四層世界の最下層、魔物の森で生き残る 作:鳩夜(HATOYA)
翌朝。
俺は《開眼の祭壇》の前に立っていた。
翼を広げた女神像。
その足元にある台座には、神輪の祭壇と同じように腕を差し込める穴が開いている。
「これで、もう一つの試練か……」
神輪の祭壇で六輪への試練を突破した。
だが、一般人である俺が正式に六輪へ進むには、もう一つ。
《開眼の試練》
を達成する必要がある。
俺は少し緊張しながら、台座へ腕を差し込んだ。
いつものように強い吸引力が働き、肩まで一気に飲み込まれる。
女神像の前に光が集まり、空中へ文字が浮かび上がった。
――――――――――
第二の試練。
資格あり。
開眼の試練を開始します。
――――――――――
「資格あり……か」
続いて、俺の少し前に白い円が一つだけ現れた。
神輪の試練では《神徒》と《その他》の二つが出現した。
今回は一つだけ。
「どうやら、これは一人で受けるみたいだな」
俺は後ろを振り返った。
マグ。
フーチェ。
そしてアミナ。
三人がこちらを見ている。
「よし!」
俺は拳を握った。
「行ってくる!」
「頑張ってください!」
フーチェが元気よく声を上げる。
「頑張って」
マグも小さく手を振った。
「お兄ちゃん、絶対帰ってきてね!」
「任せろ!」
アミナにも手を振り返し、俺は円の中へ足を踏み入れた。
直後。
光が足元から立ち上り、俺の全身を包み込んだ。
・・・
・・
・
「……ここは?」
転送された場所は、これまでの試練とはまるで雰囲気が違っていた。
壁もない。
天井もない。
床らしきものさえ、どこからどこまで続いているのか分からない。
見渡す限り、真っ黒な世界。
だが、完全な闇ではなかった。
周囲には無数の小さな光点が浮かび、それぞれが遠くで静かに輝いている。
「星……?」
一瞬、本当に宇宙空間へ放り出されたのかと思った。
黒い空間に無数の星が浮かび、俺だけがその中心に立っている。
足元には感触がある。
呼吸もできる。
重力もある。
それでも、視覚だけなら星空の中へ浮いているようだった。
「神輪の試練とは、えらい違いだな……」
そのとき。
正面に、赤黒い球体が浮かんでいることに気づいた。
大きさはボウリングの球ほど。
表面には何本もの赤い筋が走り、心臓のようにゆっくりと明滅している。
その上に文字が現れた。
――――――――――
召喚玉に触れ、魔物を引き出してください。
召喚される魔物は、
対象者の魔力の質・量によって変化します。
――――――――――
「魔力の質と量……?」
つまり、試験を受ける者によって相手が変わるということか。
嫌な予感がする。
だが、進まなければ試練は終わらない。
「よし」
俺は右手を伸ばし、召喚玉へ触れた。
「っ!」
触れた瞬間。
静電気のような刺激が、全身を駆け抜けた。
続いて召喚玉から細い赤い光が伸びる。
頭から足の指先まで。
まるで身体を調べるように、赤い線が上から下まで何度も走っていく。
「スキャンされてるみたいだな……」
その光は最後に再び召喚玉へ収束した。
宙に浮いていた球体が、ゆっくりと下へ落ちる。
床へ触れた瞬間。
赤黒い光が円状に広がり、大きな魔法陣へと姿を変えた。
そこから。
「――久しぶりじゃ……」
「……え?」
声がした。
俺は反射的に剣へ手を伸ばす。
魔法陣の中央から、一人の女がゆっくりと姿を現した。
人間――ではない。
見た目だけなら二十歳ほどの女性。
腰近くまで伸びた銀色の長髪。
肌は白く、整った顔立ちをしている。
だが、その背中にはサキュバスを思わせる黒い翼があり、頭部からは牛のように湾曲した二本の角が伸びていた。
女は自分の両手を眺めるように動かし、やがて俺へ視線を向けた。
「何百年ぶりかのう。ここへ呼ばれるのも」
「しゃべった……?」
魔物が言葉を話している。
マグたち以外で、最下層に来てからまともに会話できる存在を見たのは初めてだった。
「あなたは……一体?」
女は口元を少し持ち上げた。
「我か?」
黒い翼をゆっくり広げる。
「我は、封印された太古の魔王――フォルチナじゃ」
「魔王……!?」
冗談を言っているようには見えなかった。
何より。
彼女の全身から感じる魔力が、これまで出会った誰とも違う。
「さて……」
フォルチナが首を軽く鳴らす。
「全力で行かせてもらうぞ」
その瞬間。
禍々しい魔力が、一気に周囲へ溢れ出した。
「っ……!」
反射的に後退する。
肌に直接触れているわけでもないのに、圧力を感じる。
マグ。
フーチェ。
No.6。
今まで強いと思った相手とは比較にならない。
「これが、俺の魔力から選ばれた相手なのかよ……」
勝てるのか。
そんな不安が一瞬だけ頭をよぎる。
フォルチナはそんな俺を見ながら、舌先で唇をなぞった。
「さあ、気張れよ少年」
楽しそうに笑う。
「負ければ、我に食われるだけじゃ」
俺はすぐに《エンハンス》を纏った。
