本当にそう思います!」

 

 フーチェは頬を膨らませた。

 

「服を着たまま戦えないんですよ!」

 

「それは困るな……」

 

 能力そのものは強力でも、使いやすいとは限らないらしい。

 

「デメリットなら俺にもあるぞ」

 

「ロフルさんにも?」

 

「ああ」

 

 俺は右腕を見る。

 

「《エンハンス》の出力を上げたり、《ブラスト》を強化しようとすると、魔力が一気に持っていかれる」

 

「?」

 

「何度も魔力切れで気絶してる」

 

「……え?」

 

「だから、魔力の残量が分かればいいんだけどな」

 

 フーチェが、きょとんとした顔をした。

 

「何だ?」

 

「え……」

 

 少し間を置いて。

 

「感覚で分かりますよね?」

 

「……は?」

 

「魔力が減ってくると、視界が赤くなってきます」

 

「赤く?」

 

「はい。少しずつ視界の端から赤くなって」

 

 フーチェが目の前で手を広げる。

 

「気絶する直前には、視界がほとんど真っ赤になります」

 

「……」

 

 俺は自分の目を触った。

 

「そんなの、一度もないぞ」

 

「え?」

 

「普通に見えてる」

 

「魔力切れ直前でも?」

 

「ああ。何も変わらない」

 

 そして。

 

 突然。

 

 ぷつん。

 

 それで終わりだ。

 

「だから何度も地面で目を覚ましてる」

 

「危な過ぎませんか!?」

 

「俺もそう思ってる」

 

「これも種族による違いなのでしょうか……」

 

「かもしれないな」

 

 一般人。

 貴族。

 神徒。

 

 魔法輪の自然習得数も違う。

 神徒だけが魔力残量を視覚的に把握できるとしても、不思議ではない。

 

「謎が多いですね……」

 

「本当にな」

 

 俺たちが話している横で。

 マグは石板をじっと見ていた。

 

「マグ、六輪になりたい」

 

 ぽつりと呟く。

 

「そうですね!」

 

 フーチェもすぐに同意した。

 

「先があるなら進みたいです!」

 

「……」

 

 俺は二人を見る。

 

 五輪。

 

 《エンハンス》を使える。

 《バインド》も《ブラスト》もある。

 

 最下層の普通の魔物なら、ほとんど脅威にならない。

 十分にここで生活できる強さだ。

 

 なのに。

 

 なぜ、二人は元の世界へ帰らないのか。

 なぜ、その先を目指すのか。

 

 聞きたいことは、まだ山ほどある。

 

 だが。

 

「立派だな」

 

 二人がこちらを見る。

 

「俺も頑張らねーと」

 

「なら!」

 

 フーチェが突然、俺の手を取った。

 

「え?」

 

「ロフルさん」

 

「ん?」

 

「レベル五・九九まで上げないとですね!」

 

「……俺が?」

 

「はい!」

 

 マグも俺を見ている。

 二人から、妙な期待の視線を向けられる。

 

 試練条件。

 

 五・九九以上の神徒を含んだ、異なる種族二名。

 

 つまり。

 

 俺が五・九九まで上がれば。

 一般人の俺と、神徒のマグかフーチェ。

 二人で試練を受けられる。

 

「……なるほどな」

 

 俺自身も六輪になりたい。

 

「俺も六になりてーし……」

 

 拳を握る。

 

「目指すぜ!」

 

「おー」

 

 マグが小さく拳を上げる。

 

「では早速向かいましょう!」

 

 フーチェだけは妙に元気だ。

 

「レベル上げに良い場所を知っています!」

 

「今から!?」

 

「当然です!」

 

「まあ……いいけど」

 

 俺たちは簡単に食料と水をまとめ、祭壇を出た。

 

・・・

・・

 

 向かったのは西。

 

 《エンハンス》を纏い、ひたすら森を進む。

 マグとフーチェは、さすが五輪まで到達しているだけあって移動速度も速い。

 

 俺も遅れないようについていく。

 しばらく進んだところで、フーチェが足を止めた。

 

「そろそろです」

 

「ん?」

 

 俺は前を見る。

 

 森。

 木。

 草。

 岩。

 

 今までと何も変わらない。

 

「何がもうすぐなんだ?」

 

「ロフル」

 

 マグが前方を指さす。

 

「手、伸ばしてみて」

 

「手?」

 

 言われた通り、ゆっくり右手を伸ばす。

 その瞬間。

 

「うおっ!?」

 

 指先が、何かへ当たった。

 

「壁……?」

 

 目の前には何も見えない。

 だが、確かに硬いものがある。

 

 手のひらで触れる。

 横へ動かす。

 上下へ動かす。

 

 どこまでも続いている。

 

「透明すぎるだろ……」

 

 向こう側の森まで完全に見えている。

 意識していなければ、壁があることにすら気づかない。

 

「これ、走って突っ込んだら危ないな……!」

 

「区画を仕切る壁です」

 

 フーチェが言う。

 

「区画……」

 