フォルチナも左腕を前へ出す。
「……え?」
その腕に。
魔法輪が並んでいた。
「左腕に魔法輪があるのか!?」
「もちろんじゃ」
フォルチナが不思議そうに眉を上げる。
「魔族じゃからな」
意味はまったく分からない。
だが。
彼女の左腕に並ぶ魔法輪が、禍々しい黒色の光を放ち始めた。
「――魔閃一輪《シャドウブラスト》」
唱え終えると同時に、左手から巨大な黒い波動が放たれた。
「なっ!?」
見た瞬間に分かる。
俺の《ブラスト》とは、込められている魔力がまるで違う。
黒い塊が空間を削るように迫り、俺は《エンハンス》で強化した脚を全力で動かして横へ跳んだ。
直後。
先ほどまで立っていた場所を、黒い波動が通り抜ける。
「ぐ……!」
かろうじて避けられた。
だが。
俺は別の部分へ引っかかっていた。
「魔閃……一輪?」
俺の一輪は《サーチ》。
マグも。
フーチェも同じだ。
ユニークリングで効果が変化することはあっても、基本となる魔法そのものは変わらない。
しかし。
フォルチナの一輪は《シャドウブラスト》。
「ユニークリングとは違う……」
何かが付与されているのではない。
魔法そのものが、最初から別物だ。
「まずいな……」
この時点で、一気に戦いづらくなった。
相手が何輪を使うか見ても。
どんな魔法が来るのか予想できない。
「だったら、何かされる前に倒す!」
右手を構える。
「五輪――《ブラスト》!」
圧縮された魔力を射出。
さらに《制御》で出力を二へ引き上げた。
真正面からフォルチナの胴体へ命中する。
「どうだ!」
ジュッ……。
「……は?」
小さな音。
それだけだった。
《ブラスト》はフォルチナの身体を覆う魔力へ触れた瞬間、まるで水滴を熱した鉄へ落としたかのように消滅した。
「弱いのう」
フォルチナは傷一つ負っていない。
「その程度の攻撃では、我が《エンハンス》には傷一つつかぬぞ」
「くそ……!」
出力二でも駄目。
なら、さらに上げるしかない。
だが。
出力を上げすぎれば、俺自身の魔力が一気に枯渇する。
ここで意識を失えば終わりだ。
そうして高速で考えている間にも、フォルチナは待ってくれなかった。
「次はどうじゃ?」
左腕の二輪が黒く光る。
「魔閃二輪――《バインド・オブ・デスダンス》」
「二輪!?」
フォルチナの掌から、三つの黒い円盤が生成された。
それらは射出されず、彼女の周囲で三角形を描くように静止する。
直後。
三枚の円盤から、無数の黒い鎖が一斉に飛び出した。
「まずい!」
俺の《バインド》とは違う。
円盤そのものではなく、そこから鎖だけが直接こちらへ伸びてくる。
しかも三方向。
これに拘束されれば、まず間違いなく終わる。
「四輪――《バインド》!」
俺も円盤を射出する。
ただし。
狙うのはフォルチナではない。
《制御》で円盤を自分の周囲へ高速旋回させ、飛び出した鎖を円状に展開した。
黒い鎖が迫る。
それらが俺の《バインド》から伸びた鎖へ絡みつき、互いを締め上げるように空中で停止した。
「っ……!」
防げた。
少なくとも俺自身に巻きつくことは阻止できた。
だが。
周囲は鎖だらけ。
まるで巨大な鳥籠の中へ閉じ込められたような状態だ。
「ほう」
フォルチナが楽しそうに目を細める。
「面白い使い方をするのう」
「そりゃどうも……!」
「じゃが、それでは動けぬな」
「……!」
フォルチナが再び左腕を向ける。
黒い一輪が光った。
「魔閃一輪――《シャドウブラスト》」
黒い波動が生まれる。
避ける場所はない。
周囲は自分の鎖と、フォルチナの鎖で完全に塞がれている。
その刹那。
俺の頭に浮かんだのは。
ここへ来てから、何度も繰り返してきた《制御》の訓練だった。
この世界の魔法は、ある意味で平等だ。
一輪。
二輪。
三輪。
順番に何を覚えるのかは、最初から決められている。
相手が何輪まで使えるのか分かれば、ある程度は攻撃を予測できる。
少なくとも。
自分より上位の魔法輪を持つ相手でなければ、知らない魔法を突然撃たれて訳も分からず殺される。
そんなことは、普通なら起こりにくい。
その中で唯一。
相手にとって未知の攻撃を生み出せるもの。
それが《ユニークリング》だ。
だが。
祭壇が教えてくれるのは、特性の名前だけだった。
俺なら――《制御》。
その名前が何を意味するのか。
どこまでできるのか。
答えは教えてもらえない。
だから。
俺自身が試すしかなかった。
これまで《制御》でできるようになったことは三つ。
射出した魔法の操作。
《サーチ》の効果範囲の調整。
そして《エンハンス》の出力操作。
特に射出魔法については毎日のように練習し、今ではかなり自由に軌道を変えられるようになった。
前後左右。
死角。
相手の背後。
一度避けられても、再び追尾させることができる。
そして《エンハンス》。
全身の出力を上げる。
右腕だけ上げる。
右脚だけ上げる。
そこまではできた。
なら。
もっと細かくは?