 最下層がいくつもの区画に分かれている。

 その話自体は、村でもなんとなく聞いたことがあった。

 

 だが。

 

「こうやって完全に壁で仕切られてるのか」

 

 ただ森が広がっていて、一定範囲ごとに区切られている程度だと思っていた。

 まさか、物理的な壁が存在するとは思わなかった。

 

「……まずいな」

 

「何がですか?」

 

「妹だ」

 

 ハナ。

 

 あと一年もすれば、ここへ送られてくる。

 

「もし、別の区画へ転送されたら……」

 

 この壁を越えられないなら。

 俺がどれだけ強くなっても、助けに行くことができない。

 

「区画は基本的に行き来できないんだろ?」

 

「大丈夫ですよ」

 

 フーチェがあっさり言った。

 

「近くに住んでいるなら、同じ区画へ落ちてきます」

 

「……本当か!?」

 

「はい」

 

「どういう仕組みなんだ?」

 

「詳しくは知りませんが」

 

 フーチェは壁の向こうを見る。

 

「自分が飛ばされてきた場所付近に、家族も落とされるはずです」

 

「……よかった」

 

 肩の力が抜ける。

 

 ハナも。

 サンクも。

 

 俺と同じ区画へ来る可能性が高い。

 

 それなら。

 

 俺がここに残っている意味は、ちゃんとある。

 

「でも」

 

 フーチェが続ける。

 

「絶対とは言えませんけど」

 

「最後に不安になること言うなよ!」

 

「可能性の話です!」

 

「まあ……分かった」

 

 それでも、何も分からなかったときよりは遥かに安心できる。

 俺たちは透明な壁に沿って歩き始めた。

 

・・・

・・

 

 しばらく進むと。

 

「ん?」

 

 壁の一部に、妙な場所が現れた。

 

「……鏡?」

 

 そこだけ、俺たち三人の姿が映っている。

 森の中に突然、縦長の鏡が立っているように見えた。

 

「ここだけ鏡になってるのか?」

 

「ここだけ、というより」

 

 フーチェが壁へ近づく。

 

「実は全部、鏡なんです」

 

「全部?」

 

「はい」

 

「いや、向こう側が普通に見えてるぞ?」

 

「なぜか、私たちの姿はここにしか映りません」

 

「……不思議だな」

 

 透明な壁。

 なのに鏡。

 

 特定の場所だけ、自分たちの姿が映る。

 自然にできたものとは到底思えない。

 

「ロフルさん」

 

「ん?」

 

「私の目を見ないでください」

 

「急にどうした?」

 

「《下位掌握》を使います」

 

「……ああ」

 

 すぐに視線を逸らした。

 

「分かった」

 

 フーチェが鏡へ向き直る。

 そして。

 

「――《下位掌握》」

 

「……」

 

 一瞬。

 

 何も起きない。

 そう思った直後。

 

 鏡の表面が、音もなく消えた。

 

「は?」

 

 そこに現れたのは。

 

 森ではない。

 無機質な通路だった。

 

 灰色の壁。

 灰色の床。

 天井も低い。

 

 明らかに人工物。

 

「なんだ……これ」

 

「一分もすれば閉じます」

 

 フーチェが先に入る。

 

「急いでください」

 

「あ、ああ!」

 

 マグと俺も、すぐに後を追った。

 全員が通路へ入る。

 

 後ろを見る。

 先ほどまで入口だった場所には、森が見えている。

 

「本当に……どうなってるんだ?」

 

 しばらく通路を歩く。

 俺は周囲を何度も見回していた。

 

「これ、自然の通路じゃないよな……?」

 

 石を削った感じではない。

 木でもない。

 金属に近い。

 

 前世の建物で見た、設備用の通路。

 あるいは。

 

「通気口……?」

 

 そんな言葉が頭へ浮かぶ。

 壁には継ぎ目がある。

 

 一定間隔で、細い線も走っている。

 明らかに人の手で作られている。

 

「……」

 

 俺にとっては、疑問だらけだった。

 

 だが。

 

 フーチェもマグも、特に気にする様子はない。

 

 まるで。

 

 これが当たり前のものだと知っているように。

 

「ロフルさん」

 

「ん?」

 

 通路の出口らしき場所で、フーチェが振り返った。

 

「ここから先」

 

 表情が少し真剣になる。

 

「絶対に《エンハンス》を解除しないでください」

 

「……そんなに危険なのか?」

 

「はい」

 

 マグも小さく頷く。

 

「分かった」

 

 俺は全身を覆う魔力を意識する。

 《エンハンス》は正常に発動している。

 

 いつでも戦える。

 

「行きましょう」

 

 フーチェが先へ進む。

 無機質な通路の向こう。

 そこには、また森が広がっていた。

 

 だが。

 

 今までいた森とは、空気が違う。

 肌を刺すような。

 嫌な圧迫感。

 

「……」

 

 自然に拳を握っていた。

 

 そうして俺は。

 

 生まれて初めて――別の区画へ足を踏み入れた。

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