右腕ではなく。
手首でもなく。
指一本だけ。
そこへ出力を集中させることはできないだろうか。
指先だけを極端に強化し。
剣よりも鋭く。
対象を貫く。
そう考えてから。
俺は何度も練習してきた。
だが。
一度も成功していない。
「それでも……」
目の前から、黒い波動が迫る。
今やるしかない。
俺は右手を前へ向けた。
五本の指。
その一本一本だけへ、全神経を集中させる。
「見極めろ……」
常時、出力を上げてはいけない。
魔力が持たない。
当たる瞬間。
その一瞬だけ。
「三……」
いや。
それでは足りない。
「四だ……!」
《シャドウブラスト》が指先へ触れる。
その瞬間。
出力を一気に四へ引き上げた。
チュドォンッ!!
大爆発が起こった。
黒い魔力と衝撃が周囲へ広がり、鎖が吹き飛ぶ。
フォルチナは煙の向こうを見ながら、つまらなそうに息を吐いた。
「弱いのう」
返事はない。
「なぜあの程度の者に、我が呼ばれたのじゃ?」
俺が死んだ。
そう思ったのだろう。
フォルチナの構えが、ほんのわずかに緩んだ。
その瞬間を。
俺は待っていた。
「――っ!」
煙の中。
足の指先だけへ、《エンハンス》の出力を集中する。
成功しているのか確かめる時間はない。
「行けえええっ!」
地面を蹴った。
今までとは比較にならない加速。
一歩で。
フォルチナとの距離が消えた。
「な――」
フォルチナの目が見開かれる。
右手。
五本の指。
今度はそこへ。
出力を五まで。
「貫けッ!」
手刀の形にした指先を、フォルチナの胸部へ突き出した。
ドシュッ――!
「がああああっ!?」
右腕が。
フォルチナの胸を貫通した。
背中から、血と共に俺の手が突き出る。
「なん……じゃと……!」
「やった……!」
手応えがある。
間違いなく致命傷。
だが。
「ぐ……」
俺も限界だった。
出力を上げすぎた。
右腕に感覚がない。
地面を蹴った両足の指先も、存在しているのか分からない。
さらに先ほどの《シャドウブラスト》の爆発にも完全には耐えられず、身体の何ヶ所かが焼けている。
もう。
まともに動ける状態ではなかった。
「これで……」
俺はふらつきながら、フォルチナから腕を引き抜く。
「倒れてくれ……!」
頼む。
これ以上は戦えない。
次に魔法を使えば。
間違いなく意識が飛ぶ。
「ぐふっ……」
フォルチナの口から血が流れた。
膝をつく。
「驚いたぞ……少年……!」
「……っ」
まだ。
意識がある。
フォルチナがゆっくりと――右腕を持ち上げた。
「……え?」
そこにも。
魔法輪があった。
左腕だけではない。
右腕にも。
俺たちと同じように。
いくつもの輪が並んでいる。
「嘘だろ……」
フォルチナの右腕。
最も上にある輪が光った。
「十輪――」
「じゅう……?」
「《リジェネレーション》」
その瞬間。
フォルチナの全身が眩い光に包まれた。
「……!」
俺が貫いた胸部。
大きく開いた穴が、みるみる塞がっていく。
裂けた肉が再生し。
骨が戻り。
皮膚が形成される。
数秒後には。
傷一つない状態へ戻っていた。
「……十輪」
六の先。
七輪があることは知った。
だが。
「十輪まで……あるのか……」
俺も。
この先。
そこまで辿り着けるのだろうか。
そんなことを考えている場合ではない。
目の前には、完全に回復した太古の魔王。
対する俺は。
指一本まともに動かせない。
「はは……」
もう。
無理だ。
視界が暗くなる。
最後に見えたのは。
完全に傷を治し、俺を見下ろすフォルチナの姿だった。
「……ここまで、か」
そのまま。
俺の意識は闇へ落ちていった。